批判ということ
私は松本さんのファンである限りにおいては、もしくは自分である限りにおいてはある程度批判に晒されるのも仕方のないことだと思っています。
彼は時々表現が人によってはきつく感じられる時もあると思うし、時には生意気だと思われる様なことも言う。
誤解されることも少なくはないというのは百も承知でファンをやっています。
自分自身においては私は完全な人間ではないし、理想的なファンでも人間でもない。
立派なことも言えないし、書くこともできません。
だけど。。
たとえばセトリがマンネリ。
コンサートで同じ曲目が並ぶことに対してそういう意見が出る。
あるいは批判が出るのはある程度仕方のない部分もあると思う。
たとえばそれは今なら、実際にコンサートでその曲を体験する人数と、それをDVDで鑑賞する人間の間では相当数の開きもあると思うし、コンサートでそれを初めて経験すれば改めてその良さを実感できる人数も今は多いのだと思うし、DVDでいつも見ていればまた同じ、そう思う人がそれより多くいても不思議ではないと思いますし、ある意味今嵐が抱えている悩みでもあるのだと思っています。
だからセトリ批判というものが起こることがあっても、それで紺隊長である松本さんがそのことで批判を受けることもないことではない、と思っています。(これはつまり批判に同意する。そういう意味ではありません。)
自分がその批判に対して怒りを覚えるのは昨夜の記事にも書きましたが、たとえばそれが松本さんのドラマの主題歌であるから、松本さんの自己満足のためにセトリに必ず組み入れてるからだとか、そのファンである自分たちも”松本さんの曲が入ることが当然と思っている”ずんクンの曲だから当然でしょ?みたいに思ってる”
そのように中傷されること。
私は彼は純粋にコンサートの曲をその時々のテーマであったり、そのコンサートの流れだったりを考えながら作っているのだと思っています。
”誰の曲”だからどう。。ということではないと思う。
さらに言えばコンサートは彼1人で作っているものではないと思うし必ずチーム嵐の合意、あるいは総意のもとで制作されて初めて世に出るものだと思う。
だからこそ●●くんの曲がないのはおかしい、挙句の果てに嫌がらせくらいに書かれているのは非常に残念に思うし、これは誰々の曲みたいに言うメンバーがいればそれは違うと思うし、そのためにそういう言い分をしたメンバーのファンが結局はそういう批判をする流れに今はなっていると私はとらえています。
私が不信を抱いたのはその点。
嵐の曲は嵐。あるいはチーム嵐の作品である。
ここをきちんと揺るがないものとして提示することが私はグループのリーダーの役割だと思う。
そこに誰のドラマの主題歌であるからといってそこに私物化の余地はないと思う。
なのでそのあたりの言動、もしくは思考。そこは正さなければ本来のコンサートを楽しむということからはずれた解釈が横行するのではないか。
私が危惧して伝えたかったのはその点です。
作品をどう解釈するかについては各人の自由だと思いますが、作品が誰のものか。そこは一線を引くべきところでしょう。
これは今個人活動が多くなっているグループのアーティストとしては一見些細なことに見えたとしても重要なこと。
だからあえて自分は”同じことをしている”
そう言われても踏み込んで行きたかった点です。
ライブは嵐の大事な生命線。
守るべきは守る。
何が最低ライン守るべき言動のルールなのか?それを考えることもグループのファンとしては私は重要なことだと思います。
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今日は てんどんさん お風邪大丈夫ですか 最近の風邪 なかなか治りがおそそうで 早く良くなるといいですね
セトリ の話 コンサートやるたんび DVDでるたんび 色々出ますよね わからないんでもないですけど
難しいですね でも曲選びには意味があるんだと思います その コンサートの趣旨の世界観に合ったものを選んでいると思います 以前コンサートの時の雑誌で 筆者の人がそのことについて書いてあったんですけど 言葉については思い出せないですけど なるほどと思った記憶があります 抽象的ですいません ただおっしゃるように 松本さんの曲だから選んでる OO君の曲が入っていない そんな低次元のことを言うのが 何か あほらしいというか たしかに曲を聞くと ドラマや映画のシーンを思い出しますけど それはドラマ自体が大ヒットしたからで これは嵐に限らず 有名な歌は 皆同じように情景がうかびます アイドル とくにグループのファンとは厄介ですね 前におっしゃっていましたけど そういう人達は 自分の好きな人が 目立って 歌っていればそれでいいんでしょね (目立つ目立たないは オーラの問題ですけど)
コンサートは一人の意見で作れるものでは ないことは 普通の人間ならわかること ほんとに ライブは嵐の生命線 わけのわからない文句は スルーして ますます進化していってほしいです
投稿: ヨッコ | 2014年10月 5日 (日) 16時30分
セトリについてというかその不満については。おそらくそれってこのネットで書くには多少限界があって。。
言えるのはたぶんそれは発信する側と受信する側の本来は問題なんですよね。
その曲を通じて何を感じられるか。
私は松本さんのファンで彼はいつでもそこにある表現の意味を吟味して見せてくれているから特に不満に思ったことはない。
だけどもしかしたら違う立場から見たら不満。 そういうこともあるんだろうなって(あえてハッキリ書きません。)思うことがあります。
私いつも思うんですけど。。
たとえばあるメンバーのファン(あえて誰かは伏せます)から私に対して批判的なコメントが来るんですよ。
で。正直こちらが答えるにはあまりにも一方的過ぎる話なので答えようがなかったりします。
そうすると”逃げた”大体そういうことを言ってきます。
相手が自分の期待に添った答えをしないとやはり一方的に相手が”悪い”
そういう言い方をして捨て台詞のように去って行きます。
つまり何が言いたいかと言うと”自分が相手に本当に伝わる言い方”であるとか”相手を考えたものの言い方”ができていない自分というものを省みることなく相手の話に耳を傾けることなく喧嘩を売って去っていきます。
そういう人はまず感情的で興奮した状態のままで来るから文章自体に礼儀も礼節もありません。
それではまず社会的に受け入れられるのは難しいだろうなって思います。
自分もそんなに立派ではないですけれど。。
もっと自分を振り返った方がいいんじゃないのかな?ってそういう時に思うんですよね。
そういう人が主に不満を述べている印象です。
なので。。
不満っていってもみんなのために本当に取り上げるべきものなのかその人自身の問題なのか。
そこをまず見極めることも大事な作業なのでは?と私は思います。
投稿: てんどん | 2014年10月 5日 (日) 17時13分