これからも住民の方々に喜ばれる壁画を描いていくぞ〜!
(一同)オ〜!来週もお楽しみに!福島県双葉町で暮らしていた…原発事故により自宅に戻れない生活が続いています。
東京電力福島第一原発の事故により全町民が避難した双葉町。
あの日から3年以上の月日がたった今も放射線量が高い地域があるため立ち入りが厳しく制限されています。
天野さんは3か月に一度原発から4kmの場所にある自宅に一時帰宅をしています。
家の中は今も震災当時のまま物が散乱しています。
あの日妻と自宅にいる時震度6強の激しい揺れに襲われました。
地面にシートと布団を敷き寝ようとした午後9時。
防災無線から放送が流れます。
そして翌朝全町民に避難指示が出されます。
天野さん夫婦は隣の家の人の車に乗せてもらい40km離れた川俣町へ向かいます。
ふだんは1時間の道のりを7時間以上かけて到着。
避難所の体育館にはおよそ700人が避難していました。
3月14日の夜10時ごろ天野さんは避難者たちがひっそりと避難所を出ていくのに気付きます。
天野さんも一緒に逃げてきた隣の家の人から「避難所を出よう」と誘われます。
しかし2人は避難所に残される人たちの事を思うと決断ができませんでした。
とどまる決意をした2人。
しかし避難所にいた後輩の必死の説得により夜明け前に避難所を後にします。
天野さんは再び双葉町で暮らす事はできないだろうと考えています。
みんなは「ワークライフバランス」って言葉を知ってる?2014/09/22(月) 23:20〜23:25
NHKEテレ1大阪
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県双葉町 天野正篤さん」[字]
双葉町に住んでいた天野さん。大地震が来た時の家の言い伝えで、夜、庭に布団を敷き寝ようとした時、防災無線で屋内退避の指示を聞いた。翌朝、全町民に避難指示が出された
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。福島県双葉町で暮らしていた天野さんは自宅で激しい揺れに襲われた。大地震が来たときは庭に布団を敷いて寝るようにという家の言い伝えで、その夜は外に布団を敷き、寝ようとしてした。しかしその時、防災無線から屋内退避指示の放送が流れた。そして翌朝、全町民に避難指示が出され、40キロ離れた川俣町へ向かった。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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