NNNドキュメント「山津波 宅地開発の死角 広島土砂災害の教訓」 2014.09.22

急な山が切り開かれマイホームの夢が叶いました
それは広島の被災地も同じでした
値段も安かったし環境もいいし。
まぁ見に来た時ウグイスも鳴いてたんで。
高台ですから見晴らしもいいし。
山が崩れるとは考えもしませんでした
(リポーター)広島市安佐南区八木上空。
山から流れた土砂が家をのみ込みそして押し流しています。
(リポーター)山側からですね泥水が住宅街のほうへ向かってすごい勢いで流れ込んでいます。
そこが土石流の通り道いうのが分かってればねここらに住むことはないと思うんですけどね。
分からなかったんで。
1か月前74人の死者を出した大規模土砂災害
土石流が津波となって山裾の住宅地をのみ込みました
山からの警告はなかったのでしょうか
(雷鳴)
災害の引き金となった集中豪雨
・ヤバいよもう危ない危ない・
(男性の声)とにかく水が増えて来て一気にバ〜っと。
怖かったですよもう死ぬなと思った。
8月20日の未明広島市北部などで107か所もの土石流59か所のがけ崩れが起きました
市内中心部から車で30分
14kmの範囲に犠牲者が集中しました
土石流の通り道になり多くの家が流されました
土砂が救助を阻みます
局所的ながけ崩れ
1階で寝ていた男の子2人が亡くなりました
3歳の男の子を助けようとして消防隊員も命を落としました
山津波が平穏な暮らしを奪いました
結婚50年という長い月日を一緒にやって来たんですけどもこの際の災害で命を落としたということは本当に残念です。
上がれるん?
災害発生から2日後
安佐南区八木の自宅に戻るある夫婦に出会いました
その家は大規模な土石流の被害を受けた県営住宅のすぐそばにあります
ガレージは流され1階の和室に土砂が押し寄せました
2人は当時2階で寝ていました
家が…寝てたらぐらぐら揺れだしたんであ〜地震だと思ってそしたら父さんが「すえみ土石流じゃ早来いこっちに来い」言うてここ呼んでくれたもんですから。
外がね2時3時っていったら真っ暗じゃないですか。
光も何にもないし。
どういうふうに土石流がね流れて来よるんか分からなかったもんですから。
夜が明けて窓から見た景色は…
(すえみさん)あそこ大きな石がありますよね岩が。
あそこに去年立ったばっかりのまだ半年ぐらいしか経ってないアパートがあったんです4軒。
全員入っとっちゃったんですよあれもだから跡形もない。
財原さん夫婦は28年前中古の建売住宅を購入
この土地が気に入り家を建て替えて住み続けました
2人の子供を育て上げ老後はのんびり過ごすはずでした
(記者)財原さんは今後どうされるか今決められて…。
あっいやもうここにしかね行く所がないですから。
私らももうね年金生活でやってますからここをね出てってどっかに住むっていってもなかなか経済的にね難しいですから。
危険と隣り合わせだったわが家
なぜ山沿いで宅地開発が進んだのか
ヒントになるのが…
広島市の人口が40万人を突破した当時周辺町村と合併し広い都市圏をつくろうとしていました
住宅不足の中佐東町の山裾の土地今の八木地区に目が向けられたのは自然の成り行きでした
土石流で1人が亡くなった…
県営住宅が建ったのも大広島構想の翌年でした
この時は平屋建てでした
その後宅地開発はさらに山の上へと進んで行きます
(ナレーション)膨れ上がる人口に悩んでいる。
市内は復興を超えてすでに身動きもできず市民生活が圧迫され始めている。
市内からはみ出した人々が周辺に広がって行く。
(ナレーション)広島を取り巻く山という山はほとんど団地に変わってしまった。
川の氾濫に悩まされて来た広島市は平地が少なく新しい住宅は山に張り付くように広がりました
今や118万の人口を抱える大都市に
宅地開発を長年研究する間野名誉教授は市街地の拡大に法規制が追い付いていなかったと指摘します
(間野さん)山に迫っているからというので危ないっていうことってのはなかなか社会的には広がっていない時代だったわけですね。
だからまぁ法規制というか規制もなくて建てようと思えば建てられる状態にあった。
広島では15年前にも土石流が山裾の住宅を襲いました
32人の犠牲者を出した豪雨災害
この翌年国は都道府県が危険な場所を調査するよう定めた…
危険な箇所を黄色の警戒区域と赤の特別警戒区域に指定
警戒区域では自治体が避難場所を確保し住民に知らせる義務を負い特別警戒区域になると住宅の開発に規制が掛かります
調査対象が全国で最も多いのが広島県でした
しかし県は死者が出た八木など3つの地区を警戒区域に指定していませんでした
やはりもうちょっと…。
ちょっとここが遅れてしまったというのは現実です。
八木地区の阿武の里団地
4人の犠牲者が出ました
1960年代郵政の職員で組織する互助会が土地を分譲しました
息が切れそうなほど急な坂道の途中に陰山さんの自宅はあります
郵政に勤めていた父親が当時83坪をおよそ54万円で買いました
これお国が斡旋したもんですからね。
(記者)割と山際の団地だっていうことは当時住んでらっしゃって気にならなかったですか?いやいやそんなことは全然気にしてなくて。
やはり高台ですから見晴らしもいいしいうような感じで山が怖いとかそんなことは一切思ってませんでしたね。
・こんなの流れとる・
しかしあの日…
家の前の坂道は急流に豹変しました
自治会長を務めた陰山さんは68世帯が住む団地のにぎわいを懐かしみました
(陰山さん)みんな仲良く…自治会で正月互礼会とか花見運動会という形でね一同集まっていろんな催しとかやって仲良くやってたんですけどね。
若い世代も住んでいました
秦さんがマイホームを購入したのは5年前
その1階に土砂は流れ込みました
家を買う時不動産業者から土砂災害の危険性を聞いていました
(秦さん)真上ではないんですけどちょっと右のほうですね。
そこが一応危険の区域だということで。
ちゃんとお話はいただきましたね。
その時はやっぱり購入することでいっぱいいっぱいだったんで。
まぁあのそういうことが起こるのかなぁというのはゼロじゃないですけどホントに片隅に入れてるぐらいでこれから楽しいことが待ってるのかな…という思いしかなかったですね。
発生から2週間床下の土砂は取り除きました
しかし今妻と2人の小学生の子と別の場所で仮暮らしをしています
(秦さん)なかなか今日明日じゃ動かないと思うのでできれば住みたいですけどやっぱり助かったんで命をやっぱり…住むよりは優先するほうが高くなって来るのかなぁと。
この家のローンは残ったまま
先の見通しはまだ立っていません
土砂災害で10人が亡くなった…
116世帯が暮らしていました
41年間団地に住み続けて来た土井さんはこの部屋に寝ていて土砂に襲われました
隣に住む娘と孫に助け出されました
(土井さん)ベッドに中腰で座っとったんですよ。
そしたら足の下をちょろちょろちょろちょろ流れたじゃないですか。
ほいでこりゃヤバい思うてあそこに行ったんですけどその時もうすでにこう戸がひゃ〜…開かんのんですよね。
このガラス割れ言うてね割らしてそこから2人に引っ張り出してもらった。
それで助かりました。
うん。
全くもう死ぬ思ったんですよ。
娘の巳樹代さんは子供達を相手にピアノ教室を開いていました
(巳樹代さん)鍵盤も下りなくってこれが固まってるんですよね。
ここは音が出るんですけど湿ってるんですよこうなって。
上がって来ないんですよだからこの家を取り壊す時に一緒に壊してもらうしかないですね。
(記者)もう大さんは戻らないですか?戻らない…怖いですあの日のことを思うと。
ついのすみかになるはずでした
八木ヶ丘には団地の歴史をつづった記念誌があります
1960年代石を積んで急な斜面を平らにしていました
地元で長年不動産業を営む古本さんは団地が造成された当時をこう語ります
バス辺りでねお客さんをどっかで集めてここが今あなた達ご希望になればそのお家が建てられますよいうような案内をしたんだろうと思いますよ。
…いうような感じでその話が決まったいうふうに聞いております。
そして記念誌に残る住民同士の座談会にはこんな記述がありました
「水が山からドーッと出よったんです」
「土砂がズーッと」
今から40年以上前に起きたこの土砂崩れを目撃した人がいました
自分はね45年前にここへ引っ越して来たんだけど1回ちょっと水が出たことがあるんですよ。
鉄砲水がダ〜っと出てねその時にはう〜んとねちょっとある家の塀が崩れてそれで修復しただけで事が済んだの。
誰もけが人は出なかった。
その後団地から200mほど進んだ山の中に広島県が治山ダムを建設しました
しかし今度の土石流はダムを乗り越え住宅へと流れ込みました
砂防堤が出来るということで工事が始まってあ〜やっぱりああいうものがないと危険なんだなという認識をしたという感じですね。
だからそれが出来て1つは安心しとったいう部分もあるんですよね。
古くから八木地区には水害があったことを連想させる言い伝えがあります
1532年山の中腹に大蛇がすんでいて人里に下りて来ては人間に害を与えたため武将が退治したというものです
その蛇の首が落ちたとされる地を人々は「蛇落地」と呼びました
石碑も残されています
地名に詳しい専門家は蛇がつく土地は水害の危険性が高いといいます
水というのはね真っすぐ流れるようだけど実はあっちにぶつかりこっちにぶつかりこう流れるから蛇行して流れるわけです。
曲流するわけですね。
その姿が蛇の動きに似てるというのが1つと蛇が通った後はそこで脱皮するから皮が残ってるわけで。
そういうようなことから皮と…この皮膚の皮とそれと川というものを掛け合わせてそのように言ったのかもしれない。
この伝承が起こった時に相当の山津波が起こったんじゃないかと思います。
実際八木地区の歴史をまとめた本にもこの地は幾度もの土石流が重なって出来た扇状地だと記されていました
かつての蛇落地は上楽地に変わったといいます
時が流れ消えた地名
もし今も蛇という字が残っていたら…
この災害で言い伝えの地に暮らす多くの住民が犠牲になりました
あるじを亡くした家の基礎だけがむなしく残ります
その基礎工事に携わっていたのが古本さんでした
思いませんでしたし亡くなられた方に関してはね何でまぁここでこんなことが起きようとは夢にも思っておらんことですからホントに気の毒なことしたとは思いますよ。
黄色に塗られたのは9年前から県が調査し警戒区域に指定する予定だった地区です
災害から2週間後に公表
今回の被災地も含まれていました
この先どうしたらいいのか
自宅が土砂にのみ込まれた土井さん親子は仮住まいを探していました
(巳樹代さん)キレイよ。
(巳樹代さん)これ日当たりもいいしここに洗濯干せるし。
(土井さん)あるじゃんベランダが。
(巳樹代さん)ちゃんとあるよ。
置けますね。
広島市が半年間無償で提供します
(記者)ちょっとでもいい兆しが出て来たなって感じ?それでまた家族とね話し合いながら今後のことを決めて行きたいと思います。
一方被災した自宅に住み続けることを決めている財原さん
どうぞこのように変わりました今。
(記者)だいぶ変わりました?
(すえみさん)変わりましたね。
土砂は幾分減りました
それでも不安は募ります
今まではねいっぱい人がいらっしゃって家の明かりがついててよかったんですけどもう人が住まなくなっちゃうんでもう明かりもつかなくなるでしょうからね。
それは寂しいと思いますね寂しいいうんか怖いっていうんか。
そこにあった人々の暮らし
被災地では災害の後も新しい住宅の建築が続いています
同じ場所は無理でもできれば同じ地域に住みたい
そんな声も聞こえて来ます
平穏な暮らしを襲った山津波
危険と隣り合わせで生きている
あらためて思い知らされました
山が発する警告にどう向き合って行くか
問われています
集団自決をした白虎隊
生き残った貞吉はひたすら勉強に打ち込みました
そのことがなぜか会津の敵長州で今に語り継がれていたのです
2014/09/22(月) 00:50〜01:20
読売テレビ1
NNNドキュメント「山津波 宅地開発の死角 広島土砂災害の教訓」[字]

広島市の土砂災害。22年前に家を建てた男性は、不動産屋から山は全く心配ないと説明されていた。5年前、家を買った男性はローンが残ったままだ。宅地開発の死角を探る。

詳細情報
番組内容
広島の住宅地を襲った土石流。22年前マイホームを建てた男性は、不動産屋から当時「山は全く心配ない」と説明を受けていた。5年前、念願の一軒家を購入した30代男性も住宅に大きな被害を受けた。ローンは残ったままだ。広島では1999年にも犠牲者32人を出した豪雨土砂災害が発生、防災体制を強化していたはずだった。被災者たちは口々に言う。「まさか、うちが…」土砂災害に見舞われて1ヶ月。宅地開発の死角を探る。
出演者
【ナレーター】
松本光生
制作
広島テレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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ステレオ
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