生字幕放送でお伝えします伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!きょうの司会は戸田恵子さんです。
戸田⇒よろしくお願いします。
きょうのゲスト加山雄三さんです。
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加山⇒こんにちはお世話になります。
よろしくお願いします。
こんにちは。
本当に永遠の若大将ですね。
初めてお目にかかりましたけれどほんとにお若くてびっくりです。
ありがとうございます。
そう言っていただけるだけでありがたいと思います。
人気を決定づけた若大将の映画でございますけれどこちらをご覧ください。
これは6作目ですね。
1961年から若大将シリーズが始まりました。
「エレキの若大将」ですね。
これは1965年、昭和40年の公開です。
私が生まれた年です。
星由里子さん、そして青大将の田中邦衛さんが出演されています。
ジェリー富士夫さんもいますね。
大ヒット曲も誕生しました。
思い出深い感じでございます。
子ども心に天は二物を与えずということばがあてはまらないと思っていました。
何でもできなるハンサムで、ギターもできるスポーツもできるなんていうことと思っていました。
きょうは加山さんにぐぐっと迫ってまいります。
皆さんリモコンの準備をお願いします。
加山さんへの質問、メッセージ募集しています。
お送りくださいでは加山さんスタジオにお願いします。
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改めまして本日のゲスト加山雄三さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速メールが届いています。
岐阜県の方です。
加山さん喜寿おめでとうございます。
ありがとうございます。
77歳ですね。
元気で現役で迎えられたことに羨ましく、尊敬です。
ファンクラブに入っています。
若大将シリーズが始まったときですね。
夫婦で応援しています。
これからも元気な歌声を聴かせてください、ということです。
ありがとうございます、無理をしないとできませんけどね。
こんな77歳が。
私はうそなんじゃないかと思いました。
そうですか。
たくさんの方に質問されていると思いますけれど健康の秘けつとか若さを保つ秘けつとか。
困っちゃうんだけどね。
ひとりでに、こうなっているというのも変な感じだけれどわが家はうちの母親もそうですけれどこういう職業柄体調管理はずっと考えていたみたいですね。
子どものころからものの食べ方とか何がいいか体には何がいいかおふくろが、かなり食事の研究をしていたんです。
おやじにあれをやったほうがいいといわれて、やっていたんですけれどおやじは酒さえ飲まなければ大丈夫だと言っていましたけれど僕はおふくろも言われたとおりにやろうとしていたんですけれど酵素がいいんだから飲めと言ってでもそれがまずいんだよね。
蜂蜜レモンはすっぱいよと言ったら酸っぱいといったら砂糖も入れちゃいなとかこれは体によくないとかそういう感じでした。
結構それでやったんですけれど52歳という若さで母親が亡くなったんです。
それがショックで、人間は何を食べても、どう気をつけようが好きなようなものを買って好きなものを食べたほうがいいやと思って自暴自棄になりました。
それでことしで77歳です。
武道館で、ライブをされました。
それがなんと武道館単独公演の最年長記録それを樹立されました。
♪「ふたりを夕やみがつつむこの窓辺に」♪「あしたもすばらしいしあわせがくるだろう」♪「君のひとみは星とかがやき」♪「恋するこの胸は炎と燃えている」♪「歌おうロンリーハーツ親父バンド」大盛り上がりのコンサートでしたね。
チケットは即完売だったそうですね。
45曲も、このステージで歌ったということですね。
45曲はいちばん長いんじゃないでしょうかね。
38曲が今まででいちばん多かったので45曲は多いんじゃないでしょうか。
のどのコンディションとか保つ秘けつはありますか?考えてないです、その日暮らしですから。
今回の武道館に向けて体力作りとか?それは、食べるものを食べすぎると腹が出るからどうしようとかそんなことしか考えていません声は出るようにするためには出したほうがいいということでそれで調子がどんどん出てくるんです。
声を出したほうがいいんですか。
温存するんじゃなくてね。
温存を考えたらだめですね。
リハーサルのときにも45曲フルに歌うそうですね。
そうです。
90曲ということなりますけれどもう少しいきましたかね。
逆に、バンドのメンバーが加山さんに合わせるのが大変なんじゃないですか。
そういうこともありますね。
すてきなステージですね。
今回は飛び入りで何と桑田佳祐さんも一緒に。
サプライズでね、本当にご存じなかったそうですね。
全然知らなかったですし、全くの単独だと思って、ゲストはいないと思っていましたしアンコールで今の歌を歌ったんですけれど間奏が鳴ったときにせりふ何言おうと思ったら、77歳で喜寿だからこんな幸せなことはないということを皆さんと一緒にできると言おうとしたら止まってしまった。
伴奏が止まってしまったので全く77歳をどんな気持ちで迎えているかということを試されているかと思ったんです。
どうしたらいいだろうと思って考えていたら船長というんです。
誰だろうと思ったら、どこから来ているか分からないし方向が分からないから、うろうろしてたら花束が見えたから誰かが来たんだなと思ったら船長というのは誰だろうと思ったらむっとしていたんです。
花束の間からのぞいたら、桑田佳祐がいて何だお前かと言って、それからよく来てくれたなと思って。
何年か前に彼のライブに出してもらったことがあるんです。
そのときに出された時間は50分間だったと思うんだけれどその間彼らはずっと出てくれて必ずギターを弾いてくれてコーラスまでつけてくれたそういう人はいないなと思って同じ茅ヶ崎出身ですよね。
うちのおやじと、彼のおやじさんが仲よしどうしなんです。
家族ぐるみのつきあいというのは僕はあまりよく知らなかったんだけど、おやじが桑田佳祐って知っているかと言われて知っているよって言ったらお父さんと仲がいいんだよと言っていたんです。
その桑田佳祐さんが飛び入りでサプライズで出演されました。
このライブの模様ですけれどBSプレミアムで放送します。
ぜひご覧ください。
うれしいですね。
ここで、戸田恵子さんが若大将、加山雄三さんのプロフィールをぎゅっと凝縮してかなり凝縮してご紹介させていただきます。
加山雄三さんは1937年4月11日神奈川県の生まれ。
お父様は俳優として活躍された上原謙さんです。
茅ヶ崎の海の近くで育ち中学生のときにはカヌーを手作りして海にこぎ出すなど冒険心あふれる少年時代を過ごしました。
これは何ですか?大学1年生です。
初めてのモーターボートでした。
これも手作りです。
高校生になるとスキーに熱中。
国体出場を目指して北海道で合宿をするなど猛練習を重ね、大学時代に見事国体出場を果たしました。
国体は2回出場されたんですね。
33年度と34年度でした。
「アルプスの若大将」でもスキーを披露されていましたね。
また大学時代はバンドを組みギター&ボーカルを担当。
パーティー会場や米軍キャンプなどで歌っていたそうです。
これはまた。
水着ですか?すごい格好で、演奏していますね。
うちの中に体操をする部屋があったのでみんな集まってやったんですけれど、周りがうるさいと言われて窓を閉めていて夏は暑いじゃないですか。
さんざんやったと思ったら、海に入って、水を浴びてシャワーを浴びてまたやろうぜとなってそういう合宿をやっていたんです。
自分の家でやっていたんですね。
海パンの若大将ですね。
これでもかっこいい。
本当にすてき。
まいったな。
大学卒業後はサラリーマンになる予定でしたが突如、就職をやめて俳優の道に進むことを決意されました。
1960年、卒業と同時に映画会社の専属俳優となりデビューをしました。
俳優となった加山さん1961年に主演映画、若大将シリーズが始まると、映画の主題歌を歌い歌手としてもデビュー。
若大将シリーズ第6作目の「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」はレコード売り上げ350万枚を超える大ヒット。
1966年の「紅白歌合戦」に初出場しました。
そのときの映像がこちらです。
♪〜幸せだなあ。
僕は君といるときがいちばん幸せなんだ。
僕は死ぬまで君を離さないぞ。
いいだろう?♪「ふたりを夕やみがつつむこの窓辺に」いやあ、まいったどうしてこうやっていじめるんですか。
そしてプライベートでは1970年に女優・松本めぐみさんと結婚。
4人のお子さんを育て今ではお孫さんもいらっしゃいます。
かわいらしいですね、奥様その後は多くのヒット曲を生み出すシンガーソングライターとしてご活躍は皆さんご存じのとおりです。
ありがとうございました。
去年やったロックフェスです。
そこからことしまで6回ぐらいやってきました。
加山さんは、俳優だけではなくて歌もやっていらっしゃるし趣味の世界も幅広くやっていらっしゃいますけれど、そんな加山さんにぐぐっと迫っていきたいと思います。
クイズで加山さんの魅力に迫っていきたいということです。
第1問です。
実は、加山雄三さんは日本人歌手として、初めて行った、したことがある、ということなんですけれどそれは何だったのか、皆さん一緒にリモコンの準備はよろしいでしょうか。
加山雄三さんが、日本人の歌手として初めてしたことは、何だったかという質問です。
どれもありそうですね。
日本人歌手として初めてしたことですよ。
メールも届いています。
兵庫県の方からです。
加山さん、こんにちは。
加山さんのコンサートは主人と楽しみのデートでもあります
(笑)加山さんを見ている主人の顔は、でれでれです。
私には、そんなことをしたことはありません。
加山さんからパワーをいただき癒やされています。
結構、男性のファンの方も多いんですね。
それはそうでしょう。
本当に多いですね。
半分ぐらい男性かもしれません。
男性が、こういう男性になりたいと思うんですよね。
大人になってもすてきな大人になりたいと思うんですよね。
おもしろいですね。
次のファックスです。
福岡県の方です。
加山さんのファン歴40年。
いつも加山さんから元気をいただいています。
武道館ライブには、27年前加山さんからおやすみなさいと、頭をなでていただいた当時、小学生の娘と一緒に行きました。
去年は大病したのですが、ことしは最高の年となりました。
これからも夢を与えてくださいということです。
よかったですね。
娘さんとか、お孫さんと一緒にライブにお越しになる方がいらっしゃるんですね。
3代という方もいらっしゃいますよ。
おばあちゃんと、お母さんと、娘さんとか。
年齢の幅が広いですよ。
お孫さんというとおばあさんが、のりのりになっている姿を見てびっくりという感じでしょうかね。
そういう光景も、加山さんのコンサートではあるんでしょうね。
ライブではイーエックスシアターというところでやったんですけれど年齢がどんな方が来るのかわれわれも見当がつかないんです。
やるのはロックですよね。
クレイジーケンバンドが一緒なんですよ。
どんな人が来るか。
そうしたら10代から80代までいました。
それが全部、うわあっとなって80代のおばあちゃんものりのりだなと思って、いいねみたいな話になりました。
みんな元気になりますね。
ライブのよさですよ。
その加山さん日本人の歌手として初めてやったのは何でしょうか。
皆さんの答えはこちらです。
いちばん多いのが、ビートルズと共演でした。
その次に多いのがディナーショーでそして、いちばん少なかったのが武道館単独コンサートで1367票でした。
加山さん、答えは何ですか。
いちばん少ないやつだよ。
武道館の単独コンサート。
日本人で初めて。
ビートルズとか、1回やっているんですけれどクラシックのコンサートもやりましたけれど、日本人が単独で、ロックというかコンサートをやったのが加山さんが初めてなんですね。
初めにやらせてくださいと言ったら、とんでもないとあそこは武道をするところなんだと言われてたまたま「南太平洋の若大将」で武道をやってるところがあったんです。
そのときにお客さんは何人も入らなきゃいけなかったので何千人も入れなきゃいけないので、撮影に使わせてくださいと言って一緒にやってるバンドがいるんだけれど音楽を聴いていただきたいのでやってくださいと言ったらだめだと言われたんです。
なぜだめですかと言ったら武道するところだからだと言われたんです、でもビートルズはやったでしょと言って、けんかになってしまったんですけれど、とにかくやらせてくださいと言ってたまたま許してくれて、サービスだったら公演するわけではないということで。
エキストラのお客さんですものね。
それで平気でがんがんロックをやって武道館そのもので大きな音でこうやったのが私が最初です。
1967年昭和42年当時の映像がありますのでご覧いただきましょう皇居の傍らにある日本武道館で加山雄三さん主演の映画「南太平洋の若大将」のロケーションと歌の発表会が開かれました。
1万名を超すエキストラを集めて開かれたこのロケーションは加山さんふんする若大将が日本柔道選手権大会に出場する場面です。
力のこもった演技に続いて今度は、弾厚作の新曲「君のために」を披露。
すばらしいなあ、君のようなすてきな人に会えるなんて、と加山さん独特の例の甘い呼びかけのせりふに会場をうずめたファンは大喜びでした。
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俺も驚いた、僕は見ていないんです。
よくこの映像がありましたね。
さすがNHKさんです。
当時のニュース映像を見ましたら満員ですね。
1万人ぐらいいましたね。
大体、1万人ぐらいだね。
1万人入れるためには、丸くなっていますから全部が3階までいっぱいになって、アリーナ席もいっぱいにしないと入りません。
その場でこのようにさせてくれという話があったということですが、ちゃっかりとバンドもありましたね。
あの時代は前からですね。
バンドでもって、新曲を発売するそれで発表する。
予定どおりなんです。
ところが、そこから先ですよ。
エレキ用のバンドを集めてきてエレキの曲をばんばんやりだした。
お客様は知らなかったんですか。
知らないということでしょうねまさかこんなところでと。
撮影に参加するつもりで。
ラッキーですねこんなラッキーなことはないですよ。
まさに日本初ということで。
最初にして、それから多くのアーティストがコンサートを。
それが夢になって先駆けだったということですね。
すごいです。
加山さんにとっても武道館は思い出深いですか。
ビートルズを見ましたしね。
そのあと、ビートルズに会いまして一緒に飯食ったりして2時間近くですね一緒にいたんですよ、いろいろな話をしましたね。
忘れられないですね、やっぱり最初、おばあちゃんにあんたねビートルズに、会いにいきたいかと言われていや別にいいや、みたいなこと言って帰っちゃったんです。
うちに帰ってからおばあちゃんにビートルズって知っているかって聞いたら知ってるよ、私を誰だと思っているんだいと言われておかっぱの頭の4人組だろうと言われてよく知っているなと言ったら知ってるよ、と怒られて会うかと言われちゃうんだけれども、といったら絶対いきなよ将来のためだと、言われて、やめようと思ったと言ったら怒られてしょうがないから慌てて電話してすみません行きますといったら準備しますと言われて会いに行ったんです。
おばあちゃんに言ってなかったらビートルズに会いに行ってなかったよ。
おばあちゃんさまさまですね。
第2問です。
日本でいち早く始め、あるスポーツのブームの先駆者になりました。
何でもいちばんですね。
新聞記事にもなっています。
どれもありそうですね。
メールをご紹介します。
神奈川県の方からです。
朝からステーキを食べられる加山さんそれもご自分で料理されるそうですね、焼き方とかたれとか何か秘けつあったら教えてくださいということです。
もちろんきょうも自分で焼き肉を作ってそのほかに、冷麺を作ってそれでガーリックライスを作って。
朝から、すごいですね。
朝はめちゃくちゃ食べるんですね僕朝ごはん食べるのはいいと言いますけれどもステーキですか。
お肉を召し上がるんですね。
ステーキも280gのサーロインなんかの場合には油なんかを、のせて焼くときに網焼きにするとかね。
朝はなるべくヒレがいいということで。
お金がかかるじゃないですか。
いただきものだとがんがん食べるけど、俺は好きなんだよな肉が、と言ったら、ファンの人が送ってくれるの。
何気に全国放送でアピールですね。
お元気な方は、朝からお肉を召し上がりますね。
いろいろなステーキがありますね。
お料理もご自身で。
本当においしい肉は塩とこしょうとレモン汁だけで食べるのがおいしい。
東京都の方からです。
加山さんは、お肌がつやつやしていてシワもなくいいですね。
お手入れ法を教えてくださいということです。
お手入れ法。
本当に、誰も信じないのかもしれないけど何にも顔につけるものは1つだけ。
女性がつけるスキンローションあれを塗るだけ。
普通のスキンローションを1種類だけ。
昔あって、塗ってみたらなんとなく気持ちがさっぱりするからって。
塗らないとかぴかぴしちゃうからということで。
お肉も、いい影響があるかもしれませんね。
資質というか、もともとすべてがそういうパワーをお持ちで、選ばれた方ですからね。
比べても、だめなんですよ。
私は毛頭そのつもりはないですけれども。
その加山さん、日本で先駆けとなったブーム、そのスポーツは何かということです。
視聴者の皆さんの答えは多いのはサーフィンです。
海の男のイメージがあるんですね。
その次が、スノーボードですね。
そしてスカイダイビングがいちばん少ないですね。
ピンポンピンポン!日本では、なかったです。
どうやって作ったらいいのかと思ったんですけれども、絶対に日本でも乗れないはずがないサーフィンスタイル、ハワイアンスタイルでどうやって作ればいいかというと昔飛行機を作るときにフレームを作ってたじゃない、そういう感じカヌーを作ったのと一緒。
5ミリのベニヤを削ってそらしたりしてそしていろいろはって中は空洞ですよ。
フィンをつけたりしてね。
ろうも塗ってオエーパーを掛けてというのを繰り返してそして乗ったら頭を突っ込んでしまいましたね。
手作りのサーフボードが新聞にも載っていました。
乗っているシーンが下に載っていますね。
この写真はお父様の上原謙さんが望遠カメラで撮った写真だということですね。
おやりになるのも、すごいですけれども、自分で何でもされるということなんですね、すごいですね。
今から見ると変な格好だよねボード。
デザインはそんな、色を塗るだけでいい。
ボートをやっているから分かるんだけれどももう少し先をとがらせるとかそりを入れるとかさやればよかった。
今見ればそうかもしれませんけど最悪だよ。
よくこんなんで乗ったなという感じです。
第1号ですからすごいですよ。
何にも、そのころはなかった。
日本で要するに腹ばいで持って乗るようなもの板の上に、乗っかったりするからひも付きの板の上にのるようなものはあった、いわゆる完全にパドリングしながら乗っていくハワイスタイルです。
「ハワイの若大将」のときのロケでサーフィンをやっているシーンがありますね。
初めてではないですから。
日本で、さんざんやったあとこれをやっているのは高校時代ですよ。
髪の毛が伸びているから大体高校1年生ぐらいだろうな、この写真は新聞にも載ってしまったんですね。
第3問。
加山さんの長年のご友人80歳で、エベレストの登頂を成功されたプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんです。
50年来の友達の三浦さんです。
初めて加山さんにお会いしたときの印象、第一印象はどんな印象だったかということを皆さん一緒にお考えください。
三浦さんが、加山さんに対してどのような印象を持ったかということですね。
50年前です。
三浦さんが30歳ぐらいだったんですね。
加山さんは20代。
おふくろも全日本選手権に出ていたんですスキーでおふくろの名前がともこ、三浦さんの奥さんの名前もともこ同じだなといってゼッケン番号が1番違いで出て三浦さんのほうが先に滑ろうとしたときにひっくり返ると言ったんですって。
そこから仲よくなったんです。
お母さんおもしろい。
ひどいこと言いますよ。
僕のおふくろのほうが優勝しちゃったんです。
メッセージです。
海外からです、ラッキーです。
バンコクか実家に帰省中にお会いできるなんて小学校5年のときに、「銀座の若大将」を見てからのファンです。
バンコクでコンサートを開催してもらうことが夢です。
タイランドに運んでください。
沖縄ではロックフェスやるけどね。
三浦さんの第一印象はどうだったのか。
視聴者の皆さんの答えです。
いちばん多いのが野生児です。
その次が僅差ですけれども緑の超マイペースです。
そしてロマンチストがいちばん少なかったんですね。
これ、僕知らない。
彼がまだ、スターになる前に慶應の学生だったんですね。
そのころですね…ということで僕がスキーに行ったとき訪ねてそのとき初めてお会いしたんですけど。
そういうチャレンジャーといいますかね。
そういうことで正解は野生児でした。
すげえうれしいです。
今言われた中で、ロマンチストなんて言われたらどうしようかと思った。
どんなロマンチストかお前の顔はって。
超マイペースって失礼だし野生児だったらしゃあないなそんなもんだろうな、とそういう時代だしねということで野生児、うれしいですね。
ありがとうございます。
いちばん最初、ごあいさつしたのを覚えていないんですよ。
いつの間にかそばにいたなと親が先ですからね。
知り合いになった、という感じでそのあと野生児とか言われたことはないので、今初めて聞きましたけど、その三浦さんがね3回エベレストに登頂されているわけですよ。
2回目登頂したときに75歳ですよね、そのときにねエベレストのてっぺんから僕に携帯電話で電話をくれたんですよ。
加山さんですか?っていったので加山ですけどと言ったらどうもどうも三浦です。
三浦さん今エベレストのてっぺんでしょ?と言ったらちょっと下に300m下がったところにいるって。
エベレストでしょと言ったらそうです。
電話が通じるんですね空が近いからよく通じると言ってそんな問題じゃないですと言ったんですけれどもうれしいといったらてっぺんに到達したら加山さんの「海、その愛」という歌を思い出したんですということを言われました。
それを言われて涙が出そうになって三浦さんありがとうございますと言ってうれしいと言ってこんなうれしいことはない山も海も大自然なんだな頑張ってくださいありがとうございますとエベレストの上でねしゃべったんです。
今の時代ですよね。
そこで加山さんを思い出されるというのは感動的ですさらに三浦雄一郎さんに聞いています。
常に加山さんは今やっていることこれは最高のパフォーマンスしますけどその先、さらにその先と…
拍手
新たに挑戦するということをされているということですね。
加山さん、新たな挑戦の構想はありますか?加山⇒もちろん前から構想を持ってまして完全再生可能エネルギーだけで走る船で。
世界を回りたい、それはずいぶん前から計画を立てているんですが燃料の全くいらない船です。
太陽電池や風力ですね。
燃料電池などを考えています。
第3段階のところ、設計に入っているんですけどいわゆる単なるヨット、遊びのものではなくて再生ができるというのは、災害救助船になるということです。
それを3.11のときに考えたんです。
救助できたらいいなとどんどんアイデアが浮かんできて相当膨らんでいるんですがよしそれでもってそういう気持ちを持って海を回るには三浦さんは7つの山、最高峰に登っているが、よし僕も向こうが山なら僕は海だということでNHKの番組で生で話しちゃったんです。
引っ込みがつきませんよ。
すばらしい。
3年後ですね。
2年ぐらいたってそのあと走って練習して風速90mの台風でも走れるようにしてできるということが分かれば、世界に、何もなくても生活ができるということが保証できるということになればそこからいろいろスタートできるというのは重要です。
植物プラントを作って毎日収穫できるようにしてLEDでもって4種類の味が作れるというものがありますからね。
冷凍装置もすごいんですよ。
今ね3年前に生きていたものをぴしっと真空パックにしてすると解凍してもとれたてのときと変わらない。
そういうことができるようになったので、その中で生活できる水は200トン作ることができる。
電気もたくさん作ることができる。
毎日毎日供給できるじゃないですか。
そういうことを考えると災害救助船になるかなと思います。
挑戦ですね、実現に向けて応援したいと思います、楽しみです。
80歳で世界一周、船でということですね。
言うのは訳ないけどやるのは大変だ。
質問とメッセージが届いています。
神奈川県の方からです。
加山さんの地元、茅ヶ崎市の大学3年生です。
先月社会福祉施設で介護体験を体験しました。
「君といつまでも」を利用者の方と歌ってとても喜ばれました。
歌をうまく歌う秘けつはありますか?心を込めて歌えばいい。
うまく聞かせようと思えば思うほどだめになる。
おっしゃるとおりです。
徳之島の方からです。
何でもできる加山さん、今までやってみてできなくて挫折したことありますか?相撲だな。
相撲。
柔道までやっているので相撲もやろうと思ったけど、やっぱり相撲はどうも腹が出てこなくて負けるなって。
ある程度大きくないとですね。
それで諦めました。
メッセージも届いています。
茨城県の方からです。
1960年生まれの私、小学校のころから若大将に憧れ大学では水産学部へ、スキューバダイビング。
大型オートバイ、スキー、テニス船舶免許を取得。
今は自宅療養中です私も喜寿をお迎えるまで体を動かして頑張りますということです。
京都府の20代の方です。
先日の武道館両親と見に行きました。
楽しそうな両親の顔が見られてうれしかったです。
若大将めちゃくちゃかっこよかったですといただいています。
東京の方からです。
私は40代です。
カラオケのおはこは「君といつまでも」です。
とても、すてきです。
ありがとう。
2014/09/18(木) 13:05〜13:53
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 加山雄三[字][双]
77歳の武道館ライブ! 永遠の若大将のヒミツ ゲスト:加山雄三 司会:伊藤雄彦アナ、戸田恵子
詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】加山雄三,【司会】伊藤雄彦,戸田恵子
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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