台湾 高砂義勇軍
- 2011/08/24
- 13:51
━━━靖国にて
私が高砂義勇軍について初めて知ったのは、とても衝撃的なことでした。まだ学生の時ですが終戦記念日に靖国神社参拝に行き、遊就館を見学していました。その時台湾先住民族の民族衣装をまとった10名ほどの一団が旭日旗の前に来て、全員直立不動の姿勢をとり「海ゆかば」を斉唱したのです。大東亜戦争当時、統治していた台湾で志願兵を募集したことがある程度の知識しかありませんでした。身の震えるような思いから思わずどういった方なのですかと聞いてしまいました。流暢な日本語で「私たちは台湾にいる元日本人の元日本兵です。先住民族の高砂族といい志願し、日本兵と共に闘いました。お恥ずかしいながら高砂義勇軍と呼んでくださってます。やっと靖国にこれ仲間たちと会うことができました」日本から遠く離れた台湾中華民国の地にも、日本人の武士道の精神で、日本軍として戦ってくださった元日本人の「侍」の方々がいることを我々日本人は、けして忘れるような事があってはいけないと思います。


━━━高砂義勇軍とは
高砂義勇軍は大東亜戦争時に台湾先住民族により編成された日本軍の部隊です。高砂族は山岳民族ですが、タイヤル族、トロック族、タウツア族、パイワン族、アミ族等の総称です。
ジャングル戦に長け、暗闇でも夜目がきき、耳もよく、裸足で音もなく東南アジアのジャングルを駆け巡り、勇猛で密林の戦闘にと日本軍に多大な功績をもたらしました。
共に日本人として、酒を酌み交わし、同じ釜の飯を食べ、歌い、そして戦いました。伝統的な生活を営む勇敢で純朴な性格と、勇敢で強き事を美徳とする精神は、何か日本の武士道とも相通じるところがあり、とてもうまがあったそうです。その志願にあたっては血判状を手に倍率は数百倍にもなったそうです。
その存在が明らかになったのは、グアム島の横井さん、ルバング島の小野田さんに続き1974年末にインドネシアのモロタイ島で発見された台湾人日本兵、中村輝夫(本名、スニオン、李光輝)も、台湾原住民アミ族出身の義勇隊員でした。彼の確認が、日本の世論において「高砂義勇軍」が話題に上った最初のきっかけとなりました。中村さんの発見をきっかけに給与が未払で補償がないことに関する世論の批判もおき、保証も行われることとなりました。
高砂義勇軍の一人の方の言葉です。「大東亜戦争の魅力、それはただアジア解放のため、この言葉に我々は酔いしれた。この言葉の魅力にたまらなく我々は日本人として戦った」

━━━慰霊碑
高砂義勇隊の慰霊碑は高砂族アミ族の部落長の周麗梅さんが全財産を投じて建立されました。この義勇隊の慰霊碑撤去の危機が数年前にありましたが、その時は産経新聞の呼びかけで日本から約三千万円の義援金が集まり維持されました。慰霊碑は、周麗梅さんがお亡くなりになった後は甥の義勇隊元兵士の簡福源氏が維持してきましたが一昨年亡くなり、今は周さんのご子息の馬偕理牧氏が維持管理されています。ここ数年中共の手先による陰謀で、裁判が続き、慰霊碑も竹で覆われていました。
裁判も終わり、台北県からの援助資金も出て新たに整備されたとのことで、何としても訪れたく訪台しました。台北市から車で一時間ほどの烏来郷を訪れました。瀑布公園(この滝の反対側山の斜面に慰霊碑があります)脇の坂の入り口で、馬偕氏と落ち合いご一緒しました。日本人として、感謝の気持ちと、日台の親善と、台湾の真の独立を思いに、持参した花束を手向けることが出来ました。
馬偕氏から、裁判の経緯も含めた様々な話も聞くことができ、ほっとしました。その後さらに登坂したところにある「花壇」(字体もまさしく箱根の強羅花壇です)で昼食を共にしました。 印象深かったのは、私が連れに八田与一のダム建設の話をしたところ、馬偕氏が「ここ烏来にも日本が作ったダムが三か所あります。この複雑な地形の山の岩盤に穴をあけ水路を作るという最高の技術のダムで、少し前まで秘密にしておいたくらいのダムなんです。日本統治時代が台湾は一番発展しました、とみんな口を揃えて言ってます。」その後下ったところの温泉街で数人の先住民族の方々も紹介していただきいろいろ話しました。皆さん流暢な日本語で、気遣いに溢れたとても優しい心の方々でした。私が驚くと「だって家庭内ではほとんど日本語ですし、気持ちは日本の教育ですよ。みんな日本に感謝してるし、大好きです。」
━━━台湾の危機
今回はビジネスも含めてかなりの方々と触れ合うことが出来ました。皆さんがとても親切で、しかも清廉で崇高高い人々です。台湾中華民国は、美しくそして素晴らしい国です。台湾中華民国の国民は高い民度をもつ成熟した人々です。台湾中華民国は、独自の民主選挙制度をもち、独自の司法行政があり、独自の軍隊も貨幣をもつ、れっきとした独立国です。
台湾政府の法律判断をしている担当の一人と話しました。「尖閣諸島は誰でもが認める日本の領土ですよ、漁民二人は許可証があるので出航させましたが、香港や中共から来た連中には、今回出航の許可を出していませんよ」
こんな台湾中華民国が、現在中共の異常な圧力と諜報にさらされ乗っ取られる危機にあります。金美鈴さんは、だから日本人になったと仰っていますが、 私は台湾中華民国の国民の魂は生き続けているし、乗っ取られることはないと思います。これほどの親日国である台湾中華民国と日本は連携して、戦うべきと考えます。ちなみに、アメリカと台湾は、1954年に「共同防御条約」が結ばれており、アメリカは必要な時に武力を行使できます。約8年ほど前、わざとアメリカのF戦闘機が大金門島に不時着したことがあります。中共の防衛力を試したわけです。ところがこのことを中共が察知できたのはまだ三年前のことです。上記の裁判、去年そして数年前の靖国に押し掛けた件は高金素梅という中共の手先です。母親が先住民族ということからその名前の高を勝手に頭に付け、先住民族の衣裳を勝手に身につけいかにも先住民族の代表のような顔してる、元女優崩れです。北京では民族衣装も着けずに、援助を求め徘徊しています。
━━━あとがき
震災において台湾中華民国は、日本に多大なる貢献をしてくださいました。感謝の意味を込め訪台の節はぜひとも高砂義勇軍の慰霊碑に参拝してください。日本軍の慰霊碑やさざれ石も、馬偕理牧氏が国民党の圧力に屈せず君が代の意味を訳した塔もあります。
私が高砂義勇軍について初めて知ったのは、とても衝撃的なことでした。まだ学生の時ですが終戦記念日に靖国神社参拝に行き、遊就館を見学していました。その時台湾先住民族の民族衣装をまとった10名ほどの一団が旭日旗の前に来て、全員直立不動の姿勢をとり「海ゆかば」を斉唱したのです。大東亜戦争当時、統治していた台湾で志願兵を募集したことがある程度の知識しかありませんでした。身の震えるような思いから思わずどういった方なのですかと聞いてしまいました。流暢な日本語で「私たちは台湾にいる元日本人の元日本兵です。先住民族の高砂族といい志願し、日本兵と共に闘いました。お恥ずかしいながら高砂義勇軍と呼んでくださってます。やっと靖国にこれ仲間たちと会うことができました」日本から遠く離れた台湾中華民国の地にも、日本人の武士道の精神で、日本軍として戦ってくださった元日本人の「侍」の方々がいることを我々日本人は、けして忘れるような事があってはいけないと思います。
━━━高砂義勇軍とは
高砂義勇軍は大東亜戦争時に台湾先住民族により編成された日本軍の部隊です。高砂族は山岳民族ですが、タイヤル族、トロック族、タウツア族、パイワン族、アミ族等の総称です。
ジャングル戦に長け、暗闇でも夜目がきき、耳もよく、裸足で音もなく東南アジアのジャングルを駆け巡り、勇猛で密林の戦闘にと日本軍に多大な功績をもたらしました。
共に日本人として、酒を酌み交わし、同じ釜の飯を食べ、歌い、そして戦いました。伝統的な生活を営む勇敢で純朴な性格と、勇敢で強き事を美徳とする精神は、何か日本の武士道とも相通じるところがあり、とてもうまがあったそうです。その志願にあたっては血判状を手に倍率は数百倍にもなったそうです。
その存在が明らかになったのは、グアム島の横井さん、ルバング島の小野田さんに続き1974年末にインドネシアのモロタイ島で発見された台湾人日本兵、中村輝夫(本名、スニオン、李光輝)も、台湾原住民アミ族出身の義勇隊員でした。彼の確認が、日本の世論において「高砂義勇軍」が話題に上った最初のきっかけとなりました。中村さんの発見をきっかけに給与が未払で補償がないことに関する世論の批判もおき、保証も行われることとなりました。
高砂義勇軍の一人の方の言葉です。「大東亜戦争の魅力、それはただアジア解放のため、この言葉に我々は酔いしれた。この言葉の魅力にたまらなく我々は日本人として戦った」
━━━慰霊碑
高砂義勇隊の慰霊碑は高砂族アミ族の部落長の周麗梅さんが全財産を投じて建立されました。この義勇隊の慰霊碑撤去の危機が数年前にありましたが、その時は産経新聞の呼びかけで日本から約三千万円の義援金が集まり維持されました。慰霊碑は、周麗梅さんがお亡くなりになった後は甥の義勇隊元兵士の簡福源氏が維持してきましたが一昨年亡くなり、今は周さんのご子息の馬偕理牧氏が維持管理されています。ここ数年中共の手先による陰謀で、裁判が続き、慰霊碑も竹で覆われていました。
裁判も終わり、台北県からの援助資金も出て新たに整備されたとのことで、何としても訪れたく訪台しました。台北市から車で一時間ほどの烏来郷を訪れました。瀑布公園(この滝の反対側山の斜面に慰霊碑があります)脇の坂の入り口で、馬偕氏と落ち合いご一緒しました。日本人として、感謝の気持ちと、日台の親善と、台湾の真の独立を思いに、持参した花束を手向けることが出来ました。
馬偕氏から、裁判の経緯も含めた様々な話も聞くことができ、ほっとしました。その後さらに登坂したところにある「花壇」(字体もまさしく箱根の強羅花壇です)で昼食を共にしました。 印象深かったのは、私が連れに八田与一のダム建設の話をしたところ、馬偕氏が「ここ烏来にも日本が作ったダムが三か所あります。この複雑な地形の山の岩盤に穴をあけ水路を作るという最高の技術のダムで、少し前まで秘密にしておいたくらいのダムなんです。日本統治時代が台湾は一番発展しました、とみんな口を揃えて言ってます。」その後下ったところの温泉街で数人の先住民族の方々も紹介していただきいろいろ話しました。皆さん流暢な日本語で、気遣いに溢れたとても優しい心の方々でした。私が驚くと「だって家庭内ではほとんど日本語ですし、気持ちは日本の教育ですよ。みんな日本に感謝してるし、大好きです。」
━━━台湾の危機
今回はビジネスも含めてかなりの方々と触れ合うことが出来ました。皆さんがとても親切で、しかも清廉で崇高高い人々です。台湾中華民国は、美しくそして素晴らしい国です。台湾中華民国の国民は高い民度をもつ成熟した人々です。台湾中華民国は、独自の民主選挙制度をもち、独自の司法行政があり、独自の軍隊も貨幣をもつ、れっきとした独立国です。
台湾政府の法律判断をしている担当の一人と話しました。「尖閣諸島は誰でもが認める日本の領土ですよ、漁民二人は許可証があるので出航させましたが、香港や中共から来た連中には、今回出航の許可を出していませんよ」
こんな台湾中華民国が、現在中共の異常な圧力と諜報にさらされ乗っ取られる危機にあります。金美鈴さんは、だから日本人になったと仰っていますが、 私は台湾中華民国の国民の魂は生き続けているし、乗っ取られることはないと思います。これほどの親日国である台湾中華民国と日本は連携して、戦うべきと考えます。ちなみに、アメリカと台湾は、1954年に「共同防御条約」が結ばれており、アメリカは必要な時に武力を行使できます。約8年ほど前、わざとアメリカのF戦闘機が大金門島に不時着したことがあります。中共の防衛力を試したわけです。ところがこのことを中共が察知できたのはまだ三年前のことです。上記の裁判、去年そして数年前の靖国に押し掛けた件は高金素梅という中共の手先です。母親が先住民族ということからその名前の高を勝手に頭に付け、先住民族の衣裳を勝手に身につけいかにも先住民族の代表のような顔してる、元女優崩れです。北京では民族衣装も着けずに、援助を求め徘徊しています。
━━━あとがき
震災において台湾中華民国は、日本に多大なる貢献をしてくださいました。感謝の意味を込め訪台の節はぜひとも高砂義勇軍の慰霊碑に参拝してください。日本軍の慰霊碑やさざれ石も、馬偕理牧氏が国民党の圧力に屈せず君が代の意味を訳した塔もあります。
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