芸能人アノ同期は今 2014.09.22

もう1か月私でもあったよ。
やっとけって言われて…。
トラウマみたい…。
亡くなってるけど怒られんじゃないかみたいな…。
ものすごく苦しくてさ。
…やろうと思ったのが100円均一。
お店作ったんですよ。
それはもう完全に失敗だったんですね。
同じスタートラインに立っていた同期たちはそれぞれが別々の人生を歩んでいた
同期と
その男はNHKホールの前で同期を待っていた
(スタッフ)おはようございます。
おはようございます。
「さあさルイ・ルイ・ダンスララステップ踏んで」
その後タレント俳優に転身しNHKホールこれは僕が
青春の全てを捧げた番組
当時アイドルたちがこぞって出演していた大人気番組である
ここのNHKホールの舞台とか袖には僕の当時はね…。
そういう頃だったんです。
その中で…その中の1人が来るわけです。
どうもお久しぶりです。
わかる?わかる?
(一同)ルイ・ルイハイッ!
いよいよ再会の時
果たしてハハハハハ…。
ルイ・ルイ!
(2人)ハハハハ…。
麻世か!いやあ懐かしいね。
誰が来るのかと思ったら。
この場所も懐かしい。
やあやあやあ…。
やあやあ。
身長縮んだね。
もうねだんだんね縮むんだよ。
ほっとけアホ!
僕の同期皆さんもご存じの川麻世
覚えてる。
思い出した。
ええ?あの頃さそんなふうにドーンと書かれてさ…。
当時僕らはサンデーズというグループの一員として番組に出ていた
2つに挟まれた正直微妙な位置のアイドルでした
初めて会ったのってどこで会ったの?えっとね月刊『明星』のスタジオで会ったの。
すげえ…よく覚えてんなあ。
会う前に俺もう知ってたんだよね。
陽ちゃんの事。
なんで?なんかね…。
ジャニーさんが持ってたのかな?ジャニーさんがお前のライバルだって…。
そうそうそうそう。
実際会ったら…。
そうでもなかった。
(2人)アハハハハ…。
だって『レッツゴーヤング』の
(川)そうだよねずるいよね。
川麻世とともに順風満帆なアイドル人生を歩んでいた
…と思いきや現実は甘くなかったという
そうだってこの…。
(川)うん。
それがとにかくそんで色んな歌手の親衛隊がドンドンドンとこうやって…。
もうひと目見たら誰のファンってわかるような。
前説でさ本番前にサンデーズで出て行ってさ…。
皆さんこんばんは!…ってあったじゃん。
どうしたの?だんだんだんだん声援が落ちていくのが自分でわかる時。
はあ…。
そういうのなかった?いや…。
俺はね…。
安定してた?いや安定じゃない…。
同じ事務所だから…。
ハハハハ。
あまりのすごさに?ビックリしたもんね。
いやあすごかったねあの人数は。
僕はその毎週ね自分のその「キャー」が太川陽介ですっていう月曜日行きたくないっていう思いを実はしてた。
へえ〜!意外だなそれ。
狩人。
ああ…。
だってデビュー…『レッツゴーヤング』で3月から撮り始めるじゃない。
それが太川陽介です。
キャー。
川麻世です。
キャー。
(川)すごかったね。
ねえ。
うわあ…。
すごかったね。
(スタッフ)すいません。
このあと…。
一緒に会おうよ。
行くの?というか…。
(笑い)麻世は本当に細かい事まで覚えてるから。
(川)覚えてる俺本当…。
誰と会うのかわかんないけど。
さあさあさあ誰だ?誰だ?行こうか。
よしなさいよそういうの。
わかった。
わかった。
だって俺に話してくれた…。
あっそう。
ハハハハハ…。
ちょっと行こう。
やばっ…。
次に僕らが向かったのは東京大森
どうやら僕の同期がここで頑張っているんだとか
意味があるの?
(スタッフ)はい。
ああ…なんとなくわかったな…。
大森でわかるの?ああ。
あいつ確か大森だったもんな…。
いつの話してんの?38年前の話?いやいやジャニーズの後輩…。
違うかな?確かそうだったと思う。
2人目の同期はひかる一平
1980年『金八先生』第2シリーズでデビュー
フェミニンな雰囲気で爆発的な人気を呼んだ
いよいよ再会の時
果たしてわっせわっせわっせわっせ…。
わっせわっせわっせわっせ…。
わっせわっせわっせ…。
出たあ…。
(笑い)
(ひかる)どうもお久しぶりです。
わかる?わかる?はい一平です。
(川)元気?
(川)久しぶりだね。
(川)相変わらず大森なんだ。
はい。
ひかる一平
デビューは僕より遅いけど『レッツゴーヤング』で同じ時期を過ごしたいわば同期の仲
当時はお互い忙しくてこうやってゆっくり話すのは初めてかもしれない
そんな一平が僕らを連れてきたのは大森駅前のビルだった
こっちです。
まあちょっと見て頂ければ…。
殺されそうだな。
(ひかる)いやいや…。
そこまで怪しくはないです。
あっこっちか。
こちらです。
何?これ。
(川)スタジオ?何?何?えっ何?
(ひかる)こっちですこっちです。
(川)ジム?
(ひかる)どうぞどうぞ。
こんにちは〜!こんにちは〜!
(子どもたち)こんにちは〜!
(ひかる)どうぞどうぞ。
(川)何?これ。
僕がやってるのはチビちゃんから大人までいるんですけども…。
(川)芸能プロダクションやってるの?
(ひかる)はい。
僕が教えながら…。
(ひかる)はい。
すげえ!
ひかる一平は
現在子役を含む俳優が30名所属する事務所の社長を務めている
かつてのアイドルがここまでくるのには激動の人生があった
サンデーズを卒業後『レッツゴーヤング』の司会者に
そんな時右も左もわからないひかる一平が加わった
そうです。
あの…。
(川)得意じゃん。
(川)知ってる。
だからなんかわかんないけど本当にリズムとったりなんか…阿波踊り的な踊りをしてたんだと思うんですよ。
いやそれで受かっちゃったから自分がビックリみたいな。
とにかく踊れない歌えないどうすんだお前…。
ほらなんだっけ?あの先生…。
歌の先生いたじゃん。
和田先生。
すぐ怒られて。
それは音程が悪いの?何が悪いの?
(川)ハモれない。
同期は誰がいるのよ?まったくの同期はだから歌だとマッチと…。
マッチ同期だったの?
(川)大二郎もそうじゃない。
大二郎とか…。
堤大二郎。
新田純一とかあとまあ亡くなっちゃったけど沖田浩之…。
その辺から縦の関係が崩れた頃だよね?どうなんすかね?まあヒロはいい奴だったけど最初の礼儀はダメだったもんね。
(笑い)
すでに当時は
デビューしたものの僕あの時デビューしてね一番…マッチとかトシちゃんとか麻世さんとかいるじゃないですか。
(川)行った行った。
毎週末は行くんだよ地方に。
本当に例えじゃなく…。
俺なんかさあっ…そう!そう拡声器で歌った事あったな。
場所によってはね。
なんで…あの黄色いやつで。
あれで歌った事あるよね?ヒャオ〜ンとかってハウったりするんだけど…。
当時18歳のひかる一平は俳優に転身
『必殺仕事人』に出演するもなんとなく生きてきた彼に突きつけられたのは厳しい現実であった
僕『必殺』で藤田さんの名前すら知らないでそこも入っていったんですよ。
『必殺』がすごいんだかどうだかも全然わからずに入ってってまあまあ当時ジャニーズだったんで毎日マネジャーと一緒に行って楽屋にこもってご飯もなんでも持ってきてもらい草履から何から全部用意してもらいっていうスタンスで京都に行っちゃったんで…。
はい!そんな事して…。
だから大部屋さんとかにもいじめられたし照明さんカメラさん全部から…。
そりゃそうだよなんだこいつ生意気だと思われるよ。
真っ直ぐ歩いてるととにかくみんなぶつかってくる…。
そんなにやってたの?ちょっとやりすぎちゃって。
ちょっとお酒飲んだんですよ。
あ遅刻した話ね。
遅刻もそうだったんですけどまああの…。
バカじゃない!?こいつバカ。
ひかる一平のお前アホだよ。
いや違う。
藤田さんは…。
それ普通もう芸能界から抹消されるよ。
そんなにやってたの?ちょっとやりすぎちゃって。
ちょっとお酒飲んだんですよ。
あ遅刻した話ね。
遅刻もそうだったんですけどまああの…。
バカじゃない!?こいつバカ。
バカな奴だ…。
本当に?マジで?お前アホだよ。
いや違う。
藤田さんは…。
それ普通もう1年の休みどころじゃなく。
でプロデューサーがお前これはな藤田さんなんにも言わなくてもお前これ度が過ぎてるぞ。
とりあえず降りろ。
ああそう。
(川)なるほど。
当然なんかしなきゃこれまずいな…。
芸能界ってやっぱりそれだけで食ってくの大変だよなって思って…。
ちょっと貯蓄が出来たしじゃあそれ懸けてやろうと思ったのが…。
まだ100均がそんなに有名じゃない頃?
(ひかる)まだ全然。
(川)儲かったんだ?
(ひかる)儲かりました。
それやって2年よかったんですけどやっぱり2年経ったら誰でも出来る商売なんであれは儲かるんだみたいな事になっちゃったんだ。
そうです。
お客さんがいつも入ってるし。
あれよあれよでそのうちこれまずいなと思ってたらだんだん…。
それもうお金にならなくて。
まあそれはもうで他に…。
そこをたまたま貸してくれた不動産屋さんが商売ってそんな甘くないんだよ。
お前自分でねなんにも…出もしないで人に任せてそんなもんがうまくいくわけないだろ。
1個仕事を教えてやるよって言われてやったのが学生街だったのでそれをやってみないかと。
そういう業者?
(ひかる)業者みたいなの。
(川)清掃業者みたいな?
(ひかる)清掃業者です完全な。
いつしか
苦しんでいたのはひかる一平だけではない
実は彼もどん底を味わっていたという
その苦悩とは…
でもやっぱりそうだね。
ねえ。
頻繁に陽介さんそんな時代ありました?あったあった。
いつ頃?30前。
もう辞めさせてくださいっつって。
バラエティーも一切いったん辞めて『レッツゴーヤング』も辞めてでさあ役者になろうと思ったらそんな頃あったよ。
あったんすか?
(川)どうしてた?人と会うとさどうしてるの?最近って聞かれるじゃん。
必ず。
ね?そうするとまあなんやかんややってますよってそのなんやかんやって言ってごまかしてる自分がすごい嫌でさ。
だからもう人と会うのも嫌になって。
もうどこに向かっていいかわからないから何も出来ない。
だからもうただひきこもって。
で3か月かこんな事してちゃ。
それで自分に大丈夫僕は5年後には絶対仕事をしてる。
このまま終わる人間じゃない。
絶対5年後は仕事してる。
…って言い聞かせて言い聞かせてそれでまた誰かが…久しぶりに飯食べようとか言われて行って今?
(ひかる)おお〜自分から。
言えたの。
それまでごまかしてたの。
乗り越えたんですよね壁を。
そしたら楽になっちゃって。
それで人とも会うようになって。
途端に流れが変わったんだ。
(川)そうだね。
やっぱり自分だね。
(川)自分だよね。
どん底を脱した彼は女優の藤吉久美子さんと結婚
6年後長男も生まれた
その頃ひかる一平にも転機が
それは友人の紹介で子役の合宿所を訪ねた時の事だった
合宿っていうのがあって。
合宿が3泊4日…2泊3日か。
子どもたちと行ってまあ一緒に飯食って風呂入って。
でも子どもたちってもう本当チビたちばっかりだったんで。
でもそこでへえ〜。
あっ面白いこの子たち!すごく目が強いんです。
もう目標に向かってる子どもたちだからガンガン来るから。
そしたら負けちゃいけないなってその時思って。
でもうとりあえず色んな事…まあねえ自分が経験してきた事とか教えだしたらそれに食いついてくるから。
だったらまだやってやろうっていうんで約10年間…。
ここを始めたのは一年だから。
経営どうよ?うまくいってないんじゃないの?だってソファもうちょっとちゃんとしたの…。
これさなんかもう…すごいぞ。
これあの…。
うまくいってないんだろ?借りてるスタジオなんでうちは。
自分ところのじゃないんだ。
僕のじゃないんでここは…はい。
そこには僕の知らない一平がいた
彼はもう俳優をやるつもりはないらしい
長くかかったけど自分の生きる道を見つけたんだね
この子たちがテレビで活躍する姿を早く見たいな
(ひかる)はい。
ありがとうございました!ありがとうございました。
ありがとう。
よろしくお願いしますって言ったんだよね。
(川)偉いよ。
(ひかる)よく出来た子!確かにそうだね。
いい先生だよ。
はいそういう事を教えてます。
反面教師だったりして。
はい反面教師です。
一平も誘ってやってきたのは四谷
ここで僕の同期が待ってるらしい
こういうネオン見ると…。
なんかねクイッといきたいね。
クイッといきたいね。
こんなところで誰と会うんだろう?
3人目の同期は新田純一
いよいよ再会の時
果たして誰が待ってるんだろう?あれ絶対そうだよ。
(川)わかるな…。
あなたは誰ですか?おはようございます。
新田か〜!いや〜久しぶりだね。
どうもどうも。
新田純一も一平と同じ頃サンデーズに入ってきた仲間
彼とちゃんと話すのも初めてかもな…
楽しみだ
久しぶりに…。
乾杯!
(一同)乾杯!
(新田)いや本当本当。
そうだ!バラバラはあるけど…。
未成年だからまだ。
飲みにいくって事なかったから。
そうですよね。
当時子どもたちだもん。
そうだよね。
そりゃ一緒に飲んでないわ。
大きくなったね。
いやそんな感じだよ。
そうそう。
僕ですか?僕はあとで…ちょっと理由が色々あって…。
(川)えっ!
(新田)何?それ。
当たりです!たまたま…。
なんだ…。
そんなもんさドックの前の日も同じように飲んでなきゃダメ。
だから飲むのはいいんですけどそれでだって引っかかるの嫌じゃないですか。
普段どおりやってなきゃ!
(ひかる)でも僕マジで?何?
(川)ジジイじゃん。
(ひかる)もう全部ですよ。
うわ〜!大人になったね。
マッチに似ていると言われ続けた彼は実はその事に苦しんでいた
なんか一日何をやってるのかわかんないって時期あるじゃないですか。
そして夜中はレコーディングやってって…。
僕7万円ですわ。
僕8万円…。
俺も確か7万だと思うよ。
ああそう。
同じ!そんなもんですわ。
それはもうすでにデビューしてて?もちろんそうです。
ある程度仕事してて?もうバンバンやってて。
バンバンやってて?
(新田)バンバンやってて。
どっかその辺りだったと思いますよ。
ええ〜!
(新田)だから俺もうアイドルで全然…もらった経験ないですよ。
そんなにしてた?
(新田)要するに俺の場合…。
要するに自分の本当の性格っていうのは硬派っていうかそういう…やんちゃなのが本当なんだけどこう…かわいらしい方で売ろうとしたわけです。
曲とか色んなものも。
デビューさせてもらったのはありがたいんだけど結構つらかった。
(2人)ああ〜!懐かしい。
久しぶりに音楽業…。
昔の芸能…。
(太川・川)うわ〜!そうやって業界語言う人が。
うわ〜いた!うわ〜いた!ザーピーだよ?
(一同笑い)
(川)ザーピー。
しかしある事で人生が大きく変わったという
新田純一51歳一人じゃ歩けないとかっていう状況なんで全部自分が行かなきゃいけない。
さらに…
やっぱりいくらかもらえてたのかなあ。
やっときゃよかったかなあって?
今だから…
へえ…ご両親の?一人じゃ歩けないとかっていう状況なんで全部自分が行かなきゃいけない。
すごい大変だねやっぱり。
それでまた仕事…まして不規則な仕事をしてるわけだから。
そうなんですよ。
だから地方の1か月とかの舞台とかはちょっと今出来ないですよね。
ああそう…。
これね人生の選択があったんだけど。
うちの親父とお袋がある程度もう高齢になってからこんな歳になってからの話なんだけど…。
断る理由ないじゃないですか。
余生を楽しんでくれって俺は発言したんだけどでも実際には一人息子にしてみれば2つを監視しなくちゃいけなくなるわけですよ。
今まではお互いを監視し合ってたわけ。
でもそれが…。
監視というかまあね…。
監視っていう言い方がよくないかもしれないけど…。
面倒見合ってた。
面倒見合ってて何かあればどっちかがどうにかするっていう…。
でもそこでやっぱり…っていうような形で発見が遅くなっちゃったの。
ああそうなの…。
うん。
だから…やっぱり残されたお袋だけは責任持って大切にしないかんなって思ってやっぱりそこは一生懸命あの…携わってますけどね。
へえ〜…。
うん。
「街にムーンライト」
このあと
…とその前に
その女性はなぜか東京中野の古めかしい公園で同期を待っていた
はい。
色々いますけど。
(司会)16歳でデビューした松本伊代さん。
1981年16歳の時この曲で一躍トップアイドルに
(司会)松本伊代さん『センチメンタル・ジャーニー』。
「伊代はまだ16だから」
華々しくデビューした
以来アイドルとして第一線を走り続け…
デビューから33年
今もタレントとしてマルチに活躍する彼女が会ってみたい同期とは?
結構いるんですよ。
そういう人たちには会いたいな。
そう今回再会する同期とは…
30年前同じ堀越高校に通っていた3人の同級生
1979年中学生でホリプロタレントスカウトキャラバングランプリを獲得
伊代さんより先に歌手デビューを果たした校内きっての人気者だったという
卒業から1年後の1985年
伊代さんとは畑違いの演歌歌手としてデビューした
伊代さんの周りでは誰よりも早く芸能界で働いていた
いよいよ再会の時
果たしておーっ!ハハハ!
(比企)久しぶり!元気?おお〜!まあどうも。
まあどうも。
久しぶり〜。
この3人ですね。
お願いします。
いや〜懐かしい懐かしい。
久しぶり。
やだ〜。
やだ〜。
再会したのは堀越高校芸能コースでクラスメートだった3人
理恵ちゃんは私より2年も早くデビュー
アイドルの先輩として色々相談したな
ひろこちゃんは通称ノブス
真面目に授業を受けていたからよくノートを貸してもらった恩人です
扶紀ちゃんは当時からしっかり者
私たちの頼れるリーダー格だったな
久しぶりの再会です
このあと今何をしているのか色々聞いてみようと思います
まずは3人と出会ったこの道もなんかこういう感じだったよね?中野辺り。
そうだよね。
でもそう最初の頃だけ。
(朝川)ねえ歩かなかったでしょ。
そこ曲がったところに。
あっそうだったの?扶紀んちに。
え〜なんで?だから恥ずかしくって嫌だから扶紀んちに全部置かせてもらって…。
だから帰りは必ずうちに寄って私服に着替えて帰ってたんですよ。
(朝川)だからお世話になりましたその当時は。
大変だねそれ。
あっここだよ。
嘘!?何?今建て…。
(朝川)これ?
(比企)あっ書いてあるよ堀越学園。
(朝川)本当だ。
(仁科)休みなの?
(朝川)工事だ。
学校は?もう始まってるよね?
母校は現在改築中
残念ながら入れず
(仁科)ここでこうやってお辞儀してから入るんだよね。
ああそうそうそう校舎。
校舎になんかお辞儀する線がさ…。
(比企)でもあの階段…。
あったあの階段同じだよ。
懐かしい。
一番こっちだよね。
(朝川)見えないのかな?
懐かしいな
色んな事を思い出しました
でも私よりみんなの方がよく覚えてたみたい
そうだよね。
そうかもね。
(仁科)いつも裸足で歩いてたよ。
マジで?
(仁科)覚えてないの?覚えてない。
伊代来るたびにスリッパ買っちゃ盗まれて…。
いつも「松本」ってマジックで書かされてたじゃんスリッパに名前。
本当?じゃあ久しぶり。
乾杯!どうも。
(比企)ジャンジャジャーン!
(朝川)すごい年季が入ってる。
なんかこれさ色あせてるの?
理恵ちゃんが持ってきてくれたのは私たちの学年の卒業アルバム
懐かしいな〜
おお〜!かわいい!かわいい!よかった隣じゃなくて。
やだ隣じゃん私。
何順?これ。
理恵子。
かわいい!アイドルアイドル。
そうだ名前順。
これだ。
そうだよ。
そうだそれが名簿順だね。
堀越高校で
しかしそこでは芸能界デビューという他の高校にはない堀越ならではの人生の分かれ道を日々突きつけられていた
私でも理恵ちゃんなんかはほらやっぱもうデビューしてたじゃん。
ああ。
テレビで見てた人だみたいな。
本当?うん思った思った。
(朝川)『恋のローラー・ブーツ』と思ったもん。
「あなたの腕に…」
(比企)なんで知ってるの?「ララララ…」アハハハハ!すごいみんな。
憧れてたもんやっぱり。
そうかもね。
1981年高校1年生の春
歌手デビューに向け日々ボイストレーニングに励んでいた伊代さん
彼女にとってすでにデビューしていた比企理恵はいわば格上の存在だった
私なんかでもね最初は全然ねそんなに…。
でもデビュー曲でね一気にほら…。
『センチメンタル・ジャーニー』。
レコードジャケット持ってる。
なんで?なんでみんな持ってるの?写真集も持ってる。
そしてその年の10月…
ついにデビューを果たした伊代さんは一気にトップアイドルに
まだデビュー出来ないままだった朝川ひろこはその存在の大きさをまじまじと感じていた
私なんかからしたらもう雲の上の存在だったよ。
やっぱりアイドルと女優さんと…。
1回『センチメンタル・ジャーニー』のね振りをね伊代に教えてもらった事があるのよ。
覚えてない。
覚えてない?それぞれだねみんな記憶ね。
(朝川)教室で。
(比企)教室で?「伊代はまだ」
(比企)あっ覚えてる。
合ってる合ってる。
アハハハ…。
来るたんびにお願いお願いお願いってもう頼まれてたの全部書いてもらった私。
1982年高校2年生になると…
伊代さんは多忙を極め登校日が激減
その頃仕事もなく毎日学校に通っていた朝川ひろこはこんな事をしていた
毎日学校行ってたからなんかああ〜。
(朝川)で1回ね伊代からねうちに電話があったの。
アハハ!本当?で私アイドルの人から自宅に電話があったと思ってすごく…。
(仁科)アイドルの人から…。
(比企)アイドルの人から…。
私もよくかかってきた。
でさあのアハハハ!
(仁科)えっ?って。
ああのねゴニョゴニョ…えっ?みたいなずっと。
やだ〜。
そんな事あったかも。
1983年高校3年生
伊代さんはバラエティーにも出演
仕事の幅を着実に広げる一方で比企理恵は舞台ドラマに加えグラビアに挑戦するが…
よく覚えてるね。
海外ロケかなんか行ってさ怖い目に遭ったっていう話をさ中野坂上の駅歩いていく時に聞いてさもうえっ?そんな事が現実にあるんだと思って。
(仁科)衝撃的だったよ。
まあ大きく言うと色々要望に応えないで怒って撮影を中止した私が叩かれたって話ですね。
っていうふうに言われて…。
昔はでもさ私でもあったよそういうの。
やっとけって言われて…。
(一同)えーっ!
さらに私なんかもうスッポンポンで…。
濡れ場どころじゃない。
まあ大きく言うと色々要望に応えないで怒って撮影を中止した私が叩かれたって話ですね。
まあ脱いでくれというふうに言われて…。
昔はでもさ私でもあったよそういうの。
ふーん。
うん。
やっとけって言われて「え〜っ嘘〜!」みたいな。
でなんか事務所の先輩にも「今がねあれだからやっといた方が…」みたいな。
でも最終的にはカメラマンと2人になっちゃうじゃん。
そうそうそう。
偉いね〜。
でもやっぱりいくらかもらえてたのかな?
(仁科)相当もらえてたよ。
だってさ…。
今思うとね…。
あの時しか声掛けられなかった。
(仁科)人生変わったかもしれないよ。
そこの脱ぎで。
高校卒業後比企理恵は女優に転身
舞台ドラマの仕事が増えた
高校時代出来なかった事をやりたくなった私たちは表参道を街ブラする事に
その時私はみんなが歩んできたその後の人生を知る事になったのです
もちろん!結構並ぶんだけど…。
並んでるわよ。
でも喋ってれば…。
ええ〜!すごーい!
ここは今表参道で大人気のパンケーキ屋さん
(一同)うわ〜!まずはこのままお召し上がりください。
いただきます。
(仁科)どう?どう?うん。
(仁科)美味しい?うん。
やっぱりねー!でも私子役だったから…。
大学に入ってからの方がレギュラー何本とかで…だからあんまり行ってない。
仁科扶紀は高校卒業後女優として活躍
(仁科)ちっちゃい時は。
でちょっと手が離れてから…。
(比企)ああそうなんだ。
高校時代デビュー出来なかった朝川ひろこは卒業して1年後念願の芸能界へ
しかし不運に見舞われた
(朝川)最初の時はね国鉄のイメージガールとかっていってポスターとかも載せてもらったんだけどなんと民営化で全部仕事がなくなって…。
国鉄からJRになった時だ。
(朝川)そうそうそうそう…。
(朝川)それでだからまあせっかくデビューしたのにまたなんか落ち込んでみたいな感じでそういう事がいっぱいあってでまあ前から歌いたかった受かったから歌うようになって…。
それででもつかみ取ってるってすごいじゃん。
「サリーサリー」
懸命に努力しアニメソング歌手としての道を切り開いた朝川ひろこ
この『魔法使いサリー』をはじめ数々の主題歌を歌いその世界で活躍している
「moonlightdestiny」「微笑みも悲しみも」わあ〜!
(拍手)うま〜い!じゃあさせっかくだから伊代の『センチメンタル・ジャーニー』。
イエーイ!え?ちょっとみんな歌って。
ちょっと一緒に歌おうよ。
かわいいね。
かわいい。
ねえかわいい。

(一同)「雑誌のように」「私のページがめくれるたびに」入ってる?入ってる。
ああ…。
「放り出されてしまうのかしら」「それが知りたくてとても」いいの?「あなたの瞳の奥に旅してく」「わたしなのセンチメンタル・ジャーニー」「つぼみのままで夢を見ていたい」「影絵のように美しい」「物語だけ見てたいわ」「伊代はまだ16だから」
あれから30年
みんな色んな事があったんだね
今日こうして同期のみんなと過ごせた時間は忘れる事の出来ない思い出となりました
私の中に眠っていたあの頃の思い出話
高校生の頃には出来なかった街ブラ
全てが大満足
みんなこれからも仲よくしてね
わあ〜!かわいい〜!
その女性は小雨降る中同期の待つ場所へとやってきた
(スタッフ)おはようございます。
おはようございます。
(スタッフ)よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
1983年『ふぞろいの林檎たち』でドラマデビュー
大胆な行動に出る大学生の役で一躍時の人に
その後もドラマ映画に出演し30年以上にわたり第一線で活躍し続ける名女優
ちょっと楽しみなんですけど。
ドキドキ。
このあと高橋ひとみが2人の同期と再会する
ああ〜!美加理?怖くて?うん。
私なんかもう…。
あるに決まってる!あるんだけど…。
彼女の
35年ぶりに再会する女優高橋ひとみの同期とは!?
「あなたのする事いくじなし」
1976年16歳でアイドル歌手デビューした山本百合子
一体どんな間柄なのか?
いよいよ再会の時
果たしてわかる?あーっ!そうだよ!いや〜!あ〜っ!35年?うん!あーっ!
彼女が私の同期山本百合子さん
初めて会ったのは35年前
『ふぞろいの林檎たち』より4年前の私の本当の本当のデビュー作舞台『青ひげ公の城』の主役が彼女
『青ひげ公の城』は言葉の錬金術師と呼ばれた劇作家鬼才寺山修司の作品
常に過激な表現で時代を挑発
その一方で短歌が教科書に掲載されるなど今も多方面に影響を与え続けている
もちろん同期の2人にとっても寺山修司は大きな存在であった
アイドルでデビューしてて…。
ああそれはね…。
その理由は…
誰?ピンク・レディーだよ。
ええーっ?えーっ!夏ぐらいにピンク・レディーがバーンってデビューしてひえ〜っていうかもう陰にシュッと隠れちゃったのが私たち。
普通の女子高生だった高橋とアイドル歌手の山本が出会う
あの寺山修司の舞台で
オーディションの時なんだか知らないけど水着になったよね?水着…。
何?あれ。
そうだっけ?4人ぐらいに分かれて…。
その時に渡されて…。
そう。
一緒に帰るために。
そうしたら…。
もうだからその時かわいいって思われたんじゃない?熱心に…自分が終わっても見てるだから…。
ちょっと持ってきたんだけどその当時のを。
見る?見る。
これこれ。
私セーラー服でいるのこれ。
あー本当だセーラー服で。
なんでセーラー服だったの?制作発表やるっていうので何着ていこうかなっていうのね。
で新高さんが来て…。
それから…。
これ持ってるかも。
ほら。
持ってる?あー!あー持ってる。
あ〜2人で…。
お揃いの服…。
買ったんだっけ?そうお揃いの服買ってでバッジしてたらひとみちゃんもファミリア行って買ってきたんだよ。
とにかくねまねをしたかったんだと思うよお姉さんのね。
お揃いの服で
でもなんでこんな写真撮ったんだろう?
ここに書いてある「最後に愛した女性」って何?寺山さんが最後に愛した女性なの?あの…とにかく手紙魔っていうぐらい筆まめなのね。
ええっ!毎日出してるって事だよね?そう。
それでこういうところになんかキスマークをつけてくれたりとかして。
ええっ!じゃあ口紅塗ってるって事?塗ってないんだけど四角く書いてあって「ここが僕の唇です」って書いてあった。
そういうなんかお茶目なね…。
だからそれがものすごいたくさんあってそれはもう今宝物。
宝物?
舞台が終わっても恩人寺山の存在は大きかった
私は実は…。
そう舞台終わってすぐに…。
『百年の孤独』でしょ?台本読ませて頂いたらちょっと結構濡れ場とかがあってでまあまだ…。
ちょっとな…っていう事でお断りしちゃったのね。
でもすごいいい作品だった。
森の妖精みたいに…。
パーンと着てここになんか腰ひもやっただけの…。
脱ぐのには抵抗なかったの?ある。
あるに決まってる!そうよね。
あるんだけど寺山さんの言ってくださったこの素晴らしい作品で難しい役だけどとてもいい役だから頑張りなさいっていった時にこれは脱がなきゃいけないんだって思って…。
そうか。
私多分さそう。
そうかもしれない。
同じ
2人が出会って2年後…
早い!そう早いの。
その時にねちょっともうアニメの歌の方からアニメ界に入っていて『サイボーグ009』とかあの辺の劇場用の歌を歌わせてもらったりして。
結婚するにあたってまあ一般の男性だったので裏の方のあんまりこう
結婚を機に表舞台に立つ女優から声優に転身
アニメなどで多くのヒロインに命を吹き込む事に
あの…ここに書いてあるねこうやってほしいのがあるんだけど。
やっぱり『北斗の拳』のユリアとか…。
『北斗の拳』のユリア。
『魔法使いサリー』のサリーちゃんとか聞きたいんですけど…。
『北斗の拳』のユリアね。
はい。
「ケン…ケンシロウ!」「あなたとの約束守れなかった…」ウ〜フフフッ!サリーちゃん?サリーちゃんサリーちゃん!「夢野サリーです」「ひとみちゃんとご主人がずっとずーっと仲良しでいられますように」「マハリクマハリタ!」かわいい!今までこう…。
(山本)「この一角に…」
現在は番組のナレーションなども担当
幅広く活躍している
月日は流れ
ついに最高の幸せをつかむ
会った回数わずか6回
52歳で初婚だったのにはあの寺山修司の存在が大きく関わっていたという
『ふぞろいの林檎たち』。
そう。
ねえ…。
あの時わざわざそうなの?でもそのために…。
えー!頼みにいってくれたっていう事も。
そういうなんかこう「やってあげたよ」とかそういう事もなく…。
言わないでね。
だからねそういう…。
愛が足りない愛が足りないっていってなんかずっと今に至ってやっと結婚出来たんだけど。
百合子ちゃんはこれからの事どんなふうに考えているんだろう?
でもまたドラマとかそういうのもやる…。
そんな事ない。
そんな事はない!いやなんかもう出たくないっていうか…。
声が好き。
百合子ちゃんとの楽しい時間を終え私は2人目の同期が待っているという静岡県のとある公園の駐車場に来ました
全く知らないこの場所で待っている同期って一体誰なんだろう?
いよいよ再会の時
果たしてああ〜!ああ〜!アハハ!こんにちは。
フフフ。
美加理!全然変わってない。
いや全然変わってない〜。
(2人)お久しぶりです。
私の同期美加理
寺山さんの舞台『青ひげ公の城』で一緒にデビューした同い年の彼女
彼女とも
でも美加理は東京生まれ
どうして静岡にいるのか疑問でした
わあ〜何?ここ。
ね?素敵でしょ?すごいきれい。
これは楕円堂っていう劇場になります。
え〜!この中が?見たい!
美加理が案内してくれたのは公園の中の劇場
ここは静岡県が運営する舞台芸術公園
今年東京から静岡に移り住んだ美加理
(一同)男の心…!いや〜嬉しい〜。
嬉しいわ。
かんぱーい。
乾杯。
うん美味しい。
どういうふうな応募があったの?寺山さんのお名前はもちろん知ってたし教科書にも載ってたでしょ?うん。
だからあっこれは!と思って。
『ふぞろいの林檎たち』で華々しくデビューした高橋
その頃美加理も…
映画テレビでお呼びがかからなかったっていうのももちろんあるけど…。
すごくお客さんが喜んでくださる姿とかそういう声をちゃんとこう感じる事の方がやっぱり楽しかったのかなあ。
私の場合はそれで『ふぞろいの林檎たち』っていう道を作ってくれて…。
逆にあの…。
怖くて?うん。
だから
それ以降高橋は長い間ドラマ映画を中心に仕事をしていた
しかし…
最近舞台を…。
うん今…今も怖いんだけどなんかみたいなトラウマみたいな…。
それがあって帝劇でやった舞台で…。
帝劇みたいな大きなところではドキドキしちゃって嫌だ嫌だって言ったらバカじゃないのって。
のれんあげるからやりなさい!って言われたの。
やって本当によかったの。
それからやっぱりすごく…。
もっとやっていきたいなって。
背中を押してくださったのはどなた?ただ友達なんだけどね。
そうなんだと思った時に…。
やらせて頂くのね。
以来チャンスがあれば舞台に立つようになった高橋
一方美加理は動きだけで演技をする斬新な表現方法でアジアやヨーロッパで高く評価される女優になった
さらに…
今年11月には彼女たちのデビュー作『青ひげ公の城』の公演で主演を務めるという
私の事を「お前相変わらずだな」って…。
自分の方が年下になっちゃったからね。
超えちゃったじゃない?私たち。
そうだね。
今日再会したお二人
なんでもがむしゃらに立ち向かう百合子ちゃんは若い頃の自分を思い出させてくれた
今も舞台を一生懸命頑張っている美加理
私も美加理のようにこれからも舞台を続けていこうと思います
太川陽介のもとにまたまた同期が来たようだ
「フライ街にムーンライト」ルービー1つ!
4人目の同期は渋谷哲平
当時の超人気アイドル
この3人が…
いよいよ再会の時
果たしてルービー1つ!
(新田)きたよ!ほらルービー。
ハハハハ…。
いや〜渋谷哲平!
渋谷哲平はあの頃僕が一番かわいがっていた後輩
麻世とともにサンデーズの一員だった仲間だ
2人は今でも僕の知らないところで交流しているらしい
麻世と俺の誕生日に夜中に一番最初にメールしてるのは…。
(川)いまだに。
いまだにまだ?誕生日の日お互いに…。
いまだに?00分に。
え〜っ!?ハハハハ…。
来なかったら。
LINEやってるのはじゅんいっちゃんだけだよな?いやだから…麻世とも繋がったの最近。
兄貴ガラケー?
(新田)なんだガラケーなの?ガラケーだよ。
俺もガラケーだけど。
一平もガラケーなの?ガラケー。
僕持ってるんですよ。
iPhoneも持ってるしiPadも持ってるんですけどiPhoneの…押すじゃないですか。
カサカサで。
知らねえよ。
ハハハハ…。
生体反応がない…。
実は。
本当?本当。
ほら。
2個持ち。
なんで2個…。
(ひかる)ガラケー2個持ってるの?逆に怪しくねえ?
(ひかる)それおかしくない?なんもないの。
(渋谷)誰用なの?いや…。
隠してないから。
渋谷哲平はサンデーズ卒業後俳優となり今も舞台を中心に活躍
すっかり渋みも増した
そんな哲平がみんなで歌おうと提案
おじさん5人ですっかり盛り上がっちゃいました!
「ラッタッタッタッタタララタンタタラタラタラ…」ハイ!
(一同)「眼を醒ませよ」「さあ眼を醒ませ」「チャッチャチャッチャチャチャッチャチャッ」
(一同)「ほらほらきみ食べられちゃうよ」「タッタタッタッタラッタラッ」
(一同)「きみのほほをつねってあげる」「これでおしまいとわからせたいよ」「さあ踊ろう太陽の下」イエーイ!
(一同)「さあさルイ・ルイ・ダンス」「ララステップ踏んで」「もう恋にやぶれた昨日はバイバイなのさ」「ほらこんなに可愛いきみに逢えたもの」「まるでごきげんさルイ・ルイさ」ハイ!
(一同)ルイ・ルイ!ハイ!イエーイ!おお〜!イエーイ!ハーイ!ありがとう!いいねえ。
(新田)ショートバージョン。
すごいねえ。
このあとなんかさやっぱりさ何年も経ってこうやって語れるっていいよね。
そうだね。
そう。
で例えばみんなはさ同時期にほとんどサンデーズでしょ?僕はだから司会だったからこういう感じで喋れなかったのよ。
そうだね。
あの頃。
当時はだって未成年だからお酒も飲めなかったしそういうこの30年を経てなんかこういうのってありがたいですよね。
こういう機会ってね。

(ギター)だから38年…あのね編集しづらいんだよ音楽が入ると。
一応メッセージを弾いてみたんだけどね。
(ひかる)逆にあの違う音楽が入ってるかもしれない。
同期のみんなと会って覚えてた事忘れていた事知らなかった事
色んな事喋って人生がリフレッシュ出来た気がします
何よりこうして元気で再会出来た事が一番嬉しかった
みんなありがとう!
2014/09/22(月) 01:53〜03:21
ABCテレビ1
芸能人アノ同期は今[字]

同期を見れば自分の人生も見えてくる…人気芸能人が今は全く別の道に進んだ同期と対面!あなたは長年会っていない「同期」がどんな人生を送ってきたか知っていますか?

詳細情報
◇番組内容
どんな世界でも「1つの道」を歩き続ける人より途中で「別の道」を選ぶ人の方が多い…
それは芸能界でも一般社会でも同じこと…
全く同じスタートを切った者同士はそこからどんな人生をどんな思いで歩んできたのか?
◇番組内容2
▼太川陽介 アノ伝説の歌番組の同期達が続々登場!同期の知られざる苦悩の転落人生…
▼松本伊代 堀越の同期と禁断の恋愛事情暴露
▼高橋ひとみ 何と35年ぶりの再会!巨匠・寺山修司とのただならぬ関係が!
◇出演者
太川陽介 と 同期の皆さん
松本伊代 と 同期の皆さん
高橋ひとみ と 同期の皆さん

ジャンル :
バラエティ – お笑い・コメディ
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
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日本語
サンプリングレート : 48kHz

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