ミュージック・ポートレイト「樹木希林×寺田農 第1夜」 2014.09.18

(樹木)ああこれこれこれ。
昔のまんま。
ここ開けて…女優樹木希林。
この日訪れたのは青春の日々を過ごした劇団文学座のアトリエです。
53年前ここから役者人生が始まりました。
彼女を待っているのは俳優寺田農。
寺田さんどうも。
(寺田)おう。
お〜こんにちは。
この日久しぶりの対面。
ちょっと懐かしいじゃないですかねえ。
ちょっとお話聞かせて下さい。
お孫さん被害者の方に出会い系サイトで…。
女優樹木希林71歳。
デビュー以来50年以上にわたり独特のオーラを放つ個性派女優です。
20代老け役で大ブレイク。
お茶の間の人気者になります。
あんたみたいだったらさ…。
ジュリー!そして突然内田裕也と結婚。
型破りな夫婦生活で話題を振りまいてきました。
しかし61歳突然のガン宣告。
10年間死と向き合ってきました。
激しさと弱さを併せ持つ彼女を支えた音楽とは?・「何処かでほほえむ人もありゃ」舞台役者が1。
2番目が…せいぜい映画に出る人が2。
三流がテレビ。
それは私の性だと思うけども。
何か壊したいって。
そこへざ〜っと見た時にここなら生きられると思ったのね。
デビュー以来数多くの映画やドラマに出演してきた名脇役です。
「大河ドラマ」や時代劇で見せる正統派としての重厚な演技。
しかし活動の場は広くアニメの声優やオペラロマンポルノまで意の向くままに役者人生を突き進むカメレオン俳優。
そんな個性を生み出した音楽とは?あなたこういう人とつきあってなかった?研究所にこの人に似た人いた…。
あいましたいましたいました。
あの人とつきあってたでしょ?つきあってましたね。
それで毎晩毎晩飲んで今日を充実してそしていい女見っけて…。
そういう感じの中で遊んでたんだな。
18歳で出会った2人だからこその本音と裏話が満載の同窓会。
「ミュージックポートレイト」。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
まあ座ろう。
どんなうちに育ったんですか?子どもの頃。
子どもの頃…。
子どもの頃はねうちはね家業っていうか絵描きなんですよ。
池袋のそばに長崎アトリエ村というのがあってそこで生まれたんですね。
そういう所で育ったにおいがしたわよね。
あそう?何かね芸術家の子どもって感じがしたわね。
いいね格好いいねそれは。
私なんかは神田の神保町で父親は警察官で母親がカフェーやっててそこで出会って生まれたような子だから。
父親は警察官でしたがある日職をなげうち音楽に生きると決意します。
手にしたのは薩摩琵琶。
努力を重ね一流奏者になりました。
その哀愁あふれる琵琶の音色はレコードになって残っています。
音楽に対しての素養というのはそのころは鬼子母神がそばにあってね御会式っていうと万灯っていうのが出てねドンツクドンドンツクツク…そういうね音だけでそれで育っちゃった感じだわね。
生まれた時からずっと思い出してみたら何よ父親の琵琶でず〜っと音聴いて育ったから門前の小僧でそれが結局ねNHKの大河ドラマの「翔ぶが如く」で結構習わないんだけどこれ覚えているんだわね。
それでちょっと曲をつけてもらって放送したのがあるんだけど。
・「世の中は」だけどそういう事っていうのは手取り足取りで教わった訳じゃないんでしょ?何となくやっぱりそういうの…。
父親がいない時には代稽古ね。
代稽古したりなんかして。
でも父親のその事がず〜っと後に仕事になったっていうのがすごいと思いません?すごいね。
幼い頃希林は人と交わるのが苦手。
殻に閉じこもりほとんど口をきかなかったといいます。
私はどんな子どもだったってね私は自閉症でず〜っと…。
自閉症だったの?口をきいた事がなかったの。
うそだろう君。
その弊害だな今の…。
こうしゃべってるのはね。
本当に自閉症だったの?自閉症だった。
当時は自閉症なんて言葉はないから何だったんですかね?だから何もしゃべらない子っていうので。
変わった子っていうんだな。
いや変わっても何も当時ね子どもの性格に親がああだこうだなんて言っている暇がない。
バラックの中2階の布団部屋で1人でこうやって遊んでてそのまま布団と一緒に落っこってここを打ったんだわね。
その時に布団の上に落ちればいいんだけど布団より自分の方が重いから自分の方が下になってかぶさってもうこれで死んでたんだけど母親がすっ飛んできてバッと取りのけてそれでパンとたたいて「んが!」って息してそこから毎晩おねしょするようになっちゃったの。
たくさんの芸術家たちが集まるアトリエ村で育ちました。
父親は日本を代表するシュールレアリスムの洋画家寺田政明。
毎日アトリエでカンバス相手に格闘する父親。
そんな家庭で夢中になったのは米軍放送から流れてくる陽気なカントリー&ウエスタン。
この人はねハンク・ウィリアムスといってもう伝説の人なんだけどね。
聴いた事ある?あなたそういうの好きだったじゃない。
大好きだったの大好きだったの。
それでこれはね僕の何て言うのかな青春の歌って一番に最初に耳に入った。
FENって当時あったのね米軍放送みたいな…。
そっから流れてくるのにアメリカンカルチャーというかさアメリカの音楽はこういうんだって…文化だな。
それにあっという間にこうなった。
どんな子どもだったの?もうそれで寺田家ではさ二十何人も父親の代の孫がいるんだけど男1人なの。
でもそれじゃ希望の星じゃない。
もう大女系家族でね。
だから蝶よ花よと言って…。
後に母親は「だから私が甘やかしたからこういうふうにあなたみたいになっちゃったのね」ってとっても嘆いてたけどね。
ちょっと寒いと「寒い寒い」ってずっと俺は泣いてるんだもん。
そうすると母親が「かわいそうにかわいそうに」。
そういう軟弱極まりなかったね。
あ〜そう。
18歳希林は高校を出たものの将来の目標が持てずエネルギーの向かう先を探していました。
一方早稲田大学の難関政経学部に入った寺田。
友達に誘われるまま何となく劇団の試験を受ける事にします。
ちょうどそのころ名門劇団の文学座は俳優の養成所を立ち上げていました。
有望な若手を育てるためです。
現在までの卒業生はおよそ3,000人。
数多くの名優を輩出してきました。
2人はその記念すべき第1期生。
1,000人ぐらい来たわねあの試験の時に。
受かるとは思わなかった。
あんまりいい男いい女がずら〜っといてね。
私はね新劇はブスでもいいっていうんでそれで行ったんだけど受かったあとに聞いたのが「あんたね耳がいいわよ」って。
「私耳は別によくはないから。
福耳でもないから」って言ったら「人のセリフを聞いてる」って。
そういう耳のよさってのは…そういえばその耳がいいって褒められた事は後々役者としては随分美男美女だけど耳の悪い役者だなっていうのは随分…。
それはだって本質的な事だもんね。
何か一人ねああいうこれからの時代ロカビリー小僧みたいなのがいていいんじゃないかっていうのであなたは受かったんだって言われた。
あ〜そうなの。
寺田は新劇の格式高い芝居を学びます。
しかし収まりきらない自分がいました。
「俺も現代的な表現がしてみたい」。
そんな寺田をとりこにしたのが「ウエスト・サイド・ストーリー」。
映像表現の世界に未来を感じました。
これはやりましたよね。
これがね。
そしてまねしてさ…。
この映画が来た時ビックリしたわね。
そしてみんなジーパンはきだしちゃって短い足でさ。
あちらはピャ〜ッと長いんだけど。
上がらないんだよね足が。
そう。
ここの場所で・「BoyBoyCrazyboy」ってこうやってやってたじゃないの。
やってたやってた。
全然足がそろわないし上がらないしね。
だから「ウエスト・サイド・ストーリー」っていうかそのミュージカルのねあんなやっぱり…。
我々のやってる事は何か違うんじゃないかと。
そのころ我々は何やってたかっていうとさ「女の一生」みたいな事をやってた訳だよ。
敵はこんな事やってる訳じゃない。
もうリズムが全然違ってね。
もうね違うなって。
旧態依然としたこんな事やってても駄目だって思ってたな。
しかし現実はミュージカル俳優なんて夢のまた夢。
役者の基礎を身につける下積みの日々がスタートします。
どう教えていいのか先生たちも分かんないんだからただ「君あれだよ。
恋をしなきゃ駄目だ恋を。
恋をするんだ」なんて言われてただ研究所の中が乱れるっていうだけの話でさなぜ恋をしたら芝居がうまくなるかなんて言わないんだもん。
私もひどい芝居するけどあなたの芝居はすごかったね。
「指の長さ手の幅一歩の幅」っていうそういうセリフがあるんだけど…。
覚えてる?覚えてねえよそんなの。
こういう芝居をして「一歩の幅」って言った時に下手な役者だなって。
つまんない役者だ。
演技のイロハも分からぬまま初舞台を踏みます。
脚本は文学座でも活躍した三島由紀夫。
主演は憧れの大先輩6歳年上の山崎努。
山崎さんに何かかぶれてなかった?サングラスをここへかけてさ山崎さんと一緒に。
山崎さんが来たかなと思うと寺でさ。
こうやってジャンパーをあれして。
面白いんだよね。
タバコを吸うのに普通だとタバコってこうやって吸うじゃない。
あの人はねこっち側を持ってこうやって吸うんだよ。
だから横にいると危ないんだよ。
「ああ」って。
それをあの人は「天国と地獄」でもこうやってパ〜ッとかってやってますよ。
そんなの平気で我々は…まあ僕だけじゃないけどもあれは随分まねしたね。
憧れたね。
一方希林は18歳で初舞台。
美貌を売りにした新人女優が皆主役を目指す中希林の役はお婆ちゃん。
後に老け役で名を成す原点となりました。
18歳で…。
婆さん。
もうお婆さん。
「皆さんさようなら」。
その時もかつらがそこらにあるかつらだから合わなくて黒い毛が出てその上に白いのかぶってまあ絵が遠いから婆さんに見えたけど。
希林が下積みに耐えていた頃同世代の若者はデモに参加していました。
60年安保を契機に盛り上がった学生運動。
東大生樺美智子さんがデモの混乱で亡くなる事件もあり学生たちはこの歌に空しい気持ちを重ねていました。
ここのアトリエのそばをデモ隊が来る訳よ。
この隣が杉村春子さんだった。
着物着てお稽古の所からササササッと出てって文化人のデモ行進が来るの。
こうやって出て「頑張って!頑張って!」って言ってるのを見てああそうだな。
やっぱり友達がみんな行進してるから言ってるんだなと思って。
全く学生運動とかっていうの一切頭にはないんだけどもその時代をずっとその中でずっと来たっていうのがあって「アカシアの雨」…。
西田さんのこの…。
それとシンクロするんだな。
だってそういう意味じゃその学生運動っていうのかなそういうものにもあんまり興味ないしさノンポリだよ全くね。
まあそういうようなちょっといい加減な成り行きの人生でしたよね。
そう。
成り行きですよ。
芝居の世界で続くあてどない自分探し。
このころにため込んだエネルギーは後に爆発する事になります。
文学座の青春の日々を終えいよいよ2人はプロの道へ。
跳ねっ返りの劇団員だった寺田。
正統派の舞台演劇より外の世界に未来を見ていました。
兄貴知ってんのかい?フフフ。
寺田は青春ドラマに出演し脚光を浴びます。
当時テレビは新しいメディアとして若い才能が集まりしのぎを削っていました。
口だけは抜群に威勢がいいんだよ。
ボクシングってのはな口じゃねえんだ。
ゲンコツでやるんだよ。
イタタタタ!分かってるよ。
そのころ後に「ウルトラマン」シリーズで名を成す鬼才実相寺昭雄監督と出会います。
監督に誘われたフランス映画ヌーベルバーグに2人で酔いしれます。
憧れたのはヒロインジャンヌ・モローの歌声。
随分ハイカラな…。
何?これはジャンヌ・モローがね「突然炎のごとく」の中で歌う歌。
これは僕は大好きな…今でも大好きな映画なんだけども簡単に言うと三角関係の話なんだけどもこれでね歌うんですよ。
ジャンヌ・モローの歌声を心にしまっておきたい。
大学でフランス文学専攻の実相寺に寺田はある頼み事をします。
この歌がみんな気に入ってさ実相寺は獨協から早稲田の仏文だから絶対こいつは分かるだろうっていうんで実相寺が暗闇の中でこうやって書きながらそれをみんなでフランス語に仮名を振ってもらってそれで覚えたのがこの歌。
ちょっと歌ってみて。
こんなんなの。
そういう時に覚えたのは忘れないね。
忘れないね。
片仮名で覚えたのはね。
本当だよ。
あなたこういう人とつきあってなかった?研究所にこの人に似た人いた…。
あいましたいましたいました。
あの人とちょっとつきあってたでしょう?つきあってましたね。
ねえ。
おねえさんでしたからね。
こういう人を好きになる…。
あそうなのかね!時代なんだね。
時代なんだね。
若いからね。
この2つはその後寺田が役者として生きる上で強い原動力となっていきます。
一方希林にもチャンスが訪れました。
森繁久彌主演の人気ドラマ「七人の孫」の女中役です。
森繁の歌う主題歌が新しい表現の世界へと希林をいざないました。
この森繁久彌っていう人…今の歌も今聴いてみるとね味がありますよね声もあれも。
その時はあんまりそう思わなかったのね。
歌っていうのはもっとこう上手なものだと思ってたけど。
そのよさはその時は分かんなかったんですけど。
希林は森繁の演技に驚がくします。
舞台育ちの希林にとって映画界の演技は見た事がないものだったからです。
私は新劇の人間でしょ。
とにかくね芝居。
芝居が今まで文学座で見ていた…この「てにをは」も一つも変えていけない。
「雨が点」といったら点なのよ。
「ポツポツ点降って」ってそういうのをねやってたから森繁さんの芝居見た時にビックリしたのね。
独特のセリフ回しや台本にないアドリブ。
遊び心を持って演じる事の大切さを希林は森繁の演技から学び取ります。
そうそうたる人が出ててその時に私が出ていって何か特徴を作ろうと思って…。
まあ要するに遊びながら演じてるんだけど。
じゃあ田舎の子にしよう。
「ご隠居さん迎えに来ました」というような…田舎の子にして。
それはすごい。
いやだってひと言だもんセリフは。
そういうような時代に…。
でも別にセリフを取ろうと思ってやった訳じゃないけど。
だけどそれが卑しさがないからそれがそのまま生きていくんだな。
私でもね森繁さんっていう人に人間としてはさもうすぐ女の子のお尻触るし何かこういう感じでいたからあれだけど芝居はすごくあれだからそばへ寄んなかったの。
だからどっちかっていうとフンっていうような感じでね。
でもいいものをいっぱい私見ましたね。
森繁によってテレビの自由な演技を身につけた希林。
20代後半ヒット作に次々と巡り合います。
浜さん今年に入ってどのような事をしましたか?食って寝て出しました。
(2人)初もみ。
初取り初投げ。
初当たり。
(2人の笑い声)
(2人)初バカ。
ドラマの演出を手がけたのは鬼才久世光彦。
久世の生み出すキャラクターによって希林の人気は頂点に達します。
さっきご挨拶したお父さんみたいのがお婿さんだったなんてのは随分あんのよ。
あんたみたいだったらさ…。
ジュリー!これ頂戴ね。
あっ何すんだよもう!いいじゃないの。
やめろ!汚えな本当にもう!これもいつもやってる事ね。
千帆の場合は久世さんとのコンビネーションというか何かいろんな面白い事をやってるね。
「ジュリー」みたいなのあるじゃない。
そうそう。
要するに面白くないから何やっても。
こう斜めに見て。
ましてやっぱりその当時もテレビ局はだんだん力つけてきて。
でもテレビ局が大事にするのはちゃんとした立派なとこから出てきた役者。
もうこんなのなんて数のうちに入らない。
久世さんもペーペーで走り回ってね。
同志という感覚があって世の中をこうやって見てるのはもうずっと一緒だったのね。
しかしドラマが空前のヒットを記録すると不思議にも希林の心に芽生えたのはある空しさでした。
こうやって見ているタイプの人間がゲリラ的に「こんなの面白くないよ。
これだよ」っていうね…。
そしてそのころに何ともバカバカしいさ「昭和枯れすゝき」っていうのが出た時に久世さんと2人で「いいな〜」っていう…。
何か…。
いいよな。
久世と時代をリードするドラマを作りながら同時にあてどない空しさも感じていた希林。
そんな時まるで戦前のような古めかしい歌謡曲「昭和枯れすゝき」が胸にしみます。
「癒やされるな」っていうような…。
中身がどうこうっていうよりもね。
あのメロディーとこう…っていう事なの。
それでそのころに世の中に対して「この野郎」っていうものが。
その「この野郎」ってものでもって生きてたのね。
生きられないのよもう。
何にも面白くなくて。
という事はさかなり自分の中ではハードな核みたいなものは持ってたんだ。
いや持ってないの。
持ってないけども何見ても腹が立つむかっとするって…。
このあとすぐ彼女の人生を大きく変える出会いが訪れます。
一方寺田はシリアスな社会派ドラマに出演するなど実力を身につけていきます。
バカ野郎!そして次なるステップとして映画の世界に飛び込みます。
主演に抜てきされたのが「肉弾」。
名監督岡本喜八の演技指導で鍛えられます。
最も苦労したのは兵士役の寺田がヒロインと出会うシーン。
テーマ音楽のリズムを演技のリズムで先取りする難しい演出です。
括弧Aの2乗プラスBの2乗プラスCの2乗。
マイナスマイナスマイナスマイナス。
マイナスBCマイナスCマイナスAB括弧括弧括弧括弧…。
(2人)括弧…出来た!途中で雨の中こうやって2人がず〜っと長いカットバックの中で傘差して会うとこがあるんだけどバ〜ンとぶつかってそれがもうちょうど佐藤さんの音楽とそれからタッタッタッと僕が走っていく音とそれとがリズムになってトントントントントンバ〜ンタッとこう…これがねタイミングができない。
一日雨の中やってね結局30回ぐらいやってね終わったら僕もね大谷さんももう…。
ボロボロ?紫色になって。
そのぐらいに厳しくはやりましたね。
そのリズムね。
リズム。
あの人はもうリズムの人だから。
もうそこポンポンポンポンポンポンっていった時にそのリズムに耐えられるそういうセンスがあればいいんじゃないの。
編集なのよね。
そうそうそう。
(2人)括弧括弧…出来た!寺田はこの作品で…ついに一流の俳優として認められたのです。
映画「肉弾」で高い評価を得たものの後が続きませんでした。
自分は本当は何をしたいのか。
20代後半からあてどない自分探しの日々が始まります。
それで賞なんかもらったけども何か…それだけのもんでね。
そこから何か飛躍的にこうやってジャンプアップっていうのがないんだね。
とんがってた人たちにこう…期待されたんだけど本人は役者というものにとんがってなくて何か人生に…こっちとかあっちとかそっちの方にとんがっちゃってたから。
そのあとはサボっちゃったの?何か俺主体性ゼロだからね何か流されてみんな面白そうだって言うと何となく面白いんだろうなという感じ。
それでまたね来る役来る役ってみんな似てるじゃない。
オファーで。
それでこういうのでやりたいって言ったらいやいやそれはもう前のあれでやって下さいみたいな事になるとだんだん嫌になっちゃうんだよね。
それでもうやめようかなと思った時に僕はその時に三木のり平さんって人に出会うんですね。
喜劇界の重鎮三木のり平。
寺田はのり平一座で喜劇の面白さに目覚めます。
何を言ってるんでえ。
違うんだよ。
貴様も男を売る稼業の端くれ。
悪あがきはよす事だ。
これはお前のドスであろう。
違います違います。
知らぬかこの男を。
知りませんよ〜。
全然見た事…うわ〜!ある公演の終了後上機嫌なのり平が打ち上げで見せてくれた芸に寺田は衝撃を受けました。
当時はカラオケなんかないんだけどもみんな流しが来て歌うんだけどもまあ歌もすばらしいんだな。
だけども「九段の母」というのがあってねこれを踊るんだよ。
三木のり平さんがね。
そう。
浪曲「九段の母」。
のり平は女形にふんして演じたのです。
息子を戦争で失った母親が靖国神社を訪れる物語。
その悲しみをのり平は見事な所作で表現したといいます。
その小さいこのぐらいのスペースで何にもない…手拭いだけですっとこうやって…でその棒でステッキでねこれが本当にその瞬間に老婆というか「九段の母」…九段に訪ねたお母さんになるというね。
だからこの時に初めてね役者って芸ってのはこういうもんなんだと思ったね。
そうだよね。
その衝撃はね。
そしてその道へ行かなかったの?だけどできないもん。
それは…あの〜…それはできないよ。
笑ってるけど。
三木のり平の一流の芸を目の当たりにした寺田。
この領域に自分は行けない。
そう痛感しました。
でも神髄だけは受け取って…。
神髄っていうかのり平イズムというかね。
先生がどういうふうに考えていった事っていうのは…。
分かった。
今私分かった。
その先生と思うから取れなかったのよ。
私だって取れてないけど森繁さんを先生とは思わないもん。
やっぱりどこかですごい役者だなと思うけどこういうふうに見てたね。
そういう目がないと。
先生と思っちゃったらそこから…。
俺はもうその時終生の師匠と思ったもん。
それでもうず〜っと…。
それで芝居がストップしちゃったのよ。
やっぱりねどこかでこういうふうにしてないとね…。
いやそれでね俺のり平先生にも言われたのそのころ。
「あのね僕と君はね芝居の師弟ではないな」と。
「君はねやっぱりあまりにも冷ややかすぎる。
引いてる。
冷めてる。
だから君はちょっと年の離れた仲のいい友達だな」っていつも言われてたけどね。
だからライバルでも…何て言うの?役者仲間とは思ってなかったね。
先生はね。
惜しかったね。
う〜ん…。
ああ。
その時に会いたかったね。
やっぱりこうなんないとね…。
自分の進むべき道はどこなのか。
さまよい始める寺田農。
自分探しの旅はこのあとも続いていく事になります。
一方希林は心の空洞を埋める強烈な何かを探し求めていました。
そして出会ったのがあの人。
まあとにかく私なんかず〜っと退廃的なこう…そうは言ってもず〜っと…でも生きていかなきゃなんない。
そんな時にあの〜…すごい…かまやつひろしさんが連れてきて…。
仕事場にね。
それで内田裕也さんって人が来た訳ですよ。
強烈なエネルギーを放ちロック界の暴れん坊として名をはせていました。
希林は破壊力あふれる存在に一気に心引かれます。
内田さんは楽器もできない。
自分はもうタンバリンこうやってたたくだけですから。
リードタンバリンで有名な人だもんね。
(笑い声)ヒット曲がない。
楽器ができないっていうそれで威張ってるっていう。
それは誇りにしてますね。
そんな内田裕也がプロデューサーを務め売り出したのが…日本のロック界から海外進出を果たした先駆者として語り継がれる伝説のバンドです。
ボーカルのジョー山中はこのバンドでスターになりました。
・「Thereisnoupordown」・「Yourtrushistheonlymaster」・「Deathismadebytheliving」・「Painisonlyintensetoyou」ジョー山中さんは映画の「人間の証明」か何かの「僕の帽子はどこ行ったんでしょう」っていうのでヒット曲ありますけれども。
黒人の顔してるのに日本語しゃべるのペラペラなのよ。
ほいで聞いたらエリザベス・サンダース・ホームに入れられてて結構寂しい思いもしたり…。
この人のその…歌やってなくてボクサーなんかやってたりその後。
いろんな事やって…。
私たちさやることなくてそれじゃ歌歌ってみようかってこんなふうには歌えない。
歌えないでしょ。
音楽って今タッタッタッタッていうのずるいのはさもういきなりそこにこうやっていけるじゃない。
気持ちがさ。
役者は…せこな役者に限って気持ちができないなんて事言うけどさ音楽はいきなりドンドンドンっていくからそこでグッと上がってくる。
羨ましいね。
デニム姿のウエディングで新しい時代の生き方を表現します。
3年後には長女を出産。
こうしてスリリングな家庭生活が始まりました。
こういつも何か獲物をにらみつけるみたいな感じで来た時にこういう感じの人はあんまり出会ってないなって。
全く世界が違ったからねっ。
私たちは格好でこういうふうにしてやってたけど心の中がこう…挑むみたいな目をして生きてる人見た事ないもんね。
生きてる…その…危険な感じね。
すごく。
だってそういう事に携わってるんだからやっぱりデンジャラスですよ。
そう。
危険なのよ。
それがね私の不満の人生の中でそれをひょっと掴んだのよね。
だって役者だってさ一見危険なのいっぱいいるけどさ大した危険じゃないもんな。
ないものね。
大した危険じゃないの。
だけどその危険というのこっちの人は本当に危険だもんな。
本当に危険なのよ。
そこへざ〜っと見た時にここなら生きられると思ったのね。
野生動物だね。
希林は自分をずっと悩ませていた心の空洞が内田の存在によって埋められている事に気が付きます。
体制にこう反逆してやってるっていったら時代もそういうのを面白がってくれるからあの…まあ有名女優になっていくんだけど人間って…まあそれは私の性だと思うけども。
何か壊したいって。
今になってこじつけですけれども創造の創っていう字はねキズっていう意味。
絆創膏の創。
キズっていう字。
要するに物を創り出す新たに生み出すという事はキズをつけて壊してそこから創り出すっていうものでいけば私の性格は創造という意味では合ってたんだけどまあ破壊し過ぎたいろいろ…。
まあとにかく人を見るとケンカしなきゃいられないっていうようなね。
そうしないと生きられないみたいな妙な性格でしたね。
でもやっぱりねそういう事に執着を持たないっていう事も僕なんかも全く執着をいろんな事にないんだけどもそれも何か役者として大きく…後にはならないという欠点でもあるんだね。
いや私ね…。
どうでもいいっていうみたいな。
そうそうそう!私そういうとこは筋が通ってる。
名声も幸せも投げ捨てる破壊の衝動。
それが彼女の個性を更に輝かせます。
2014/09/18(木) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「樹木希林×寺田農 第1夜」[字]

女優:樹木希林と俳優:寺田農が人生の10曲を語り合う。二人は文学座の第1期生で青春を共に過ごした友である。樹木が夫・内田裕也との出会った時の思い出の歌は?ほか

詳細情報
番組内容
女優樹木希林と俳優寺田農が人生の10曲を語り合う。二人は文学座の第1期生、18歳で知り合い研究生として青春を共に過ごした友。寺田の思い出の曲は映画「ウェストサイドストーリー」で流れたダンスナンバー。樹木の青春の思い出は盟友・久世光彦と組んだヒットドラマ「時間ですよ」の挿入歌だった「昭和枯れすすき」。十代から老婆を演じていた樹木の琴線にこの歌が触れた理由は?また夫・内田裕也との出会いの思い出の歌は?
出演者
【出演】樹木希林,寺田農

ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:30037(0x7555)