2008年07月12日

「春夏秋冬」泉谷しげる。2

泉谷のお父さんは気性の荒い大工さんで仲間と酒のんではよく殴りあいのケンカをしてたそうである。また、月末になると借金取りからかならず逃げるという親を見て育つ。それを聞いてなるほどなあと思った。泉谷は最初はロックを演っていたがバンドのメンバーの楽器を自分んちで預かったりしてるうち、家が火事になり楽器を駄目にしてしまう。しょうがなくギター一本でフォークを演ったそうである。僕からすれば申し訳ないが火事になってくれたおかげでこんなにもの名曲をつくってくれたのだから火事に感謝なのである。とにかく泉谷さんは唄にぶつけるエネルギーが凄い、唄いながら格闘しているようである。今は役者の方で忙しそうだが、まだまだ泉谷さんの唄のパワーで感動したい。がんばれ泉谷ーっ!                                   じゃ、また!  


Posted by フォークシンガー伊東  at 19:44Comments(0)

2008年07月11日

「春夏秋冬」泉谷しげる。

このアルバムは何度聴いても飽きない、この頃の僕はほとんど毎日聴いていた。泉谷のフォークとしては最高傑作だと思う。一曲めの「地球がとっても青いから」から「帰り道」まで全ていい曲だ。全ていいのでこれとは言えないが、あえて言うとやはり「春夏秋冬」この曲は泉谷はたった十五分でつくったと言っている、彼は「わが奔走」という自伝のなかでこう言っている。「十五から十八くらいまでの、凄く多感な時期に自分の力が思うように発揮できなかったいらだち、四季がぜんぜん自分とは関係なく過ぎてしまう・・・・」この曲はフォークに限らず日本の名曲だと思う。そして「なんだこれ~これ唄じゃないよ」と言って始まる「黒いカバン」(詞は岡本おさみ)泉谷のキャラクターを世の中に印象づけた曲だ。「街はパレード」劣等感の強い僕のひがみを言ってくれてるようでグッときた。「ねどこのせれなあで」好きで結婚したはずなのに嫁にコントロールされるのが嫌で殺意を抱く夫、こわいけどどこかコミカルだった。「君の席」ギター一本ストローク、かっこよかった。  まだつづきます、じゃ明日。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 18:08Comments(2)

2008年07月10日

自分の殻(から)

中学三年、僕と遅刻王を争った迷友?前田一君が生徒会長になった。(うちの中学ちょっと変わってるのかな)そしてみんな何かしら責任とか自覚とかいうのを、それぞれ意識するようになっていった。そんな中で僕は無口になり無気力になり傷つきやすくムカつきやすくなっていた、クラスメートとけんかしたりしてどんどん孤立していった。授業中はいつも教科書やノートに落書きばかりしていた。結局好きなフォークも学校では唄わなかった。受験からも逃げるようになり、これから先の事が嫌になってしまった。そうしている時兄貴がたまたま買ったLPレコードのとりこになってしまった。僕はこのレコードがなければ駄目になってたかも知れない。そのレコードは泉谷しげるの「春夏秋冬」である。     また明日!                                     
      お知らせ  明日唄屋で拓郎百科辞典と題してLⅠⅤEを演ります、拓郎好きの方よかったら遊びにきてください!  


Posted by フォークシンガー伊東  at 22:33Comments(0)

2008年07月09日

ジャンボリクエストAMO,吉川団十朗さん。

この頃はまっていたのが、オールナイトニッポンとジャンボリクエストAMOだ。中でもAMOで地元のスーパースター吉川団十朗さんの時は面白かった。~団などとリスナーが葉書をだし、それに答える団十朗さんがとにかく笑わせてくれた。僕は「陽陰者」と言うLPレコードを買ってよく聞いていた。「キューピーちゃん」「母ちゃん」が好きだった。それから後にジャイアント馬場さんの唄も唄ってた、この曲も好きでした。今日は団十朗さんのブログで感動した言葉があったので紹介したい。
    「夢中になれるものがあるっていうことは、幸福なことだ。だって夢の中で生きてるっていうことなんだから」           団十朗さんありがとう。 じゃまた。
      
    追伸、あさって金曜日、唄やで「拓郎百科辞典」というLIVEを演ります!拓郎好きの方は是非遊びにきてください。                    


Posted by フォークシンガー伊東  at 19:26Comments(2)

2008年07月08日

フォークの神様「自由への長い旅」2

岡林信康は牧師さんの息子だが、その信仰に疑問を抱きフォークソングをつくるようになる。信じなさい疑いの心は捨てよに対して信じたいために疑い続けるである。その長い旅、彼の人生そのものの唄だ。この曲は僕の人生にとってもテーマソングになった。また、権力や貧富の差が大きい社会構造そして差別に対して狼のごとく牙をだして唄ってる「くそくらえ節」「ガイコツの唄」「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」「それで自由になったのかい」「私達の望むものは」「手紙」は名曲だ。(どうしてもこの頃の曲になってしまうのだが)中でも「手紙」は朝鮮の部落の娘が受けた差別の唄でこの曲は是非聞いてほしい、僕は聞いた時涙がこみあげてきた。それと岡林は今考えてもやりすぎのところがあった「おまわりさんに捧げる唄」なんてのはそうだと思うし、「くそくらえ節」は最初の頃「天皇様もトイレに入れば紙(神)にたよってる」と唄ってた。もっともこの部分はレコードでは削除されたが・・・。                                                                              じゃ、また。
  


Posted by フォークシンガー伊東  at 19:21Comments(0)

2008年07月07日

フォークの神様「自由への長い旅」

中二の期末テストの勉強の時、ラジオから中津川フォークジャンボリーの特集が偶然聞こえてきた。おーっと思いテープに録音しながら聞いた。僕はONTimeで聞いた事がなかったので興奮していた。三上寛熱いぜ!遠藤賢司しびれるー!斉藤哲夫の詞はいいね~などと感動していた(中津川フォークジャンボリーについてはまた後ほど書きます)その中で僕の煩悩108つのうち88無くなったくらい頭にガツンときたのが、はっぴいえんどをバックに唄った岡林信康の「自由への長い旅」である。僕は今でもフォークの中で一番影響をうけた曲だと思っている。今日はこの歌詞を一番だけ紹介したい。                         「いつの間にか私が私でないような、枯葉が風に舞うように小舟が漂うように、私がもう一度私になるために、育ててくれた世界に別れを告げて旅立つ、信じたいために疑い続ける、自由への長い旅をひとり、自由への長い旅を今日も。」

        岡林信康を語れるのは嬉しー。 また明日!


             


Posted by フォークシンガー伊東  at 19:36Comments(2)

2008年07月06日

情けない初恋3

電話帳で調べて電話するも、ダイヤルを回してすぐ止める。「なんだよ早くしろよ!」久喜君がせかす、僕はやけくそで電話した。するといきなり彼女がでてきた、僕は何か言おうとするも言葉につまった、すると「もしもしー、なんですかいったい」と彼女は不機嫌そうだった。まずい時に電話したもんだと思っている時、電話器の上に置いてあったかばんが落ち、中の物がボロボロこぼれた「あーっ!」僕は声をだしたすると「伊東君?伊東君でしょ、何ふざけてんのよ!」僕はどきっとした、何でわかったのか、しかも彼女はあきらかに怒っていた。僕はパニック状態になって「お、俺は伊東じゃない」と言って電話をきってしまった。電話をきって僕は茫然自失となりうなだれていた。夏の日の夕暮れ、心なしかひぐらしの「カナカナカナカナ・・・・・」と鳴く声が物悲しく、この恋の終焉を告げるようだった。そんな僕を見て久喜君は「もう帰ろう、帰って拓郎を唄おう」と言ってくれた。こんな時はいつも拓郎だった。帰るなり彼は人生を語らずを唄った、「越えていけそこを、越えていけそれを、今はまだ人生を語らず」僕はそんな久喜君の心づかいが胸にしみた。
               明日は岡林信康について語ります。      じゃまた。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 13:54Comments(2)

2008年07月05日

情けない初恋2

夏休み8月になって久喜君が、こちらへ遊びに来てくれた。久しぶりの再会に僕ははしゃいだ。色んなフォークシンガーの楽譜全集、新譜ジャーナル、ヤングギター、Guts、平凡、明星のうたぼんなどを見てこの曲はあーだこーだいいながら、ギターを弾いて唄いまくった。少し疲れて休んでいる時、僕は言った「今、好きな子がいるんだ」すると彼は「へー、どんな子」と言うので僕は彼女の良さをしゃべりまくった。「じゃあ何かアクションを起さないとだめだろ」と彼はニヤニヤしながら言った。僕は久しぶりのギターセッションでテンションが高くなっていたのか「よし!電話しよう、一緒についてきてくれ」と言って彼に近くの公衆電話までついてきてもらった。「えーなんで俺もいかなきゃないんだよ」と彼は言っていたが相変わらずニヤニヤしていた。僕は誰かがいてくれないと不安でたまらなかったのである。
                         また明日。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 21:10Comments(0)

2008年07月04日

情けない初恋

中学2年の6月、衣替えになっていつも見ている人が少し違って見える。そんな影響もあったのだろうか、僕は初めて恋をした。隣のクラスの子で涼し気の目もとの山口百恵に似た子だった。用もないのに隣のクラスに遊びにいってその子をチラチラ見ていた。家に帰ってはその子を思い出し、チューリップの「ぼくがつくった愛のうた」をひたすら唄った。「ラブリーOO,ラララララー、ラブリーOO、ラララララー」このOOのところを彼女の名前に置き換えて唄った。いつか彼女の前でこの唄をうたい、つきあってくれ!なんて言おうと勝手な妄想を抱いていた。そんな事を思うもなかなかそんな事はできなかった。そんなこんなでもうすぐ夏休みが来ようとしていた。いつもは「やったー!しばらく自由だ」と喜ぶのだが、しばらく彼女に会えないと思うと喜べなかった。
             その夏休みがあんなことになるなんて・・・・・・。                                                                            また明日つづく。

  


Posted by フォークシンガー伊東  at 22:20Comments(3)

2008年07月03日

僕は帰宅部

中学2年になると僕の友達はみんな部活動に熱中していた。僕はというと部活はしてなかった、いわゆる帰宅部だった(ノラ部ともいう)。先生に「ちゃんと部活しろよ」と言われても「好きな部がないんです」と言うだけだった。強いていえばサッカーをするのが好きだったがうちの中学にはサッカー部がなかった。ならば音楽となるが音楽部は楽器はしないでただの合唱部だった。僕にはこの合唱がとても好きになれなかった。みんな同じような声をだして同じ所で息継ぎをして強くしたり弱くしたりするのも同じである。一人の個性や味みたいなものが消されてる気がしていた。フォークを信奉している僕にとっては僕が合唱する事は偉大なフォークシンガー達を冒瀆することになるのではないかとさえ思えた。例えば岡林や拓郎、泉谷、遠藤賢司なんかが合唱したらケンカになると思うし、そこへ高田渡が入ったら殴り合いになるだろう。僕は家に帰ってギターを弾くだけだった。


                 フォークソング部があったら良かったのに・・・・・・・。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 22:33Comments(0)

2008年07月02日

遅刻王決定戦3

中一最後の学校、珍しく早く起きたというよりよく寝れなかった。今日は遅刻しないつもりだった。だがボーっとしていると一つの考えが浮かんだ「ここで遅刻するとかなりウケルな・・・・・。」すると僕の芸人根性がムクムクと頭をもたげてきた。よしこんなに期待されているのだから遅刻しよう!僕は決断した。今度ばかりは先生にメチャクチャ怒られるだろう、また,遅刻王と一生呼ばれるかもしれないなどさまざまなリスクをかかえての決断だった。少し遅れて教室へ行くと、どっと笑いが巻き起こった案の定大いにウケた。先生はハアと溜息をついて頭を横に振りながら「早く席について」と言うだけだった。その授業中どこからともなく先生の目を盗んで手渡しでメモ紙が送られてきた。それにはこう書いてあった「遅刻王おめでとう」
        僕はちょっとしたヒーローになった。(不名誉の) 
                                           じゃまた。
  


Posted by フォークシンガー伊東  at 13:45Comments(1)

2008年07月01日

遅刻王決定戦2

何回遅刻したか忘れたが40回位だと思う、その日が来るまでハジメ君と回数が同じだった。かべ新聞にでてからその事でクラスは盛り上がってきた。中にはお金を賭けるけしからんやつもでてきた。いよいよ明日という時ホームルームで先生は言った「伊東と前田、明日は絶対遅刻しないように!」釘をさされてしまった。放課後ハジメ君が僕に言った「明日は遅刻しないようにしよう遅刻王なんていやだろ?ずっと言われるよ」もっともだった、中学時代いや大人になってからも遅刻王と呼ばれるかもしれない、そんなのいやだなと思っているとクラスメート達がよってきて、『ハジメ明日は期待してるよ!」とか「みっちー、お前がNO1だ」とか言って肩をたたいたりピースサインを送ったりしていた。僕らの気持ちなど、どこ吹く風である。

                またまた明日へ続く。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 22:26Comments(0)

2008年06月30日

遅刻王決定戦

中学生になってからの僕は、よく遅刻をしていた。中学校の校庭の前に僕の家がありメチャメチャ近いのにである。何回か先生に怒られてる時僕はこんな事を言った「校庭も中学校なんだから、校庭に一歩足をいれたら遅刻じゃないですよね」その時先生は、鬼の形相になってこっぴどく怒られた。それでも遅刻癖は治らなかった。そのうち先生も呆れてあまり怒らなくなっていった。
僕が遅刻するとクラスの何人かがニヤニヤしたりふっと笑ったりしていた。最初は僕も恥ずかしかったが、なんだかそのうち、クラスのみんながこれで和んでいると思うようになり、変な満足感がでてきた。だけど僕にはライバルがいた前田一君である。
彼の遅刻もすごかった。その決着は中一の最後の授業になった。その三日前のクラスのかべ新聞にはこう書いてあった。
        みっち(僕のニックネーム)vsハジメ  遅刻王はどっちだ
                      
                      また明日続く



  




  


Posted by フォークシンガー伊東  at 22:07Comments(0)

2008年06月29日

久喜君の転校

中学一年を終わろうとしている頃、突然久喜君がお父さんの仕事の都合で古川へ転校する事になった。僕にギターを教えてくれた彼が離れていく、これから先、誰と遊べばいいのか誰にギターを教えてもらえばいいのか、僕はショックだった。
引っ越しのとき見送りに行ったのだが、あまり目をあわす事もなく少し気まずい別れとなってしまった。本当は大きく手をふってさよならと言えばよかったのに・・・・・・・。僕は家に帰ってすぐギターを弾いて歌った、ずっと拓郎を歌っていた。「ともだち」を歌っていたら涙があふれてきた    やるせない思いを胸に友達は去りました・・・・・・・。  

               じゃ今日はこのへんでまた明日  


Posted by フォークシンガー伊東  at 19:25Comments(1)

2008年06月28日

初めて買ったレコード「断絶」2

やっぱりこのアルバムでは『人生が二度あれば』『傘がない」が、目玉曲だ。陽水のお父さんは歯医者さんで,跡を継ぐために陽水は大学を受験するも二度浪人してあきらめてしまう。そんな申し訳ない気持ちがこの『人生が二度あれば」を生んだのではないか。『傘がない」は歌詞の冒頭で自殺がでてくる。何とも重苦しい中最後は『君の事以外は何も見えなくなる、それはいい事だろう」 思春期の僕にとってはズシりとくるメッセージだった。この二曲では陽水は泣いている、僕も何度泣かされた事か。
あとは『感謝知らずの女』モップスらしいアレンジ、星勝さんもノリノリだっただろう。
          明日は久喜君の転校について じゃまた。

   


Posted by フォークシンガー伊東  at 08:43Comments(0)

2008年06月27日

初めて買ったレコード『断絶」

ない小遣いをためて買ったこのレコード,針をおとした途端オルゴールが聞こえてきた。一曲目の「あこがれ」は地味だけど、とても好きな曲だ、男と女はこうあるべきだと思ってしまう歌詞、そしてアレンジがすばらしい、胸に迫ってくるベースラインAGとの
からみ、陽水の曲の中ではかなり好きなアレンジだ。ホリプロ時代、アンドレカンドレを経て、この曲で陽水の行く先が決まったのではないかとさえ思う。又このアルバムで印象的なのが、『限りない欲望』。歌詞の最後に結婚式が出てきて、『指輪をはめるその指が、なんだかとても見飽きたようでいやになる」とある。このシュールさは僕には衝撃的だった。そうそうこの曲は、ミスチルの桜井も唄ってたのを、ネットで見ました。 さすが桜井。
            じゃまた明日。
 


  


Posted by フォークシンガー伊東  at 23:00Comments(1)

2008年06月26日

伊東満紘のみんなでFOLKING

久喜君はとてもうまかった、コードストローク、アルペジオ、スリーフィンガー、リードギター、そして何と即興で、唄をつくったりしていた。僕は金魚のふんのようについて回り、教えてもらったりしていた。一番最初に覚えたのは、心もよう、次が、東へ西へ、スリーフィンガーは、22才の別れでした。このスリーフィンガーは、学校の授業中机を指でたたきながら、何とかおぼえました。一番最初に買ったレコードは、LP盤で井上陽水の,断絶でした。明日はこのレコードについて話ましょう。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 22:27Comments(1)

2008年06月24日

みちのくふぉーくジャンボリー開催決定

 はじまして伊東満紘です。1962生まれ宮城県気仙沼育ちです。中学生の時、
熊谷久喜君という友達がいてフォークギターを教えて貰い、フォーク狂いの馬鹿息子となりました。
初めてギターを買ったのは春日の3万円のギターでした。嬉しくて3日間抱いて寝ました。かあちゃん,とおちゃん、あにきにうるさいといわれながら、拓郎、陽水、かぐや姫、NSPなどを弾いていました。じゃ、今日はこのへんで。また明日。  


Posted by フォークシンガー伊東  at 18:32Comments(6)フォークジャンボリー