8月に亡くなった俳優・米倉斉加年さん。
NHKでは大河ドラマをはじめ数多くの作品に出演しました。
土佐沖を京へ向かう。
幕府へは寄れんちゅうんじゃ。
わしゃ、ちくとで、ええき一時でええきすまん、許しとおせ!もういい!薩摩は、またしても俺たちを欺き恥をかかせた!そうとも…西郷は、どたん場になって薩摩藩の体面を考えたのだ。
何も長州藩に頭を下げることはない。
だが、長州藩の体面はどうなるんだ!朝の連続テレビ小説では主人公を見守る父親などを味わい深く演じました。
民族が滅びるんではないかというこういう教育の曲がり角まできているわけですね。
舞台や映画でも独特の存在感を見せていました。
ここが、われわれが新生活を送る花の都・東京だ。
なんだ、お前らしくもない。
弱気じゃのう。
何があろうと人間が作り出した世界の出来事じゃ。
同じ人間に乗り切れんことがあろうか。
そんな米倉さんの芝居に懸ける姿を「ちりとてちん」で共演した松重豊さんは、こう語ります。
わしが悪かった。
このとおりや…。
本当に一人の修行僧のようにお芝居に対して、ひたむきに本当に青年の心を持って取り組んでいらした姿っていうものは本当に米倉さんから学んだことだと思います。
ことし、米倉さんは東京大空襲をテーマにしたドラマに出演。
あの大空襲には手も足も出せなかった…。
いや、でも…。
戦争に対する痛切な思いを表現しました。
米倉さんの、もう一つの顔は絵本作家。
代表作の一つ「おとなになれなかった弟たちに…」の中で戦争中、弟を栄養失調で亡くした経験を描きました。
平和というのは赤ん坊が大人になるまで生きられることで母は自分の子にお乳を与え育てられること。
なんか特別なことじゃないと思うんですよね。
芝居と絵本。
米倉さんが訴え続けてきた平和への願いを見つめます。
米倉さんといいますと知的で繊細な役作り。
かと思うとちょっと癖のある役まで幅広い確かな演技にいつも引き付けられました。
米倉斉加年さんは昭和9年、福岡県のお生まれです。
22歳で劇団民藝に入り以来、舞台にテレビ、映画と活躍してこられました。
ゲスト、お招きしています。
米倉さんが民藝時代の後輩に当たられますね樫山文枝さんでいらっしゃいます。
どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まずですね、米倉さんですね亡くなられたの先月の26日でらっしゃいますけどもまもなく、ひとつきなんですが今、どんなお気持ちでいらっしゃいますか。
そうですね…あんまり突然でしたので。
温かい情熱にあふれた米倉さんがそのまま自分の中に残っていてですね全然、喪失感というのはなくて自分の中にしっかりある米倉さんいるなっていう感じがしますし。
80歳ですか?ですのでご自分の人生を本当に現役のまま惜しまれてすごく潔く亡くなられて大往生だったのかなって。
なんかね、残された方たちにはすごく思いがあるでしょうけど米倉さんは、私にとってはああ、生き通しちゃったんだな潔い…すぱっと。
でも、厳然として米倉さんっていうのはいい時代に巡り合った方だなっていうふうに思っています。
本当に、たくさんの共演をされてらっしゃいますけれども樫山さんにとってどんな役者さんだったんでしょう米倉さんは。
米倉さんはすごくおもしろい方でね。
おもしろい方なんですよ。
身ぶり手ぶりで、弁舌爽やかで。
そうですね、すごくおしゃべりで演出の合間とかお芝居の休憩時間とかに身ぶり手ぶりですごくおもしろおかしく話すんでそっちのほうが、おもしろくてみんな米倉さんの周りには人だかりが、できてましたね。
じゃあ、芝居自身はどうでしたか?そばで、ご覧になっていて。
もう、すごく上手な方でね。
多彩で、やっぱりせりふだけじゃなくて身体能力が抜群なんですよね。
ですのでその体じゅうを使って表現するその表現のしかたが、すてきでいつも米倉さんの相手役やるのがとても楽しみで見ほれてましたね。
すごく上手だったしすてきでした。
まずはですね数々の出演作品からですね米倉さんの演技、ご覧ください。
米倉さんのテレビドラマ初出演となった「バス通り裏」。
庶民の生活感あふれるホームドラマです。
優等生役を演じる米倉さんの初々しい姿が印象的です。
難しいな…。
結局、どれなの?1と3だよ。
1と3ね。
1、3が大穴だ。
金子さんよ全然、分からないってどの程度、分かんないんだい?2年の中頃から。
ずっと分かんないのかい?数学1は?まるっきりかい。
よう、少しは分かんだろ。
ちんぷんかんぷんなのかい?そうなの。
でも、卒業できればいいのよ。
できるかね。
おい、問題と解答書いてやっからそれを暗記しちまえよ。
ええいつも、その手でやってたのよ。
大河ドラマ「風と雲と虹と」。
主人公は平安時代に朝廷に反乱を起こした平将門。
米倉さんは将門の参謀となった皇族興世王を演じました。
そなた、常陸のことはやがて下総のことだと言うたな。
常陸のことは、すなわち坂東八箇国のことじゃ。
この公然たる反逆を見捨てることが公にできようはずはない。
やがて必ず…。
将門の反乱が失敗に終わると興世王は敵に捕らわれます。
どうだ。
ははは…。
わしは武者ではないが恥は知っている。
うっ…。
この自害シーンオンエアでは僅かの時間でしたが撮影では苦しみながら死ぬまでを10分以上演じ続けたといいます。
予定にはない演技でしたが米倉さんは人は簡単には死なないとこだわりました。
♪〜映画「男はつらいよ」ではコミカルな演技も披露。
この作品では樫山文枝さんがマドンナでした。
あなたはなんのために勉強してるんですかって聞かれてはっとしちゃったの。
嫌だわあ。
実にすばらしいことですあのお年で。
この物語は、私に勇気と希望を与えてくれました。
ドラマ人間模様「夕暮れて」。
中年夫婦の心の渇きを描いた作品です。
うるさい。
もうちょっと仲よくやれ。
米倉さんが演じたのは家庭のある女性と恋に落ちる男の役でした。
こんなに…静かな気持ちではいられないわよね。
会うの…よしたかもしれない。
家庭、壊す気ないし…。
お礼、言うわ。
私がこの間、よそうって言ったのはあのままどっかへ行ったりするとおうちの人にばれやすいと思ったからでね。
約束してください。
次に会うときにはその気で来てくれるって…。
ばれなきゃ…いいでしょ。
約束してくれますね。
どうですか?NHKでの最後の出演となったのはことし放送の「サイレント・プア」。
コミュニティーソーシャルワーカーとして地域の困った人々を助ける主人公を演じたのは深田恭子さん。
これが私たちの仕事。
米倉さんは主人公の祖父役で登場。
孫を温かく見守る姿が心に残りました。
知ってるお客はどんどん、いなくなっちまう。
この町も寂しくなったもんだ。
お、涼。
帰ってたのか。
ごみ掃除は、うまくいったか?解決なんか程遠い。
私たちには、どうしようもできないことがあった。
ひとさまの人生に向き合うってのは、しんどいな。
じいちゃん…。
ん?ごみはねおばあさんの心の隙間を埋めていたんだと思う。
隙間?決して戻らないものを待ってると心の時計は止まるんだよ。
私みたいだね…。
涼。
なんで、そんなこと言うんだ。
お前の時計はもう、ちゃんと動いてるぞ。
一生懸命ねじを巻いた人間の時計はちゃんと動いてる。
ごくごく一部でしたけれども。
本当にあの…若いときからお年寄りまですごく多彩に、いろんな役をおやりになったんですね。
「バス通り裏」は本当に58年ですから57年に民藝の…。
かわいい。
そうですね、若くてはつらつとしてあんな姿を見たのは初めてですね。
すてき。
そして「男はつらいよ」ですね。
あの優しさとコミカルさと。
なんかあったかくて人なつっこい。
いくつになっても少年みたいな。
すごく素直に「はい」なんて言うのが似合う方なんですよね。
すごく、こう…いつまでたっても青年のようなところもあって。
お巡りさんにはちょっと、かいまみれますね。
そして、あの大河ドラマの「風と雲と虹と」。
あれはですね、自害するシーン実はですねほんの少しなんですけども10分以上にわたってね映ってなくても演じてらした。
そういうところおありだったんでしょうかしらね。
さっき簡単には死ねないって。
それは、よくチャンバラで刀で、ぱさっぱさっと斬るとすごく人の体って、そんなに軽いもんじゃないんだって。
本当に、ああいうことをきちんと表現するのができる方なんですよね。
とても克明にできる方。
体の痛みとかそれをできない人もいるんですけども全身を使ってやるのがすごく、お得意でしたね。
なかなか、そこまではやれないですよね。
恥ずかしかったり執着心がなかったりするとそこまで、やれませんものね。
すごい、すごいなと思いますね。
そういう本当、ある種のこだわりのようなものですね実は、書き記されたノートがたくさんお宅におありでして。
これ、ほんのごくごく一部なんですけどもこれ、お借りしてまいりました。
この中にですね、ご自身のですね演技についてですね書いてあるものもあるんですね。
ちょっと読ませていただいてよろしいですか。
「もっとくたびれた感じ。
もっと老けの感じを声で工夫しなければ。
旅路のはての感じ。
今のは、まるで坊やだ。
若すぎる。
「生命力」がありすぎる。
ナニクソ、ヤルゾ!」。
最後は「ヤルゾ!」と、こうね書いてらっしゃるんですけど本当に、こんなふうにですね細かく細かく書いてらっしゃるんですね。
ずいぶん貴重なこんな、きれいな字なんですよね米倉さんの字って。
これ、なんの作品ですか。
どうでしょう。
これ「ゴドー」でしょうか。
「ゴドーを待ちながら」でしょうかしらね。
宇野先生と初めて共演して宇野先生の年齢と同じようなふうにならなきゃっていうのですごく悪戦苦闘してトライされたんじゃないんでしょうかね。
それで「まるで坊や」だって。
実は樫山さんについてもですね書いてらっしゃるところがあるんですよ。
お読みになりますか?こちらなんですね。
ええ!本当に?「同じ音節がかさなっている場合その分離、文章を読む時に音節が重なった時にどういう風に発音したらよいか。
語音のもっている色合、ニホイをどう出したら良いか」。
ええ、こんなこと…。
私のせりふのつたなさを書いたのかしら。
色合い、においですね。
せりふの色合い、におい。
うん…そうですか。
でも、こんなふうに自分のことはメモはすると思うんですけど例えば、樫山さんとかそういう、ほかの人についてもこういうメモを…。
すごく、こう…やっぱり、あの…きちんと記憶にとどめておくということでたくさんの演出家や出演者の特徴とか出された、だめとか癖とかっていうのを書き留めていらしたんですね。
こういうふうに樫山って書いてこういうふうに書いてくださってるなんて思いもよらず。
すごい、すごいですね。
ありがたいですね。
米倉さんの研究熱心さが樫山さんのお話から伝わってまいりましたけれどももうひと方ですね同じように感じてる方がいらっしゃるんですね。
連続テレビ小説で米倉さんと共演されました松重豊さんです。
お話を伺ってまいりました。
どうぞ。
本当に一人の修行僧のようにお芝居に対して、ひたむきに本当に青年の心を持って取り組んでいらした姿っていうものは僕はいつか、そういう背中を持つ俳優になれたらいいなっていうのは本当に米倉さんから学んだことだと思います。
他人に対して、どうしろああしろっていうことよりもいや、僕も分からないなどうしたらいいんだろうなっていうことを、やっぱり一緒に、なんか悩んでくれる考えてくれる先輩っていうことのありがたさのほうが僕にとっては大きかったですね。
何か僕としては、やっぱりほらこれは、こうなんだよああなんだよって指示を受けたほうがいいんでしょうけども先輩も一緒に悩んでらっしゃるんだったらじゃあ、僕も一緒に考えてこのシーンを、どうしようかああしようかっていうことを考えるっていうことのほうが俳優同士のコミュニケーションとしてはすごく、いいんじゃないかなっていうふうに思われましたしやっぱり、それは米倉さんが、そういうふうにたぶん仕向けてらしたしそういう環境の中でいいもの作るっていう、やっぱ自負はあったんじゃないでしょうかね。
それでは、ここで米倉さんと松重さんがぶつかり合った「ちりとてちん」ご覧いただきたいと思うんですが少し内容、ご説明します。
思い出してください。
こちらですね。
主人公はですね落語家を目指す喜代美でした。
米倉さんは、その祖父です。
福井の伝統工芸の塗り箸の職人です。
松重さんは跡を継ぐのを拒んで一度は家を出た息子の役でした。
それでは「ちりとてちん」ですね第4話ですけれどもここで、ご覧ください。
♪〜二度と工房に入んな!お父ちゃん、何したんけ。
ちっと休め、言うただけや。
え?
ろくに休どらんとせめて削りか何か工程の一つぐらい職人に外注したらどねえやって言うただけや。
お前は、ほんまに分かっとらん。
もう、いい。
今度、工房に入ったら警察、呼ぶぞ。
おじいちゃんなんで、そんな言い方するの?おじいちゃんいっつも、もっと優しいやな。
お父ちゃんも仲直りしいに帰ってきたんやろう。
帰ってきたんとちゃう。
帰ってきたったんや。
ちょっと、お父ちゃん。
こんな地味でもうからん仕事を若い者は誰もやりたがらんしな。
あんまり、かわいそうやさけえ帰ってきたったんや!
お父ちゃんまた、そんなこと言うて。
ほうか、よう分かった。
わだの塗り箸はわしん代で、しまいや。
兄ちゃん。
金やったら貸さんぞ。
ええ?ってなんでだ。
大変や。
みんなも来てけ。
これ、正平が作ったんけ。
正平、この調子でどんどん作ってけえや。
やじゃ、もう飽きた。
1つでは商売ならんがな。
何を騒いでおりますのや。
母さん、どこ行っとったんの。
こんなん大事んときに。
三丁町へ出張。
三味線のお稽古、頼まれましてな。
お母さんどないかしました?
あ…いいえ。
あんじょうでけとりますな。
ほえろ、ほえろ。
あっ!ほや!父ちゃんにも見したろう。
あかん。
あ…。
ごめんなさい。
ごめんなさい…。
父ちゃんは塗り箸のお仕事しに帰ってきたんやろ?ほうやのになんでおじいちゃんは一緒にやりたがらんの?
昔は一緒にやっとったんや。
え?
お父ちゃんは高校出てすぐ父ちゃんの元で塗り箸職人の修業始めてそやけど3年ほどでやめてしもうて勝手に出て行ってもうたさけえおじいちゃん怒ってしもうたんや。
ほやけんども、やっぱり塗り箸やりたい思うてことしなって、おっちゃんとおばあちゃんに相談したんや。
なんで急に戻ろう思うたん?
もう一人、お父ちゃんの兄弟子に当たる人がおんなってな。
秀臣さん言うて中学出て、すぐ住み込みで修業しとうなった人でな。
お父ちゃんが家出たあと秀臣さんも辞めたそうや。
古臭い塗り箸んかやっとってもしゃあない言うてな。
そんなこと言うたんけ。
そりゃ、おじいちゃんこたえたは思うわ。
お父ちゃんが継がんかったらおじいちゃんの塗り箸は途絶えてまう。
やっぱ、それはあかん思うたんや。
それやったらそう言うたらええのに。
お父ちゃんもななんぼけんかしとる言うても親子やねんで。
顔見たらあんじょう仲直りできる思うとった。
そやけんど、おかしなもんや親子やさき、よけい顔見たら素直になられへんねや。
遅うなってもうたな。
よっしゃ!このけんかは、わしが預かった。
ほら、あんじょう食え。
何や、おかしな人おるの。
もう、お父ちゃん犬のけんかまで止めんでもええやな。
順ちゃん。
ビーコ。
なんや、友達のお父さんけ?
どんなにじゃじゃごしいけんかしとってもな脂ののった焼きさばつまみにキューっと一杯やったら一発で仲直りや。
なんやの、これは。
ごめんなさい…ごめんなさい。
ごめんでは分からんやろう。
あーあ、今夜のさばが…。
あんときのことは謝る。
わしが悪かった。
このとおりや。
いまさらなんやと思うかも分からんけんどやっぱり塗り箸やらなあかんと思うたんや。
理屈やない。
ほかの誰の仕事でもない。
おやじの塗り箸を途絶えさしたらあかん。
そない思ったさけえ帰ってきたんや。
頼む。
親父の箸を継がしてくれ。
あかん!お前を許すわけにはいかんのや。
こんだけ頼んでもあかんのか。
もう、ええ…。
もう、ええ!
おい。
こないだのプレゼントのお礼まだ聞いとらんのう。
ああ、あんなん嫌がらせやろ。
何?
あんな木切れみたいなもんぎょうさん押しつけて。
お前、ちょっと来いよ。
おかえりなさい。
どうや、すごいやろ。
わいのお父さんが作った会社や。
おお!
ちょっと待って。
ちょっと待ってよー!
うちの箸は、よそにはないものすごいカラフルな色が出るで子どもらに一番人気があるんや。
友春。
お父さん。
あんまり工場うろうろするなと言ってるだろ。
ビーコ。
エーコ。
清海のお友達か。
こんにちは。
2学期から転校してきた和田喜代美ちゃん。
びっくりするやろ全く同じ名前やなんて。
君は、もしかして…和田正太郎先生の?
え?
この色、秀臣さんとこの箸やったんやの。
ほやさけえ父ちゃんに見したなかったんやの。
わが子と同じようにかわいがっとったのに。
母ちゃん…。
おじいちゃんさっき、若狭塗箸製作所の社長さんに会うた。
エーコのお父さんやった。
おじいちゃんのこと傷つけたんエーコのお父さんやったんやね。
なんで、エーコは私の邪魔ばっかりするんやろ。
喜代美。
分かっとん。
そんなん思うたらあかんって。
そんなん思う自分がほんまに嫌やねん。
喜代美、塗り箸の作り方知っとるこう?おお?上がってこ。
さあ。
ここに座れ。
これが箸の木地や。
これに卵の殻を砕いたんやら貝殻やら、それから松葉やらで模様をつけてその上から漆で何重にも塗り重ねる。
できたんが、これや。
これを石で丁寧に研ぐ。
さあ、研いでみなれ。
うわあ!きれいやろ。
貝殻やら松葉やらほかしてしまうようなもんがこんな、きれいな模様になって出てくる。
すごいね。
うん。
この人間も箸と同じや。
研いで出てくるのはこの塗り重ねたもんだけや。
一生懸命、生きてさえおったら悩んだことも落ち込んだこともきれいな模様になって出てくる。
お前のなりたいもんになれる。
喜代美お前は、おもろい子や。
え?ほんまに、おもろい。
私、なんも、おもろいことなんか。
おかしな人間が一生懸命、生きとる姿はほんまに、おもろい。
落語と同じや。
落語?うん。
おう、かけてくれるこ。
あ、うん。
まず最初福井のほうに行ったりしてロケ行って塗り箸修業とかをやって本当に楽しそうに米倉さんも本当に演劇青年がそのまま年輪を重ねたっていうたたずまいで、本当に穏やかで。
何度も芝居のことも含めてですけどもいや、僕は、まだまだ修業が足りないなっていうことを常々おっしゃってらしたような気がしまして。
本当に僕からすれば本当に大先輩でいろんな経験もなさってていろんなお芝居もあの…自分の身になさってらっしゃる方がやっぱり、まだまだ修業が足りないっていうことを口にされるっていう重さっていうのは、やっぱり僕ら本当に年だけは、そのころで40半ばにはなってましたけどこれから本当に修業するっていう覚悟がないと俳優っていう仕事は続けていけないんだなっていうことを背中で教えてくれたような気がしましてすごく僕は本当に感謝をしております。
(樫山)今の最後のお孫さんとのところいいですね。
あれが米倉さんのなんか一番米倉さんらしく感じますね。
優しくて、あったかくて。
なんか、すごく…。
あれね、お芝居って米倉さんってどんどん演技は演技として大事なこと技術は大事なんだけれどどっか常にポジションが素人でいるっていうか。
素のままの年代を重ねてきた今自分のそりゃ、いろんなものの知恵はあるでしょうけども立ってるポジションっていうのはいつも素のままっていうか。
捨てて…捨ててってるような気がするな。
そぎ落として。
自然にそうなるんだと思うんですけど芝居っぽい芝居を昔からあんまりよしとはしなかったと思うんですけれど。
松重さんがですね一緒になって考えてくれたありがたかったっておっしゃってましたね。
その辺り、いかがですか。
そうですね…相手役してるときよりも演出家として向き合ったときに若い人たちに若い人たちの個性をすごく生かそうとして基本的な演技術というよりもその人の持ってる個の魅力とか個の持ってるおもしろさっていうのを引き出すために若い人に近づいてって何度でも話しかけたり違う方向からいってみたりって。
ちょっと演技に破綻があってもそういうことはあんまり気にしないで一人一人に演劇に対する姿勢とか考え方とかっていうふうのことから攻めてったりよさを引き出すようにしてらっしゃいましたね。
私なんかでも自分の思いがけないものを引き出していただいたり。
全体を把握する力っていうかやっぱりどっか米倉さんの温かさとそれから才能が多岐にわたってそれでおもしろい話もしますしね。
みんな、とても米倉さんが演出されたときはうれしかったですね。
では、ここで貴重な映像をご覧いただきます。
先月の3日亡くなる2週間ほど前のものです。
戦争中の体験を語る講演会の様子を取材しています。
ご覧ください。
この講演会は戦時中の学童疎開の体験者らで作る団体が企画したもので東京・品川区の会場にはおよそ100人が集まりました。
ドイツでもアウシュビッツがあります。
日本でも戦争のときがあります。
そういうふうにしてずっとやってるでしょう。
米倉さんは、みずからの福岡での疎開生活について語りました。
疎開したときの何、食ってたかねもう、それが忘れて記憶にないんですよね。
飯、食った記憶はないんです。
でも、何を食ったかの記憶はなくなった。
芋とかぼちゃばっかりだった…。
疎開中に生まれたばかりの弟を栄養失調で亡くした経験をつづった絵本を朗読。
戦争の被害は子どもにまで及ぶことを伝えました。
私たちは二度と戦争をしないという決心をしてそういう国であろうとして憲法ができました。
米倉さんはこうした講演を30年以上続け平和への願いを訴えてきました。
(拍手)亡くなる2週間ほど前ですね。
お元気で講演してらしたんですね。
ふだん、こういうようなお話をされたりとかそういうことはおありだったんでしょうかしら。
やはり、米倉さんがご自分で選ばれる作品出演される作品にはやはり戦争はしてはいけない。
決して、してはいけないってことは、もうベースにあって。
それからはみ出るようなものにはやらなかったと思います。
それと、やはり差別ですかね。
やはり弱い立場にいる人への温かい目配り気配りっていうことは徹底してらしたですね。
今、ご覧いただきましたように米倉さんは俳優として活躍する一方で戦争体験や差別の問題を語る活動に取り組んでこられました。
その思いが込められていたものが絵本です。
米倉さんの、もう一つの顔絵本作家としての活動をまとめました。
絵本作家米倉斉加年さんの作品です。
独特のタッチの絵は海外からも高く評価されました。
テーマの多くは戦争や差別の問題です。
1976年から2年連続でイタリアのボローニャ国際児童図書展でグラフィック大賞を受賞しました。
絵本に込めた米倉さんの思いを描いた番組があります。
受賞作「多毛留」は古代を舞台に、日本の漁師と朝鮮半島から連れてこられた女性との間に生まれた男の子多毛留の物語です。
大人になった多毛留が自分の出生を知り最後は父親を殺してしまうというお話です。
福岡に生まれた米倉さんはいつも玄界灘の向こうにある朝鮮半島を見ながら育ったといいます。
米倉さんが朝鮮半島に強い関心を持つようになったのは戦時中朝鮮人の子どもたちと出会い彼らが差別されていることに疑問を持ったからです。
子どものときから抱いてきた思いを伝えたいと米倉さんは絵本の「多毛留」を描いたのです。
「多毛留」はなんのために描いたかというと僕が子どもに何を言い伝えるかなと思ったときに「多毛留」が生まれました。
僕の弟のようにしている友達がいます、友人が。
中尾光太。
チェ・オクソク。
日本名を中尾光太といいます。
チェ・オクソクという僕と1つ違いの友人がいます。
この子どもたちは朝鮮人の子、それからほかにもたくさんの友人がいる韓国人の子子どもというだけで僕の子どもと同じようにこの日本という空間の中で生きていけないいろんな差別がある。
それは、なんだろう。
人間というのは地球上に生まれたら人間としての権利を持っているんじゃないのか大きな。
そういうことをね考えさせられる。
米倉さんが絵本のテーマとして描いてきた戦争の時代の怒りと悲しみ。
その思いをイタリアの子どもたちにも伝えたいと中学校を訪ねました。
こんにちは。
あのね、きょう皆さんにこうして、お会いできることが大変、私はうれしいです。
皆さんと、お会いできるということを聞いて心待ちに待っておりました。
米倉さんは戦時中、1歳だった弟を栄養失調で亡くしています。
それは弟のミルクを飲んでしまった自分のせいだと今でも思っています。
その体験を「おとなになれなかった弟たちに…」という絵本にしました。
自分が体験した苦しみから戦争は何もかも奪ってしまうということを分かってもらいたい。
米倉さんは生徒たちに絵本の内容をできるだけ詳しく伝えそして、熱く語り聞かせました。
母に。
僕の弟の名前はヒロユキといいます。
僕が小学校4年生のときに生まれました。
そのころは小学校と言わずに国民学校と言っていました。
僕の父は戦争に行っていました。
太平洋戦争の真っ最中です。
そのころは食べ物が十分になかったので母は僕たちに食べさせて自分はあまり食べませんでした。
でも、弟のヒロユキには母のお乳が食べ物です。
母は自分が食べないのでお乳が出なくなりました。
でも時々、配給がありました。
ミルクが一缶。
それがヒロユキの大切な大切な食べ物でした。
食いしん坊だった僕は甘い甘い弟のミルクはよだれが出るほど飲みたいものでした。
母は、よく言いました。
ミルクはヒロユキのごはんだから。
ヒロユキはそれしか食べられないのだからと。
でも、僕は隠れてヒロユキの大切な大切なミルクを盗み飲みしてしまいました。
それも何回も。
母と僕に見守られて弟は死にました。
病名はありません。
栄養失調です。
どうもありがとう。
(拍手)どうもありがとう。
スタジオには米倉さんの絵もお借りしてきたんですね。
ご覧いただきますと…。
独特のタッチですよね。
米倉さんは、舞台の…昔から一部屋一人なんてことはありえませんでしたし5〜6人のお部屋で。
その部屋が、みんなが寄ってきて談話室みたいになってしまうときも例えば3畳ぐらいの次の間みたいなものございますよね。
日本間だと。
そこに、宿屋の机を置いてご自分で、いっつも皆さんのお話を聞きながら絵を描いてらっしゃいましたね。
いっつも、どの公演のときも描いてましたね。
次の芝居のポスター描いててなんてきれいな絵描くのかしらと思って、よく話を楽しみながらもその米倉さんの絵の出来上がっていくのを私も楽しみにしてましたね。
舞台やりながら絵を描いてらしたから芝居と演劇と絵とはもう切っても切れない密接な歴史があるんじゃないんでしょうかね米倉さんの中に。
絵本もそうですけどもねその中には戦争の問題そして、差別の問題を思いを込めて描いてらっしゃいました。
そうです。
だから、そう…その優しさっていうのがやっぱり、お友達の中に朝鮮人の方がいたりっていうんでその、人種差別にはすごく敏感でらっしゃいましたしそれからどんな小さな役の新人の人にも新人じゃない人にも寄ってってなんかサジェスチョンをしたり生きるような手だてを考えていたことっていうのがどの…芝居って人間を扱う仕事ですのでね。
そういう配慮…米倉さんのそういう思想がきちんと、いつもふだんから表れてたのかな。
ふだんから優しかったですね。
思想って、おっしゃいましたね。
どんなことがあっても戦争はしないっていうこととかやはり原子力発電所の問題でもきちんと、ご自分の考えを発してたと思いますね。
憲法のことにしても、さっきちょっと出てきましたけれどご自分の思想を役者やりながら表現していくっていうのはなかなか勇気のいることだと思いますけれどもそれは一貫して変わらなかったんじゃないかと思いますね。
その平和への思いをですね米倉さん、芝居よりも本当に大切にしてらしたわけなんですけれどもそれが象徴的に現れた一つが「おはなはん」ですね。
劇団民藝の舞台「おはなはん」です。
おはなはんは、もちろん樫山でいらっしゃいますけれども米倉さんは夫の軍人役で登場されてました。
そして演出もされているんですね。
ここで、ご覧ください。
この作品は、昭和41年放送の朝の連続テレビ小説「おはなはん」を舞台化したものです。
日露戦争に突入した時代軍人の妻となったおはなはんがさまざまな困難を乗り越えて明るく、たくましく生き抜いた物語です。
肱川が見える。
橋が見える。
キラキラと光る流れが見える。
あ!魚が跳んだ。
このシーンではたとえ軍人でも死んではならないということを強く訴えています。
ばかもん!速見中尉、命令!いい加減にせんか。
命令!速見中尉はいかなることがあろうと決して死ぬべからず!何を言うか。
決して犬死には、せんつもりだ。
じゃどん。
たとえ立派な死に方でも…。
死ぬべからず!決して…決して死ぬべからず。
♪〜復唱。
速見中尉いかなることがあろうと決して決して死にもはん。
終わり!おはなはん一家が差別を受けている青年と出会う場面には人間の尊厳が描かれていました。
わしゃ…!偉そうに呼び捨てにするな。
わしゃ、社長だぞ!
さあ…!
あれ?どこだば、けが人は。
いや、あの男です。
おい、おい、お前先生にちょっと傷、診てもらえ。
本当に残念だけどこの勝負、次の機会までお預け。
あれ、なんだば。
けが人って悪太郎、なだな。
なんだば。
わてを治そうっていう医者はやぶ先生か。
おめえだが…。
お医者様けが人を置いていくんですか。
奥さん、あんた知ってんのかね。
こいつは馬車引きの太郎っちゅうて乗り合い馬車の御者だがまんず、まともに呼ぶ者はいねえ。
誰でも、頭に「悪」付けて悪太郎っちゅう札付きの悪太郎じゃね。
たとえ悪たれだろうと暴れん坊だろうとけが人の治療を断るなんてお医者様として許されないと思います。
奥さん、こいつは…鼻つまみの暴れん坊ですよ。
いいえ、太郎さんは優しい人です。
太郎、おめえ、お二人にあのこと話ししたのか?そうか…いや…。
速見さん。
はい、なんでしょうか。
奥さん。
こいつはね…。
おら、朝鮮人だ。
おら、朝鮮人だ。
生まれも育ちも、この弘前だども両親は、れっきとした朝鮮人。
日本人と同じにつきあえるようにって一番、日本人らしい、太郎…金山太郎なんて親が付けたんだども役場に載ってる名前はキム・ヨンウォン。
祖国も知らねえ中途半端な朝鮮人だ、おら。
そう…。
それで?人並みに扱ってもらえねえ悪たれだ!太郎さんは私や子どもを助けてくれたわ。
少し荒っぽいけど気持ちのいい人です。
私、太郎さんを好きです。
そして、私の夫も…ね。
ぐっ…う…。
(おえつ)
軍人に対してね死んではならないって言ったりあるいは、朝鮮人だって言われてそれで?とおっしゃる。
強いメッセージが感じられますね。
そうですね。
テレビでは、すごく人気が出た作品ですけれどもなんで舞台にいまさらやるのっていうあれも、ありましたけれどそういう…もっと深くその米倉さんが舞台芸術としてやはり、人種差別とかそれから軍人でありながら生きて帰らなければとかそういうことがきちんと行き届いてすごく、いい舞台になってたんですね。
米倉さんは難しいことを言わない優しい言葉でいけないものは、いけない好きなものは好きっていうのがとっても、はっきりしていてこの芝居こんなによかったんですね。
なんか、もう…何年かぶりで見て本当に米倉さんの演出のおかげで生きたと思いますね。
94年ですからね。
ちょうど本当に20年前ですね。
いや…。
あの時代を一緒に生きたと思うとまあね。
ちょっと胸がいっぱいになりましたけれど…。
最後にですね、米倉さんが大事に大切にしてらしたことってどういうことだと思われますか。
やっぱり、あの…なんでしょう。
誰に対しても公平に誰に対してもいいことはいいっていうふうに言える自分で、素直にね自分で、いなきゃいけないっていうことなんじゃないかな。
でも、本当、その当たり前に平和の中で当たり前に生きていくことの大切さみたいなものをね教えていたのかなと思ったんですけども。
やっぱり、芝居をやれる。
芝居を見てくださる人がいる。
なんでもないことっていうのは普通なんだけど自分たちが積み上げてきた普通でね。
この普通がずっと続くといいっていうことですよね。
それは、米倉さんがずっと言い続けてきたことじゃないんでしょうかね。
芝居を見る、芝居を喜べるテレビを見れるっていうことはごくごく普通なんだけど大事なことですよね。
本当、幅広いその活動の根っこにしっかりとした考えがあったなということをきょう改めて思いました。
本当に、そうですね。
残念ですけれどきょう改めてまた米倉さんっていう人がよみがえってとても、いい時間を過ごさせていただきました。
こちらこそ。
本当どうも、ありがとうございました。
きょうは、樫山文枝さんにお話を伺いながらお伝えいたしました。
ありがとうございました。
2014/09/23(火) 10:05〜11:10
NHK総合1・神戸
米倉斉加年さんを偲(しの)ぶ「芝居と絵本 平和への願い」[字]
俳優・演出家・絵本作家など多彩な活躍で知られた米倉斉加年さん。その活動の根底には戦時中に弟を亡くした経験からくる平和への願いがあった。
詳細情報
番組内容
「芝居と絵本 平和への願い〜米倉斉加年さんを偲(しの)ぶ」 【ゲスト】樫山文枝,【キャスター】桜井洋子
出演者
【ゲスト】樫山文枝,【キャスター】桜井洋子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
劇場/公演 – その他
ドラマ – 国内ドラマ
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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