指揮者のイタイ・タルガム氏が、全くタイプの異なる5人の指揮者を例にとり、それぞれのリーダーシップの特徴や問題点について語りました。演奏家1人1人の個性を引き出し、最高のオーケストラを完成させるために必要なリーダーの条件とは?(TED2009より)
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イタイ・タルガム 「偉大な指揮者に学ぶリーダーシップ」
指揮者は音楽に秩序を与える
イタイ・タルガム氏:舞台に出ていくことが指揮者の醍醐味であり、素晴らしい瞬間です。オーケストラの演奏者達がずらりと座っている。彼らは演奏前のウォームアップをしている。そして私が指揮台に立つ。
指揮台というのは指揮者にとってのオフィスのようなものです。というよりはオフィスの中の広くオープンなキュービクル・ブースと言えるかもしれません。たくさんの音が入り混じる喧噪の中、こんな風に小さく手を動かす。
その動きは決して大げさなものでも、ものすごく洗練されたものでもなく、このような軽い感じです。するとどうでしょう。無秩序な音の中に突如として秩序が訪れる。騒音が音楽にと変わるのです。
これが本当に素晴らしいのです。私だけの力で喧噪が音楽になる、すべて私の実力、私はすごい人物だ! と思いたくなってしまう。
(会場笑)
そして楽器をならして騒音を出している卓越した技術を持つ素晴らしい彼らは、私の指揮無しでは演奏できないのだと思いたくなる。しかし、実際はそうではありません。もしそうであるならば、私は今すぐ皆さんにお話することをやめて、どのように手や体を動かせば、会社でもどこでも好きな場所で人々の中に調和を生みだすことが出来るのかをお教えすれば済む話です。
しかし、物事はそう簡単ではありません。まずはこちらのビデオをご覧ください。
これが調和のとれた状態の良い例だと思ってもらえればと思います。ご覧いただいてから少し説明します。
会場に幸福感をもたらす指揮者の特徴
素敵だと思いませんか? これは調和に成功している例です。では、誰がオーケストラを成功に導いたのでしょうか? 当然このオーケストラ―ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団―の演奏者達は美しく音色を奏でています。そして演奏者達は、指揮者をあまり見ていない場合が多いです。
会場も手拍子で演奏に参加していますね。ウィーンの人々は通常このように他人を妨げることはありません。ウィーンでは、エキゾチックなベリー・ダンサーを迎えての饗宴に最も近いのが、今ビデオで見て頂いたようなことなのです。
(会場笑)
例えばイスラエルではまったく違う状況です。イスラエルでは会場内に咳をする人がよくいます。ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインはよくこう言っていました。
「世界中のどこでも、風邪を患っているのであれば医者に行くのが常識だ。しかし、テルアビブでは風邪を引いたら私のコンサートにやって来る、というのが常であるようだ。」
(会場笑)
どうやらそれが常識のようなのですね。しかし、ウィーンの聴衆はそのようなことはしません。彼らは型を破り、オーケストラと一体となって楽しんでいます。素晴らしいことです。このような聴衆が、素晴らしい瞬間を、場の一体感を生み出すのです。
指揮者はどうでしたか? 指揮者は実際のところ、演奏中何をしていたでしょうか? 彼は幸せに楽しんでいました。このビデオをよくシニア・マネージャー達に見せるのですが、彼らはこれを見てイライラします。
「仕事をしているのに、なぜあんなに幸せそうなのだ? 何かが間違っている」と。しかし、この指揮者は皆に幸福感を広めています。最も重要なのは、この幸福感とは彼自身の価値観や彼の音楽に対する喜びによるものだけではないということです。つまり、ひとりひとりにまつわるストーリーを聴かせることが彼の喜びに繋がっているのです。
強権的なリーダーシップ
オーケストラとはプロの集団です。聴衆はコミュニティです。そしてオーケストラも聴衆にも、ひとりひとりの個人が存在します。そしてその場に居合わせる人のみならず、コンサート・ホールを建てた人々がいます。ストラディバリウスやニコロ・アマティ等、素晴らしい楽器をつくった人々がいます。
このように、様々な方面から支えられて今の演奏があることを感じさせる。これが生演奏、ライブコンサートの醍醐味です。これが、皆さんが会場までわざわざ足を運んでくれる意味なのです。しかし、指揮者が皆彼のようであるかというと違います。大御所リッカルド・ムーティのビデオをご覧ください。
短いビデオですが、先ほどのビデオとの違いは明らかでしょう? 彼は素晴らしい指揮者です。とても威厳がありますね。とても明確な指揮ですが、少し明確過ぎるのかもしれません。ちょっと皆さん、私のオーケストラになってみてくれませんか? ドン・ジョヴァンニの第1小節目を歌ってください。「アァァァー」と歌ってくださいね。私が止めますから。いいですか? いきますよ!
(会場「アァァァァ―」)
まだ合図していません! 私と一緒にやるんです! 私を置いていかないでください! 指揮者なんて必要とされていないのかもしれないという不安に追い打ちをかけないでください。
(会場笑)
指揮に従ってください! はい、私を見て。行きます!
(会場「アァァァァ―」)
ご覧の通り、オーケストラは指一本で止めることができます。先ほどのリッカルド・ムーティが止める時はどうでしたか? 彼はこんな感じ(手をぐるぐる回す)でしたよね?
(会場笑)
そして、まぁこんな感じに(首を刺すジェスチャー)。
(会場笑)
とても明確でしたね。そして、もし言う通りにしなければこうなる(クビが飛ぶ)というメッセージも。
(会場笑)
このやり方が上手くいくかと言えば、ある一定のポイントまでは上手くいきます。「どうしてあのような指揮のスタイルが生まれたのでしょうか?」という質問を受け、ムーティはこう言っています、「私には責任がある。彼が見ているから、彼に対する責任がある」というのです。彼と言っても、神ではないですよ。ムーティが言う彼とはモーツァルトのことです。
しかもモーツァルトがあたかも真ん中、前から3列目に座っているかのように言うのです。「私はモーツァルトに対して責任があるので、彼のスタイルを崩したりすることは許されない。私は、私リッカルド・ムーティが理解するモーツァルトを奏でるのである。」
ムーティにその後何が起きたでしょう? 3年前、彼はスカラ座の700人の従業員が署名した手紙を受け取りました。演奏者達はこう書きました、「あなたは素晴らしい指揮者ですが、私達はあなたと一緒にやりたくありません。お願いですから辞めてください」と。
(会場笑)
干渉しすぎないリーダーシップ
「どうしてか知りたいですか? あなたは私達に成長する機会を与えてくれない。あなたは私達を一緒に演奏するパートナーではなく、楽器としか見ていない。私達の音楽に対する情熱と喜びは……」と手紙は続きました。彼は辞めるしかありませんでした。いい話だと思いませんか(笑)。
(会場笑)
彼はとても良い人なんですよ。さて、厳格になり過ぎぬようにコントロールの加減をもう少し抑える、または違う方法で演奏をコントロールする方法はあるのか? 次の指揮者を見てみましょう。リヒャルト・シュトラウスです。
彼がご年配であるから私が彼のあら捜しをしているなんて思わないでくださいね。そうではないのです。彼が30歳くらいの頃、彼は彼が呼ぶところの「指揮者の10箇条」を書きました。その中の1番目はこうです、「もしもコンサートの終わる頃に汗だくになるのであれば、その指揮者はやり方を間違えている」。
その中の4番目、皆さんもきっと気に入ってくれるはずです、「トロンボーンのほうを見てはならない。これで彼らはがぜん張り切る」。
(会場笑)
つまり、自然に素晴らしい音楽が発生するようにすることが大切だという考え方です。それを指揮者が邪魔してはならない。しかし、どうやってそれをするのでしょうか? 彼が楽譜のページをめくっていたことにお気づきでしょうか?
彼は年を取りすぎて彼が書いた音楽を忘れてしまったのでしょうか? または、「みんな、本の通りに演奏するんだ。私のやり方でも、みんなのやり方でもない。書かれた通りに演奏するんだ。音楽に対する解釈は必要ない」というメッセージを送っているのでしょうか。解釈は演奏者によって違うので、彼は演奏者それぞれが違う解釈を持つことを望まなかった。
目を閉じて指揮をする「ヘルベルト・フォン・カラヤン」
これはまた別の支配的な指揮者の例です。もうひとつ有名なドイツの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの例を見てみましょう。
何が違いましたか? 彼の目を見ましたか? 彼の目は閉じられていましたよね? 彼の手はどうでしたか? こんな動きをしているのを見ました? ちょっと皆さんを指揮させてください。2回やります。最初はムーティ風にやりますので、1回手をたたいてください。次はカラヤン風にやりますから。どうなるかやってみましょう。では、まずムーティ風に。行きます。
(会場:パチン、手拍子を1回)
あれ? もう一度。
(会場:パチン、手拍子を1回)
はい。いいです。次はカラヤン。皆さんはやれば出来るはず。問題は私です。私が集中しますから。目を閉じて……こんな風に……さぁさぁ、皆さん、手をたたいて。
(会場:バラバラに、手拍手1回)
なんでバラバラなんですか?
(会場笑)
皆さん、いつ手をたたけば良いかわからなかったからですね。実は、今のやり方ではあのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団だっていつ演奏を始めるのかわかりませんよ。
ではどうやって、このような指揮に合わせるのでしょうか? 皮肉無しで言います。これはドイツのオーケストラです。演奏者はカラヤンを見ます。そして、演奏者は周囲を見渡すのです。
「私達はどうしたらいいんだ?」と演奏者達は顔を見合わせあう。その後しばらくお互いを観察しあってから、コンサート・マスターがアンサンブルが揃うように演奏をリードします。
全く指示を与えないことで演奏をリードする手法
カラヤンは彼の指揮スタイルについて質問を受けた時こう言っています、「彼らに明確な指示を出すことでオーケストラに多大な害を与えてしまう。なぜなら、私が指示を出すことによってアンサンブルが上手く行かなくなるからだ。オーケストラにおいて、演奏者がお互いの音を聞き合うことがとても大切なのである。」素晴らしい心構えです。
しかし、目を閉じていては何も見えませんが、なぜ彼は目を閉じるのでしょう? ロンドンで指揮をした彼の面白いエピソードがあります。彼がフルート奏者にこのように合図を送ります(手を空中にふらふらさせる)。でも合図を出されたフルート奏者はそれが何を意味するのか、いつ演奏を始めればいいのかまったくわかりません。
奏者は聞きます、「失礼ながらマエストロ、私はいつ演奏を始めればよいのでしょうか?」カラヤンはこれに対してなんて答えたと思いますか? 彼はこう言いました、「いつ始めればいいのかわからずイライラし、もうこれ以上待てないと君が思った時に。」
(会場笑)
「つまり、君は何も変える力がないのだ。これは私の音楽なのだから。真の音楽は私の頭の中にのみ存在する、すなわち、演奏者は私の考えていることを読まなければならない」。このやり方では、演奏者は物凄いプレッシャーを感じます。
具体的な指示もないのに、考えていることを先読みして演奏しろだなんて無茶な話です。とてもスピリチャルな話ですが、これもまた異なった種類の抑圧的なコントロールの方法です。他に上手くリードする方法はないのでしょうか?
指揮者と演奏者はジェットコースターをつくりだすパートナー
もちろんあります。ではここで1番最初のビデオ、カルロス・クライバーに戻りましょう。
他の指揮者とは違いますよね。これもある種のコントロールなのでしょうか? 違うんです。なぜなら、彼は演奏者にどう演奏すべきか指示していません。彼がこのように手を振り上げた時、これは「ストラディバリウスをジミー・ヘンドリックスのように振り上げて、床に叩きつけるんだ!」という意味ではありません。
(会場笑)
彼は言っています、「これは音楽に心を委ねているジェスチャーだ。皆の解釈が広がるようにしているんだ」と。面白い新たな考え方です。しかし、具体的な指示なしでどのように音を調和することが出来るのでしょうか?
ジェットコースターに似ています。乗ったらそのまま乗り続け、身を任せる。具体的な指示なしに、演奏中に演奏者が自然と求められる演奏をすること。これが彼のやり方です。興味深いのは、もちろんジェットコースターは実際には存在しません。それは演奏者達の頭の中だけに存在します。
こうして演奏者と指揮者はパートナーになるのです。演奏者の頭の中にはプランがある。演奏者達は何をすべきか知っている。例えクライバーの指揮無しであっても、です。どうすればいいのかわかるのです。
演奏者達はジェットコースターに乗りながら、彼らの音をつかいながら、そのジェットコースターをつくりだすパートナーになるのです。これは演奏者にとってとても刺激的で楽しいことです。それはもうその後2週間は精神療養所に入院しなくてはならないくらいに。
(会場笑)
とても大変なことですが、これが最高の音楽づくりなのです。しかしもちろん、最高の音楽をつくるのはモチベーションとパワフルさばかりではありません。皆がプロである必要があります。もう1度クライバーのビデオを見てください。間違いが起こった時にどうなるかをご覧ください。
(ビデオ再生中)ここでまたも彼の素晴らしいボディランゲージです。そしてここでトランペット奏者が間違えます。見ていてください。ここです。また同じ奏者が間違えました。
(会場笑)
そしてここでまた同じ奏者が3回目のミスです。「コンサートが終わったら話がある」という顔をしていましたね。
(会場笑)
このような場合には、リーダーとしての威厳を持って対応するのです。これがとても重要です。
優れた指揮者は演奏のプロセスをつくる
しかし、威厳や権威だけでは人をあなたのパートナーにすることはできません。次のビデオを見てみましょう。パワフルな指揮をするクライバーを見たあとでは驚かれるかもしれません。
これは彼がモーツアルトを指揮しているところです。オーケストラ全体で演奏しています。そしてここで変わります。どうですか? 彼は100%の力を出していますが、威圧的に指示を出してはいません。どちらかといえば、ソロリストの演奏を楽しんでいるようですね。
そしてここで、またソロです。よく見ていてください。彼の目に注目して。わかりましたか? これは私達の誰もが喜ぶお褒めの眼差し、賞賛の眼差しですね。これはフィードバックではありません。「うーん、いいね」という感じです。いいことです。そして、彼は実は独自のやり方で演奏をコントロールしています。クライバーが上を見上げてすぐに視線を戻すとき、重力はなくなります。
クライバーはプロセスのみならず、そのプロセスが施行される条件をも生み出しています。例えば、オーボエ奏者は完全に自発的に演奏しています。その結果、彼は幸福感を感じ、自分の演奏に誇りを持ち、よりクリエイティブな演奏をするようになります。
つまり、クライバーがコントロールするのは、他の指揮者とは全く別の次元についてなのです。彼のコントロールはもはや誰かが勝てば誰かが負けるゼロサムゲームではありません。演奏者ひとりひとりが自身の演奏をコントロールできる。そして皆の演奏をひとつにし、皆で素晴らしい音楽をつくりあげる。クライバーとはこのプロセスであり、このプロセスを生み出す為に必要な条件なのです。
演奏者たちが物語を奏でるための「場」をつくる
しかし、意味を生み出すにはプロセスとコンテンツが必要です。レナード・バーンスタインは私の恩師です。彼はいつも意味を見い出すところから始めていました。こちらをご覧ください。
ムーティの顔を覚えていますか? 彼は素晴らしい表情をしていましたが、その表情のパターンはひとつだけでした。
(会場笑)
今のビデオでレナード・バーンスタインの表情をご覧いただけましたか? この音楽の意味は痛みなのです。そして苦悩を表現する音楽が演奏されている。レナードを見たでしょう? とても辛そうな顔をしていましたね。でも、それはなぜか惹きつけられる類のもの。苦悩ではありますが、苦悩すら彼はユダヤ人らしく楽しんでいるのでしょう。
でも真面目に、彼の顔には音楽が見えるでしょう? 彼は指揮棒を使うことをやめましたね。指揮棒はもうない。そこから演奏者たちが物語をつくりあげるのです。指揮者と演奏者の逆転です。演奏者が物語を語る番です。
例え短い時間であったとしても、演奏者が会場全体に対して物語を語るのです。そして会場全体がその演奏者の奏でる物語に耳を傾けます。バーンスタインがそれを可能としました。素晴らしいでしょう?
もし私達が今お話したことをするのであれば、「やらずとも成し遂げられる」という素晴らしい境地にたどり着くことができるでしょう。最後のビデオをご覧ください。
友人のピーターの言葉を借りて、このビデオに最も合うタイトルをつけたいと思います、「愛しているなら、自由にやらせなさい」。