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今日本の伝統文化の魅力を広く伝えるプロジェクトに取り組んでいる中田英寿さん。
工芸品の普及のために開催しているイベントの顔に今年ある作家の作品を選びました。
不思議な模様が染められたのれんや屏風。
今本当に日常に入っててもすごい目立つ作品だと思うしそれは昔とか今とか関係なくて一人のすばらしいデザイナーだったんじゃないかなと思います。
型紙を使って一人で布を染め上げる型絵染の人間国宝です。
縄かと思うと…縄の模様を染めたのれん。
芹沢は目にするあらゆるものが模様に見えたといいます。
漢字の「寿」。
魚を取る道具。
この自由さに現代のクリエーターも魅了されています。
道具がきれいに並べてる状態じゃなくて本当にこう使っている状態というかそういうのがこう生き生きと描かれていて。
この「天」に関してはリズムすら感じますよね。
グワ〜ッ…遅速感緩急。
ではこののれんを見てどんな風を感じますか?「日曜美術館」です。
さあ今日は民藝運動の中心メンバーとして活躍した染色家の芹沢介。
さあ新さんはどんな風を感じました?爽やかですね。
爽やかで力強い風を感じますね。
涼しさとどこか温かさ。
不思議ですよね。
この一字の持つ力というかこのデザインの力。
目の栄養になるようなそういう作品だなと思いますね芹沢の作品は。
更に最近若い人の間でもこうした民藝が非常に人気で特にこうした芹沢の作品はトップを走るクリエーターたちも魅了しているという事なんですね。
さあまずは芹沢ワールドからご覧頂きましょう。
芹沢の生まれ故郷静岡市にある…建物のデザインにも芹沢のアイデアが生かされています。
生前寄贈された600点を超える作品が収蔵されています。
まずは海外で高く評価された着物です。
朱色の海を力強く泳ぐ鯛の群れ。
芹沢が「染め物の中でも始終伸び伸び働ける」と語ったのがのれんです。
これは薪。
薪を白にする事でさりげなく軽やかさを演出しています。
子供の頃から芹沢に惹かれてきたというアーティストがいます。
同じ静岡県出身の…福井さんの作品は下絵を描いた紙をこまやかに切り抜く事で生まれます。
芹沢が型紙を作るのと同じ作業。
表現するものは違いますが共通点があります。
数ある作品の中でも福井さんには創作をする上で大きなヒントを与えてくれた一枚があります。
和紙に文房具などを染めた「身辺」という作品。
自分の作風に迷っていた時期にここの美術館に来た時にこの机にある道具というかそういう身辺のものがまず絵のモチーフになっているという事にすごく驚いて。
私の中でも切り絵っていうものが何か固定概念があってこういうものが切り絵に向いてるとか切り絵だからこういうのが合ってるというようなモチーフじゃなきゃ駄目なのかなというふうに思ってるところがこの芹沢さんが型絵染で日常の机の上にあってもう全然絵のモチーフになるとは思えないものもモチーフにしているというその着眼点の独創性みたいなのに驚いて。
自分がいいと思った題材であれば何でも絵のモチーフにしていいんだなという事にこの作品で気付かされましたね。
美術館のすぐそばに芹沢が実際に暮らしていた家が移築されています。
机には愛用の道具。
身近にあるただその事が美しい。
のれんに染めた縄のれん。
1960年代の古き良き日本のデザインを発掘している…「縄のれん」の模様に刺激を受けるといいます。
本当は縄のれんがあればいいところを染めるという。
まあ恐らく感覚的にはほんとグラフィックデザイナーデザイナーなんでしょうね。
それでやっぱり面白い図案を自分という染めるという自分の技法で表現するという。
そうすると具体的な立体じゃなくてもう染め物にその絵柄がなっていくという。
その何かちょっと変な感じが面白いですよね。
古くならない新しくもないんだけど古くない。
芹沢は「型絵染」と呼ばれる手法の先駆者です。
まず紙に描いた下絵に沿って小刀で模様を切り抜いていきます。
こうして模様を染める型紙を作ります。
型紙の上から布にのりを塗ると色を付けたい所だけを染める事ができます。
本来分業であった工程を芹沢は全て一人でこなしました。
芹沢の模様はどのようにして生まれたのか。
秘密の一端を物語る資料が美術館に保管されています。
これは芹沢先生の多分戦後間もない頃のノートなんですけど実際には手帳とかにスケッチをしてその中で自分が特に大事だとか後で作品にしたいなと思ったものを貼って集めたものなんですけどね。
これいろりの上にやかんとか鍋とかをつるための自在かけというのがあるんですけれどこういうものにも着目をして模様として作品の中に取り入れているんですね。
描いている先からやっぱりその対象をこれからどういうふうに型染めにしていくかという事を常に考えているわけで。
あくまでもその絵から始まるというか芹沢の仕事というのはこういう形に生かされてきているわけですね。
昭和34年鎌倉の海岸でスケッチをする芹沢の姿。
このころ漁村の小さな家を借り散歩に出かけては目にするものを描きとめました。
近所を歩くだけで作品のモチーフはいくらでも見つける事ができたといいます。
時として芹沢は自ら「着られない着物」と称する事もありました。
最高傑作といわれる屏風。
一体何でしょう?答えは荷物を背負う時背中にあてる「ばんどり」という道具。
芹沢は山形県の庄内地方を旅した時に見て感動しました。
わらと布で丁寧に編まれた手仕事の美しさ。
染められたばんどりは実物と変わらない大きさです。
色や編み方まで忠実に再現しています。
芹沢の言葉です。
今日のゲストは日本民藝館館長でプロダクトデザイナーの深澤直人さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
僕はこういうばんどりやみのといった農具に興味あって東北の農家の例えば納屋とかに行くと納屋の入り口とかにかかってたりするんですよね。
こういうふうに作品としてなった時にその形の面白さとかが見えてくるなとも思って。
その使う人が作っていくという事がまず民藝の基本だと思うんですよね。
こんなふうにやった方がしょいやすいのではないかとかかわいいのではないかきれいなのではないかという事がこういう所に素朴な味わいとしてやはり出ているという事にその芹沢介自体はああこれはすばらしいというふうに愛着魅力みたいなものを感じたのではないかというのも一つ印象ですよね。
芹沢の型紙「ばんどり図」の型紙が出てますけどこまやかな…メデューサのようにさえ見えてきますけど切って作ったものですよね冷静に考えて驚きますよね。
立体を平面に落とすその事に対して彼はすごく興味があったと思うんです。
それが最終的には型紙を切るというところにまでいくんですがその工程が非常に興味深くて面白い手法であるという事がもう自分でつかんでしまった時点があると思うんですよね。
そうなった時に今度はありとあらゆる立体的なもの身の回りにあるものが全部作品として成り立つのではと見えるようになってしまったんじゃないかと。
ほぼ実物大の大きさで実際はばんどりが飾られていて。
同じ大きさに描くというかそれはすばらしい事ですよね。
それが多分天才的なところだと思う。
サイズを変えてしまうという事はそのものが持ってるエッセンスの力みたいなものが失われてしまうという事だからそれを同じにしようと思った時点でもう彼はビジョンが全部描ききれてると。
あとは作業としてやるだけという事になるんじゃないでしょうか。
例えば出てきた鯛の着物。
いつどこで誰が着ようかというような。
すばらしい。
すごいですね。
着物として考えたのかその鯛というモチーフが自分の中に思い浮かんだのかなかなかそこは本人でなければ分からないと思うんですけれど構図が非常に立体的であってしかも鯛が下を向いて泳いでる勢いみたいなのがありますよね。
それともう一つエッジというか角が多いんですよねパターンに。
直線的なんですよ。
直線的なものの組み合わせがこの鯛の一つの形を成してるというところが僕はこれは本物を見た時はちょっとびっくりしました。
反復していく事によってよりグラフィカルになっていってますよね。
人が好む線とか人が好む形とかそういった事は一体何なんだろうという事を考え続けていく仕事がデザイナーという仕事なんですよね。
それって足していく事ではなくてそこにある実在するものの要素をくみ取ってあとを消していくというか省略化してエッセンスだけを残していくみたいな魅力の固まりにしていくみたいな作業だと思うんですよね。
彼は象徴的な鯛のエッセンスをそこに表そうとしていた事が今の時代で言われるグラフィックデザイナーみたいな作業と非常に重なる共通点があるんじゃないかと思いますね。
芹沢にとって大きな転機となったもの。
それは沖縄への旅でした。
進むべき道を見つけた喜びがかいま見える作品です。
強い日ざしに照り映えるような赤や青。
軒先で板干しをする和紙の里の風景を鮮やかな色彩で染め上げました。
明治28年芹沢は静岡の呉服商の家に生まれました。
幼い頃から絵の才能を発揮し東京高等工業学校の図案科に進学。
20代は工業試験場などで図案今で言うデザインの指導や研究の仕事をしていました。
最初の転機は32歳。
「工藝の道」という論文を読んで感銘を受けます。
それは無名の職人たちが実用のために作り出す素朴な工芸品に美を見いだそうとする思想。
筆者は柳宗悦。
大正時代の終わりに始まった民藝運動を牽引した思想家です。
芹沢は柳を師と仰ぎこの運動に参加します。
陶芸家の濱田庄司など後に日本の工芸界を代表する作家たちと共に理想を追求。
染色家として生きていく事を決意しました。
36歳の頃柳らが創刊した雑誌「工藝」の装丁を任されます。
型染めを始めて間もない頃でしたが毎月数百枚の布を染め上げ出版界からも注目されました。
しかし柳はこう評します。
芹沢という人はもともとものすごく繊細で正確で作風で言うと内向的な作品を作る人だったと思うんですよね。
ですからまあ作品としてはすごくまとまりがあって正確なものを作るんですけどただこう外に出ていくような主張がないっていうか外に張り出していくような力がないというそういう部分というのがあったと思うんですよね。
それが沖縄に行く事によって大きく変わっていくんですよね。
44歳の頃。
柳に誘われ沖縄の工芸を調査する旅に同行します。
初めての沖縄。
2か月に及ぶ滞在でした。
「沖縄では人々の暮らしの中に模様の源があふれている」。
芹沢は沖縄本島だけでなく久米島にも渡ってスケッチに明け暮れます。
そして長年研究していた沖縄伝統の染め物「紅型」と本格的な出会いを果たします。
自ら工房の門をたたき通い詰め紅型の技の全てを習得しようとしました。
東京に帰った芹沢はそれまでになく精力的に制作に打ち込みます。
紅型にもの作りの原点を学んだ芹沢。
そこから独自の手法を見つけます。
本来型紙を彫る作業は専門の職人が担当します。
しかし芹沢は自分の手で彫る事にこだわりました。
小刀の入れ方をよく見て下さい。
下絵の線とは微妙にずれています。
ここに芹沢のねらいがあります。
(女性)これは先ほど描いてらしたのを型紙に彫ってらっしゃるわけですね。
(芹沢)この彫る所彫り抜いた所はのりが入るわけですね。
だからこれ白地になるわけですよ。
(芹沢)そういう事もありますけど…
(女性)途中でこうどんどん変更してらっしゃるわけですね。
まるで手の動きに任せるように。
時に失敗すら生かしてしまう。
まさに自由奔放。
芹沢のデザインの魅力はそこから生まれているのです。
61歳で人間国宝となり脚光を浴びた芹沢は鎌倉の農家の離れを借り週の半分を一人で過ごすようになります。
その風景。
縁側でうたた寝をしているのは芹沢自身の姿です。
そうした日々の中から生まれた傑作。
生地は沖縄の芭蕉布。
そこに青で染めた芭蕉の葉。
芹沢の人生を導いた沖縄の風景。
沖縄の市場の風景でさえも芹沢にかかれば模様へとなってしまうんですね。
人の表情を見てますと非常にシンプルですけれどもこう平和な感じがしますよね。
ああ確かにそうですね。
沖縄の紅型というものを見た時に解き放されたみたいな自由を得たみたいな感じを得たと本人先ほども言ってましたがそういう感じがしますよね。
民藝というのはやはり作為というかそういうものがないんですよね。
最終的に作家としての彼らは作為のない素朴さにどうやったら到達できるんだろうかみたいな極みを民藝に見いだしていたような気がするんですよね。
もちろん芹沢介も結局は自分が追い込んでいったものに対して紅型を見た時にその平和な風景とおおらかに表現された全体のその世界というもの自体をああやっぱこうでなきゃいけないんだなというふうに何かこう得たのではないかなと思いますね。
それほどまでにやはり沖縄というものが強烈に響いたんですね。
まあそうですね。
偶然に出来てしまったみたいなふうになりたいと思っているんじゃないかなと思います。
ですから先ほどの画像にもありましたけれども切っていく作業のところがもう引いた線と違う所を切っていくという事自体は自分の手は自分が指令してるのではなくて道具として動いてるというその客観性に立ちたかったんではないかなと思うんですよね。
ですからむしろ緻密に自分の思ったとおりに描こうとしてるんではなくてさくさくと動いていってしまう事に対して最終的に作為がなくなった非常に温かい作品が出来るという事が分かってた。
小刀というものを介する事で程よい距離が作品との間に生まれる。
あまり繊細に描き込めないというむしろその限界のある道具という事が彼の画法としてのおおらかさを最も出していった部分だと思いますね。
それにしてもやっぱり「あっとれちゃった」と言ってじゃあこうすればいいというのはあれは失敗は誰でもできてもそこに持っていくのは…。
失敗というふうに思うのかそこは考え方次第なんじゃないでしょうかね。
それを失敗と思ってしまった時にはまだ自分の作為が残ってるかもしれないですね。
ほんとに彫りながらどんどん変化していく変わっていくというのが芹沢の大きな魅力だなと。
最初の大きなビジョンがありながらそれが途中で変わっても決して悪くないんだよというその余裕というか自由みたいなものがありますよね。
これは両方ないといけないんじゃないでしょうか。
芸術の都に「Serizawa」の風が吹き抜けました。
文字をデザインした代表作。
この年フランス政府の招待で芹沢の展覧会が開かれました。
ポスターに採用されたのがこのデザイン。
パリで300か所にはり出され絶賛されました。
こちらも漢字一文字のデザイン。
さて何という文字でしょうか。
中田英寿さんの名前にその答えがあるそうです。
(中田)やっぱり自分の名前が入っているあののれん。
まあ染色とかそういった事を抜きにしてデザイナーとしてのその実力というのがすばらしいなと思いました。
やっぱりそのぬくもりと優しさがあるというか当然特にこの藍で染めたもう本当芹沢さんならではのこののれんというのは当然日本のものを使いながら日本らしい表現はしてるんだけどもだけども非常に無国籍のようなモダンさというのはすごいある。
文字と絵を組み合わせたこんな屏風も。
「いろはにほへと」。
一文字一文字にその言葉で始まる絵が添えられています。
「に」は鶏。
「え」はえび。
子供のような遊び心です。
芹沢の文字の秘密とは?書の新たな可能性に挑む書家柿沼康二さんです。
柿沼さんがまず注目したのは芹沢の葉書。
日本民藝館に保管されている柳宗悦への手紙を特別に見せてもらいました。
(柿沼)達筆うまいというだけじゃないんですね僕が言いたいのは。
当然うまいんですけども面白みがある。
どういうところかというと例えば「柳」の最終画なんてやはりその書とか筆とは何ぞやというのを知ってなきゃ縦にグッと展開してこないですしでもこの先生の「生」の最終画で縦に対する横ベクトルを作ってるとかもういろんな味わいが字の中に出てくる。
芹沢介の「介」が面白い。
ほとんど顔と同じですよね。
「芹沢」まで読めれば「介」なんか読めなくてもそれは「芹沢介」でしかないという。
もうサイン化してますよね。
絵だったりデザインだったりをやられていてひょっとして文字とか書の世界が自分の表現したい美の中に入れ込んだところこれは他の誰もなしえない見た事のない芸術になったら面白いんじゃないかというところは常に探してたはずですよね。
これも芹沢が染めた文字。
布がひらひらと舞うような形から「布文字」と呼ばれます。
答えは「天」。
柿沼さんはこの文字に書への深い造詣を感じるといいます。
筆って上手であれば上手であるほど360度を使いきって書くんですね。
弘法大師の使う八面出鋒という究極のテクニックなんですけども。
表裏立ち上がって表立ち上がって裏立ち上がって表立ち上がって裏。
この「天」に関してはリズムすら感じますよね。
グワ〜ッ。
芹沢の文字は人気を博し暮らしの中に浸透していきました。
料理店のメニューやマッチ箱におもてなしの心を添えています。
ではこの4つの文字は?日本人の暮らしに何より欠かせないもの。
芹沢が最も好んだ言葉の一つ。
そろそろ分かりましたか?そう「春夏秋冬」です。
「可読スピード」って僕よく言うんですけれども「見ました。
字があります。
見ました。
はい読めました。
理解しました」までの時間なんですね。
早く読めたものが価値があるかというとそれは字としては価値があります。
意思伝達ツールなんで字としては価値があります。
ただ書とかアートとして字を捉えた時はむしろ「何だ?これは。
う〜ん…あっ!『天』だ」とか。
「絵?字?どっちだろう。
あっやばい読めた」という方のが面白みを感じるんですよね。
これがもう僕が思うその可読スピードは早すぎても遅すぎても駄目。
芹沢さんの作品には結構ありますね。
じ〜っと眺めてると「はっ!」とこう見えてくる瞬間が。
では最後にもう一文字。
あなたの可読スピードは?新さんはもう可読スピード解決…読めます?一見牡丹と竹に気をとられてしまうんですけど何とか解読できました。
先ほどから深澤さんがずっと考えていらっしゃる。
分かりました?僕は恥ずかしながら分からない。
じゃあ新さんから答えを。
「福」ですね「福」。
面白いですよね。
究極のフォントじゃないですか。
何か新しい文字を切り出したんじゃないかなフォントとしてね。
「福」という字の一番象徴的な部分に花を持ってきてるという事の意味は形とちょっと関係ないですよね。
でもそこに持ってくる事によってああ「福」だとなるというその見えないつながりみたいなものがちょっと絶妙ですね。
私たちはつい「風」という情報から見てしまいますけれどもこのデザインがやっぱり海外の人にもワーッと受けたその秘密はどこにあると深澤さんは思いますか?何かその感じ取った感受性みたいなものを表したいという願望みたいなものが非常に強いんではないかなと。
コンポジションかな。
コンポジションというのは構成という意味ですけども配置ですね全体の配置。
余白。
書というものもやっぱり余白を見ながら書いてくものだと思うんですよね。
その文字自体を見てるんではなく残った部分を見ていくという事。
この円が重要ですよね。
風だけだったら…だけど円というものの中に収まってますよね。
全ての点がこう。
だから余白のコンポジションが構成がもう極まっているんじゃないでしょうかね。
それがまた先ほどのエッフェル塔の隣に来たりすると妙にマッチしてしまうところがやっぱりこうさすがだなというところが。
ちょっと予測を超えたすばらしさなんですよね。
パリジェンヌともマッチしてましたもんねこの「風」という漢字がね。
これを見てると「風」という文字自体の意味なんかもうどうでもよくなっていくというか意味を飛び越えたデザインの力というものを感じますよね。
アイコン。
本当にアイコンになってますね。
アイコンを作りたかった。
彼はきっとありとあらゆるものの目に見えるものの世界を全部アイコン化したかった。
それが魚であったり文字であったりあるいは人々の生活の風景であったり寝そべった形であったり花であったりというどこまでアイコン化できるかという事に懸けていてその手法をナイフで切っていくという客観的な道具に託したみたいなところがあるんじゃないでしょうか。
アイコン化する事によってもう万人にそれこそ世界を超えて国を超えていろんな人がはっと分かる。
共有してますからね。
その部分の特徴を皆が既に暗黙のうちに共有してますから「そうそうそれなんだよ」という感じのものを見せつけられるからああなるほどという感じで。
それを作り込めるかどうかというのは非常に極まった力だなと思いますね。
今日は深いお話をありがとうございました。
楽しかったです。
ありがとうございます。
2014/09/21(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「あふれ出る“デザイン”〜民藝の巨人・芹沢