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【ありがとう八十年(100)】長池德士、「ものになるのに4年かかる」と言われ法大進学

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
法大時代にクリーンアップを組んだ同級生の伊藤孔人(左)と長池德士

法大時代にクリーンアップを組んだ同級生の伊藤孔人(左)と長池德士【拡大】

 余談ですが、鶴岡監督は1キロ手前の阿波神社でタクシーを降りて歩いてきたそうです。昔の人は、車を玄関に横付けするのは失礼だとの思いがあったんですよ。

 大阪球場へ行くと、撫養高から2年前に南海入りした外野手の的場正雄という先輩が段取りしてくれて、試合前に投球練習をしました。この時、生まれて初めてコーラを飲んだのを覚えていますね。

 翌日はバッティングを見てもらうことになっていましたが、なぜか早い時間から報道陣が球場に来ていて、打撃練習はできませんでした。結局、投球練習しか見ていない鶴岡監督から「ものになるのに4年かかるな。大学へ行ってこい」と言われて、62年に鶴岡さんの母校、法大へ進みました。入ったのは経済学部の経済学科。卒論がなかったんですよ。野球部は藤田省三部長(元近鉄監督)、田丸仁監督(のちの東京監督、阪神スカウト)の時代です。

 法大では1週間で投手をクビになりました。球は速いけど、コントロールが悪かったんです。そして鶴岡監督の口利きだからと、捕手を含む全ポジションをやらせてもらいました。

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(紙面から)