建設費については今後、国や鉄道事業者と協議するとともにカジノ
(黒柳)こちらは今日のお客様が16歳の時にお亡くなりになったお母様のお写真です。
今日のお客様は俳優の黒沢年雄さんですがなんと去年だけで5回もがんの手術をお受けになったんですがなんと本当に早くそういうことをなさるとお元気なんですね。
何でもないということで既にこういうふうにお元気ということで楽しみにしております。
黒沢年雄さんです。
まあどうも…。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
もう感謝してます。
心配してくれたそうで。
ありがとうございます。
心配しましたよ。
だってあなたがんになったっていうから…。
黒柳徹子でございますけどこちらお客様黒沢年雄さん。
映画俳優でいらっしゃいまして…俳優でもいらっしゃいまして歌ももう大ヒットで『ベストテン』でも何回もいらしたりしたんですけども。
何ていったってがんなさったってこの前の時ね。
この前の時はほら抗がん剤で毛が抜けたってほらそのあとで…。
いや抗がん剤は飲んだことないんですよ。
えっ?ないの?一度も抗がん剤飲んだことないんですけどたまたま坊主にしたら抗がん剤を飲んだと思われただけで。
あっそうでしょう。
はい。
あなたいつも毛糸の帽子をかぶってらしたからそれは抗がん剤で毛糸の帽子をかぶってるんだと思われるから私おやめになったら?って…。
いやいやいや…。
やっぱりイメージチェンジっていうものが…。
いいですよ。
私帽子がないほうがいいって言った…。
いつもこんな感じだったのね。
でも私そうじゃないほうがねいいって言ったの。
そう言われたから今日白くしてきた。
よかった。
私はとっても素敵だなと…このほうが素敵だなと思うんだけど。
でも帽子をかぶってほしいっていう方も多いんですって?結構投書が多いんですよ。
えー。
どういうのでしょうね?やっぱりね。
これやっぱり奥さんがお父さんに「ああいう黒沢さんみたいな帽子かぶったほうがいいよ」って…。
結構投書があるんですよ。
あっそうなの?はい。
じゃあたまにはおかぶりになります?はいかぶります。
そうですか。
でも今日はかぶらないでいらしてくだすったんでよかったんですけど。
それにしてもまあ何としてもですねがんを前にもやってらっしゃるんですよ。
でも去年だけで5回も手術なさったっていうんでそれでこれだけお元気っていうことはやっぱり早く見つけるっていうことがやっぱりいいっていうことよね。
早期発見早期治療ですね。
お歳がちょうど古希?70です。
ねっ。
よくもってますよね。
うん。
本当本当。
だから僕は自分でいつも思うんですけれども正直言って変な…家庭環境もあんまりよくないしそれから勉強もできるほうじゃないし才能もそんなにないのに皆さんのおかげでやっぱり有名にしてもらって50年以上もこの世界で食べさせてもらえるっていうことは本当に感謝してますね。
本当そうですね。
だからがんの5回や10回は何でもないですね。
すごいでしょ。
がんの5回や10回って…怖いんですけど。
でもとにかく最初は何ていったって大腸がんだったんですね。
この時はやっぱりショックだったってね。
これはもう皆さんと同じように最初の…やっぱり宣告っていうのは非常にショックですよね。
48歳ですけど。
あれからもう20年経ちましたけれども…。
そうね。
1992年っていうことは。
はい。
だからその時のがんがやっぱりすごく僕にとって財産になりましたね。
人生の勉強にもなったし。
でもその時は奥様やなんかには「いや大したことない」とか仰りながら自分の部屋に行ってわんわん泣いたっていうのはそう?その時。
そうですね。
5分ぐらい号泣しましたかね。
だけど立ち上がりが早いんですよ僕。
あっそうなの?はい。
30分後には普通の人に戻りましたね。
本当に。
でも48歳でもしかしたら死ぬかもしれないっていうふうに思っちゃったりするじゃないですか。
そうなんですそうなんです。
そう思いました。
48ですものねその時ね。
はい。
家は建てたばっかりでしょ。
まだ娘も中学生でしょ。
それでまあ…これは将来まずいな。
ローンがたくさん残ってるじゃないですか。
あららら…。
そういうことがあるのね。
どうしようかなと思って…。
そのショックはやっぱりきつかったですね。
その時はとにかく開腹手術をあそばしまして抗がん剤はやらなかったんだけどおなかを切って…。
がんをなさったということでその辺りから毛糸の帽子をかぶってらしたのでみんなが抗がん剤かと思っちゃったんです。
ああそうか。
それもあったと思いますよね。
ただ薄かっただけなんですよ。
毛が?髪の毛が薄くてパーマをかけててそういう自分がとっても嫌だったんです。
だからなんか自分をイメージチェンジしたいなと思ってやっぱり自分を全部さらけ出してやろうとそう思ったんですよ。
その次が膀胱がん…。
そのあとがつい何年前かに膀胱がん。
そうですね2008年。
それで去年が食道がんにそれから胃がんが2回と。
すごいですよね。
あなたそんな…それは何?病院にしょっちゅういらっしゃるからすぐわかるの?やっぱりどうなんですかね?タイミングと運と…。
うーん…やっぱり一つの人生のこう何ていうのかな?何かあるんでしょうね。
これ面白いものでね徹子さんね僕自分の人生を振り返ると苦しいとかつらいとか悲しいとかっていうのを喜んでどっぷりつかってクリアするとそれがすごい楽しい思い出として返ってくるんですよね。
すごいですね。
ええ。
これはね僕ねすごく不思議なことでやっぱり普通避けて通るじゃないですか。
僕はどっぷりつかるんですよ。
だって僕生まれた時死産ですから。
駄目だったんですか?ええ。
もうあの…生まれてきた時にへその緒が全身にかぶってて息をしてなくてお産婆さんが熱いお湯と冷たいお湯で…おふくろに聞いた話ですよ。
刺激して…逆さにしてやった時オギャーと言わなかったそうです5〜6分。
それで最初の子供なのでおふくろが「もう少しお願いします」って言ったらしばらくしてオギャーオギャーって。
それで3歳の時に栄養失調でもう医者に見放されて…。
でもあれでしょ。
あなた戦後の子じゃ…。
戦争中ですから。
あっ戦争中だったの?戦争中に生まれて戦後ですから。
だから栄養失調にもなるわねそれね。
はい。
それから崖から落っこったりプラットホームから落っこったりオートバイで…もう色んな…何度も死に損なってるんですよ。
不思議ですね僕の人生は。
ねえ。
それなのにすごくお元気。
とにかくそのがんの話は早く済ませちゃうとあなたは大腸がんでわあわあ泣いたんだけどそれでもやっちゃおうと思ってばっとやって。
その時も割と手術してすぐお部屋から歩いていったってそれは本当なんですか?その日に。
管がいっぱい通ってますよね。
それで自分で一生懸命立ち上がって。
点滴持って。
看護婦さんが2人ついて。
ばーっと歩いて。
その時集中治療室の看護婦さんが全員出てきましたね。
「わああの人もう立ったわ!」って言って。
へえー。
そういうのうれしいの?みんなからそういうふうに言われると。
すごくうれしいんです僕。
可愛い。
僕人に褒められたり何か助けられたりするとすごい感動するたちなんですよ。
うれしい…。
それでうれしくて病室まで800メートル歩いて。
それで地方だったから僕が入院してるっていうのを知ってるから人が寄ってきますよね。
そうするとみんながすごいすごいすごいすごい言うんですよ。
「わああの人すごいわね歩いてるわ!」って。
そういう話を聞くと余計に僕自信を持つっていうかええ格好しいですから。
それで病室まで…。
まあそういうことがありまして。
でもそのあとお元気でいらしたんですけども去年なんと食道がんを3回。
2個取って。
それで3か月に1回行くんですけれどもそしたらまた見つかってまた取って。
その時に胃のポリープが見つかった…。
だから僕は特に去年は連続でやりましたから普通の人から見たらショックなんでしょうけれども僕の場合はやっぱりこう何ていうのかな?自分でもう…家族のことも何のことも全部もう…。
これがちょっと話変わるんですけど黒沢さんの奥様がまあそれはお奇麗な方で。
今でもモデルやってらっしゃるんですってね。
はい。
とてもその年代の方たちにもカリスマ的な人気がおありって…ちょっとお写真。
どうです?皆様。
お奇麗ですよ。
これ現在の写真なんですってね。
はい。
お奇麗ね。
性格もいいですよ。
性格もいい?フフフ…。
それはあなたと一緒にねいらっしゃるんですからね本当にそうだと思いますよ。
でも本当に日本の方で…。
何ていうの?純粋な日本の方なんですってね。
純粋な日本人なんですけど一応芸名が街田リーヌっていうんですけどはい。
まあでもお奇麗だと思いますよ。
でもこういう…。
元々ピエール・カルダンのショーなんかでモデルやってらしたのね。
そうなんです。
であなたフランスでピエール・カルダンのショーに出てる彼女を見てナンパしたんでしょ?ああそうです。
本当なの?それ。
ねえ。
本当です。
2人いたんですよ。
僕一人でよく海外旅行行ってましたから若い頃。
たまたまクリスチャン・ディオールの店に日本語を喋る女性がいたので話しかけて「食事しませんか?」って言って。
そして断られたんですけどあんまり奇麗なので住所と名前と電話番号を渡して日本に帰ったら必ず電話くださいって…。
それがこの方だったんですか?はい。
でもまあモデルでいらっしゃいまして向こうでピエール・カルダンのショーなんかにも出てらっしゃるような方だったんですけどその方が奥様で。
少し甘えてくださればいいのにと奥様がお思いになるぐらいあなたはちゃんちゃん自分のことはもう自分でちゃんちゃんなさるんですって?そうなんです。
なんで知ってるんですか?そりゃもう方方から…。
そうなんです。
お噂は。
自分のことは全部自分でやる。
食事もちゃんと…作ってくれたら全部僕が洗ってあげるの。
あっそう。
お優しい。
一緒に生活してるんだから当然だと思います。
そりゃそうですよね。
お嬢様がいらっしゃってそのお嬢様は黒沢レイラさんと仰いましていつかご一緒にね出ていただきましてね。
あとでちょっとVTRをお目にかけますけども…お嬢様もいらっしゃるんですけども。
何といってもあなたの…一番最初に申し上げたようにお母様が16歳の時にお亡くなりになった?そうですね。
やっぱりおふくろが亡くなったことで僕はすごく人生を強く生きられるっていうのかな?おふくろの最後の言葉がちょっと強烈でしたね。
何て?あのね忘れもしませんけどね横浜の本牧のね小さな病院だったんですよ。
でもう今日亡くなるか明日亡くなるかっていう時にね病室に小さな部屋に…。
兄弟が多いんでしょ?あなた。
下に3人いるんですけど。
それで全員出てくれっておふくろがなんかやったらしいんですよ。
最後に僕だけ残されたの。
そしたらおふくろが僕の目をじいっと見てねひと言「年男頼むよ」って言ったんですよ。
これはねもういまだに駄目ですね。
「年男頼むよ」って。
それは弟さんのこととかそういうことでしょうねきっとね。
だってあなたが16歳だから他の人はもっとちっちゃかったわけですからね弟さんたちはね。
141210歳なんですよ。
これはねいまだにね講演やっててもねこの話出てくるとね涙が出てしょうがないんですよ。
すげえ可哀想でね。
そうですよね。
だって当時は冷蔵庫も洗濯機もないでしょ?それでもう…洗濯板で洗ったりね。
ええそうですよねお母様ね。
ガスもないし。
それで何の喜びも知らないでこの世を去っちゃったから本当に可哀想でね。
そうですってね。
だからお母様の写真はいつもポケットに入れて持ってらっしゃるって。
色んなとこ連れてってあげてるの。
ヨーロッパとかねアメリカとかね。
今日も持ってる?いい?見せていただいて…。
はい。
さっきのお写真と同じお母様ですよね。
お母様のお写真はこういうふうにお持ちになって。
いつもポケットに入れて。
それですごくいい外国なんかにいらっしゃって景色のいいところにいるとお母さんに見せてあげようと思うんですって?「来たよ来たよほら奇麗だろ」って見せて。
可愛いね。
お母様喜んでらっしゃるでしょうねきっとね。
僕はもう墓参りは欠かしませんからね。
へえー。
もう1か月に最低1回。
遠くないの?横浜なんですけれども。
ですからもう年に何回行きますかね?20回近く行くと思います。
色んな話しに行くんですよ。
こうなったよとか今こうだよとかね。
また病気になっちゃったとかね。
頑張るからねとか。
でもあなたがこんながんに何回も何回もおなりになってもこうやって元気でお仕事に戻れるのはどうもお母様が守ってくださるような気がするんですって?とっても。
いや僕はね…。
僕宗教に帰依してないんですけれども僕はおふくろは神様だと思ってますから。
なるほどね。
はい。
しかも頼むよってお母様が仰ったんだから。
これはきつかったですね。
今でも忘れませんよ。
死ぬ最後の言葉ですから。
その翌日に亡くなったわけですから。
でも亡くなるまで人間っていうのはそんなに頭が明せきなものなんですね。
ねえ。
びっくりしますね。
お若いのにね。
お母様おいくつだったんですか?40歳です。
うわー…。
40になったばっかりですよね。
30代ですからね。
3940でしょ。
僕16。
弟141210歳。
それはもう大変だったですね。
あなたも大変でしたね。
その子供たちの面倒を見るのが。
だからそこが…僕大変だったんだけど大変なのを楽しんできたような気がするんですよ。
それが今日の僕を支えてるような気がするんですよ。
病気もそう。
でも野球選手になりたいとか色んな夢がおありだったんでしょ?そうなんです。
僕は最初はもう野球の選手になりたくてねおふくろがね夜中の2時3時まで内職してねミシン踏んでたんですよ。
カタカタカタカタってね。
それで僕にユニホーム買ってくれたりね。
それからもう野球野球野球でもう野球しかなかったですから。
それはつらかったですよ当時の野球の練習は。
水飲んじゃいけないでしょ。
だから熱中症で僕2回ぐらい病院に運ばれましたしね。
本当に?その頃のやっぱりこう…どうやったら水飲んでいいかって…。
今新横浜のあの辺にグラウンドがあった。
田んぼの水を飲みましたから。
そういうのはものすごいいい経験になりましたね。
でも野球選手にはおなりにならない。
えっと…おふくろが亡くなっちゃったんで16歳で。
ああそう。
で高校野球に入ってもううわーって18人の枠に入れてよし!俺はプロを目指そうと思った頃におふくろが病院に通うようになってそれで亡くなっちゃったんで。
じゃあさっきのあのいい…何ていうんですか?学生服っていうんですか?あなたの。
あれはもうねボタンも何もないですよね。
おふくろ亡くなった後ですから。
荒れてましたね人生。
だからちょっとなんか崩れてますよね。
もう人生すごく荒れましたねあの頃は。
お母様ずっと内職して色々してくださったそうですけど今でも時々…何の音がする?ミシンの音がする?自分がねなんか犯罪を犯しそうになると…。
あっ若い時ね?若い時。
これ以上やったら大変だと思う時におふくろのミシンの音がねカタカタカタカタ…「年男年男頼むよ」って出てくるんですよ。
あらー…。
この時ですね。
こんな頃ね。
このあとですね。
このあと僕学校辞めちゃいましたから。
辞めちゃったんですか?辞めちゃったけど有名になってから「本校卒業生黒沢年男」って書いてありますから。
そうですよね。
有名になるとね。
有名になったらパンフレットに載ってるんですよ。
「先生!学校僕卒業してない。
退学だよ」って言ったら「いい。
卒業だお前は」って。
フフフ…。
まあそういうことはよくあるんですよ。
この間ALFEEも3人とも卒業になってるって言ってましたからね。
まあそういうことある。
でお嬢様…突然話違いますけど黒沢レイラと仰る奇麗なお嬢様いらして『世界ふしぎ発見!』にもお出になったんですけど。
そのお嬢様とこちらで一緒に出てくださって色んなお話ちょっと伺った時…。
そのVTRをちょっとご覧いただいていいですか?皆様にもお目にかけたいんで…。
「お父様にですねお嬢様この頃顔が似てきたような気がするんですって?なんか」
(レイラ)「みんなに…会う人みんなにもう“お父さんそっくりだね”って言われちゃうんですよ」「父も…“妻に似ればよかったのにな”って言うんで…ねえ」「口の周りがそっくりだなって思います」「でもボーイフレンドなんてものすごく心配だと思うんですけどそのことについてお父様は?」「ボーイフレンドとかなんとかっていうよりもねある程度の歳へきたら心配だけど心配してもしょうがないかなっていうのはありますね」「でもあれですってねあなた一度お家にお連れになったんですって?」「そしたら自分の若い頃の20歳ぐらいの頃の写真をいっぱい持ってきて“どうだ?どうだ?”って。
その私の…いわゆるボーイフレンドですか…に見せるんですよ」「こんな感じ」
(レイラ)「そうこういう写真をいっぱい持ってきましたね」「そうでしょうこういうのね」「お洋服も全部こんな感じで」「満足してましたね」「それで駄目になっちゃった?」「その後どうなったんです?その方とは」「もう家に来ないですね」「ハハハ…」ところがこのお嬢様がこの間結婚をなさって。
そうなんですよ。
この子が本当にいい子でね。
いい女性に育ってくれましたね。
そうですってね。
すごい根性があるんですよ一人でアメリカ行って。
それは悲しかった苦しかったと思うんですよ。
それでハリウッドを目指して。
一人でですよ。
ええ。
すごいすごい。
もうすごいですねこの子は強くて。
お父様の血を引いてらっしゃる。
すごくいい方と結婚をなすったんですよねこれが。
おかげさまでとっても性格のいいね…。
この左側の方が…。
去年…おととしかな?結婚式したんですけどロサンゼルスで。
ハリウッドの高級ホテルの支配人してらっしゃる方。
一番右が奥様お奇麗な。
まあそういうふうな野外結婚式なすったんですってね?これ。
自分でプロデュースして。
自分で全部プロデュースですよ。
へえーロサンゼルスで?はい。
ロサンゼルスの郊外なんですけれども。
ただお嬢様二世タレントって言われたくないっていう気持ちは随分強かったんですって?強かったですね。
親に面倒を見てもらいたくないっていうのがどこかにあったみたいですね。
いいチャンスだったんですけどね。
あれ男だったら本当成功してますよ。
すごくねできた子ですね。
あっそう。
ちょっといやらしいですけど自分の子供を褒めるの。
だって本当にいい子なんだもん。
日本の場合奥さん褒めるといやらしい。
子供褒めるといやらしいになる。
いい子だからいい子だって言ってなんでいけないの…。
すごくいい子です。
でもまあそれでいい方と結婚をなさってお幸せ?幸せ…。
あら。
これお父様とご一緒に?はい。
へえー。
強い子ですねこの子は。
でもすごいですよね。
強くてそれで結婚なさって。
こないだうち日本にちょっといらしたりしたんですって?やっぱり1年に2回ぐらいね来てくれますね。
そうですか。
でも本当にご自分でお思いになるとそんな俳優として顔がいいわけでもない頭がいいわけでもない何がいいわけでもないのにこれだけ長くやれたっていうことは本当にラッキーって。
ものすごいラッキーですね。
これ皆さんのおかげだと思ってます。
みんなが応援してくれたりレコードを買ってくれたり映画を見てくれたりするからね僕があるわけじゃないですか。
だってこんな男がね200本近いテレビと映画の主役作品があるんですから。
すごいですよね。
考えてみればすごいですよねこんな男が。
こんなかどうかわからないけどいい男だとは思いますけど。
いやいやいやいや…。
自分で見てもね全然よくないですね。
ただやっぱり僕が思うにはやっぱり何ていうんだろうな…前しか向いてませんから僕。
そうそう。
今でも夢見てますから。
芸能界を変えてあげるぐらいの。
あっそうなの?そうならないと思うんだけど常に目標を持ってないとなんかこう…生きるのがつまらないじゃないですか。
それから『ベストテン』であなたの歌が入ってきたのすごかったですよね。
そうですよ。
『時には娼婦のように』でしたっけ?はい。
あの歌はヒットしましたね。
いやーもう街の中歩いてるとあっちこっちからね…今はないですけどパチンコ屋さんとかねラジオから流れてくるんですよ。
うわー俺すげえなすげえなってものすごく気持ちよかったですね。
可愛いわね。
うれしかった?うれしかったうれしかった。
『ベストテン』はしょっちゅういらっしゃいましてね本当に何回もねその時は。
歌手でもいらしたんだわって私も思ってびっくりしましたね。
普通ヒット曲なんかそんな持てませんよ。
僕2曲もあるんですから。
『やすらぎ』と…。
20万枚クラスっていっぱいあるんですよ。
本当は若い…もっと新人の人やなんかだったら20万だったら…。
大ヒットですよ!うん。
そりゃ大ヒットですよ当時だったら。
でもあなただから20万じゃ…。
10万なんてもうざらですから出すたんびに10万ぐらいいくんですから…。
だからみんな喜ばない?全然話題にもしてくれない。
『時には娼婦のように』はもう随分売れました?すごかったですね。
でもあの頃は毎週いらっしゃいましたね。
いやーもう気持ちよかったですね。
「今週のベストテン黒沢年男」って言われるたびにあー俺もこういう仲間に入れたっていってねすごいうれしかった…。
弟さんもでも歌手として?はい。
弟も僕が断った曲で大ヒットしましたね。
フフフ…。
なんていうことを。
あれは佐々木勉さんという人が我々の仲間で。
『3年目の浮気』っていうのを作ったんですよ。
それでディレクターに…。
結婚して僕が。
彼女と結婚して3年目だからちょうど黒沢さんをイメージ…『3年目の浮気』っていう曲作ったから歌ってくれっていって。
その頃は僕はちょっと有頂天になってたから「こんなもの歌えるかよ!」って断った。
でどういうわけか回って回って弟が歌った。
大ヒットした。
損した。
でもいいじゃないですか。
弟さんがヒットしたんですから。
あの時本当弟さんも…弟さんお名前何でしたっけ?黒沢博です。
博さん。
博さんも大ヒットなさいまして。
そうですねよかったですね。
今がんになって色々苦しんでいらっしゃる方も多いと思いますけど。
あなたの場合はねいつも早く早く見つけたから。
初めは早くなかったんですけどそのあとからね早く見つけてよくなったんですけど。
何かそういう今病気の方に何か仰ることあります?がんって宣告されて亡くなる方が結構いらっしゃるらしいんですよ。
自殺。
あっそう。
全然心配ないですから。
要するに僕が思うのにがんも風邪と同じでできものだと思ってほしいんですよ。
それとですねやっぱりね駄目かな駄目かなと思うと駄目ですね。
もうこれは絶対大丈夫。
俺は人生生きたからには一生懸命生きるんだと。
楽しんで生きるんだと思ってるとがんも消えますね。
やっぱりそう?僕すごく…医療関係の人と先生とも話すんだけど先生たちが僕のことを驚いてますから。
それなぜかっていうとやっぱりね僕が思うのには自己治癒力っていうのがあるんですよ。
お医者さんにはね治す限度があるんですよ。
ここまではできるけどそれ以上の精神的なものっていうのは教えられないじゃないですか。
絶対にその考え方一つでいいほうにいくんですよ。
駄目な時にはもうすっきり諦めるけど。
だけどずーっと自分で楽しんで人生を生きて一生懸命生きてるから後悔がないんですよ。
僕みたいなこんな男がみんなのおかげでここまでこれて大変素晴らしい充実した人生を送ってるじゃないですか。
有名な森繁久彌さんとか勝新太郎さんとか美空ひばりさんとみんなと共演できてるわけだから。
そんなことあり得ないことなの僕は。
あの奇麗な奥様がいらっしゃって。
あっありがとうございます。
フフフッ。
これも出会いですね。
そうですよね。
だから絶対心配することないですね。
そうですね。
それから笑うこともとっても…。
1日1回大きな声で笑うんですよ。
それも恥ずかしかったら車の中で…。
僕必ず車の中でハハハ…!って笑うんですよ。
大きい声ですね。
大きい声で笑わなきゃ駄目。
感謝するっていうこと。
つらいことがあったらそれにどっぷりつかって楽しむ。
本当によかったです色々ね。
ありがとうございました。
続いては上沼恵美子さんの『おしゃべりクッキング』です。
2014/09/18(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 黒沢年雄[解][字]
〜昨年だけでがんの手術を5回も…黒沢流がん克服法とは?〜黒沢年雄さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
今年、古希を迎えた俳優・黒沢年雄さんが登場。
◇番組内容
20年前に大腸がん、その後は膀胱がんも見つかり、昨年は食道がん3回と胃がん2回の手術を受けた黒沢さん。今では「ちょっとオデキをとる感覚」で手術に臨むようになったという。それだけ多くのがんを克服してきたのは、16歳の時に黒沢さんをはじめ4人の子どもたちを残してがんで亡くなった母のお陰だと語る。死の直前に「年雄、頼むよ…」と言い遺していった。その言葉は未だに黒沢さんの中に残っていると明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
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バラエティ – トークバラエティ
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