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2014年10月 4日 (土)

批判ということ

私は松本さんのファンである限りにおいては、もしくは自分である限りにおいてはある程度批判に晒されるのも仕方のないことだと思っています。

彼は時々表現が人によってはきつく感じられる時もあると思うし、時には生意気だと思われる様なことも言う。

誤解されることも少なくはないというのは百も承知でファンをやっています。

自分自身においては私は完全な人間ではないし、理想的なファンでも人間でもない。

立派なことも言えないし、書くこともできません。

だけど。。

たとえばセトリがマンネリ。

コンサートで同じ曲目が並ぶことに対してそういう意見が出る。

あるいは批判が出るのはある程度仕方のない部分もあると思う。

たとえばそれは今なら、実際にコンサートでその曲を体験する人数と、それをDVDで鑑賞する人間の間では相当数の開きもあると思うし、コンサートでそれを初めて経験すれば改めてその良さを実感できる人数も今は多いのだと思うし、DVDでいつも見ていればまた同じ、そう思う人がそれより多くいても不思議ではないと思いますし、ある意味今嵐が抱えている悩みでもあるのだと思っています。

だからセトリ批判というものが起こることがあっても、それで紺隊長である松本さんがそのことで批判を受けることもないことではない、と思っています。(これはつまり批判に同意する。そういう意味ではありません。)

自分がその批判に対して怒りを覚えるのは昨夜の記事にも書きましたが、たとえばそれが松本さんのドラマの主題歌であるから、松本さんの自己満足のためにセトリに必ず組み入れてるからだとか、そのファンである自分たちも”松本さんの曲が入ることが当然と思っている”ずんクンの曲だから当然でしょ?みたいに思ってる”

そのように中傷されること。

私は彼は純粋にコンサートの曲をその時々のテーマであったり、そのコンサートの流れだったりを考えながら作っているのだと思っています。

”誰の曲”だからどう。。ということではないと思う。

さらに言えばコンサートは彼1人で作っているものではないと思うし必ずチーム嵐の合意、あるいは総意のもとで制作されて初めて世に出るものだと思う。

だからこそ●●くんの曲がないのはおかしい、挙句の果てに嫌がらせくらいに書かれているのは非常に残念に思うし、これは誰々の曲みたいに言うメンバーがいればそれは違うと思うし、そのためにそういう言い分をしたメンバーのファンが結局はそういう批判をする流れに今はなっていると私はとらえています。

私が不信を抱いたのはその点。

嵐の曲は嵐。あるいはチーム嵐の作品である。

ここをきちんと揺るがないものとして提示することが私はグループのリーダーの役割だと思う。

そこに誰のドラマの主題歌であるからといってそこに私物化の余地はないと思う。

なのでそのあたりの言動、もしくは思考。そこは正さなければ本来のコンサートを楽しむということからはずれた解釈が横行するのではないか。

私が危惧して伝えたかったのはその点です。

作品をどう解釈するかについては各人の自由だと思いますが、作品が誰のものか。そこは一線を引くべきところでしょう。

これは今個人活動が多くなっているグループのアーティストとしては一見些細なことに見えたとしても重要なこと。

だからあえて自分は”同じことをしている” 

そう言われても踏み込んで行きたかった点です。

ライブは嵐の大事な生命線。

守るべきは守る。

何が最低ライン守るべき言動のルールなのか?それを考えることもグループのファンとしては私は重要なことだと思います。

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