宅録ミュージシャン雑記 月に見下ろされて ~宅録ミュージシャン trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
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「星になった少年」を「象になった少年」、「象に乗った少年」といい間違う人は多いのではないか?

自分もそのひとりだ。

そういえば昔、「イルカに乗った少年」を唄っていた城みちるが、「イリコに乗った中年」というキャッチフレーズを連呼するというイリコ(煮干)のCMに出ていたそうだ。

広島あたりで流されていたそうだ。

その後ひょうきん族に出たりしていたなぁ。

懐かしい。


で、この映画は実話だそうで、象使いの少年をテーマにした、結構固い系の映画。

文部省推薦のかほりが香ばしく立ち込めてくるようだ。

ただ謎は、この少年がなぜ「象使いになりたかったのだろうか?」という1点のみに集約されよう。

野球選手でもJリーガーでもパイロットでもなく「象使い」。

透明人間でも、かわいい子の乗るチャリのサドルでもない。

「象使い」だ。


そういう職業があるということを初めて知った人は多いと思う。

ひよこのオスメス鑑定士を知っている人は多いと思うが、象使いはあんまりいないのではなかろうか?

非常にマイナーだ。

マイナーすぎて、いろいろなことがぼやけてしまっている気がする。

ひょっとしたら、象使いに憬れている人はこの国に、いまだ彼だけかもしれない。

まさに唯一無二だ。

それくらいのレベルでのマイナーさだと思う。


なので、どうやってこの少年の志の高さを理解し、心模様を写し取ればいいのか、皆目見当がつかなかったし、今でも、そうだ。

永遠にわからないのかもしれない。

いや、判らないと思う自分には。

というか、わかる必要性というものをまったく感じないのだ。


常盤貴子の母親役には違和感を感じた。

柳楽優弥の母としては若すぎないかい?

という感じで。

常盤貴子は作品によって出来・不出来の落差がとっても大きい。

作品単位でもそうだし、連続ドラマ通しという単位でもそうだ。

おおっ!と思う時(作品)もあれば、おいおい!?もある。

これは完全に「おいおい」の範疇だ。

目で見せる演技に進歩を感じるのだが、わざわざ映画にせんでも、2時間ドラマでええんちゃうんと思ってしまったりする。

坂本龍一の「いつも期待を裏切らない」劇伴がなければ、ホンマ、モロ2時間ドラマである。


蒼井優もここではまったく冴えない。

というか、出る必要性をまったく感じないのだ。

今まで見た蒼井優の中で一番やる気がないように見えるのは気のせいか(笑)?

結局、どうやって感情移入すればいいのか、終始手探りのまんま、ああエンドロ-ルじゃないか、終わってしまったよ~という、非常につかみ所がなくて、どうやって言語化すればいいのかさえも皆目見当がつかないという、近年まれに見る怪作である。


テーマ的にはいいんだけど、何でこうなってるんだろうね。

不思議だ。



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探偵物語は全部好きなのだが、その中でも「惑星から来た少年」というエピソードがすごく好きで今も覚えている。

馬鹿みたいな内容なのだが、それでもハンパなく面白いのはなぜかというと、優作らのコミカルさだけではなく、子役の森川誠君の達者な怪演がぴりりといい感じで効いているからだ。

大人顔負けである。

その後もずっと役者を続けているのだろうか?

ふと気になった次第。



さて映画「パズル」を観て、観なきゃよかったと激しく後悔。

ホント、見なきゃ良かった。

夏帆が成長したら、こんなになっちゃいました感がハンパ無い(笑)。

「天然コケッコー」時代の面影は、あって、全くない。

まったくない!!

おいおい。


ここにまずなんちゅうか、多大なる失望感みたいなもんを感じてしまった。

ストーリーとかはまったく頭に入らず、ひたすら「夏帆の変わりよう」が頭を掠めては消える、そしてまた浮かぶ。

どちらかといえば概ね負の無限ループだろう。

情けない、俺って感じで。


まあよくあるホラーもので、内容は語るに値しない。

途中で観賞を中断した次第。




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最近良くバラエティで見かける足立梨花という女優さんがすごく気になるのだ。

特に別嬪でもないと思うのだが、なんか気になる。

ネットではブスとかAカップ、オシリだけの子とか散々ないわれようだが、確かに芸能人としてはやや華がないのかもしれないが、それでも気になるのだ。

学生時代なんかに、クラスにひとりはいた「かわいくないのに気になるコ」の系列だと思う。

そうそう「あまちゃん」にも出ていたなぁ。

あの頃はまったく気にもならなかったが。



2004年のエリック・ブレス、J・マッキー・グルーバー監督作品。

かなり面白かった!

かなり有名なものだそうだが、まったくのノーマークだった。


主人公は、時折、意識をなくす男。

ここ七年間は記憶が飛ぶことがなかったのだが、20歳の時、久しぶりに、幼い頃からずっとつけていた日記を目にしてしまい、中に書かれている過去に、一瞬戻ったのである。

彼は古い日記や写真を見ると記憶が一瞬停止し、過去へと戻ることが出来るのである。


こうやって、過去に戻ることを覚え、それを逆手に取り、わざと過去へと戻り、何度も何度も過去をやり直す話しだ。


しかし解決すれども、そこに必ず新たな想定外の事態が起こり、思惑と裏腹に自体はどんどん混迷を極めてゆく。

その都度、男は過去へと帰り自体の収集を図ろうとする。

いたちごっこだ(笑)。


最後には日記や写真など過去に戻ることが出来るアイテムを全処分する



他愛もない話しだが、なんともいえない不気味さがどんよりと漂っていて、後から鳥肌が立ってくるという映画。



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タブロイドは日本のドラマの隠れた力作だと思うが、映画もある。

ただし洋画だ。


セバスチャン・コルデロが監督した2004年度の作品。

ひたすら胸糞の悪い映画。

それ故にココロがざわざわとする作品。

内容は日本ドラマ「タブロイド」と微妙にかぶっていたりする。

あくまでプロット的に、という話しだが。

だが自分は確信している、コルデロはジャパニーズドラマ「タブロイド」を確実に観ていると(笑)。


舞台はエクアドル。

モンスターという犯人による12人の子供の連続殺人事件が起こっていた。

犯人は未だ捕まっていない上に、何ら手がかりがつかめず捜査は膠着していたのだ。

報道陣は躍起になって、虎視眈々とスクープを狙っている。


そんな中、マノロたちテレビクルーが、モンスターに殺害された少年の葬儀を取材する前で、ひき逃げ未遂事件が発生してしまう。

しかも逃げようとした犯人に対し、義憤に駆られた野次馬たちが殴る蹴る、火をつけるの暴行を働き悲惨な状況に。

その一部始終をテレビクルーはカメラに収め、テレビのニュースで特ダネとして流した。

それは大反響を呼び、一躍マノロは時の人に。


そしてつかまったひき逃げ未遂犯ビニシオは監獄に収容。

ここまでが導入部だ。


その後、マノロは捕まったビニシオのインタビューを行うのだが、釈放を狙うビニシオはマノロに取引を持ちかける。

つまりモンスターについて詳しい情報を持っているから、その代わりに自分のインタビューを取れと。

ついにモンスターに関する飛び切りのネタが針にひっかかってきたのかもしれないのだ。

しかも他社も知らないネタ。

飛び切りのスクープかもしれない。


ビニシオは犯人しか知り得ない情報を提供し、その供述通りにそこから子供の死体が発見される。

マノロは警察には言わず、ビニシオから更なる情報を引き出そうと画策する。

マノロはモンスターはビニシオ本人であると確信。

しかしビニシオ本人は「犯人から聞いた話」としか言わないので完全にクロだと裏付けることが出来ない。

しかし、明らかに限りなくクロに近いという感覚はどうしても拭えない。

倫理と欲求の狭間でもがくマノロ。


スクープを熱望した男マノロと、釈放を熱望した男ビニシオの心理戦は、この段階で、スクープをものにしたいがために冷静さを失ってしまっているマノロには分が悪く、彼は要するに、倫理よりも欲望の方に徐々になびいて行っているといえる。


結局、マノロは妥協案として自白を提案。

ビニシオはそれをあざ笑うかのように頑なに拒否。

挙句には俺のインタビューを早く放送せよと毒づく。

マノロはその日の夜、ついにビニシオのインタビュー放送を決行する。

その放送はあたかも冤罪でビニシオが投獄されているかのような印象を与えるものだった。


この放送を見た視聴者と世論と裁判所の命令によって、ビニシオは晴れて釈放、姿をくらます。


実は、ビニシオに対して疑念を抱いていたものが他にもひとりいたのだ。

彼の妻である。

彼女は自宅から行方不明になった子どもが当時着用していた衣類が、ビニシオの部屋にあることを知っているのだ。


そんな中、身重の妻が産気づく。


ビニシオはかなり重度のアルコール中毒者で、以前、アルコール中毒の会に参加して断酒治療を受けていた過去がある。

酒を飲むと見境がなくなり、物を壊し、言い掛かりをつけ、自分よりも弱いものに暴行を働いた上、性的に錯乱するという超異常な性癖があるのだ。

れっきとした病気。


今は酒を断っているといっていたが、釈放後のビニシオはまず冷蔵庫を開けてビールを取り出す。

そして自分の子供を連れ出し外へと散歩に行く。

「本当は、こんなことしたくはないんだ」と嘯きながら。

恐ろしいシーンだ。


一方、マノロたちは、無実の罪で投獄された男を救ったヒーローとして賞賛を浴びる。

事実が明るみになり、共犯者としてバッシングを受けることを恐れたマノロらは、何も知らなかったことにして一切の疑念を封印することにする。

モンスターと思しき男は再び野に放たれていることを知りながら、警察には通報せずにやり過ごすのだ。

報道と倫理のせめぎ合いという点で、なんとも胸糞悪い観点からあえて切り込んだことは評価に値するが、いかんせん使い古されたネタ的な印象は拭えない。

なんとも後味が悪すぎる映画だ。


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「八日目の蝉」では「エンゼルホーム」という、いわゆるカルト集団が出てくる。

もろ「ヤ◎ギシ会」を想起させるものだ(笑)。

で、そのドンである余貴美子の胡散臭さ満開の演技が素晴らしいと思う。

もうこれでも食らえとばかりに、とめどない胡散臭さを発揮しているのだ。

この胡散臭さ=違和感の源泉に、なんともいえないくらいの嫌悪感を感じてしまうのだ。


「紀子の食卓」でもカルトが出てきたし、「愛のむきだし」もそうだった。

これらはもろにオ◎ム真理教を連想させるものだ(園監督作品にはカルトネタがよく見られる)。

その他にもたくさんあろう。


昔観たことがある「チャールズマンソン事件」をドキュメンタリー風に再現した映画もすごかった(タイトル忘れた)。

あれはBEATLESの曲を教義に据えるというハチャメチャな教団だったが、行っていた行為は直視できないものばかりだった。

妊婦を殺害した後、おなかを切り裂き胎児を引っ張り出して殺すとかどれだけ鬼やねんっ!!て感じだ。

しかも殺した人の血で壁に「PIG」と書きなぐるし。


こういうカルトは特殊としても、ごく日常レベルにおいて「擬似カルト的な集団」は多々見られると思うのだ。


例えばある芸術コンサルタントだという人に群れる集団。

非常に胡散臭い。

ひたすら胡散臭いのだが、洗脳されてしまえばあっという間に妄信してしまいそうである。

洗脳なんて、ほんとうにあっという間にされてしまうものではなかろうか。

洗脳されてしまえば胡散臭さを感じるアンテナもなくなってしまい、マジやばいレベルに達するように感じて来て戦慄した。


あと胡散臭さ満開の歌唄いに群れる集団とか。

普通の歌唄いのファンの集まりとは、明らかに毛並みというか雰囲気というか、空気感というか兎にも角にも明らかに普通と一線を画したものなんかもある始末。

YESマン集団だ。

こういう集まりはカルト臭がもうハンパない気がする。

妄信の度合いがそれこそ病的に異常なのだ。

客観的に見たら本当によくわかる、この違和感は。

内部からは決して見えないだろう。


SNS上で、そいつが火をつけた揉め事の顛末を観るともなしに閲覧したが、これが、なんか一見何の変哲もないケンカとプチ炎上ものなのだが、よくよく分析すると非常に違和感を覚える世界観を孕んでいることがよくよくわかってくる。

いっていることとかはおおむね正論のようだ。

が、普段の投稿との落差が激しすぎて、すごく気持ち悪いのだ。


なぜ、たかだかそれくらいのことに必死で執着して激烈に怒りをぶちまけるの?

なんか大人気なくね?

って感じの事さえも時折見られる。


それでもそんな「冷静に考えれば、そんなに怒る事もない」であろうことにさえも、同調した「リスナーという信者たち」が、どこからともなくどどっと流入してきて、信じられないくらいの超長文(概ね句読点がなく非常に読み辛いシロモノ)を投下したりする。

その文章には「教祖・自分」しか存在せず、「相手」の影形などはない。

二人称を全否定する文面が多い。

どことなく、どこかが、明らかに麻痺、もしくは欠落したような文章そんな感じだ。

読むことが苦痛ではないが、そのごく一方的な内容に、居心地の悪い違和感を感じてしまう。


同時に俗世に染まりきったおのれがなんとなく恥ずかしくなったりもする。

まあ、そうなるのも当然か。

自分は現実的な俗世を、精一杯歩いているわけだから。


もうこうやってひとつひとつを自分なりに考えて見ると、これらが某学会や某サリン事件を起こした教団と何ら変わりがないように思えてくるから不思議だ。

そう、部外者にとってはいかんともしがたいほどに「奇妙な世界」なのである。

おいそれと近づきたくはない世界だ。


こういうのに心底巻き込まれると後々面倒そうだ。


本当に、マインドコントロール、洗脳って怖いシロモノだな。


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最近流れているペプシのコマーシャルが非常にオカシイ(笑)。

ある音楽家に、ペプシのマスクをかぶった男が収入の半分をよこせというやつだ。

説明はないが、おそらく音楽家はゴーストという設定だろう。

佐村河内守の盗作騒動を思い出させるというか、元ネタはあれなのではないのか。

真っ直ぐすぎてシニカルで、そして笑える。


知っている人にも「自称、西野カナのゴースト」、「自称、某カリスマロック歌手の元ゴーストライター」ということをさりげなく売りにしている輩がいた。


両者共に、人間性において生理的に受け付けない類のムラがあるように感じたし、自分はそういうものは到底受け入れられないという欠陥人間であるし、第一その人物に集う集団が、あたかもカルト教団ぽく思えたりしたこともあり、自分はキッパリと線を引き、直接的距離をも置いた。


意味も必要性も根拠さえも不透明な「上から目線」で頭ごなしに、時には恫喝っぽく大声で、自分が納得しかねるカタチでもって、意思とか意見とか、あるいは主義主張を、100%他人にコントロールされることが死ぬほど大嫌いな性分で、それをやられると最大のストレスとなり得る。


YESマンには絶対なることができない。


それをやってこようとする人を無意識的に拒絶するという気難しい自分だが、今までにおける人生で、その選択を間違えたことは、おそらくないと思う。






ロマン・ポランスキーの「ゴーストライター」はすごく面白いサスペンス。

こういう良質なサスペンスは、本当に心底映画の醍醐味を感じさせてくれる。

これは重要なのだが「イギリス作品」である。


主人公は、野次馬根性と正義感を出したばかりに「たまたま」がどんどんと重なってしまい、やがてそれが国家を揺るがす陰謀と向き合う羽目になるという、ある意味ドタバタものでもある。

ユアン・マクレガーの演技が絶妙でシリアスなのになぜか笑える。

ポランスキー作品なので、当然、超シニカルな視点が散りばめられていることはいわずもがなである。


この映画は、イギリス前首相トニー・ブレアのパロディである。

ブレアは「テロとの戦い」を前面に出して米国の完全追従を打ち出し、「ブッシュの飼い犬」扱いされていた。


そんな前首相の下世話なパロディで陰謀サスペンスを作れるイギリスの懐は深いのぅ(笑)!


また、ポランスキーは少女強姦罪で指名手配中の身で、米国から34年間も逃亡してる。

アメリカ嫌いはハンパなかろう。


それは演出にも端的に現れていると思うよ。


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実際に、今も波照間や西表などで「とうきび刈り」の棲み込み長期アルバイトは存在するようだ。

この映画はそこに集まった見ず知らずの人たちの物語。

長田弘の詩集が元となっている。

それぞれがそれぞれに「ワケあり」。

で、その作業を通して人間関係や社会との関わり、ライフスタイル、主義主張、人生観様々なものにしかと向き合うという、まあいわば王道的な映画である。

まとめ役が大森南朋演じる「田所豊」(笑)。

ダイヤモンドユカイかい!!

で、大森は長期の棲み込み作業で日本中を渡り歩いている謎の男だ。


その他は、香里奈、内田恭子かと思うほどよく似ている金子さやか、成宮寛貴、長澤まさみ、谷原章介、久遠さやかである。

一応主役は香里奈だが、彼女一人がとりわけ目立つこともなく、平等主義の感がある。

なんか、台本ってあってないような感じだったのではと思わせるほど、静かな映画である。

特に何のハプニングも起こらないが、それが沖縄時間と妙にリンクしていてなんか心地良かったりする。


そしてバイトが終われば、彼らはやがてまた、再びいた場所へと帰ってゆく。

非日常から日常へと戻るわけだ。

そこでは再び、多くの物事が彼、彼女らを待ち構えている。

だからほんのつかの間だけの天国?別世界?なんかそういうものを、自分たちなりに、おのれとしかと向き合いながら、重労働に精を出してゆく。


ごく穏やかで無駄な音が一切ない。

深呼吸の息遣いがリアルに伝わりそうである。

で、とても穏やかなエンディング。

物足りない感が残るものの、この映画はこういうものだと思えば何ら違和感はない。


ぜひ、部屋内外の雑音をすべてシャットアウトして見てみると良い。


マイラバの音楽もいい感じだ。

小林武史は本当にこういう音作りに長けているのう~。


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愛人の赤ちゃんを誘拐して3年半育てた女性の逃亡劇と、事件後、大人になった女児が後遺症に苦しむ姿を描いた、日本アカデミー賞受賞作。

母性と育児、親子関係が主要テーマだ。


角田光代の小説、NHKのドラマも観た。

なので満を辞しての映画鑑賞(DVD)だった。


小池栄子と劇団ひとり、森口瑤子がうまい!

まずそう思う。

名バイプレーヤーで、最近、仲間由紀恵と結婚して有名になった田中哲司もいい感じだ。


井上真央については、あまり良く知らなかったが、この映画を観る限り、かわいらしいだけじゃなく演技力も相当しっかりしているようだ。

蒼井優には遠く及ばないにしても、上戸彩とはいささか差が歴然というか…。

別に「昼顔」を敵視しているわけじゃ、ないのだけれど(笑)。



永作博美については、これくらいは当然やるだろうという予想の斜め上をいってくれていて嬉しかった。


『人のセックスを笑うな』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』なんかでも爆裂感も良かったが、この映画のようにかなり暗い感じもまた、彼女が演ればうまいんだよなぁ。

あ、重松清作品の「その日の前に」も良かった!泣けた(笑)。


永作との対極にある、森口瑶子の鬼気迫る演技も神がかりだ。

この方は「冷たく、穏やかな、激烈なる狂気」なんかを演じるのが非常にうまいと思うし、それはテレビのサスペンスドラマなんかでは無敵の武器となりうる。

この人が狂気を演じている作品はレベルがぐんと上がっている気がする。

昔、キムタクと松たか子の「ラブジェネレーション」で、森口瑶子がキムタクの兄役の内野正聖と不倫に陥る元カノ役を演じたことがある。

あのトレンディードラマの中で、彼女のキャラやエピソードはかなり浮いていた(笑)。

というか、そこだけ別世界的。

もうかなりあっち側にいってしまった女性をささっと演じていたが、今から思えば本当に見事だったと思う。

最近携帯のCMでお見かけするが、ああいうことがあってのこのキャラだと思わばすごく感慨深い。

素顔はなんかとてもおもろい方のように思えてくる。



で、旦那を寝取られた挙句、娘を誘拐された女の情念に、深い苦悩と抑え切れんばかりの憎悪を織り込んで、ただひたすら冷たく押し殺した眼差しで、淡々と演じていると思いきや、いきなり口汚く罵るシーンがあったりする。

永作博美を罵倒し倒して、そしてなんと、「(誘拐されたのは)自業自得ではないのか」と加害者的な扱いまで受けてしまうと言うオチまであるのだ。

また、娘が誘拐される前、育児に苦悩して娘にキレるシーンなんかもある。

あれを差し込むことにより、さて、彼女は誘拐がなかったと仮定して、ちゃんと母親になれたのだろうか?という疑念を、視聴者に叩きつけてくるのだ。


もうこの段階において、森口がいい母なのか、永作がいい母なのか、どちらが被害者で、どちらが加害者なのか、その境界がすごくあいまいになってゆく。

何がなんだかわからなくなるのだ。

映画を観る前には、確実にあったであろう常識観とかモラル、あるいは「普通」の概念なんかが、もう混濁し、ぶっ壊れてしまい、見事に跡形もなくなってゆく。

そういうひとつひとつのエピソードに対して「それはどうよ?」という人がいれば、「当然だ」という人が出てきたりする。


ここでひとつ忘れてはいけないことは、森口瑶子演じる実親は100%被害者であるし、永作博美演じる育母は100%加害者だということ。

育母のした事は犯罪に他ならない。

なのに、人によって様々な価値観が次々に溢れくる。

普遍的といわれる「常識」なるものが、混乱し、カオスと化してゆくのだ。


この映画が成功した要因のひとつとして、こういう、人によって受け取り方が違うであろう多種多様な面を、それこそ随所に散りばめることにより、視聴者の意識を撹乱することに成功したということが挙げられよう。

結果、かなり重層的で見ごたえのある心理劇となっているのである。


つまり、いろいろな人間の業とか欲望とか理屈、事情、思惑、憎悪、愛情、痛み、傷、涙、幸福それらのものが複雑に絡み合って、非常に切なく、美しく、「ドロドロ・カラー」を醸し出し、それらは観るものを捉えたら決して離さないまでのパワーを発揮している。

匠の技だ。



さて話を少し戻すと、森口瑶子は、加害者的な立ち位置と被害者としての立ち位置というものを何度も何度も、めまぐるしく往復するという、このかなり難しいであろう役柄を見事に演じきっている。

「狂気」だけでは決して演じきることができない難役を、だ。

座り込んで「なんで連れて行かなかったんだろう…」と号泣するシーンなんかは、もう背筋が凍りつくかと思うほどの演技っぷりだった。


設定は「日野OL不倫放火殺人事件」がモデルだ。

まず、普通じゃない人がたくさん出てくる。

というよりも、普通とは微妙に違う人というか。

永作博美、井上真央、森口瑶子、田中哲司なんかについては明らかに普通じゃない人生を抱え込んでいる。

それは一目瞭然だ。

でもその他の人も、少し普通とは乖離していると思えるのだ。


この映画は「普通とは少し違う人=八日目の蝉たち」のことを徹頭徹尾描いた作品とみなすこともできよう。

蝉は七日で死ぬというが、9日目でもなく14日めでもなく「8日目」ということに意義があると思う。

7日目の蝉と8日目の蝉には大差がないように見えるが、大差がある。

でも、実はそんなに違わないのだよという作者のメッセージだろうか、「普通とちょっと違っても、卑下しなさんな、生きる価値、幸せになる権利はちゃんとあるんだよ」という。

生きていれば、きっといいことは、それなりにあるものだ。


ドラマの話も。


永作博美の位置に檀れい、井上真央の位置に北乃きいがキャストされており、これはこれでかなり見ごたえがあった。

映画とはいささか、各々の役割の持つウェートが違う点もまたよかった。




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「恋しくて」「NANA」「リンダ・リンダ・リンダ」「バンデージ」「ソラニン」などなど、一時期バンド関係の青春映画が乱立していた頃があった。

これもまた青春バンドモノ映画。

といっても、例えば「リンダ・リンダ・リンダ」なんかとはやはりちょっと次元が

濃度がまったく違うし、比較するのは酷かな。

まあ、細かいギャグが散りばめられていて、エンターテイメントとしては充分成立しており、大笑いできた。

正直楽しかった。

泣ける映画ではない。


内容的には80年代頃の「懐かしいアイドル映画」の範疇であると思う。

展開は早く、というか、無理がありすぎ。

なので「何で、そうなんねん?」と、イマイチ事情がよくわからない場所が散見できる。

それでも、大笑いできる。



宮本理江子監督作品。

監督に聞き覚えがなかったから調べたら脚本家山田太一の娘さんらしい。

初監督作品だそうだが、十二分に大笑いできる楽しい映画に仕上がっている。


市原隼人、井上真央、平岡祐太、柄本佑の初々しい演技が光るのだが、市原君にピンと合わせすぎなのか、もう彼のPVと化している(笑)。

他の三人のことも、もう丁寧に少し掘り下げても良かったのではなかろうか。

特に平岡や柄本のエピソードが非常にあっさりしすぎていて、ちょっと物足りなかった気がしたが、大笑いできる映画だ。


山口沙弥加、伊藤歩、KONISHIKI、玉山鉄二、陣内孝則、平田満、松重豊、柳沢慎吾、樹木希林、ガレッジセールの二人とかも脇で出演。

なかなかの賑わいだ。


陣内とか柳沢、あと内田裕也、竹中直人とか、キャラが濃過ぎて主役を食い過ぎる傾向な人たちがいる(笑)。

ガレッジセールのふたりについても同様だろう。

だけど、この映画でのガレッジセール、陣内、柳沢はかなり出番を抑え目だったので、うざくなることはなかったし、よかった(笑)。

でも、それなりにちゃんとインパクトを残しているところがやはりすごいと思う。

ただでは転ばない人たちだ(笑)。


伊藤歩は他の主たる出演者よりも年上の設定なのもあるが、一人だけ演技がうますぎて、なんちゅうか、浮いている(笑)。

でも美ら島水族館の水槽の中を人魚みたく素潜りで泳いでいるところはかなり美しかったぞ!

まさに人魚だって感じ。

以前、「リリィ・シュシュのすべて」で、なんと、同級生同士を演じた市原君と伊藤は、あの映画のラストの音楽室シーンからこの映画の中の水族館(の水槽のあちらとこちら)シーンへと時空を越えて辿り着き、再会したんだな(笑)。

で、時間を越えて初キス(人工呼吸だが)、初デートをすることができたという(笑)。

めでたしというか何というか(笑)。

そう考えれば市原君はすごく饒舌になり、垢抜けたもんだな~。

あと、山口沙弥加のキャラがすごく変化しており、以前の、「若者のすべて」の頃なんかの原形がまったくないことにもびっくりした。


「チェケラッチョ」は「Check it out! Yo!」のことらしい。

意味としては「注目!」とか「チェックしてみて」とか「お見逃しなく」くらいの感じだそうだ。



しかし、オレンジレンジより市原君の歌の方が、音程が安定してるのはどういうことなんだろうか(笑)??



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最初に、東京西川のマットレスを、ホンマにネイマールが選んだんだろうか(笑)!?なんか、おかしいっっ(爆)!!!


「昼顔妻」って、ドヌーヴの「昼顔」から取ったんだろが、あれはアレでものすごくエロ過ぎて、とても正気で観れない映画だった。エマニエル夫人なんかよりもはるかにエロい。もうエロ過ぎて、人間不信…いや女性不信か…になりそうな映画だ。


それとは何の脈略もないが、ま、なんやかんやいって、ついつい情にほだされて「昼顔」の最終話をライブで観てしまった(笑)。にわかの自分にはどうこういうことはほぼできないから、1~10話までについてはマニアにお任せ。で、11話目を観て、ほぼそれだけについて書くが...う~ん、まったく意味、いや意義か、...がわからなかった(笑)。

流れがイマイチ良くわかっていない、内容を充分に把握していないというのもあるが、まずごく根本的な意味で「ただ理解不能」なのだ、ドラマとして成立していないというか、昼ドラにも劣るというか。これは「ドラマかコントか学芸会の出し物か、それともそれ以外のなんなのか」ということから、まず考えねばならない。だからドラマの内容なんかについての感想とか批判とか、殆ど思い浮かばない。あーそうでっか、なんやよーわかれへんけど、そらよかったんちゃいますか、って感じなのだ。このドラマ、視聴率を取ったとしても、それ以外、他に何も残せないのではないか。まだ「HERO」の方が残すものが多いと思う、後々に。


で、最終回への批判がかなり多いそうだが、自分的にはドラマの終わり方が云々とか、もうそういうレベルでもないと思う。勝手にHDに入っているものを斜め観した時には、中盤はすごくサスペンスフルでそつなく進んでいたこともあったように見受けられたが、中だるみさえもなく、尻つぼみにフェィドアウトしているというか...いや、フェイドアウトさえ仕切れていない!何で、あんな中途半端にトーンダウンさせて終わったのだろうか?上戸彩が自宅放火で終わってOKだと思うが、倫理上のアレコレとかバイアスがかかったのか。


大好きな井上由美子作なだけにガッカリ感もハンパ無い。そこに何らかの意図がある、とは思うけどね、商売っ気たっぷりのフジテレビさんだから(笑)。


まあ、このドラマはおそらく伊藤歩、鈴木浩介、高畑淳子、木下ほうかの卓越した玄人演技力に支えられてたのではなかろうか?この四人の演技力は最終話を見ただけでも抜きん出ている。


主役の上戸彩と、あと斉藤工だったっけ?
もう論外というか(笑)、失笑モノだ。北村一輝については可もなく不可もなくというか、ポテンシャルを考えたら物足りない。最後は「あしたのジョー」に出てきた「コークスクリューパンチで廃人になったカルロス・リベラ」みたいになっていたが、すごく輝いていた。最後のみGJ!!


吉瀬さんは別にわざわざ女優をやらなくて、前みたくモデルさんをしていればいいんじゃないのだろうか?モデルとしての方が天職というか、他を圧倒すると思うのだが...。もう悪いけど、女優じゃなく、「自分で動いてしゃべるマネキン」にしか見えない。表現者というタイプではないと思う、辛辣だけど。なんか、長谷川京子とまったく同類だな...ファンには悪いけどねぇ~。すみません。


まあ、あり得ないほどのレベルのドラマで、これでは中学生の学芸会のほうがよっぽどましである。その中でも、特にひいきするわけでもないのだが、伊藤歩と鈴木浩介の「ごく微妙な表情で心情を使い分ける演技」はすごいといえる。そのひと事だ。

ふたりとも、一見変化に乏しく同じような表情に見えるが、良く良く見ればかなり違ったりする。微妙に表情を使い分ける百面相の達人だ。その時々で、鈴木君が「ニコラス・ケイジ」に見えたり、「冬彦さん」に見えたり、二丁目のオカマ野郎に見えたりする(笑)。


伊藤歩の場合、口に注目すればよくわかる。アヒル口とか、あるいは片口を歪ませたりおちょぼ口になったり、いろいろとパターンがあるが、それと目の色、潤ませ方、手の動き、特に掌の向きとか動き、それこそ体中の部位のありとあらゆるところを使って、あるいはそれらを複雑に組み合わせて、巧みに演じ分けている。ちなみに右にも左にも歪ませることができて、片口歪ませてからアヒル口をするパターンもある。場面や状況によって複数のパターンがあるようだ。まあそもそも、普通にしていてもアヒル口なのだけど(笑)。


最後、斎藤工に何かを言いかける場面もそうだ。目を潤ませながらの微妙なアヒル口で、おそらくドラマを通して今まで見せたことのなかった表情というものを、ここで、初めて見せていたりする。少し顔を赤くしていたりとなかなか芸が細かい。

あの表情は、実は伊藤歩が、特別な場面なんかで使うもので(笑)、「きょうのできごと」「クリスマス・クリスマス」などで多用していた。「本当はかわいい天邪鬼が、素直になるときの表情」の定番なのだ(笑)。ワンパターンといえばそうなのだが。とにかくあれは、素直でいじらしい心情表現の定型。「リップスティック」でも、カレシのザキヤマに会いに行くエピソードなんかでイヤというほど使っていたよな(笑)。伊藤歩のファンなら知っている人は多いと思う。

だからこそ、あれだけの視聴者の反感とか憎しみを上手に引き出しているといえるし、あの場面で、遮られたけど、乃里子の言いたかったことがなんなのかはなんとなく想像できたりする。それまでの憎々しいというか、忌々しいだけのキャラとの落差自体が、役者からの、もとい作者からのわかりやすいメッセージなのである。ほんの五秒ほどで、「その後のあの夫婦の未来」を伝えている気がした。


作者はおそらく、あの夫婦については、例え擬似仮面夫婦化しようとも、なんとなく再生してしまい、「結局、そこそこうまく行ってしまう」というメッセージを発したかったのだろうと思う。とんでもないことかもしれないけど、神も仏もないのかもしれないけど、そういうことも往々にしてありだ、それも現実だと。不倫に対してのアンチテーゼも込めて。井上由美子さんについてはね。ノベルズの作者については、どうだか知らないけど(笑)。


なんというか、そもそも常日頃から他人に関心があって、感受性が強く、表情なんかに敏感な人は、アレだけの情報であっても、すごくいろいろなものを想像し、感じ取ることができると思うんだけどなぁ。「伊藤歩の表情の演技がイマイチ」とか書き込んでいる人がいたけど、たぶんその人は人間関係なんかには、日常的に鈍磨な方かなと。頓珍漢というよりも、少し淋しい人なんだろう(笑)。浅いなぁ~。

くどいけど、演技していないときは信じられないくらいぽわ~んとしてて(ちょっと天然で抜けている感じ)、すごくにこやかな人で、江口のりこさんもそうだけど、伊藤さんもたいがい(笑)。普段の顔を「演技中に出す」ということを、今まで見た事はない。完全に切り離している。


まあでも、「あの白い服は涎掛けみたいだ」という書き込みには大爆笑した(笑)。確かにそうだよな~。あんな服でも、なんやかんやいってスタイルがいいから、な・ぜ・か、バッチリ着こなすというか似合ってしまう。「服に着られ」ないそういうところも含めて、ちょっと世の反感を買っているのかもしれない。涎掛けみたいだが、実はセレブ御用達な、一応それなりの高級ブランドらしいし(笑)。


鈴木浩介の目の潤ませ方もすごい。蒼井優がその才能に惚れるだけのことはある(それは禁句か(笑))。ややもすれば、キモイオネエ役とか変人で片付けられがちな彼の目の演技は、実はかなり熟練の技が入っているのである。

彼はそのときそのときにより、どちらの目から涙を流すかを使い分けていたりする。おおかただが、片方側からしか涙を流さないのだ。


さらには彼には必殺技「鼻水垂らし」がある!これは今まで見てきた中で「ばかのハコ船」の山本浩史と双璧だ。山本のそれはドリフに匹敵するほどに、もう「神技」を遥かに凌駕しているけどね。


うまい!!ついつい膝を叩いた。


まあこれは最終話ではないが、ハムスターが逃げて夫婦喧嘩をしたときにも、実はさりげなく少し泣いていたりするのだ。ウルウルじゃなく号泣でもない。涙目よりも泣いているレベル。皮一枚の芸だ。停止させて確認しなければわからないほど、本当によくわからない程度に、涙を微妙に出している。本当に些細なことなのだが、この涙があるのとないのとでは、シーンの孕む濃度がまったく違ってくる。やっぱ、芸術家肌の映画監督とかセンパイに相当教育されてきたのだろうな。

ところで、蒼井優との結婚のために購入したマンションのローンを払い続けているというネットでの噂は本当なのだろうか(笑)?余計なお世話だけど(笑)。


高畑さんについては語るのも野暮だ。眉間のしわの寄せ方を自在にコントロールする人だからね(笑)。二時間ドラマの常連だが、いつ見てもあっぱれと思う。今回はわざと入れ歯をもごもごさせて口ごもらせるという身を張ったスゴ技を随所に披露(笑)。わざと合わない入れ歯を嵌めていたのかもしれないね。匠レベルだなぁ。 


木下ほうかさんはVシネマのヤクザ役とか「ガキ帝国」のヤンキー役のインパクトが大きいが、今回はこじゃれたチョイ悪オヤジ風で、それはそれで楽しめた。個人的にはチョイ役で強烈なインパクトを残す人ってイメージが強くて、こんな風に出ずっぱりは、う~ん、あまり面白くないなぁ。

まあ、とにかくこのドラマにハマって時間を浪費しなくてホント良かったなと。


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