2014年10月06日
「アメリカン・ビューティー」の悲惨
『アメリカン・ビューティー』(サム・メンデス監督 原題: American Beauty 1999年公開)を最近、DVDで観た。
アカデミー賞作品賞、監督賞などを授賞した。主人公をケヴィン・スペイシーが、その妻をアネット・ベニングが演じている。
Wikipedia に紹介されている粗筋を引用する。
「広告代理店に勤め、シカゴ郊外に住む42歳のレスター・バーナム。彼は一見幸せな家庭を築いているように見える。
しかし不動産業を営む妻のキャロラインは見栄っ張りで自分が成功することで頭がいっぱい。娘のジェーンは典型的なティーンエイジャーで、父親のことを嫌っている。レスター自身も中年の危機を感じていた。
そんなある日、レスターは娘のチアリーディングを見に行って、彼女の親友アンジェラに恋をしてしまう。そのときから、諦めきったレスターの周りに完成していた均衡は徐々に崩れ、彼の家族をめぐる人々の本音と真実が暴かれてゆく。」
いわゆるホームドラマと言っていいだろうが、これが現在のAmerican Beautyかと愕然とさせられる映画である。
「アメリカン・ビューティー」とはバラの品種の一つである。色は真紅で、発祥の地はアメリカ。作品中に何度か、バラが象徴的に描かれる。
アメリカの中流家庭の崩壊を描いた映画に、こういう題名をつけることで、アメリカ社会に対する強烈な皮肉を利かせているのだろう。
「アメリカの美しさ」…外見は美しい。平凡な幸せそうに見える家庭。でもその内部はぼろぼろ。家庭崩壊、社会崩壊に蝕まれている。
主人公は、高校生の娘に嫌われて口もきいてもらえず、娘の友達に一目惚れして官能的妄想を抱くようになる。妻に浮気され、リストラされ、最後は殺される。
ほかにも、アメリカの病巣たる同性愛、セックスレス夫婦、麻薬、リストラ、精神病、虐待…とこれでもかと描写される。
大帝国の崩壊。一言でそうなるか…。
主人公が最後に拳銃で殺される場面も、犯人はわかるけれど、「なぜ?」の答えは曖昧であった。曖昧でわからないからこそ、アメリカ社会の不気味さが際立つ演出になっている。
私が学生のころ観た映画に『イージーライダー』(1969年)があって、あれもヒッピーで放浪する主人公たちを通してアメリカの病みと闇を描いていた。最後に保守的農民に殺されるのだ。それでもまだあのころは、殺される理由が(理不尽であれ)わかるものだったが、1999年の『アメリカン・ビューティー』になると、もっと悲惨なことになってきている。
むろん、「動機なき殺人」はあり得ない。詩・小説的表現で言うと、アメリカを覆う暗雲こそが殺人の動機と言えようか。
『イージーライダー』のころはヴェトナム戦争の最中で、若者たちは、戦争反対の意志を持っていた。その思いが映画にも反映していた。しかし『アメリカン・ビューティー』となると、もう救いはどこにもない。
そのアメリカの状況を、よく捉えている。
作中に、娘の恋人になる麻薬中毒の精神病の青年が、ビデオで撮影した風に舞うビニール袋の映像が出てくる。
ただ、晩秋の街角で、スーパーの白いレジ袋が風にあおられて、ふわふわ宙を舞っている。映画では心を病んだ青年に「これが最も美しい」と言わせている。
白いレジ袋は、アメリカの白人を表しているのだろう。この映画はアメリカの映画には珍しく、黒人が出てこず、白人だけが登場する。
白いビニール袋はどこへも行かず(行けず)風に身を任せてただ地表と宙を舞っているだけ。
ハリウッド映画は、ワンパターンだった。
正しいのはいつも白人で、悪者は初期はインディアンで、ナチスも日本も、冷戦下のソ連もヴェトコンも悪役。インディアンを悪玉にする西部劇が問題にされるとメキシコ人を白人の敵にした。宇宙人までこしらえて悪に仕立てた。
最近では、イラクのフセインや東方正教会を叩き、米国は常に正しい役回りだった。
俳優マーロン・ブランドがこれを皮肉って「銀幕では黒人は常に汚い存在で、フリピン人は小狡く、日本人は細目の危険人物にステレオタイプ化される。そして主役のユダヤ系白人は常に正しく格好良く描かれる」と。
そのとおりだったが、その数日後に彼はユダヤ人どもにテレビに引きずりだされて、泣きながら謝罪させられたという。
今なお、ハリウッドのユダヤ系白人優位は変わらぬだろうが、『アメリカン・ビューティー』はその系列には入らなかった。
常に正しいはずの白人がなんでこうもボロボロになったかを問う作品になっている。
だが、彼らとて問題はわかっていても、根本矛盾、主要矛盾は解く実力はない。だから晩秋の風に舞う白いレジ袋で表現するしかなかった。
自分たちホワイトは常に正しく、金持ちで、敬虔なクリスチャンで、悪に強いと…。映画やテレビのそうした洗脳を受けたがために、アメリカ人が滅亡に向かって落ちて行くのだ。
『アメリカン・ビューティー』を観て、そのことを確信した。登場人物は、それぞれが自分は正しいとだけ思う、理解してくれないのは他人(家族、上司、隣人)が悪いとなる。だから他人の気持ちをわかろうとすることができなくなった。
これが大帝国の末路の現象形態であろう。
ローマ帝国は同性愛が蔓延して、崩壊の大きな一因になった。アメリカもまた、そうなるのだ。
そしてアメリカ人は、常に嘘を息のように吐く支那人や韓国人と似ていることにも気付かされる。
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