2014年のノーベル物理学賞が、中村修二米カリフォルニア大学教授ら3人に贈られることが決まった。中村氏は青色LEDの開発に着手するまで、10年もの間、研究活動だけでなく、営業活動で顧客の意見やクレームに接してきた。その10年の経験は技術者として大切な心構えを学んだという。中村氏は何を学んだのか、氏の言葉に耳を傾けてみよう(本記事は、日経Biztech 2004年7月30日号に「中村修二的MOT人論」として掲載した記事を再掲したものです。肩書などは当時のままです)。
研究から製造、品質管理はもちろんのこと営業活動で顧客の意見に耳を傾け、クレーム処理まで対応した十年間。その間に技術者として大切な心構えを学んだ。企業人としての多くの失意と少しばかりの成功が後の青色発光ダイオード(LED)につながる貴重な経験だった
1979年に日亜化学工業に入社してから、青色発光ダイオード(LED)の開発に着手するまでのほぼ十年間、私は、技術者として大切な2つの要素を知らず知らずのうちに学んでいたようだ。
まず、いかに作るかは重要だが、それにもまして「何を作るか」が極めて重要であること。そして、何を作るべきかを知るためには技術者自身が顧客と対話し、製造現場に足を運んで、ビジネスの現場を知らなくてはならないということである。
ただし、これら一連の仕事を自ら進んで体験したわけではない。企業に所属するサラリーマンとして、多くの制約の中で体験せざるを得なかったというのが正直なところである。お金もなく人もいないから、研究から製造、品質管理に始まり、客先での製品説明や接待のような営業的な仕事まで一人でやった。
こうして過ごした入社からの十年間は、数多くの失意と、少しばかりの成功の中で「売れる技術」を開発することの大切さを痛切に感じさせられた時期だった。今思い起こせば、この間に経験したすべての仕事が、青色LEDの開発に成功する土台になったことは間違いない。
本と学問を捨てた
入社後ほぼ半年の間に、私は失意のうちに研究者としての魂を2つ捨てた。「本」と「学問」だ。
そのキッカケとなったのは、入社直後に手掛けたリン化ガリウム(GaP)の開発だった。新入社員に開発テーマを提案できる力があるはずもない。テーマは、営業部門が客先で聞いて見つけてきた。ただし、田舎の小さな会社である。開発人員が少ないため、自分の手で進めなければならない。
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