100分de名著 般若心経 第3回「“無”が教えるやさしさ」 2014.09.17

「やがて来る未来には天国も地獄も無い」と歌った20世紀の伝説ジョン・レノン。
そしてITの世界に革命を起こしたスティーブ・ジョブズ。
2人は共に「般若心経」を心の支えにしていたと言われています。
実は「般若心経」は英語圏でも「HeartSutra」「心の経典」として根強い人気を集めています。
人気の鍵は繰り返される「無」の文字。
「般若心経」第3回は「無が教えるやさしさ」と題して全ての固定観念を「無」と捉える革新的な思想へとご案内します。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…「般若心経」について考えた事今までなかったんですけどこの番組で取り上げて周りの人にちょっと「今『般若心経』についての番組やってんだけど」って聞いたりすると意外にそういう印象じゃなかった人がポケット版のちっちゃいの持ってたりとかそれからちゃんと唱えられたりして。
確かに意外にいますよね。
そう見えない人がパーッとそらんじられたりって。
ちょっと悔しいんで今日更に勉強してそいつを負かしたい。
これがもう煩悩な感じもするけど。
今回第3回のテーマは「無が教えるやさしさ」です。
僕いろいろ教わるまでは「空」というのは「空っぽ」の「空」で何も無い事を「空」なのかと思い込んでて話聞いたら全く違うじゃないですか。
今度は「無い」という字来ますんで「無い」はどういう事だろうと。
実はこの「般若心経」には21回も「無」という漢字が出てくるんですね。
それはなぜなのか解明していきます。
お願いします。
指南役の先生をご紹介します。
花園大学教授の佐々木閑さんです。
(一同)よろしくお願いします。
先生3回目の今夜はテーマが「無」という事ですが具体的にどういう事を学んでいくんでしょうか。
「般若心経」で前回は「空」という事をお話しましたが今回はその続きですね。
これを見て頂くと分かるとおりこの「無」という字がたくさん出てきます。
これは全体的に言いますと我々の固定した観念を一度リセットして元に戻して新しく考え直しましょうというそういう教えなんですがそれについて今回は細かくきちっとご説明していこうと思っております。
ではその「無」の響きに注目しながらお坊さんの読経で「般若心経」の世界に入っていきましょう。
確かに「無」はいっぱい出てきましたね。
「あれもこれも無い」と言っているのかなという感じがしたんですけれども具体的に何が無いと言ってるんでしょうか。
「是故空中無色」ですから「この故に空の中に色は無い」と言ってます。
この「空の中に」というのは前回お話をしました「空」という立場から見ればという事なんですね。
「空」の立場から見れば私たちが「これは物質です」「これは物質でありません」というふうに区別をしていくその区分けというものが実は私たちが勝手に作っているものであって区分けなんていうものはありませんという意味なんです。
区分けが無いという「色」か「色でない」かという境界線は無いという事なんですね。
そのあとにこの「色」を受けまして「受想行識」も「無」だとこれは前回…。
「五蘊」の中の4つで人間の心の働きを示す4つでしたよね。
そうです。
私たちは五蘊で出来ているんだというその区分けの観念も考え方も無いと言ってるんです。
なるほど。
その続きもいきましょうか。
これ「眼」ですね。
読み方は「げん」と読むんですね。
仏教読みで読んでいきますね。
「眼耳鼻舌身意」です。
そしてそれに続いて「色声香味触法」。
この「眼耳鼻舌身意」というのは私たちの感覚器官物事を認識する物質を指します。
「色声香味触法」はこの認識器官によって認識される対象の世界です。
見事にペアになってますね。
「眼」において「色」だったり「耳」において「声」だったり。
実はこの2行で世界の全部なんです。
ちょっと分かりにくいのはここの「身」というのは触覚器官の事を指します。
ツルツルしてるとか熱いとかそういう感触。
心が認識する対象の事を「法」といいます。
例えば昨日会った人の顔とか壁の向こうの見えないものを想像するとか心だって何かいろいろなものを捉えて認識するでしょ?それが全部この「法」の中に入ってきます。
しかしその2行でかなりありとあらゆるものを無いって。
どうしてね「般若心経」ではそこまで徹底してこんなにたくさんの「無」という漢字を使ってその区分は無いんだよというのを言わなければいけないんですか?そのためにはお釈様はまず作った枠組みを一旦崩してそしてプレーンな状態にして誰にでも当てはまるような形にもう一度持っていく。
考えてみると現代の私たちもいろいろな規則とかこれはこういうもんだよねとかこれはこうしなきゃいけないよねというのに割と囚われている感じはありますよね。
どうやってその囚われから我々を自分自身を解放するかという事を「般若心経」は私たちに短い言葉で教えてくれるという事ですね。

(「IMAGINE」)ジョン・レノンの「IMAGINE」ですよね。
お好きなんですか?好きだねこのピースな世界観。
何かさこれ「般若心経」と通じる感じがするんだよね。
「天国も地獄も国境も無い」。
前提になってる常識を悠々超えてる感じがさ…。
いつ「般若心経」に出会ったんですか?昔海外でバリバリ働いてたんだけど行き詰まっちゃってさ。
その時に出会ったのがこの「般若心経」のペーパーバック。
英語に訳すとこうなるんだよね。
「NoNo」ってシャウトし続ける感じがロックじゃない?これ読んだ時すっげえ爽快な気分だった。
すごい体験されてるんですね。
老いや死を苦しみだと決めつけるから苦しくなる。
若けりゃ幸せかってそんな事ない。
老いるに従ってどんどん心は軽くなってく。
それが俺は楽しみだね。
海外でもああいうふうに愛されてるんですね。
タイトルは「HeartSutra」というんですね。
「心臓のお経」「心のお経」という意味で英語圏でもものすごい人気がありますね。
どうしてこの英語圏でも「般若心経」こんなに支持されるんでしょうか?この「HeartSutra」は「NONO」と言って呼びかける。
そうするとなるほど今自分が持っているこの枠組みはひょっとしたら間違っているんじゃないかそれをもう一度壊したら新しいものが生まれてくるだろうという非常に創造力のパワーを与えてくれるものがありますね。
一つのアイテムのような働きで世界中に広まっているんですね。
この先何が無くなるんでしょう。
そうですね「般若心経」にちょっと戻りましょう。
まだ「無」は続いていくんですよね。
ここからは何が無いと書かれているんでしょうか。
「無明」というのはこれは煩悩の事です。
具体的に言いますと…仏陀つまり釈はこれこそが我々の苦しみのもとだと言いました。
それが無いって言ってるんですか?無い。
それは釈の割と結論に近い事じゃないですか。
そうです。
無明が無くって「尽」というのはそれが消えちゃうという事ですから…お釈様の立場から言うと最終のゴールは無いと言っている。
すごいぞ。
えっ?だってみんなその無明が尽きる日のために修行をし続けてるんじゃないんですか?そうですよ。
つまりお釈様が我々に与えてくれた一つの生き方。
その生き方の中で自分の人生をつくっていく人にとっては無明とその無明尽というのが一番大切な要素です。
しかしそれを「般若心経」は無いと言う。
すごいな。
煩悩が頭いっぱいである状態とそれが全て消えてる状態とその境は無いよって事ですよね。
更に「般若心経」はこう説きます。
そもそも仏陀は人間の苦しみの最大の原因は煩悩にあるとしその煩悩を消すための道を「八正道」8つの正しい生き方のお手本として示しました。
しかし「般若心経」ではその「八正道」も絶対的なものではないと言っているのです。
この8つの正しい生き方これを日々毎日努力しながら過ごせば苦しみは消えますというお釈様の教えです。
これは仏教の一番ベースです。
それに「無」と。
正しい見方をするのはいいし正しい思考をする事も正しい言葉もいいけどひどい言葉も言ってしまうだろうし時には間違えちゃうだろうから俺にはちょっと荷が重いんでというところはありますからまあこれは無にして頂いた方がありがたいですけどね。
ただ見てお分かりのとおり絶対にできないというような修行でもないんです。
まあまあそうです。
ほんとおっしゃる事ごもっともと思うんですけどじゃあ毎日常に全部できますかと言われると確かに…。
今現実に世の中ではこういう生き方をしている修行者もたくさんおりますし一般の人の中でもこういう生き方をしてる人もたくさんいる。
しかしながらその生き方ができない人だってたくさんいる。
そういう人たちの事も考えた場合にこういう決められた枠組み以外にも我々の苦しみを消す道はあります。
これますます僕らの世界の表現でいうところのほんとにテクニックテクニックを学んでいったところに訳分かんなくなっちゃうんですよこれ以上は無理だって。
一旦全部忘れよう間も忘れよう呼吸も忘れよう全部忘れてみて素直にちょっとやってみと言うとできる方っているじゃないですか。
一つだけ力入れるんじゃない全部忘れていい。
一からやってみというそれに近いような気がするな人生においての。
現代にすごく必要とされてる感じが何かビンビン伝わってきますね。
でも一方でやっぱりこれだけ「無」今まで自分がこうしなきゃってルールと思って頼りにしていたものも全部無ですって言われちゃうと取りつく島がないというかどっちに進んでいいか何をしていいか分からないという不安感もあるんですが「般若心経」ではどういうふうに生きればいいと言っていますか?それはやはりね私は今の自分を変えたいんだと。
そして私が持っている枠組みはこういうものだという事を自分で自覚しながらそれを壊そう壊そうという気持ちで「般若心経」を読めば「全てが無だ」といってね…どんな生き方が現れてきますかという事に関してはお答えはできませんそれは。
自分なりの利用のしかたと言うと聞こえは悪いけど「無」をいっぱい言われる事でそれでもそれは「無」にできないわって僕が思う事があるとすればそれが僕の弱点だったりもしくは僕の人生だったりするみたいなあぶり出し方もできる。
これだけいっぱいの「無」があると。
それがものの見方が変わって新たに出てくるものの見方です。
最後に残るものがあれば。
この辺背景にしたらかっこいいんじゃない?ここ立ってみて。
ちょっと…。
転職用に必要でしょ?履歴書の写真。
今のさえない僕じゃどこも雇ってくれないですよ。
じゃあさえてた時は何やってたの?開発ですパソコンのマニュアルソフトの。
マニュアルね。
マニュアルとかプログラムとか今はほんとパソコン主導の世の中だよね。
結構もうかってたんでしょ?それほどでも…。
どうしたら全ての物事に万能で完璧なマニュアルが作れるんでしょうか?それさえ作れれば僕は辞めさせられずにすんだのに。
あなたにこの言葉を教えましょう。
「無智亦無得」。
「無智亦無得」。
これが「空」の境地です。
知恵も悟りも実体は無い。
なぜなら永遠に未完だからです。
永遠に完成しないなんて…。
永遠に完成しないから面白いんじゃない。
写真送るね。
先生VTRに今出てきました「無智亦無得」これはどういうふうに受け止めればいいんでしょうか。
これもこの最後の所ですね。
「無智亦無得」ですね。
悟りを獲得するための一番大切な道具である知恵というものも実は無い。
それによって得られるものも無い。
悟りも無い?無い。
あれ?でもそもそも「般若心経」というのは最高の悟りに至るための「知恵の完成」のお経という意味だと最初に教えて頂きましたよね。
そのとおりです。
知恵の完成という最高の知恵で世の中を見た時には普通に言っている悟りというような決まったゴールの枠組みも消えてしまいますという事です。
だから知恵にも我々が考えている知恵とそれを超えた「空」の立場からの本来の知恵があるという二重構造で説明しているわけですね。
は〜…何かね勉強ができるようになる本というのをず〜っと読んでるうちに入試制度変わっちゃったりするじゃないですか。
社会において学歴偏重社会がちょっと崩れてきたりすると最後の章に「大学出てもしょうがない」ってなってたとするじゃない。
なんかそんな感じ。
でも真理じゃないですか。
これをこうしたら第1段階成功第2段階成功みたいなのを求めるけど求めるうちにすごく追い詰められちゃうというかもしくは「到達したのにおかしい」みたいな事になるじゃないですか。
それをすごく上手に。
そうですね。
道筋とゴールというのも枠組みだと。
だからそれを壊してしまうとどうなるかというと完璧に到達するゴールも無いしそれによって得られる完成した形というものも我々は想定できないという事になってきます。
ただ僕らには難しいのはやっぱりこのノルマを達成したらいくらあげますって事だったりテレビなんかでも何%視聴率取りましたよとか。
目標を決めてその目標がある事を推進力にするみたいな。
こうやると悟れますから頑張ってみたいな事で来たから…。
それはそのとおりですね。
なかなか難しいですね。
だからかえって「空」の思想で生きるというのは大変難しい事かもしれません。
ですから「般若心経」は1回読んでパッと分かってそれでおしまいなんていう経典じゃありません。
常に自分の心を一段上に上げていくという生き方をしなくちゃいけませんからこれも一種の修行でもありますね。
それじゃちょっと読んでみますね。
「菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無礙無礙故無有恐怖」。
言葉の響きとかすごい楽しくなってきましたけど理由は全然分かんないですね。
どういう意味なんでしょうか?「菩提薩垂」というのは私たちが普通言う菩薩様です。
菩薩というのはまさに先ほど言った未完成の道つまり仏になるために今一生懸命修行中の人を菩薩といいます。
菩薩とは「般若心経」を象徴する存在です。
自らを救うために修行を積んで悟りを開いた仏陀。
それに対し菩薩は人を救うために永遠に修行し続けます。
これこそが「般若心経」が理想とする生き方なのです。
菩薩は全てを「無」として枠組みを取り払って…もうとにかく人のために何かを尽くし続ければ…ふだんの生活の中で人のために尽くしましょうという事をやればそれは普通にできます。
それが全て自分の心の安らぎにつながりますよという事なので修行の道が方向転換するんですこれによって。
なるほど。
今まではゴールは悟りであり仏様になっていくという事でしたけれども菩薩のやり方をすると別に悟らなくても仏にならなくてもいいじゃないというすごく楽だよっていう事。
一生懸命目標に向かって頑張っていくのは何かというと最終的に自分の心が幸せになりたいからです。
そうでしょ?でも…価値観をひっくり返してみる事によって新たな生きる道を与えてくれるわけですね。
この現代社会頑張り過ぎてもう動けなくなっちゃったりその頑張った結果の現実みたいなものが受け止められなくて死んでしまおうかという人までいるわけじゃないですか。
そうなんですよ。
その中で「いやいやそれだけじゃないよ」。
この教えが必要な人あと僕の中でも必要な瞬間ありますね。
何かちょっとホッとするし優しい気持ちになれるような気がしました。
実際他の人の心配してる時例えば親が病気で心配してる時って「私ってどう生きれば」とか「こんな私って」とか自分の悩みってどこかへ行ってしまってその人のために尽くせたりするじゃないですか。
その人のためにやってる全てがあなたのために戻ってきてるという事になります。
この「般若心経」というものを自分の人生に合う形で変化させないと駄目ですね。
だからこれは人に与えてさあ読みなさい何か役に立ちますよそういうものではないです。
自分が出会ってご縁で出会ってそして自分の心とスパークした時にだけ役に立つ教えですね。
佐々木先生今日は本当にありがとうございました。
大竹先生街の中にこんな場所があるんですね!2014/09/17(水) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 般若心経 第3回「“無”が教えるやさしさ」[解][字]

般若心経は悟りにゴールはないとした。人間は永遠に未完成な存在であり、完成することはありえないからだ。第3回では、不完全な人間への優しさと慈悲の心について語る。

詳細情報
番組内容
般若心経は、知識を得ることで満足してしまい、真実を理解する努力をしなくなることを戒めている。その一方で、悟りにゴールはないという。人間は永遠に未完成な存在であり、完成することはありえないからだ。こうした考え方の背景には、自分自身の悟りよりも、多くの人を慈悲の心で救おうとした思想が隠されている。第3回では、般若心経にある“無”という文字を通して、その中に隠された“やさしさ”をひもといていく。
出演者
【ゲスト】花園大学教授…佐々木閑,【司会】伊集院光,島津有理子,【語り】小野卓司

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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