かすてらすねお。(非日常編)

見聞録的ななにか。

なぜ技術者コミュニティに学生が来ないのか

浜名湖OSC2014にスタッフとして参加したところ「学生もOSCでLTしてよ」と言われたので、学生向けにドキュメント翻訳ネタで準備していざ発表するぞ!と思ったら、学生が両手の指の数より少なかったorz

 

普段の自分はTwitterに生息していて、同期や後輩、学内の関係者、地元の知人などと繋がっているので適当に何度かツイートしておけば数人ぐらい来るだろう、と思っていたのが甘かった。

ソーシャルで怠けていた自分も自分なので、来年度は母校や学内でリアルで宣伝してスタッフ参加、一般来場参加をアピールしようと思う。オープンソースカンファレンスだしオープンにやろう。

ソーシャルの広報も決して無力ではないはずだと思うので、他のコミュニティの宣伝方法を調べながら積極的なPRの方法を考えて取り組んでいこうと思う。

 

こんな簡単な反省で筆を置くのはつまらないし、プライドが許さないので、もっと深く考えてみようと思う。

なぜ技術者コミュニティに学生が来ないのか。

  1.  広報の問題
  2. コミュニティの問題
  3. 学生の問題

ここでいう技術者コミュニティとは、技術的な事柄に関する勉強会や読書会、イベントなどを指す。

問題は大きくこの3つに切り分けられる。1の広報の問題は先ほど反省した通りだ。2はそもそもコミュニティがクローズドな場合の問題だ。オープンソースに関係するコミュニティはオープンな気風が存在するのが前提と考えて良いだろう。学生を受け入れる体制は万全である。残るのは学生の問題だ。

  1. 情報が入ってこない
  2. コミュニティに参加しようと思わない

1は有り得ないと思う。10年前と比べれば欲しい情報を瞬時に手に入れられる環境にある。現在のオープンソースに関係する情報系の学生の大半はTwitterその他を使いこなす。ちょっと都市圏のエンジニアなどをフォローすれば、たまーに技術系イベントや勉強会の情報が流れこんでくるはずだ。僕をフォローしていた人には若干圧力めいた言い方になるけれど、「見たことがない」「知らなかった」なんて言えないはずだ。

静岡県の公式サイトによれば、静岡県に存在する国公立大学のうち情報系は9つ存在する。学生の数は、1つの学科に100人いるとして院も含めれば4000人いる計算になる。4000人もいれば誰かが必ず情報をキャッチしているはずだ。でも実際は両手で数えられる程度しか来なかった。つまり、「知ってるけど行こうと思わなかった」学生がほとんどだったと考えられる。

だとすれば2だ。なぜ技術者コミュニティに行こうと思わないのか。

  1. 意識が高い
  2. 老害がいる

1は同世代間の問題、2は異世代間の問題だ。人間関係への意識の顕現と言っていい。

意識など高くない

今の学生にとって、大学で講義を受けるだけでなく、たくさんバイトを掛け持ちしたり、サークルでボランティア活動をしたりする。そんな当たり前に想像される活動が「意識が高い」などと言われるのだ。真面目に講義を受けているだけでも「意識が高い」などと言われたりすることもある。はっきり言って異常だし、僕は憎んでいる。

原因は分からない。相対評価で様々な活動に積極的に取り組むことが持て囃されるなかで、そうした活動自体が疎まれるような環境を経験したゆとり世代だからか。リーマン・ショックの就職難に直面して、そういう意識が膨れ上がっているのか。しかし、原因はどうあれ、現状として学業外の活動が「意識が高い」と言われ疎まれることもある環境であることには変わりがない。

地元の開発者コミュニティに参加する。プログラミングのアルバイトをする。イベントのお手伝いをする。どこが意識高いのか。情報系の学生として、自分と間接的に関わりのあることとしてコミットできないのがおかしいんじゃないか。自分が将来公務員になろうが、営業職になろうが、銀行員になろうが、そういう個人的な事情を問うているのではない。情報系の学生という身分の体面としての問題である。

老害などいない

老害という言葉を、実は初めて使う。見るからに使用者の評判を貶めるような字面をしているからだ。割と最近の俗語だと思っていたら、Wikpediaに2008年12月から記事が存在していたようだ。おそらく、概念としては昔から存在していたかもしれないが、近頃頻繁に目にするようになったので、ここで槍玉に上げるために使った。

老害とは、高齢者に対する蔑称である。ある組織に長期間所属した人間が意識的、無意識的に関わらず既得権を得るような状態を指して「老害化する」という言い方もある。技術者コミュニティは多く社会人によって構成され、分野によっては50代以上の人間がいたり、20~30代の若い人間のみで構成されることもある。学生が技術者コミュニティに飛び込もうとする場合、このような環境でコミュニケーションを行うのは必然だ。

ふつう、何もない状態からコミュニティを作るとき、初めは誰もお互いの事を知らないし、メンバーを差別する要素など何もない。しかし、学生は年齢差だけで身構える。2,3歳違いでも身構え出す可能性すらある。そこに老害的な何かが渦巻いているのではないかと勘繰る。しかし、コミュニティは常に居心地の良い空間であるべきだ。居心地の良いコミュニティでは、メンバーは誰でもコミュニティの改善を主張できる。それすら許されない状態だと疑るのである。コミュニティは流動的でないと懐疑するのだ。

では、何のために学生が来るのか?「コミュニティに新しい風を」とか、そういう綺麗事を言うためではない。今大学で何を教えているのか知りたいとか、何が学生の間で流行っているのかとか、いいことかもしれない。でもそれだけじゃない。社会人視点では見つからなかったコミュニティの問題点を、学生なら見つけられるかもしれない。新しく来た人の目は、コミュニティを居心地良くするために手がかりになりうる。老害がいるかどうかなど、問題にならない。

補足:こう書くと「お前は本物の老害を見たことがない」と言われるかもしれない。見たことはある。そこに新しい風が入ってきて、老害が実は老害ではなかったことが判明する経過を見たことがある。詳しく書くのは控える。コミュニティを変える気のない本人の問題を、他人の問題にすり替えるんじゃない。

まとめ

来年の浜名湖OSC2015スタッフ、誰か一緒にやろう!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

追記(2014年10月4日)

妄想乙的なコメントがついたので注意しておきますと、

これは、学生のイベント・コミュニティ参加が無い問題の要因は主に広報ある事を認めた上で、「ぼくのかんがえた学生のもんだい」を長々と書いた記事です。

ですから、イベント・コミュニティで起こる問題を学生の責任にしよう、などという内容ではないことを念押したいです。