詩を読む
その1 北村太郎「出口」
その2 ぱくきょんみ「わたしは、しない」
その3 関口涼子「熱帯植物園」(導入部)
その4 石垣りん「杖突峠」
その5 鶴見俊輔「対話」
その6 宋敏鎬「ブルックリン橋」
その7 江代充「兄の梯子」
その8 森崎和江「海」
その9 武田百合子「夜」
その10 福間健二「ミスキャスト」
その11 片桐ユズル「ふつうの女の子に」
その12 長谷川龍生「虎」(抜粋)
その13 小池昌代「悲鳴」
その14 尹東柱「たやすく書かれた詩」
その15 佐々木浩「抽象的な世界」
その16 建畠晢「余白のランナー」
その17 坂輪綾子「最後の日」
その18 元山舞「今日」
その19 氷見敦子「日原鐘乳洞の「地獄谷」へ降りていく」
その20 井上弘治「美的生活のはじまり」
その21 ネイティブ・アメリカンの詩「夜明けでつくられた家」
その22 ボリース・パステルナーク「二月だ インクをとって泣け!」
その23 W. H. オーデン「もうひとつの時間」
その24 川田絢音「グエル公園」
その25 高橋睦郎「「旅する男」のための素描」(部分)
その26 寺山修司「ヘアー」(部分)
その27 中上哲夫「再発」
その28 岡田隆彦「街」
その29 吉増剛造「帰ろうよ」
その30 ダムタイプ「COMING OUT 「世界」という「イメージの方法」からの解放」
その31 安東次男「みぞれ」
その32 永瀬清子「あけがたにくる人よ」
その33 木村迪夫「思い出すなあ」
その34 山崎佳代子「木の葉」
その35 鈴木志郎康「石榴」
その36 谷川俊太郎「なんでもおまんこ」
トラブルにより以下「その99」までの記事は消失しました。
そのさらに下のノートの目次は生きています(笑)。
その37 清水哲男「はらから」
その38 北島「きみが言う」
その39 如月小春「都市」
その40 佐藤信「夜と夜の夜」
その41 石原吉郎「若い人よ」
その42 小長谷清実「水が少量」
その43 飯島耕一「カンシャク玉と雷鳴」
その44 ジェニー・ホルツァー「扇動的なエッセイ」(部分)
その45 ウンベルト・サバ「三つの道」
その46 辻征夫「沈黙」
その47 高橋順子「子どもの時間」
その48 宮河蕗子「都市の旋律」
その49 齋藤恵美子「夜勤」
その50 白石かずこ「生霊」
その51 伊藤聚「世界の終り」
その52 TOMO「もしも穏やかな退屈を、ありふれた平和と呼ぶならば……」
その53 須永紀子「西日のあたる部屋」
その54 井坂洋子「うじ」
その55 伊藤比呂美「ナシテ、モーネン」
その56 吉岡実「叙景」
その57 富岡多恵子「don't explain」
その58 清岡卓行「石膏」
その59 奥野雅子「話をきいてる?」
その60 藤井貞和「坂」
その61 金時鐘「化石の夏」
その62 菅原克己「げんげの花について」
その63 山之口貘「生活の柄」
その64 田村隆一「もう一つの世界」
その65 鮎川信夫「ジョン・レノンの死に」
その66 岡真史「ぼくはしなない」
その67 せきぐち ひでひこ「けっこん」
その68 黒田三郎「紙風船」
その69 瀧口修造「LINES」
その70 ガートルード・スタイン「やさしい釦」(部分)
その71 老子「老子 第78章」
その72 中桐雅夫「やせた心」
その73 吉本隆明「涙が涸れる」
その74 阿部岩夫「月の山」(導入部)
その75 李良枝「木蓮に寄せて」(導入部)
その76 ジョナス・メカス「古きものは、雨の音」
その77 サム・シェパード「81/11/1 シアトル、ワシントン」
その78 金子光晴「愛情13」
その79 平田俊子「再放送」
その80 小林泰子「手紙」
その81 フェルナンド・ペソア「1.12.1931」
その82 北村想「DUCK SOAP」(部分)
その83 ウィリアム・S・バロウズ「遠い手が上がる」(前文)
その84 諏訪優「太郎湯」
その85 柴田千晶「空室」
その86 松下育男「顔」
その87 芒克「死してなお老いさらばえることがある」
その88 橋本治「人生が通り過ぎてしまう前に」(部分)
その89 チャールズ・ブコウスキー「ガッツのあるラジオ」
その90 荒川洋治「美代子、石を投げなさい」
その91 天沢退二郎「湾岸に沿って」
その92 ジャン=リュック・ゴダール「右側に気をつけろ」
その93 エマ・サントス「去勢されない女」
その94 リチャード・ブローティガン「1942」
その95 まど・みちお 詩2編
その96 ゲーリー・スナイダー「パイユート・クリーク」
その97 山尾三省「聖老人」
その98 三里塚芝山連合空港反対同盟「徳政をもって一新を発せ」
その99 石牟礼道子「死民たちの春」
ノート1 石牟礼道子詩集『はにかみの国』
ノート2 飯島耕一詩集『アメリカ』
ノート3 須永紀子詩集『中空前夜』
ノート4 清水哲男詩集『黄燐と投げ縄』
ノート5 福間健二詩集『侵入し、通過してゆく』
ノート6 江代充詩集『隅角 ものかくひと』
ノート7 関口涼子詩集『熱帯植物園』
ノート8 藤井貞和詩集『神の子犬』
ノート9 小池昌代詩集『地上を渡る声』
ノート10 荒川洋治詩集『心理』
ノート11 鈴木志郎康詩集『声の生地』
ノート12 鈴木志郎康詩集『攻勢の姿勢 1958-1971』
ノート13 鈴木志郎康詩集『攻勢の姿勢 1958-1971』(その2)
ノート14 鈴木志郎康詩集『攻勢の姿勢 1958-1971』(その3)
ノート15 須永紀子詩集『空の庭、時の径』
ノート16 金時鐘四時詩集『失くした季節』
ノート17 唐作桂子詩集『断食の月』
ノート18 福間健二詩集『青い家』
ノート19 今井義行詩集『時刻(とき)の、いのり』
ノート20 鶴見俊輔『詩と自由』
ノート21 飯吉光夫編訳『パウル・ツェラン詩文集』
ノート22 現代詩手帖特集版『シモーヌ・ヴェイユ 詩をもつこと』
ノート23 ヴィスワヴァ・シンボルスカ詩集『終わりと始まり』(沼野充義訳)
ノート24 清中愛子詩集『宇宙みそ汁』
ノート(1) 齋藤恵美子、季村敏夫、暁方ミセイほか
ノート(2) 福間健二、尹東柱、小沢信男ほか
ノート(3) 永瀬清子、エミリ・ディキンソン、若松丈太郎ほか
ノート(4) ウォルト・ホイットマン、木村まき、早川義夫ほか
ノート(5) 杉山平一、萩原朔太郎、ウンベルト・サバほか
ノート(6) 黒川創、池澤夏樹、鶴見俊輔ほか
ノート(7) パティ・スミス、石牟礼道子、ミランダ・ジュライ
ノート(8) 金子光晴、天沢退二郎、津野海太郎ほか
ノート(9) 大佛次郎、入沢康夫
ノート(10) 黒田夏子、鶴見俊輔、大佛次郎、稲川方人ほか
ノート(11) 齋藤徹、日高六郎、谷川雁ほか
ノート(12) 川上未映子、加藤和彦、谷川雁ほか
ノート(13) 鮎川信夫、吉本隆明、鶴見俊輔、多和田葉子
ノート(14) いとうせいこう、ジョナサン・サフラン・フォア、司修、藤田嗣治ほか
ノート(15) 櫻本富雄、司修、松本竣介、洲之内徹ほか
ノート(16) 北村太郎、鮎川信夫、瀬尾育生ほか
ノート(17) 大山誠一、ザ・フォーク・クルセダーズ、加藤陽子ほか
ノート(18) 池澤夏樹、寺山修司、中野敏男、北原白秋ほか
ノート(19) 内田樹、山田風太郎、中島岳志、パール判事ほか
ノート(20) 高木健一、朴裕河
ノート(21) 糸圭秀実(「糸圭」は一字で「すが」)、金子修介、多木浩二
ノート(22) 燐光群(坂手洋二)、原彬久、岸信介、ジョージ・オーウェル
ノート(23) トニ・モリスン、サトウハチロー、なかにし礼、金鶴泳
ノート(24) ブライアン・フリール、伊東静雄、富士正晴、梨木香歩ほか
ノート(25) 夏目漱石、有吉佐和子、白井聡、鈴木志郎康
参考作品 『二十才の恋』WH1986 (未校正)
詩の引用は、あくまでも詩の鑑賞のためであり、作者、著作権者の利益を侵害する意図はまったくありません。問題のある場合はご連絡ください。 渡辺洋
<1>
出口 北村太郎 (1922−92)
冬の
ある日の、夜
まだ、世界があるのに気づく
とどめを刺される
というのは個人、にかぎられるから
まだ、は
いつまでもつづくだろう
きっと
寒い、ちいさい、たくさんの家の、部屋のどこかには
針箱
はいるのは
どこから、だったろう
出口は
見えないようだけれど、はっきりしてるよ、そこは
うす青い氷、ふさいでるから
両手を
洗面器の、湯にひたしながら
つらぬく、のが
欲望なのか
運なのか、わからないで
冬の
ある日の、夜
新聞を敷いたフロアに、ずーっと、立っていて、そして
ガラス窓は、はめ殺し
・詩集『路上の影』(1991・思潮社)所収
引用は『現代詩文庫 118 続・北村太郎詩集』(1994・思潮社)より
すでに崩壊に瀕したような自己を抱いて、それでも日常の些事にまぎれ、自分や世界の困難について思いをめぐらせてばかりもいられないのだが、いまさらのように、冬のある夜、世界がまだ存在していることに驚愕する。世界は個人によって「とどめを刺され」て存在をやめるということはない。存在の「とどめを刺される」のはいつも「個人」のほうなのだ。そして、多くの個人は家の部屋の片隅に「針箱」を置くことで生きながらえている。
そんな「家」のささやかな温かさへの入り方も忘れてしまった。出口のイメージは自分にとってははっきりしている。「うす青い氷」が「ふさいでる」あの、死だ。
冬の夜に、両手を湯に深くひたすのは、自己にとっての快楽とも言えるし、偶然の所産として生き延びた者のただの行為とも言える。生は自己によって決定されるものではない。
冬の夜、水がこぼれて濡れないように、新聞紙を敷いたフロアで、しばらく立っていた。ガラス窓は、入ることも出ることもできない「はめ殺し」だ、「殺し」だ。
一瞬の情景詩、心境詩のように見えながら、空白を強いられるかのような長い時間に耐えつづけてきた、詩人の思考が凝縮していることに思いを馳せたい。
初稿 2005.1.1 まだ書き方がよく分かりませんが。
<2>
わたしは、しない ぱくきょんみ (1956− )
きょうの空に
一点の曇りも見つけないで
冬枯れの前に
あばれ枝を整理しないで
木の実いっこに
木の葉いちまいに
木の枝先いっぽんに
賢しげな眼をあげないで
ことばに詰まらないで
わたしは、しない
ひとの嘘に
じぶんを見透かされないで
ふつふつと噴き出した
妬みやそねみに惑わされないで
ほら
映像に終始する「伝達」だから
爆音やとどろきはここまで届かない
ここまで、どこまで
薄い笑いが蔓延して
世界の軸が外れていく
平たい調和にくちびる舐めないで
わたしは、しない
・詩集『そのコ』(2003・書肆山田)所収
原文は「賢しげ」の「賢」に「さか」のルビあり
「見つけない」「整理しない」「眼をあげない」と、否定文が続いています。しかし、読者に感じられるのは、「一点の曇りを見つけた」「あばれ枝を整理した」そして木の細部に「賢しげな眼をあげて」「ことばに詰まっている」、作者らしい「わたし」の存在ではないでしょうか。だとすれば、その「わたし」は、「ひとの嘘に自分を見透かされ」「妬みやそねみに惑わされ」ながらも、「ここまで」届いた「爆音やとどろき」を真正面から受け止めているのではないでしょうか。「蔓延」する「薄い笑い」が世界をその軸で受け止めることを遠ざけようとしている社会。「平たい調和」で「くちびる舐め」てしまう社会である、日本語社会に対する違和をさりげなく提出しているのは、繰り返される「わたしは、しない」という、日本語としてはちょっと引っかかる行でしょう。「わたしは、しない」の「しない」は先行する動詞の代動詞、つまり繰り返しを避けた言い換えの「しない」ではなくて、それまでに出てきた「見つける」「整理する」「眼をあげる」といった動詞を後ろにしたがえた(省略した)、英語で言えば I don't なのでしょう。「わたしは、しない」の「、」の部分に動詞が隠されているのでしょう。この行が日本語で書かれたことが批評しているものに耳を澄ませたいと思います。
これは余談ですが、この詩のことを考えているとき、ジョン・レノンさんの "God" という歌を思い出しました。I don't believe in の後にさまざまな権威の名前を持ってきて、聖書もケネディもエルヴィスも何もかも信じないと延々と歌っていく歌。そんな残響を聞いたのは私だけかもしれませんが。
初稿 2005.1.3
<3>
熱帯植物園(導入部) 関口涼子 (1970− )
植物のさまざまな学名と、それが
背をもたせかけるものによって支
えられている発音の連続体がある。
左側でつなぐ構造が許すある一定
の長さと、間違えば「それが含む
もの」と呼ばれてしまうかもしれ
ない事象、その細微な傾きを、荷
重はかけないままこれ以上はない
程明瞭に流れるようにしたいとい
うことがひたすらに思われていた。
態の区別がまず厳格に禁止され、
三番目の方へと目を向ければすで
にFの文字が現れてきていて、そ
れを発音し私達もまたそうされた。
・詩集『熱帯植物園』(2004・書肆山田)長編詩の冒頭の1ページ
植物の学名であるラテン語、その言語構造によって支えられている、発音、またその左側でそろえる横書きの表記の前に(言語によっては横書きでも右始まりになる)、私達は植物を、名に含まれるものと考えてしまうかもしれない。しかし、植物そのもの、そしてその名前との関係とは何だろう。植物そのものを感知すること。能動態も受動態も禁止し、見るもの、呼ぶものという特権を、また植物に見られている自分といったロマンチックな想像も廃したとき、ラテン名、現地語名に続いて書かれた、私達のよく知るところのフランス語(F? ここはまったくの誤読かもしれません)による名の表記があり、私達はそれを発音したが、それはまた私達が発音されることでもあった。
『熱帯植物園』という長編詩集の導入部です。詩集全体は詩人によれば、ポルトガルの熱帯植物園めぐり、亡くなった彫刻家、若林奮氏との書簡などに端を発し、中世アンダルスの詩人達の詩形式に応答したものとのことですが、そこまで読者として辿り着くにはまだ時間がかかりそうです。しかし、この冒頭部分だけを読んでも、作者の人間存在のゆらぎ、言葉と付いたり離れたりを繰り返す、体感と言語の表現の冒険が、日本語の詩の言葉の伝統に閉じ込められない、作者自身のリアルな言葉によって繰り出されているのが感じられます。
初稿 2005.1.3
<4>
杖突峠 石垣りん (1920−2004)
信州諏訪湖の近くに
遠い親類をたずねた。
久しぶりで逢った老女は病み
言葉を失い
静かに横たわっていた。
八人の子を育てた
長い歳月の起伏をみせて
そのちいさい稜線の終るところ
まるい尻のくぼみから
生き生きと湯気の立つ形を落した。
杖突峠という高みに登ると
八ヶ岳連峯が一望にひらけ
雪をまとった山が
はるかに横たわっていた。
冬が着せ更えた白い襦袢の冷たさ、
衿もとにのぞく肌のあたたかさを
なぜか手は信じていた。
うぶ毛のようにホウホウと生えている裸木
谷間から湧き立つ雲。
私は二つの自然をみはらす
展望台のような場所に立たされていた。
晴天の下
鼻をつまんで大きく美しいものに耐えた。
・詩集『表札など』(1968・思潮社)所収
引用は『現代の詩人 5 石垣りん』(1983・中央公論社)より
原文の「着せ更えた」の「更」に「か」のルビあり
[参考]英訳 Norma Field "From My Grandmother's Bedside--Sketches of Postwar Tokyo" (1997, University of California Press) より、同著者自身による翻訳
WALKING-STICK PASS
I called on distant relatives
near Lake Suwa in Shinshu.
The old woman I was seeing after a long absence
had taken ill, grown speechless
and was resting quietly.
Showing the undulation of the years
of raising eight children,
the small ridge ended there
where, from the hollow of a round rump,
she dropped a form steaming with life.
When I climbed the height known as Walking-stick Pass,
the entire Yatsugatake Range opened up before my eyes
snow-draped mountains
resting in the distance.
Somehow my hand was sure of the chill
of the white under-robe brought by winter,
of the warmth of flesh just showing at the collar.
The bare trees like downy fuzz,
the clouds billowing from the valleys.
I had been made to stand in a place like a lookout
with a view of two instances of nature.
Under the clear sky
I held my nose and endured
that which was large and beautiful.
昨年(2004年)亡くなった、石垣りんさんの佳編です。年代的には40代の作品でしょうか。信州の遠い親類をたずねると、その家のおばあさんは、老衰のためか、言葉もなく寝たきりになっており、(家族に介護されて)排泄していた。「ちいさい稜線」という背骨を指した表現が、次に出てくる峠からの山の風景につながっていきます。
峠から見える連峯は雪をまとっています。その次の連の「なぜか手は信じていた」という1行はさらっと読めてしまいそうでいて意外と難しい。この1行がなければ、この連はただの風景描写となってしまうでしょう。雪の冷たさ、そこから覗いている地肌のあたたかさ(それは遠く離れた風景なのですが)、おそらく「私」は寒さや風景の美しさにふっと手を衿もとにあてるような仕草をしたのではないでしょうか。この「なぜか手は信じていた」という1行があることで、風景描写が、人の温もりを「なぜか」「信じ」る気持ちの表現と重なったのだと思います。
最後は、もう老女の元は去っているわけですが(と言っても「展望台のような場所」の「ような場所」という表現は二重性を示唆した曲者です)、広大な風景のなかで、あらためて「鼻をつまん」だとフィクションを入れながら、大きな自然と、人間のちいさな生の営みとをならべて、ユーモラスにしめくくっています。
初稿 2005.1.5、 修正 1.22
<5>
対話 鶴見俊輔 (1922− )
今は昔
親しい編集者がいて
火をつけた煙草を私にさしだし
「これをつかんでごらんなさい」
と言う
私はそれをつかんだ
てのひらが焼けた
「それがあなたの
一番悪いところです」
と彼は言った
彼は退社し
しばらくして
なくなった
それから何年
テレビに日本人が
うつった
アフガニスタンにしのびこみ
スパイとうたがわれて
つかまった
カメラひとつもっていない
それが彼の救いとなった
ある日の新聞に彼の顔がうつり
現地まで行った義兄に
頭をこずかれ
「すみません」
とあやまっていた
その名は柳田大元
父である編集者柳田邦夫に
よく似ていた
前のはなしとこのはなしは
どこかつながっている
誰に語りようもないこのつながりを
八十歳に手のとどく私は
自分の中で見ている
・詩集『もうろくの春』(2003・編集グループ<SURE>)所収
今さら「哲学者の」と説明するのも気がひける鶴見俊輔さんの、八十歳を過ぎての初めての詩集の1編。昔、親しい編集者がさしだした火をつけた煙草を「私」はつかんでやけどし、「それがあなたの/一番悪いところです」と言われた(さしだした方もどうかと筆者は思いますが)。
それから彼もなくなり、さらに何年もたってから、彼によく似た若者がアフガニスタンで拘束されたニュースがテレビでも新聞でも報じられた。その編集者の息子だった。日常の枠から踏み出すことを誘いながら、本当に踏み出す者を諭す、そんな関係が彼の息子にも反映している(現実には「彼」はもうなくなっていて、諭したのは、「彼」の義理の息子だったが)。そんな語りようもない思いを自分の中に「私」は見ている。
ところで詩を書くこと、読むことは、踏み出すことだろうか。たぶん違うだろう。詩が、踏み出すことのきっかけや記録になったとしても。大学の職を捨て市民運動家にはなっても、詩の専門家になることのなかった鶴見さんはその違いをふまえながら、控え目な文体で、しかし厳しさをもって語っているようだ。
[付記]柳田邦夫さんは元中央公論の編集者で、『書き言葉のシェルパ』などの著書を持つジャーナリスト(1988年に死去)。詩中の「義兄」は野村進さんで、『コリアン世界の旅』などの著書を持つノンフィクション作家。タリバンによるフリージャーナリスト柳田大元さんの拘束は2001年10月のこと。それぞれの仕事の呼称の違いはインターネットでの調べによるもの。
初稿 2005.1.6
<6>
ブルックリン橋 宋敏鎬 (1963− )
あの黒人やあのヒスパニックにも子供はいて
このアジア人にも足はある
霞がかったB電車の歯科医のような安息も
ブルックリンの黄昏に乗っかり
ブライアント公園に向かう遠い紐解き
そして
この離れがたい
個人的な糾明
個人的な批判
花弁を識別するような脳天気はここになく
河を下り 写真を撮り 車に乗る
手元を離れたコップが瞬時に氷片に輝く破壊の気持ちで
脚を組み替え
彫刻を巡り
光線を
浴びているような 浴びていないような
深い芝の碧さに対抗する
禅の
絵
の数々
を手放す勢いで
電車は 船は ダムに沈み
また 上がり
本線に 本流に 戻る
肩を脱臼しながら
目撃を撃ちながら
癒すものもなく
ブルックリン橋を
行くこの黄色い脚たち
・詩集『ブルックリン』(1998・青土社)所収
宋敏鎬(ソン・ミンホ)さんの詩はいつ読んでも落ちつかない気持ちになります。気持ちを引かれる2、3行のパーツが読む側が意味づけできる展開に納まっていかない。要するに「落ち」が「つかない」わけで、その感想はこの詩の収められた第1詩集(前年に私家版で出した、その新版とも聞いていますが)を初めて読んだときから今に至るまで変わりません。こんな読者にとっては、どの詩がどの詩よりいいと言える根拠もなく、かなり恣意的に選んだ1編です。
ニューヨーク、黒人やヒスパニックやアジア人があふれている。黄昏どきのB電車に乗ると乗り物に乗った安心感からあれこれの、たとえば人種的なこだわりも紐のように細く伸びていく。(在日という)こだわり、アジア人をさらに国別に識別する(アジア人にとってはまだ乗り越えられない)こだわりもここでは問題とされない。船、カメラ、車。さっきまで持っていたコップに浮かんでいる氷片のような、私のこだわり(破壊衝動)。いかにも合州国的な芝生に対抗する、自分に染み付いた墨絵のような感性も捨てていく、そんなスピード感で、アジア人のあふれるニューヨークの本流に戻っていく。(日本で在日として育った自分の)「肩を脱臼し」「目撃を撃ち」「癒すものもなく」、黄色い脚の一人になって、私も橋を渡る。
こう書いてしまうと物語になってしまいますが、たとえば「脚を組み替え/彫刻を巡り」という2行はどうしましょうか。(在日という自分のこだわりから)スタンスを変えて、アートは至高だというかのような、この合州国の都市のペースにまみれて、とでも読んでおきましょうか(実際にニューヨークは彫刻、モニュメントには事欠かないようですが)。説明しすぎでしょうか、読み違いばかりでしょうか。もう一度、詩そのものを読んでみてください。
初稿 2005.1.8
<7>
兄の梯子 江代充 (1952− )
兄は寄せかけた梯子にのぼり
めくれ上がった屋根のうえに姿を消している
兄はわたしのいる土の上に
気持ちのよい強いなじみをかんじはじめた
そこに立つ二本の脚から
上方へとかけられた木梯子の何段かが
わたしの視野に収まっている
たよりになる仕事をなしおえ
その足どりで降り立とうとするまでは
どこへも行かず
手に取ってささえることも
梯子の先端を見つめなおす必要もかんじられない
わたしは木梯子と共に
ここにいつづけることができる
このすでに癒えた病いとともに卑屈にならず
よわり果てることもなく
わたしは徐徐に
わたしの姿を取ることになるだろう
・詩集『白V字 セルの小径』(1995・書肆山田)所収
夢のような描写です。
「兄」は梯子をのぼって、今は屋根のうえで姿が見えない。「わたしのいる土の上」に「強いなじみをかんじはじめた」「兄」は「わたし」の「かんじ」方と入れ替わっているかのようです。その「わたし」は梯子の「二本の脚」「上方へとかけられた木梯子の何段か」を「視野」に収めている「わたし」でもあり、「わたし」でもあるような「兄」がなすべき仕事をなしおえ、「その足どりで降り立とう」とするまでは、梯子をささえることも、その先端を見つめなおす必要も、心には浮かんできません。こうした夢のような見方、感じ方が「わたし」が把握しうる「わたし」のすべてであり、そのことを「わたし」はすでに「病い」と感じることもなくなったのですが、その「わたし」が「病い」のように置かれた生き方と、「わたし」はずっとともに「いつづけ」ながら、それが「わたし」であるということに徐徐になっていくのでしょう。
エリック・クラプトンというギタリストが、指の動きが速すぎてかえってゆっくり弾いているように見えることから「スロー・ハンド」と仇名されたエピソードを聞いたことがありますが、江代充さんの詩は気が遠くなるほどの時間をかけて書くことによって、逆に視線の移動、体感の移動が短い詩のなかに凝縮され、そのことによって激しい分裂に詩が耐えている印象があります。その原因を作者の人格、トラウマに求めるよりは、今は作者の詩が何をどこまで把握するのか、その持続を追い続けていきたいと筆者は考えます。
初稿 2005.1.8
<8>
海 森崎和江 (1927− )
港に碇泊している船のむれ
わたしらが待っているベンチ
船へつづく石の廊下
ここをねじろにする浮棧橋のうえの
とびはねる浮浪児の
すばやい略奪にきずついている
しおざいは波をすべり
わたしらをふきさる
わたしたちにとって
なぜいつもはじまりであるのか
きのう自殺したおとうとの
この出発をせおって
わたしは死を終焉へはこぶことができない
さむくないとはありがたい
これっぽっちのしあわせにくるまり波止場に立つ
履歴書に似てとぶかもめ
かるいわたしらの重量が落ちるところ
はるかなブイも浮きしずみ
潮騒
ああおにぎりがほしかったおまえ
借り着の服もろとも傷ついていたおまえ
わたしらの選択は散りいそぐ旗にのまれ
かもめの舞うはとば
くりかえす出発のなかの
孤児と孤児と
朝日にすけてみえなくなるおまえの遺体
わたしらのつぶやきのように
しおかぜに消えるおまえの青春
浮浪児の散弾がとぶ
わたしらは船にのるのか
船は行くのか
海は……
おまえ
生きかえれわたしのまえに
およごう おまえとともに
海のないはとば
はとばのない海へ ああ
・詩集『さわやかな欠如』(1964・国文社)所収
引用は『日本現代詩文庫 12 森崎和江詩集』(1984・土曜美術社)より
わたしたちは港のベンチで出発を待っている。浮浪児の略奪にきずつきながら。激しいしおざい。わたしたちはいつも、これで終わり、と安堵したことがない。おとうとの自殺も出発であり、何かの終わりとは呼べないものとして、わたしはそれを抱えつづけるだろう。朝鮮から引き揚げ、ともに朝鮮のことを語り合ってきたわたしとおとうと。さまざまな政治運動、朝鮮戦争、時代に翻弄されてきたわたしたちの、きちんとした重さを与えられたことのない人生の履歴書のようにとぶかもめ。貧しさのなかで闘いながらおまえは死んだ。何度もくりかえさねばならない出発。(両親も故郷朝鮮も失った)わたしたちも寄る辺のない「孤児」なのだ。
終わってしまったおまえの青春をきずつけるように、浮浪児の散弾がとぶ。また出発するのか。おとうとよ生きかえれ。出発を強いられることのない、「海のないはとば/はとばのない海へ」と、ともにおよごう。
弟さんの自殺(1953)ほか、作者の年譜を参考に補いながら読んでみました。
初稿 2005.1.9
<9>
夜 武田百合子 (1925−93)
どこかの醸造やの酒ぐらで
酒が凍ることがあると
だれかがいつた。
美しい酒が凍るのは
きつとこんな夜かもしれない
山はねてしまつた
もし ひとつの星が杉の森に
深くおちたとしても
だれも目をさますものはあるまい
風だつて今夜は岩かげに眠るらしかつた
動くものは宿のランプの灯のかげ。
今こそ
峡のすい晶はきびしい音をたてて
結晶をはじめるかもしれぬ
すゝむちやん
今夜あたりは
星の熟柿が自分のおもみに
たへかねて
川におちこむかもしれない
生れて始めてのやうな
しづかさだね
・同人誌『かひがら』(1943、号数不明)所収
引用は村松友視『百合子さんは何色』(1994初版; 1997・ちくま文庫)より(「友視」の「視」は正しくは偏が「示」)
晩年に文章家として人気を集めた武田さんの、戦争中、10代のときの作品です(当時は鈴木百合子さん)。
兄弟あるいは家族で旅をする機会でもあったのでしょうか、それとも所用のための移動かもしれません(「すゝむちやん」とは弟の進さんのことと考えて)。旅先の宿で、あわただしい日々の束の間のしずかな夜を感じ取っている。その情景を、自分の感性で受け止めて表現にしている見事さ、自由さは、同時代に多くの文学青年が乏しい外国文学の情報にしがみついて、たとえば日本語の暗喩表現を模索していたことを考えると、後年の独自の文章の輝きをすでにこの時点で把握していたと言えるのかもしれません。
「美しい酒が凍る」「ひとつの星が杉の森に/深くおちたとしても/だれも目をさますものはあるまい」「風だつて今夜は岩かげに眠るらしかつた」「峡のすい晶はきびしい音をたてて/結晶をはじめる」「星の熟柿が自分のおもみに/たへかねて/川におちこむ」、どれも「生れて始めてのような/しづか」な夜を形容しているのですが、分かりやすいようでいて、なかなか書けるものではない描写が光っています。「美しい酒」、「結晶をはじめる」「すい晶」、「星の熟柿」、こんな確かで明晰に飛躍する言葉を、戦争中の10代後半の作者がすでに持っていたことに、驚くとともに幸せな気持ちになれるのは筆者だけでしょうか、「すゝむちやん」と自分が語りかけられたかのように。
初稿 2005.1.9
<10>
ミスキャスト 福間健二 (1949− )
まちを歩く
たくさんの人とすれちがう
だれも「たすけてくれ」とはいわないが
ぼくも「苦しいか」とはきかないが
すべりおちてゆくしかない
大きな斜面
それから
知らない生き物の
やわらかい体の動きを感じて
バレているのに
バレてないふりをされているのか
心が死にかけて
川べりの曲がった道にいるのだ
気を失いそうになるが
なにかいわなくてはならないとあせるが
機械の指にいじられて別人になる
自分の役を信じられるかどうかの瀬戸際で
爪のきたない指
コイルを巻いた指が
通信を受けとった
思い出せるはずのなかった
はじまりの場所からの
いくつもの
いままでの失敗を思い出してしまう
ここからまた失敗することを覚悟して
曇り空を見る
・詩集『秋の理由』(2000・思潮社)所収
まちですれちがうたくさんの人。「たすけてくれ」とか「苦しいか」とか、声をかけあうこともないが、何かが聞こえてくる、何かを話したくなる。私たちが置かれているのはすべりおちてゆくしかない大きな斜面、そこでも、自分では忘れているやわらかい心のようなものを身体で感じる。「心が死にかけて」「川べりの曲がった道」で「気を失いそうに」なり、「なにかいわなくては」とあせっている、そんな心を持っていることを、お互いに知らないふりをしているのか、「機械の指」にいじられて「別人」になって生きる「自分の役」を「役」として信じようとするが、爪のきたない指(自然性)が、コイルを巻いた指(現代の都市文化にそまった存在、あるいはローテクか)が、受けとった「通信」で思い出す。こんなふうになってしまう前の自分、自分が重ねてきたいくつもの失敗。自分が「ミスキャスト」かも、なんて疑う心を持ってしまう以上、この「斜面」で、自分はまた失敗するのだろう、それでいい。
長い詩の多い作者の、比較的短い詩で、その分、構成が分かりやすくなっていますが、「心が死にかけて/川べりの曲がった道にいる」といった、一見生々しい言葉が、「斜面」「機械の指」「コイル」といった、日常の言語空間に閉じ込もらないイメージの膨らみに支えられ、単なる自己吐露になってしまわずに、言葉の展開のなかで、読者と共有できる表現になっているところが、作品の力になっています。
初稿 2005.1.9
<11>
ふつうの女の子に 片桐ユズル (1931− )
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたが そこまで おもいつめたとは
あなたの こどくが ぼくのみにしみる
ボストンバッグに きものをつめて
退学とどけ と 片道キップ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
ぼくは あなたに なにもしてあげれない
ぼくには かねもなく コネもない
あなたの こどくが ぼくのみにしみる
ただ がんばれと 声をかけるだけ
ただ 花束とキスをおくるだけ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
つめたい風がふきはじめ 窓にあかりがつくと
しらないひとたちのなかにいる
あなたの こどくが ぼくのみにしみる
ときどき がんばれの声がきこえてくると
そこにも 仲間がいる と知る
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたの こどくが ぼくのみにしみる
・片桐ユズル・中村哲・中山容編『ほんやら洞の詩人たち 自前の文化をもとめて』(1979・晶文社)より
ときどき岡林信康さんの「友よ」という歌を思い出して、小声で歌うことがあります。この詩も「友よ」のように、時々不意に記憶の底からよみがえってくる60年代の詩です。フォークソング運動の盛んだった当時に、おそらく初めから朗読を意識して書かれた詩だと思います。
学生運動やさまざまな表現が盛んになったものの、若い女性たちはまだまだ親の監視下に置かれ窮屈な思いをしていることが多かった頃、ある女性が(運動で知り合った人、それとも教師だった作者の教え子?)が学校をやめて家出します。仲間である「ぼく」には(詩には、歌には、という響きも筆者には聞こえます)、「あなた」を具体的に助ける力はなく、「がんばれ」と声をかけ「花束とキス」を送ることしかできません。家を出て知らないひとたちのなかに飛び出した「あなたの こどくが ぼくのみにしみる」。ときどき「がんばれの声」がきこえてくると、同じような境遇にいるひとたちがいるのを知る、「ひとり たたかうしかない」「あなたの こどくが ぼくのみにしみる」。
作者の言葉を借りると、関西フォークソング運動がはじまったころの、ふつうのひとに感じられた無限の可能性に対する連帯感で書いたものとのことですが、運動はあるところから先へは行けなかった、ただし「挫折」をうまく表現して「挫折それ自体がいいことだ」みたいに思ってしまうのも違っている、と。その後も手作りの運動にこだわり続けている作者同様、この詩も単なる過去の作品にとどまらず、今に届くものを持っていると思います。
初稿 2005.1.12
<12>
虎(抜粋) 長谷川龍生 (1928− )
1
泪もろい
ああ、泪もろい
はらはらと泪がこぼれる。
路をあるいている時
電車にのっている時
ひとり、ベンチにねそべっている時。
おれは、恐怖王
ああ、どうして、
単純、残忍、無償殺人者、
夜の路をすれちがっていった人
電車の連結器にのっかっている人
なんでもなく平凡に生きている人
おれは殺す。
7
虎よ。
恐怖王の使者の中の
たった一匹の勇者。
赤外線の虎よ。
てれくさくねむっていた内気な心臓。
よごれたむしろをかぶっていたニヒルな毛皮、
牙ばかりをみがいていた自虐の名誉。
その虎が、いま、おれを喰いやぶり
獲ものをめがけて、太陽への道をはしる。
虎、はしる。
虎、はしる。
すべての色あせた獲ものの世界
虎、はしる。
10
バタ屋になりたい
バタ屋になりたい
だがバタ屋の世界には
バタ屋の縄ばりがめぐらされている。
メカニズム、蟻を見たら殺せ。
どんなに落ちたって自由の歌はない。
君の自由は精神病院に
入院許可証をもらうことだ。
正常な社会から
遮断されている場所に
そこに自由がある。
ところが、入院して思った
こんな不自由な世界は、またとない。
ところが、退院して思った
まだ精神病院の方がましかもしれない。
メシ屋になりたい
メシ屋になりたい
メカニズム、蟻を見たら蠅をほどこせ
朝から、大学生たちが食堂におしかけ
大口をあけてメシを喰っているところ
料理場の湯気がたなびいているところ
赤くはれた女の子の足、楽しい。
・詩集『虎』(1960・飯塚書店)所収
引用は『現代詩文庫 18 長谷川龍生詩集』(1969・思潮社)より
長編詩からの抜粋です。実際の作品は18のパートと、この作品が作者が記憶を失くした1958年秋の3日間に走り書きされていたものだという趣旨の前書きからなっています。
「泪もろい」自分はどこか精神のバランスを逸しているようです。日常の風景のなかで泪をはらはらとこぼす「おれ」は「恐怖王」で「単純」で「残忍」で、平凡な人を殺す「無償殺人者」なのに泪をこぼす者でもあります。その「恐怖王」の「たった一匹の勇者」である「使者」、それが「虎」なのですが、「虎」は同時に「内気」で「ニヒル」で「自虐」的なのです。つまり「虎」は「おれ」の内部に潜む殺意なのでしょうか。その「虎」は「おれを喰いやぶり」「色あせた獲ものの世界」へはしって行きます(パート4で「虎」は「見える」が「見えない」といった記述がありますが、それは「おれ」の内部の存在であると同時に、外部化されうる存在だということでしょう)。「おれ」は精神病院に入っては後悔し、出ては後悔し、で、メシ屋になりたいと思ったりしますが、生き方の答えなど出ず、これ以降の詩でも、銀行で不審尋問されそうになったり、バスの走り方が遅いので都庁に脅迫電話をかけたり、そして最後になっても「虎」ははしり続けて詩は終わります。
ほぼ同時期の深沢七郎さんの「風流夢譚」(1960)を思い出させるようなアナーキーさ、明解さ、党派的な一元的思考に納まらない飛躍。この詩の強靭さは、その「泪もろい/ああ、泪もろい」という冒頭部分だけで呼んだ者の記憶に焼きつくのではないでしょうか
初稿 2005.1.13
<13>
悲鳴 小池昌代 (1959− )
葡萄を手にもつと、くだもののおもみは、てのひらから腕を伝
い、やがて乳房へと届けられる。
秋、女たちが葡萄にとくに親しいのは、どちらもゆれる水分と、
やぶれやすいまくをもっているからだ。
鈴を鳴らすように房を揺すれば、ひとつひとつの実のなかに宿
る、静かな思念も左右に揺れて、空気をふるわせ幽かな音をたて
る。それはとおくの山道から、なつかしい人が駆けてくる音だ。
引力に従って垂れ下がったまま。水をもつものの、それは習い
だが、どんな悲鳴をあげているのか。いかなるものとも接点をも
たない吊り下げられたしずかな世界で。
足元には、落ちるよりほかない深い闇がある。無数にはられた
みえない糸が、葡萄と地面をまっすぐにつないでいる。たるませ
てはならない金の弦である。
鳴り出す前の、おそろしいほどの静けさのなかで、秋のひかり
だけが、たわんでゆれていた。
葡萄棚の下を傷ついた人がいく。背広の背中を木漏れ日があた
ためる。光に選ばれていることも知らない。
・詩集『もっとも官能的な部屋』(1999・書肆山田)所収
手にもった葡萄のおもみが乳房へと届く。女たちも葡萄も「ゆれる水分」と「やぶれやすいまく」をもった存在だ。揺すられた房のひとつひとつの実のなかの、(葡萄の)思いも揺れて「幽かな音をたてる」。「なつかしいひとが駆けてくる音」というのは、「山道」をやってきた「葡萄」の音であると同時に、日頃忘れている自分の生がたてる音だということでしょうか。「引力に従って」「いかなるものとも接点」をもたずに吊り下げられた「葡萄」(「乳房」そして「なつかしい人」)の「悲鳴」。
自分の足元には「落ちるよりほかない」、生きるしかない「深い闇」があり、その垂直な方向と平行して「無数にはられた」「葡萄と地面」をつなぐ「みえない糸」、はりつめた「金の弦」が、秋のひかりに包まれて、「悲鳴」をあげるように「鳴り出す」前の静かな緊張を生んでいる。
「葡萄棚の下」をいく「傷ついた」男よ、あなたを私は見つめているのですが、あなたは私(葡萄)に見つめられながら、秋の光のなかを歩んでいることに気づかないのですね。
四連から六連めまで、重なりながら少しずつずれていく言葉と視点の運動、「悲鳴」はすでに聞こえているのでしょうか、やがて「金の弦」は鳴り出すのでしょうか。もう「幽か」に聞こえてもいるようなのですが、それは葡萄と男女のいる風景とともに読む者の胸に手渡された音なのかもしれません。
初稿 2005.1.14
<14>
たやすく書かれた詩 尹東柱 (1917−45)
窓辺に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、
詩人とは悲しい天命と知りつつも
一行の詩を書きとめてみるか、
汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
送られてきた学費封筒を受けとり
大学ノートを小脇に
老教授の講義を聴きにゆく。
かえりみれば 幼友達を
ひとり、ふたり、とみな失い
わたしはなにを願い
ただひとり思いしずむのか?
人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。
六畳部屋は他人の国
窓辺に夜の雨がささやいているが、
灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、
わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めで握る最初の握手。
・尹一柱編・伊吹郷訳『尹東柱全詩集 空と風と星と詩』(1984・影書房)より
「他人」には「ひと」、「灯火」には「あかり」のルビあり。
夜の雨の音が聞こえる、朝鮮を支配する日本の六畳下宿、禁じられた朝鮮語の詩人とは運命の皮肉だが、わたしは詩を書こう、家族の気持ちと苦労のこもった仕送りを受け、大学に通うわたしは。幼友達を失ってきたわたしが、今、詩に託す願いとは。思いとは? 人生にくらべて詩はたやすすぎ、恥ずかしい。友達を失い、最後のひとりとしてわたしは、時代の夜明けを待つ。たやすく詩を書いて、仕送りで学生生活を送るわたしだが、そんなわたしに、わたしは手をさしのべ、涙ぐみながら慰める。
尹東柱(ゆん・どんぢゅ)さんは戦時中に日本人によって投獄され虐殺された。薬殺と言われているが、その獄中の最後の叫びを看守は訳の分からない叫びと聞いたと言う。朝鮮語だということも分からなかったらしい。
初稿 2005.1.15
<15>
抽象的な世界 佐々木浩 (1970− )
君との待ち合わせに
何度も利用した喫茶店の壁に
何枚もの抽象絵画が飾られていた。
白と黒がぶつかりあったり
赤と青が飛びちっていたりした。
君の美言うなれば
君の瞳や仕草に見とれていた頃には
抽象絵画を分かるゆとりは僕にはなかった。
君と気まずくなる事件がおきて
君が遅刻をくりかえすようになってからは
僕は抽象絵画にじっくりと付き合うようになった。
つまり君の美以外の美を
そいつを認めてみたくなったのだ。
君はついに来なかった。
コーヒーをおかわりしてもまだ来なかった。
コーヒーはおかわりすればするほど
抽象的な味わいがした。
苦さと酸っぱさだけで成りたっていて
温もりと香りは省かれていた。
コーヒーのおかわりに飽きると
抽象絵画を眺める以外にすべきことがなくなった。
抽象絵画はこれ以外にない結論をもたらしてくれた。
僕は抽象絵画を好きになれたけど
君は抽象絵画を好きになれなかったのだ。
・詩集『アップルパイが大好きな女の子』(1999・書肆山田)所収
説明を必要としない詩なのかもしれません。「君」との恋の破綻というストーリーを抽象絵画との付き合いと並行させて語っています。若い男はとかく抽象的です。若い女性もそうなのかもしれませんが、もっと身体的なのかしら。会いたいという気持ちが彼女になくなっていくのと同時に、「僕」は「抽象」に目覚めていきます。コーヒーが「抽象的な味わい」がするというあたりから、作者の茶目っ気のある詩が始まっていきます。「君の美以外の美」、つまり日常世界以外の観念の甘やかさに、失恋を通して気づいていくというのは男子の成長としては遅いと思えますが、つまりは失恋体験を元に、ひとつ分かりやすい(抽象的でない)、かっこいい詩をものしてやろうという作者の遊びなのでしょう。
「抽象絵画を好きになれなかった」「君」はその後どうしたんでしょうね。きっと素敵な女性だったのではないでしょうか。
初稿 2005.1.15
<16>
余白のランナー 建畠晢 (1947− )
ピカソより後のフットボール。走ればいいというものでもな
いが、俺たちの場合は、訳もなく白いフィールドをさまよって
いる。あのポール。あのバー。あのライン。横目で見れば、な
お白い夢のようなものだ。欲部の所在がわからないという、手
記に残すことすらためらわれる俺たちの欠陥。バロック風の居
間で一人の妻と笑いあうことすらできないであろう、余白のラ
ンナー。だがその靄のような光は「振動している」と打ち明け
られた。さまよえばそれは「秘められた記憶の現在的な体験」
であるとも。まずは震えよ。すると欲望はおのずと輪郭を現す
であろう……
ピカソより後のフットボール。あのポール、あのバー、あの
ライン。遠い喚声をアルパカのコートにしみこませた叔父も居
間を横切って行くが、伏し目がちに見送る俺たちには、それも
白い夢のようなものだ。
そう、俺たちは余白のランナーである。
「この美しいフィールドに掲げられる歴史的身体というものが
ある。」
俺たちは振動する余白のランナーである。
「蜜蜂の羽音は花の欲望の形象である。」
・詩集『余白のランナー』(1991・思潮社)所収
人は、美術とか美術館とか美術の秋とか言うけれど、ピカソより後は実は訳が分からなくなっている。ピカソ以前の画家たちのように、生前に認められないまでも、絵画と格闘した、妻と自分を認めない世界を笑いあったりする手記を残すことも、最早意味を持たない美術の余白の時代、これからのキーワードは「振動」だと言われて、取りあえず走ってみるしかない。
叔父たちの時代は美術も楽しかったろう、どんなに抽象的でも、抽象なりの具体があった。「俺たち」は美術表現の歴史のなかで余白に位置づけられた表現者だ。「振動」してみよう、蜜蜂の羽音のように。欲望がよみがえってくるかもしれない。
この詩集が発表された時には、すごく先端的な詩と思えたものですが、さらに十余年経ってみると、当たり前の評論のようにも読める詩です。「余白」はさらに追い詰められているのでしょう。
初稿 2005.1.15
<17>
最後の日 坂輪綾子 (19??− )
諦めであたたかくなった制服を
頭からかぶる
私の形に訓練されている
芸をみっつくらい覚えた犬みたい
終わらせることだけ考えていたから
その日だけがいつも
最後の日だった
曇った日には
体の継ぎ目という継ぎ目が
いっせいにうめき出す
やわらかい枝
折れたところに不透明な液がにじむと
曲がったままくっついて
しかたなく伸びていった
いくつも
水気をふくんだ言葉は
いくつも
内臓に冷凍される
明日をつなぎとめておく
かすかな熱で
とろけ出ないよう
顎に力を入れて
吐くのを我慢するみたいに
水分だけぱりぱりと
私の通ったあとに散りしく
眼を閉じてやり過ごすだけ
何度も心だけ
行き来していた
振り返ればまるで
1/4のヴァイオリンを挟んだまま
歩いているようだ
・詩集『かんぺきな椅子』(1996・東京美術)所収
うんざりする学校、その制服、「私の形」になる「芸」を「みっつくらい覚えた犬みたい」。生きることも学校に行くことも嫌で、毎日が「最後の日」のよう。折れた枝が「不透明な液」をにじませながら「曲がったままくっついて」「しかたなく伸びて」いくような日々。自分らしさをふくんだ言葉はお腹のなかに「冷凍」して、明日ひょっとしたらいいことがあるかもしれないという思いを表に出さないように「吐くのを我慢するみたいに」「顎に力を入れて」、ただ期待という「水分」だけを(意味抜きで)乾いたら捨てていきながら何度もやり過ごす、そんな鳴らない「1/4のヴァイオリン」を体に挟んで歩いてきている、毎日が「最後」のような日々。
「内臓に冷凍され」た言葉が発酵したのでしょうか。おそらく高校時代も過ぎて、自分を少しだけ突き放して表現しはじめる、そんな始まりの初々しさが伝わってきます。「芸をみっつくらい覚えた犬」や「1/4のヴァイオリン」のような、頭ではひねり出せない表現、その新鮮さと醸し出されているユーモアがすごい。
初稿 2005.1.15
<18>
今日 元山舞 (1984− )
暖かい春の陽射しをうけながら
物静かな体育館に 先生の声が響く。
今日はこれから 友達と遊ぶ予定
公園に行って 海を眺めて
何をしようかなぁ・・・
ぽぉっとそんなことばかり考えていられるのは
少しの間。
非常口のドアは開けっ放し
空とグラウンドは いつもより無表情になって
規則正しく並んだ先生も
きっと心の中は おかしいほど乱れてらっしゃるんだろう
見渡して 紺色の海の中
ああ・・・私も水なんだなぁ。
時計をちらちら気にしながら かごの中での背比べ
潮のにおいを持ってやってくる風は まだ遠いけど
かすかに感じる夏の予感
おかしいな 今 春になったばかりなのに
・詩集『青い空の下で』(2001・ミッドナイト・プレス)所収
高校の始業式でしょうか。春の体育館で整列しながら、終わった後の遊び方を想像している「私」。開けっ放しの非常口から見える空とグラウンドは、学期中の慣れた表情もまだ持たず、先生方もまだ休み明けの焦点の定まらない気持ちで並んでいるのでしょう。制服の紺色の似たり寄ったりの集団の中で私も海の中の水、お互いを比べても仕方がない。こんな式は早く終わればいいのになぁ。
風は春になったばかりなのに、もう夏の潮のにおいがする。
ふうっと風景が再現される、詩に過大な期待を込めない若い作者ならではのささやきが、詩に定着しています。
初稿 2005.1.15
<19>
日原鐘乳洞の「地獄谷」へ降りていく 氷見敦子 (1955−85)
その日を境に
急速に体調が悪化していった
明け方、喉の奥が締めつけられるように苦しく
口に溜まった唾液を吐き出す
胃を撫ぜさすりながら
視線が、白み始めた窓の外へさまよっていく
八月、千石からレンタカーをとばし
奥多摩の陽射しをぬって(井上さんといっしょに)
日原鐘乳洞に入った
見学料金
大人・500円 中人・350円 小人・250円
入洞時間
午前8時〜午後5時
蛇行する道を
引き込まれるようにして進む
左右から鐘乳石が不思議な形で迫って来て
躯を小さく沈めるようにして歩く
一晩中、鈍い腹の痛みが続いた
何度も寝返りを打ち
躯を眠りの穴へ追い落とすようにするのだが
痛みに引きもどされ
呻くしかない
まどろみながら夢のない夜を渡っていく
冷気が洞穴に満ちているので
思考する温度が急速に下がり始める
かつて、狭くて暗い道を通って来たことがある
という記憶が
脳の奥で微かにうづくようだが
恐怖はなく
本能だけがわたしの内部をぼんやり照らし出している
柔らかい胎児の足が
濡れた道をこすって穴の奥へ這い寄っていく
下腹部が張り
死児がとり憑いたように腹が脹らんでいる
胃と腸が引きしぼられるように傷み
躯をおこすこともできず
前かがみになってのろのろと移動する
鐘乳石の壁を伝って地下水がしたたり
足元に水溜りを作っていた
「格天井」「船底岩」を過ぎ
「天井知れず」の下で頭上をながめる
重なり合った鐘乳石の割れ目にぽっかりあいた穴の果ては
見きわめることもできず
目を凝らすうちに
とりかえしのつかない所まで来てしまったことに気づく
わたしの足には
もう鎖のあともないが
数百年前、ひとりの男であったわたしは
このような地の底の牢獄に閉じ込められていたような気がする
便が出なくなり下剤を常用する
午前八時に便器にすわり
一時間近くにわたってどろどろに溶けた便を何度も出す
トイレットペーパーが大量に消費され
汚水が滝のように下の階へ流される
「三途の川」を渡って「地獄谷」に降りる
地の底の深い所に立つわたしを見降ろしている井上さんの顔が
見知らぬ男のようになり
鐘乳石の間にはさまっている
ここが
わたしにとって最終的な場所なのだ
という記憶が
静かに脳の底に横たわっている
今では記憶は黒々とした冷えた岩のようだ
見上げるもの
すべてが
はるかかなたである
九月、大阪にある「健康再生会館」の門をくぐる
ひた隠しにされていた病名が明らかにされる
再発と転移、たぶんそんなところだ
整体指圧とミルク断食療法を試みるが
体質に合わず急激に容体が悪化する
夜、周期的に胃が激しく傷み
眠ることができない
繰り返し胃液と血を吐く、吐きながら
便をたれ流す
翌日、新幹線で東京へもどる
<未完>
・詩集『氷見敦子詩集』(1986・思潮社)所収
「躯」の「区」の部分の「メ」は、正しくは「品」。
死を意識した作者の自己ドキュメンタリー詩でしょうか。未完に終わった「遺作」と言ってよい作品だと思います。それでも、日常の記述に終わらない、宇宙的な広がりを持っているところが、この作者らしい、また痛々しい作品になっています。
「蛇行する道」「左右から鐘乳石が不思議な形で迫って来て」「かつて、狭くて暗い道を通って来たことがある/という記憶」といった、「鐘乳洞」(地獄谷)を行く記述が、生の奥底に触るような思考の比喩になって、「躯を眠りの穴へ追い落とすようにする」「死児がとり憑いたように腹が脹らんでいる」といった闘病生活の記述と響きあい、さらに「とりかえしのつかない所まで来てしまったことに気づく」「ここが/わたしにとって最終的な場所なのだ/という記憶」といった表現で、自分が病人であること、そして恋人と束の間の鍾乳洞見学をしていることが、自分の生、そして自分の詩の世界と、詩の中でからみ合って、宇宙感を生み出しています、最後まで力を振り絞って。
氷見さんの詩はもっと読まれなければいけない、どんどん閉ざされていく世界をこじ開けるように。
初稿 2005.1.15
<20>
美的生活のはじまり 井上弘治 (1953− )
(夏の日の終わり)
日盛りのおもて通りを、死者がゆっくり通っていった。
秘密めいた恋の真昼の物語りのなかで、
終わってしまった駆落ちに落ちていった完璧な、
匿名の愛の物語りのなかで、
そのひとは、
振りむいて、あどけなく、笑う。そのあと、
そのひとは、まぶしそうに、目を、細める。
影のない影を追った、
(過ぎてしまった)、白い腕が、
汗でぐしょぐしょに濡れているのが、わかった。
懐かしい汗で濡れたまま、
(今から、帰るよ……)
懐かしい汗で濡れる、
暗い室内を振りかえると、
やはり、そのひとは、立っていて、
こんどは、
にこり、ともしないで、くちびるだけをかすかにうごかし、
スタスタと、台所へ入ってゆく。
やがて、コップに水を満たしてくると、わたしをちらっと見て、
水をくちいっぱいに含み、
くちびるをまるくとがらせて、サボテンの鉢植の一つ一つに、
霧をふきかけていった。
そのひとのくちびると、
やわらかいサボテンのトゲとのあわいに、ちいさな虹がかかるのを、
わたしは見た。
それは、
(夏の日の終わり)
なにもかもが、とおくぼやけて見える日々の、
終わりに……。
はじまった、
わたしは、美しいものをたくさん見つづけることだけに、
人生のすべてを賭けても、
おしくはない、と思った。
わたしは、美しいものによって、生かされてゆくのだろう……。
(あるのだ、
世の中にはあの人たちの思いも及ばぬ不思議な美しいものが、ある
のだ、けれども、それを一目見たものは、たちまち自分のようにこ
んな地獄に落ちるのだ、 −太宰 治)
そのひとは、
向こうの微笑と、こちらの微笑とを自由に使いこなすことが、
できる。
わたしの胸に、朦朧とした夢の傷口を開ける。
傷口だけが、薄暗い室内にただよう。
思いだしたように、激しく、嗚咽することもある。
明かるい方に向かって、
花をかざす。乱れた花の現世的な秩序……
そのひとの命名した、向こう側の花は、
美しさの思い出である。
刺激的な美しさの、その理由をたずねるな!
もう、終わろうとしている、
夏の日の、
浮遊する坂の上の盗まれた恋の影の理由は、
花の美の、忌まわしい記憶である。
(ああ、今から、帰るよ……)
花の美の、仮説である、
散りゆくものの、狂乱した仮説である。
それにもかかわらず、散り終えたいのちの枝々に、
花の美がたわわで、
痕跡のように、
そのひとと、わたしとの花の幻が、
(夏の日の終わり)
熱い泪のように、
ハラハラと、散り。
散ったのちの、泪ののちの、
帰ることのできない、遠い日々の涯に、
ハラハラと、散り……
・詩集『月光懺悔』(1990・ミッドナイト・プレス)所収
言葉をぶつけ合うことによって感情的高まりを表現することの多い作者の、比較的辿りやすい詩です。
夏の日の終わり、死んだ人がおもて通りを通っていく。駆落ちとなった愛の終わった物語り。死んだそのひとは、「物語り」のなかで振りむいて笑う。影のないそのひとの面影を追うと、腕は懐かしい汗で濡れていた。そうそれも夏の日の話。いつもそのひとに「今から、帰るよ……」と連絡していた二人の生活、そのひとがくちにふくんだ水でサボテンの鉢植にかけた霧がつくった虹の思い出。そうしてはじまった、「美しいものをたくさん見つづけることだけに、/人生のすべてを賭けても、/おしくはない、と思った」生活、それは太宰が小説に書きとめたように「地獄」へともつながる体験だったが。そのひとは思い出と目の前の世界とをまだ自由に行き来して、「わたし」の胸に「夢の傷口」を開ける。そのひとが名前をつけた、「向こう側の花」の美しさの思い出、その美しさの理由、それは、誰に対しても説明することのできない、散りゆくものの美の「仮説」だが、「散り終えたいのちの枝々」には、痕跡のような「花の幻」が、「泪」のようにハラハラと散っている、今も、そして「遠い日々の涯」にも。
はじまった「美的生活」は「わたし」を「地獄」に落としながらも、「わたし」を生かしつづけているのでしょう。
初稿 2005.1.19
<21>
夜明けでつくられた家 ネイティブ・アメリカンの詩
夜明けでつくられた家
たそがれでつくられた家
黒い雲でつくられた家
男の雨でつくられた家
暗い霧でつくられた家
女の雨でつくられた家
花粉でつくられた家
きりぎりすでつくられた家
そこでは暗い霧のカーテンが入口をかくし
そこへつづく道は虹の道
ジグザグの稲妻が上空に立ちはだかり
男の雨も上空に立ちはだかる
ああ 男神よ! あなたの
その黒雲のモカシンをはいた足で
わたしたちのところへ来て下さい
その黒雲のすね当てをつけた足で
わたしたちのところへ来て下さい
その黒雲の頭飾りをつけて
わたしたちのところへ来て下さい
その黒雲に包まれた心をもって
わたしたちのところへ来て下さい
頭に雷をのせて わたしたちのところへ来て下さい
黒雲から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
男の雨から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
暗い霧から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
女の雨から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
空の高みに飛び交うジグザグの稲妻とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの頭上に高くかかる虹とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの翼の先端に湧く黒雲から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの翼の先端に集る男の雨から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの翼の先端にかかる黒い霧から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
………
あなたの翼の先端に高くかかる虹とともに
わたしたちのところへ来て下さい
黒雲と男の雨と黒い霧と女の雨から生れた近い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
この地上の暗闇とともに わたしたちのところへ来て下さい
これらすべてのものによって
わたしたちの素晴らしいトウモロコシの根元が
流れる水をたっぷり吸いこみますように!
(以下省略)
・金関寿夫『アメリカ・インディアンの詩』(1977・中公新書)より
「すね当て」に「レギンズ」、初出の「翼」に「つばさ」、「湧く」の「湧」に「わ」のルビあり。「………」「(以下省略)」は引用書ママ
仮に、ネイティブ・アメリカンの「詩」としましたが、読んでいただければ分かるように、「詩」というより、口承で語り伝えられた「歌」「祈り」でしょう。そうした「歌」「祈り」が、研究者たちによって収集され、英語で紹介されたものを(タイトルもおそらくその際に付けられたもの)、金関寿夫さん(1918−96)が日本語に訳して紹介したのは30年近く前、日本ではかなり先駆的な本だったと思います。ちなみに、現在では「インディアン」というより「ネイティブ・アメリカン」というのが一般的です。
ここに引用したのはナヴァホ族の、内容から言って雨乞いの歌、祈りでしょう。「夜明け」や「たそがれ」「きりぎりす」などでつくられた、「虹の道」の向こうの神々の家。神よ、雨をもたらす「黒雲」を身にまとって、「わたしたちのところへ来て下さい」。雨雲がもたらす「暗闇」や「ジグザグの稲妻」と、雨の後で訪れる「虹」とともにやって来て、トウモロコシに雨をもたらして下さい。
繰り返す言葉のなかでじわじわと、「遠い暗闇」「近い暗闇」「地上の暗闇」と、翼をはやした神と雲をおびき寄せている楽しさ(と言って悪ければ「わざ」でしょうか)があります。日本の人間が読んでも、ふと何かを思い出させられるような気になるのではないでしょうか。このアニミズムを、私たちは(現代の)大人になってもどこかで覚えているのではないでしょうか。
初稿 2005.1.21
<22>
二月だ インクをとって泣け! ボリース・パステルナーク (1890−1960)
二月だ インクをとって泣け!
泣きじゃくりながら二月について書け
ざんざめく霙の雨が
黒い春となって燃えているあいだに
疾走する辻馬車をつかまえよ 60カペイカで
教会のミサの刻をつげる鐘の音 車輪の叫びをくぐりぬけ
そこ どしゃぶり雨がインクよりも涙よりも
もっとざんざめく場末へ駆けつけよ
そこでは焼け焦げた梨のように
無数のミヤマガラスたちが
木々から一斉に水溜りたちへ落下し
乾いた寂寥を眼底に浴びせるのだ
その寂寥によって雪解け箇所は黒ずむ
風は叫喚によって引っかき回される
そして 偶然であればあるほど忠実に
泣きじゃくりながら一篇の詩はできていく
・工藤正廣訳『初期1912-1914 あるいは処女詩集から』(2002・未知谷)所収
ロシア語原詩は無題
ロシアの厳しい冬が終わろうとする二月。霙にも春への期待が感じられる季節に、インクをとって泣きじゃくりながら詩を書こう。雪ではなくどしゃぶり雨が降る季節、人々の期待があふれる場末へ駆けつけよう。雪解けという自然の恵みの中で、活発に動き始めるミヤマガラスたちが、寂寥と冬の終わりを眼に焼きつけてくれる。雪解け箇所は黒ずみ、風は季節の変化を告げるように吹き荒れる。この胸騒ぎを泣きじゃくりながら書きつければ、率直な詩が、自ずと生まれるのだ。
後にノーベル賞作家となる作者の最初期(20代)の作品です。ノーベル賞に関しては辞退することになるのですが、その間の経緯、ソ連国家との確執については伝記や、今後のさらなる研究にお任せするしかないとして、この詩ではソ連誕生以前の青年詩人の誕生が告げられています。工藤正廣さん(1943− )による日本語訳が素晴らしいので、日本語で元々書かれた詩だと錯覚しそうになりますが、ロシアの春を遠く想像すると、詩人固有の風土、空気が詩の世界に拡がっているのが感じられます。そしてこんな初々しさを詩はなくしてはいけないのだとも。
初稿 2005.1.22
<23>
もうひとつの時間 W. H. オーデン (1907−73)
われわれには、生きているきょうが問題なのだ、
ほかの逃亡者たちとおなじだ、
数をかぞえられぬかぞえきれぬ花や
記憶する必要のないけだものとおなじだ。
多くの人が「いまじゃなく」といおうと努めている、
多くの人が「われ在り」といういい方を
忘れてしまった、そしてできることなら、
歴史に没頭したがった。
たとえば、旧世界のすてきな優雅さで、
然るべき場所の然るべき旗に頭をさげる、
よたよた二階へあがる老人のようにぶつくさいう、
「おれのもの」「あいつのもの」また「おれたちのもの」「あいつらのもの」のことで。
まるで、まだ時間に財産があったときに
いつも自分たちが遺贈していたのが時間であるかのように、
まるで、これ以上時間に属したくないと思うことが
自分たちの過ちであるかのように。
だから、多くの人が悲しみがもとで死に、
死ぬときには実に孤独なのも少しも不思議じゃない。
だれもまだ嘘を信じたり好んだりしたものはない、
もうひとつの時間には別の生き方があるのだ。
・中桐雅夫訳・福間健二編『双書・20世紀の詩人 7 オーデン詩集』(1993・小沢書店)より
オーデンさんについては、翻訳詩集を3冊、英語の選集を1冊読んだのですが、なかなかに「分かった」とは言わせてくれない詩人です。日本では深瀬基寛さんの訳(1950年代)から「見るまえに跳べ」といったフレーズが一人歩きし、政治倫理的なメッセージ詩人というイメージが強いと思われますが、そういう面は否定できないとしても、もっと多面的な世界を持った詩人だと考えられます。この詩はナチスが力を振るい始め、新たな大戦を呼び起こしているにもかかわらず、まだヨーロッパ世界はそれぞれ自らの国家の利害で動いていた頃の作品でしょうか。
「きょう」を問題にする、安住場所を追われた逃亡者や花やけだもののような「われわれ」は、現在を敏感に受け止め、「歴史」的に保障された既得権、所有権の確保に埋没できない存在だ。「多くの人」は過去が未来を保障するものだとして、変化を認めようとしない。そうして、今の現実に直面できずに、悲しみがもとで孤独な死を迎えていく。それは好きこのんで嘘を信じ、現実から目をそらしているわけではない。この新しい変化の時代には新しい生き方がある、そのことに多くの人がまだ向き合えていないのだ。
比較的辿りやすい詩のようですが、読み間違えているかもしれません。ご意見をうかがいたいところです。
初稿 2005.1.22
<24>
グエル公園 川田絢音 (1940− )
わっと泣いていて
夢からさめた
夏の列車
知らない人に寄りかかって
眠っていた
汗をかいて
グエル公園に登ると
りゅうぜつらんのとがったところで
鉄の棒をもった少年たちが
コツコツ 洞窟のモザイクをはがしている
青空に 近い場所で
好きな人を
ひとりづつ 広場に立たせるように思い浮かべていて
酢みたいなものが
こみあげた
ここで みんなに 犯されたい
・詩集『ピサ通り』(1976・青土社)所収
引用は『現代詩文庫 122 川田絢音詩集』(1994・思潮社)より
長く外国で、しかも安易な仕事で生活できればよしといった妥協を自分に許さず、自分の感受性に沿った生き方を模索し続けているとされる詩人の短い詩。読者を説得することよりも、自分にとってのリアリティの記述を優先した作品です。
夏の列車で知らない人に寄りかかりながら、叫ぶように泣いて夢からさめる。グエル公園では、鉄の棒をもった少年たちがモザイクをはがしている。それが怖いというのではなく、その若い暴力性に惹かれる。青空のもと、好きな人をひとりずつ思い浮かべていると、自分の今までの生が酢のような味わいでこみあげてくる。この広場で好きな人々に犯されたい。暴力的に充実してみたい。
もう少し書き込むと物語のように安定してしまう、その手前できっぱりと終わっています。これは想像力の遊びではないのですよと言うかのように。
初稿 2005.1.22
<25>
「旅する男」のための素描(部分) 高橋睦郎 (1937− )
つねにつねにきみは渇いている
水に渇くだけでなく 塩に渇いている
きみは水を求め 塩を求めて さまよう
だが 水が欠け塩が亡びた時代 きみは
何処の瓦礫の下に それらを捜せばいい?
きみは行きずりの少年を捉え 物陰に押す
その日焼けした脚に析出した塩を舐め
その青臭い勃起から青臭い水を呑む
だが きみが両腿を掴んで見上げる少年は
痙攣する首の上で 世界ほども老いている
きみは激しく吐きながら さまよいつづける
以前よりいっそう渇いた者として
・詩集『兎の庭』(1987; 1989・新装版第2刷・書肆山田)所収
原文の「掴んで」の「掴」の「玉」は「或」
作品数の多い作者ですが、比較的最近の作品から、瞬間的な力を感じさせてくれるものを選びました。元々は9つのパートからなる長詩のパート5にあたる部分です。
水と塩が亡びた時代に水と塩を求める行為。「水」「塩」とは何でしょう。それは「水」と「塩」に癒された者しか答えられない問いではあります。そんな時代に「水」と「塩」の代わりに「行きずり」の少年を捉えて、彼の「塩」や「水」で渇きを充たそうとするのですが、「少年」は少年としての若ささえすでに持っていないのです。少年が、「水」や「塩」を亡ぼした「世界」と同じくらい、渇いて老いてしまった時代に「きみ」は激しく吐く。生きる、表現する、といった希望、欲望が、自然に対象を見出しえない、希望や欲望が、自分の嫌らしさだけになって振り返ってくる、そんな恐ろしさがわずか12行に結晶しています。
初稿 2005.1.22
<26>
ヘアー(部分) 寺山修司 (1935−83)
バーガー はじめに愛があった。愛! おれの名前は(本名を言う)だが、この舞台じゃ、バーガーってアメリカ人をやることになってる。どうだい? 結構似合うだろう、この長い髪。(客に)おれにゃ、あんた方のキモチがちゃんとわかってるよ。「まあ、ずいぶんへんな髪だけど、男かしら、女かしら?」「あのカツラ、いくら位したんでしょうね?」(ロープにつかまってターザンのように観客席におりて)奥さん、いいハンドバッグ持ってますね、少しオカネない? 聖徳太子でなくてもいいからさ、ギザギザのある丸いやつ、一枚……だめ?
………………
クロード どこへ行こう 風に誘われ
どこへ行こう 心よ
ぼくは自分の手を見つめる
何も持てない 空っぽ
(全員とかけあいで)
なぜ (なぜ)
生きるのだろう (なぜ)
なぜ
死ぬのだろう (なぜ)
教えて なぜか (幸福)
教えて なぜか (祈り)
教えて なぜか (ひなげし)
教えて なぜか (自由)
(時代の暗黒のなかに立ちつくす蛮族ヒッピーたち。彼らは「何も持っていない手」を祈るように高く高くさしあげながらうたいつづけている。……暗転)
・幻の上演台本「ヘアー」(1969)より
引用は『毎日グラフ別冊 寺山修司』(1993・毎日新聞社)より
1969年、寺山修司さんの上演台本によるロック・ミュージカル「ヘアー」日本版の上演は、原作者の意向という理由で却下されました。理由に関してはMr. President(大統領)を「天皇陛下」と翻訳したためとも言われています。ヒッピー・ムーブメントから生まれた演劇が大ヒットしたため、日本でもメジャーの興行会社(松竹)が、寺山さんに台本を依頼して上演を企画したのですが、日本の現実にふれるような脚色は困る、つまり翻訳赤毛ものでやってほしかったということなのでしょう。
結局、寺山さんの台本は全否定され、日本人がアメリカ人を演じるといった要素も従来の翻訳劇の枠に収められた台本で、歌も、あとちょっとHなこともあるかもという劇として上演されたようです(それでも、後にミュージシャンとして名をあげるような、数々の才能が無名の俳優として参加したとのことです)。「聖徳太子」って1000円でしたっけ、「ギザギザのある丸いやつ」って、500円玉はまだない時代ですから100円でしょう。後半のクロードの歌は "Where Do I Go?" の日本語版です。これが実際に上演され、歌われていたら、今にいたるまで残る歌になっていたかもしれません。
歴史的に大切な資料という視点も含めてとりあげました。
初稿 2005.1.23
<27>
再発 高橋睦郎さんに 中上哲夫 (1939− )
へんてこな所がほとんどないわたしに
妻と娘が熱心にすすめる病院は
港町の丘のてっぺんにあって
もう十年も前のことだけど
月に一度
息をきらしきらし
ながい坂をのぼっていった
そして老医師と雑談し
白い粉をもらって帰ってくるのだが
話すのはもっぱらわたしの方で
先生はうんうんとうなずいているだけだったが
ある日こんなことをいった
人間はなんて弱い生きものなのだと嘆くひとがいるけれども
人間ほど岩乗なものはいないと思うね
電気製品だったらとっくの昔に壊れているよ
また べつのある日はこんなことをいった
なぜ人間はくりかえし病気になるのかとわたしに問うひとがいるけれども
人間ほどすばらしい生きものはいないと思うね
そのたびに立ち直るのだから
・詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』(2003・書肆山田)所収
「へんてこな所がほとんどない」という表現が心の「へんてこな」病を乗り越えた余裕から来る遊びだと受け止められれば、後はひたすら作者の行を運んでいく歯切れのよさに乗って、何度でも読める佳編です。
「人間ほど岩乗なものはいないと思うね/電気製品だったらとっくの昔に壊れているよ」「人間ほどすばらしい生きものはいないと思うね/そのたびに立ち直るのだから」という行は作者が実際に言われたことを、きりっと短く響きあうようにまとめたのでしょうか。病にかからなくても、こんなことを温かく言われてみたい、そんな気持ちをこの詩は充たしてくれます。いや、書けそうで書けないんですよ、こういう詩こそ。
初稿 2005.1.23
<28>
街 岡田隆彦 (1939−97)
なんという なんという
街だろうここは。
あとにつづく形容は
平たく頑なな一個のネームプレイト
になって車に突きとばされ消え去る。
身をちぢめて
横断歩道をゆっくり歩こう。
ここで おれとおまえの心は
もう燃えない 溶けない。
笑いころげる二人
を驚いて見ていた卵売りのおやじ
が今日も立っている。
ネオンサインがあいかわらずきらめき
たくさんの女のほほも濡れていて
車のむれも大きいけれど
あいかわらず冷い空気。
人の心はどこへ行ってしまった。
うらがなしい街
というのはあくまでおれのなかの思い。
あいかわらず おれのそとで
修飾されない街のかたち
酔っぱらいの喧嘩が二件
どぶ川は臭い
どこまでつづくとも
この汚水の流れは
けして地球の上から離れない。
この冷い石だたみ この冷いおまえの鼻頭
この煙草の煙ったさ
も影なのか。
影のなかで影のおれとおまえが喋る
残忍な事実
を張りめぐらして
じっくり煙草でもすおう。
今日は土曜日だというのにことさら寒いし
おまえとおれのネバネバしたミクロコスモス
を巷に転がして
それを眺めながら歩くことしかできない。
雨のなか
おれとおまえは濡れながら
あのコーヒーやから駅まで走っていった。
あの日と同じように
今日も街は
無数の宇宙線に射られて 潰れる寸前で
べったり地べたにへばりついている。
おまえもおれも変った。
かすかに感じる地球の回転
デズモンドのアルトサクス
あとおれに残るのはわずかに音楽。
あそこの馬券売場の前まで歩いたら
誰かに逢える 誰かに逢える。
二人で男だけのバーへ行き
おまえのことを
またおもいかえしてみるつもりだ。
さよなら またいつか
いい野郎を紹介しよう。
あのバーテンに今日はまた殴られて
鼻血がでるかもしれない。
・詩集『われらのちから19』(1963・思潮社)所収
引用は『現代詩文庫 30 岡田隆彦詩集』(1970・思潮社)より
1959年か60年、つまり作者20歳くらいの作品ですが、早熟だったのでしょう、今の同年齢の詩人たちの作品よりも老成しつつ、同時にはるかにフレッシュな印象を受けます。ついでに言うと、私が街を意識しだしたのは、60年代後半ですが、新宿も今では想像できないほど汚く(地下道も工事中で、いつもじめじめしていました)、今は伝説の日活名画座も初めて行ったときに、席を探していたら若い男性か女性だったかに、おそらく「ゲイジュツ」の邪魔者ということで蹴飛ばされたのが思い出で、要するに「街」はまだまだハンドメイドの余地を残して、怖くて面白い「場」だったと思います。
それからさらに10年くらい前の詩ですが、すでに作者は「平たく頑なな一個のネームプレイト」になり果てようとしている街にぶつかっています。そしてその「街」の変化と並行して語られる「おまえ」との別れ。この二つの要素(「おれのなかの思い」と「おれのそとで/修飾されない街」)を、「卵売りのおやじ」や「ネオンサイン」「酔っぱらいの喧嘩」「どぶ川」など、外的要素を繰り込んで、心情吐露の記述に陥らせずに語っていきます。「影」に追いやられてしまった心情を持ちながらも、それを目の前の「街」に叩きつけて眺めなおすように。そして、なお「わずかに」感じられるものを手がかりに、また歩き続けるだろう、また「鼻血」を流すかもしれない自分にも、もう気がついてしまっているのです。
初稿 2005.1.23
<29>
帰ろうよ 吉増剛造 (1939− )
歓びは日に日に遠ざかる
おまえが一生のあいだに見た歓びをかぞえあげてみるがよい
歓びはとうてい誤解と見あやまりのかげに咲く花であった
どす黒くなった畳のうえで
一個のドンブリの縁をそっとさすりながら
見も知らぬ神の横顔を予想したりして
数年が過ぎさり
無数の言葉の集積に過ぎない私の形影は出来あがったようだ
人々は野菊のように私を見てくれることはない
もはや 言葉にたのむのはやめよう
真に荒野と呼べる単純なひろがりを見わたすことなど出来ようはずもない
人間という文明物に火を貸してくれといっても
とうてい無駄なことだ
もし帰ることが出来るならば
もうとうにくたびれはてた魂の中から丸太棒をさがしだして
荒海を横断し 夜空に吊られた星々をかきわけて進む一本の櫂にけずりあげて
帰ろうよ
獅子やメダカが生身をよせあってささやきあう
遠い天空へ
帰ろうよ
・詩集『出発』(1964・新芸術社)所収
引用は『吉増剛造詩集』(1999・ハルキ文庫)より
第一詩集に収められた1編。この後に続く詩集『黄金詩篇』(1970)、『頭脳の塔』(1971)などの、当時の時代的な雰囲気を抜きに読むと、言葉が飛び散って崩壊してしまいそうな作品群に比べると、話しかけるような文体の平明さに驚かされます。しかし、この詩に現れる、根源的(超越的?)空間への帰巣願望は、後に『螺旋歌』(1990)の「(もっと啼きたい、……)、(もっと啼きたい、……)」や、『死の舟』(1992)の「土」や「根」へのこだわりとしてもまた登場しています。
「どす黒くなった畳のうえで/一個のドンブリの縁をそっとさすりながら/見も知らぬ神の横顔を予想したりして」過ごした数年間とは、詩を書き始めて悪戦苦闘してきた詩人の20歳前後の日々でしょうか。そこで出来あがったのは「無数の言葉の集積に過ぎない私」「野菊のように」見てもらえない「私」だった。「荒野」も「火」も得られない文明空間を越えて、「魂」の中からさがしだした「丸太棒」を櫂にして「遠い天空」へ帰ろう、もし帰ることが出来るなら。
当時、同じ同人誌「ドラムカン」の仲間として活動していた、前出の岡田隆彦さんの作品と、若くキラキラした悲しさのような印象でつながり合っているように感じられます。
初稿 2005.1.26
<30>
COMING OUT 「世界」という「イメージの方法」からの解放 ダムタイプ
1
あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。
私はあなたの愛に依存しない。あなたとの愛を発明するのだ。
これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。
2
あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。
私はあなたの性に依存しない。あなたとの性を発明するのだ。
これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。
3
あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。
私はあなたの死に依存しない。自分の死を発明するのだ。
これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。
4
あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。
私はあなたの生に依存しない。自分の生を発明するのだ。
これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。
5
あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。
これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。
あなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで。
私たちを繋ぎ合わせるイマジネーションを、ちょうだい。
私の体のなかを流れるノイズ・読解されないままのものたち。
今まであなたが発する音声によって課せられた私のノイズ。
今、やっと解放します。
・上演台本「S/N」(1993, 94)より
引用は「シアターアーツ 1」(1994・晩成書房)より
パフォーマンス集団ダムタイプの上演台本より。激しい音楽やめまぐるしい映像と組み合わされたダンス、対話。その対話に出てくるのは実際のゲイ、ブラック、聾者、セックスワーカー、エイズ患者たちで、彼らの対差別観、セックス観などが語られます。引用したのは最後の方の場面で、ここに記されたせりふが英訳とともにスクリーンに映し出される前で、聾者の青年が、このセリフを語ります。
「あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。」と語るのは聾者の青年でしたが、言葉は彼の身体を通過しながら、痛切な比喩に転換していきます。世界は「私」にとって「シグナルの暴力」であり、「読解されない」「ノイズ」を押し付けてくるが、そこで、「私」は「世の中のコードに合わせ」ながらも、自分の生き方・死に方を「発明」していく、そして、「抽象的存在」に閉じ込められることから、自分を解放する。「あなた」のイマジネーションも必要だよ。
当時ダムタイプの中心にいて、「S/N」にも出演し、作品を作る上でも重要な役割を占めていたと思われる古橋悌二さん(1960−95)は、この「S/N」の初演の翌年、エイズによる敗血症で亡くなりました。この引用では、彼と仲間たちが織り上げた、芸術の枠内にとどまらない表現への意志がメッセージとなって現れています。
初稿 2005.1.26
<31>
みぞれ 安東次男 (1919−2002)
地上にとどくまえに
予感の
折返し点があつて
そこから
ふらんした死んだ時間たちが
はじまる
風がそこにあまがわを張ると
太陽はこの擬卵をあたためる
空のなかへ逃げてゆく水と
その水からこぼれおちる魚たち
はぼくの神経痛だ
通行どめの柵をやぶつた魚たちは
収拾のつかない白骨となつて
世界に散らばる
そのときひとは
漁
泊
滑
泪にちかい字を無数におもいだすが
けつして泪にはならない
・詩集『CALENDRIER』(1960・書肆ユリイカ)所収
引用は『現代詩文庫 36 安東次男詩集』(1970・思潮社)より
(二月)と付記あり
30年くらい前、安東さんの作品を初めて読んだ時は、その良さが理解できませんでした。「同時代」とか「現代」といった気分にとらわれていて、「新しさ」のない、地味な詩人、と通り過ぎていました。若気の至りです。
この詩はカレンダーになぞらえた連作の1編です。「みぞれ」は地面に着地する前に折返してしまう。安住とか安定とかとは無縁の「死んだ時間たち」が「ふらん」する世界。太陽の光もこの「ふらん」をあたためる。そして「みぞれ」は蒸発する水分と「こぼれおちる魚たち」に分離する、「ぼくの神経痛」として。「通行どめ」という、課せられた日常の枠を越えて、「魚たち」は「収拾のつかない白骨となつて/世界に散らばる」。そのとき日常に着地した、帰り着くことのできたひとは(できなかったひとも)「泪にちかい字」をおもいだすが「泪」にいたることはない。
この「泪にちかい字」というのは詩でしかできない表現でしょう。傷を負った精神は、泣き笑うといった直接性に帰れない、傷を自覚しない精神もまた、どんなに泣き笑ったとしてもどこかで自分を裏切っている(折返している)、そこを「泪にちかい字を無数におもいだすが/けつして泪にはならない」という2行で突いてくる、詩の怖さを噛みしめたいです。
初稿 2005.1.29
<32>
あけがたにくる人よ 永瀬清子 (1906−95)
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている
その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった
その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか
あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった
もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ
・詩集『あけがたにくる人よ』(1987・思潮社)所収
あけがた、老いてしまった私の思いに去来するひと。農家の嫁として一生は過ぎてしまった。でも若い日に、白樺派の門を叩き、詩をずっと続けてきた私。若い日に期待を込めた人生があった。家出しようとした。あなたの来るのを待っていたが、あなたは来なかった。そんなあなたの思い出が、あけがたに訪れてくる。私に涙を流させるためだけに。
「ててっぽっぽうの声」とは、山鳩の声と説明している人もいますが、その声が聞こえる方から、作者をめぐる山野がひろがっていきます。そこで作者は老いた者の悲哀を歌うのですが、全体を通して響いてくるのは、必ずしも悲しさではありません。あきらめでも、その反対の自足でもないようです。感じられるのは、人生を振り返り味わう、透き通ったまなざしです。
初稿 2005.1.29
<33>
思い出すなあ 木村迪夫 (1935− )
ミチオ
おまえはプロ野球の選手になって
銭取ってこい。
アキオ
おまえは農家にのこって
大工になれ。
テルオ
おまえは左官屋だ。
ほしたら
雨漏りしたこの家建て替えられる。
兄弟の力あわせて
建て替えられる。
おれは、お袋の期待にこたえて
毎日素振りをくり返した。
大好きな阪神タイガースからも
何処からもスカウトは来なかった。
上の弟は大工になる気配もなく
おれと殴りあいの大喧嘩をし
独り東京へ出て行ってしまった。
下の弟も
左官屋になどなろうはずもなく
アルバイトをしながら
地元の大学にすすんだ。
あれから、五十年経った。
甲斐性のない野郎べらばっかりだ
親不孝ぞろいよ≠ニ
いまも悔やんでいんべな。
いやいや
男親が無くとも、なんとか一丁前になったな≠ニ
少しは褒めてくれんべな
刈り上げのあとの、わが家の
三回忌の
膳の語らいは、尽きることがなく。
・エッセイ集『百姓がまん記』(2002・新宿書房)所収
「迪夫」の「迪」はしんにょうの点が二つ
原文の「農家」に「うづ」、「左官屋」に「かべや」、「何処」に「どこ」、「野郎」に「やろ」のルビあり
木村さんはいろいろな顔を持った人です。山形で農業を営みながら、ゴミ収集もやりゴミ問題に一家言ある人。出稼ぎしなければならなかった、そして今も減反や作物の選択など、行政の都合に振り回され続ける農民の怒りを歌い上げる詩人。ドキュメンタリー映画の小川プロを山形に招き、日本のドキュメンタリー映画の水準を上げるのに貢献した人、などなど。
木村さんの詩はそうした多面性を含んで、日本の農民の眼を通して訴える詩が多いのですが、ここではお母さんの三回忌を歌った平明な詩を取り上げました。息子たちを牛耳る強いお母さん。その期待にそむいて、それぞれの道を歩いた息子たち。殴りあいの大喧嘩をした彼らも相応の年齢になり、自分たちの成しえたことの小ささをお母さんの思いに照らしながら、それでも何とかやってきたという思いを交わしているようです。日本の農家の大きな家の縁側に流れる、忙しく苦しい日々の束の間の安らぎ。そんな時間があることを忘れたくないと思います。
初稿 2005.1.29
<34>
木の葉 山崎佳代子 (1956− )
木の葉が鳥の死骸のように落ちてくる
少年は帰らない 季節風のせいではない
汚れてしまった空のせいだ
木の葉には 床屋 駄菓子屋
墓地 肉屋 豆腐屋 鳥居 裏通り
少年の手書きの地図が書き込まれている
雨の中を重い足取りの男が帰って来る
靴底に踏みしめられると
木の葉は遠い土の香を放つ
木の葉は落ちて来る
季節の記憶を
きみの足音に取り戻すために
少年の消えた季節はずれの空から
・詩集『鳥のために』(1995・書肆山田)所収
少年は消えてしまった。季節風に乗って移動する鳥のようにではなく、空をも汚すような災禍によって。鳥の死骸のように落ちてくる木の葉には、少年が暮らした街の記憶の地図が手書きで(血のように?)書き込まれている。木の葉は帰って来る男に踏みしめられ、木の葉が生まれた土地の土の香を放つ。木の葉が落ちて来るのは、今も生きて歩き続ける者に、記憶を取り戻すためだ。
作者は旧ユーゴで大学に勤務し、今も同地にとどまり続けています。今なお、何が正しかったのか、何のために人々が殺され、犯され、家を追われなければならなかったのか、ひとつの答えを出せない、あの惨禍を、消えた少年と落ち葉に託して切り詰めた言葉で語っています。日本の風景である「豆腐屋」「鳥居」が書き込まれることによって、単なる情況詩ではない、静かな広がりが、「足音」とともに生まれていることに耳を澄ましたいです。
初稿 2005.1.30
<35>
石榴 鈴木志郎康 (1935− )
気分が高いその日の午後
死んだ人は、まさか、死ぬとは思っていなかっただろう
まさか、そんな大きな石榴が売っていたなんて
真っ赤の固まり
生まれたばかりの赤ちゃんには、何が起こっても、まさか
まさか、まさか、で大きくなる
死ぬ前の老人には、もう、まさかは起きない
それを「まさか率」とすると100%から0%までの
わたしの率はまだかなり高かったってわけ
女に待ち伏せされていた
思い込まれた
ほら、まさか、だろう
二の腕を掴んだら、道端にしゃがみこんで、尻餅ついて、動かない
ずるずると引き摺って行った
女にも、わたしにも、まさか、まさか、だったよ
雨上がりの道で
耳飾りきらめかせて
女は、泣いて、喚いて
「まさか」と「まさか」が二人の身体の中でのたうちまわっていたんだろうね
紅蓮の「まさか」だ
思い
苦しい
といっても、解きようもない謎
石榴って、そう割れるもんじゃない
駅の階段を昇る足がふらついて
気が張り詰める
何事もない
真っ赤な石榴を撫でて
午後は秋の午後で狭い部屋の中で機器に取り囲まれている
そうゆうのって
切るしかない
気軽にいう
坂道の上に雲がある、よ
女関係に国家意識を目覚めさせるという魂胆だ
乳房の上に手紙を並べて
涙を流していたんだ
もっと!
声に出さない声は
からだを裂かなければならなかった
枝についたまま裂けた石榴
・詩集『遠い人の声に振り向く』(1992・書肆山田)所収
「掴んだ」の「玉」は「或」
詩の展開が問題になっています。「その日の午後/死んだ人」は「まさか」死ぬとは思っていなかった。「まさか」つながりで「大きな石榴が売っていた」という、その次の行は、「真っ赤の固まり」、石榴が「真っ赤」であると同時に「真っ赤」な嘘の話をしますよという、詩人の読者への挑戦でしょうか? その後は「まさか率」の話をして、「女」と「わたし」の話に展開します。えっ、まさか、何、この展開は、と読者は思うのですが、これは実話だと思ってしまいましょう、いたずらな作者の意志にいたずらで応えて。「紅蓮」とは、皮膚や肉が裂けて紅い蓮のようになる地獄を指す言葉とのこと、いやあ、もてる作者は大変だ。でも、「石榴って、そう割れるもんじゃない」、困るなあ、もう遊びまくりですか。「真っ赤な石榴を撫でて/午後は秋の午後で狭い部屋の中で機器に取り囲まれている」と、いかにも日常の風景の説明的な行を書いておいて「切るしかない」と、自ら切り返します。「坂道の上に雲がある」「女関係に国家意識を目覚めさせる」という辺りは、司馬遼太郎さんの大河ドラマ的な国家意識をイメージしているのでしょうか。司馬さんはもっと深いところのある作家だと思いますが、とりあえず作者は、NHK的ということで、からかって切り捨てます。「乳房の上に手紙を並べて/涙を流していたんだ」は、作者の企みに乗って、そのまま作者の恋人が泣いていたと理解しておきましょう。「まさか」「まさか」の世界ですから。
そして、「声に出さない声は/からだを裂かなければならなかった」という2行が読者の記憶にこびりつくように残されます。これは「石榴」の話だったのか、それとも人間が何かを語る、その「思い」「苦しい」の話だったのか。作者の掌の上には「枝についたまま裂けた石榴」が乗っているようですが。
初稿 2005.1.30
<36>
なんでもおまんこ 谷川俊太郎 (1931− )
なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ
・詩集『夜のミッキー・マウス』(2003・新潮社)所収
語っているのは、ちょっと不良っぽいけれど率直な青年に一見思えますが、やはり老いて自分を取り巻く自然のあれこれが、性的に感じられる、そのことを良しとして遊ぶように語ることのできる境地に至った作者なのでしょう。別に、作者個人の気持ちの吐露であるとする必然性はどこにもないんですが。
「空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ」「ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお」「おれのからだ/おれの気持ち/溶けてなくなっちゃいそうだよ」といった詩行に、自然に溶けるように死んでいく願望を歌いながら、「笑っちゃうよ/おれ死にてえのかなあ」と自分で言い返しています。究極の快感は死につながるのかもしれない、でもそれを快感を求める自分が言っても仕方のないこと、そこまで遊ぶように語れる境地に作者は達したのでしょうか。
初稿 2005.1.30
<37>
はらから 岡田隆彦の死に 清水哲男 (1938− )
熱いもので腹を圧していないと
何事にも集中できなくなってきた
満足に窓から外も見られなくなった
女の熱い腹の下でもがいていたころの
いい加減な世界の見方のほうが
むしろ正確だったということに
でも 気がつきたくないのだよ 俺はね
しずかに冷たく死んでいきたいのだよ
と言いたいけれど恐いのだよ 俺はね
腹が冷える
くやしいほどに腹がつめたい
圧したい 熱いもので
熱ければ それだけでよい
「夏をはかるくちびる」がついに
詩人によって発見された時代のざわめきが懐しいよ
いまやその種の熱さを喚起できるのは
遠い南半球の革命運動だけだというのは
たぶん俺の思い上がりでしかないだろう
情熱に取り残されるってことは
実際 誰にでも起きることなのだね
結婚するときに 唯一腹をくくって公言したこと
「いつか俺は市街戦で死ぬ 死ぬ人間も必要なのだ」
嘘じゃなかったが
それが嘘みたいになりつつある腹のつめたさ
恐いのだよ 俺はね
このはらわたの冷えがね
もはや逆転できない人生にしたがって
生きつづけていくことがね
女の腹よりももっと熱いものの存在を
忘れて生きるなんてことが
俺にはできないはずだったのに
しかし今 そんなことは実践できもしないくせに
それをなんとか可能にしていかないと
きっちりと死ぬこともならない腹具合が
恐いんだよ 俺には
ほらね たとえば
むこうを走っていく同胞の自転車の
サドルが弾く淡くて小さくて寒い雷にさえたちまち
おびえてすくんでしまう俺というひとりの男の腹から出る言葉などが。
・詩集『緑の小函』(1997・書肆山田)所収
若い日々、岡田隆彦さんが「夏をはかるくちびる」(「夏を はかる唇」)を発表した60年代半ば、「女の熱い腹の下で」もがきながらも、腹に力の入った姿勢で「俺」は世界を見ていた。世界の変化の波に揺られて、俺は「腹がつめたい」生き方を身に付けてしまったが、「いつか俺は市街戦で死ぬ 死ぬ人間も必要なのだ」と結婚するときに公言した自分の情熱に、他の誰にでも起きるように取り残されてしまったのか。「逆転できない人生」にしたがって生きていくのか。逆転できないとは分かっているが、できなければ「きっちり死ぬこともならない」。何でもない死に方におびえてくだらないことを口走ってしまいそうな自分が恐い。
亡くなった詩人を同胞(「はらから」)として意識