その理由としては、そのような人間には真の友という人が少なくなる。
金がある時は良いが、金がなくなると、縁の切れ目ということで、打算での付き合いは、結局相手も打算で付き合うことになり、また類は友を呼ぶということで、そのような人たちが集まってもくる。
だから調子の良い時には良いが、いったん下り坂になると、瞬く間にまわりの人間は離れてゆき、見向きもしなくなるのである。
功利的な人間は、自分の利益のために平気で他人の純情や誠実を踏みにじってきたのだから、その報いも同じように世間から受けるようになるのである。
そのように功利的な人々にとっては、人の人格の内容などはどうでもよい話なのである。
それはそのまま自分の人格も他人からはそのように扱われるのであるが、その前にもっと悲惨なことがある。
それは自分自身が、自分の人格などはどうでもよいと信じている悲惨さである。
むしろ実利のためならば、自分の人格など簡単に売ってしまうからである。