サンボの山口との対談で、「覚えておられないかと思いますが、
71年のジャンボリーの実況CDで、岡林さんがギターソロの前に
「バカヤロー!」って怒鳴るんですよ」とあるが、自分が20年
ほど前に買った復刻71年ジャンボリーCDにはそういうのは入って
なかったが、以前出ていたやつとか他に出てたのがあるんだろう
か。
>>501
71年フォークジャンボリーで岡林が「バカヤロー」と叫んでるのは
「それで自由になったのかい」の合間「すっけべー、ばっきゃろー」と叫んでるのしか無いんじゃないかな?
あとあまり言われてないが、urc時代の一連の音源の「それで自由~」のテイクでは
この71年フォークジャンボリーの柳田ヒログループバッキングのテイクが一番いいと思うんだが、どうだろ?
>>496
サンボマスターと今日をこえてやったんですか?!聴きたかった…
>>502
今確認したところ3分25秒あたりで「ばっきゃろー、すっけべー、こんにゃろー」って言っている。
でもリードギターがそもそもいないからソロ前では無いわな。
アルバムだと「ライブレアトラックス」に入っています。
この曲はアルバムバージョンだと長いだけで退屈なので、
音が割れんばかりにシャウトしているライブの方がかっこいいね。
アンコールなもんだから切れ方が半端ない。
>>505
あと岡林自身もう「狂い咲き」で音楽辞めるつもりだったらしいから
70年フォークジャンボリーのはっぴいバッキングの切実さみたいな
部分が無くカラっとした感じなんだよね
となると、「覚えておられないかと思いますが」と言った
山口の脳変換で、ばっきゃろー が、バカヤローになって
いたと。「バカヤロー!」になると、なんか客とケンカして
るようなイメージがあったので。まぁ、その当時はたいして
客とケンカすんのも、珍しくなかっただろうけど
URCネタが多いから、サンボのインタビューは読んでたけど
いろいろ出鱈目と言うか、眉唾のことが多いよ。
「加川良のアジ演説」で当時は起床してたとか、その音源探したけど
それらしい音源は俺には結局判らなかった。
>>507
岡林さんに限らず、1960年代あたりから活躍している人は
ホラも出鱈目もゴチャ混ぜのコメントしてるよ。
その代表は寺内●●●かな。もう、アーティスト自身の
記憶力そのものが怪しいから、研究者によって追究されるべき。
>>506
フォークジャンボリーは69年から71年の3回だけど、
70年は岡林全盛の回だし、71年は斜陽だけどまだ支持されてたと思うから
客との喧嘩は無かったんじゃないかな?
あとみなさん「私たちの望むものは」はどのテイクがお好きですか?
自分は70年中津川の音源が一番だと思うんですが・・
唱と演奏のバランスが一番で時代ともマッチしている最高のテイクだなと。
きのうの超満員の日比谷野音、あんな感じで伝説ライブも盛り上がったんだろうな。
日比谷のコンサート、何時間くらいやるんだろう?
あと予習として何を聞いたらいいですかね?
中津川と狂い咲きとURCシングル集だけ持ってます
公演の予習なら今年出た三枚組ベスト。
>>511
ご本人もファンも年齢層高いので、途中で休憩挟んだ
2部構成でしょ。Dr.Kが来ればENは全員参加でしょう。
ご本人のMCが状況次第で長くなる傾向があるため、
休憩時間とEN込みで約2時間半ほどと予想。
予習用CDは「歌祭り」の3枚を勧める。ライブ盤「ロック…」もあれば上等。
終わったあと、何言うかな?
そこが興味深々。2007年日比谷野音の時は「MSG公演が
実現したら、お前らパンパース履いてこいよ」やったし。
野音で「私たち~やるんじゃない?
報道ステーションに岡林出ててそんな気がしてきたわ
コペルニクス的転回の勧め?だっけ、イントロが素敵だよね!
70年中津川フォークジャンボリー
http://www.youtube.com/watch?v=u4ae4dnRWnM
2か月後の野音(10月9日)
http://www.youtube.com/watch?v=Jy3XUNRssqE
演奏は両方ともはっぴいえんどだけど物凄くカッコいいね
11日でぴあ・ローチケなど前売り販売終了。
さて、どれくらい埋まったのか、興味深々。
ウチは2階席。
ネットでの前売りは3日前ぐらいで終わってあとは当日にまわされるわけだが
テレビの効果で当日売り大行列だったら・・・と思うといまだに行くの迷ってるw
つか、この公会堂行ったこと無いわ。かなり古そうね。
コミケカタログ見たら、岡林の薄い本を出す人がいるようだ。
大晦日だけどちょっと見てくるw
当日に行かれた方
簡単なリポートと感想をよろしく
当日券で行こうかと思ったが、寒くておっくうなので諦めた。
行く人は楽しんできて下さい。
自分は5年ぐらい前にnhkでやったライブの録画でも見ます。
日比谷行ってきました。
代表曲では山谷、山辺、26番目、君に捧げる、自由、チューリップ等、だいたい聴けました。
良かった曲は弾き語りではあの娘と遠くまで、バンドでは今日を超えて、
それに吉岡さん追悼のアルバムの曲、京の覚え唄が良かったですね・・涙腺が緩みました。
自分はエンヤトットからのファンですから、あらえっさっさ!を演ってくれると、嬉しいですね。
このままエンヤトットで行ってほしいし、今更バンドサウンドに回帰して欲しくない・・が、僕の意見です。
何年か前の九段会館よりは、個人的には良かったと思いました。
山辺に向かいてで、感きわまったのか、終盤涙声になってましたね・・
最後は自分の事を「猪瀬直樹」だと言って終演しましたw
当日券でも充分入れました。
声を張る曲では声が出ていましたが、・・・。
25年前の日本青年館ライブ以来でした。
日比谷公会堂、人生で初めてでした。
以上
今日を超えては2007年日比谷野音の再現っぽかった。
今年のアルバムからも歌った事でセトリ選ぶのは
苦労したでしょうな。終わってみると「アレがない
コレもなかった…」と思った。
Dr.Kのギター、まんま友人ジェリー・マギー(ベンチャーズ)の
音やクセが乗り移って、バンドセットでやったものは
すごいスワンプっぽいギターだな。
ディランほどではないが、岡林さんも自分の曲を
いろいろな形にアレンジしていますね。
あと30年先まで歌ってくれる事を祈る。
2階席は後4列ほどが空席だったから、入りは1600人ほどかな?
2007年日比谷野音とほぼ同程度か。
「私たち~」やらなかったんだな、まあ当然か
岡林のコンサートかあ
1978年の有楽町・読売ホールのとき以来行ってないなあ
ボブ・ディランが初来日した年だったか岡林本人もその話をしてた
岡林 「ディランは離婚の慰謝料を稼ぐために日本に来るそうです。
そういうことなら何度でも離婚してほしいね」 (客席は爆笑)
「かぼちゃ音頭」の大合唱は楽しかった
行かれた方、乙でした。
>>526
休憩入れて、ジャスト3時間やったからねぇ。
九段会館同様、椅子が古くて、ケツが痛いぜ。
ところどころに入るMCがどれも長かったのは
「いかにも」年輪の長いアーティストらしい。
>>525
ベアナックルレビュー初期の時代かな
70年代後半だから、テクノとか歌謡ポップとか、
流行りのニューミュージックふうとかで揺れ動いて
た時代ですよ
86年のベアナックルレビューの音源です。コンサートの最初から最後まで収録してます。
ブート物ですが良かったらどうぞ。冗談ぬきに墓場まで持っていきたい自分の宝物です。
カボチャ音頭で盛り上がってるのも堪能できますよww
(短期間で消えると思います)
ベアナックルレビュー第1部
ttp://www4.gigafile.nu/v3/?7f26d260481f439bf4564166d6df9c75
ベアナックルレビュー第2部
ttp://8.gigafile.nu/?470bb59016eea16422525109c36a6c15
>>530 ええわこれ、涙が止まらん。
乙でした。
ベアナックルの頃はファンが落ち目の?岡林さんを支えなと、一番思い込んでた次期やな。
当事のコンサート会場の悲惨さ(笑 のトークも最高やな。
いろいろ昔を思い出してしもうたわ。
ベアナックル時期は超小バコ公演や予告ナシ公演(ゲリラ)を
多数やったみたいで、地方の会場では「手紙」も歌ったという
話を当時の観客だった人から聞いたけど、本当かなぁ?
みつるさんと結婚して叔父さんから文房具店譲り受ける予定だったのに
Bだったのでダメになった歌か。
>>531
ありがたや。
うちに86年2月のライブ行った時のポスターがあるりで懐かしんでみるよ。
今回の公演、PAコンソールが48chデジタル設置のようで。
以前は「マイクとアンプさえあれば、どこでも行きます。
それ以外の電源不要」と公演営業していた彼も
2007年日比谷野音公演はテレビ用映像撮ったからだけど、
これ以後は共演者が増えるたびにPAコンソールが増強されてきたね。
もしかすると、今回の公演もライブ盤出るかもしれない…期待したい。
♪去年と今年じゃ日よりも違う カボチャのデカさもちょいと違う
♪あたしゃ生身の人間だから 物差し通りにゃ動けません
祝45周年。日比谷のコンサ-トも良かったし、そこで買った「アナザ-・サイド・オカバヤシ」も良かった。
一般向けの演歌など聴く気にもなれないが、岡林さんだと何度も聴いてしまうから不思議だ。
50週年目指して、もうひと花咲かせてほしいです。
5年前は何故BSで放送したのかな。
今回も放送するのは無理かな
残念ながらテレビ局の機材車両はありませんでした。
目立たないところにビデオカメラが数代ありましたが、
演出のためにドリーを敷いたりと言った中継録画用ではなく、
おそらく通常記録用と思われます。
もうひとつ思い出した
「歌謡ショーのお時間で~す」 とか言いながら
春日八郎の 『赤いランプの終列車』 も歌ってたな
>>541
まだ演歌をひきずってた頃か
大瀧詠一が急死したけど岡林は長生きしろよ
ナイアガラ師匠急死には驚いて、そして泣けてきた・・・
そうそう、今日コミケで岡林さんの薄い本買ってきたよ。
近々続編も出るそうで、ここ見てたら頑張ってください。
これで、岡林とはっぴい(再編)の共演という「夢」も見れなくなったな。
とても悲しい。
大瀧トリビュート公演がもしあれば、はっぴいの再編には3人と
伊藤銀次あたりで頼む。山下達郎は大バコ公演嫌いみたいなので。
岡林がはっぴいえんどをバックにつけたから、伊藤銀次と大滝詠一が知り合い、銀次が山下達郎の自主製作版(アドサム)を大滝に紹介したからシュガーベイブが世に出られ、山下はまりやと結婚できた。
今夜は朝まで踊りましょのDVD買ったよ。
正月活動も一段落したんで今観ています。
ジャケットのヘタウマな絵は御本人が描いたんですね。
えんやもら~ えんやろっさ~
♪えんや~の や~の~ 大きいやっちゃ
へぇ~知らんかった、今夜は朝まで踊りましょのDVD復刻盤が発売されてたのか。
VHSは発売された20年前当時に買って、テープが擦り切れるぐらい何回も見たな~。
保存盤としてDVDも買ってみよう。
>>549
自分は3032円の楽天ブックスが一番安いと思い買ったが、3006円のアマゾンの方が安かった…
>>550
情報ありがとう。
今の時代、DVDで3000円チョットで買えるんだ。
ちなみに20年前に買ったVHSは5800円だった。
決して高いとは思わなかったけど。
DVD、日比谷公会堂公演の時は
スペシャルパッケージだったのかなぁ?
新入りですんません。最近のコンビニで売られている下衆い本で、放送禁止の歌が紹介されていて
YouTubeで「手紙」を聴いてショックを受け、「山谷ブルース」で魅了され、「君に捧げるlovesongで」
ファンになりました。スレがあって嬉しいです。
皆様のレスを読んで、岡林さんの事を知れて良かったです。
>>553
新入りでも関係ないさ。
ここに居る連中は下手な音楽評論家以上の連中がいるし、レコード会社の奴も見ているみたいだし。
まぁ岡林の音楽を起点にしていくと日本の音楽界だけでなくワールドワイドの音楽ジャンルにまで通じざるを得なくなってしまうからなぁ。
冗談抜きで。
たしかに古くからの岡林ファンには奇特な人が多い。
さんざん篩にかけられても落っこちなかったわけだからね。
昔の写真見るとやばそーな感じだけど、今は落ち着いたインテリ風の
おもしろいオッサンという印象。
俺も厨房時代に 「手紙」 を初めて聴いたときは日本の異常な現実にショックを受けたなあ
ちょうど担任の先生 (社会科) が “あの問題” について教えることに熱心な人だった
私が小学4年生の時の担任の女教師は、毎月の目標を「差別はしない」と決めつけていた。
【差別】ってなんだろうと思ってた。
そして、授業が終わって帰る前には「友よ」を歌わせてた。
岡林さんを最近知って、YouTubeで聴き、なんと!岡林さんの歌だったのかとびっくり。
ちなみに私はオルガン担当だった。(ピアノを習っていたので)
「手紙」を知らなかったので、今思うとそういうことかと。
私が部落というものを知ったのは、中学2年生の時に奈良に引越ししてからです。
転校1日目にして、学校の門の前で大人達が差別反対!と書かれたゼッケンを付け、座り込み。
クラスの生徒の何人かも同じゼッケンを付け、授業を受けていて、異様だったので母に聞いたんです。
「手紙」を聴いて、差別というものを知って、では私は差別しないかと言うと嘘になります。
それでも岡林さんの歌には引き込まれます。素晴らしいと思います。
もっと聴きたいと思います。もし、お薦めのCDなどがあれば教えて下さい。
>>558
「友よ」はあの頃多数発売された、フォークのカバー物LPなどで
第三者の歌(カバー)が収録されたケースがあって、
オルガンやハモンドなど鍵盤楽器の伴奏が多かったな。
>>557
ウチの高校時代の担任も大学時代が紛争中だったから
岡林さんの「手紙」をカバーするのは十八番でしたな。
顧問をやっていた軽音部の学生バンドを従えて文化祭で
「性と文化の…」「おまわりさんに…」「NHKに…」など
ヤバヤバなナンバーをバンバン歌いまくってた。
>>559
ヤバヤバな歌!聴いてみたい~
>>554さん有難うございます。WiKiを覗いてみましたが、おっしゃる通りですね。驚きました。
おまわりさんといえば、京番茶のCM思い出した。
おまわりさん役で出てたね。
岡林といえばパンクだろ、「それで自由になったのかい」は最高にパンキッシュや
最近のライブのフィナーレで、イメージは民謡臭いオッサンのイメージになってる
公演によって、アレンジが違うのでナンだけど
「今日をこえて」もパンクだね。
2007年秋の日比谷野音でやった時、そう思った。
>>560
これのことかいだな、フォークの神様 岡林信康
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9E%97%E4%BF%A1%E5%BA%B7
確かにうまくまとまっているな。
これを参考にして色々と聴いてみるのももいい。
ああ、日本語が変ですね。
ここに書いてある。フォークの神様 岡林信康
確かにとても上手くまとまっているなぁ。これを参考にして聴いてみるのもいいかも。
です。
昔のwikipediaの岡林の項目は酷かった。
ここ数年で見違えるほど良くなった。
へぇ~見てみたかった。
山谷ブルースとか手紙とか、カラオケで歌えるのかな?
「山谷ブルース」はあった
たしか画面にはあの街の風景も映されてたような
スナックで歌った時は座が白けて気まずい思いをしたっけなw
>>569
今の日本に当てはまるトコロもあるからかなww
今日のお~仕事お~は辛かったあ~っ♪てかあ。まだ、仕事があるだけ今よりマシな気もする。
岡林さんの目にはどう映ってるだろう。
>>570
「山谷ブルース」
岡林さんとて、いまは歌わなくなった部分があるからなぁ…
>スナックで歌った時は座が白けて気まずい思いをしたっけな
ということに関しては、御大も以前は、「さすがに宴会(ちょうど
岐阜の山奥の農村に引っ込んでいた頃)の席でチューリップのアッ
プリケは歌えんがな」と随分前に書かれていたことを思い出した
メディアや岡林本人も「岡林といえば山谷ブルース」というイメージと思ってるみたいだが、
俺はそんなイメージは全く無い、岡林といえば「私たちの望むものは」これ以外に考えられない。
次のライブはいつですか?
ライブ行ってみたい。関西だけど、来てくれないかな
ちょっと前に母校でやったじゃん、関西。
マジで!?あああああああああ知らなかったああああ!!!
今日の仕事はつらかった。あとは焼酎をあおるだけ。
どうせ、どうせ山谷のどやずまい。ほかにやることありゃしねえ。
中学時代から聞いています。いまだに新鮮です。
勉強もできんかったし、はやくおとなになりたかった。
中津川のフォークジャンボリ行きたかったなー。
私も毎日仕事が終わると「今日の~仕事は辛かった~」と口ずさんでいます。
本当に頭に残る歌詞ですね。
山谷ブルースはYMOの「ライディーン」の原曲。
これ豆な。
岡林さんの曲や歌詞ってリピートが多い気がする。
何か意味があるのかな。
>>571
だけど俺たちゃ 泣かないぜ
働く俺たちの 世の中が
きっと きっと来るさ そのうちに
その日にゃ泣こうぜ うれし泣き
80年代に彼のコンサートで 「山谷ブルース」 を聴いたとき
この歌詞を歌わなかったので 「あれっ?」 と思った
歌ってもむなしくなるだけだもんなあ・・・
>>581
アメリカのブルースとかフォークがそうだからじゃないのかな。
>>583
そうかぁ~色々な人や曲にリスペクトされていた人みたいだもんね。
Wiki読んだら、ピンクレデイまで出ていたし、頑固そうな人だと思ってたんだけど、
音楽には幅広い寛容さがあったのかな。
最初からずっとソロ歌手?
GSにいてウエスタンカーニバルとか出た?世代的にはありそうだが
>> 585
関西フォークムーブメントの中、高石友也のコンサートに飛び入り参加したのがきっかけ。
以降高石友也事務所に所属し、URCグループの中で活動していたが、労組寄りの音楽活動に嫌気がさし、逃亡入院、が公的(?)な略歴。
事務所の方針でGS=歌謡曲の反対側の立場、と言う事になっていた。
ミュージシャンの当人達には当時そんな感情は一部を除いてさほど無かったようだが。
御大本人は、自分でエレキを持つまではGSにはそうとう
反発あったのよ。「俺がこんだけハードなメッセージやって
るときに、何がGSや 何がジュリーや」だったが、それも自分
でロックやるようになって、左翼少年的なんでも頭デッカチ
判断であったことに気ずいたと「村日記」(絶版)によれば。
ボブ・ディランがフォークコンサートのイベントで初めてエレキギターを弾いて歌ったとき
聴衆は激怒したとあるけど、岡林のときもそういう反応はあったのかな?
昔のフォークファンはそういう点ではムチャクチャ保守的だったそうだが
「東京以外での地方では、全っ然受けなかった」と。
激怒ではないが、「シ~ン・・だぜ(笑)全く受けない。
もしロックで受けてたら、やめて田舎に引っ込もうなんて
思わんかったやろうな。全然受けなかったから、もう歌う
のはやめやと思うたんです」
・・で、そういう状態であったということは当時、
客席側も、岡林本人が以前そう思ってたようにエレキ=
「何がGSや 何がジュリーや」と、そのまんま思って
たことなんだろう。ホント、当時の団塊の客層っての
は革新のようでいて、実はそういうとこ保守的だわね
ちなみに後年は、御大もムッシュかまやつ(元スパイダース)
とも仲良くなり、80年前後に御大をサポートした渡辺茂樹は
元ワイルド・ワンズでした。
ムッシュかまやつは70年代のフォークブーム到来のときは
ちゃっかりとその路線に方向転換してたなあ
♪四葉のクローバー ノートにあった・・・なんて歌を
いや~勉強になるわ
>>590
>当時の団塊の客層
フォーク歌手がメジャーなヒット曲など出した日にゃ
「あいつは堕落した」と拒絶されるような時代
テレビに出たら「そんなに金が欲しいのかねw」とかあざ笑ってそう。
>>588
フォークではないけど
米国ではカーペンターズが曲の中間部にエレキギター演奏を
入れただけで「裏切り者!」と反発するファンがいたとか
『愛にさよならを』だったかな
岡林と日本舞踊・家元のジョイント
俺の地元の福岡では6月にある
昨日の新聞には大きめの広告が
>>596
福岡かぁ遠いなぁ。裏山。
>>593
吉田拓郎もそれでブーイングを浴びた
客席から「帰れ!帰れ!」
フォークの世界に嫌気がさしたのもわかる
今でもパンクとかインディーズ界隈はそんな感じじゃね?