コンテンツを価値あるものと考えれば考えるほど、
読者の情報ニーズから乖離していく背理がある。
本稿は、コンテンツ中心主義に対し、
新興メディアらの背景にあるサービス中心的思考に着目する。
米テック系メディア GigaOM の常連寄稿者 Mathew Ingram 氏が、米国で成功裡に成長を続けるいくつかのメディアに共通する思考を取り上げています。
「One secret to the success of Quartz, BuzzFeed and Gawker: They look at news as a service(Quartz らメディアの成功の秘密:かれらはニュースをサービスとして考えている)」がそれです。
その思考とは、メディアビジネスをコンテンツ中心で考えるのではなく、サービスを中心にとらえようというものです。
Quartz、Gawker、BuzzFeed、そして Tumblr。これらは共通して拡大しているのだが、それらに共通するひとつの事実に突き当たった。かれらは、自ら行っているビジネスを、コンテンツをつくりだし人々に届ける、というものから、ますますサービスとして考えるようになっているのだ。
その違いを説明するのは専門的だったり抽象的だったりと難しい。だが、違いは明瞭だ。たとえば、New York Times のような多くの老舗メディアは、この理解に大きく失敗したり、あるいはこの考えに適合するのに時間をかけすぎている。その失敗はかれらにとり取り返しのつかないものになりかねない。
Ingram 氏は、では“サービスとしてのメディア”とは、具体的にどのような姿をなしているのか明示していません(論の最後に、そのヒントを掲げていますが、それは後ほど触れましょう)。
そのため、代わりに、やはり辛口の批評家・ブロガーである Jeff Jarvis 氏の主張を紹介しましょう。
実は“コンテンツ対サービス論”は、Jarvis 氏の従来からの主張に源泉があります。論点を平和博氏が格好の紹介をしています。
「『ニュースはコンテンツでなくサービス』ジェフ・ジャービスの処方箋」です。
ニュースは本当にコンテンツビジネスなのだろうか? 疑問の余地はないか? 自分たちをコンテンツのクリエイターだと思い込んでしまうと、おそらくは落とし穴にはまり込む。
私たちがいるのがコンテンツビジネスでないとすると、何ビジネスだ? ジャーナリズムをサービスとして考えてみよう。コンテンツは何かを満たすためのもの。一方、サービスは何かを達成するためのものだ。サービスであるなら、ニュースは製品としてより、その成果から評価すべきだ。ではジャーナリズムの成果とは? それならわかりきっている:人々や社会が、よりよい情報を手にすることだ。
Jarvis 氏は別の論で、2005年、米東海岸を襲ったハリケーン カトリーナ災害を例にとり、同氏がその時点で最も必要としていた“ニュース”が手に入らなかったことを振り返っています。
それは、たとえば、市街のどこが停電していて、どの道路が封鎖されていて、どのカフェが開店していて WiFi が使えるのか、といった情報だったとしています。
些末事と笑うなかれ。少なくとも Jarvis 氏がジャーナリストとして活動するために喫緊の情報がメディア(ビジネス)からは得られず、ソーシャルメディアを通じてしか手に入らなかったのです。
※ Jeff Jarvis氏の論は「『メディア』はFacebookから何を学ぶのか?——“リレーションシップ・ビジネス”へのシフト」でも取り扱いました。
Ingram 氏の論に立ち返ると次のよう箇所が目につきます。
多くのメディア企業は、読者(あるいは“顧客”)ファーストに考えることに馴れていない。
ジャーナリストはしばしば、自らの仕事を、自分たちが重要だと、もしくは適切と考えていることを読者に伝えることであり、読者らが最大限に必要とする、望んでいることを提供するより重要だと考えているように見える。
自らを偉大なコンテンツクリエーターと見なせば、教導的な姿勢が勝ってしまい、読者が、時に作品的価値より利用価値の高い情報を求めることに鈍感になるばかりです。
しかし、Quartz、Gawker、BuzzFeed、そして Tumblr などには、メディア、ジャーナリズムが、読者(顧客)ファーストへと転換するヒントがある、というのがこの論のポイントです。
そのひとつに、Gawker Media が仕掛けるユニークな試みであるコメントプラットフォーム Kinja が例としてあげられています。
Kinja は、コメントシステムでありブログプラットフォームでもあり、Gawker の読者は Kinja を使い、意見を投稿できるのはもちろん、自ら記事に関するディスカッションを主催したりできます。
それは、(記事の)書き手と読者の活動する場を著しくフラット化するものですが、ジャーナリストやメディアの幹部たちは、このようなアジャイルで反復的であるようなメディアの思考に馴れていないとします。
もうひとつ例があげられています。それは New York Times の新しいニュースアプリ NYT Now です。
New York Times にでさえ進化へのヒントはある。NYT Now のようなアプリにはこれまでとは異なる要素がある。段階的ではあるが、アプリのトップ画面に他社のコンテンツへのリンクを置くといった取り組みが見えてきた。
同アプリは、自社コンテンツとは異なるタブとはいえ、他社コンテンツも紹介する試みを行っています。編集スタッフが、自社コンテンツと他社コンテンツを選ぶという点で、キュレーションメディアの初期段階にあるものと受け取れます。
※ NYT Now のアプローチについては、「ペイウォールの“次”/NYT の模索から」 で詳しく取り扱いました。
よく考えてみれば、Ingram 氏が例に挙げた Quartz、Gawker、BuzzFeed、そして Tumblr の4つのメディア(あるいはメディアプラットフォーム)には共通するアプローチとして、自社・他社の区別なく読者の求める情報を適切に提供するという、サービス的スタイルがみなぎっています。
自ら創り出すコンテンツのみで完結するような、コンテンツ中心的思考から、読者が求める情報サービスへと、業態を変化させようとする動きが老舗メディアの中枢にさえ及ぼうとしているのです。