前回述べたように、福沢諭吉は日本の一般大衆を見下し、馬鹿扱いしていた。江戸時代の、
- 士
- 農
- 工
- 商
- エタ・非人
のうち、自らの所属する1.の士、つまり武士階級と公家(くげ)、更には2.~3.のうち経済的に豊かな豪農・豪商のみを日本国民とし、2.以下の貧しい農・工・商・エタ・非人は一段低い階層に属するものと考えていたのである。差別されていたのはエタ・非人(明治になってから新平民と呼称)だけではなかったということだ。
対外的にも同様の考えが貫かれ、中国(支那)、韓国・北朝鮮(朝鮮)、中華民国(台湾)の人々を蛮族、即ち劣等民族扱いし、あからさまに侮蔑していた。
これらのことについて安川寿之輔氏は、「福沢の愚民観とアジア蔑視観」(前掲書.P.292以下)で詳細に明らかにしている。
ここまで筆を進めてきて、ハタと困ってしまった。
初回で述べたように、福沢諭吉といえば、小学校の時から脳裡に刷り込まれてきたあまりにも有名な言葉、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
があるからだ。この言葉と、福沢が実際に言っていることと矛盾するのである。
この点について、安川氏は実に明解な答えを用意している。いわば福沢の行ったインチキの種明しである。
安川氏は、この種明しを行なったのは歴史家の古田武彦であることを明らかにした上で、古田説を追認する。
安川氏が追認した古田説は次のようなものである。
まず、「天は人の上に人を造らず…」の文章の出典についてである。これについては、福沢自身が翻訳した「アメリカ独立宣言」にヒントを得て福沢が考えだした文章であるというのが定説的な理解であるのに対して、古田武彦はこれを全面的に否定する。
古田は、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』ほかの「和田家文書」の中に「天は人の上に人を造らず…」の出典があるという(古田武彦『真実の東北王朝』駸々堂出版)。
具体的に言えばこうだ。「和田家文書」を所持していた和田末吉が秋田重季子爵を介して、和田家祖訓である、
「神は人の上に人を造らず、亦(また)、人の下に人を造り給ふなし」
「吾(わ)が一族の血肉は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
「吾が祖は、よきことぞ曰(い)ふ。…人の上に人を造り、人の下に人を造るも人なり」
の3つの文章を福沢に見せたという。
この経緯について、古田は次のような1910年の和田末吉の署名入り文書が残っていることを明らかにしている。
「有難くも、福沢諭吉先生が御引用仕(つかまつ)り、『学問ノ進(ママ)メ』に、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ造ラズ」との御版書を届けられしに、拙者の悦び、この上も御座なく…」
古田は、更にその典拠に擬せられたアメリカの「独立宣言」やフランスの「人権宣言」には、「翻訳の原本」と見なすべき「原文」を発見できないとし、福沢自身がこの文章を「…と云えり」という伝聞の形を用いて、何者かからの引用であることを明示していることを論拠に挙げている。
古田は、以上の論拠を挙げた上で、
「人間は…少年、少女時代、頭のコンピューターにセットされた情報と正面から衝突する新情報には、たとえそれが真理であっても、拒絶反応をおこす」
として、別の側面から次のような最後の論証を行なっている。駄目押しである。
それは、『学問のすすめ』の冒頭の一句は、福沢の思想になじまない、という端的な理由であった。
(この項つづく)
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ここで一句。
”ようしゃなくバァちゃんと呼ぶ孫が来る” -坂戸、セッちゃん
(毎日新聞、平成26年9月29日付、仲畑流万能川柳より)
(ご本人、いつになってもオネェさん。)