2014-10-05
■5分でわかる『容疑者X』論争
『容疑者X』論争といって、「ああ、あれね」とうなずく読者のほうが多いのか、「何それ?」と疑問に思う読者のほうが多いのか、よくわからない。
一言でいうと、『容疑者Xの献身』(以下『X』)という作品をめぐり「本格ミステリであるか否か」が争われた論争ということになる。なるのだが、参戦プレーヤーはじつに20名弱にのぼり、規模だけでいえば文学史的にもかなり大きな部類に入るうえに、争点が複数入り交じっていて一筋縄ではいかない。
全部を紹介することはできないし、書誌なども詳細は省かざるをえない。データについては、『X論争黙示録』というサイトにアーカイブがまとめられているのでそちらを参照していただきたい(小田牧央制作)。じつのところ、このサイトと、千街晶之の総括「崩壊後の風景をめぐる四つの断章」(探偵小説研究会編『クリティカ』第2号、07年8月)を参照すれば、いま書かれつつあるこの駄文はまったく不要といってよい。筆者はこの論争について言及する資格をあからさまに欠いているのだが、部外者的な視点でまとめることを要請されたようなので、初心者向けガイドのつもりで整理してみることにしたい。
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発端は、ミステリ作家の二階堂黎人が自身のサイト「二階堂黎人の黒犬黒猫館」に、『X』は本格ではない、なぜなら作者が真相への手掛かりを恣意的に伏せているからだ、本格の定義も満たしていないこの作品を、にもかかわらず、本格系のミステリ評論家連中は雁首揃えて「今年の本格の収穫」「優れた本格」などと持ち上げている、ゆゆしき問題だと書いたことだった(05年11月28日)。二階堂の『X』批判は、『このミステリーがすごい!』、『新本格・ベスト10』の双方で『X』が06年度の1位に選ばれたことを挟んで断続的に続けられたが、すぐに、誤読ないし読み逃しであるとの指摘が出されて失効した。それもあってか、二階堂の論調は次第にミステリ評論家に対する批判へ重点がシフトしていった。
続いて、『ミステリ・マガジン』06年3月号が「話題作を通じて第三の波の今後を問う 現代本格の行方」という誌上討論を企画、二階堂と笠井潔の論評を載せた。笠井はまず『X』について、難易度は低いが「一応のところ本格探偵小説」であると評した。笠井のこの言をもって「『X』は本格か否か」という発端の問題には事実上ケリがついてしまったのだが、誌上討論はその後も、いろいろな作家・評論家の論を載せながら06年12月号まで続けられた(全10回)。
笠井の批判の主眼は「『X』が本格か否か」とは別のところにあった。難易度の低い「初心者向けの作品」を「探偵小説の鬼」といわれるような作家や評論家、読者が絶賛している異様な光景にこそ「真の問題」はあるというのだ。この後いくつかの誌面で「真の問題」をめぐって壮大な論考が発表されることになる。こちらがむしろ『X』論争の本体といったほうが適切だろう。主要な論文は『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』(南雲堂、08年)に収められた。
乱暴に要約すると、『X』は読者をネオリベラリズム的に「ゾーニング・フィルタリング」する環境管理型社会の模型のような「探偵小説の精神を喪失した抜け殻」であり、このような「危機[クリティック]」を見過ごす評論家は「批評家[クリティック]」ではなくコメンテイターにすぎないというのが批判の主旨である。と書いても何のこっちゃわからないだろうが、本書を買い求めるような善良な東野圭吾ファンには詳述しても了解不能な問題設定と論理構成であろうと思われる。ともかく笠井は、『X』と『X』絶賛に、本格が滅びる危機的兆候を見たのだ、と理解していただきたい。
『ミステリ・マガジン』に戻ろう。発言者17人、延べ24本の論が載っていて要約は不可能だが、二階堂の説に同調したのはつずみ綾だけ(第3回)、他方、笠井の『X』=ネオリベ本格説に同調する者も小森健太朗だけで(第3回、ただし留保付き)、その他の論者は、『X』をいちおう本格と認めたうえで、評価する理由しない理由を述べつつ、二階堂説、笠井説に疑義を呈するという状況だったと整理できる。
笠井説へ積極的に異論を唱えたのは、有栖川有栖(第6回)、蔓葉信博(第8回)、佳多山大地(第9回)、それから『ミステリ・マガジン』外になるが千街晶之の四者である。論調はめいめい異なるが、根のところはだいたい通じている。千街は笠井説が支持を集めなかったのは「『容疑者Xの献身』の特異性を強調する余り、この作品とそれまでの本格ミステリのあいだに存在する伝統の連続性を少々軽く見過ぎたことに最大の原因がある」とした(『クリティカ』第2号)。
笠井は「誌上討論」最終回で、これらの反論に応え(千街は時間的に後発なので除く)、『X』が示す「危機」に無自覚な評論家たちを「コメンテーターでしかない」と斬って捨てたわけだが、二階堂の評論家蔑視的スタンス、有栖川の「評論は、小説の前には立てない。立たない」(第6回)という主張と絡み合って、批評そのものをめぐる論争が派生する。批評論争については、千街が先の『クリティカ』で、千野帽子*1と円堂都司昭*2がウェブで議論を進めたが結論が出たわけではない(というより結論が出るような性質の問題ではない)。
『ミステリ・マガジン』の「誌上討論」終了後、二階堂と笠井はこの問題から距離を取ったようだ。前出『クリティカ』における千街の総括を読むと(その歯に衣着せぬ批判ぶりから本格界隈では「黒千街」と呼ばれたそうな)、『X』論争は、笠井の探偵小説研究会脱会(07年4月)をはじめ、本格ミステリ業界にそこそこ大きな遺恨を残したように見受けられる。
論者個々の『X』読解には「なるほど、そういう読み方もあるのか」と傾聴に値するものも少なくなく、その意味では空騒ぎめいた『X』論争にも得るところはあったのだが、本格の危機への憂慮から始められた論争が、本格(業界)のはらんでいた危機をかえって露呈させてしまった、というのが論争全体を眺めたときの印象である。
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