「運命は変えられる」という嘘



運命は変えられない。    

40歳を超えたころ、経営していた会社が、得意先に根回しして独立した社員によって仕事を奪われ、仕事が激減して倒産の瀬戸際に追い込まれた。ぎりぎり、事業を存続出来るだけの社員を残し、他は解雇した。
それでも毎月数百万が消えて行く状況の中でわずかな個人の預貯金も消えて行った。
経理を見ていた奥さんが、もう金がないのでクレジットカードで金を借りると言う。
数社回れば百万単位の金になり当面は凌げるという話だった。あきらめてしまえば貯金はないが借金も無いというゼロに戻るだけの賢い選択もできたのだが状況を素直に受け入れる事が出来なくて泥沼に足を入れかけていた。

そんな時に知床に住んでいた義父が人間ドックを受けるために出て来て入院した。奥さんが病院を訪ね、話をしているうちに、予定を聞かれ、「これから少しお金を借りに行く」と話したところ、「ちょうど良い。ここに来る途中でお前の兄のところに寄って渡そうと持って来た金がある。話が合わなくて渡さずに持って来ている。これを置いて行く。」ということになったそうだ。信じ難い偶然であった。
それは冷静になって先の事をじっくりと考える事の出来る金額であった。

こうして、難を逃れて細々と事業を続けて数年、独立した元社員の会社が倒産するなどあり、再起を果たす事ができた。今でも、その時の事を思い出し、奥さんと話す事がある。
あのときに偶然とはいえ、義父がお金を持って来ていたなんて・・・と。自分たちの力の及ばない、まさに運命的な出来事であった。
当時はどんなに困っても身内に金銭的に頼ろうという考えは全くなかった。

会社が順調なときでも贅沢出来るほどの生活にはなっていなかった。しかし、いざというときには死なずに済む程度には自分たちの人生は守られている?そのように仕組まれている?と、この出来事から、運命的なものをなんとなく感じ取っていた。

もしも、このような巡り合わせがなかったなら、社屋のローンを払えず、大きな借金を抱え、自宅さえ取り上げられて住む家もなくなっていたと思う。
なぜ、自分たちは助けられたのだろうかといつも思う。あの助けがなければ多くの、消えて行った会社経営者と同じように生活も家族関係も破綻して惨めな人生に陥っていたに違いない。

いまでも、自分たちの再起と破綻を分けたものが何かがわからない。長く生きてみて、人智を超えた力が働いていたとしか思えない。

それは「運命」だったと思う。自分たちはそこで助けられる、助かるという運命を持っていたと確信する。
しかし、そういう運命を持たない多くの悲惨な人生も見てきている。事業が行き詰まり、離婚離散した家族、友人知人から金を借り続けて自死した者、いきなり行方不明になった者・・・。

人は生まれた時にすでに変え難い運命を与えられている。だれでも精一杯の努力をしながら生きているが自分の望むところにたどり着ける幸運は、そのように仕組まれた運命の下に生まれていなければ叶わない。

以前と同じ事を書くことになるけれども、生まれた時に神様に背負わされて来た、人生という大きな包みの中に無かったものごとは、どんなに努力したところで手にする事はできないと思うしか無い。

生きるか死ぬかという修羅場を知らない、経験のない平和な人たちはいつまでも、運命なんか努力で変えられるときれいごとを並べて、人を慰め、励まし続けている。

人は誰も、自身に背負わされた「人生の包み」の中に、あるものとないものを見分ける感性を磨かなければならない。

岡林信康 手紙  (放送禁止歌)
兵庫県の播州地方に生まれた中島一子さんは、ポチャポチャした丸顔の、よくしゃべり、よく笑う、本当にほがらかな少女でした。上岡満君と恋愛し、結婚を約束しながら、ついに満君の家族の反対にあい、結婚できないことを知ったとき、彼女は両親に手紙を書き、自殺しました。
実際の手紙にはこんなことが書いてあります。
「こんな星の下に生存したことがそんなにまで悪く、また、どこがちがうのか・・・・この世をうらむよりしかたがありません。・・・・へんな、くらい手紙になりましたが、かかずにおられなかったのです。」



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by KSWAY | 2014-01-24 08:48 | 世の中のこと

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