(2014年10月3日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領〔AFPBB News〕
イスタンブールは魔法のようなエネルギーを少しも失っていない。だが、トルコは地政学的な羅針盤をどこかに置き忘れてしまった。
今から数年前、レジェップ・タイイップ・エルドアン氏が率いる政府は東の方を向いた。トルコを欧州連合(EU)から締め出しておく気の欧州に蔑ろにされ、トルコは中東情勢を左右する大国としての自国の地位を高らかに宣言した。
近隣諸国とは一切問題を抱えていないと、政府のスローガンは謳っていた。トルコは、アラブの反乱から姿を現わすイスラム教民主主義国にとっての模範になるはずだった。
変わる中東情勢、賭けに負けたエルドアン氏
活気あるイスタンブールの街頭のシリア難民は、別の物語を語っている。機会に満ちた地域は混乱地帯と化している。すべてが始まったチュニジアを除き、民主化の春への崇高な期待は消え失せた。エジプトは独裁政治に戻った。リビアは破綻国家になり、シリアは血みどろの戦場になった。エルドアン氏はすべての隣国と問題を抱えている。
国外の問題に対抗するように、国内では権威主義が強まった。エルドアン氏はトルコで最も人気のある政治家であり、今夏の首相から大統領への転身は圧倒的多数で承認された。だが、エルドアン氏の忠誠は、自由民主主義ではなく、むしろ多数決主義に対するものだ。
巷では、政府は自らの被害妄想に苦しめられているとささやかれている。イスタンブールのゲジ公園で昨年起きた抗議行動の後には、メディアと産業界に対する締め付けが強化された。
ケマル・アタチュルクが築いた世俗国家は日ごとに世俗的でなくなっているように見える。スンニ派とシーア派との間の信条的対立によって引き裂かれた地域で、エルドアン氏はますますスンニ派至上主義になっているように思える。
時としてオスマン帝国のカリフへの郷愁の香りが漂ったものの、元々の外交政策の野心に大きく間違ったところは何もなかった。ある程度の尊大さを除けば、民主主義とイスラム教を調和させたトルコのやり方が他国の多元的政治の見本として機能し得るという考えも、特におかしなものではなかった。
だが、エルドアン氏は、シリアのバシャル・アル・アサド氏の転落とエジプトのムスリム同胞団の成功にすべてを賭けた。そして、内戦と軍事クーデターに敗れた。