一方、赤崎教授は受賞後のインタビューで「『流行に乗らず、自分が本当に好きなことをやりなさい』と言いたい。本当に好きなことなら、なかなか結果が出なくてもあきらめずに続けることができるから」と言った。日本らしい「一つのことにこだわる」姿勢の典型だ。
共同受賞者の中村教授は、研究で先行していた2人とは違い、日本では異端児として知られている。中村教授は地方企業の日亜化学工業で働いていた90年代初めに青色LEDの実用化にかかわる開発をしたが、実際には赤崎・天野両教授と協力関係ではなく競争関係に近かったという。ところが、今回のノーベル賞受賞の主人公は事実上、中村教授だった。赤崎・天野両教授は日本国内の青色LED研究の場を切り開いたが、実用化を可能にした突破口は中村教授が作ったからだ。天野教授は中村教授のことを「実験の神様みたいな人」と評した。
日亜化学工業は青色LEDの実用化に役立つ開発をした中村教授に相応の報酬を払わなかった。同教授は不満を抱いて退社、米国の大学に移った後、会社を相手取り開発の報酬を要求する訴訟を起こして勝訴した。7日の記者会見では「私の原動力は『怒り』だ」と語った。しかし逆説的ではあるが、日本に怒りを感じた中村教授が、日本が40年前から取り組んできた青色LED技術の研究成果を結実させた主人公になった。ソウル大学物理学科のチョン・ホンス教授は「日本には少数ながら、他人がしないことにこだわる人々がいる。こうした人々の全員が夢をかなえられるわけではないが、その一部は他の人にはできないことを成し遂げ、世の中を変える」と話した。