そしてこの人生の悲劇と葛藤と不幸の多くは、人生のこうした功利的、打算的な卑しくて冷たい行為と、その行為によって傷つけられた、あるいは傷つけられている自分の純情、誠実、行為、犠牲的精神などを蹂躙された人々の反感、反抗、抗議、対立などで成り立っている全体的な営みのように思えるのである。
少なくとも、この人生の葛藤と悲劇と不幸などをひどく暗くしているのも確かである。
またそれをいっそう耐え難いものにしているものでもある。
言わば冷たい打算とまごころや優しさがぶつかり合った時の姿とも言える。
それはどちらもその全体から抜け出すことが、最善な姿だと知る必要があり、行動する必要があるのではないかとも思うのである。