裁判官はいつもあわただしく動き回っている。
<中略>
VI 公判
<中略>
あるレイプ未遂事件の陪審公判
公判審理が実際にどのように進行するかについて、私の見聞した第2級レイプ
未遂事件(以下「エプリル事件」と呼ぶ)を例にとり紹介する。
(a) 事件の概要 被告人手プリルは、被害者エミリー(仮名)と
は10か月間にわたり恋人同士の関係にあった。しかし、1か月前に別離
し、彼女の荷物がまだ彼のアパートの部屋に残されていた。彼は、電話に
より、その部屋で昼食し、話しあいをしないかと彼女を誘ったところ、彼
女はそれに応じた。彼女としては、彼の部屋に置いてきた荷物をとりに行
くのがおもな目的であつた。
2000年2月17日、彼女が彼の部屋を訪れた。彼は彼女を居間に招き入
れるとすぐに、抱きかかえるようにしながらソフアに仰向けに押し倒した。
そして彼の膝で腕を押さえつけ、近くにあつたガムテープを彼女の口に貼
りつけた。それから、彼が彼女をうつぶせにしようとした際、彼女は手が
自由になったので回のテープをはがし、彼に「なにをするの? こんなこ
としないで。」といった。すると彼は、「セツクスしようとしているのさ」
と答えた。さらに「気が狂っちまったよ、気が狂つちまったよ!」ともつ
け加えた。
そこで彼女は、逃れるため、どうにか立ち上がり部屋から出ようとする
と、彼がドアーの前に立ちふさがり、「そこにいてくれ」と頼んだ。そし
て、「今、僕がしたことを許してくれ」と繰り返した。そのとき、ドアー
の鍵はかけられていなかった。しばらく押し問答した後、結局、彼は彼女
が立ち去るのを許したものの、彼は後を追って歩道を歩いていた。しかし、
見知らぬ男が、彼女が震え・泣きながら歩いているのを見てその間に割っ
て入り、彼に彼女を1人で立ち去らせるように話した。こうして、彼女は
その日は、会社にもどった。
その後、彼女が自分のアパートに帰宅すると、留守電に彼のメッセージ
が残されていた。「僕の人生でもっともバカげたことをしてしまった。そ
のことを考えるだけでも気分が悪くなる」、というような趣旨であった。
翌日、彼女はシアトル市警察に電話をした。これに、カビンタとキャン
ベル両警察官が対応し、被害者のエミリーから供述を得るとすぐ、ェプリ
ルのアパートに向かった。警察官は、ドアーを開けた彼に「昨日、エミリ
ーとの間で何があったのだ」と質問した。それに対して、彼は次のように
答えた。「彼女をソファで抱きじめたら、彼女が抵抗した。……・彼女は怪
我なんかしてないし、洋服も脱いでないよ。僕は握りこぶしも使ってない
んだ。だけど、僕の人生で1番ひどいことをしてしまった。そんなこと、
今まで決してしたことなかったよ。自分をコントロールできなかったん
だ」。これにより警察官は、「逮捕のための相当な理由」が生じたと考え、
彼を逮捕した。
そのとき、彼が部屋の鍵と財布をとってきたいというので、警察官は彼
とともに室内に入り、ミランダ半決に基づく被疑者に対する諸権利の告知
(いわゆる「ミランダ告知」を行った。その後、警察官は、ソファのそばの
床にガムテープの破れカスがあるのを発見した。それは外部から目に見え
るところにあった。そこで、警察官は、被害者のエミリーが「ガムテープ
で口をふさがれた」と供述していると被疑者エプリルに告げた。すると彼
は、「それはアパートのなかにあったものではない」というので、彼の案
内により部屋の外に出て2本のガムテープと、これを買ったときの領収書
の入ったビニール袋を発見した。これらの物は証拠保全された。
(b)公判前手続本件は、最初、シアトル市検察官事務所にもち込
まれ、第4級暴行罪(軽罪)として手続が進められていた。しかし、その
後、3月6日にシャロン・ステイーブンス刑事が補充捜査を担当し、市検
察官と相談のうえ、本件は重罪である第2級レイプ未遂罪での起訴を検討
すべきであるとの結論に到達し、3月21日、キング郡検察事務所へ事件
を転送した。
これを受けたキング郡検察事務所で検討した結果、被害者の口にテープ
をし、被疑者は「セツクスしようとした」等tと供述しているから、本件
行為は第2級レイプ未遂にあたる。そして証拠も十分であると考えたので、
キング郡検察事務所は上級裁判所に本件を起訴することにした。
はじめ略式起訴状に記載された起訴事実(訴因)は、第2級レイプ未遂
罪のみであつた。しかしその後、2000年の7月7日、オムニバス・ヒア
リングの際に、不法監禁罪の訴因が追加された。それは、被害者の室内か
らの立ち去りを妨害した被告人の行為がそれにあたると解したからである。
プリ・バーゲニングに関しては、訴訟の早期の段階で、被告人側から
「より軽い罪にしてほしい」という申し入れがなされた。しかし、検察側
では、本件はレイプ未遂にあたり、十分立証が可能であると考えたので、
それに応じなかつた。その後、交渉は行われなかつた。
公判担当検察官は、審理日程の設定審間とオムニバス・ヒアリングの間
で本件を担当することになった。
(C)証拠に関する審間 2000年7月19日(水)、キング郡上級裁
判所アン・シンドラー(Ann Schindler)裁判官のW-355法廷において、
公判が開始した。20日(木)には、公判で提出される証拠に関する審間
が行われ、公判までもち越されていた刑事規則3.5条(自白)と3.6条
(それを除く証拠)に関する各審間があわせてそこで実施された。
証拠に関する審間に際して検察官が裁判所に提出した「公判メモJ
(“StateもT・al MemOrandum")によれば、本件審理と立証予定は次のよ
うになっている。訴因は2個で第2級レイプ未遂罪と不法監禁罪。審理日
数は3から4日。
証人予定は、①被害者エミリー、②犯行後最初に被告人のアパートヘ赴
いた、カビンタ警察官、③同キャンベル警察官、④捜査に関係したドウセ
ット警察官(実際には証人請求されず、④本件担当のシャロン・スティー
ブンス刑事、⑤被害者の職場の同僚、アンティア・ロプリオン、⑥被害者
の親友、キャリン・ニーストロム、⑦その他2名(この2名は実際には証
人請求されず。
上記を除く、提出予定の証拠類は次のとおりである。④被告人のカビン
タ、キャンベル両警察官への供述。⑤室内で獲得されたガムテープの切れ
端、◎室外で獲得されたロールテープ2本、③犯行後2時間以内に、彼女
の留守電に残された被告人の謝罪の言葉。
以上の証拠のうち、自白に関する3.5条審問(CrR 3.5)では、前記④
に関し、その他の証拠排除に関する3.6条審問(CrR 3.6)では、前記⑤
に関し、証拠能力について検察官と弁護人の間で活発に議論された。
3.5条審間における争点は、最初、警察官が被疑者に対して事件につき
質問したとき、すでに、逮捕の基礎となる「相当な理由」(“probable
cause")が存在していたか否か、である。もし、これが肯定されると、警
察官は、事前にミランダ告知を被疑者にしていなければならないのに、本
件ではそれをしていないので、被疑者の供述(返答=前記④)は、証拠と
して使用できないことになる。
本件では、検察官の主張は、次のとおりであった。被告人のアパートを
訪問した警察官は、最初、質問したときにはまだ逮捕のために必要な「相
当な理由」を有していなかった。被告人の答えにより初めてその要件がそ
なわった。
3.6条審間における争点は、まず警察官による室内への立ち入りの法的
性質であり、次にガムテープ(前記①)の取得の適法性である。検察官は
次のように主張した。室内への立ち入りは、被告人の同意に基Q応もので
ある。ガムテープの取得は、プレイン・ビユー(plain ・ew)差押により
適法に得られたものである。プレイン・ビュー差押とは、適法な立場にあ
る警察官は、目に見える状態にある禁制品、証拠物、凶器を無令状で差押
できるという理論である。
各争点に対する裁判官の証拠決定は、次回期日にもち越された。翌21
日は、金曜日なので裁判所の審理日程上、陪審公判は行われない。午前中
は他事件の審間日、午後は刑の宣告日と決められているので、次回期日は
24日の月曜日になった。
24日(月)は、9時30分から証拠に関する審間が続行され、各証拠の
採否に関する裁判官による決定が下された。まず、被告人の供述(前記
④)について裁判官は、弁護人の主張を支持し、彼の部屋のドアーをノッ
クしたときには、警察官は事前に得ていた情報により逮捕のための「相当
な理由」を有していた。したがつて、事件に関して彼に質問する前にミラ
ンダ告知が要求されるので、告知をしないで得られた被告人の供述は、証
拠排除されるべきである、と決定した。しかし、ガムテープ(前記①)に
ついて裁判官は、検察官の主張を支持し、それは証拠として提出されるこ
とになった。
(d)陪審選任同日11時20分から陪審選任手続が開始され、3時
15分にそれが完了し、20分間の休憩の後、3時35分から陪審審理が開始
された。陪審の人種構成は、自人11人、黒人1人、性別は、男8人、女
4人(ワシントン州では、陪審員が全部同一人種、たとえば白人になったとし
ても法規上問題ない)である。その後、裁判官が、審判の対象、予定され
る審理日程と手続、注意事項を陪審に「説示」して、午後4時にはこの日
の審理を終了した。
(e)陪審審理 25日(火)は、9時30分から裁判官と当事者の間で、今日の
進行について簡単な「公判前協議」(pret・al cOnference)をし
てから、冒頭陳述を検察官が10分間、次に、弁護人が20分間行った。次
に検察官の立証へ移り、最初は被害者エミリー(前記証人予定①)への証
人尋問からであった。検察官は証人に、証言に対応して法廷のボードに犯
行現場の見取り図を描かせた。またその際、彼女の口をふさぐのに使用し
たガムテープの切れ端(前記①)、この本体であるロールテープ2本(前記
◎)および彼女のアパートの留守電に残された、被告人の謝罪の言葉(前
記①)が証拠物として提出され、書記官に手渡された。こうして主尋間は
45分間に及んだ。
次に弁護人による反対尋間が実施された。ここで弁護人は、本件は警察
と検察が元恋人同士の単純な押し問答をレイプ未遂にでっち上げたもので
ある。したがって、被害者は性的暴行を受けたと感じていないのではない
か、と被害者たる証人に詰め寄った。その反証のため、弁護人は、被害者
が警察へ電話したときの録音テープと、捜査官への被害者の供述を証拠と
して提出した。これらは、被害者が被告人から性的暴行(sexual
assault)あるいはレイプされそうになった、と警察官にも捜査官にも話し
ていないことを立証するためであった。反対尋間では、被害者がそのよう
な表現を一度もしていないことを自認した。12時に弁護人の反対尋間は
終了した。
昼食休憩をはさんで、午後1時37分から検察官の再尋間が行われた。
その後、午後1時50分から弁護人による反対尋間が行われt午後2時か
ら検察官による再々尋間、午後2時7分から反対尋間と繰り返された。そ
して午後2時10分に裁判官が検察官に対し、「それに対して再々再尋間を
行いますか」と尋ね、検察官が「ありませんJと答えて被害者エミリーヘ
の証人尋間が終了した。証人尋間を終えると、彼女は、愛くるしい目で廷
内を見渡し、人目をはばかることなく、傍聴席にいた新しい恋人の胸に飛
び込んだ。アジア系のなかなか男好きのするかわいい若い女性であった。
私は、後の席にいる、性犯罪の裁判を専門に取材しているンポーターの
スージー(Suge)さんに彼女の証言について聞いてみた。陪審員には、
女性が4人おり、そのうち3人は50から60歳ぐらいの品のいい普通のお
ばさんであつた。そこで、私は彼女に、「女性の陪審員は被害者エミリー
に同情するから、今の証言は検察官に有利になったのではないか」と質問
した。すると彼女は、即座に次のように答えた。「必ずしもそうではない
わ。普通のおばさんは、ほかの女にも普通の女らしい態度を求めるから、
エミリーのように小悪魔的で、ちょつと小生意気な感じのする女はむしろ
嫌われると思うわね。女性の陪審員は往々にして、男性よりも被害者の女
性に厳しいことがあるのよ。」
次は、検察側証人のカビンタ(前記証人予定②)とキャンベル(同③)両
警察官が順次法廷に呼ばれて証言した。両警察官への証人尋間は午後2時
25分に終了した。引き続き、被害者の職場の同僚アンティア・ロプリオ
ン(同⑤)、被害者の親友、キャリン0ニーストロム(同⑥)があいついで
証人尋間された。いずれも10分程度で簡単に終わつた。
午後2時46分からは、本件担当のシャロン・ステイーブンス刑事(同
④)に対する証人尋間が行われた。彼女は、本件捜査および重罪のレイプ
未遂罪での立件にあたり、主導的な役割を果たしたので、証人尋間はおよ
そ1時間10分に及び、3時56分に終了した。
裁判官は、陪審に今日の審理は終了したので、陪審室にもどって待機す
るように指示した。その際、本件については、誰とも会話し、また一切調
査・捜査活動をしてはならないと念を押す。
法廷に残った裁判官と検察官、被告人・弁護人で、検察側立証に関する
意見交換ならびに進行予定等の問題点について協議が行われた。
検察官は、検察側立証はすべて終了した、これにより起訴事実に関する
証明は十分であり、立証は尽くされたと主張した。しかし、弁護人は、そ
の立証では、明らかに有罪とするには不十分であるとして、訴訟打ち切り
の申し立て(mOtion to dismiss)を提出した。これは検察側立証と被告傾
立証の間で行われるため、通称「ハーフタイム0モーション」(halftime
motion)と呼ばれている。弁護人がその申し立てをするのは、弁護戦術の
セオリーである。本件でも、弁護人は次のようにその申し立てをした。起
訴された2つの訴因、つまり、①第2級レイプ未遂と、②不法監禁につい
ては、いずれも最低限度の合理的な証拠によつても支えられておらず、ま
た起訴事実が真実であったとしても犯罪を構成しない。
その申し立てに対して裁半」官は、通例、検察側にもっとも有利になるよ
うに法規と事実を解釈し、次のように述べてそれを即座に却下する。「本
件では、検察側は、一見して明白に、当該犯罪事実の立証として要求され
る、合理的な最低限度の証拠を提示した」。しかし、本件では、シンドラ
ー裁判官は当事者の議論と決定を翌日にもち越すことにした。そのため、
裁判官は、各当事者は翌日の午前9時30分に法廷に集合するように指示
した。陪審員の陪審室への集合時刻は午前9時45分にし、待機中の各陪
審員へ廷吏から連絡させた。これで閉廷。
26日(水)は、午前9時35分から審理が開始され、陪審のいない法廷
で昨日の弁護人による訴訟打ち切りの申し立てに関する審間が続行された。
検察官と弁護人の弁論の後、裁判官が次のように決定した。前記①第2級
レイプ未遂の訴因については、弁護人の主張を排斥し、当該申し立てを却
下した。しかし、前記②不法監禁の訴因については、弁護人の主張を是認
した。理由は、次のとおりである。被害者エミリーが部屋から立ち去ろう
としたとき、被告人が彼女をブロックした行為については、きわめて短時
間で、しかもドアーの鍵はかけられていないままであったから、それによ
り被害者の行動の自由が実質的に奪われたとはいえない。したがって、本
件では、被告人による不法監禁のための物理的阻止行為はなく、不法監禁
罪は成立しない。この結果、検察官は、起訴状の変更を余儀なくされ、不
法監禁の訴因を撤回したので、陪審審理は第2級レイプ未遂罪のみについ
て実行されることになった。
次に、裁判官はこれから実施される被告側の立証予定を弁護人に尋ねた。
弁護人は被告人を証人として証言させると答えたので、裁判官はその点に
ついて被告人に質問した。被告人は、みずから証人として証言する旨を述
べた。裁判官は、被告人が証人になった場合、黙秘権は行使できないこと、
偽証したら偽証罪に問われること等を丁寧に説明して、再度弁護人に相談
するように忠告する。被告人は弁護人と簡単に話してから、裁判官に「0.
K.」と返事をする。
午前10時35分、陪審が法廷内に入り、陪審審理が開始される。被告人
が証人席に着き、宣誓してから、弁護人による主尋間が行われる。しかし、
それは15分ほどで簡単に終了。検察官による反対尋間に移る。検察官は、
被告人に対して、ガムテープをエミリーの口に貼った意図、ソファ上で彼
女をうつぶせにしようとした行為、このときの被告人の意図およびその後、
「気が狂っちまったよ」と彼女にいったかを執拗に質問する。被告人は、
「No」と一言。検察官は手を変え品を変え迫り、弁護人は、「異議あり」
を連発する。
その後、弁護人の再尋間、検察官の反対尋間が簡単に行われ、午前11
時55分に弁護側の「もう質問はありません」という言葉で、被告人に対
する証人尋間は終了し、昼食休憩に入る。
午後1時35分再開。陪審のいる法廷で、裁判官がすべての立証が終了
した旨を告げ、これか多の手続を説明して陪審を陪審室に退去させる。法
廷では、裁判官が陪審に与える「説示」について、裁判官、
検察官および弁護人で議論し、ようやく成案ができたのが午後2時10分。
このとき、ロビンス弁護人が突然、裁判官に「日本から島教授が我々の陪
審裁判を研究するためにそこに来ているので、彼にも『説示』のコピーを
あげて欲しい」と述べた。裁判官もその提案にすぐさま同意した。何が飛
び出すかわからないのが、アメリカの裁判であり、驚きの連続である。こ
のときは私も本当にビックリした。
午後2時35分に陪審員を法廷に入れ、陪審審理再開。裁判官が検察官
と弁護人から最終弁論の予定時間を聞く。双方20分から30分と答える。
午後2時47分、検察官の最終弁論が開始される。法廷に提出された証
拠により、被告人の第2級レイプ未遂に関する起訴事実は十分証明された
と主張。最後に公平な立場で評議し、有罪の評決をもって法廷に帰つてく
るように陪審に要請して終わる。
午後3時10分から弁護人の最終弁論。本件は2人の弁護人による共同
代理事件であるが、最終弁論はそのうちのロビンス弁護人が担当。彼は、
パフォーマンスがうまく、弁論も理路整然として大変滑らかである。彼の
主張は、次のとおりである。本件は前恋人と被告人との間で起こった、よ
くある馬鹿げた行動の1つにすぎない。それを警察と検察がレイプ事件に
でっち上げたものである。被告人はレイプの故意をまったく有していなか
った。現に被害者エミリーも自分が性的暴行を受けたとは1回も述べてい
ない。また、彼女は一時、検察事務所でアルバイトをしたことがあるので、
検察官と何らかの取引をし、本件をレイプ事件に仕立て上げるのに協力し
か。本件では、明らかに「合理的疑いを入れない」程度に起訴事実が
証明されていないから、被告人は無罪である。
午後3時50分に弁護人の最終弁論が終了し、引き続き検察官による補足の
最終弁論が行われた。検察官には、弁護人の弁論後、簡単に再弁論る
機会が与えられる。そこで検察官は、次の点について念を押した。被害
者の口にガムテープを貼った行為により、セックスの目的は明らかに推認
できる。。また、被害者が「何をするの?」と質問した際、被告人が「セッ
クスしようとしてているのさ」、「気が狂っちまったよ、気が狂っちまった
よ!」と答えたことからもそのことは明白であり「合理的疑いの入る余
地はない」。午後3時57分終了。
(f)評議裁判官は、審理がすべて終了したことを陪審に告げ、丁
寧にお礼を述べて陪審の交代要員1名を免責した。残された12人の陪審
に対し、これからの評議と評決手続について「説示」し、今日は午後4時15
分まで評議をするように指示した。陪審は、陪審室でその時刻まで評議し
、結局、その日、評決には到達しなかった。
27日(木)。陪審員は午前8時45分、陪審室に集合し、午前9時から
開始する。評議中は、誰も一切立入禁止なのでその模様はわからな
、評決後、裁判官と検察官の好意により、彼らから直接その模
きた。それによれば、議論の中心はレイプの故意が認定
ぅ点であった。暴行行為の認定について陪審員は早くから
致していた。したがって、レイプの故意を認定し、暴行罪からレイ
罪へのハードルを越えられるかが最大の争点であった。
午前11時50分評議終了。評決に到達したとの連絡が陪審員長から廷吏
吏が陪審室に行き、それを確認して裁判官に報告。裁判官の
従い、廷吏は、午後1時30分から評決手続を開始することにし、関
者に連絡をした。
(g)評決 午後1時41分裁判官が入廷し、評議の際、陪審員が裁
留守電に残された被告人の供述を録音したテープを再度聞くこと
を要求したので、これを許可した旨を当事者に説明した。そして、陪審員
入廷させ、評決手続が始まる。
検察官、被告人・弁護人らが起立して、評決を待ちかまえるなか、裁判
官が書記官に評決を読み上げるように指示する。
「無罪」(Not Guity)、というその声が法廷に響きわたると、被告人は
家族・弁護人と手を握り合い、また傍聴に来ていた新しい恋人と抱きあつ
て喜んでいた。おまけに、最前列で傍聴していた私にも握手を求めてきた
ので、おもわず「よかつたね。お幸せに!」といつてしまった。彼はす
でに保釈中なので、審理の休憩時間などに私と話をする仲になっていた。
彼は、しきりれこ「あの女は性悪で、おれはうまくはめられてしまったん
だ」とぼやいていた。30歳になるが、定職につかず、ぶらぶらしている
裕福な医者の息子である。おとなしくて気立てはいいようなので、これに
懲りて2度と裁半」沙汰になるようなことはしないであろう。
もし有罪評決であれば、初犯者であることを考慮しても、刑罰は58.5
か月(約4年)から74.5か月(約6.2年)の実刑になるところであつた。
まさに「天国と地獄」。
以下に、そのとき書記官が読み上げた評決を掲載する。書記官が読み上
げるところは、事件名と“e,the iury,……"以下の文章である。陪審
長が下線部に有罪か無罪かの評決を記入し、署名する。
(h)検察官のコメント 評決の翌日、検察事務所にマックヘイル検察官
を訪問して、本件に関する感想を聞いてみた。
彼は、本件における立証の困難性について次のように述べている。第2
級レイプ未遂罪の成立要件は次の2つであり、これらを証拠により証明し
なければならないので、その立証は大変むずかしい。第1は、被告人の行
為が、レイプを完遂する方向に向けて、単純暴行行為から実に一歩踏
み出していること(Substantial Step)が必要である。第2は、レイプを
する故意(“criminal lntent"=犯意)がなければならない。
本件では、被告人はガムテープを被害者の口に貼り、ソファの上に押し
倒し、うつぶせにそようとした。この行為はレイプ未遂行為と解される。
しかも、その後、被害者に「セックスしようとしているのさ。気が狂っち
まったよ」と言ったことで故意も十分立証できると考えた。しかし、被告
人は自分の服を脱ぐことはなかったし、彼女の服を脱がせることもなか
た。また、彼女の「陰部」に触わる行為もしていない。そこで、「暴行行
為」からさらに進んで「レイプ未遂行為」およびこの「故意」の立証が
むずかしかった。
そのため、事前に不法監禁罪の訴因を加えていたのであるが、これは裁判官
により却下されてしまった。その判断には、本当にがっかりした。陪審の
選択肢としては、きわめて重いレイプ未遂罪に関する有罪か無罪かの
選択しかなくなってしまったからだ。陪審は、レイプ未遂罪の訴因につい
て、暴行罪を認定することはできない。
さらに、本件は家庭内暴力事件であり、以前性的関係のあった恋人同士
という特殊な関係がその立証活動を一層困難にしている。本件に限らず、
家庭内暴力で、しかもレイプが問題になる事件の立証はきわめて困難であ
る。告訴を受けて捜査・起訴しても、時が経過するうち加害者と被害者が
仲直りをし、訴追活動に非協力的になったり、あるいは2人で手と手をと
りあつてどこかへ消えてしまったり、ということがしばしばある。だから、
その公判維持の困難性は、皆知っているので、無罪となっても批判される
ことはない。むずかしければ、むずかしいほど、仕事としてやりがいがあ
る。