時に…冷戦終結東西ドイツ統一と世界は安定に向かうかと思いきや…。
中東では湾岸戦争が勃発。
新たな激動の時代に突入した。
一方我がニッポンはバブル最後の狂騒に浮かれ…しかし程なく祭りは終わりを迎える。
街には「アムラー」があふれ携帯電話が必須アイテムに。
会社帰りのサラリーマンは格闘ゲームでストレス発散。
「ニッポン戦後サブカルチャー史」。
今宵はさまざまな「終わり」と「始まり」が錯綜した90年代を旅する。
ナビゲーターは…。
非常にはまった。
おなじみ…まさにこの時代に演劇活動を加速させ岸田戯曲賞を受賞した奇才が愛と独断の90年代論を展開!正直言って全員分かる。
旅の同行者はジャニーズのサブカル男子にして俳優の…そして秋葉原のアイドルプロデューサー「もふくちゃん」こと…更に日本大好き!ハーバードの修士論文のテーマが村上春樹というアメリカ人…発進!いざ90年代へ!うわ〜電池持ってくればよかったなあ。
いやバーチャルボーイっすよ?
(マシュー)テニスやりました?テニス?すっげえやりましたよ。
やった事ないです。
いや時代走り過ぎたんですよね早すぎた。
ドリームキャストも早かったんだよなあ。
(福嶋)PCエンジンも大好きでした。
名作なんですけどねえ。
今日面白いわあこれ。
ちょっとやけに活気があるじゃない。
ついに!ついに。
ついに知ってる世界が。
ついに来ましたよ。
リアルタイムで通ってきた世代なので。
(福嶋)全部ソフト持ってますからね。
僕も「ドラクエ」もやってましたしあと「信長の野望」。
お〜!あぁいいですねえ。
分かんない事があっていとうせいこう君に電話したんですよ。
そうしたらいとう君がちょっと九州の方に行っててご家族の方が「これこれこういう理由で今いないんです」って。
でしょうがないから自力でやろうとしてたら夜中の2時にFAXが届きましてね。
時代を感じますねFAX。
九州から。
…っていう。
(笑い声)今はねFAXじゃないねえ。
メールですもんね。
LINEですよもはや。
今日はそれでレコードをまだまだいろいろあってですねPrimalScreamっていう。
ご存じですか?はい知っていますよ。
大変にいいんですよ。
さあ今日の1曲。
90年リリースPrimalScreamの「Loaded」。
「Justwhatisitthatyouwanttodo?Wewannabefree.Wewannabefreetodowhatwewannado.Andwewannagetloaded.Andwewannahaveagoodtime.That’swhatwe’regonnado」。
「Nowaybabylet’sgo」。
「We’regonnahaveagoodtime.We’regonnahaveaparty」。
80年代後半からイギリスで起きたダンスミュージックのムーブメントを象徴する1曲だ。
60年代のヒッピーカルチャーの再来と呼ばれる「セカンド・サマー・オブ・ラブ」はダンス音楽を夜通し流す大規模なパーティーイベント「レイブ」が特徴的。
90年代の日本にも上陸。
一大ムーブメントとなった。
マシュー君は何年前に日本に来たんですか?もう7年間ぐらい。
でもじゃあ90年代はアメリカにずっといたわけですね。
そうですね。
でも日本の音楽例えばBOREDOMSとかフリッパーズ・ギター聴きましたよ。
リアルタイムで。
それはもしかして「変わったアメリカ人」ですか?ひどい。
そうかもしれない。
バレちゃったんです。
(笑い声)まあ君たちは90年代に自我に目覚めてくるわけでしょ?思春期ど真ん中って感じですね。
青春って感じですね。
今まで教えてもらってきた事があっ僕らの知ってるここにつながってるってようやくこう合致した感じの…。
点と点が線になっていく感じが。
一冊の本が大きな社会現象となる。
さまざまな自殺の方法を取り上げ論評した書籍だ。
当時主に10代から20代の支持を受けて100万部を超えるベストセラーに。
青少年への悪影響が懸念される一方表現の自由も問題に。
賛否両論議論が沸き起こった。
「ついに戦争に突入いたしました。
湾岸付近で展開しているアメリカイギリスなどの多国籍軍は17日の早朝日本時間の今朝イラクに対する武力行使に踏み切りました」。
同じ頃国内ではバブル崩壊が始まり失業率も上昇。
「フリーター」と呼ばれる人々も増加していった。
新興宗教や自己啓発セミナーにはまる若者たち。
所構わず地べたに座り込む「ジベタリアン」が現れ渋谷の街にはいわゆる「チーマー」がたむろした。
自らの下着を売り援助交際に走る女子高生たち。
摂食障害や過剰なピアッシングなどもこのころから急激に増加。
社会問題となった。
そしてアート界では「身体とは何か」「生とは何か」を問うような作品が注目されてゆく。
四谷シモンの球体関節人形。
重力や空気と戯れるかのような舞踏家勅使川原三郎の型破りな身体表現。
そんな時代の空気の中世に出たこの一冊。
だが著者・鶴見済は後書きに刺激的なタイトルとは裏腹のメッセージをこのように記している。
鶴見済と時を同じくして漫画家・岡崎京子がある作品を世に送り出しひそかなしかし熱狂的な支持を得た。
80年代のポップなサブカルチャーを生き生きと描いてきたそれまでの作風から一変。
90年代という時代の気分を表現したと言われるこの作品。
舞台は工業地帯に近い一本の河が流れる郊外の街。
物語は主人公の語りで始まる。
主人公のハルナはどことなく生きる実感がわかない気持ちを抱える高校生。
一方同じクラスでみんなからよくいじめられていた山田は同性愛者である事を隠していた。
ある時山田を助けたハルナはその秘密を告げられそしてお礼に宝物がある場所に連れていかれる。
そこにあったのは人間の死体。
ハルナは衝撃を受けるもののどこか実感がわかない。
岡崎京子鶴見済は対談で生きる実感のなさについてこう語っている。
「リバーズ・エッジ」の舞台は郊外。
90年代は全国で道路建設が進み地方都市でもまるで首都圏のような郊外化が加速していた。
どこの街にも道路沿いにはショッピングセンターコンビニエンスストアなどが建ち並ぶ。
共働きの夫婦に塾に通う子供たち。
どこにでもいる同じような家族風景。
日常に埋没し自分の存在が希薄化していくような時代の気分。
山田はハルナに「死体を見ると勇気が出る」と話す。
やがて学校で河原に埋蔵金があるといううわさが立つ。
そこで死体が見つからないようにこっそり埋める事にした。
ある夜日常に隠されていたゆがみが噴出するかのようにさまざまな惨劇が起こる。
物語の最後山田はハルナに「UFOを呼んでみようよ」と言う。
しかしUFOは現れなかった。
岡崎京子はある雑誌のインタビューで「リバーズ・エッジ」についてこう語っている。
「リバーズ・エッジ」はみんな読みましたか?
(一同)はい。
それぞれちょっと感想を聞きたいんですけども僕が先に軽く言っちゃうとねこれやっぱりある80年代から地下に退廃していたというか芽として生まれ出たものがこう出てきた90年代になっていろいろと出てきた中の一つの表現形態じゃないかと思うわけです。
このキャラクターたちが持ってる感覚ってでももう今の若い子たちはスタンダードに持っているから衝撃作っていうよりかは「あ〜でもまあその感覚分かるな」っていう感じで読んでしまったので正直言って全員分かる。
そうかそれはやっぱりオヤジとは違うんだなあ。
僕も57歳ですからオヤジですけども。
絶対違うんだよね僕と読み方が。
それから「リバーズ・エッジ」って結構オヤジが読んだっていう。
何を「リバーズ・エッジ」に求めたかっていうとオヤジは「文学」を求めたんですよやっぱり。
文学的なものがちょっと衰えてきた。
それに対してここに文学的なものがあるじゃないかという事を発見した人たちがこれを評価したという部分があると思う。
そういうのとは全く違うわけです君たち恐らく。
でそれと同時に例えば「死体」というものを見るという事を通じてこの「実感」ものへの実感というものを発見するっていう考え方というのはさそれまでなかったんですね。
「死体」というので「実感」というのは何か分かるのが今の本当に戦争っていうのににおいも感じないで生きてきた僕らからすると「死」みたいなものに対面すると生きてるなって思うという描写が分かる気がするんですよ。
90年代の気分として「リストカットしてる私かっこいい」みたいな雰囲気だったりとかちょっとピアスがはやってるってさっきVTRでもありましたけどああいうのが何かかっこいいって本当に90年代の時みんなが思ってたような雰囲気というの何かあったような気がした。
それはやっぱり一つにはそれまで80年代まで高度成長期からねある希望を持って将来というのは確実に我々はよくなるんだってずっと思い続けてた何かが突然崩れたというような事が90年代起こった。
それが私のいる場所この土地みたいなものの不安定さ。
僕たちは当たり前にこう立ってますよね。
当たり前に立ってるけど突然抜けるかもしれないじゃない。
一応とりあえずここは抜けないものとして存在してると。
だから立っていられると思ってるし。
ところが時々ゆがんだ場所に僕たちは歩かなきゃいけない時がある。
伊東豊雄さんという建築家がいてその人の展示があったんですがその時床が全部こううねうねしてる。
ものすごいうねうねしててその時僕は腰を痛めてたんですね。
地獄のような思いをしたんです。
その不安定さこそむしろ逆に言うと「私はここにいるんじゃないか」というような実感になってるかもしれない。
真っ平らってわけないないはずだっていう。
これはつまり例え話として安定というものはそもそも存在しないんだと。
だからこの時代にウォーターベッドとかはやったんですかね?ちょっと風間君ジャニーズ的じゃないよそれ。
えっジャニーズ…ごめんなさいちょっとあのウォーターベッドってどちらかというと卑猥なものなんですか?普通に何かはやったのかなって思ってました。
僕がちょっと変な事を考えてしまいましたね。
それは回転ベッドの事でした。
全然違いますよ何か!改めて「リバーズ・エッジ」のラストシーンを見てみよう。
そこから何が見えてくるのか。
(福嶋)一番印象的だったのは「UFO呼ぼうよ」っていうシーンがあるじゃないですか。
山田君と主人公と2人で。
でも多分二人ともUFOは来ないってもう分かってるのにわざわざ「UFO呼ぼうよ」って。
やっぱり来なかったっていう確認があるみたいな。
あれって結構80年代的なものに対するちょっと諦めっていうか今まで80年代ってすごいSFがはやったりみたいなUFO来た時代だったじゃないですか。
「来るかも!」みたいな。
みんなで70年代80年代ぐらいまで「UFO来るかも」みたいな期待感があったけどやっぱりこの時代はUFO来ないんだみたいな。
作品の中でちょっとそういう絶望みたいなのも描かれててそれすごい印象に残りました。
「不思議、大好き。
」という80年代のコピーをもう信用できなくなってきた。
やっぱり来ないよねって諦めムードみたいな。
意味のない事をやる意味みたいなのの…。
だからむなしさみたいなのがね。
ファンタジーからちょっと現実に戻ってるような感じがします。
文学的な作品。
だからみんな90年代になってある日パッと起きて「夢だったのか」って。
「夢オチかよ!」っていう。
僕らからすると大人がバブルが崩壊したって言って慌てたあとに勝手に絶望してるんですよ。
そういった空気みたいなものは感じつつ冷めていったという事なんでしょう。
感覚的に勝手に絶望されて「何?うわっ怖っ」という。
盛り上がってたんだけどもう駄目だって言ってるけど日常はあんまり変わってない。
けど「もう駄目だ」って言ってる大人たちを見て「何かちょっとよく分かんない。
何?これ」って思って冷めていく感じ。
なるほど。
安定感のなさや実感の希薄さ。
90年代に起きた感覚の変化。
それはこの時代サブカルチャーの在り方にも大きな影響を与えたと宮沢は語る。
この番組が「ニッポン戦後サブカルチャー史」ですけどサブカルチャーが90年代になって「サブカル」っていうふうに言われる。
これは91年なんですよ。
もう分かってるんですね。
「サブカル最終戦争」というのが「週刊SPA!」で特集されてる。
それでサブカルっていう単にこれは短縮形なのかどうかという事がありますね。
もう意味内容も変わったんじゃないかと思うんですよ。
「サブカル」になった事によって何かいろんな事が変わっていくわけですよね。
例えば「サブカルチャー」っていう言葉で対抗するために前も言ったとおり「ハイカルチャー」があると。
これは一つは権威的であると。
そしてこの権威的であったはずのハイカルチャー自体に権威がなくなってしまったらどうなるか。
そのなくなってしまった世界ですね。
それは空漠としての何かになってしまってその中心がなくなるわけじゃないですか。
そうすると何か押そうと思ったのにないじゃない。
「ない」という時の私たちのこの無力感というか逆にね押したいものが何かあるはずだっていう。
じゃあ何を押したらいいのかという感覚みたいなものが恐らく「サブカル」っていう言葉になっていったんじゃないかと思うんですよ。
そうすると「サブカルチャー」と言ってかつてあった種類のものとは違う捉え方でじゃあ今度はポップミュージックを考えよう。
あのアニメを考えよう。
それからマンガを考えようというふうになっていった時に短縮された「サブカル」というのは非常に使いやすい言葉。
「サブカルチャー」と「サブカル」ってじゃあ目的が違うって考えていいんですか?結果的にそうなったというふうに捉えていいんじゃないかな。
というのが僕の解釈ですよ。
僕はそういうふうに感じてるしその事によってある種のグロテスクさも許容されるようになってきた。
すごい身体改造もあったでしょ?舌ピアスとか結構90年代やっぱり原宿カルチャーですごいはやってた印象がありますね。
鼻とかね。
鼻とかこことか結構みんなね見ましたよね原宿に行ったら。
へそのピアスとか。
やっぱりその事によって…。
実感。
実感みたいなものが。
だからそこで言うとサブカルチャーというのは「外」外側に向かっての何かだったのが「サブカル」っていう事になった時に内面に入ってくるっていう事はあるかもしれないですよね。
すごいそれは分かるというか分かりやすい。
「サブカルチャー」から「サブカル」へ。
同じ価値観を持った者が場を作りジャンル化し内向化したサブカル。
そして1995年その変化を決定づける大変動が起きる。
この年街には「アムラー」があふれルーズソックスの女子高生たちはゲームセンターで友達と写真を撮るのに夢中だった。
一方男子がこぞって欲しがったのはこのスニーカー。
あまりの人気にスニーカー強盗まで登場。
真夜中の秋葉原には新型OSの発売を待ちわびる長い行列が。
パソコン時代の幕開けだった。
そして日本の戦後史を揺るがす大災害大事件が立て続けに起きる。
最大震度7死者数6,434人。
大規模地震は戦後高度経済成長によって生まれた都市を崩壊させた。
ちょっと外出て!外外!危ない。
ガス出てるから!オウム真理教が起こした大規模無差別テロ。
朝の通勤ラッシュ時首都圏の地下鉄を狙って毒ガスサリンがまかれた。
この事件を契機に駅のホームからはゴミ箱が撤去された。
繁華街には監視カメラも設置されるようになり日本人の安全への意識も変わる。
95年は日本の雇用の在り方の転換期でもあった。
日経連は不況に対応するためとして新時代の日本的経営を発表。
雇用の流動化が推進される。
終身雇用などの日本的雇用システムが崩れ始めグローバルスタンダードの時代へ。
就職氷河期の若者たちに更に打撃を与えていった。
明るいメロディーと憂鬱な歌詞。
渋谷系アーティストと呼ばれ人気を博したピチカート・ファイヴは時代の気分を歌った。
一方「BOREDOMS」や「暴力温泉芸者」などのノイズミュージックは若者たちが心の奥底に抱えていた鬱屈を爆音に託しているかのようだった。
時代の大きな変わり目で人々が価値観の変化に戸惑う年。
街なかではそれを表すかのような不思議な言葉がはやっていた。
「ファジィ」。
「はっきりしない曖昧な」といった意味を持つ言葉の氾濫。
ちなみにこの年作家大江健三郎がノーベル賞受賞スピーチをまとめた本を発表。
そのタイトルは…意味は異なれどくしくも「曖昧」という言葉がこの時代のキーワードとなったのかもしれない。
・「残酷な天使のように」・「少年よ神話になれ」そしてテレビアニメ界でも革命的な作品が生まれる。
使徒と呼ばれる正体不明の生命体が次々と日本を襲う。
NERV司令官碇ゲンドウは使徒の殲滅を任されていた。
使徒を倒さぬかぎり我々に未来はない。
あっ!顔?巨大ロボット?ゲンドウの息子碇シンジは14歳の少年。
ある日突然エヴァンゲリオン初号機のパイロットになる事を命じられる。
逃げちゃダメだ…逃げちゃダメだ…。
やります。
僕が乗ります!戦う事に逡巡する主人公正体や目的が分からない敵。
思想や心理学の要素が絡み合いながら謎が謎を呼んでいくストーリーが展開する。
幸せではないのね。
そして主人公の心象世界を抽象的に表現しアニメは終わりを迎える。
誰も僕を捨てない…。
大事にしてくれるだけの…。
僕には価値がない。
生きていくだけの価値がない。
ではあなたは何?じゃあ僕って何?僕って何なんだ!謎めいた結末。
最後まで実験的だったこの作品には放送終了後も注目が集まり続けた。
雑誌の特集や謎解き本が出版され社会学者や心理学者も注目。
一部のアニメファンを超え社会現象を巻き起こした。
95年。
日本を揺るがすような大災害大事件が起きたこの年はまた新たな表現の始まりの年でもあったのだ。
1995年いろんな事が共時的にあるじゃないですか。
事件としてはオウムのサリン事件地下鉄サリン事件。
そして関西における阪神淡路大震災。
もちろん不幸な出来事だった。
被害者はもちろん数多かった。
だからこそその時代何が起こったのかっていう事をやっぱりそこから考えるべきであろうと我々は思うわけです。
でそれまで知識人が犯罪が起こった時にその犯罪者の側から犯罪を見る。
それから社会を見る。
犯罪者が何かを象徴してるんじゃないかという事が一つの見方というのがあったと思うんですよ。
ところが一般的に考えてみたらオウムの事件それから震災を通じてその知識人の言葉に対してどうでもよくなってくるというかねそれより私の家族をどうして守ったらいいのかって事になるわけじゃないですか。
それがねサリンの事件があったあとに駅からゴミ箱が全部排除された。
つまり危険であるかもしれないというものに対しては全部塞がれてしまうというのが95年でそれと同じように危険そうなものにはとりあえず何か蓋をしておけばいいんだというような事が起こった。
だからなおさら95年のグロテスクさとか身体改造とかっていうところでこう息苦しさみたいな事塞がれてるものから隙間を見つけてそこから何かが出てきてしまう。
噴出してしまう。
95年の時点ではそういった意味では一つの意識私たちの意識というものが変わった。
文化の問題として。
さまざまなところに変化が起こるわけですね。
90年代の日本における意識そして身体感覚の変化。
それを自覚し演劇の世界で新たな試みを模索した一人が95年に岸田戯曲賞を受賞した…新しい身体感というのを演劇に見ると平田オリザがここで「現代口語演劇のために」という本を出したのも95年なんです。
平田君は「これはカップである」と。
これは分かるじゃないですか。
「誰が何と言おうとこれはコーヒーカップである」と。
コーヒーが入ってますよって事はこれは客観的な事実ですからどうしようもないですね。
ところが「歯が痛い」っていう。
それは役者が「歯が痛い」という事を演技するというのは過去の演劇だったらそれを表現するのがうまい俳優っていう事だった。
ところが平田君はそれを見せられたところで私たちの時代の観客は95年「ああそうですか」としか言いようがないと。
今日はちょっと原稿を頂きに。
あああの見張りに。
劇作家平田オリザは「私は歯が痛い」というセリフに対して現代演劇の観客は納得しない。
なぜならそれは「ああそうですか」としか答えようがない主観的な命題だからだと語っている。
作家や役者がいくら痛みを主張しても現代の観客はその痛みを共有できないというのだ。
そこで代わりに提案されたのは……といった第三者からの客観的なセリフを連ねて感じさせる事だった。
ここに僕は平田君の「ああそうですか」この理論は非常に正しいと思ってるしこの平田オリザの「現代口語演劇のために」がどれくらいその後の演劇人に影響を与えたかっていう事は計り知れないしそれからそれに対してだからじゃあ逆の事をやろう違う事をやろうっていうふうに演劇人も出てきたという事で言えばこれは演劇においてはすごく大きな意味を持つんですね。
1909年のソウルの日本人家庭を舞台にした作品「ソウル市民」。
おかえり。
いらっしゃいませ。
こんにちは。
どうも。
そこでは役者は観客などいないかのように平気で背を向けて座る。
主義主張を声高にする事なく日常の会話風景が淡々と描かれる。
見る者が主観的に想像する事で作られる実験的な演劇だった。
いやいやただの定食屋ですけれども。
あああっちの。
何て言いましたっけ?いや名前はちょっと分からないんだけども。
定食…。
その定食屋にロシア人がいてね普通の和食の店なんだけれども…。
お手洗いあっちでしたっけ?だからロシア人が箸をうまく使えないんだよね。
あれ見ててかわいそうだった。
僕が初めて見たの1990年ぐらいです。
その時はみんなボソボソとしかしゃべってない。
それがすごかったんだよ。
どうしちゃったのかなと思った。
今までのルールには全くなかった事ですもんね。
それまで80年代の演劇っていうのはもう跳んだり跳ねたり踊ったりっていうね大騒ぎだったわけ。
そういうのを平田オリザは疑問に思ったんでしょう。
で別の方法がないかって。
作家が戦争は間違ってるにしても何でもいいんだけど訴えるような事をするんじゃなくてただその状況を見てるとその中から見てる側が想像する。
そこに平田オリザの戦略があったわけですよ。
その事を主観的に語らない。
客観的に放り出して私たちに見せてくれる。
これは95年なんです。
95年にその事を理論化して「現代口語演劇のために」という本を平田君は出したんですね。
でもそれの中で僕は「ああそうですか」って言葉が非常に気になったの。
今さっき「冷めてた」って言うじゃないですか君たち。
君たち「ああそうですか」でしょ?いやほんとに…でもまさにそうだなと僕は思いました。
そんな世代があるんですか?僕らの世代ってあんまり名付けられてないんですよ。
「キレる17歳」としか言われてこなかったんで。
今までそれしかレッテルがなかったから。
けど「ああそうですか」世代ってちょっと分かりますよ。
何か世の中バブル崩壊したって言っていろんな人たちが就職氷河期って言ってる時もまだ就職にはピンときてない時だったら全部「ああそうですか」で片づけてましたもん。
「就職難」とかもいろいろ聞きつつ。
「ああそうですか」っていうね。
演劇論とはまた別のところでねさまざまな場面においてこれは「リバーズ・エッジ」にもつながっていく95年以後の時代に「ああそうですか」っていう言葉が我々に何かあらゆるものを客観的に見る事によって何て言うんですかねこれ「シニシズム」って言うんですけどある種の諦めとかねあるものに対する距離感の置き方とかあるいは嘲笑とかそういうものになっていく。
これはもうちょっとネットの世界につながっていく事になるのかなというふうに考えております。
さてそんな事のあった95年。
いよいよここにダーッと並んでるんですが「エヴァンゲリオン」。
僕がほとんどリアルタイムで見てなかったのについ最近見て非常にはまったっていう。
はまったんですか?それは…。
面白くてしょうがない。
すばらしい。
最終的にも面白い。
いろんな意味で面白い。
そこで当時「QuickJapan」が8月に出た9号から13号までずっと「エヴァンゲリオン」を取り上げてるんですよ。
「QuickJapan」っていうのは若者のサブカル誌ですよね。
戸惑いがあるんですよ。
「QuickJapan」でアニメを取り上げていいのかという。
でもだんだん調子に乗ってくるんですよね。
恐らくこれが売れたんだと思います。
とうとう庵野さんが表紙になるっていう。
その庵野さんっていうのに衝撃ですけれどねも。
(福嶋)これ庵野さんなんだという衝撃が。
そのあとに「榎本ナリコ」さんというペンネームでマンガも描いてるんですが評論とかそうものを書く時は「野火ノビタ」という名前で「野火ノビタ批評集成」という「大人は判ってくれない」。
僕これすっごく面白かった。
「エヴァンゲリオン」の熱狂的ファンである野火ノビタは一オタクという立場からこう語る。
簡単に言っちゃうとこれ私たちの問題であると。
R.D.レインこれは「エヴァンゲリオン」でもしばしば引用された精神分析学者の本の中に「ひき裂かれた自己」という本があってそこからの引用をいくつかしながら人間ってものは私というものは2つに分かれている。
例えば僕は風間君に会う私とうちにいる私全然違うわけです恐らく。
そういう自己というものは実は心の中にひき裂かれた私たち自身が描かれてるんだと。
例えばそれは主人公の彼の姿を見れば分かるじゃないですか。
ところが野火ノビタさんが一番否定してるのは外側から見つめてるかのような視線で語っている事に対して否定するんです。
これ私たちの問題ですよと。
オタクである私たちの事を語ってるんですよという事を野火さんは…。
「野火さん」って言うと変だけどさ。
女性ですけどね。
語っているんです。
僕はそれに惹かれたんですよね。
それはだってオタクだけの問題じゃないの。
「エヴァンゲリオン」を見る事によってやっぱそれは鏡像であると。
私の姿を見てる部分もあるだろうというふうに考えれば私の問題としてこれについて問わなければいけないというふうに感じた事が大きかったんですね。
宮沢さん見て「エヴァンゲリオン」ってあの時代にヒットした意味ってどういう事だと思いますか?共時的に何かがあったはずなんですよ。
95年を用意した何かというものがあってそれが作者たちの無意識の中に入り込んできたと思うんです。
それはもしかしたら単純すぎるかもしれないけどバブルの崩壊というような事とか社会的な動きっていうものが80年代から地下に眠ってたものがこう起き上がってくるというのに近いものがこの作品に集結していったなという事を。
今の目から見ると95年にこれが発表されたこれは偶然ではない。
ここ95年でなければいけなかったんじゃないかという事は感じますけどね。
「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公が己の心象を独白して迎えた謎めいた結末。
監督の庵野秀明はこう語る。
それは他人事のように物語を見つめていた視聴者への問題提起だったのかもしれない。
庵野秀明が描いた「エヴァンゲリオン」の結末。
そして平田オリザの客観的な演劇。
これらは95年。
人々が「ああそうですか」という冷めたまなざしをあらゆる対象に向けた時代に時を同じくして誕生した。
そして同時期に新たな表現の可能性を模索し切り開こうとしていたのがコンピューターの世界だった。
43210!
(歓声と拍手)95年OSの新バージョンの発表でパソコンが急速に普及。
コンピューターを介した世界との新たな関わり方が生まれつつあった。
70年代の「インベーダー」ブーム80年代「ゼビウス」の大ヒット急速な進化を遂げてきたコンピューターゲーム。
テレビで報じられる湾岸戦争の映像は「まるでゲーム」と評され海外メディアは「NintendoWar」なる造語を生む。
バーチャル時代の始まりだ。
バブル崩壊後もゲームは不況知らず。
90年代の日本では世界最強の輸出品と称されていた。
1993年ゲームの世界に革命をもたらしゲームセンターで大ブームとなった作品が現れる。
世界初とうたわれる3DCGによる対戦型格闘ゲームだ。
週末夜サラリーマンたちは虚構の対戦相手に熱狂した。
開発者は体感型ゲームのパイオニアとして知られるゲーム作家鈴木裕。
それまでの格闘ゲームといえば2Dの平面的でぎこちない動きだった。
しかしこのゲームは3Dの息遣いを感じさせるようなリアルな動きを実現していた。
リアルさを追究した鈴木は自ら中国に行き達人から拳法を伝授してもらったという。
プレーしてる時にプレーヤーたちの方から「痛い」っていう声が「痛ぇ」とかっていう声が聞こえてきて簡単に言うと痛みを感じるような表現になっていたそこまで動きがリアルだったというのはその時感じましたね。
3D世界での格闘はプレーヤーたちの身体感覚までも変化させていた。
更にこのゲームの醍醐味はゲームセンターで見ず知らずの人と対戦する事。
向かい合ったゲーム機を挟みお互いの顔が見えない状態で戦い合うのだ。
コンピューター画面という仮想空間を通して感じる対戦相手の気配。
これまでにない新たな臨場感が人気に拍車をかけた。
各地のゲームセンターでは伝説のゲーマーが誕生。
ゲーム世界での最強のプレーヤーたちが現実世界でもスターになっていった。
ついにはおよそ5万人の頂点を決める全国大会が開かれゲームキャラクターのコスプレが流行。
ゲーム世界にとどまらない広がりを見せた。
現在このゲームシリーズはスミソニアン博物館に永久保存されている。
ゲームが一つの歴史になった。
実際にやってて…。
みんなやったんですか?あれ。
やってますね「バーチャファイター」。
痛みを感じてました?でもやりながら体が傾いちゃったりとか「痛っ」と言っちゃったりとかそれはありますね。
ちょっと懐かしかったですね。
子供の頃私は田舎に住んでたんですけどニューヨークの郊外。
電車で90分ぐらいでニューヨークに行けるような距離ですけど。
羨ましいよ。
それでよく実家に一番近いゲームセンターまで歩いて多分15分ぐらいかかったんですけど「バーチャファイター」とかやってたんですけどその時ちょっと暴力的なゲームだったけど日本のとても治安いいですね。
その逆説的な事面白いなと思います。
そして96年。
携帯ゲーム機が子供たちの間にコミュニケーション革命をもたらした。
モンスターを収集し戦わせるロールプレーイングゲーム。
シリーズ総売り上げ1億8,000万本以上。
アニメ化もされ現在も世界中で愛されている。
このゲームが画期的だったのはモンスターの交換。
プレーヤー同士がゲーム機を接続する通信ケーブルにつなぎモンスターを交換し合うという仕組みだ。
この事によって携帯ゲーム機が子供たちをつなぐコミュニケーションのアイテムになったのだ。
クリエーター田尻智はこのゲームの新しさをこう語る。
一方当時文字画面がメインだったパソコンでのコミュニケーション。
だが94年。
画面上に見た事もないような空間が現れる。
伝説のバーチャル都市「TigerMountain」。
テキスト中心だった電子掲示板を都市としてビジュアル化。
時代を先取りした。
利用者は住民登録するとこの都市の中に入り込む事ができた。
そこには公共施設や美術館アーティストやクリエーターたちが開いた店舗などがありまるでここで実際に生活するかのような感覚が得られた。
ピエール瀧が恋愛相談に乗ってくれる失恋レストランや洋服や帽子を実際に購入する事ができるショッピングセンター。
クラブストリートに行けば実際に存在するクラブが発信する最新情報をキャッチしはやりのテクノについて語り合う事ができた。
街を散策していると時には坂本龍一や細野晴臣立花ハジメなどの著名人に遭遇。
彼らと直接会話をする事もできた。
この仮想都市のプロデューサーシキタ純はこう語る。
やはり90年代に入ってのインターネットというのはほんとにインターネットがアメリカの軍の使用目的からパブリックに公開されてまだ間もない時ですよ。
その時に何ができるかというとみんながつながれるというのは一つのキーワードでそれしかなかったけどみんながどうつながるかってのはこれインターネットだねという感じ。
誰でも好きな人がテントを立てられるキャンプ場にしたんですよね。
それ参加制なんですよ。
つまり僕らが用意したものを楽しんでねという事じゃなくて僕ら以上に変わった事やりたいやつは入ってきて自分のテントを作りなさい。
お決まりのものじゃなくて自分たちの主体的に参加できるようなネットの空間が出来たというのこれ多分衝撃的な事ですよ。
僕はコンピューターすごく好きなんですね。
ちょっと見て下さい。
うちから持ってきた…。
一番左側にあるのがIBMのPS/55ですね。
その隣がカラークラシックですね。
あれがSE/30ですね。
SE/30はよく使ってました。
これが初代のMacですね。
(福嶋)私にとってはWindows95が出て98年ごろからのインターネットの世界っていうのはほんとに今までの何とも違う体験だったというか。
今までって要はもう雑誌とかゲームとか入れ物があって私たちの時代にはもう全部何もかもがあってコンテンツを何かこう埋めていく…。
誰かがもう既に歴史的に歩んだ土壌を上書きするだけの作業だったのがほんとに白紙の白いキャンバスが広がってるみたいなここで何でもできるんじゃないかとか未来はもしかしたらこんな面白い事がネット上からできるんじゃないかというのが初めて夢が広がったっていうか。
それまである意味冷めてたような目線だったっていうのはすごい今日勉強していろいろ分かったんですけど。
私にとって結構インターネットって希望みたいなのを与えられたような感じが個人的にはすごいしたので98年とか95年っていうのはすごい印象的な年ですね。
何が最初魅力的だったかというとまずコンピューターというのは意識を拡張してくれるんじゃないか。
我々は手で書くという事を学校で教えられてこれは必要な事だと思うんです。
ただ手で書くというのは時間として遅いという事を坂口安吾という人がものすごい早い段階で言ってるんですよ。
それ「文字と速力と文学」というエッセーの中で「私の想念は電光の如く流れ走っているのに私の書く文字はたどたどしく遅い」っていうふうに50年以上前にこれ書いてるんですね。
坂口安吾にコンピューターを渡せばよかったなと思うんですけど。
それぐらい私たちは書く方法というの?意識っていうのはものすごくいろんなところに向いてるでしょう。
それを流れで書いていかなきゃいけないですね手だと。
それがいろんな事ができるコンピューター…。
この時代から誰かと一緒に挙党を組むのではなくて個々で人のものが入ってこないようにって。
インターネットもそうだし誰かと関わる時は何かのコンテンツを一個挟みましょう。
自分の事は自分の中に秘めて仮想的な何かもう一つインターネットが手に入った時に「もうひとつの自分」だったら壊れても大丈夫じゃないですが感覚的に大丈夫みたいなのがあった気がするんですよね。
自分の中の個を意識し始めてその個を守るためにもう一つの個を作るというののスタートだったのかなっていうのを…。
(福嶋)匿名性とかアバターとかそういう事ですかね。
その感じ…今日の授業を聞いてて感じましたね。
90年代。
バブルの崩壊日本の戦後史を揺るがす大災害大事件の数々。
さまざまな出来事が世相に影を落とし人々の意識にも大きな変化をもたらしていた。
しかし後に「失われた10年」と呼ばれたこの時代にサブカルはもう一つの世界でたくましく想像力を蓄えていた。
あの時があるから今がある。
2014/09/19(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
ニッポン戦後サブカルチャー史 第8回「90年代(1)セカイの変容」[字]
激動の90年代。岡崎京子のマンガ「リバーズエッジ」が描いた時代の空気とは?人々の身体感覚を変える名作ゲームが登場。「新世紀エヴァンゲリオン」は何を変えたのか?
詳細情報
番組内容
90年代、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件…時代の大きなうなりの中で、エポックメイキングとなる新たな表現が同時多発的に生まれていく。岡崎京子のマンガ「リバーズエッジ」は生きる実感が希薄化する時代の空気を描き、ゲームの世界では、バーチャルとリアルの境界を突き破るような作品が登場。そして95年、「新世紀エヴァンゲリオン」がアニメ界に革命を起こす。謎が謎を呼ぶ作品は私たちの何を変えたのか。
出演者
【出演】劇作家岸田戯曲賞作家…宮沢章夫,【ゲスト】風間俊介,マシュー・チョジック,福嶋麻衣子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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