長池德士【拡大】
僕は大学の4年間、南海から毎月5万円の小遣いをもらっていました。食べ盛りの学生でも500円あれば腹いっぱいになった時代ですから、結構な金額です。64年までは自由競争なので、プロや社会人から誘われる選手は、みんなそうだったと思いますよ。僕は入学のときに南海・鶴岡一人監督の口利きがあったので、授業料も合宿費も免除。合宿所の風呂の薪(まき)代として、月500円だけは納めていましたけどね。
大学最後のシーズンが終わると徳島・鳴門市へ帰省し、ドラフト当日は京都で開催されていたツタンカーメン展に行っていました。南海から指名されると信じて疑いませんでしたからね。
ところが、駅で夕刊を買うと阪急が僕を1位指名していました。当時はドラフト前に「指名しますからよろしく」なんてあいさつはありません。「えーっ」という驚きの声しか出ませんでした。
◆現在、サンスポ紙面では若松勉氏を好評連載中です◆
(紙面から)