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第5章・刑事裁判の過程
目次
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法廷で評決を読み上げる女性の陪審員長。合衆国憲法修正第6条は、米国人に公平な陪審裁判を受ける権利を保障している。(© James Pickerell/The Image Works)
押収した4,500万ドル以上に相当するヘロインとコカインを提示する検事と警察。違法薬物の取引は、組織犯罪ないしは合意に基づく犯罪の2つの区分のいずれかに属する。(AP/WWP)
テロ行為の容疑者の行方を追って、指紋を採取しているタンパ警察捜査官。(AP/WWP)
犯罪発生場所とされる駐車場の見取り図を指し示す専門家証人。(AP/WWP)
陪審の評決を待つ被告人とその弁護人。(© Harry Scull Jr.-Pool/Getty Images)
監房へ戻される囚人。(AP/WWP)

刑事訴訟の過程は、法律違反の時点で始まり、逮捕、起訴、公判、そして控訴へと展開する。

  米国では、刑事であれ、民事であれ、訴訟の過程はただ1つではない。連邦制度には国家レベルの訴訟過程があり、各州および準州は、訴訟過程に関する独自の規則や制限を定めている。しかし、これらの政府機関の間には全体として、基準や共通点が確かに存在しており、本章はそれらに焦点を当てて説明していく。しかし、まったく同じ司法制度を持つ州は1つとしてない。また、連邦政府の制度と似たような制度を持つ州もない。

犯罪の性質と実体

  ある行為が、有害だからとか罪深いものだからという理由で、直ちに犯罪となるわけではない。ある行為が本物の犯罪となるのは、連邦議会、州議会ないしその他の公的機関が、正当に成立させた刑法を、具体的に侵害した場合だけに限られる。そのとき、その犯罪は国家に対する違法行為となり、罰金、収監、あるいは死刑によって処罰すべき行為となる。犯罪は、地域社会全体が負うべき義務に違反する行為であり、国家によってのみ罰せられる。収監や死刑の裁定は、民事裁判所や民事訴訟で科すことはできない。(ただし罰金は、民事でも、刑事罰でも課すことができる。)

  米国で発生するたいていの犯罪は、加重暴行や横領などの「作為の罪」(sins of commission)である。件数は多くはないが、「不作為の罪」(sins of omission)も少数ある。交通事故の後、車を止めて負傷者を救助することを怠るとか、所得税を申告しなかった場合などが、これに該当する。国家は、謀殺(故意の殺人)や反逆罪などを重罪としており、その罪の重さは、終身刑や死刑に相当する刑罰が定められていることをみても明白である。二重駐車とか、公共の静穏の妨害などについては、単に軽く咎めるべき犯罪と考えられている。そのため、刑罰は低額の罰金や、地元の拘置所での一晩収容など、当局が軽くこらしめる程度の軽い処罰である。

  誘拐や強姦などのような種類の犯罪は、市民の誰もが人間の行為として許せる範囲を越えているという考えで一致する。これに対して、意見を二分するような行為が犯罪となる場合もある。例えば、1897年にミシガン州法は、子どもの前で大人が罵りの言葉を発することを違法と定めた。またネブラスカ州法は、教会の夕食会でのビンゴゲームを禁止している。ほかにも、明らかにおかしな法律がある。ウィスコンシン州では、酒場で歌うことは違法であり、ルイジアナ州では、文学の会合に酔って参加することが禁止されている。

  米国で最も重大な犯罪行為を「重罪」(felony)と呼んでいる。大多数の州で、重罪は、死刑(実施を認めている州のみ)あるいは(連邦あるいは州の)刑務所への収監が刑罰となる違法行為のすべてを意味する。そのほかの違法行為は、いずれも「軽罪」(misdemeanor)か、あるいは「違反」(infraction)という区分に含まれる。そのほかの州や連邦法のもとで、重罪は、死刑ないしは収監1年以上の刑罰が科せられる違法行為と決められている。このように、重罪と定められている犯罪は、州によっては、どこで懲罰を科すかで区別しているところもあるが、いくつかの州や連邦政府の法令のように、刑期の長さを尺度にしている場合もある。ここで言う重罪の具体的な例としては、殺人、強姦、持凶器(武装)強盗が含まれている。

  軽罪は、国から重罪よりは軽い犯罪と見なされていて、刑罰は通常、都市や郡の刑務所での1年未満の禁固である。公衆の場での酩酊、少額賭博、浮浪は一般的な軽罪の実例である。州によっては、犯罪の第3の分類として、違反行為を定めている。その多くは駐車違反などで、処罰は少額の罰金である。罰金は、軽罪や重罪の刑罰の一部となることもある。

犯罪の分野

  合衆国内の主要な犯罪は、今日、大別すると5つの区分に分類される。すなわち、通常犯罪、経済犯罪、組織犯罪、政治犯罪、そして合意犯罪である。

通常犯罪

  財物犯罪は、米国で1年間に起きる3、130万件の通常犯罪の大部分を占める。政府は、財物犯罪を暴力犯罪と区別しているが、この2つが一緒に行われていることが多い。例えば、泥棒がある家に不法侵入し、たまたま所有者と鉢合わせして抵抗され、相手を傷つけたとき、その犯人は、単なる財物窃盗罪ではすまないことになる。

  これより数は少ないが、より恐ろしい通常犯罪は、人に危害を加えるものである。こうした暴力犯罪には、謀殺(murder)、非過失致死罪(non-negligent manslaughter)、強姦、強盗、加重暴行(aggravated assault)が含まれる。

経済犯罪

経済犯罪には、大きく分けて4つの種類がある。

  • 「対人犯罪」は、金銭的利得があると思わせて人を陥れる、非暴力的犯罪である。この具体例として、意図的に不良小切手を書くこと、所得税をごまかすこと、福祉に関する詐欺を働くことなどが挙げられる。
  • 「信用の悪用」は、企業や政府の職員が自らの雇い主ないしは顧客の忠誠を裏切り、商業的収賄や窃盗、職場からの横領、虚偽の経費の帳簿記入などの行為に携わった場合に生じる。
  • 「商業犯罪」は、それ自体が商業活動の主要な目的の一部ではなく、それに付随して(あるいはそれを推進しようとして)発生する犯罪である。誤解を招く宣伝、独占禁止法違反、法人所得税申告の際の虚偽の減価償却費などは、すべて商業犯罪である。
  • 「取り込み詐欺」は、ビジネスを装って行われるホワイトカラーの犯罪行為である。
  • 組織犯罪

      組織犯罪は、集団が関与するもので、何らかの上下関係の指示に基づいて行われる場合が多い。恐怖と腐敗が冷酷に絡み合い、継続的に行われる犯罪でもある。組織犯罪は、違法薬物の密売買、賭博、売春、そして高利貸し(法外な金利と高い返済利率の融資)など、巨利を得られる分野に集中しがちである。

    政治犯罪

      政治犯罪は通常、政府に対する違法行為を指す。反逆罪、武装蜂起、政府高官の暗殺、煽動などがある。しかしこの用語は、個々の市民や反体制グループ、外国政府や外国人に対して政府が行う犯罪も含むようになってきている。例えば、政府が反体制派グループに対して違法に盗聴したり、軍隊がセクシャル・ハラスメントの調査を拒否したりすることなどである。

    合意に基づく犯罪

      売春、賭博、違法薬物使用や、成人同士が合意の上で行う非合法の性行為などは、いわゆる犠牲者不在の犯罪である。これらは、犯罪者と客の双方とも、禁止された行為を望んで行うものだからで、合意に基づく犯罪と呼ばれる。

    犯罪成立の要件

      どのような犯罪にもいくつかの際立つ要素があり、国家がこれらの不可欠の構成要件の存在を法廷で証明できない限り、有罪の判決を下すことはあり得ない。裁判の過程で、これらの犯罪構成要件を1つずつ切り離して、焦点を当てるわけではない。だが、犯罪行為で誰かを有罪とする際には、すべての裁判過程を通じて、これらの用件の存在が少なくとも前提条件となる。

    犯罪と刑罰を定義する法律

      ある行為を法律によって禁じたり、義務づけたりする場合、当局(通常は連邦議会ないしは州議会)は、その内容を適切な方法で説明し、市民が事前に、どのような行為が禁じられ、あるいは義務づけられるのかを知ることができるようにしなければならない。また立法者は、他を傷つける行為を行った個人に対して、科せられるべき処罰を定めておく必要もある。

      この一般的原則から、いくつかの当然の帰結が導き出せる。その1つは、合衆国憲法は事後法を禁じていることである。つまり、ある行為が行われた後で、その行為は違法だときめつけるような法律である。同様に、国家は「私権剥奪」(attainder)にあたる法案を成立させることはできない。つまり、ある人物や団体を特定し、彼らがそれを行えば犯罪であるが、彼ら以外については合法である、といった法律を制定することはできない。最後の帰結は、犯罪を定義する法律は明確でなくてはならず、平均的な人間が、どのような行為が禁止ないし要求されているかを、事前に判断できるものでなくてはならない、ということである。

    悪しき行為

      「悪しき行為」(Actus reus)はラテン語で、この行為の被疑者が、法的訴追を受けるような犯罪行為を意味している。悪しき行為は、犯罪を構成する重要な要件である。この要件は、禁止されている行為(例えば脅迫や暴行)を行う場合でもあるし、義務とされる行為を怠る(例えば、交通事故に遭遇した際、車を止めて被害者を救助すべきなのに、その義務を放棄する)ことなどの場合である。

    犯罪の責任的要件

      「故意過失」(mens rea=ラテン語) は、犯罪の最も重要な、精神面の要件である。米国の司法制度は常に、意図的に行われた危害と、単なる過失や事故によって起きた危害を区別してきた。従って、ある人が他人の命を奪ったとき、国家はそれを常に謀殺(murder=故意の殺人)と呼ぶわけではない。その殺害が責任能力のある個人により、事前の悪意を持って行われたとき、それは多分「第1級殺人」(murder in the first degree)と呼ばれる。しかし、その殺害が酒場での喧嘩が高じて起きた場合は、「第2級殺人」(second-degree murder)と呼ばれ、刑罰は軽くなる。高速道路での無謀運転の結果、人を死なせた場合は、「過失致死」(negligent homicide)に相当すると考えられる。これは確かに悪いことだが、国家から見れば、意図的に人を殺害することほど重大ではない。

    権利侵害あるいは結果

      犯罪とは、ある人物が他人に対して、何らかの損害を与えるか悪事を働くということである。犯罪は、軍の機密情報を外国政府に売った場合のように、社会全体に損害を与えることもある。また、個人に対する損害でも、その性質上、社会全体に対する犯罪と考えられる場合もある。損害の性質は、故意過失の場合と同様、犯罪自体の性質を決定する。例えば、2人の運転者が、走行中に、互いに割り込みを続けていたとする。2人は、ついに車を止めて降り、殴り合いの喧嘩を始める。そして、一方が他方を強く殴りすぎて、死なせてしまったとする。これは(何級かの)殺人だろう。喧嘩の相手が死なず、重傷を負った場合の犯罪は、加重暴行である。軽傷の場合、容疑は単なる暴行である。しばしば、損害がどの程度かによって、どのような犯罪になるかが決まる。このため、損害の性質は、犯罪の重要な法的要件であると言われることが多い。

      何らかの損害が、実際に身体に加えられていなくても、犯罪となる行為もある。刑事上の共同謀議のほとんどがこの区分に入る。例えば、何人かの人物が、被告の有罪判決を免れさせるため、裁判官の暗殺や陪審員の買収を企てた場合、この犯罪は司法妨害の共同陰謀という犯罪になるだろう。これは、たとえ裁判官が無傷で、陪審員に金銭がいっさい渡されていなくても犯罪となる。必要なのは、犯罪が計画され、意図され、共謀者の1人が計画の実行に向けて、何らかの特定の、明白な行為(例えば、武器の購入や裁判官が自宅と法廷の間を往来する経路を示す地図の所持)があった、ということである。

    行為とその結果生じる被害の因果関係

      国家は、犯罪に対して有罪判決を宣告する前に、自然な行為の流れの中で行動していた被告人が、なぜ損害を加える状況作り出したかを証明しなければならない。通常、因果関係を証明することは難しいことではない。例えば「ビル」が「ジョン」をナイフで刺し、軽傷を負わせた場合、ビルは凶器を使用した暴行罪で有罪であることに疑いの余地はない。ところが、ジョンがその怪我の適切な医療処置を受けず、感染症にかかったあげく、死亡した場合はどうなのか。ビルは、故殺罪(manslaughter)か、あるいは謀殺罪(murder)にあたるのか。また、刺された後、ジョンがよろめいて第三者の女性に怪我をさせた場合はどうなのか。ビルにはこの件についても刑事責任があるのか。

      こうした問題の解決は、しばしば裁判官や陪審員には困難な場合がある。法律は、すべての状況を考慮に入れるべきであるとしている。被告人が有罪となるのは、その被告人の行為が、犠牲者の受けた被害の直接的ないしは決定的な原因であることを、国家が証明したときのみである。

    刑事裁判までの過程

      連邦法および州法は、刑事訴訟を開く前に、一連の手続きと作業を義務づけている。これらの作業は、合衆国憲法と州憲法で決められているものや、裁判所の決定や議会の立法で規定されているものもある。それ以外の作業は、しばしば慣習と伝統に基づいている。これら手続き上の作業の内容は、連邦と州の間でも、また州と州との間でも異なるものの、 全米を通じて類似性が見られる。また、これらの手続きは、見かけほど自動的でもないし、決まりきったものでもない。むしろ、決定権を持つ人々は、自らの価値観、基本姿勢、そして世界観に従って、司法制度のすべての段階で、裁量権を行使している。

    逮捕

      逮捕は、国家と被疑者の間の最初の実質的な接触である。米国の司法制度では、基本的に2種類の逮捕がある。つまり、令状による逮捕と令状なしの逮捕である。誰かがある人物を告発したとの訴状が治安判事に提出されると、治安判事はこれを検討する。その結果、逮捕するに足る理由があると判断すれば、治安判事が逮捕令状を出す。逮捕令状なしの逮捕は、警察官が現場にいた場合の犯罪に限られる。また、何者かが犯罪を行った(あるいは、今にも行おうとしている)と警察官が信じるに足る理由がある場合も、令状なしの逮捕ができる。そう信じた根拠を、警察官は後に、宣誓供述書や宣誓証言で立証しなくてはならない。米国では、すべての逮捕の95%までが令状なしで行われている。

      逮捕に踏み切るべきか否かという警察官の判断は、単純に、自動的に下せるものではない。殺人を目撃した警察官は間違いなく、可能ならば、その場で被疑者を逮捕する。しかし、たいていの違法行為は、それほど単純でも明快でもない。警察官は、誰かを拘留するかどうかに関して、幅広い裁量権を持ち、それを行使している。警察が、連邦議会や立法機関が禁止するすべての行為を取り締まろうと思っても、それだけの余力がまるで不十分なのである。従って、持てる時間と体力・知力をどう使うかに関しては、自分で判断しなければならない。いくつかの地域では、警察の判断に、最大限の裁量権が与えられている。

    軽微な犯罪 警察の職務執行の多くの手引書は、軽微な法律違反があった時には、逮捕よりも警告の方が適切な対応だ、と述べている。交通違反、少年の非行、酩酊、賭博、浮浪は、どれもさほど重大ではない犯罪であり、警察の判断が必要となる。

    被害者が訴追を求めない場合 犯罪被害者が警察による訴追に協力しようとしない場合は、法律を執行しないことが原則である。例えば、軽微な財物犯罪では、損害が弁済されれば、満足する被害者が多いし、法廷で証言する時間がないという被害者も多い。警察が特定の財物犯罪の捜査に相当の予算や人員を費やした場合は別として、一般的に警察は、被害者の意思に従わざるを得ない。

      犯罪被害者が犯人と継続的な関係を持っている場合、警察は逮捕を拒否することが多い。この具体例としては、家主と借主、隣人同士の関係などがあり、最近までは夫婦関係にある者も含まれていた。しかし、夫婦については、家庭内暴力への関心が高まったことで、警察の対応に大きな影響が出ている。

      強姦と子どもへのいたずらも、逮捕ができない場合が多い犯罪の主な分野の1つである。これは被害者が警察に協力しない、あるいはできないことが多いためである。被害者が告訴しようとしないのは、加害者が個人的な知り合いであるとか、何らかの血縁関係にあるという理由のほか、仕返しや、みっともないニュースが広がることを恐れている場合が多い。

    被害者も違法行為に関与している場合 犯罪の被害者が、何らかの不適切ないしは不審な行為に関与していると警察官が認めた場合、その警官はしばしば、加害者の逮捕を見合わせる。

    治安判事のもとへの出頭

      犯罪の被疑者が逮捕されると、警察署で本人の取り調べがあり調書が取られる。すなわち、逮捕時の状況が記録され、被疑者の指紋の採取、写真撮影などが行われる。次に、被疑者は、裁判官、治安判事、あるいは補助裁判官という下位司法官の前に連れて行かれる。こうした出頭は「不必要な遅滞なく」行うことになっている。1991年、連邦最高裁は、警察は令状なしで逮捕した被疑者を、逮捕の正当性に関する法廷審問がなくても、最長48時間まで拘留できると裁定した。

      被告人の出廷は、刑事訴訟手続き上の重要な出来事の中でも特別な機会である。まず、被告人はそれまでに、自分が訴追されている犯罪内容と、すべての憲法上の権利と保障を告知されなければならない。こうした権利の中でも、1966年に連邦最高裁が言い渡した、「ミランダ対アリゾナ州事件」の判決は、とりわけ有名である。その判決によれば、被疑者は「取り調べに先立って、被疑者には黙秘権があること、いかなる供述内容も、法廷で本人に不利に使用される可能性があること、本人は弁護士の同席を求める権利があり、本人が弁護士を雇えない場合は、取り調べの前に、弁護士を選任してもらえること、を予告されなければならない。」(被疑者を逮捕した警察官が取り調べをする場合も、その警官自身がこうした通告を行わなければならない)。州によっては、被疑者は、迅速に裁判を受ける権利や敵対的証人と対峙する権利など、州の「権利の章典」に規定されたその他の権利についても知らされなければならない。

      次に、治安判事は、被告人を釈放すべきかどうかを決定し、釈放する場合、保釈金の額を決める。憲法上、金額についての唯一の条件は、「過大」でないことである。保釈は権利ではなく、特典とみなされている。従って、保釈金の額に関係なく、強力な有罪証拠があって、死刑に値するような事件の場合や、被告人が裁判所から逃亡するものと治安判事が考える場合、保釈は認められないことがある。保釈金の代わりに、被告人が公判指定日に出廷することを約束した誓約書の提出により、被告人を釈放することがある。

      軽微な事件では、被告人は有罪か無罪かを申し立てるように言われることがある。有罪を認めれば、判決はその場で言い渡される。被告人が無罪を主張すると、公判の日程が組まれる。しかし、通常の重大な事件(重罪)の場合、治安判事の次の大切な仕事は、被告人が予備審問を必要とするかどうかを決めることである。予備審問が適切と判断されると、審理は検察側により延期され、刑事訴訟手続きの次の段階が始まる。

    大陪審の審理と予備審問

      連邦レベルでは、被告人はすべて、自分の事件が大陪審によって審理されることを、合衆国憲法修正第5条により保障されている。しかし連邦最高裁は、この権利で各州を拘束することを拒否してきた。今日では、全国でおよそ半数の州が大陪審を開くに過ぎない。そのうちのいくつかの州は、特殊な事件を審理するときだけ、大陪審が開催される。大陪審を行わない州は、予備審問ないしは尋問裁判を行う。(2、3の州では両方の手続きを用いている。)どちらの方法であっても、刑事訴訟の過程におけるこの段階での主要な目的は、被告人を正式裁判で裁くのに相当な理由があるかどうかを判断し、決定することである。

    大陪審 大陪審は通常、有権者登録名簿から無作為に選ばれた、16人から23人の市民で構成されており、決定は多数決で行われる。大陪審の任期は1カ月から1年までさまざまで、任期中に1,000件以上の事件を審理する陪審員もいる。大陪審に証拠を提出するのは検察側だけである。被告人とその弁護人は、この審理に出席しないだけではなく、通常、どの大陪審がいつ自分の事件を審理しているのかも知らない。大陪審の過半数の陪審員が、起訴に相当する理由が存在すると判断し、正式起訴状(true bill)を提出すると、起訴(indictment)が決まる。それ以外は不起訴処分となる。

      歴史的に、大陪審制を支持する2つの論拠が挙げられてきた。その1つは、検事が職権を乱用し、政治的、あるいは個人的理由で無実の人を苦しめることを抑制する役割を、大陪審は果たすとするものである。偏見のない市民グループが、倫理観に欠ける検事と被告人との間に入って仲裁の役割を果たす姿が理想なのだろう。大陪審制を擁護するもう1つの論拠は、面倒で経費もかかる本格公判を維持できる十分な証拠を地方検事が確保しているかどうかを、国と被告人の双方のために、大陪審がはっきりさせてくれるはずだ、というものである。

    予備審問 大陪審制度を廃止した州の大多数では、被告人を正式事実審理のために拘束するべき相当な理由が存在するかどうかを、予備審問を開いて裁決する。この審問で、検察側は罪状を明らかにする。一方、被告側は、証人を反対尋問し、有利な証拠を提示する権利を持つ。通常、被告弁護側は刑事裁判のこの段階では、進んで争わない。むしろ、大部分の訴訟で被告側は、予備審問の権利を放棄しているほどである。

      予審判事が審理のための相当な理由があると判断した場合、または予備審問の権利が放棄された場合、検察側は、略式起訴状(bill of information)を裁判所に提出し、審理が始まる。これは、新たな司法の場で裁かれることになる起訴内容を、正確にまとめたものである。

    罪状認否

      罪状認否は、被告人が法廷の裁判官の前に連れてこられ、被告人に対する大陪審起訴状、ないしは検事の略式起訴状について被告が答える訴訟手続きである。検事か書記官が、通常は公開で、被告人に対する起訴内容を読み上げる。被告人には、本人が弁護人を代理人とする憲法上の権利があること、弁護人は、必要であれば、無償で任命されることが告知される。

      被告人は、起訴内容に対する答弁の方法について、いくつかの選択肢を持っている。最も一般的な答弁は、「有罪です」と「無罪です」である。しかし、被告人は、精神病や「二重の危険」に相当することや、「不抗争の答弁」(「nolo contendere」(ラテン語)などを理由として、無罪を申し立てることもできる。不抗争の答弁とは、被告人が起訴内容を否定はしないが、当人自身は何も犯罪を行っていないと主張する場合、あるいは被告人が起訴内容を理解しない場合を意味する。この不抗争の答弁は裁判官の同意がある場合のみ行われる(場合によっては、検事との同意も必要)。このような答弁には、2つの有利な面がある。被告人が世間に対して面目を保つことに役立つことがある。本人が、刑や罰金が科せられたとしても、厳密に言えば無罪の評決だったと、後で主張できるからだ。また、こうした不抗争の答弁により、被告人は有罪答弁によって生じる可能性がある民事上(例えば、詐欺や横領の有罪判決のあとの民事訴訟)の制裁金から免れることもある。

      被告人が無罪を申し立てた場合、裁判官は公判の予定を決める。答弁が有罪の場合は、被告人はその場で刑を言い渡されるか、あるいは後日、裁判官が決定した日に言い渡される。被告人が有罪答弁を受け入れる前に、裁判官は答弁が、自発的になされたものであり、被告人は答弁の意味することを承知していたことを証明しなければならない。有罪答弁は、どのような動機と目的であれ、正式な有罪評決に相当する。

    司法取引の可能性

      州および連邦レベルともに、すべての刑事訴訟の少なくとも90%は、公判を開かずに処理される。これは、公判の日までに検察側と被告側弁護人との間で、起訴内容、および検察側が裁判所に勧告する刑の内容について、取引が成立するからである。事実上、有罪答弁と引き替えに何らかの形で処罰の軽減が約束される。

      司法取引は、事実上、公判前に被告人の運命を決定するものなので、裁判官の役割は、適切な法的および憲法上の手続きに従って行われていることを、単に確認することだけである。司法取引には3種類の方法がある(重なることもあり得る)。

    起訴内容の軽減 検察官と被告人の合意で最も一般的な形式は、証拠で裏付けられた事実に対応するものよりも、起訴内容を軽減することである。これによって、被告人にとっては宣告される刑の可能性は、ぐんと小さくなることになる。被告人が起訴内容の軽減のために有罪答弁を行う2番目の理由は、社会的に烙印を押される種類の違法行為についての有罪判決の記録を残さないためである。もう1つの可能性としては、被告人が重罪記録をすべて避けたいと希望し、重罪で起訴されるよりも、検察側が示すいかなる軽罪に対しても、進んで有罪答弁を行った方がいいと考える場合がある。

    別件起訴の取り下げ 司法取引の2つ目の形式は、当該事件とは別に、同一の被告に関わる別の起訴内容を取り下げることに、地方検事が合意することである。この内容は、2つの方法に分類される。1つは「垂直的な」起訴はしないという合意である。つまり、被告に対するより重大な告発に関して、起訴は行わないという取引である。2つ目の合意は、「水平的な」告訴を取り下げることである。つまり、同じ犯罪に関して、被告人を追加訴追はしないという取引である。

      この種の司法取引の1つの変種は、起訴内容から、常習犯である事実を削除するという合意である。連邦レベルでも、州のレベルでも、米国のどこででも、被告人が暴力的重罪の有罪判決を3回受けると、常習犯とみなされる。常習犯に対して決められた刑罰は、終身刑である。州裁判所では、常習犯としての起訴部分が、しばしば有罪答弁と引き替えに削除される。

      このタイプの司法取引の2つめの変種は、宣告された複数の刑が同時に執行されるように、あちこちの裁判所での起訴を、1カ所の裁判所にまとめることに合意することである。起訴や予備審問の判決が、多くの管轄区域で言い渡されると、それらの訴訟は各裁判所に輪番制で訴訟事件一覧表に記載される。つまり、1人の被告人が、文書偽造事件の4件、偽造証券の所有1件で起訴されたとすると、その5件は別々の法廷の事件記録に記載される可能性がある。このように、事件の審理が複数の裁判地区におよぶ場合は、被告人の起訴事実のすべてを、リストの筆頭にある裁判所に移すのが一般的である。そうすれば、事件の審理に当たる裁判長は、一定の裁量が与えられて、被告人のすべての刑の執行を同時に進ませることが出来る。

    量刑の取引 司法取引の3番目の形式は、量刑を軽くしてほしいと裁判官に要請することに検察側が合意してくれると、その見返りに被告人が有罪の答弁をする、というものである。量刑に関する交渉の強みは、裁判制度が持つ力と知恵には限界があるという現実に根ざしている。少なくとも州レベルでは、検察側は、自分たちが勧める量刑を裁判官が受け入れるという自信に基づいて、かなり具体的な量刑を被告人に約束できる。もし、裁判官がこれを受け入れなければ、検察当局への信頼はたちまち萎み始めるだろう。それまでずっと有罪答弁をしてきた被告人たちも、無罪の答弁を始め、法廷で勝負しようとするだろう。その結果どうなるかと言えば、裁判所の訴訟一覧表はとてつもなく膨れ上がり、裁判制度に大打撃を与え、機能をマヒ状態に陥れてしまう。検事も裁判官も、この現実を承知している。それは被告人の弁護人も同じである。

    司法取引に関する憲法上および法令上の制約 州レベルでも連邦レベルでも、「法の適正な過程」の要件を満たすためには、司法取引は自発的に、かつ完全な理解に基づいて行わなければならない。すなわち被告人は、有罪答弁をしたあとの結果(例えば、後になって気が変わってもあとの祭りで、答弁の変更などあらゆるチャンスを放棄することになること)について注意を喚起されるべきである。また、被告人は責任能力を持たなければならない。そして、ある州が述べているように、「被告人が有罪の自白に至ったのは、恐怖心や説得、あるいは恩赦になるかもしれないというはかない望みなどに影響された結果ではない、ということが明白にならなければならない」のである。

     

      司法取引の最初の2つの種類―つまり罪状の軽減や別件起訴の取り下げ―の実施に関して、連邦裁判所は厳しい基準を守る義務を負わされている。1つは、裁判官は司法取引の場に、実際には同席してはならない、というものだが、ただ州レベルでは、裁判官は、この段階で積極的な役割を果たすことがある。同様に、連邦検察官と被告人の間で司法取引が行われた場合、政府はその合意内容を裏切ってはならない。連邦政府が約束に違反した場合、連邦地裁判事は有罪の答弁を取り消さなければならない。最後に、連邦刑事訴訟規則によれば、有罪答弁が受諾される前に、検察側は被告人に関する証拠の要約を提出しなければならず、裁判官の方も、被告人の有罪を立証する強力な証拠があることに同意していなければならない。

    司法取引に関する賛成・反対論 被告人にとって、こうした取引で明らかに有利なことは、最悪の条件のもとで有罪を宣告され、刑を言い渡される場合よりも、ひどい扱いは受けなくてすむことである。また、公判そのものが消えたわけだから、世間に事件を知られずにすむ。個人的利害関係もあり、社会的圧力という理由からも、被告人は長い間、世間の目にさらされる正式裁判は避けたいのである。最後に、何人かの刑罰専攻学者(刑罰と社会復帰分野の研究専門家)は、犯罪者の社会復帰の第一段階は、まず自分の有罪を認め、自分が抱えている問題を認識することだ、と主張している。

      司法取引は、州および社会全体にとってもまた、はっきりと有益な面がある。最も顕著なことは、被告人が間違いなく有罪になるということである。なぜなら、いくら証拠が固まっているように見えても、公判が続く限り、常に無罪放免の可能性があるからだ。地方検事と裁判官はまた、膨大な時間と労力を省ける。それは、実質的に無罪の証拠がない事件や、事実審になじまない事件のための準備や、審理の必要がなくなるからである。さらに、警察官は証言のため法廷に出る必要がなくなるので、犯罪の予防と捜査に専念する時間が増える。

      しかし司法取引には、確かにマイナス面もある。司法取引について、最も頻繁に出る反対意見は、被告人の刑が非刑罰的な根拠に基づいて行われている可能性があるということだ。数多くの事件が当たり前のように司法取引で処理されると、しばしば刑の内容は、その事件の具体的事実や、犯罪者の矯正の必要性や、また事件を厳しく訴追すべきだという社会の道理にかなった関心などにも、みな無関係になってしまう。第二の欠点は、司法取引がどこかの管轄区で、ごく当然の状態になってしまうと、無実の人々に対しても、有罪答弁を迫るような不当な圧力がかかるかも知れないという懸念である。様々な研究によると、有罪になる確率が小さいほど、取引を行うことが厳しくなるという。なぜなら、検事は少なくとも被告人から、何らかの形で最小限の自白を取りたいと思うからだそうである。

      司法取引の3番目の短所は、「起訴事実の誇張」と呼ばれる弊害の可能性である。これは、検察側が被告人に対して、証拠が示すよりも厳しい内容の起訴を行い、その後に続く被告側弁護士との交渉で、自らの立場を有利にしようとするものである。

      司法取引制度の弱点はまだある。それは透明性の問題、つまり外部から見えにくいことである。検察側と被告側弁護人の間の司法取引は、中立的な裁判官が取りしきり、全当事者が見守る開かれた法廷で行われるわけではない。それどころか、裁判所の地下にあるカフェテリアでコーヒーを飲みながら行われることが多く、そこでのよりどころと言えば、2人の法律家の良心だけである。

      最後に、この制度の欠陥として、証拠に関する重要な手続きと、憲法上の規則を迂回する手段となる可能性が挙げられる。検察側は、証拠や証人を法廷内で提示する必要がないため、たとえ事件の扱いが「法の適正な過程」条項を満たさなくても、なんらかの脅しで被告を有罪にすることもできる。一部の州では、証拠開示の規則(検察側が提示する予定の証拠を、被告弁護側が詳しく知ることができるようにする法律)により、被告側弁護人が行う裁判準備は、司法取引が行われた後の期間に限定されているため、被告側が不利になる可能性がある。このように司法取引は、被告人の憲法上の基本的権利を奪う可能性もある。

    対審による手続き

      対審という考えのひな型は、それぞれの事件、および争訟には、敵味方、2つの側面があるという仮定に基づいている。つまり、刑事事件では、検察側は被告人が有罪だと主張し、被告人は無実だと主張して争う。民事事件では、原告は自分が訴えている人物が何らかの権利侵害を起こしたと主張し、被告は責任を否定する。法廷では、各当事者は自分の側に有利な主張をする。このひな形の底流にある考え方(または願望)は、人の話に耳を傾ける中立の裁判官(および陪審)の前で、当事者が、証拠、事実、主張を遠慮なしに提示する機会を与えられれば、真実はおのずから明らかになる、というものである。

      各当事者の代理人となる弁護士は、法廷でのドラマの立役者である。裁判官は、どちらかと言えば受け身で、公平無私な仲裁人であり、その主な役割は、両当事者に法的手続きの規則に従わせるとともに、法廷の作法を守らせることである。裁判官は、最終的にはどちらの側が支持されるかを証拠採用の規則に従って判断するが、これは、両当事者が事件についての自らの主張を完全に行った後でのみ行われる。

    刑事事実審中の手順

      司法取引を行わず、被告人が自己の無実を主張し続けた場合、正式事実審理が行われる。これは合衆国憲法修正第6条により、連邦犯罪で起訴されたすべての米国人に保障された権利である。さらに、さまざまな州憲法と合衆国憲法修正第14条によって、州の法令違反で起訴されたすべての人に保障された権利である。被告人は、公判中、憲法および法律で定められた多くの権利を与えられる。以下は、連邦と州裁判所のいずれについても拘束力を持つ、主な権利である。

    事実審の中で保障された基本的権利

      合衆国憲法修正第6条は、「すべての刑事訴追で、被告人は迅速かつ公開の裁判を受ける権利がある」と規定している。建国の父たちは、ここで「迅速」という言葉を強調し、被告人が公判前長期間、拘禁されたり、被告人の運命の決定が不当に長い間、先に延ばされたりしないように留意している。しかし、迅速とはどのぐらいの速さなのか。この言葉は、連邦最高裁によってさまざまな方法で定義されてきたが、連邦議会が、1974年に迅速裁判法を通過させ、この言葉に新たな意味を持たせた。この法律は、最大100日間を限界と定め、その期間内に、刑事告発を公判に持ち込むか、棄却するかを決めなければならない、と決めたものである。ほとんどの州は、正確な日数は裁判所によって差があるが、法令集に同様の方法を盛り込んでいる。建国の父たちは、「公開の裁判」という言葉により、秘密裁判という概念を退けた。被告人が世間に知られずに即決裁判にかけられ、どこかの収容所に人知れず送られることがないようにしたのである。

      合衆国憲法修正第6条は、米国人に、公平な陪審の権利を保障している。これは、少なくとも陪審員候補者は、公判開始前に、どのような形であれ偏見を持っていてはならないことを意味している。例えば、陪審員候補者は、検事や犯罪被害者の友人や親戚であってはならない。また、被告人と同じ人種や民族的出自に属する者は「恐らく犯罪者のタイプだ」、と信じるような人物も、陪審員にはなれない。公平な、自分自身と同じ身分の人々が選ばれた陪審―という概念は、現実問題として陪審員は有権者登録名簿から無作為に選ばれることを意味するようになってきた。これに加えて、自動車登録証、運転免許証、電話帳、福祉手帳などに基づいたリストを補助的に用いる裁判所も増えている。すべての人が有権者登録を済ませているわけではないので、この制度は地域社会の完全な断面を反映してはいないが、連邦最高裁は、この方法で十分だと判断してきた。高等裁判所もまた、どのような分類の人びと(例えばアフリカ系米国人や女性)も陪審員から制度的に除外してはならないとの判断を示している。

      被告人には、犯罪が起きた土地で裁判を受け、起訴内容を知らされる権利が保障されているが、それに加えて、自分に敵対する証人と対決する権利を持っている。また被告人は、適切な弁護ができるように、自分を告発しているのは誰か、何について告発しているのかを知る権利がある。被告人は、いまでは「自己の弁護のために弁護人の援助を得る」機会も保障されている。しかし1960年代以前に、こうした機会を(州のレベルで)持てたのは、2つの条件を満たした時だけだった。1つは重大犯罪の場合で、もう1つは弁護士費用を払えた時だった。連邦最高裁の一連の判決により、国の法律は、投獄の可能性のある犯罪審理では、被告人には弁護士1人を保障している。そして、経済的に恵まれない被告人の弁護士費用は、国が支払わなければならない。これは国と州の両レベルの規則である。

      合衆国憲法修正第5条は、何人も「同一の犯罪について重ねて生命と身体の危険にさらされることはない」としている。これが「二重の危険」(double jeopardy)条項で、何人も同一犯罪について、州政府あるいは連邦政府によって重複して裁判にかけられないという意味である。しかし、犯した行為が国と州の法律に両方に違反している場合でも、同一の行為で2度裁判にかけられないという意味ではない。例えば、ニュージャージー州の連邦政府認可銀行に強盗に入った者は、連邦法と州法の両方に抵触する。その人物が強盗容疑でニュージャージーの裁判所で無罪となっても、引き続き連邦法廷で、同一行為について裁判にかけられることはあり得る。

      州と連邦の両レベルにおいて、被告人に保障されているもう1つの重要な権利は、「刑事事件で自己に不利な証人となるよう強制されること」はないというものである。これは、ある者が自分のために法廷で証言しようとしない場合、裁判官や陪審はその事実を、その被告人に不利な判断材料に用いてはならないという意味だと解釈されてきた。この保障のお陰で、米国の裁判制度の下では、立証責任は州にあるという原則が強化されることになった。政府が、合理的疑いの余地なく、有罪だと証明するまで、被告人は無罪とみなされるのである。

      最後に、連邦最高裁の解釈では、法の適正な過程の保障は、違法な捜査や押収で入手した証拠を、裁判で被告人に不利な形で使用することはできないことを意味する。この、いわゆる「証拠排除法則(exclusionary rule)の淵源は、合衆国憲法修正第4条である。連邦最高裁は、州に対してもこの制限を義務づけている。連邦最高裁の目的は、警察が被告人に不利な証拠を違法な方法で集めようという可能性を,完全に排除することにあった。

    陪審員の選出

      被告人が、非陪審審理を受けないことを選択した場合、つまり、判事1人に審理され、判決を言い渡される裁判はいやだ、と言った場合、当人の運命は陪審の手に委ねられることになる。連邦レベルでは、12人の陪審員が全員一致の評決を言い渡さなければならない。州レベルで、こうした基準が適用されるのは、きわめて重大な犯罪の場合だけである。多くの州では、陪審は12人以下で構成され、判断は全員一致とは限らない。

      まず、陪審員候補者のグループ全員が、出廷を命じられる。彼らは公開の法廷で行われる予備審問(voir dire=真実を語るという意味の古仏語)で、陪審としての資質について質問を受ける。検事と被告側弁護人が、陪審員候補者に対して、一般的な質問や特定の質問を行う。―あなたは合衆国市民ですか。英語を理解できますか。あなた自身、あるいは家族の中に、これまで犯罪行為で裁判を受けたものがいますか。これから始まる裁判について何か読んだり、意見を持ったりしたことがありますか、というような質問である。

      この陪審員の資格に関する予備尋問を行うにあたって、検察側と被告弁護人には2つの狙いがある。1つは、裁判で公平な判断が期待できない理由が明白な陪審員候補全員を、グループから排除することである。一般的な例としては、法律で陪審から除外されている者、裁判官など公判担当者の友人や親戚、そして当該事件に関連して、強い偏見を公言する者などが挙げられる。陪審員に対するこの種の異議は、「理由つき忌避」(challenges for cause)と呼ばれるが、忌避の理由は限りなくある。こうした忌避が有効か否かを判断するのは裁判官である。

      立場が対立する法律家が、陪審員候補者に質問する2つ目の目的は、潜在的に、偏見を持っているかどうかを明白に示す理由はなくても、自分の側に不利と思われる候補者を排除することである。検察と弁護側の双方は、多くの「理由不要の忌避」(peremptory challenge)、つまり理由を示さずに特定の候補者を陪審から除外するよう裁判所に求めることが、認められている。ほとんどの州は、慣習として弁護側に対し、検察側より多くの「理由不要の忌避」を認めている。連邦レベルでは、犯罪の内容により、一陪審あたり1人から3人の忌避が、それぞれの側に許可されている。死刑判決を科しうる事件では、陪審員が20人まで認められている。「理由不要の忌避」は、法学の分野というより、むしろ一種の戦術の行使とも言え、通常は検事や弁護士のカンに基づいている。

      かつては、検察官と弁護人は、事実上どのような理由であれ、「理由不要の忌避」によって陪審員候補者を除外することができた。しかし近年、連邦最高裁は、合衆国憲法修正第14条の「平等保護条項」についての解釈を示し、検察側の自由裁量を制限するようになっている。つまり、検察側がアフリカ系米国人や女性を刑事事件の陪審から除外するために「理由不要の忌避」を利用することを禁止したのである。

      陪審員候補者への質問と忌避は、「理由つき忌避」に該当する全員が除かれ、さらに「理由不要の忌避」を使い果たすか却下された後、最終的に12人(州によっては6人)の陪審が構成されるまで、続くことになる。州によっては、補欠の陪審員も選出される。彼らも公判に出廷するが、当初の陪審員のうち、審理を続けられなくなった場合だけ、審理に参加する。陪審員団が選ばれると、裁判官または裁判所の書記によって就任の宣誓が行われる。

    冒頭陳述

      正式な事実審理が始まると、検察側と弁護側の双方は冒頭陳述を行う(ただし、被告側にこれを強制している州はない)。陪審審理での陳述は、非陪審審理よりも長く詳細になることが多い。冒頭陳述の狙いは、法律や刑事捜査の手続きになじみのない陪審員団に、検察側と弁護側の双方の主張と、提出される証拠、召喚される証人と、双方が証明しようとしている事実関係についての、概要の説明にある。冒頭陳述が首尾良く行われれば、陪審員は証拠や証言の意味と重要性を把握しやすくなる。通常の手続きとしては、検察側が最初に冒頭陳述を行い、続いて弁護側がその内容に反論する陳述を行う。

    検察側の主張

      冒頭陳述の後、検事は被告人に対して当局が収集した証拠を提示する。証拠には、一般的に2つの種類がある。物的証拠と証人の証言である。物的証拠には、弾丸、弾道検査、指紋、筆跡、血液や尿の検査結果を初め、物的裏づけとなる書類や物件が含まれる。弁護側は、誰が見ても明白なこれら〝証拠物件〟を証拠として認めることに異議を申し立てることができるし、うまい具合いに主張が認められれば、それらは採用されずにすむ。弁護側の忌避が認められなかった場合、物的証拠には法廷職員の手でラベルが貼られ、正式記録の一部となる。

      刑事裁判のほとんどの証拠は、証人による証言という形式をとる。形式は質疑応答で、その目的は、きわめて具体的な情報を順序だてて導き出すことである。つまり、当該の事件に関連する証拠のみを提示することが目標であって、まぎらわしい情報や無関係な情報、ないし誤審につながりかねないような違法な証拠(例えば、被告人が同じような犯罪で以前に有罪になったといった証拠)を持ち出すことではない。

      それぞれの証言のあと、被告側弁護人には反対尋問の権利がある。弁護側の狙いは、検察側証人の証言に異議を唱え、信頼できないとはねつけることである。弁護人は、証人を混乱させ、狼狽させ、怒らせたりして、その証人が自制心を失い、その結果、支離滅裂な、ないし矛盾した証言を始めるように仕向ける。また、検察側証人の証言に対して異議を唱える機会はまだある。それは、後になって、弁護側証人が出廷して検察側が示唆した事件の模様を否定した場合である。弁護側の反対尋問が終わると、検事は、同じ証人に対して再直接尋問を行うことがある。これは、反対尋問の中で示された重要なポイントを明確にするか、ないしは訂正させるためのものである。検察側は、すべての証拠と証人を提出し終えると、主張を終了する。

    弁護側の主張

      弁護側の主張の形式は、検察側と同様である。弁護側の主張では、普通、具体的な証拠が出されることはない。証拠のほとんどは、検察側の主張に反論したり、疑義を投げかけたりするために用意された証人によるものである。証人は、被告側弁護人により、検察側の場合と同様の方法で尋問される。それに続いて弁護側の各証人は、地方検事から反対尋問されて、さらに再直接尋問へと移っていく。

      検察側と弁護側の主張の相違点は、法が定める両者の義務の違いにある。弁護側は法律上、何らかの新たな証拠や追加証拠ないしは証人を提示することを求められていない。弁護は、検察側が提示する証拠や証人の信頼性や合法性に、ただ異議を申し立てるだけでも構わない。弁護側は、被告人の無実を証明する義務はない。弁護側に必要なことは、検察側の主張が合理的な疑いを挟む余地がないほど完全なものではないことを示すだけで十分である。被告人は証人台に立つ必要もない。(ただし、当人が立とうと思った場合は、その他の証人と同じように、検察側の反対尋問を受けるリスクを負う)。

      被告側が主張を終えたあと、検察側は反証を示す権利がある。次いで、弁護側は「再抗弁」と呼ばれる反証を行うことができる。その後、双方は最終陳述を行う。これは、審理中、最も劇的な場面の1つとなる。なぜなら、双方が事件を要約し、最も強い主張を凝縮し、陪審に対して最後の訴えを行うからだ。この段階で新たな証拠が提示されることはほとんどない。双方の主張は、感情たっぷりで、当該事件を越えた価値観に訴えるものになりがちである。検察側は、一般的な犯罪問題について語り、法や秩序の必要性を強調し、被告人を哀れむあまり、犯罪被害者への同情を忘れてはならないと訴える。これに対し被告側弁護人は、陪審員に対して「この人生で過ちを犯さない人はいない」ことを思い出させたり、自由で民主的な社会では、事件についてわずかでも疑念が残るなら、被告が有利になるように晴らしてほしいと訴えたりする。しかしながら検察側は、被告側弁護人よりも感情に訴える主張を避ける傾向がある。これは、地方検事が最終弁論で先入観を与える陳述を行うと、事件が控訴審に持ち込まれたとき、陪審評決の多くが、覆されてきた経緯があるからである。

    事実審における裁判官の役割

      事実審における裁判官の役割は、非常に重要であるが、どちらかと言えば受動的なものである。裁判官は証拠を提示するわけではないし、証人尋問に積極的な役割を果たすわけでもない。検事と被告側弁護人は、提出されそうな証拠の種類や、証人が尋ねられそうな質問の種類について、多くの申し立てを行うが、それを裁くのが裁判官の仕事である。州によっては、裁判官が証人に本質をついた質問をしたり、提出された証拠の信頼性について陪審に意見を述べたりすることが認められている場合もある。しかし裁判官がそのような行動を取れない州もある。それでも、米国の法律の世界では、個々の裁判官の人格や修練、英知によって、様々な訴訟指揮を生み出す余地がある。

      裁判官は、何よりもまず、公平無私な役割を演じることが期待されている。その主な仕事は、当事者双方が、法の枠組みの中で、できる限り十分な申し立てができるようにすることである。もし裁判官が、外見上にせよ、実際の訴訟指揮の際にせよ、公平中立な立場から逸脱すれば、それは米国法哲学の基本信条に背くことになり、控訴審判決を覆されるリスクを負う。

      裁判官は、ほとんどの場合、そうした中立の役割を演じているが、それにもかかわらず、きわどい問題の決定となると、法律家としての経歴や価値観が、自分たちの下す判断に影響を与える。それは例えば、双方の主張が同じ程度に説得力を持つ申し立てや、さまざまな解釈が可能な法律上の争点について判断を求められた時である。

    事実審における陪審の役割

      公判中の陪審の役割は受け身である。彼らの仕事は、相対立する法律家たちによって行われる主張を注意深く聞き、提示された証拠のみに基づいて判断することである。彼らは通常、証人に対しても裁判官に対しても、質問することは認められておらず、審理の模様をメモに取ることも認められていない。これは憲法や制定法で禁じられているわけではなく、主として、米国の法廷の伝統的慣習によるものである。

      しかし近年、多くの裁判官は、陪審員が以前よりも裁判の場に多く関わることを認めるようになった。シカゴの連邦地方裁判所主席裁判官のジョン・F・グレイディ(John F. Grady)は、10年以上にわたり、自分の法廷内で陪審員がメモをとることを許可している。少なくとも4カ所の連邦控訴裁判所が、証人に対する質問に陪審員が参加することを黙認している。ただし陪審員は、公判の最中に勝手に質問できるわけではない。また、検事と弁護人は、特定の質問が証人に行われる前に、それに異議を申し立てる機会が与えられている。州によっては、少数の事実審裁判官が陪審員に対して、かなり積極的な審理中の役割を認めているところもある。それでも、州および連邦の両レベルにおいて、陪審員の役割は、基本的に受動的である。

    陪審に対する説示

      陪審の仕事は、審理案件の事実関係を慎重に検討し、評価することだが、裁判官は、法律の意味や、どのように法律を適用するかについて陪審員に説明しなければならない。裁判官が陪審員に対して誤った説明をしたために、控訴審で覆される事案が多数あるため、裁判官は法廷で使われる用語表現が、厳密で、法的に正しいものになるよう、細心の注意を払っている。

      陪審員に対する説示には、基本的な要素をいくつか含めなければならない。1つは、陪審に、被告人が訴追されている犯罪を定義してみせることである。その際にどのような種類の評決を下すかについて、陪審員にさまざまな選択肢を示すことになる。例えば、人の命を奪ったというので、検察側は、その被疑者を殺意のある殺人,つまり第1級殺人罪で裁判にかけているとする。その場合でも裁判官は、陪審に第2級殺人罪ないしは殺意のない故殺(manslaughter)についての法律上の定義を熟知させる義務がある。被告人は殺人を犯しているが、事前に殺意を抱いて行動したのかどうかを、陪審が判断しなければならない場合もあるからである。

      裁判官はまた、陪審に対して、立証責任は検察側にあり、被告人は無実と推定されることを知らせなければならない。すべての証拠を検討した後で、陪審が被告人の罪について、依然として合理的な疑問を抱く場合は、無罪の評決を下さなければならない。

      最後に裁判官は、通常、陪審員に対して、さまざまな手続き上の事柄を熟知させる。例えば、質問がある場合には、どのように裁判官に連絡するか、複数の起訴事実がある場合には、どのような順序で検討すべきか、陪審の評決を記した公式文書に誰が署名すべきか、などである。陪審に対する説示が読み上げられ、検事と弁護人が異議申し立ての機会を与えられた後、陪審員は協議室へと退き、被告人の運命を決定することになる。

    陪審の評決

      陪審は完全な密室で協議する。この話し合いに立ち会ったり、参加したりする部外者は、まったくいない。協議中に陪審員が裁判官に対して、法的問題について説明を求めたり、証拠品を調べたり、公判記録から一部を抜き出して目を通すこともある。しかし、それ以外、相談相手も参照する資料もない。法律事典も、法律文書も、専門家の意見も、いっさいない。各陪審員の投票によって結論に至ると、陪審は法廷に戻り、評決を告げる。結論が夜までに出ない場合、陪審員は、部外者と事件について話し合ったり、新聞で事件の記事を読んだりしてはならないことを厳しく言い渡されて、自宅に送り届けられる。非常に重要な事件や世間で名高い事件の場合、陪審は裁判官によって隔離される。つまり公衆の目にさらされないよう、地元のホテルで一夜を明かすことになる。

      陪審が判断に窮し、評決に至らない時は、その事実を裁判官に報告する。このような場合、裁判官は評決に至るまで努力を続けるよう陪審に求めることもある。が、その陪審が本当に行き詰まっていると判断した場合には、陪審を解散させ、再審を宣言することもある。

      これまでの調査研究によると、刑事事件を審理するほとんどの陪審は、かなり迅速に判断を下している。ほとんどすべての陪審は、別室に退いたあと、すぐに投票に入り、自分たちの意見がどれほど分かれているか、あるいはまとまっているかを確かめている。裁判の30%では、陪審は全員一致の判断に達するまで1回しか投票していない。残りの事案の90%では、最初に多数派を占めた陪審員が、結果的に勝っている。票が割れて「評決不成立」(hung jury)になるのは、最初の投票のとき、少数派がかなりの勢力だった場合である。

      研究者たちによると、陪審は、裁判官が単独の責任者であった場合に下したはずの判決と、同じ評決に至ることが多いという。陪審に関する大掛かりな研究の中で、裁判官に対し、自分が担当した陪審審理で、自分ならどのような判決を下したかを答えさせた。すると、裁判官と陪審は、刑事事件の81%で結論は同じだった(民事事件もほぼ同じ)。裁判官と陪審の意見が割れたあとの19%では、陪審が無罪とした事件を裁判官が有罪とする傾向が顕著だった。

      陪審員団がやっと評決に至ると、法廷に戻り、公開された法廷の場で、多くの場合陪審員長が評決結果を告げる。この時点で、検事ないし被告側弁護人は、しばしば陪審員に意見を聞きたいと要求する。つまり、陪審員は評決の内容が、自分の意見を反映しているかどうか、1人ずつ質問される。その目的は、各陪審員が、評決を全体として支持しているのか、あるいは、グループの圧力に屈しているかを見極めることにある。この意見聴取の手続きにより、陪審の気持ちが、実は1つになっていないことが明らかになると、彼らは陪審室に戻され、協議が続行される。裁判所によっては、「審理無効」(mistrial)が宣言されることもある。審理無効が宣言されると、事件は、別の陪審によって、再び裁判にかけられる。この場合は、「二重の危険」は成立しない。なぜなら、最初の陪審が評決で合意しなかったからである。陪審の評決が無罪の場合、被告はその場で放免され、法廷から自由に退出できる。

    刑事事実審の終了後の手続き

      刑事事実審の終了にあたって、被告人が有罪となった場合、一般的には、あと2段階の手続きが残っている。刑の宣告と控訴である。

    刑の宣告

      刑の宣告は、被告人に対する裁判所の正式な判決の言い渡しであり、このときに刑罰や制裁金が明らかになる。刑の宣告は、連邦レベルとほとんどの州では、裁判官だけが行う。しかし、いくつかの州では、裁判官と陪審のどちらが刑の言い渡しをするかを被告人が選択することができる。死刑を科しうる事件では、一般に、12人の陪審の全員一致による評決でない限り、死刑が宣告されることはない。州によっては、陪審が評決で有罪と決めた後、もう一度、2度目の協議を行って、刑を確定する。いくつかの州では、刑の宣告のためだけに新たな陪審が選任される。この時点で、証拠規則が緩和され、陪審は、実際の公判中は除外されていた証拠に接することを許される場合がある(例えば、被告人の過去の犯罪記録がそうである)。

      被告人が有罪とされた時点から、裁判官が刑を言い渡すまでに、通常、数週間の期間がある。このインターバルを利用して、裁判官は、被告側弁護人が行うと思われる裁判後の申し立て(再審請求など)を聞いて検討できるし、保護観察官に、判決言い渡し前の調査を実施してもらうこともできる。保護観察官は、刑事学、心理学、あるいは社会福祉事業の知識を持つ専門職で、裁判官に対し、宣告する刑の長さについて助言する。保護観察官は、通常、犯罪者の履歴、その犯罪の深刻さ、そして犯罪者が今後も違法行為を続ける可能性などを検討する。裁判官は、保護観察官の助言に従う義務はないが、その助言は、裁判官がどのような刑罰を言い渡すかを検討する上で、重要な要因となる。犯人の刑罰ということになると、裁判官にはさまざまな選択肢や刑の範囲が用意されている。こうした選択肢の多くは、いかにして社会復帰させるかといった構想に関係しているので、刑事学や社会科学分野の専門家の援助も必要になってくる。

      裁判官が言い渡すことができる最も軽い刑罰は、保護観察である。これは、犯罪が軽微とみなされた場合、あるいは有罪となった被告が重ねて犯罪行為に関わる可能性はないと、裁判官が判断した場合の処罰である。保護観察が言い渡されると、犯罪者は保護観察の条件が維持されている限り、刑務所で過ごさなくてもよい。保護観察の条件としては、前科のあるものには近づかないこと、ほかの犯罪に手を染めないこと、また、最近増えつつある何らかの社会奉仕活動に参加すること、などである。何事もなく保護観察が終了すると、犯罪履歴は抹消され、法律的に見て、犯罪はまったくなかったかのような状態になる。

      裁判官が保護観察に気が進まず、収監の方が適切と思った場合は、裁判官は法で定められた範囲内で刑期を科さなければならない。刑期の年数が自動的に定められるのではなく、一定の幅が設けられている理由は、犯罪や犯罪者が必ずしもすべて同じではなく、原則として刑罰は、犯罪に見合うものであるべきだ、と法が認識しているからである。

      連邦政府と多くの州は、量刑の著しく大きい格差を是正するため、裁判官がもっと足並みを揃えるように、一連の厳密な指針を作ろうと努めてきた。国家レベルでのこうした取り組みは、量刑手続き構築のための指針を定めた、1987年量刑改革法の制定という形で結実した。

      同法に盛り込まれた連邦議会の規定によれば、裁判官がこの指針を無視できるのは、議会が十分に想定していなかった状況、つまり量刑を加重すべき状況か、逆に軽減すべき状況に、裁判官が気づいた場合に限られる。同法は、裁判官が量刑の指針から逸脱しても許される際の根拠を特定してはいない。しかし連邦議会は、人種、性別、国籍、信条、宗教、社会経済的地位、薬物依存、またはアルコール中毒などを、量刑判断の根拠に含めてはならないと規定している。

      各州もまた、裁判官が言い渡す量刑に大きな不均衡が生じることを避けるため、さまざまな制度を設けている。1995年までに22州が、自州の裁判官のための量刑指針を制定する委員会を新設した。1997年後半の時点で、そうした指針は17州で施行された。同様に、今日ではほとんどすべての州が、特定の犯罪の有罪判決に際して、自動的に特定の刑を言い渡す強制処罰法を制定している。これは特に、暴力犯罪、銃を使用した犯罪、あるいは常習犯の犯罪に適用されている。

      裁判官は刑の宣告に巨大な影響力を及ぼすものの、必ずしもこの問題で最終決定権を持っているわけではない。刑期をいつも定めるのは、裁判官である。しかし、それでもなお刑期は、連邦政府と州政府の仮釈放法に左右される。従って、囚人の実際の服役期間について最終決定権を持っているのは、仮釈放審査委員会(そして時には、恩赦あるいは減刑の権限を持つ大統領や州知事)だということになる。

    控訴

      州と連邦の両レベルで、重罪の有罪判決を受けた者は誰でも、少なくとも1回は、控訴する権利を持っている。しかし現実には、この特権を利用する犯罪者はほとんどいない。控訴は、事実審の際に、法律上の誤りがあったという主張に基づいている。こうした誤りは、破棄されるべき誤りであって、無害だと言うわけではない。例え誤りがあっても、それが裁判の結果に影響も与えなかった場合は、無害と見なされる。これに対して、破棄されるべき誤りは、裁判官ないし陪審の判断に影響を与えた可能性がある、重大なものである。控訴審で逆転勝訴する原告側主張をいくつか例示すると、事実審で不適切な証拠採用があったとか、陪審に対する裁判官の説示に欠陥があったとか、あるいは、有罪答弁が自発的に行われなかった、などの場合などである。しかし、控訴は訴訟手続きと法の解釈に関する疑問に基づくものでなければならず、被告人の有罪、あるいは無罪の事実認定自体は争えないのである。さらに米国では、ほとんどの場合、宣告された刑期が法の規定範囲内にある限り、それに関して控訴することはできない。

      刑事事件の被告人が、ある程度、控訴で成功する割合は約20%だが、これは被告人が自由の身になるという意味ではない。慣例上、控訴裁判所が下位裁判所に差し戻し、再審を行わせる。この時点で検察側は、第一審での手続き上の誤りを克服することができるかどうか、また、そこまで時間と労力を費やす価値があるかどうかを、決断しなければならない。再審は、憲法が禁止している「二重の危険」と見なされていない。なぜなら、最初の有罪判決を控訴しようと考えたのは、被告人自身だからである。

      マスコミや法律に関心を持つ人々は、有罪ではないかと見られるような犯罪者を釈放する控訴裁判所や、法律上の専門的な事情で覆された有罪判決に、しばしば注意を促している。確かにこうしたことは起きている。公正な扱いと被告人の推定無罪を前提とする司法制度を持つ民主主義国家では、こうしたことは避けられないのだ、と主張することもできるだろう。しかし、有罪答弁を行う被告人が約90%にものぼり、まさにこの有罪答弁が、事実上、控訴を不可能性にしているのである。残りの約10%のうち、事実審で有罪となるのは3分の2。さらにこの中から控訴するとなると、数パーセントに過ぎない。実際に控訴する者のうち、約20%しか主張を認められていない。有罪判決が覆された者のうちの多くが、続いて行われた再審で有罪となっている。かくして、有罪判決を受けたあと、破棄されるべき誤りがあったことを理由に、自由の身となる者の数は、ほんの1%に過ぎない。






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