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【ありがとう八十年(101)】長池德士、法大卒業後は鶴岡監督のいる南海入りを信じていたが…

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
長池德士

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 僕は大学の4年間、南海から毎月5万円の小遣いをもらっていました。食べ盛りの学生でも500円あれば腹いっぱいになった時代ですから、結構な金額です。64年までは自由競争なので、プロや社会人から誘われる選手は、みんなそうだったと思いますよ。僕は入学のときに南海・鶴岡一人監督の口利きがあったので、授業料も合宿費も免除。合宿所の風呂の薪(まき)代として、月500円だけは納めていましたけどね。

 大学最後のシーズンが終わると徳島・鳴門市へ帰省し、ドラフト当日は京都で開催されていたツタンカーメン展に行っていました。南海から指名されると信じて疑いませんでしたからね。

 ところが、駅で夕刊を買うと阪急が僕を1位指名していました。当時はドラフト前に「指名しますからよろしく」なんてあいさつはありません。「えーっ」という驚きの声しか出ませんでした。

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(紙面から)