平成26年9月22日コロンビア大学訪問 安倍総理スピーチ
於:コロンビア大学ロー図書館
ボリンジャー総長、ありがとうございました。
本日は由緒あるロー図書館で御挨拶できて光栄に思います。この建物は第11代学長のセス・ロー学長の寄付で建設されたと聞いております。ロー学長の父親は日本との貿易を営み、今から150年近く前の1867年に横浜を訪れた日米交流のパイオニアであります。遙かなる日米関係に思いを致し、改めて厳粛な気持ちにさせられます。
昨年に引き続きこの街を訪問できたことを大変嬉しく思います。
私にとってニューヨークは忘れ得ぬ街でもあります。30年余り前、会社員になり立ての頃、私はニューヨーク事務所で勤務いたしました。フェアでオープンな人々との刺激的な日々は、今でも心の中の特別な場所を占めています。
そんな順調な会社員生活が一変したのは1982年でした。外務大臣に就任した私の父親が、私に秘書官になるよう求めたからです。私にとって選択の余地はありません。「選択の科学」のアイエンガー教授が聞いたら怒りそうな話ではありますが。
秘書官になってからは、米国を含む各国を父と飛び回りました。外務大臣としての父は、外国の指導者との交流を重んじ、3年8ヶ月の間に46カ国を訪問しました。同じ信念の下、私も総理として世界を周り、今月初めの南アジア訪問で、就任からの訪問国数は先ほど47カ国と紹介がありましたが、バングラデシュとスリランカを加えて49カ国となり、父の記録を超えたところです。
その父が最重視したのが日米関係であります。両国の人的交流でした。外務大臣の職を辞した後も、父は日米交流、特に知的交流の強化のため、日米センターの設立に尽力し、1991年の同センター設立の約一ヶ月後、それを見届けるようにこの世を去ったのでありました。ここニューヨークにも拠点を置く日米センターは、今も日米交流事業を支援しています。今年度はコロンビア大学の事業に約8万ドルの支援を行う予定です。
また、日本研究は両国の深遠な理解の出発点であります。この分野でコロンビア大学は優れた業績があり、日本との特別なつながりがあります。大学には、1980年代に設立された日本経済経営研究所、日本法学研究所があり、長らく日本研究に携わられてきた素晴らしい教授陣という資産があるからです。
特に、ここにおられるジェラルド・カーティス教授、ヒュー・パトリック教授の長年に亘る日本研究の功績を改めて称えたいと思います。
今後とも、コロンビア大学を含め、世界の各拠点における日本研究の進展を強く期待し、私もできる限りの協力を行っていきたいと考えています。
人的交流は同盟の支柱であります。私自身この言葉をもう一度信念と情熱を持って語りたいと思います。私の政権の下で、日米同盟は再生し、強化され、交流は大きく拡大されました。
特に将来の日米同盟を支えていく上で重要なのが青少年交流です。私は総理に就任後、約4,600人の日本及び米国の青少年を派遣・招聘する「カケハシ・プロジェクト」を立ち上げました。4,600通りの、人生を変える経験が生まれています。こうした一つ一つの経験が、将来の日米同盟を支える支柱に育っていきます。
このプロジェクトにぜひコロンビア大学の学生の皆さんにも参加してほしい。日本は、このプロジェクトの一環として、コロンビア大学生・大学院生50名の訪日を受け入れます。
日本には、見てほしい景色と、感じてほしい心があります。これまでの交流強化を礎に、今後も必要な支援を行っていきます。
ニューヨークの街が攻撃に遭った2001年9月11日、我々日本人もまた大きな衝撃を受けました。誰もが怒りと悲しみで言葉を失った日々。当時悲しみに暮れるこの街を癒すために日本から届いたのは、一羽の折鶴でした。広島で被爆し、1955年にわずか12歳でその生涯を閉じた少女が平和を願って折った折鶴を彼女の兄が贈ったのです。感銘し、勇気づけられた遺族は、10年後、東日本大震災後の被災地を訪れます。今度は悲しみに暮れる日本人を勇気づけるため、であります。
時間と場所を超えて、人は人を想う。太平洋を隔てても心と心は寄り添う。我々の同盟関係は、一人一人の人間による真の心の交流に支えられています。
日本の総理として、同盟の支柱である人的交流の引き続きの強化をお約束して、私の挨拶といたします。
そして、最後に皆さんに訴えたい。「ライオンズよ、日本を目指せ!」と。
ご静聴ありがとうございました。