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「モテたい」という欲求は、究極のナルシシズムである。

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photo by Simon & His Camera

何故「モテたい」のか?

異常なくらいにモテたいと主張をしている私だ。
何故そこまでモテたいのか?

そもそも「モテたい」とは

まれに愚民共はこう言う。

カス「好きな人から好かれれば良くない?」

こう言う人間は「モテたい」という言葉の意味を全く理解していないのだろう。
言葉の意味を理解できていないということは、「モテたい」と思ったこともおそらく無いのではなかろうか。

何故「モテたい」と思うのか

▶モテたい≠愛されたい

モテたいと言うと一見多くの異性から「好かれたい・愛されたい」のだろうと勘違いをされやすい。
しかしこれは大きな間違いなのだ。
では、一体なんなのか?

自分がいかに性別的に優れているかを認知してほしいからである。

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いわば究極のナルシシズムと言ってもいいだろう。
1.いかに自身の容姿は優れていて、2.魅力(性)的なのか………ということをより多くの人に知ってもらいたいのだ。
自己完結で終わらせてもいいのだが、しかしそれではただの勘違いクソ野郎になってしまう。やはり周囲に知ってもらわないと社会的に息をしづらいだろう。

ドロドロな汚い欲のように思えるだろうが、深層心理を追求すれば上記のような感じになる。こういうふうに言葉にし、文字にするとなんだかオーバーに感じるだけなのだ。
恋愛だってお互いのわがままをぶつけあい、相手を縛り、満たされるまで求め続け、ネガティブな面だけを文字に起こせばなかなかの闇になる。

「モテたい」だって、ポジティブな表現をすれば前向きな欲求になるのだ。

私の考えた「モテたい」のすごいところ

▶「モテたい」とは、生きる源である。

これは私の中で大部分を占めるエネルギー源である。
大部分……いや、これがすべてだ。

私はモテるために生きている。
モテるために努力をしている。

「モテ」が待ち受けている。
そう信じているから勉強も頑張れるし、仕事も頑張れるのだ。
私が今働いているのも、無事社会復帰を果たしたのも、その先に「モテ」があると信じているからである。

思えば、小学校6年生頃から初詣でのお願いごとが「今年こそモテますように」であった。
今年も私はそう願った。もちろん、来年もそうお願いするつもりだ。

▶「モテたい」思考は、人をポジティブにさせる。

「モテたい」という思考は、ポジティブの象徴と言って良いだろう。
一見バカでアホだと非難されがちで理解もあまりされないが、この欲求はストレートだ。迷いも無い。闇も無い。ゴールもわかりやすい。非常にシンプルだ。
人を不快にさせる要素が少ないし、人が不快にならないならば自分が不快になることもない。
自身の心が不調に陥る恐れも無い。
しかしあまりに度が過ぎると、やはり人道を外す可能性も無くはないのであくまで娯楽程度に考えたほうがいいかもしれない。

まとめ

どうやったら彼氏ができるか皆さん教えてください。


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