島伸一教授によるアメリカ刑事訴訟法と刑事訴訟実務講座
島伸一教授の著書「アメリカの刑事司法:ワシントン州キング郡を基点として」から刑法・刑事訴訟法を楽しもう
 

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はしがき

はしがき

 1994年、私は州立ワシントン大学ロー・スクールの客員研究員として、
ワシントン州シアトル市で研究する機会を得た。そのとき借りた家の家主
がジャニス・ニーミ(Janice Niemi)さん。彼女は、州上院議員を経て、
キング郡上級裁判所刑事部首席裁判官に就任した進歩的な女性である。私
は、ロー・スクールの講義よりも刑事訴訟実務に興味をもっていたので、
引越し荷物を片づけるのももどかしく、彼女に裁判所の場所を尋ねた。彼
女は「O.K.」とふたつ返事で、翌日、ダウンタウンにあるキング郡裁判
所ビルに同伴してくれた。刑事裁判を傍聴するため、たまたま最初に入っ
た法廷の裁判官がアーサー・ピラー(Arthur E. Piehler)さんであった。
そこでは、まさにある強盗事件の陪審選任手続が始まろうとしていた。こ
れが私の、生きている「アメリカの刑事司法」との出会いである(以下、
「刑事司法」という用語は、「制度」と「手続」の両者を含む)。
 私は、毎日、ピラー裁判官の法廷に通い、陪審公判を傍聴した。ピラー
裁判官は、審理が終わると必ず私を裁判官室に招き入れ、その日の出来事
について説明し、疑問・要求にも快く応じてくれた。彼は、ジョン・ウェ
インが演じる騎兵隊の隊長のようにおおらかな、すぐれた決断力に富む裁
判官で、古き良き時代のアメリカ人を髣髴とさせた。最初の陪審公判は、
ほぼ1週間程度で結審したが、審理中の出来事は、マリナーズの野球以上
に多くの驚きと感動を与えてくれた。同時にそこから次から次へと疑問も
生まれてきた。私はそのつど、ピラー裁判官はじめ、パメラ・モア
(Pamela Mohr)検察官、ジョン・マックヘイル(John F. McHale)弁護人
に質問した。私か日本からアメリカの刑事司法の研究に来たと知ると、彼
らはどんなときでもいやな顔ひとつせず私の拙い英語に耳を傾け、「O.K.」
と言うまで繰り返し繰り返し根気よく説明してくれた。こうして、キング
郡裁判所の刑事手続に触れれば触れるほど、疑問と好奇心はふくらんでい
った。
 1994年のシアトルにおける研究期間にO.J.シンプソン事件も起こり、
追跡・逮捕から予備審問の終了までをテレビの完全中継によりライブで見
ることができた。こうしたいくつかの幸運(?)にも恵まれ、ありのまま
のアメリカの刑事司法を体験することができた。目の当たりにした刑事訴
訟は、刻々と変化し、躍動感に満ち、さながら生き物のように生命力に溢
れていた。
 私は、帰国後、早い機会に、「アメリカの刑事司法」の生きて動いてい
る「ありのままの姿」を本にして、裁判官、検察官、弁護人や被告人の吐
息までも日本に伝えることができればと願った。しかし、その後、毎年2
週間程度、シアトルを訪れ、調査・研究を重ねるうち、それが「途方もな
い夢」のように思われてきた。 1つの手続を辿っていくと、その先には新
たな手続が始まる。また、1つの手続から横にそれると、別の手続の入り
口がある。いわば、1つの手続は、他の手続と「縦のつながり」とともに、
「横のつながり」、さらには「上・下のつながり」をももっている。
 要するに、1つの手続(たとえば、陪審公判)というのは、各種の手続
から構成される合成物のほんの一部分にすぎない。私がキング郡裁判所で
見た陪審公判は、実は、タイタニック号を沈めた巨大な氷山のカケラにす
ぎなかったのだ。
 「アメリカの刑事司法」の巨大さと複雑さに圧倒され、幾度もその本の
出版をあきらめかけた。しかし、私がシアトルを訪れたとき、忙しい仕事
の合間をぬって快く研究・調査に協力してくれる法律家や警察官らに出会
うたびに、彼らの厚意にこたえる最善の方法は、早くその本を完成させる
ことであるとの自覚を新たにした。
 2000年4月から翌年の4月まで、ふたたび同ロー・スクールの客員研
究員として調査・研究する機会が与えられた。そこで、いよいよこの機会
を利用して、従来の研究をまとめようとしたところ、多くの不備があるこ
とに気がついた。最初の在外研究からそれまでに、いくつかの制度や手続
が生まれあるいは消えていった。「十年一昔」とよくいわれるが、とりわ
け、直近の10年間におけるアメリカの刑事司法をめぐる改革の動きは急
である。そのため、私は、自分の目で必要な手続を再見聞し、最新の資
料・情報を収集しなおさねばならなかった。
 結局、「アメリカの刑事司法」の原稿の完成には、帰国後さらに1年2

か月あまりを要することになった。そのおかげで、最新の資料と情報に基
づき、被害者援護の実際や精神的に問題のある被告人あるいは家庭内暴
力・薬物事件への特別な刑事手続、さらに未成年裁判所の刑事手続などを
含め、バラエティに富んだ刑事司法の内容をより詳しく紹介できたような
気がする。そのうえ、次の3つの特徴を本書にもたせることができた。
  ①刑事司法制度や手続の流れの概観を図解で示し、また当該于続にお
   いて使用される書面を適宜挿入し、読者の理解を容易にした。
  ②イン砂-ネット時代にふさわしく、本文の説明に関連するホームペ
   ージを脚注で示し、末尾にその索引も設けたので、興味を抱いた読
   者はより多くの情報をそこから簡単に得ることができる。たとえば、
   「性犯罪者の居住地公開」(第6章13参照)では、そこに示したホ
   ームページヘみずからアクセスすれば、読者は居ながらにしてその
   利用を体験でき、あわせて最新の情報を入手できる。
  ③アメリカの刑事司法というと、日本人から見れば、それはあたかも
   ロボットにより機械的に動かされている、現実感のない遠い世界の
   出来事であるかのような印象を受けるかもしれない。しかし、それ
   らを担い、運用しているのは、私だちと同じ、いやむしろそれ以上
   に人間味あふれる法律家たちである。したがって、その真の姿を理
   解するためには、彼らの感情、考え方、本音までも知る必要がある。
   本書では、法廷の描写、見聞録、コーヒー・ブレイク、さらには彼
   らが作成した実際の書面を挿入し、法廷内で活動する人々の吐息や
   ぬくもりまでも読者に伝えられるように工夫した。
 さて、今、日本のあらゆる領域において構造改革が叫ばれている。日本
の刑事司法の領域においてもようやく改革が始まりつつある。その実現に
は、正しい思想に基づいて、大胆に改革を試みることが必要である。戦後、
日本国憲法はアメリカ法的な人権思想に基づき、当事者主義的な刑事司法
制度と手続を構築することを選択した。そのため、多くの研究者がアメリ
カ法に関するいくつかのすぐれた業績を発表してきた。しかし、残念なが
らそれらは、連邦法や連邦裁判所判例、とりわけ連邦最高裁判例の研究に
片寄っていた感がある。
 アメリカの諸制度を理解しようとするとき、連邦制度ではなく、むしろ
地域社会(コミュニティ)ともっとも関わりあいの深い基本的行政単位、
「郡」から見て行くべきである。つまり視座の転換が必要なのだ。このこ
とはアメリカ合衆国が形成されていく過程をみれば当然で、フランスの政
治学者、アレクシス・ド・トクヅイル(Alexis de Tocquevme)は名著
『アメリカのデモクラシー』(1835年第1巻公刊)において、150年以上も
前にその点を指摘している。実際、アメリカの刑事司法について認識を深
めれば深めるほど、彼の指摘の鋭さに感服した。地域社会に生活する人々
のニーズをいち早く感じとり、その要求に応ずるため、絶え間なく司法制
度と手続の改良を試みているのは、「連邦」(=合衆国)よりも各州内の
「郡」である。
 その上うな視角こそが、ようやく始められつつある日本の刑事司法改革
において、何よりも先に要求されるのではなかろうか。そこで、本書では、
基点をワシントン州キング郡に置き、ここに存在する刑事司法を中心にし
て紹介する。しかし、郡内には、州が裁判管轄を有する、いわゆる「州の
刑事事件」ば力摺でなく、連邦が裁判管轄を有する、いわゆる「連邦の刑
事事件」も重畳的に存在する。ここから、本書では、連邦の刑事司法につ
いてもキング郡と関連する範囲で、その概略を説明することにした。
 本書で紹介するのは、全米に星の数ほどある各郡の刑事司法のうちの1
つにすぎない。また、連邦のそれについても網羅的に紹介しているわけで
はないので、「アメリカ」というタイトルは、おこがましいかもしれない。
しかし、キング郡の刑事司法は、全米ではやや進歩的なものと評価され、
そこから全米モデルとされたいくつかの新しい制度や手続も開発されてい
る。したがって、キング郡の刑事司法をとり挙げて、その全体像を浮き彫
りにすることは、アメリカ全体の傾向を理解する1つの手がかりにはなり
うるであろう。「アメリカ」というのは、その程度の意味にすぎない。
 本書は、ひとえに多くの人々による惜しみない協力の賜物である。本書
の出版により、ようやく彼らに対するお礼が少しはできるのではないかと
期待している。しかし、私の怠慢ゆえ、ここまで8年という歳月を費やし
たので、その完成を楽しみに待っていたピラー、ニーミの両裁判官はすで
に退官された。そして何よりも、優しいモア検察官が早世され、彼女に本
書をお見甘できないのが心残りとなった。
                           
 本文中で引用した法律家や警察官などのほかにも、次の多くの方々から
様々な形でご援助いただいた。
 東京大学法学部の井上正仁教授。州立ワシントン大学ロー・スクールの
ジョン・ヘイリー(John 0. Haley)教授(当時。現在、セントルイスにある
ワシントン大学ロー・スクール教授)ならびにダニエル・フット(Daniel H.
Foote)教授(当時。現在、東京大学法学部教授)。シアトル大学ロー・スク
ールのマーク・ランプソン教授(Marc Lampson)。ブレイクモア法律事務
所のウィリアム・クリアリー(William B. Cleary)弁護士。ゲイトウェイ
のカズヒコ・モリヤ(Kazuhiko Moriya)さん。ウェスティン・シアトル
のユーコ・タムラ(Yuko Tamura)さんなど。
 私の秘書的役割を果たしてくれたスコット・ヒューズ(Scott Hughes)
さんとヨシカズ・オオバヤシ(Yoshikazu Obayashi)さん。
 日本の刑事裁判に伴う重要な実務上の問題点を指摘・教示し、またアメ
リカと日本の刑事実務に関する異同を議論し、私の問題意識を深めてくれ
た、第一東京弁護士会元副会長の樋口一夫弁護士と、同刑事弁護委員会前
副委員長の宮田桂子弁護士をはじめとする多くの弁護士の方々。
 1994年の在外研究については北海学園大学。 2000年から2001年の在外
研究については駿河台大学の援助を得た。同大学からは出版助成金もいた
だいた。
 最後に、出版を引き受けてくれた弘文堂。とりわけ『だのしい刑法』以
来のつきあいで、適切なアドバイスを与え、面倒な編集作業を巧みにこな
して刊行まで漕ぎ着けてくれた、北川陽子さん。
 以上の人々に心から感謝いたします。
 国民のための司法制度改革が進められることを祈念しつつ、厳しい暑さ
の終戦記念日に記す。

2002年8月15日

島伸一

 

目次

目  次

第1章 アメリカ刑事司法への招待 ………………………………………1
 Ⅰ アメリカの刑事司法を理解することの重要性………………………1
 Ⅱ 戦後のアメリカ刑事訴訟研究…………………………………………2
 Ⅲ アメリカの刑事訴訟」と各州刑事手続………………………………3
 Ⅳ 刑事訴訟全体の流れを知る必要性……………………………………4
 Ⅴ 本書の対象とする刑事司法……………………………………………6
 Ⅵ ワシントン州とその刑事司法の特徴…………………………………7
1 ワシントン州  2 キング郡  3 シアトル市
 VII 犯罪の現状………………………………………………………………10
1 ワシントン州  2 キング郡  3 シアトル市

第2章 裁判所と裁判管轄 …………………………………………………15
 Ⅰ 刑事司法制度の概観……………………………………………………17
 Ⅱ ワシントン州における刑事司法制度…………………………………17
 Ⅲ 合衆国最高裁判所(U.S. Supreme Court)………………………18
 Ⅳ 合衆国控訴裁判所第9巡回区
    (U.S. Court of Appeals for the Ninth Circuit)……………22
      1 ある日の巡回控訴裁判所
 Ⅴ 合衆国地方裁判所(U.S. District Courts)…………………………29
      1 概観  2 西部地区連邦地方裁判所
      3 連邦の犯罪捜査  4 大陪審
      5 その他の特別裁判所等
 Ⅵ ワシントン州最高裁判所
   (Washington State Supreme Court) ………………………………41
 Ⅶ ワシントン州控訴裁判所
      (Washington State Court of Appeals)……………………………43
 Ⅷ 管轄に制限のある裁判所
   (Courts of Limited Jurisdiction) ………………………………46
      1 概観  2 地方裁判所  3 市裁判所


第3章 ワシントン州キング郡上級裁判所 ………………………………53
 Ⅰ 概観………………………………………………………………………53
 Ⅱ キング郡上級裁判所……………………………………………………54
   1 組織と運営  2 裁判所ビルの探検
   3 リージョナル・ジャスティス・センター
 Ⅲ 市民へのサービス………………………………………………………66
   1 概要  2 裁判記録の公開・閲覧  3 託児所 
 Ⅳ 裁判官……………………………………………………………………72
   1 概観  2 裁判官選挙  3 裁判官の任命
   4 裁判官に対する外部的評価
 Ⅴ 法廷の関係者……………………………………………………………91
   1 書記官・速記官・廷吏・刑務官  2 証人
   3 法廷通訳

第4章 重罪事件の刑事訴訟 ………………………………………………98
 Ⅰ 概観………………………………………………………………………98
 Ⅱ 刑事手続の流れ…………………………………………………………100
 Ⅲ 捜査………………………………………………………………………100
   1 概観  2 逮捕後「最初の審問」 3 公判前釈放 
 Ⅳ 起訴………………………………………………………………………120
 Ⅴ 公判前審問………………………………………………………………123
     1 概観  2 アレインメント
     3 審理日程の設定審問  4 各種公判前審間
     5 証拠開示の実務  6 答弁の取引  フ 有罪の答弁
     8 オムニバス・ヒアリング  9 公判準備の最終確認 
 Ⅵ 公判………………………………………………………………………161
     1 概説  2 証拠に関する審問  3 陪審選任
     4 公判審理  5 評議と評決
     6 ベンチ・トライアル  フ 評決の無効と不服申し立て
 Ⅶ 量刑手続…………………………………………………………………195
     1 量刑前調査  2 死刑を科すための特別量刑手続
     3 量刑  4 量刑審問と刑の宣告
 Ⅷ 上訴およびその他の救済………………………………………………205
     1 上訴  2 その他の救済

第5章 未成年裁判所、特別法廷、特殊手続 ……………………………207
 Ⅰ 概観………………………………………………………………………207
 Ⅱ 未成年裁判所………………………………………………………208
      1 概観
      2 未成年裁判所で処理される事件の種類・内容
      3 重罪事件に関する刑事手続の流れ  4 各審問の説明
      5 処分の基準
 Ⅲ 麻薬事件のための特別法廷………………………………………223
      1 概説  2 薬物違反刑事訴訟の特徴
      3 2つの事件処理方式  4 基本的処理方式
      5 ドラッグ・ディバージョン・コート 
 Ⅳ 家庭内暴力事件のための特別法廷………………………………233
      1 概観  2 概念と対応策  3 DV法廷と手続
      4 接近禁止命令  5 効果的な措置
 Ⅴ 精神的に問題のある被告人のための特別法廷…………………239
      1 概説  2 日的と特徴  3 訴訟関係者
      4 対象者とその照会・送致方法  5 手続の流れ
      6 各手続の説明  7 ある日のMHC
      8 今後の課題
 Ⅵ 刑事責任無能力者などの重い精神障害者の強制収容・
  処遇手続………………………………………………………………253
      1 概説  2 手続の流れ
 VII 暴力的性犯罪者の強制収容・処遇手続 ………………………256
      1 概説  2 裁判所の判断
      3 立法の目的と処遇対象者  4 収容および釈放手続
      5 処遇の現実  6 今後の課題

第6章 警察・ジェイル…………………………………………………263
 Ⅰ 警察…………………………………………………………………263
      1 警察制度の概観  2 ワシントン州警察
      3 キック郡警察  4 シアトル市警察
      5 パトロール活動  6 殺人課
 Ⅱ ジェイル……………………………………………………………314
      1概観  2 RJC-DF 3 NRF
      4 電子装置による家庭内拘禁  5 ワーク・リリース


第7章 検察………………………………………………………………334
 Ⅰ 検察と警察…………………………………………………………334
 Ⅱ 組織…………………………………………………………………334
 Ⅲ 州検察………………………………………………………………335
 Ⅳ キング郡検察………………………………………………………336
 Ⅴ 女性検察官とその採用枠…………………………………………337
 Ⅵ 被害者援護課と援護方法…………………………………………342
      1 概観  2 被害者が有する諸権利・利益の概要
      3 損害の公的補償  4 刑事訴訟における損害の填補
      5 被害者への強制的贈罪金  6 被害者救済命令
      7 被害者への利益擁護人の選任
      8 被害者援護課における活動の実際
 Ⅶ 子供の被害者・証人のためのキッス・コート…………………354
      1 概要  2 日的とメリット  3 具体的実施方法
      4 カリキュラム  5 ある日のキッス・コート

第8章 公的弁護制度……………………………………………………362
 Ⅰ 公的弁護人を付される権利の展開………………………………362
 Ⅱ アメリカにおける公的弁護制度…………………………………363
 Ⅲ ワシントン州における公的弁護人を付される権利……………365
 Ⅳ キング郡における公的弁護制度…………………………………366
      1 概観  2 公的弁護事務所の具体的職務
      3 公設弁護人協会
 Ⅴ 公設弁護人の活動の実際…………………………………………375

第9章 宣誓供述書………………………………………………………383
 I 「宣誓供述書」等の概念と要件 …………………………………383
 Ⅱ 公証人制度の概観とその内容……………………………………386
      1 公証人制度の概観  2 公証人の権限
      3 アフタビット等の内容に関する真実性の確保と偽証罪に
        よる処罰
 Ⅲ 日本の刑事裁判における「宣誓供述書」の証拠能力…………392
      1 概観
      2 角川事件の概要と「宣誓供述書」の作成までの経緯
      3 本件「宣誓供述書」なる書面の形式と問題点
      4 カリフォルニア州におけるその適法性
      5 カリフォルニア州法における本件供述書の証拠能力
      6 角川事件最高裁判決の問題点

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抜粋 『第2章 裁判所と裁判管轄』

Ⅰ 刑事司法制度の概観
 アメリカの刑事司法制度は、合衆国全体の事件に関する合衆国裁判所と、
各州の事件に関する州裁判所の「二重構造の司法制度」から成り立ってい
る。合衆国の最終で最高位の裁判所は、合衆国最高裁判所であり、この下
に、合衆国控訴裁判所、合衆国地方裁判所の順で下級裁判所が設置され、
基本的に3審制をとっている。
 これに対して、州の裁判制度も基本的には3審制であり、最上位には各
州最高裁判所、この下におもに控訴を審査する、中間裁判所、そして一般
的・包括的な第1審としての裁判管轄を有する、事実審裁判所にれが日
本の地方裁判所にあたる)がある。さらにこの下に、軽い刑や交通違反な
ど限られた事件について第1審管轄を有する、管轄に制限のある裁判所が
設置されているにれが簡易裁判所にあたる)。それらの呼び名は各州の由
来に基づいて様々である。
 各州の最終裁判所の判断については、事件により合衆国最高裁判所など
合衆国裁判所の審査を受ける道も残されており、きわめて限定的ながら、
合衆国裁判所と州裁判所は連結している。この限りで、正義の最後の砦は
合衆国最高裁判所であるといってもよい。しかし、ほとんどの州の刑事事
件では、州最高裁判所の判断が最終の判断となるので、合衆国裁判所と州
裁判所という、それぞれ独立した裁判所がアメリカ合衆国という1つの国
にいわば重なりあって存在しているかのように見える。そこで、その刑事
司法制度の特徴を「二重構造の司法制度」と表現するのである。
 圧倒的多数の刑事事件は州裁判所で開始され、しかも事実上その第1審
で終わる。したがって、「二重構造の司法制度」の中核には第1審たる
「郡裁判所」力iあり、この刑事訴追手続を知ることがアメリカ刑事訴訟の
現実の姿を理解するために大変重要である。

合衆国とワシントンの刑事司法制度

II ワシントン州における刑事司法制度
 ワシントン州でも前述のような二重構造の刑事司法制度が見受けられ、
同州内で起こった事件であっても合衆国裁判所の裁判管轄に属する事件、
いいかえると、それが「連邦犯罪」(federal crime)にあたる場合につい
ては、まず合衆国地方裁判所、次に合衆国控訴裁判所、最後に合衆国最高
裁判所という順序で原則的に審理される。
 このことは、たとえば、連邦政府の州事務所の爆破や郵便局強盗など、
施設の外形から当該領域が合衆国政府の関連施設であると識別できる場合、
または各州間にまたがる麻薬の輸送など、犯行の客観的態様から合衆国全
体にかかわる可能性の高い犯罪であると認められる場合には、容易に理解
しうるであろう。
 しかし、合衆国政府と当該施設・組織の内部的関係から、当該犯行が合
衆国政府への犯罪と見なされる場合には、それが連邦犯罪にあたり、合衆
国裁判所の裁判管轄になると理解するのはむずかしい。
 たとえば、銀行強盗の場合には、連邦銀行や各州に店舗を展開する大手
銀行のみならず、1つの州にしか店舗をもたない小規模銀行に対する場合
にも、すべての銀行強盗には、当該州の裁判所とともに合衆国裁判所も裁
判管轄を有するとされている。つまり、それは、州の犯罪(state crime)
にあたると同時に、連邦犯罪にもあたるので、合衆国裁判所も裁判管轄を
有している。したがって捜査は、当該州または市など地方警察の捜査官と
連邦捜査官とによる共同捜査で行われる。その理由は、銀行が、いわゆる
F.D.I.Cバ連邦預金公社)による支払保証を受けているからである。このよ
うに連邦と州の両者が裁判管轄を有する事件については、連邦と州の検察
当局がいずれに起訴するかを話しあって決める。
 また、州内の事件であって、しかもそれがインデアン保護区内で起こっ
た場合には、部族裁判所(Tribal Court)が第1審の裁判管轄をもつこと
がある。ワシントン州には、ヤキマ、スポケインなど10か所のインデア
ン保護区にそれが設置されている。さらに、軍事施設内の犯罪については、
軍事裁判所(Military Court)が裁判管轄をもつことがある。
 しかし、ワシントン州内の大多数の刑事事件は、州裁判所の裁判管轄に
属する、いわゆる「州の犯罪」である。これについては、原則として、ま
ず州内の郡上級裁判所(County Superior Court)、次に州控訴裁判所
(State Court of Appeals)、そして最終・最高位の州最高裁判所(State
Supreme Court)という順序で審理される。ただし、未成年者(成人年令
は18歳。飲酒は21歳以上)の犯罪については、郡上級裁判所に付設されて
いる未成年裁判所(Juvenile Court)、さらに特定の軽微な刑事事件につい
ては、管轄に制限のある裁判所=地方裁判所と市裁判所(Courts of Lim-
ited Jurisdiction=District Court and Municipal Court)が、第1審裁判所
として事件の審理にあたる。
 こうして、アメリカの刑事司法制度は複雑に入り組んでいるので、刑事
訴訟において裁判管轄の決定は、最初の重要かつ困難な問題の1つとなっ
ている。
 以下、各裁判所の管轄と内容について個別的に見て行こう。ただし、ワ
シントン州の通常事件の第1審にあたる郡上級裁判所については、本書の
メインテーマなのでここでは割這し次章で詳しく説明する。

 

『コーヒーブレイク 映画「スピード」をまねた男』

コーヒーブレイク 映画「スピード」をまねた男

 2000年の9月25日、午後6時頃でしょうか。シアトルのアパートでテレビを観
ていたら、突然画面が生中継に切り替わり、道路端によせられた市バスからぞろぞ
ろ乗客の降りる姿が写し出されました。バスが故障したのかな? 両側の道路は警
察車両によって完全に遮断され、ちょうどラッシュアワーであったため、その向こ
うはすごい大渋滞です。待ちくたびれたドライバーがフリーウェイを逆走しはじめ
ています。これはただごとではないぞ!
 やっぱりただごとではなかったのです。その後、ワシントン州警察の爆弾処理班
(Bomb Squad)が到着して、バスを綿密に捜索し、ようやくそこに爆弾が仕掛けら
れていないとわかるまで3時間半以上かかりました。その間、1日111,000台も交
通量のある幹線道路が遮断され、数千人に及ぶ人々が被害を受けました。
 ことの重大さにびっくりした23歳の男がその日の夜、警察に自首してきたので
事件はすぐ解決しました。ことのてん末はこうです。小型トラックの荷台に乗って
いた犯人が、突然、走行中の市バスの運転手に向かって、バスの下方を指差しなが
ら、「バスに爆弾があるぞ!」(“There is a bomb on your bus!”)と叫んだのです。
運転手はただちに緊急通信を行い、警察の指示で、バスを道路端によせて停車し、
乗客を降ろしたというわけです。
 ここまで読んで、映画好きの人ならもう、ピーンときたと思います。そうです。
犯人はあの映画「スピード」(1994年)をまねたのです。それは、ロサンゼルス警
察の爆弾処理隊員(キアヌ・リーブス)が、時速50マイル以下の速度になると爆発
するように市バスに仕掛けられた爆弾をうまく処理して、乗客を救うという、スリ
リングな映画でした。
 しかし、映画とは違って、現実の犯人は、爆弾を仕掛けることなどとうていでき
ない、気の小さい平凡な白人の建設作業員でした。彼は、警察の取調べや逮捕後の
審問で、「スピード」をまねて、冗談でやっただけだとひら謝りですが、検察当局
は、多くの人々を恐怖と混乱に巻き込んでおいて、何が冗談だ。「あの現場で笑っ
ている人などいたか」と、その「狂言バス爆弾事件」の犯人を爆発物による脅迫罪
で起訴しました。有罪となれば最高で10年刑務所行きです。知り合いのジュディ
にいわせれば、「本当にバカな男ね!」(“Actually he is a stupid guy!”)。

 

抜粋 『第4章 重罪事件の刑事訴訟』

I 概観

 重罪事件の刑事訴訟については、通例、起訴前は「管轄に制限のある裁
判所」、起訴後は「上級裁判所」で行われる。軽罪事件以下の犯罪につい
                              1)
ては、「管轄に制限のある裁判所」が第1審の裁判管轄を有する。条例違
反や交通違反など軽微犯罪の訴追手続の流れについては、交通チケット制
度、ディバージョン・プログラム、略式手続のような迅速かつ簡易な処理
手続が多用されているので、これらを逐一説明することはできない。
 軽罪事件の訴追もそれと同様のところはある。しかし、犯罪事実を争う
場合には、重罪事件の場合と同じように、陪審裁判を受ける権利、公設弁
護人を付される権利など、デュー・プロセス・オブ・ロー上の諸権利が被
告人に保障される。したがって、陪審員の数が、重罪事件では12人であ
るのに対して、軽罪事件では6人であることを除くと、いずれの事件にお
いても基本的な刑事手続の流れは変わらない。
 重罪のうちでも、死刑に処せられる可能性のある第1級加重殺人罪
(aggravated first degree murder)については、特別な手続を設けて慎重
に対応している。すなわち、量刑手続においても陪審裁判を受ける権利が
    2)                                        3)
保障され、上訴も州最高裁判所への直接上告が権利として認められる。し
かし、この場合でも、刑事手続の基本的な流れと構造は、普通の重罪事件
のそれと変わらない。
 したがって、以下では、理解を容易にするため、死刑を科す可能性のあ
る事件を除く、重罪事件に関する刑事手続の流れに焦点を絞り、図解中に
示した番号にそくして説明する。

Ⅱ 刑事手続の流れ
 逮捕から刑の宣告まで、重罪事件に関する基本的な刑事手続の流れを掲
載する。図2の1~17までの数字は、説明の順序を示すので、以下、説
明に付された番号と照合しながら図を見ていくと理解しやすい。h=時間、
D=日を示す。

刑事手続の流れ(重罪事件)

Ⅲ 捜査

 1 概  観
 捜査から起訴にいたる過程で実施されるもっとも重要な審問は、「逮捕
後最初の審問」(以下「最初の審問」と略す)である。刑事規則では、
「プリリミナリ・アペアランス」(Preliminary Appearance)と呼ばれている。
実務上は、「ファースト・アペアランス」(First Appearance)あるいは
「イニシャル・アペアランス」(Initial Appearance)と呼ばれることもあ
る。いずれも「最初の裁判官の前への出頭」という意味である。
「Appearance」は「出頭」と訳すべきかもしれないが、単なる「出頭」
にとどまらない。検察官と被告人・公設弁護人が立ち会い、当事者審問の
形式で、逮捕理由の存在を審査し、釈放条件等を決める。現実に逮捕理由
がないという理由で釈放されることもそれほど珍しくなく、ほかの「審
問」(Hearing)と呼ばれる手続と構造自体は変わらない。したがって、本
書では、実態にそくして、「最初の審問」と呼ぶことにする。

 2 逮捕後「最初の審問」(図2の番号1)

(1) 最初の審問の日程と引致時間  最初の審問は、通例、地方裁判所
裁判官によりジェイル内の法廷で日曜・祝日を除いて毎日、行われている。
被疑者が逮捕されてから最初の審問にあらわれるまでの時間的制限は、令
状逮捕と無令状逮捕とで法規上は異なる。無令状逮捕については、逮捕か
ら裁判官の面前へ引致する時間的制限は48時間と明示的に規定されてい
る。これに対して、令状による逮捕の場合には、逮捕後できる限りすみや
かに(as soon as practicable)裁判官の面前に引致しなければならない。
とされているのみでそのような厳格な時間的制限はない。キング郡におけ
る逮捕の大多数ぼ無令状逮捕であり、いずれの場合も検察官は、逮捕後
72時間以内に起訴しない限り、被疑者を釈放しなければならない。
 このように、法規上、無令状逮捕について、最初の審問は48時間以内
となっているものの、現実には、通常24時間以内に実施されている。具
体的にいえば、月曜日から金曜日の夜に逮捕された者については翌日に、
金曜日の深夜以降、日曜日の深夜前に逮捕された場合には、月曜日に「最
初の審問」が行われる。上日は、休廷日であるが、被疑者の数が多いので。
土曜日に午後1時から上記の審問法廷を開いている。

(2)連邦および他州の動向  逮捕から24時間以内に裁判官の面前へ
の引致を要求する各州法規が多いためか、「24時間審問」と呼ばれること
もある。しかし、すべての法域で24時間以内の引致が要求されているわ
けではない。連邦刑事訴訟規則では、逮捕した警察官は、逮捕令状の有無
にかかわらず、「不必要な遅滞なく」(without unnecessary delay)被疑者
をマジストレイトのところへ引致しなければならないと規定している。そ
して、「不必要な遅滞なく」とは、必ずしも24時間以内を意味するわけで
はない。合衆国最高裁によれば、最初の審問を実施する時間的限界は、
土・日・休日を含め、48時間とされている。

 (3)目的と機能  最初の審問の主要な目的は3つある。
 第1は、裁判官が身柄を拘束する理由、すなわち被疑者が犯罪を犯した
という「相当な理由」(probable cause)の存否を判断することである。こ
こから、最初の審問は、「相当な理由の審問」と呼ばれることもある。そ
の証明は、検察官が証拠を提出することにより行われるが、証明方法の具
体的内容については、逮捕令状発布の場合と同様である。逮捕令状発布の
際の証明は、宣誓供述書などの書面か、警察官などの□頭による証言に基
づいて行われる。
 第2は、被疑者に訴訟上の諸権利を告知することである。刑事規則では、
次のことを告知すべきであるとしている。①被疑事実の性質。②手続のす
べての段階で、弁護人による援助が受けられること。③黙秘権があること。
被疑者が供述すれば、自己に不利益に利用される可能性があること。
 第3は、公判前釈放(Pretrial Release)の条件を決定することである。
実際上は、この役割がもっとも大きい。

 (4)手続の進行  最初の審問は、具体的に次のように進められる。
 裁判官は、①被疑者の氏名・年令等の人定質問を行い、②英語の読み書
きの能力を判別し、③弁護人依頼権および公的弁護制度の告知、④被疑事
実の告知等、⑤公判前釈放の条件の決定をする。
 ③について、ワシントン州では、憲法上、重罪・軽罪その他刑罰の種類

を問わず、およそ自由を剥奪する刑罰に付される可能性のあるすべての被
疑者・被告人には、刑事訴訟のあらゆる段階で弁護人依頼権が保障されて
いる。また、弁護人を依頼する財政的余裕のない被疑者・被告人には、そ
の権利放棄がなされない限り、公設弁護人が付される。したがって、裁判
官は、それらの権利について、被疑者に告知しなければならない。
 ④について、これは次のような確認が行われる。令状・訴追請求状が被
疑者に対して読み上げられたか。被疑者はそれらのコピーを受けとったか。
被疑者は、それらが今ここで読み上げられることを望むか。被疑者は、自
己にかけられている被疑事実を理解しているか。
 キック郡裁判所では、最初の審問において、罪状認否は行わない。もし、
そこで被疑者が自己の嫌疑を認める発言をしても、有罪の答弁(guilty
plea)として正式には受理されない。有罪の答弁は、公判審理を受ける権
利の放棄を意味するから、裁判所が正式にそれを受理すると、有罪・無罪
を審理する公判を割愛してただちに量刑手続に移行するという重大な法的
効果が生ずる。したがって、起訴後、当該事件に関して管轄権のある裁判
所のもとで、しかるべき時期に慎重な手続に従って、受理することになっ
ている。

 (5)ある日の逮捕後最初の審問  2001年3月30日午後2時30分か
ら、キック郡矯正施設1階のキング郡地方裁判所法廷で、マリアン・スペ
ルマン(Mariane C Spearman)裁判官が、最初の審問を行うというので、
傍聴させていただいた。
 最初の審問法廷は、通常の審問と比較して、警戒が厳重であり、法廷自
体も特殊な形態になっている。この点は、アレインメント等の公判前審問
を専門に行う、上級裁判所首席裁判官の法廷も同様である。傍聴席と法廷
が防弾ガラスで仕切られており、公設弁護人や釈放中の被疑者が審問に参
加するときには、警備の刑務官に、施錠されているドアーを開けてもらい、
入廷する。その理由は、殺人の被疑者など重大な犯罪を犯した者がおり、
また逮捕後間もない時期に行うので、被疑者や家族・友人などがまだあき
らめきれず、暴れたり、逃亡したりする危険性が高いからである。もちろ
ん陪審裁判は行われていないので、陪審員席はなく、裁判官席の前のカウ
ンクーに検察官と被疑者・弁護人が集まり、議論をする。普通の法廷で行
われる、いわゆるベンチ・コンファレンス(Bench Conference)に被疑者
が加わったようなものである。したがって、法廷の大きさも通常のものの、
3分の2程度にすぎない。スタッフの構成は、記録係がいないことを除けば、
公判審理と変わらない。・
 私が防弾ガラスの外側、傍聴席の最前列に陣どって審問の開始を待って
いたら、入廷したスペルマン裁判官が手招きをし、廷内に入って来いと合
図をした。そこで、あわてて筆記用具、録音器具とバック・パックを抱え、
刑務官にドアーを開け、廷内に入れてもらった。裁判官は、「この方が話
もよく聞こえるので、いいでしょう?」と笑顔でいいながら、検察官の待
機する椅子に座って傍聴するように薦めてくれた。廷内の声は、スピーカ
ーで傍聴席に流れるようになっているものの、傍聴席は出入りが激しく、
マイクで廷内の声を拾えないこともあるので、裁判官の親切がこころにし
みた。
 審問予定の多くの被疑者や家族などの傍聴人は、私がおっとり刀で入廷
する姿を見て、「いったいこいつは何者か」と一瞬びっくりしたようだ。
しかし、そんなことを意に介さず、マイペースで訴訟指揮をとるのがアメ
リカの裁判官である。ただ検察官と公設弁護人には、私のことをきちんと
紹介し、同席を了承してくれるように頼み、おまけに「終了後時間があっ
たら、彼の質問に答えてあげてください」とつけ加えた。本当に気配りの
行きとどいた裁判官である。市民が選ぶ裁判官のよいところを垣間見たよ
うな気がする。
 今日の審問予定は全部で28人、最初の審問と第2回目の審問を受ける

被疑者たちである。身柄拘束中の対象者は、すでにジェイルから法廷に引
致され、その端にあるジェイルヘの通路に審問順にならび出番を待ってい
る。
 最初の審問を担当する検察官ならびに公設弁護人各1名で、同一人がす
べての被疑者を担当する。個々の被疑者へ特定の弁護人が付されるのは。
                       26)
通例は、早くてもアレインメントあたりからである。したがって、弁護人
については、私選弁護人が付されていない限りにの段階で特定の弁護人が
付されているのぼ、稀である)、当日当番にあたる公設弁護人がその場で書
面を読み、被疑者の話を聞き、ただちに弁論する。このような事情から、
被疑者を引致してきた刑務官によれば、被疑者には公設弁護人と話す機会
が数分間しかないので、フラストレーションがたまっているとのことであ
った。しかし、被疑者の数が多いので、それもやむをえない。最初の審問
は、あたかもオートメーション化された最新の工場であり、裁判官が現場
監督、検察官、弁護人が従業員で、被疑者はベルトコンベアーに乗せられ
て流される未完成の製品のようである。
 廷吏に呼ばれて、第1番目の被疑者が裁判官席前のカウンターに進む。
裁判官が、まず、①氏名の確認、次に、②被疑事実を確認し、これに関す
る「相当な理由」(probable cause)の存否を決定する。さらに、③住所の
確認。そして、④釈放条件、特に保釈の決定に移る。この点がもっとも争
点になる。公判前釈放には、後述のように出廷通告書による釈放、自己誓
約による釈放、保釈、監督付釈放(ただし、これは最近、キング郡では廃止
された)の4種類がある。検察官は、ほとんどの場合、保釈を裁判官に進
言するが、被告人側は、負担のもっとも少ない自己誓約による釈放を望む。
両者の意見を聞き、裁判官が公判前釈放条件を即決する。その際、被告人
側の請求により傍聴に来ている家族の意見陳述を許すので、被疑者の妻が
泣きながら懇願するなどということもある。
 審問の最後に、⑤次回出廷日(第2回目の審問=The Second Appear-
ance)を告知して、終了する。第2回目の審問は逮捕後72時間以前に設
定される。重罪の場合、それまでに、起訴状が提出された場合には、当該
事件の裁判管轄は上級裁判所に移るので、地方裁判所における第2回目審
問はキャンセルされる。
 弁護人依頼権等については、一応公設弁護人がすでに付されているので、
格別確認はしないようである。英語を話せない被疑者については、通訳が
付され、言語の理解力に関する確認が行われる。
 第1番目の被疑者については、特に議論すべきこともなかったので、審
問の時間は全部でほぽ5分間であった。以後、審問はきわめて事務的かつ
迅速に進められ、ほとんど3分から6分ぐらいで終了した。
 こうして8番目まできたときである。被疑者は、身柄拘束中の30歳ぐ
らいの女性。人定質問が終わり、検察官が売春をしたという被疑事実を読
み終わり、それを証明する「相当な理由」を示した。しかし、彼女は、被
疑事実を否認。ただちに弁護人と検察官が何やら議論をした後、裁判官が
「相当な理由」がないので、釈放との決定を下す。検察官は格別異議を申
し立てなかった。この間、約4分。本当にあっさりと釈放するものだとし
ばし感心する。審問終了後、裁判官に聞いたところによれば、明らかに被
疑事実の存在が疑わしいので、釈放を決定した。このようなことは、とき
どきあるとのことであった。
 さらに15番目まで進行した。被疑者は、コカイン所持の疑いで身柄拘
車中の中年男性である。防弾ガラス越しに傍聴席からしきりに手を振って
いる女性と子供がいる。しかし、ヒスパニック系の顔をした彼は、深刻な
顔をして会釈ひとつしない。釈放条件の決定のとき、弁護人が彼の妻と子
供が傍聴席にいるのでその話を聞いてもらいたいと裁判官に申請し、許可
された。妻は、裁判官の前に進み出て、「前科はたくさんあるが、家では
とてもよい夫だ。家庭のために尽くしてくれている。でも、生活は大変厳
しいので、保釈金を安くして下さい」、と泣いて懇願する。陳述は2分程
度で終わり、検察官は保釈金3,000ドル、弁護人は2,000ドルを提案する。
結局、妻の涙ながらの訴えが効を奏したのか、現金のみで2,000ドルと保
釈金額が決定される。審問時間は、6分間。
 その後、3分から5分間で、トントン拍子に審問が進んでいく。
 そして、26番目の被疑者が裁判官の前にあらわれた。
 被疑者は、ヘロイン所持で逮捕された前科数犯の若者である。保釈条件
のところで、被疑者が弁護人に恋人が傍聴に来ていると告げた。そこで、
弁護人が後ろを振り返り彼女を探し出し、仕切りのドアーを開けて、「彼
のために法廷で何か話したいか」と尋ねる。彼女はうなずき、法廷のなか
に入り裁判官席のカウンターのところへ歩み寄る。「彼は、私の恋人で、
親身になって私の世話をやいてくれている」と、今度は笑顔で裁判官に語
りかける。陳述は1分ぐらいで終わり、彼女は、裁判官に「ありがとう
(Thanks ! )」と一言いって、恋人に手を振りながら外の傍聴席にもどる。
検察官は保釈金27000ドル、弁護人は1,000ドルを提案する。裁判官が、
1,000ドルと決定する。
 とうとう28番目、最後の被疑者の番が回ってきた。しかし、最初の人
定質問で、検察官が書類の一杯詰まったダンボール箱のなかを、ごそごそ
引っ掻き回し始めた。書記官もファイルをあわただしくめくり、検察官と
会話している。どうも様子が変だ。そうこうしているうちにようやく事情
が判明した。 28番目の被疑者は第2回目の審問のために出頭して来たの
である。しかし、彼については、すでに上級裁判所に起訴がなされている
ので、本来ならその審問は取り消され、地方裁判所の審問日程表から削除
されていなければならない。それが何らかのミスで、依然として残ってい
たため、検察側の書類と裁判所側の書類上に隠隠・不備が生じたのである。
このことが判明するまでおよそ8分間程度要し、結局、本日の審問日程で、
もっとも時間をかけた審問になった。
 こうして、午後3時30分までにすべて終了し、スペルマン裁判官は、
「次の仕事があるから、これで失礼するわ」といい残し、地方裁判所の方
へ足早にもどって行った。地方裁判所が処理する軽罪事件の数は増加の一
途をたどり、最初の審問などの審問数も対象者数も多いので、地方裁判所
裁判官はいつもあわただしく動き回っている。

<中略>

VI 公判

<中略>

あるレイプ未遂事件の陪審公判
公判審理が実際にどのように進行するかについて、私の見聞した第2級レイプ
未遂事件(以下「エプリル事件」と呼ぶ)を例にとり紹介する。 

(a) 事件の概要 被告人手プリルは、被害者エミリー(仮名)と
は10か月間にわたり恋人同士の関係にあった。しかし、1か月前に別離
し、彼女の荷物がまだ彼のアパートの部屋に残されていた。彼は、電話に
より、その部屋で昼食し、話しあいをしないかと彼女を誘ったところ、彼
女はそれに応じた。彼女としては、彼の部屋に置いてきた荷物をとりに行
くのがおもな目的であつた。
2000年2月17日、彼女が彼の部屋を訪れた。彼は彼女を居間に招き入
れるとすぐに、抱きかかえるようにしながらソフアに仰向けに押し倒した。
そして彼の膝で腕を押さえつけ、近くにあつたガムテープを彼女の口に貼
りつけた。それから、彼が彼女をうつぶせにしようとした際、彼女は手が
自由になったので回のテープをはがし、彼に「なにをするの? こんなこ
としないで。」といった。すると彼は、「セツクスしようとしているのさ」
と答えた。さらに「気が狂っちまったよ、気が狂つちまったよ!」ともつ
け加えた。
そこで彼女は、逃れるため、どうにか立ち上がり部屋から出ようとする
と、彼がドアーの前に立ちふさがり、「そこにいてくれ」と頼んだ。そし
て、「今、僕がしたことを許してくれ」と繰り返した。そのとき、ドアー
の鍵はかけられていなかった。しばらく押し問答した後、結局、彼は彼女
が立ち去るのを許したものの、彼は後を追って歩道を歩いていた。しかし、
見知らぬ男が、彼女が震え・泣きながら歩いているのを見てその間に割っ
て入り、彼に彼女を1人で立ち去らせるように話した。こうして、彼女は
その日は、会社にもどった。
その後、彼女が自分のアパートに帰宅すると、留守電に彼のメッセージ
が残されていた。「僕の人生でもっともバカげたことをしてしまった。そ
のことを考えるだけでも気分が悪くなる」、というような趣旨であった。
翌日、彼女はシアトル市警察に電話をした。これに、カビンタとキャン
ベル両警察官が対応し、被害者のエミリーから供述を得るとすぐ、ェプリ
ルのアパートに向かった。警察官は、ドアーを開けた彼に「昨日、エミリ
ーとの間で何があったのだ」と質問した。それに対して、彼は次のように
答えた。「彼女をソファで抱きじめたら、彼女が抵抗した。……・彼女は怪
我なんかしてないし、洋服も脱いでないよ。僕は握りこぶしも使ってない
んだ。だけど、僕の人生で1番ひどいことをしてしまった。そんなこと、
今まで決してしたことなかったよ。自分をコントロールできなかったん
だ」。これにより警察官は、「逮捕のための相当な理由」が生じたと考え、
彼を逮捕した。
そのとき、彼が部屋の鍵と財布をとってきたいというので、警察官は彼
とともに室内に入り、ミランダ半決に基づく被疑者に対する諸権利の告知
(いわゆる「ミランダ告知」を行った。その後、警察官は、ソファのそばの
床にガムテープの破れカスがあるのを発見した。それは外部から目に見え
るところにあった。そこで、警察官は、被害者のエミリーが「ガムテープ
で口をふさがれた」と供述していると被疑者エプリルに告げた。すると彼
は、「それはアパートのなかにあったものではない」というので、彼の案
内により部屋の外に出て2本のガムテープと、これを買ったときの領収書
の入ったビニール袋を発見した。これらの物は証拠保全された。

(b)公判前手続本件は、最初、シアトル市検察官事務所にもち込
まれ、第4級暴行罪(軽罪)として手続が進められていた。しかし、その
後、3月6日にシャロン・ステイーブンス刑事が補充捜査を担当し、市検
察官と相談のうえ、本件は重罪である第2級レイプ未遂罪での起訴を検討
すべきであるとの結論に到達し、3月21日、キング郡検察事務所へ事件
を転送した。
これを受けたキング郡検察事務所で検討した結果、被害者の口にテープ
をし、被疑者は「セツクスしようとした」等tと供述しているから、本件
行為は第2級レイプ未遂にあたる。そして証拠も十分であると考えたので、
キング郡検察事務所は上級裁判所に本件を起訴することにした。
はじめ略式起訴状に記載された起訴事実(訴因)は、第2級レイプ未遂
罪のみであつた。しかしその後、2000年の7月7日、オムニバス・ヒア
リングの際に、不法監禁罪の訴因が追加された。それは、被害者の室内か
らの立ち去りを妨害した被告人の行為がそれにあたると解したからである。
プリ・バーゲニングに関しては、訴訟の早期の段階で、被告人側から
「より軽い罪にしてほしい」という申し入れがなされた。しかし、検察側
では、本件はレイプ未遂にあたり、十分立証が可能であると考えたので、
それに応じなかつた。その後、交渉は行われなかつた。
公判担当検察官は、審理日程の設定審間とオムニバス・ヒアリングの間
で本件を担当することになった。

(C)証拠に関する審間  2000年7月19日(水)、キング郡上級裁
判所アン・シンドラー(Ann Schindler)裁判官のW-355法廷において、
公判が開始した。20日(木)には、公判で提出される証拠に関する審間
が行われ、公判までもち越されていた刑事規則3.5条(自白)と3.6条
(それを除く証拠)に関する各審間があわせてそこで実施された。
証拠に関する審間に際して検察官が裁判所に提出した「公判メモJ
(“StateもT・al MemOrandum")によれば、本件審理と立証予定は次のよ
うになっている。訴因は2個で第2級レイプ未遂罪と不法監禁罪。審理日
数は3から4日。
証人予定は、①被害者エミリー、②犯行後最初に被告人のアパートヘ赴
いた、カビンタ警察官、③同キャンベル警察官、④捜査に関係したドウセ
ット警察官(実際には証人請求されず、④本件担当のシャロン・スティー
ブンス刑事、⑤被害者の職場の同僚、アンティア・ロプリオン、⑥被害者
の親友、キャリン・ニーストロム、⑦その他2名(この2名は実際には証
人請求されず。
上記を除く、提出予定の証拠類は次のとおりである。④被告人のカビン
タ、キャンベル両警察官への供述。⑤室内で獲得されたガムテープの切れ
端、◎室外で獲得されたロールテープ2本、③犯行後2時間以内に、彼女
の留守電に残された被告人の謝罪の言葉。
以上の証拠のうち、自白に関する3.5条審問(CrR 3.5)では、前記④
に関し、その他の証拠排除に関する3.6条審問(CrR 3.6)では、前記⑤
に関し、証拠能力について検察官と弁護人の間で活発に議論された。
3.5条審間における争点は、最初、警察官が被疑者に対して事件につき
質問したとき、すでに、逮捕の基礎となる「相当な理由」(“probable
cause")が存在していたか否か、である。もし、これが肯定されると、警
察官は、事前にミランダ告知を被疑者にしていなければならないのに、本
件ではそれをしていないので、被疑者の供述(返答=前記④)は、証拠と
して使用できないことになる。
本件では、検察官の主張は、次のとおりであった。被告人のアパートを
訪問した警察官は、最初、質問したときにはまだ逮捕のために必要な「相
当な理由」を有していなかった。被告人の答えにより初めてその要件がそ
なわった。
3.6条審間における争点は、まず警察官による室内への立ち入りの法的
性質であり、次にガムテープ(前記①)の取得の適法性である。検察官は
次のように主張した。室内への立ち入りは、被告人の同意に基Q応もので
ある。ガムテープの取得は、プレイン・ビユー(plain ・ew)差押により
適法に得られたものである。プレイン・ビュー差押とは、適法な立場にあ
る警察官は、目に見える状態にある禁制品、証拠物、凶器を無令状で差押
できるという理論である。
各争点に対する裁判官の証拠決定は、次回期日にもち越された。翌21
日は、金曜日なので裁判所の審理日程上、陪審公判は行われない。午前中
は他事件の審間日、午後は刑の宣告日と決められているので、次回期日は
24日の月曜日になった。
24日(月)は、9時30分から証拠に関する審間が続行され、各証拠の
採否に関する裁判官による決定が下された。まず、被告人の供述(前記
④)について裁判官は、弁護人の主張を支持し、彼の部屋のドアーをノッ
クしたときには、警察官は事前に得ていた情報により逮捕のための「相当
な理由」を有していた。したがつて、事件に関して彼に質問する前にミラ
ンダ告知が要求されるので、告知をしないで得られた被告人の供述は、証
拠排除されるべきである、と決定した。しかし、ガムテープ(前記①)に
ついて裁判官は、検察官の主張を支持し、それは証拠として提出されるこ
とになった。
(d)陪審選任同日11時20分から陪審選任手続が開始され、3時
15分にそれが完了し、20分間の休憩の後、3時35分から陪審審理が開始
された。陪審の人種構成は、自人11人、黒人1人、性別は、男8人、女
4人(ワシントン州では、陪審員が全部同一人種、たとえば白人になったとし
ても法規上問題ない)である。その後、裁判官が、審判の対象、予定され
る審理日程と手続、注意事項を陪審に「説示」して、午後4時にはこの日
の審理を終了した。

(e)陪審審理  25日(火)は、9時30分から裁判官と当事者の間で、今日の
進行について簡単な「公判前協議」(pret・al cOnference)をし
てから、冒頭陳述を検察官が10分間、次に、弁護人が20分間行った。次
に検察官の立証へ移り、最初は被害者エミリー(前記証人予定①)への証
人尋問からであった。検察官は証人に、証言に対応して法廷のボードに犯
行現場の見取り図を描かせた。またその際、彼女の口をふさぐのに使用し
たガムテープの切れ端(前記①)、この本体であるロールテープ2本(前記
◎)および彼女のアパートの留守電に残された、被告人の謝罪の言葉(前
記①)が証拠物として提出され、書記官に手渡された。こうして主尋間は
45分間に及んだ。
次に弁護人による反対尋間が実施された。ここで弁護人は、本件は警察
と検察が元恋人同士の単純な押し問答をレイプ未遂にでっち上げたもので
ある。したがって、被害者は性的暴行を受けたと感じていないのではない
か、と被害者たる証人に詰め寄った。その反証のため、弁護人は、被害者
が警察へ電話したときの録音テープと、捜査官への被害者の供述を証拠と
して提出した。これらは、被害者が被告人から性的暴行(sexual
assault)あるいはレイプされそうになった、と警察官にも捜査官にも話し
ていないことを立証するためであった。反対尋間では、被害者がそのよう
な表現を一度もしていないことを自認した。12時に弁護人の反対尋間は
終了した。
昼食休憩をはさんで、午後1時37分から検察官の再尋間が行われた。
その後、午後1時50分から弁護人による反対尋間が行われt午後2時か
ら検察官による再々尋間、午後2時7分から反対尋間と繰り返された。そ
して午後2時10分に裁判官が検察官に対し、「それに対して再々再尋間を
行いますか」と尋ね、検察官が「ありませんJと答えて被害者エミリーヘ
の証人尋間が終了した。証人尋間を終えると、彼女は、愛くるしい目で廷
内を見渡し、人目をはばかることなく、傍聴席にいた新しい恋人の胸に飛
び込んだ。アジア系のなかなか男好きのするかわいい若い女性であった。
私は、後の席にいる、性犯罪の裁判を専門に取材しているンポーターの
スージー(Suge)さんに彼女の証言について聞いてみた。陪審員には、
女性が4人おり、そのうち3人は50から60歳ぐらいの品のいい普通のお
ばさんであつた。そこで、私は彼女に、「女性の陪審員は被害者エミリー
に同情するから、今の証言は検察官に有利になったのではないか」と質問
した。すると彼女は、即座に次のように答えた。「必ずしもそうではない
わ。普通のおばさんは、ほかの女にも普通の女らしい態度を求めるから、
エミリーのように小悪魔的で、ちょつと小生意気な感じのする女はむしろ
嫌われると思うわね。女性の陪審員は往々にして、男性よりも被害者の女
性に厳しいことがあるのよ。」
次は、検察側証人のカビンタ(前記証人予定②)とキャンベル(同③)両
警察官が順次法廷に呼ばれて証言した。両警察官への証人尋間は午後2時
25分に終了した。引き続き、被害者の職場の同僚アンティア・ロプリオ
ン(同⑤)、被害者の親友、キャリン0ニーストロム(同⑥)があいついで
証人尋間された。いずれも10分程度で簡単に終わつた。
午後2時46分からは、本件担当のシャロン・ステイーブンス刑事(同
④)に対する証人尋間が行われた。彼女は、本件捜査および重罪のレイプ
未遂罪での立件にあたり、主導的な役割を果たしたので、証人尋間はおよ
そ1時間10分に及び、3時56分に終了した。
裁判官は、陪審に今日の審理は終了したので、陪審室にもどって待機す
るように指示した。その際、本件については、誰とも会話し、また一切調
査・捜査活動をしてはならないと念を押す。
法廷に残った裁判官と検察官、被告人・弁護人で、検察側立証に関する
意見交換ならびに進行予定等の問題点について協議が行われた。
検察官は、検察側立証はすべて終了した、これにより起訴事実に関する
証明は十分であり、立証は尽くされたと主張した。しかし、弁護人は、そ
の立証では、明らかに有罪とするには不十分であるとして、訴訟打ち切り
の申し立て(mOtion to dismiss)を提出した。これは検察側立証と被告傾
立証の間で行われるため、通称「ハーフタイム0モーション」(halftime
motion)と呼ばれている。弁護人がその申し立てをするのは、弁護戦術の
セオリーである。本件でも、弁護人は次のようにその申し立てをした。起
訴された2つの訴因、つまり、①第2級レイプ未遂と、②不法監禁につい
ては、いずれも最低限度の合理的な証拠によつても支えられておらず、ま
た起訴事実が真実であったとしても犯罪を構成しない。

その申し立てに対して裁半」官は、通例、検察側にもっとも有利になるよ
うに法規と事実を解釈し、次のように述べてそれを即座に却下する。「本
件では、検察側は、一見して明白に、当該犯罪事実の立証として要求され
る、合理的な最低限度の証拠を提示した」。しかし、本件では、シンドラ
ー裁判官は当事者の議論と決定を翌日にもち越すことにした。そのため、
裁判官は、各当事者は翌日の午前9時30分に法廷に集合するように指示
した。陪審員の陪審室への集合時刻は午前9時45分にし、待機中の各陪
審員へ廷吏から連絡させた。これで閉廷。
26日(水)は、午前9時35分から審理が開始され、陪審のいない法廷
で昨日の弁護人による訴訟打ち切りの申し立てに関する審間が続行された。
検察官と弁護人の弁論の後、裁判官が次のように決定した。前記①第2級
レイプ未遂の訴因については、弁護人の主張を排斥し、当該申し立てを却
下した。しかし、前記②不法監禁の訴因については、弁護人の主張を是認
した。理由は、次のとおりである。被害者エミリーが部屋から立ち去ろう
としたとき、被告人が彼女をブロックした行為については、きわめて短時
間で、しかもドアーの鍵はかけられていないままであったから、それによ
り被害者の行動の自由が実質的に奪われたとはいえない。したがって、本
件では、被告人による不法監禁のための物理的阻止行為はなく、不法監禁
罪は成立しない。この結果、検察官は、起訴状の変更を余儀なくされ、不
法監禁の訴因を撤回したので、陪審審理は第2級レイプ未遂罪のみについ
て実行されることになった。
次に、裁判官はこれから実施される被告側の立証予定を弁護人に尋ねた。
弁護人は被告人を証人として証言させると答えたので、裁判官はその点に
ついて被告人に質問した。被告人は、みずから証人として証言する旨を述
べた。裁判官は、被告人が証人になった場合、黙秘権は行使できないこと、
偽証したら偽証罪に問われること等を丁寧に説明して、再度弁護人に相談
するように忠告する。被告人は弁護人と簡単に話してから、裁判官に「0.
K.」と返事をする。
午前10時35分、陪審が法廷内に入り、陪審審理が開始される。被告人
が証人席に着き、宣誓してから、弁護人による主尋間が行われる。しかし、
それは15分ほどで簡単に終了。検察官による反対尋間に移る。検察官は、
被告人に対して、ガムテープをエミリーの口に貼った意図、ソファ上で彼
女をうつぶせにしようとした行為、このときの被告人の意図およびその後、
「気が狂っちまったよ」と彼女にいったかを執拗に質問する。被告人は、
「No」と一言。検察官は手を変え品を変え迫り、弁護人は、「異議あり」
を連発する。
その後、弁護人の再尋間、検察官の反対尋間が簡単に行われ、午前11
時55分に弁護側の「もう質問はありません」という言葉で、被告人に対
する証人尋間は終了し、昼食休憩に入る。
午後1時35分再開。陪審のいる法廷で、裁判官がすべての立証が終了
した旨を告げ、これか多の手続を説明して陪審を陪審室に退去させる。法
廷では、裁判官が陪審に与える「説示」について、裁判官、
検察官および弁護人で議論し、ようやく成案ができたのが午後2時10分。
このとき、ロビンス弁護人が突然、裁判官に「日本から島教授が我々の陪
審裁判を研究するためにそこに来ているので、彼にも『説示』のコピーを
あげて欲しい」と述べた。裁判官もその提案にすぐさま同意した。何が飛
び出すかわからないのが、アメリカの裁判であり、驚きの連続である。こ
のときは私も本当にビックリした。
午後2時35分に陪審員を法廷に入れ、陪審審理再開。裁判官が検察官
と弁護人から最終弁論の予定時間を聞く。双方20分から30分と答える。
午後2時47分、検察官の最終弁論が開始される。法廷に提出された証
拠により、被告人の第2級レイプ未遂に関する起訴事実は十分証明された
と主張。最後に公平な立場で評議し、有罪の評決をもって法廷に帰つてく
るように陪審に要請して終わる。
午後3時10分から弁護人の最終弁論。本件は2人の弁護人による共同
代理事件であるが、最終弁論はそのうちのロビンス弁護人が担当。彼は、
パフォーマンスがうまく、弁論も理路整然として大変滑らかである。彼の
主張は、次のとおりである。本件は前恋人と被告人との間で起こった、よ
くある馬鹿げた行動の1つにすぎない。それを警察と検察がレイプ事件に
でっち上げたものである。被告人はレイプの故意をまったく有していなか
った。現に被害者エミリーも自分が性的暴行を受けたとは1回も述べてい
ない。また、彼女は一時、検察事務所でアルバイトをしたことがあるので、
検察官と何らかの取引をし、本件をレイプ事件に仕立て上げるのに協力し
か。本件では、明らかに「合理的疑いを入れない」程度に起訴事実が
証明されていないから、被告人は無罪である。
午後3時50分に弁護人の最終弁論が終了し、引き続き検察官による補足の
最終弁論が行われた。検察官には、弁護人の弁論後、簡単に再弁論る
機会が与えられる。そこで検察官は、次の点について念を押した。被害
者の口にガムテープを貼った行為により、セックスの目的は明らかに推認
できる。。また、被害者が「何をするの?」と質問した際、被告人が「セッ
クスしようとしてているのさ」、「気が狂っちまったよ、気が狂っちまった
よ!」と答えたことからもそのことは明白であり「合理的疑いの入る余
地はない」。午後3時57分終了。

(f)評議裁判官は、審理がすべて終了したことを陪審に告げ、丁
寧にお礼を述べて陪審の交代要員1名を免責した。残された12人の陪審
に対し、これからの評議と評決手続について「説示」し、今日は午後4時15
分まで評議をするように指示した。陪審は、陪審室でその時刻まで評議し
、結局、その日、評決には到達しなかった。
27日(木)。陪審員は午前8時45分、陪審室に集合し、午前9時から
開始する。評議中は、誰も一切立入禁止なのでその模様はわからな
、評決後、裁判官と検察官の好意により、彼らから直接その模
きた。それによれば、議論の中心はレイプの故意が認定
ぅ点であった。暴行行為の認定について陪審員は早くから
致していた。したがって、レイプの故意を認定し、暴行罪からレイ
罪へのハードルを越えられるかが最大の争点であった。
午前11時50分評議終了。評決に到達したとの連絡が陪審員長から廷吏
吏が陪審室に行き、それを確認して裁判官に報告。裁判官の
従い、廷吏は、午後1時30分から評決手続を開始することにし、関
者に連絡をした。
(g)評決 午後1時41分裁判官が入廷し、評議の際、陪審員が裁
留守電に残された被告人の供述を録音したテープを再度聞くこと
を要求したので、これを許可した旨を当事者に説明した。そして、陪審員
入廷させ、評決手続が始まる。

検察官、被告人・弁護人らが起立して、評決を待ちかまえるなか、裁判
官が書記官に評決を読み上げるように指示する。
「無罪」(Not Guity)、というその声が法廷に響きわたると、被告人は
家族・弁護人と手を握り合い、また傍聴に来ていた新しい恋人と抱きあつ
て喜んでいた。おまけに、最前列で傍聴していた私にも握手を求めてきた
ので、おもわず「よかつたね。お幸せに!」といつてしまった。彼はす
でに保釈中なので、審理の休憩時間などに私と話をする仲になっていた。
彼は、しきりれこ「あの女は性悪で、おれはうまくはめられてしまったん
だ」とぼやいていた。30歳になるが、定職につかず、ぶらぶらしている
裕福な医者の息子である。おとなしくて気立てはいいようなので、これに
懲りて2度と裁半」沙汰になるようなことはしないであろう。
もし有罪評決であれば、初犯者であることを考慮しても、刑罰は58.5
か月(約4年)から74.5か月(約6.2年)の実刑になるところであつた。
まさに「天国と地獄」。
以下に、そのとき書記官が読み上げた評決を掲載する。書記官が読み上
げるところは、事件名と“e,the iury,……"以下の文章である。陪審
長が下線部に有罪か無罪かの評決を記入し、署名する。

(h)検察官のコメント 評決の翌日、検察事務所にマックヘイル検察官
を訪問して、本件に関する感想を聞いてみた。
彼は、本件における立証の困難性について次のように述べている。第2
級レイプ未遂罪の成立要件は次の2つであり、これらを証拠により証明し
なければならないので、その立証は大変むずかしい。第1は、被告人の行
為が、レイプを完遂する方向に向けて、単純暴行行為から実に一歩踏
み出していること(Substantial Step)が必要である。第2は、レイプを
する故意(“criminal lntent"=犯意)がなければならない。
 本件では、被告人はガムテープを被害者の口に貼り、ソファの上に押し
倒し、うつぶせにそようとした。この行為はレイプ未遂行為と解される。
しかも、その後、被害者に「セックスしようとしているのさ。気が狂っち
まったよ」と言ったことで故意も十分立証できると考えた。しかし、被告
人は自分の服を脱ぐことはなかったし、彼女の服を脱がせることもなか
た。また、彼女の「陰部」に触わる行為もしていない。そこで、「暴行行
為」からさらに進んで「レイプ未遂行為」およびこの「故意」の立証が
むずかしかった。
そのため、事前に不法監禁罪の訴因を加えていたのであるが、これは裁判官
により却下されてしまった。その判断には、本当にがっかりした。陪審の
選択肢としては、きわめて重いレイプ未遂罪に関する有罪か無罪かの
選択しかなくなってしまったからだ。陪審は、レイプ未遂罪の訴因につい
て、暴行罪を認定することはできない。
さらに、本件は家庭内暴力事件であり、以前性的関係のあった恋人同士
という特殊な関係がその立証活動を一層困難にしている。本件に限らず、
家庭内暴力で、しかもレイプが問題になる事件の立証はきわめて困難であ
る。告訴を受けて捜査・起訴しても、時が経過するうち加害者と被害者が
仲直りをし、訴追活動に非協力的になったり、あるいは2人で手と手をと
りあつてどこかへ消えてしまったり、ということがしばしばある。だから、
その公判維持の困難性は、皆知っているので、無罪となっても批判される
ことはない。むずかしければ、むずかしいほど、仕事としてやりがいがあ
る。

 

島伸一先生の著書・編著