日本は今年も科学分野でノーベル賞受賞者を3人出した。しかし、この3人がノーベル賞を受賞するまで約40年かかった。発光ダイオード(LED)照明の商品化を妨げる最後の課題だった「青色LED」を開発、世界にさらに優れた「光」を送り出した功労をやっと認められたのだ。その主人公は名城大学の赤崎勇教授(85)、名古屋大学の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)だ。
ノーベル賞受賞まで3人にはどのような経緯があったのだろうか。3人の40年間を追えば、日本の科学がなぜ強いのかが分かるだろう。物語は1970年代初めまでさかのぼる。赤崎教授は当時、将来LED照明が大きな役割を果たすものと考え、青色LEDの開発に乗り出した。そうした将来を思い描くことができたのは、赤崎教授が現場型の科学者だったからだ。1952年に京都大学理学部を卒業、神戸工業(現:富士通テン)に7年間勤務した後、名古屋大学の助手から講師・助教授を務めた。64年から松下電器産業(現:パナソニック)の東京研究所基礎研究室長に就任。ほかの科学の先進国に比べ日本は歴史が短いのにもかかわらず、戦後に科学部門のノーベル賞受賞者を多く出しているのは、赤崎教授のように現場での経験を経て研究を続けた科学者が多かったためだと思われる。
3人のうち最も若い天野教授は83年、指導教授である赤崎教授の研究室に入り、同教授と共に89年、青色LEDの開発に成功した。師と共に世代を超えて難題解決に取り組んだのだ。年に数百回もの実験を繰り返し、成功のために少しずつ前進している日本特有の模範生スタイルと言えるだろう。天野教授は受賞後のインタビューで「赤崎先生はまさに先人。赤崎先生に出会ったことが私の一番のラッキーだったと思う」と語った。また、「私はたぶん、平均的な日本人だと思う。『こんなのでも取れた』ということで励みになると思う。自分よりも才能のある人が世の中には大勢いるので、その人たちがそれぞれの目標に向かって取り組めば、もっとよくなると思う」とも語った。その謙虚さは、40年間の研究が結実するまで守ってきた生活信条の現れだ。