身内がウンコ田舎に住んでいて色々酷い目にあったので呟いているわけで。定年後田舎暮らしで、思いのほか生活費が高くて悲惨だという例を見ているわけですよ。
— めいろま (@May_Roma) 2014, 9月 30
NHKワールドがまた日本のど田舎の郷土料理と田んぼの風景を英語で流している。。。しかしヤバい所は絶対に写さないのであった。(パチンコ屋とかピンパブとかサラ金の看板とか徘徊老人とか)
— めいろま (@May_Roma) 2014, 9月 30
田舎には美しい自然の原風景が残り、伝統文化が息づき、人情がある。というのは偏見であるということは、実際に「ダメな地方都市」に行けばよくわかる。もちろんそういう素晴らしい田舎も日本にはあるし、そういう場所はできることなら移住したいくらいだが、ダメな地方都市は本当に絶望感が漂っていて、少し滞在するだけで首都圏に生きていることの素晴らしさをかみしめることができる。
祖父が他界し、地方都市の親戚の家に2週間ほどいたに痛いほど思い知ったのだった。
まず自然がない。親戚の家の周囲は住宅密集地帯。平均的な神奈川県ベッドタウンよりは悠長でマンションもないものの、アパートはあるし、わずかに田畑があるくらいだ。農家はあるが、母屋は東京にもありそうな住宅であって。郷土固有の建築というものがそこにはない。公園は一切ないようで、整備された自然の割合は都会の方がもっと充実していると思った。
徒歩数分で幹線道路に出れば、そこには地平線の彼方まで巨大パチンコが乱舞している。合間にはパチンコ居抜きでできた仏壇屋やドラッグストアやファミレスや消費者金融のATMなどもある。概してヤンキー好みの店か老人向けの店をメインにした全国チェーンばかりで、情緒がない。ひたすら無機質なのだ。いわゆるファスト風土である。
地方都市は2000年代の大店法改正以降に全国チェーン店が大繁殖したと言われているが、親戚の話を聞いたり店舗の古びた感じから察するにこの街の場合は80年代からこの状態だったようだ。
一方で、根本的に都会と違うことは一目瞭然だ。住宅密集地なのに路線バスがやたらと本数が少なく、鉄道が存在しない。駅前中心街に行かないで人生を完結できるクルマ社会がそこにある。標準語は通じないし、テレビ東京は映らない。外を歩いたり店に行くと「部外者」だとばれて誰もかれもジロジロ私のことを見てくる。
祖父の生前は、盆正月のようなイベントの時期でなければ親戚と会うことはなかった。彼らにとってもそれは非日常の時期である。そのためこういう地方都市に生きる人の「日常」を知ることはなかった。
しかし、親戚の家に寝泊まりして気づいたのは、東京首都圏とは大きく異なる日常世界の存在である。
テレビを見て「陰口」を言うことが田舎の最大の娯楽になっている
葬式がらみの用事がちょうど存在しない暇な日ができた。そこで親戚の「日常」を知ることになった。
夕方、いとこらが職場から帰ってきた。しばらくして伯父も仕事から帰宅。そうすると、叔母もあわせてみな当たり前のようにテレビの前のカウチに座り、並んでテレビ画面を凝視しだした。テレビ離れ何それなシュールな風景である。
(こんな感じ)
それからが酷かった。
まだ夕方でワイドショー(田舎ローカルの話題と全国ニュースをちゃんぽんに紹介している)をやっていたのだが、伯父叔母やいとこらが画面に映る話題にいちいち悪口を言い合うのだ。
例えるなら以下のような調子である。さすがに当時の会話は忘れてしまったので完全な創作だが雰囲気は伝わると思う。
盗撮犯のような下らない事件の容疑者を伝えると伯父は頭を抱えて「バカだね・・・何やってるんだよ・・・」と貶すような反応をぶつける。
エンタメコーナーで芸能人のAさんの離婚を報じれば「こんなダメなやつと結婚するのが間違いだったんだよ」とか叔母が言い、するといとこが嘲笑気味に「違うの。まずAは5年前にも芸人のBと離婚してて、その時の理由がAの金遣いのあらさだったの。つまりAの人格がおかしいの」と"どこから仕入れたのかわからないやたら詳細な負のトリビアによる解説&貶し"を行い、家族全員でわっはっはと盛り上がる。
そんな会話がピークになった頃には時報が鳴って7時のバラエティ番組が始まり、みんな金麦をプシュッと開けている。
この土地では、バラエティ番組ははわが家では一切見ないような、ダウンタウンやとんねるずの出る系統の番組や芸人がクイズを答えあうような番組が好まれているようだった。概して出演したタレントの揚げ足が取りやすい共通点がある。たとえば芸人の自虐ネタとか、おバカ女子の珍回答とか、明らかにヤラセや仕込みや狙ってやってる発言に、家族全員が全力で貶しあって手を叩き、イオンで買った見切り品の惣菜をつつきあったりして、ボケのひどくなった祖母がAKBメンバーを若い頃の私の母親の姿であるかと勘違いしだしたりしていっしょに笑っているのだ。
テレビ番組の質の低下が叫ばれている。ワイドショー番組や情報番組や、タレントが慣れあうだけの番組、貧困層の女性をボンビーガールと称して哂う番組、昭和時代に人気だったタレントの転落劇のVTRを見てスタジオに落ちぶれた本人を引きずりだして糾弾させる番組と、誰かや何かを侮蔑することに特化した番組が数年前から日増しにあふれかえっている。
おそらくそれは、こういう「田舎の親戚」たちが見ているのだと思う。
ちなみに彼らはテレビタレントを批判できるほど立派ではない。伯父はパチンコにハマっていた失業者だったこともあるし、いとこは深刻なイジメを受けたことがある。叔母も四六時中血迷った目つきで家族や地元の人や誰かの誹謗中傷をしながら部屋の掃除をしているようなヒステリー系の人間だ。ハッキリ言って立派どころか並の中産階級に満たない人たちだ。
でも、だからこそ、毎日溜る不満を、全力でテレビにぶちまけているようだった。
そこには地方特有の文化も人情もない。むしろ、地域抜きにまともな文化や情愛が存在していない。血縁関係と惰性でどうにか家族同士が繋がっているものの、それ以外に例えば地域活動に従事しているような社会的な豊かなつながりも見えない。
葬式が済んで以降は祖父母の家を取り壊したので、尋ねる度にこの親戚の家に泊まるようになったが、行くと必ず、伯父叔母が嘲笑し、いとこが負のトリビアをねじこみ、みんなで不敵な笑いを浮かべる流れは必ず存在する。それがしっかり染みついている。多分死ぬまで抜け出せないことだろう。
こういう家庭が地方都市では主流なのだと考えると、地方郊外では標準語を話すだけで誰もかれもにらみつけてくる理由はわかる。あれはきっと、単調で窮屈ながらも嘲笑と憎悪で満たされた地元の秩序を乱す「東京人」の襲来に対する反射的な抵抗なのだろう。
ビッグダディブームはネットの「田舎の親戚化」の象徴だ
そんな「田舎の親戚」とそっくりな空間がある。それが匿名インターネットだ。
誰かや何かを貶す書きこみは、まるで親戚の雑談をそのまま文字おこししたように見えるものばかりだ。それこそ、叩きがいのある話題ほどひどいが、どうでもいいようなほのぼのニュースでさえも粗をほじくりだして罵倒をするような2chやはてなのセンスも、その発想の極端な陰険さが親戚と重なるところがある。
ちなみにいま現在、匿名インターネットで話題となっているのは「ビッグダディの家全焼」のニュースだ。
ビッグダディとは、接骨院を営む大家族のオジサンで、彼の生活する様子を伝えるドキュメンタリーの「ビッグダディシリーズ」は匿名インターネットでかなり人気を集めている。たぶん全国の「田舎の親戚」も視聴していることだと思う。
要するに、格好の貶しの対象なのだ。
私はこの番組を一度も見たことが無い。家族の誰も見てないし、神奈川県の同級生はみんなこの番組を見ていない。東京の街中でビッグダディの会話を耳にしたことはないが、ネット上ではこの話題がやたらバズりがちでニュースサイトなどを読んでいるだけで、すべてが分かってしまった。
ビッグダディは離婚を繰り返している。常に計画性がなく、わけのわからない発言をして奥さんと喧嘩をしたり、お子さんがヤンキー化している。その様子を嘲ることが匿名ネット上での様式美になっているようで、放送がある度にツイッターのトレンドが実況状態になり、2chやまとめサイトは「珍場面」がキャプチャー画像つきで罵られる。
ハッキリ言ってこれは、田舎の親戚理論だと思う。
大家族番組を、本来の鑑賞方法であるたとえば狭いお風呂で大勢の子どもと一緒にイモ洗い状態になって湯船につかったりする様子で「普通の家族にはない非日常感」を楽しむのではなく、そのお父さんの人格攻撃を目的として楽しんでいる時点でそもそもゆがんでいると思う。
ビッグダディ氏自身は犯罪者ではないし、彼が何かをトラブルを起こしても、社会的な損失は何も存在しないし、その辺のネット民やその辺の田舎の家庭にピンポイントでの実害も生じない。しかし、そういう存在を軽々しく貶すことで、憂さを晴らすという流れがある。
こんなものは、匿名インターネットの本質からずれたものである。
かつて匿名ネットは正義感あふれる変態たちの集まりだった
ゼミの担任だった博報堂出身の教授によると2chの本来のユーザは「都会の理工系のロスジェネ世代の男性」に多いとのことだが、それは「田舎の親戚」とはかなり異なる。
2000年前半期ごろまで2chのような匿名ネットは、ビッグダディ叩きのようなことは殆どなかった。むしろ「ちんこ音頭」とか「先行者」(中国の脱力系の人型ロボット)とか田代祭(アメリカのタイム誌による世界で最も影響力のある人物を選ぶネット投票で田代まさしを猛プッシュしたもの)、変態なことやアホなことを見つけては全力で突き詰めていたり、「JOY祭」(居酒屋で悪事を行った客に批判が集まった炎上事件)や「東芝クレーマー事件」のような義憤にかられたものが多かった。
逆に言えば、それら以外には同じ2ちゃんねらー同志でも一致する話題はほとんどなかったし、そもそもネットユーザの大半はパソ通時代からでも2chに無関心だったり無知であった。この時代でネット上で不穏なことといえば私設BBSやチャットで繰り広げられる固定化されたネット民同志の喧嘩みたいなことくらいで、匿名ネットを軸に不穏なバズが発生する世の中になるとは想像もつかなかった。
ではなぜ、現在のようになってしまったのか。私はそれは、2000年代後半のヘイトスピーチ問題に理由があると考えている。
「田舎の中高年ファミリー」と「都会の独身アキバ系男子」をつなげてしまったヘイトスピーチ
2000年代後半、ヘイトスピーチが社会問題になった。
いまや韓国人排斥デモの参加者は、ネット世代の若者だけでなく高齢者にもいるという。
ヘイトスピーチが高まるきっかけとなったのは、この問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏などの指摘によれば2002年日韓ワールドカップ以降2chで広まった嫌韓ネタであるとされているが、一方で「田舎の親戚」層にも着実に広まっていたと思う。
たとえば「やしきたかじんのそこまで言って委員会」は、大阪を中心に首都圏以外の地方各地で放送している。故たかじん氏が東京嫌いだから首都圏では見られないようになっているそうだが、内容は保守派的で、タブーなきスタンスから「右翼番組」と揶揄されることもある。
内容を見てみると、基本的には2chのニュース系の掲示板と同じ話題を引っ張り、2chのスレにありがちな一本調子の流れと同じような発言をコメンテイターが繰り広げている。「貶しがいのある話題」である芸能ゴシップネタや韓国批判が多い。
2chでは2000年代中ごろあたりまでにじわりと「たかじん委員会は神番組」と引用される風潮ができていた。それはペヨンジュンブーム全盛期に染まっていた地上テレビで唯一韓国批判をやっていたからだ。
このたかじん委員会には、右派系政治家も多く出演している。それはネット右翼が匿名空間で支持をする政治家でもある。彼らの政治集会や講演会はヘイトスピーチ団体や関連団体のサイト上で告知されている。
あるたかじん委員会出演メンバーは、ヘイトスピーチ団体を「いいこともしていた」と評価し、スタジオの出演者や司会者らは特にいさめるコメントはしなかった。別の放送回では、この団体の元副会長が新たに立ち上げた右派団体の主宰者という肩書きでゲスト出演し、スタジオには山谷えり子国家公安委員長と写真を撮ったことが問題視されている元幹部の姿もあった。
前述の私の「田舎の親戚」は、2chで嫌韓ネタが蔓延した頃は全く韓国に無関心だった。中国との区別もついていなかった。
しかし、2000年代も半ばになると、とたんに嫌韓をむき出しにするようになった。大阪でしか方法されなかった「たかじん委員会」が地方中に蔓延した時期だ。この頃東京神奈川の大人はやはり嫌韓とは無縁だったから、「ネット上の匿名空間にしかない嫌韓」に田舎とは言え普通の大人(少なくとも右翼活動家ではない)たちが染まっていることが私には不気味に思えた。
別の伯父叔母を含め、田舎の親戚は年々、典型的な嫌韓にハマるようになっていった。まるでネットの受け売りのような内容で、彼らの生活が苦しくなるほど、韓国人への憎悪が激しくなり、表現が陰湿になり、嫌韓や芸能人貶しなどの話題の割合ばかり増えていき、明るい話は一切しなくなってしまった。
そして、2014年である。東京だけでなく全国各地にデモは展開し、ヘイトスピーチは国会や新聞社、はては国連が話題にするような立派な社会問題になった。一方で、自国を過剰に持ち上げて韓国を貶す愛国ポルノは週刊誌・夕刊紙などに蔓延している。ネット上も相変わらずだが、ネットの罵詈雑言の書き込みよりもドライブ中やテレビを見ている時の田舎の親戚の会話の方が酷いときもある。
そしてデモの現場では独身でオタク風のロスジェネ男子と、地方から参集した方言丸出しの60がらみのおっさんが、一緒に行進を繰り広げ、ネットベースの若手のネット右翼団体と田舎の自営業のおっさんが設立したような市民活動系じみた右派団体が協賛組織として実行委員に名を連ねているのだ。
貧困な憎悪は伝染する
2000年代前半までは相いれない存在だった「田舎の親戚」と匿名ネット民をつなげてしまったのはヘイトスピーチだったのだと私は思っている。
ヘイトスピーチ問題に取り組む政治家やジャーナリスト・学識経験者・カウンター活動などの人たちは、それはけっして特殊な人たちではないことだと考え、普段は世間にまぎれながらもわがままで稚拙で鬱屈した貧困精神ゆえに憎悪に傾斜した「田舎の親戚」や匿名ネットの住人たちの存在がデモ隊の後ろにそびえていることを意識すると活動がより捗ると思う。
そして、あなたが今の時代、これからの時代をマトモに生きていくには「田舎の親戚」やそれと同化したネット民のような属性をいかに自分の周りから遠避け、自分が彼らと同じレベルに陥らないような努力し続ける必要があるはずだ。
憎悪は伝染する。それをいかに防ぐかが重要なのだ。