訓練を兼ねて毎年行なわれているもので、車両14台で到着した90人の隊員らは、命綱をたよりに石垣などから長く伸びた雑草を刈り取っていました。
あすは天守閣などの清掃作業が行われる予定で、綺麗になった和歌山城がお目見えします。
(黒柳)すごく可愛い。
15歳からバスの車掌さんをしていらっしゃいました今日のお客様です。
本当に長いことお仕事もしてらっしゃいましたけど本当にお可愛らしいと思います。
浜美枝さん今日のお客様です。
どうもどうも。
しばらくでございました。
しばらくでございます。
よろしくお願いいたします。
どうも。
去年70歳におなりだとか…。
15歳から働いてらしたんで随分長いことお仕事をしてらしたっていうことになります。
でも先輩ですから。
黒柳さんのほうがはるかに。
今日のお客様は今箱根にお住まいでいらっしゃいまして箱根の中の素晴らしい空気を吸いながら生活していらっしゃる方が今日のお客様でいらっしゃいます。
よろしくどうぞお願いいたします。
この前いらした時に「これから箱根に住むのよ」って仰っていらしたんですね。
そうでしたね。
あの箱根の家ねあなたがほらまだ子供小さい時に全部連れて古い日本の…古民家っていうんですか?ああいうのの木を探しにいらしてたのはもう随分前ですよね?もう何十年も…ええ。
あのお家は?今現在おかげさまで住み始めて40年になるんですけれども子供たちはもちろん巣立って社会人になっておりますのであそこをギャラリーとして色んな展覧会…。
これが…あらーすごい。
12軒を1軒にして。
12軒をね古民家…随分日本中を歩いて古いもう…何ていうの?立ち腐れではないけどなんかひどくなってるところから木を探して。
でも本当にいい木使ってたのね昔のお家は。
でもこれ普通の農家の…。
普通の農家?へえー。
どちらかといえば豪農ではない。
あっ豪農ではない?ない。
そういう家を12軒。
一木も捨てないで全部再生できました。
でも10年ぐらいかかったんですって?全部お家にこういうふうにお造りになるのに。
そうですね。
すごい素敵ね。
今でこそ古民家再生という言葉が普通にあるんですけど当時40年前はそういう言葉もなかった時代…。
でもあなたここに住んでらした時お掃除とかなんかすごい大変だったでしょ?結構運動になります。
今でもね。
でもだんだんできなくなりますけれども。
そうよね。
でもここを今ギャラリーにしていらしてなんか随分色んなことをやってらっしゃるのね展示会とか。
そうですね。
絵の展覧会やったり色々…。
落語の会とか?落語の三三師匠の…。
それからテーブルウエア展みたいなのとか。
それから鶴太郎さんの展覧会も。
あっそうです。
そうですってね。
やってらっしゃるんですってねいつも。
あれだけ広ければ随分ね。
そうですね。
日常の空間の中での展覧会というとまた雰囲気がちょっと変わりますんでね。
段があったりして色んなね変わってるところでできるので。
でそこにはこの方今お住まいでなくてそこ息子さんが今ギャラリーやってくださって…。
住まいはもちろんそこの中の一角で住んでるんですけど…。
中の一角なの?あなたは。
はい。
息子夫婦が今主体になってやってくれております。
じゃああなたは小さいとこに住んでらっしゃるというのはあの中の小さいところなの?そうです。
東京を引き払う時になるべく掃除も簡単にコンパクトに暮らしをと思って増築をしたんですね。
あっ…増築をしたの?そこの部分だけ。
台所とリビングと仕事場…。
ですからパソコンしながら後ろに洗濯機があって洗濯しながら干して。
お風呂場も家族が多い時には温泉だったもので大きかったんですがそれも掃除が大変なので小さなユニットバスにして。
あっそう。
掃除が楽になりましたし。
じゃあお一人でとても悠々自適に?そうです快適ですね。
快適。
自分のスペースは自分で使えるので…。
お子さん4人いらしたんだっけ?はいそうです。
そうでしょ。
男の子2人に女の子2人って仰ってた。
もうみんな随分大きくなったでしょうね。
もう大きくというかね本当に上はたぶん40歳ぐらいだと思います。
上は40歳ぐらい。
じゃあ随分ね…でも全部連れてあなたあの古民家探すのに随分日本中ね車に乗っけて…。
そうですね。
それももうライトバンみたいなのに布団を敷いて全員乗せて新潟の奥の奥まで行ったりとか。
さてさっきあなた15歳からお仕事をなさってたっていうんだけどあれ可愛いバスの車掌さん。
でも随分可愛いと思うけど…。
そんなことない…。
これ本当ね可愛いですよね。
これ友達と一緒にねふざけて「ガイドになりたいわね」とかね…。
あっそうなの?なんか…そうね。
友達がお互い撮りっこをしてたのをね。
あっそうなの。
どこ線辺りですかね?このバスっていうのは。
私は川崎なんですね。
武蔵小杉を中心にずっと川崎の路線で。
川崎のあの頃まだ町工場がたくさんあった時代にそこから溝口の辺ずーっとやっておりました。
あっそうですか。
はい。
でもたった1年でした。
残念ながらすぐ女優になっちゃいましたから。
そこですぐあなたはあれですものね。
スカウトされたって仰ってましたっけ?そうですね。
1年?1年でしたね。
バスの車掌さん1年。
はい。
でもやっぱりそこからスカウトなさる方もいらっしゃるんですね。
ちゃんと顔を見ててね。
友達がなんかコンテストに応募を私と一緒にしてくれたんです。
あっそうだったの。
でスカウトされたんですね。
最初はもう全然もちろん映画もその頃全く知らないから女優になるなんて全然世界が別なことでしたから。
でそのうちに何度か東宝から電報が来て…。
「連絡するように」「連絡するように」ということで。
でまあ1年ぐらいだったら女優やってもいいんじゃない?って先輩のお姉さんに言われて。
またすぐ戻ってくればいいわよって言われて。
そのつもりでいたんですね。
私元々車掌1年ですけれどもガイドになって全国を旅したかった。
そうなの?それがね憧れだったんですね。
あっそうだったの。
へえー。
ですけどガイドになる前に女優になって。
ですけど旅することはずーっと好きでしたから続けてきました。
だから後に女優さんを…はっきりお辞めになりましたんでしたっけ?40歳で演ずるということは卒業させていただきました。
お出になることはお出になったりするんですけど演ずるのはおやめになったんだけどそのあと随分旅なさって。
はい。
随分外国やなんかもいらしてるでしょ?そうですね。
日本全国もう随分歩いておりますね。
でも今はこうやって暮らしていらっしゃるともう子供たちは大きくなって息子さんはなんか税金のこととかお金のこととかなんだかあなたのわかんないようなことを全部教えてくださるんですって?そうですね。
色んな年金のことですとか無駄なことはもう全部息子が「これはこうしたほうがいいんじゃない?」「こうしたほうがいいんじゃない?」。
ですから温泉もやめて。
「これから掃除大変でしょ?」って言うんで押し入れをちょっと改装してそこにユニットバスを入れて。
だから楽なんですよね。
そういうことから始まって余分なことを見直してくれるようになって。
もう本当に私はなんて何もできない情けない母親だろうと思ってます。
でもやっぱりそんなおんぶするような…車の後ろに乗っけてたような子供が…。
9年前に出ていただいた時これから東京を引き揚げて箱根に行くのって仰ってらしたんですけどその時その荷物お洋服とか色んなものをそういうのを整理なさるの大変だったと思うんですけど。
お洋服の整理はやっぱり…専門っていうとおかしいけどそういう方にお習いになったんですって?そうですね。
友人のスタイリストの方にどういうふうに整理をしていったらいいのか教えていただいて。
本当にこのラックに…何ていうんですか?ずれないね…。
ハンガー?ハンガーを…同じハンガーできちっとこうコーディネートしておくと余分なものを買わないで済むということで。
黒なら黒…なんだか持ってるようなものを買ってしまうんですよね。
ですから1か所にまとめてハンガーを3本なら3本。
それ以上は増やさない。
棚にきちっと色分けしてセーターを置いておくっていう…。
ラックってどんなもんだか知らないんだけど…。
ただあの…何ていうんですか?ハンガーを掛けるものです。
棒になってる。
あっ棒になってる?ええ。
それでそこの範囲に入るものだけ…。
ですから衣替えもしないで。
それ以外不必要なものを私も全部クリーニングに出して段ボール箱17〜18箱…20箱ぐらいあった…。
韓国の友人がクリスチャンなのでそのバザーに出して…。
あっそう。
ええ。
使っていただきましたけれども。
ですから本当にそういう意味ではきちっと整理しておくとああ無駄なことしなくて…。
お着物も着物は着物なんとかってなってないで一つ全部にまとめるとすごくいいんですって?着物と帯と合わせてたとう紙に。
で何ていうの?襟も一緒に入れちゃうんですって?そこに。
襟もね今洗える襟とかいって手洗いできるとか洗濯機で洗える。
長じゅばんと一緒に。
全部そういうふうにしておくと着物も着やすくなるんですよね。
着ようと思う時に一つ開ければ全部着られるっていう。
そうですね。
すぐ着られるというように教えていただいて整理つきましたね。
靴ももうそんなに…たくさんはいらないわけですからね。
ええ本当本当。
なるべく暮らしをコンパクトにということで。
でもそういうのってスタイリストの方が教えてくだすったそうですけどそういう方たちっていうのはどういうふうに整理すればいいかなんていうことをご存じなのね。
そうですね。
プロ中のプロですからね。
ご自分たちはそうやってラックっていうんですかね?こういうのに洋服掛けてこうやってふーんって「これとこれと合わせて」とかってそういうのをしょっちゅうやってらっしゃるんでしょうね。
大体合わせておくとわかりますし。
それからさっとできますでしょ?出かける前に色々考えないで済むし。
どこかに全部ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう突っ込んじゃうと何が何だか…。
何だかわかんなくなっちゃう。
わかんなくなっちゃうのでね。
やっぱりそうやって一回見て…こうやって広げて見てみることがいいかもしれませんよね。
そうですね。
で整理して。
それで箱根にいらしたのね。
ええ。
ですからもう本当にコンパクトに暮らしてます。
小さな暮らしを心がけてます。
でもなんかみんなのご飯は作ってあげるのはやってあげるって言ってらっしゃるんですって?そうですね。
私は料理は好きなのでお昼はスタッフの…息子たち夫婦の…。
ギャラリーのほうの…。
お昼は私の番で。
あっそう。
それはすごく楽しいです。
やっぱり料理を作るってクリエーティブだと思うんですよね。
冷蔵庫の中も奇麗に1週間分…で奇麗になるように…。
なくなるようにして。
メニューもあるもので考えて。
そうですってね。
昔うんと若い…子供がいた時って冷蔵庫を開けてももう何したらいいかしら?っていう感じだったんですって?そうですそうです。
何しろ4人口を開けて待ってますからハンドバッグ置いたらもうすぐエプロンをしてで料理してましたからどうしても多すぎちゃうんです。
買い過ぎてしまうんですよね。
で無駄にしてしまう。
もったいないことだと思って。
今はもう完全に食べきる使いきる…。
この人数ではこのぐらいあればいいだろうっていうのがもうおわかりになってる?わかりますからね。
なるほどね。
お孫さんいらっしゃるんだっけ?2人おります。
そういうお孫さんにもそういうのを見せるっていうことも大事なことだと思いますよね。
でも嫁2人が結構そういうことはやってくれるので。
あなたが嫁って仰るとおかしいけど。
変ですよね。
でも嫁が2人いらっしゃる。
はい。
いいですよね。
おかげさまで。
ですから子供が6人いるという感じ。
娘が4人いる感じですね。
あっそうなのね。
嫁がという意識があんまりないですね。
お嬢様が2人いらっしゃるから?はい。
そこに2人また一応嫁という形のものが来たんで娘が4人みたい?そうですね。
結構みんな仲良くやってくれてるのでありがたいことだと思います。
へえー。
フフッ。
昔あれですってね私あなたとドラマをやってる時姉妹…。
そうですあの…。
ここの局で。
『レモンスカッシュ』。
そうそうそうそう。
あの頃ね向田さんがおやりになって大根が何とかとかね全部そういうね果物とか野菜とかのタイトルのが多かったんですよ。
あっそうでしたか。
そうなんです。
それで『レモンスカッシュ』…。
『レモンスカッシュ4対4』で。
あの頃ねみんななんだかどうしてあんなにいっぱいドラマがあったんでしょうね?週に5〜6本やってましたもの私。
あっ私も映画を随分出させていただいてそのあとテレビドラマ。
それからワイドショーですとか。
テレビには随分お世話になりました。
そういう意味では。
ねえ。
あなたそう。
みんなが言うとこのボンドガール。
嫌だわ。
フフフ…。
そうなんです。
なんかねそう…その頃だから10代の頃ショーン・コネリーさんのその『007』を見てくだすった方々が皆さん60代70代になってるわけです。
だから今の若い方はこの方がボンドガールっていうのをご存じない方もね。
あっもちろん。
だから電車の中乗っててもすごく楽です。
バスでも。
私のことを知らないでいてくださるからもう自由にローカル電車へ乗って全国旅ができるっていうのはうれしいです。
奇麗な個性的な方だなとは思ってもボンドガールっては思わない。
知らなければね思わないかもしれない。
あなたのお母様はなんか不思議な感覚をお持ちの方でお父様が工場をやってらして?あっいやいや。
工場なんて…。
もう本当に下町の亀戸で工場を段ボールの箱を作るささやかな工場を営んでたんです。
でも戦争にいらっしゃって。
そうですね。
そしたらお母様が突然…。
ある日なんか胸騒ぎがしたそうです。
で一緒に働いてくださっていた10代の子たちに「今日は帰って」って言って私を背負って兄の手を引きで祖母を連れて横浜の…。
その日のうちにですってね。
その日がちょうど空襲の前日だったんです。
そうですってね。
それで横浜のほうへいらしたの?そうです。
そしたらその晩?その翌日ですね。
全部焼けちゃった…。
全部焼け出されててその10代の子たちも全員亡くなったそうなの。
申し訳ない申し訳ないっていつもお仏壇に手を合わせてる母は…。
「もう帰っていいのよ」ってお母様仰ったのに帰んなかったのかしら?いやいや。
帰ってもう亀戸あの下町…。
あっ亀戸あの辺全部が?全部がはい。
ですから私はもう無一文になって…。
東京大空襲の時ですかね?それはもしかすると。
そうですそうです。
あっそう。
それは大変でしたね。
まあでもその時代ですから誰もが色々経験した時代ですからね。
でもお母様がそういうことでまあ行きましょうって仰ったので皆さん…死なないっていうかそこを逃れることができたっていうことはねお母様の勘がなんかね変な…考えが。
そうですね。
何日か経ってから線路づて歩いて亀戸まで行ったそうなんですけどもう焼け野原だったって…。
あっそう。
それで何もかもそこでなくなっちゃったんですってね。
そうですね。
お父様帰ってらしたんだけど…。
復員したんですけれども…。
とっても優しい父なんですね心優しい。
ですからなかなかこう日常生活に慣れなくて無気力で10年ぐらいは…そんな父をずっと見てましたね。
負けちゃったっていうこともあったんでしょうしね。
そうですね。
ですから母の肩に全てかかっていたんで。
私は子供心にもうかまどでご飯を炊いて母を助けて家事は全部してましたね。
はじめちょろちょろ中ぱっぱ。
「はじめちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いても」…。
「蓋取るな」。
「蓋取るな」そうそうそう。
お米炊く時ですね。
それはお釜でそういう薪みたいなもので炊く時ですけど。
そうですね。
でもその頃小学校4年生か5年生だったと思うんですけどやっぱり夕暮れって寂しいんですよね子供ってね。
ぽろぽろ涙がこぼれてきて早くお母さん帰ってきてくれないかななんて思ってた時にふっとこう…かまどの炎の中から声が聞こえてきたんですよ。
で「頑張ろうね」って。
「頑張りましょうね」って本当に声が聞こえて…。
空耳だったと思うんです私のね。
ですけどその時にあっ昔の女性ってみんなこうして炎に温められながら頑張ってこられたんだって。
いつか私もかつての暮らしがどうだったのかしら。
女性たちがどんな暮らしをしてたのかしらを知りたいなって思ったんですねその時に。
へえー偉い。
それが全国旅する農業に興味を持つきっかけというのはもしかしたらかまどの中から聞こえてきた声だったかもしれないですね。
そんなことがあったんですか。
はい。
「頑張ろうね」って…。
「頑張ろうね」って。
あの時代みんなそうじゃない。
だって黒柳さんの時代というのは…。
私は疎開しました。
教科書なんかは…。
教科書はもう全部黒い墨で消された時代ですから。
勉強歴史なんか全然してない時代ですからね。
なんか伺うとだからこそクイズ番組を…。
あっそうそうそうそう…。
おやりになられたのは…。
でもわかる気がする。
それで勉強できるんだったら仕事で勉強だったらねやってみようと思って。
それでまあクイズは引き受けたんですけど本当に何にも勉強してない時代ですよね。
でも勉強って生涯できるもんだなって私も…。
自分がやりたいと思う時にやるのが一番ね。
そうですよね。
それはよかったです。
だから昔ぶらんぶらんしかわかんなかった歴史が本読んだりして…好きな小説なんかね。
私とってもああいう昔の人の伝記小説好きなんだけどそういうばらばらになってたものがだんだんちょっとつながってくるっていう感じがねちょっとしてきますよね。
なるほどね。
私もだから…。
なんか40歳ぐらいまでは結構ね肩に力が入ってて。
秋田のおばあちゃんにねある時取材に行って刺し子の名人のおばあちゃんにね。
もう「肩凝りませんか?疲れませんか?」「目痛くありません?」って言ったら「ううん。
ちっとも」って。
「どうしてですか?」って。
「そのね肩凝るっていうのは肩に力が入ってるからよ」って秋田弁で言われたんですよ。
なんかね腑に落ちたというか。
そっか。
私頑張り過ぎてたって少し40歳まで。
肩に力が入り過ぎてた。
ちょっと楽にしてもうちょっと自然体でいいんじゃないかなって。
それには自分がやりたいことを本当に志していたことをやりたいなと思って40歳になった時に本来一番やりたかったことを今いまだに続けているっていうのは…。
あなた随分農政の…農業のことをやって…。
農政というより農家の女性たちを応援したかったんですね。
農業を支えてるの半分は女性なんですよ。
ですけどなかなかそこに光が当たらないんですよね。
そうね。
当然のように思われてね。
そうですね。
その割には自分で口座を持ってなかったり。
ですから何とかその方たちのお手伝いできないかと思って全国回ってネットワークをつくって勉強会を開いて海外に行ったりして農家レストランとか農家民泊の勉強をしたりして。
ようやくそういう方たちが今活動してお嫁さんの代になって。
あっそう。
ええ。
よかったなと思いますね。
おばあ様のことをとてもお好きだった…おばあ様。
はい。
祖母はですねどちらかというと兄弟も多かったし貧しい暮らしが長かったのでつつましい祖母だった。
例えば私もね少し働くようになって祖母に着物を買ってあげたいなと思って買って祖母に着てくださいって渡しても亡くなった時に…90代終わりだったんですけどたんす開けたら一枚も手通してないの。
しつけがそのまんまに入ってたんですね。
ですから三枝子が一生懸命働いて買ってくれた着物だから…。
継ぎ当てて自分の着物を着てたような。
とても色んなことにね…そういう意味では大好きな祖母でしたね。
でも色んなことを教えておもらいになりましたね。
生活の暮らし方もね祖母からは随分習いましたね。
そうね。
私たちはやっぱりちょっと子供の時からどうしたって贅沢に…なんとなくその前の暮らしからすれば贅沢にね好きに暮らしてますからやっぱり。
そういうふうなお話聞くといちいち驚くじゃない。
「えっ偉いな。
私なんかもらったらすぐ着ちゃう」なんて思っちゃいますよね。
私子供の頃アルバイトもできたんですよね小学生の頃に。
小学生で?ええ。
今だったら考えられない。
5年生ぐらいからお菓子屋さんアルバイト行ったんですよ。
でご飯詰めて前の日の残ったおかずを入れて行きますでしょ?昔ってアルミ箱でしたでしょ?アルミのお弁当箱。
ねえお弁当箱で。
それで食べ終わってお茶かお湯でもすすいでいただきますよね。
それ紙で奇麗に拭いて持ち帰る。
そこへおばちゃんがね最中1個とか甘納豆を入れてくれるんですよ。
あっお菓子屋さんだから?お菓子屋さんだから。
それを持って帰ると祖母が待っててくれて一緒に最中半分こして「おいしいね」って。
もうすごく喜んでくれたんです祖母が。
だからそういう喜ぶ顔…母働いてましたからね祖母を見てて祖母が喜んでくれることは自分の喜びでもあるっていうふうに思えたりして。
今のあなたの夢は孫を連れて種まきなんかやってるとこ連れていって見せたいって。
そうですね。
もう少しかかると思いますけれども孫と一緒に旅をしたいな農村を旅したいなよそを旅したいなと思うんです。
でもそれには体力つけとかなきゃいけないんで山歩きを朝毎朝なるべくしてます。
でももう何歳ぐらいになれば連れていかれるの?5〜6歳になれば…。
うちの子供たちもそうでしたから。
だからもうあと2〜3年もすれば孫連れて…。
ええ。
それで一緒に共に農業のことを学んだ仲間たちのところを訪ね歩きたいなと思ってるので。
そうねいいですよね。
これパリ?これ。
これパリですね。
マルシェ…市場で。
オーガニックマルシェなんですけど。
パリに住んでる友達がいるんでこうやっていつもあのアパートを借りてマルシェで野菜買ったり…。
そうですってね。
アパートで全部付いている…備え付けのアパート。
ひと間ですけれどもね。
あるんですってねとっても…。
ですからテーブルクロスだけを持っていくんです。
この白い手前の。
そうするとなんとなく自分の部屋になる。
これもマルシェで買うと700〜800円でお花も。
こんな奇麗なお花買えるんですよね。
暮らすように旅するっていうのが私は今自分のテーマなんです。
これ窓から見えるの?窓から見えるんですよね。
いいですねへえー。
でもそういうところがあってひと部屋でもとにかくパリでホテルじゃなくて自分でご飯作ったり何かしながら生活できるっていうのがいいですよね。
すごくいいの。
安上がりですしねまずね。
焼きたてのクロワッサン買ってきて夜はもう…いただかないのでほとんどワインとチーズぐらいなんです。
夜召し上がらない?夜は基本的にはそのぐらいですね。
ワインはいただいて。
ワインは召し上がる?そうですか。
いや私夜すごくご飯食べるの。
もう後悔しながら…。
駄目なのよねこんな夜食べちゃと言いながらスタッフなんかと焼き肉食べたりなんかしてますよ今でも。
でもそれはそれでいいんじゃないでしょうかね。
でもやっぱりそれはねよくないと思いますやっぱりね。
少なめにしたほうがいいなと思いながら。
寝る前にアイスクリーム食べたりなんかして…。
この頃もうやめるようにしてますけど。
全部荷物捨ててとにかくお風呂に入って顔取ったらそのまま寝るっていう。
私は基本的に5時半に起きて6時ぐらいから歩いて…。
すごいね早起き。
続いては上沼恵美子さんです。
おいしいお料理どうぞ。
2014/09/25(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 浜美枝[解][字]
〜自分のために楽しむ日々を…70歳暮らし術〜浜美枝さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
浜美枝さんがゲスト。
◇番組内容
15歳でバスの車掌として社会人になった浜さん。現在は箱根に住み、結婚・子育てを終えた今が一番自由で楽しいと語る。60歳を機に東京の家を引き払い、箱根に住まいを集約した。箱根の家も子ども4人を育てるように大きく作り、子どもが巣立った後はギャラリーとして使っていたが、息子夫婦に管理をまかせ自身の住まいは小さくリフォームしたという。洋服も20箱分を処分、今日は70歳ならではのすっきりした暮らし術を語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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