青色LEDノーベル賞受賞をお祝いして、中村修二さんの95年の記事を再掲します(その1)
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作成日時 : 2014/10/08 10:53
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昨日発表された、今年のノーベル物理学賞は、青色LEDの発明に対してで、名城大学の赤崎勇教授、名古屋大学の天野浩教授、およびカリフォルニア大学の中村修二教授の三名に贈られることとなった。
個人的には青色LED は応用的な発明で、ノーベル賞の対象にはならないと思っていたので、結構意外だったんだけど(取るとしても赤崎さんだけかなあと)、オレの予想を覆してお三方が受賞されたことは本当に喜ばしい。
どうも、高輝度の青色LEDの発明で作れるようになった白色LEDが、アフリカなど電力網のまだ行き届いていない場所でも使える明かりとして普及してきたことが、今回の受賞の一つの理由になっているらしい。その波及効果の大きさはやっぱり凄いものなんだね。
で、まあ、オレは95年の夏前に、中村修二さんの取材をして当時連載していたログインに記事を書いたんだよね。日経産業新聞かなんかで青色LEDができた(発売かな)とかいう記事を読んで、しかもそれが東北大ではない、当時は聞いたこともない日亜化学って会社の中村さんという人だと知って、これは面白そうだと思ってすぐに取材に行ったと思う。その頃は世間はまだあまり青色LEDに注目していなくて、一般紙には記事はなかったと思うし、あったとしても日経エレクトロニクスくらいかな。
そんなものすごく早い時期なので、中村さんも取材慣れしていないかんじで、ものすごく気さくで良い人だと感じた。
かなりの無茶をゆるしてくれていた、当時の社長をメチャクチャ尊敬していてありがたいと言うことを言っておられた印象がある。
このインタビュー時点では、その後社長が代替わりして会社と揉めて、結局頭脳流出になるなんて事は、想像もつかなかったなあ。そしてその発明がノーベル賞になるなんて、人生万事塞翁が馬だね。
というわけで、当時のログイン(95年7月号かな?)に書いた記事をここに再掲します。
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●いきなり100 倍の青色LED
独創技術って言葉があるけれど,これを今のような意味で使い始めたのは,たぶん,東北大の学長の西澤潤一さんじゃないかと思う。この人は,光ファイバーを始めとする,光通信テクノロジーの実質的な発明者で,その他にも社会的にインパクトのある発明を,たくさんしてきた人だ。
ただ,その発明の独創性を,日本の特許庁は,認めようとしなかった。そのため,光ファイバーの基本特許などが,アメリカに取られちゃったなんていう,ヒドイことが起きている。こういう経験を踏まえて,西澤さんは,日本人には独創性が無いといわれいるけれど,それは嘘で,独創性はあるのに,それを評価して盛りたてていく風土が無いんだということを,強く批判してきたんだよね。
その西澤さんの発明の一つに,高輝度赤色LED (発光ダイオード)がある。これは1カンデラ以上のすごく明るいLED で,最近は色々なところで使われている。たとえば,自動車のリアウインドウの上につける細長いブレーキランプなんかはこれだし,これを使ったビルの壁面ディスプレイには,100 メートル離れてもまぶしいくらい明るいものもあるくらいだ。
LED は発光効率が高く(つまり電気をあまり食わない),寿命も長く,メンテナンスもいらない理想的な発光素子だ。そのため,色々な光ディスプレイに応用することができる。
たとえば西澤さんは,信号機への応用ってことをいっている。信号機は,ランプを年に2回は取りかえなければならないし,正面から太陽光がさしこむと,どの色が光っているかわからなくなる。これをLED にかえれば,10年は取りかえなくて良いし,太陽のかげんで見難くなることもない。
ただ,そこでいちばんのネックになったのが,青色のLED に明るいものがないってことだったんだよね。それさえあれば,すでに赤と緑は明るいものがあるので,フルカラーの壁面ディスプレイだって作ることができる。
ところが,この青色のLED は作るのが超ムツカシい。また,ようやくできても,明るさは0.01カンデラ程度と暗かったんだよね。
もちろん,西澤さんのグループをはじめ,世界中の人が研究していたんだけど,なかなか良いものができなかった。実際,日本電子機械工業会が93年の7月にまとめたレポートには,1カンデラの青色LED ができるのは,2000年になるとされていたくらいだ。
ところが,その93年の12月,阿波踊りで有名な徳島の,日亜化学工業という会社が,突然,1カンデラを越える青色LED を発表しちゃったんだよね。日亜化学工業というのは,ブラウン管とか,蛍光燈用の蛍光体を作る化学メーカーで,まあ普通の人はもちろん,LED の専門家にも知られていない,田舎の名もない会社だった。それが,世界が必死で取り組んでいたのに解決できなかった難問を,スパッと解いてしまったんだから,これはもう大ビックリ状態。
しかも,このLED は,中村修二さんという研究員が,ほとんど一人で開発したものだった。
名もない田舎の会社(失礼)の一個人が,突然,世界の常識を100 倍越えてしまったというのは,それだけで凄いことだ。でも,それ以上に,極めつけに面白いのは,この研究を成功させた,その秘訣なんだよね。なにしろそれは,中村さんいわく,人の真似だけは絶対にしないこと,だったんだから。
●人の真似だけは絶対にしない
中村さんは,16年前に日亜に入社して,それから3つの開発を行っている。まず最初は,赤や赤外のLED 材料になる,純度の高いガリウムメタルの製造法の研究。次に,ガリウムひ素やインジウムリンの単結晶や多結晶という,赤色LED の基板材料の製法をやった。そしてさらに,LED で実際に光る層になる,エピタキシャル膜を作る研究をしたそうだ。
このすべての開発は,完全に成功した。ところが,中村さんは落ち込んでしまったという。なぜなから,せっかく苦労して開発したものが,商品としてはゼンゼン売れなかったからだ。
それはなぜかというと,これらの赤色LED の関連製品は,すでに大手企業が開発を終えていて,いまさら名もない中小メーカーが入っていく余地はなかったからだ。
開発は,会社の方針で,他社からの技術導入に頼らず,全て中村さんが一からやったものだった。しかも,開発費もあまりなかったので,実験用の装置類はすべて手作り。なかには危険な実験もあって,たとえばインジウムリンの単結晶をつくるときなんかは,よく爆発が起きたそうだ。
これは,石英管に材料を詰めて密閉,加熱するもので,圧力が高くなるとドカンといく。しかも,材料のリンは燃えやすいから,爆発すると部屋中火の海になる。
そのうち,爆発しても破片が直撃しないように,実験装置と自分の机の間に鉄板を吊るして,爆発したときも慌てず騒がず,部屋のあちこちで燃えているリンをひとつづつ消す,なんて具合になったそうだ。要するに,爆発なんか馴れっこになっちゃったんだよね。
今,こんな話を聞くと,まるで笑い話みたいに聞こえるけれど,その当時は中村さんも必死だったろうし,メチャクチャ大変だったはずだ。そして,ごっつう苦労して開発に成功しても,それが商品としてぱっとしないんじゃ,これは相当やり切れなかったと思う。
そこで中村さんは,ものすごい信念を持つことになる。
それは,人の真似をしちゃ駄目だ,もう金輪際,人の真似だけはしないってものだった。
たとえば,この当時,青色LED 材料の候補には,SiC (炭化シリコン),ZnCe(セレン化亜鉛),GaN (窒化ガリウム)の三種類があった。このうち,SiC は,暗いながらも青色LED ができていた。また,セレン化亜鉛は,西澤さんが研究を始めたもので,いちばんの有力候補として,多くの人に研究されていた。
残りの窒化ガリウムは,名古屋大学の赤碕教授が,唯一人研究していただけだった。
そこで,中村さんは迷わず,窒化ガリウムでいこうと決心したってわけだ。
もちろん,窒化ガリウムがほとんど研究されていなかったのには,それなりのワケがある。それは理論的に,この材料ではLED が作れないってことになっていたからなんだよね。
LED は半導体の一種で,基盤の上に薄膜状の結晶を成長させて作る。ところが,窒化ガリウムには基板に使える良い材料がない。使えるのは,サファイアくらいなんだけど,これではきれいな結晶ができないとされていた。なぜなら,サファイアの結晶を作る原子と原子のあいだの距離と,窒化ガリウムの結晶の原子間距離は,20パーセントも違うからだ。
これは,たとえばピンポン玉を敷きつめた表面に,パチンコ玉を乗せていっても,きれいに並ぶわけがないッてのと同じだ。実際,理論的には,基盤と,上に成長させる結晶の原子間距離の差は,1〜2パーセント違ったら,もう良い結晶はできないというのが常識だったんだよね。
ところが,実際に中村さんがそれをやったら,できちゃったわけだ。こうしてみると,できないといわれていた理論って,いったい何だったのって感じだよね。
(2へつづく)
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