第44回NHK講談大会 2014.10.04

(柝の音)
(拍手と柝の音)東西東西〜!
(陽子)皆様。
ごきげんよう。
(拍手)艱難辛苦を乗り越えてようこそお集まり下さいました。
「第44回NHK講談大会」。
私僭越ながら司会を務めさせて頂きます。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」。
講談界の1人AKBといわれております陽子でございます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
(拍手)昨年の「NHK講談大会」から早一年。
お嬢さんが貞鏡さんといいまして人気者の講釈師になっておられます。
ますます目を細めてらっしゃいます。
一龍斎貞山よりご挨拶申し上げます。
(拍手)え〜この口上。
身の引き締まるような思いが致します。
「第44回講談大会」。
本当に歴史の重みを感じますけれどもなろう事ならば100回大会の時にもこうやって口上させてもらいたい。
(拍手)ひそかに考えている訳でございます。
100回記念の時には何歳になっておられるんでしょうか。
どうかよろしくお願いを致します。
(拍手)続きまして私の次に美人講釈師といわれました神田紫より口上申し上げます。
(拍手)私は毎年夏昨年世界文化遺産に登録されました富士山に登っております。
頂上に登った時には必ず富士山にちなんだ講談を語って下りてきております。
それですからもしも貞水先生にお許し頂けるならば来年の講談大会は是非富士山の頂上でやって頂きたいと思っております。
富士山のてっぺんで講談ができるかよ。
あんな酸素が足んないんだぞあそこ。
はい。
ごもっともでございます。
講談界のアルピニスト神田紫でございます。
(拍手)続きまして神田派の総帥私の兄弟子でもございます。
神田松鯉よりご挨拶申し上げます。
(拍手)私はNHKの大ファンでございまして何年か前でしたかね「梅ちゃん先生」のナレーションを噺家の林家正蔵さんがなさってましたですな。
噺家が「朝ドラ」ならば講釈師は「大河ドラマ」じゃないかと思うのでございます。
(拍手)ありがとう存じます。
再来年のNHKの「大河ドラマ」は真田幸村「真田丸」でございます。
是非そのナレーションはかくいう神田松鯉にお願いをしたいとこういう訳でございましてよろしくお願いを致します。
大変売り込みの激しい兄弟子でございます。
続きまして講談界の重鎮人間国宝一龍斎貞水よりご挨拶を賜ります。
(拍手)私は生まれつき引っ込み思案ですから…。
(笑い)ここにいる輩のようなずうずうしい売り込みはしたくてもできません。
(笑い)こういうところに並んでこうからかわれるのは私嫌なんです。
でも口上の時には是非あなたは並んでくれないと困ると言われたんです。
というのは何かというと私のこの形です。
これを「荒城
(口上)の月」と申します。
よろしくどうも。
ありがとうございます。
「第44回NHK講談大会」。
皆様方にも十分にお楽しみ頂けますよう今日は講談はもちろんの事新真打ちが登場致しましてお披露目の口上もございます。
どうかお楽しみにして頂きたいと思います。
それではお楽しみ下さいますよう隅から隅までずずずいっとこいねがい…。
(柝の音)
(一同)上げ奉りまする。
(柝の音)
(柝の音)毎年恒例の「NHK講談大会」。
早いもので今回が第44回を迎えました。
司会を務めますNHKの水谷彰宏です。
そして一緒に進行して頂くのは神田陽子さんです。
よろしくお願い致します。
(拍手)それでは早速始める事に致しましょう。
まず最初のご登場は神田紫さんです。
紫さんといいますといろんな活動してらっしゃいますよね。
そうなんですよ。
趣味も多彩で踊り長唄清元から小唄常磐津。
あとはね山登り。
これが今凝っちゃって凝っちゃって大変なんです。
さて今日の演目は「紀伊國屋文左衛門宝の入船」なんですが。
もう大変おめでたい大金持ちになったっていう紀伊國屋文左衛門さんのお話でございます。
たっぷりとお楽しみ頂きたいと思います。
それでは神田紫さん「紀伊國屋文左衛門宝の入船」の一席です。
どうぞ。
(太鼓の音)
(観客)待ってました!
(太鼓の音)
(張り扇)
(拍手)
(張り扇)人生あざなえる縄のごとし。
いい時もあれば悪い時もある。
悪い時もあればいい時もある。
これ人生の常でございます。
(張り扇)紀州和歌浦の回船問屋紀伊國屋文左衛門は一時は大船を5艘持っておりまして商いを手広くやっておりましたがそのうちの4艘が難船してしまい残る1艘は借金の形に質入れする事となりました。
これを苦にした文左衛門は病の床につきポックリとこの世を去ってしまいます。
そこで伜の五十嵐文吉が後を継ぎ2代目文左衛門を名乗る事となりました。
なんとか回船問屋を立て直そうと致しますがなかなかうまくいきません。
家財道具を少しずつ売り払っては細々と暮らしておりましたある一日の事。
(張り扇)紀三井寺の桜の花が盛りだというので母親の手を引いて見物に参りましたその帰りがけ。
ばったりと出くわしたのが土地の財産家玉津島明神の神主藤波河内一家でございます。
その中に一人の美しい女性がおりました。
河内の一人娘でおきぬと申しますが…。
(張り扇)年は18。
小町娘弁天娘とうわさの高い器量よし。
五十嵐親子の姿をじ〜っと見つめておりました。
その日以来おきぬは病の床に伏してしまいます。
病名は分からずに日に日に悪くなるばかり。
心配したばあやのおさきが「お嬢様お加減いかがです?桜見物にいらした朝はあんなにお元気でしたのに。
まあ風邪でもひいたんでございましょうかね」。
「ばあや実はあの時にお見かけした五十嵐様の事が忘れられませぬ。
真心を込めて親孝行なさるお姿。
きっと今に出世なさるお方に違いない。
同じお嫁に行くならばああいう方のところに行きたいのです」。
「まあそうでございますか」。
(張り扇)驚いたおさきはこの事を母親に話をする。
母親が夫の河内に相談致しますと「ああそうだったのか。
まあいずれはよそへ嫁にやる娘だ。
今は貧しいとはいいながら相手は回船問屋だからな。
もらってくれるならばありがたい。
一度話してみよう」。
当人に会ってみるとなかなかの好青年。
この人はこのまんま朽ち果てる人間ではない。
きっと今に名をなす人物になるに違いないと見込んで娘との縁談話を切り出します。
(張り扇)話はとんとん拍子に進みまして程なく四海波静か三三九度の杯とおきぬは着替えの着物一枚だけ持って文左衛門のもとへ嫁ぐ事となりました。
(張り扇)ところで紀州の特産物の中で国を富ませているものといえば何と言ってもみかんです。
一方江戸の方では毎年鞴祭といいまして鍛冶屋の神様を祝うお祭りで屋根の上に登ってみかんをばらまき地域の人々に振る舞う習わしがありました。
それですから有田のみかんといえば江戸ではもう引っ張りだこ。
(張り扇)ある年みかんが大豊作でしたが8月の末から9月にかけて陽気が悪く海は大荒れ従って江戸までみかんを運ぶ事ができません。
上方ではみかんが有り余っておりますから値段が暴落する。
その反対に江戸の方では数が足りずにどんどんどんどん値がつり上がって高騰する。
(張り扇)これに目をつけた文左衛門。
「そうだ。
嵐を乗り切って江戸までみかんを運べば金もうけができる。
途中で船が沈むかもしれないがうまくいけば大もうけ間違いなしだ」。
そこで元手は千両と踏みましたがこの用意がございません。
「よ〜しこうなったらお舅に相談してみよう」。
時は得がたく失いやすしと藤波河内方へとやって参ります。
「お舅様今日は折り入ってお願いがあってやって参りました」。
「おお婿殿か珍しいな。
で頼みというのは何だ?」。
「金子を拝借致しとう存じます」。
「ああ金か。
おおおおいいとも。
娘が嫁いでから足かけ4年。
今まで大した事はしてやれなかったからな。
それにこの時化続きでどうして婿殿はうちに金の相談に来ないのかとばあさんとも話してたところだ。
おいばあさんや文庫を持ってきておくれ。
さあこれだけあれば大概間に合うだろう。
持っていきなさい」。
目の前に差し出したのは金2百両。
(張り扇)「はあ〜誠に恐れ入りますがこれでは不足でございます」。
「何足りんとな。
では一体いくら要るんだ?」。
「金千両拝借致しとう存じます」。
「せ…千両!?はあ〜こりゃ驚いた。
そりゃなあ婿殿要る金ならば千両でも貸そうがお前さんそんな大金一体どうするつもりだ?」。
「実はかくかくしかじかこういう見込み。
うまくまいりますれば千両にそれ相応の利子をつけてお返し致します。
しかしもしも途中海で間違いがあれば金子の事はお諦め下さいまし。
そして残った母親とおきぬをお引き取りの上お世話を願います」。
「なるほどいよいよお前さんにも運が向いてきたんだ。
しっかりとおやんなさい。
今手元に千両はないが明日の昼までには必ず届けるから。
さあ早く帰って船出の支度をしなさい」。
「ありがとうございます。
どうぞよろしくお頼み申します」。
(張り扇)その明くる日金子を懐にまずやって参りましたのは親父の代にかただやそうべえ方に質入れしておりました明神丸を受け戻し船大工に修理を頼みます。
もちろん作料は弾みます。
続いてはみかんの仕入れ。
2万8,300籠買い取ります。
出荷の予定がなかっただけに問屋連中は大喜び。
(張り扇)いよいよ最後は船乗りたちを集めなくてはなりません。
「今度の仕事は腕が確かで荒くれ者でなければ乗り切れまい」。
そこで思い出したのが仙八という男です。
この人乗っていた船が一度難破して危うく命を落とすというところ助かったという人物で人呼んで土左衛門の仙八と申します。
道楽者ですが腕は確かです。
これまでに何度となく文左衛門のところに金の無心にやって参りました。
文左衛門も貧しいとはいいながら太っ腹ですから少しでもお金があれば仙八に持たして帰してやる。
こんな間柄ですからほかの船乗りたちも世話してもらおうと仙八のもとへとやって参ります。
(張り扇)…とちょうど都合のいい事に時化続きで仕事にあぶれた荒くれ者の船乗りたちがほかに5人もそろっておりました。
「なるほどなそりゃうまくいけばもうかるに違えねえがこりゃあ大層危ない仕事だ。
旦那せっかくだがこの話はきっぱりとお断り致します」。
「そうか行けねえか。
じゃあそっちのお前たちはどうだ?」。
「今アニキが行けねえと言ったものをこっちでお引き受けする訳にはまいりません。
あっしもきっぱりとお断り致します」。
次から次へと断られはたと困り果てた文左衛門。
(張り扇)…とこの時に最前より仏壇の横に置いてありました米俵がもぞもぞっと動き出したのでひょいっと見ると中から汚い女がぬ〜っと顔を出しました。
そのくたびれ方が尋常じゃございません。
使い古したぼろ雑巾同様です。
「ヘヘヘヘヘッ旦那いらっしゃいまし」。
「何だ米かと思ったら仙八の女房じゃないか。
お前そんな所で一体何してるんだ?」。
「何もこうもありませんよ。
まあ聞いて下さいな。
うちの中で食べられるものは全部食い尽くしちまってこの2日ほどは水ばかり飲んでたんですがねもうこれ以上我慢できないと今朝方着ていた着物を売ってやっとこさお米を買ったんですよ。
だけど肌着のまんまじゃ人様の前に出られませんからね。
隣からもらってきた俵ん中に入って隠れてたんですよ。
ハッハッハッハッハッ。
あの…話はこん中で全部お聞きしました」。
「まるでネズミだな」。
「ちょいとお前さん旦那がこんなにお困りになってるんだから行っておあげよ。
お前私たちが今までどれほど旦那に世話になってきたか忘れちまったのかい?それにお前ふだんから何て言ってんだい?えっ?『俺は一度は死んだも同様の人間だ。
この世は余分の命だ。
土左衛門の仙八たぁ俺のこった』ってしょっちゅう威張ってるじゃないか。
船乗りが海を怖がってた日にゃあ稼業にはならないんだよ。
行っておあげよ。
ウフフフ…ところでねえ旦那失礼かとは存じますが江戸までのお給金全体いくらなんでございます?」。
「さあそれだ。
危ないと承知の上の事だから江戸まで片道50両出そう。
…で今すぐ引き受けてくれる者があれば手付けとして25両渡してやるんだがなあ」。
「まあ本当ですか?うれしいねえ。
ちょいとお前さん片道50両ももらえりゃそんな命落としたって惜しかないじゃないか。
ねえ」。
…ってひどい女があったものでございます。
(張り扇)「旦那今の話は本当ですか?」。
「ああ俺の金もうけにうそはない」。
「こいつはありがてえや。
是非とも江戸までお供させて下さいまし」。
「それじゃあっしも」「あっしも」「あっしも」と次から次へと引き受ける。
(張り扇)まあ現金な連中があったもので。
(張り扇)…と申しますのはそのころの若い船乗りたちの江戸までの片道のお給金は1両1分でしたから50両といえば約50倍。
一か八かやってみようと思うのも無理はございません。
(張り扇)さあこれで準備万端整いました。
しかし荒れた海途中で何が起こるか分からない。
残った家族に心残りがないようにと全員が決死の覚悟で真っ白な死に装束を身につけて船へと乗り込みます。
(張り扇)いよいよ船出の当日。
「しめたおあつらえ向けの大時化だ。
いいか?みんな。
よっく聞いてくれ。
この嵐の中板子一枚下は地獄と承知の上の荒くれ者しっかりとやりましょうぞ」。
言うが早いか出がけに母から預かった刀を左手に右手がつかにかかったかと思いきや抜く手も見せず2縄の錨綱をすぱりと切って落とします。
「だ…旦那何なさるんでえ」。
「海で頼りは錨と舵だ。
その錨綱を切りなさるようじゃあ正気の沙汰とは思えねえ」。
「バカを言え。
錨綱を頼みにするようじゃあまだ死ぬ覚悟ができたとは言えねえぞ」。
「…なるほどこりゃ旦那の言うとおりだ。
浦賀の港に入れりゃあよし。
さもなくばない命と諦めておいみんな一生懸命働こうぜ」。
(張り扇)文左衛門たちが乗った船は紀州和歌浦の港から江戸を目指して出発致します。
ギギギギギギッドドドドドドドッ。
ギギギギギギッドドドドドドドッ。
寄せては返す波の音のものすごさ。
船は追い風に乗って矢を射るように走りますとあっという間に潮岬辺りまでやって参りました。
次に目指す目印は大島です。
しばらく走っておりますと風がぴたっとやみました。
はて風向きが変わるのかなと思っていると水先にいたごろべえが「おい辰巳に悪い雲が出たぞ。
こいつは大変だ。
おいみんな気を引き締めろい」。
言うが早いか辺りは真っ暗。
一転墨を流したよう。
…とカラッカラカラカラカラカラという激しい雷鳴。
続いてピカッピカピカッ目を射るような稲光。
ポツリポツリと落ちてくる雨は次の瞬間ザ〜ッと激しい雨に変わります。
「わ〜疾風だ〜!」。
再び風が巻き起こる。
耳のそばでごうごうとうなっております。
逆巻く怒濤に乗った船は上に上がった時は天を突くかと思うよう。
またサ〜ッと引いた波の間に入った時は奈落の底に落ちるよう。
生きた心地はございません。
(張り扇)「旦那これ以上もう俺に舵は取れねえ。
誰か代わっておくんなせえ」。
「これしょうのすけ。
我に取れねえ舵は誰がやっても取れねえんだ。
もうこれまでと覚悟をしろ」。
「さようでございますか?それじゃあしょうがねえや」。
己の体を細引きでもってしっかりと櫂杵に巻きつけ「江戸はこっちの方だろう」。
櫂杵に手をかけ「南無阿弥陀仏」と言ったきりしょうのすけはふ〜っと気を失ってしまいます。
(張り扇)文左衛門はじめほかの連中は船底に入りましたが船が揺れ動く度に右に転がったり左に転がったり生きた心地は致しません。
(張り扇)あとは死を待つばかり。
全員海の藻屑となるかと思いきや文左衛門の天運いまだ尽きず。
やがて次第に風が遠のいていきます。
波も穏やかになり船がぴたっと止まった瞬間はっと我に返ったしょうのすけが「あれ?ここはどこだ?」。
キョロキョロっと辺りを見回し向こうを見ると「おっあれは大島じゃねえか。
してみるとここは始終通ってる相模の海か。
こいつはありがてえ助かった。
あれ?誰もいなくなっちまった。
さてはさっきの高波にさらわれちまったか?お〜い誰かいるか〜?」。
「や〜いここにいるぞ〜!」。
(張り扇)文左衛門はじめ仙八ほかの連中が船底からはい出してきてお互いの無事を確認し合って大喜び。
(張り扇)さあやって参りましたのは武蔵の品川沖でございます。
「沖の暗いのに白帆が見ゆる。
あれは紀の国みかん船」。
「おお聞いたか?」「ああ聞いたとも。
紀州の紀伊國屋文左衛門って男が嵐ん中みかん運んできたんだってなあ」。
「てえしたもんだなあ。
なかなかできるこっちゃねえや。
おかげで祭りは大盛り上がりだ」。
「そいつはようがっちりとした大男かと思いきやヒョロヒョロっとした優男だっていうじゃねえか。
だからほらよく言うじゃねえかなあ?人は見かんけによらねえってんだ」。
(笑い)くだらないシャレを言っておりますけれども「さあ皆さんみかんを取りにおいでなさい」。
声をかけますと子供ばかりか大人までもが我先にとみかんを取りに参ります。
こうして大枚を手に致しました文左衛門一旦は地元に戻りましたが商いは江戸に限るとばかり。
家族そろって江戸へと出てまいります。
江戸は火事が多く木材が不足しておりました。
これに目をつけた文左衛門は材木問屋を開きましてまたまた大成功。
(張り扇)莫大な金子を懐に致しますのは後日のお話。
(張り扇)紀州の一若者が嵐の中を命を懸けてみかん船で大もうけ。
たちまちのうち紀文大尽と呼ばれるようになったという「紀伊國屋文左衛門宝の入船」の一席はこれをもって読み終わりと致します。
(拍手)神田紫さん「紀伊國屋文左衛門宝の入船」でした。
陽子さんこれって聞いているとスペクタクルですね。
ねえもう嵐も全部自分で再現しちゃうっていうすばらしいですね。
一人でハリウッドが再現できるような物語なんですがそうしますと講談にはどんな種類があるんでしょう?「戦話」「軍談物」が最初成り立ちの初めといわれていまして「平場物」。
修羅場って言わないで講釈師は言います「平場物」。
あとは「金襖物」っていうとお家騒動です。
「義士伝」がそうですね。
金襖の前で物語が行われます。
あとは「世話物」っていう人情話みたいなもの。
あとは「怪談ばなし」もございますよ。
例えば「平場」ですとどういうのがあるんですか?「平場」?「虚と見せては実と変わり実と見せては虚と変わる。
まこと変化の早業は水に映れる月影の波のうねうねうねるに似たり」。
ポンポンポンとこう入りますね。
「金襖物」ですとどういうのがあるんでしょう?「金襖物」はお家騒動でございますからね。
「これこうばい何しにここへ忍びきやった!?」。
「旦那様お許しなされて下さりませ。
実は本日国元より父が参り暮らしに困るところからいかほどでも用立てくれぬかとのたっての頼み」。
誰か止めて下さい。
ありがとうございました。
いや〜この続きは是非寄席で。
さて「第44回NHK講談大会」続いてのご登場は一龍斎貞山さんです。
今日の演目は「寛政力士伝谷風情け相撲」ですがこれはどんな聴きどころがあるんでしょうか?これは落語でも「佐野山」というお話になってます。
有名ですけれども。
谷風梶之助という横綱がもう本当に情に厚くてですね人助けをしていくといういいお話でございます。
それでは一龍斎貞山さん「寛政力士伝谷風情け相撲」の一席です。
どうぞ。
(太鼓の音)
(拍手)
(観客)待ってました!
(太鼓の音)
(拍手)え〜昔からこの横綱というものは何名もいらっしゃいますけどもその横綱の中で最も情け深いなあといわれましたのが第四代横綱谷風梶之助でございます。
体に恵まれ技にも優れ人間も誠に穏やか克てて加えて情け深い。
まあいわゆるこの心技体を兼ね備えたるお相撲さんでございますな。
遊びほうけている若者なんぞを見かけますと心を込めて意見をして正業に就く元手なんぞを貸してやるという。
また病に苦しむ者あればその家を訪れ慰め励ましてもやるというこの谷風梶之助に助けられし者数限りなしともいわれております。
とちょうどこの東の幕下に佐野山權平というお相撲さん。
おふくろさんは目を患いお父っつぁんはここ数年寝たっきりという。
生来この親孝行者でございます佐野山權平。
その看病や何やかでまるっきり相撲道に打ち込む事ができません。
従ってこれまあ当然の事ですが出るとは負け出るとは負けといったありさまでございます。
また暮らし向きはと申しますと赤貧洗うがごとし。
ひどい貧乏暮らし。
さあこれを小耳に挟んだ横綱谷風梶之助。
「いやそりゃまあなんとかわいそうなこったのう。
よ〜し!これ竹の川猫の花ついてこんかい」。
竹の川に猫の花。
まあどう考えましてもねあんまり強そうなしこ名じゃありませんけども。
何を思ったものか梶之助。
単衣の着物に小倉の帯。
身支度を調えますと二人のお弟子さんを連れましてさあこれからやって参りましたのが江戸は京橋三十間堀二丁目路地を入った貧乏長屋佐野山權平の家。
「佐野山おるかな?」。
いきなりこの横綱がぬっと入ってきたんですから佐野山がびっくり仰天。
「やっこれは横綱!なな…何としてこんなところに?」。
「いやわれのご両親が患ってなさるという事を耳にしたでなうんその看病に来ましたんじゃ。
いやわしが今日ここへ来たのはほかではない。
ここの家の貧乏神疫病神を追っ払うそのためじゃ」。
素早くこの化粧まわしをつけますとご病人の前へ。
「さあさあご両親よく見ておくれ。
なあ!それよいしょ!よいしょ!よいしょ!」としこを踏み生まれ故郷仙台伊達のお殿様から拝領なしたる一刀すらりと引き抜くや「これ貧乏神疫病神出て失せぬかい」と右に左に斬り払いパチッと鞘に収めますと「さあこれでもう大丈夫じゃ!うん!この家の疫病神貧乏神はこれはたまらんと大慌てで逃げ出しおった。
もう大丈夫じゃ!時にのう佐野山よいやわれの親孝行をおてんとうさまがご感心下さりどうかこれを褒美にやってくれと実はこの金子をわしに託された。
いやいや断っておくが何だぞこれはわしがお前にやるのではない。
おてんとうさまが親孝行のご褒美に下すったんだ。
まあいいから取っとけ取っとけ」と何がしかの金子を与えますとうれし泣きの佐野山の声を後ろに谷風はおのが部屋へと戻り行きましたが「わしなんとかあの佐野山と相撲が取りたいものだ」とその取組を申し込んだのでございます。
まあこれどう考えましても横綱と幕下の取組そんなものがある訳はないんですけれども。
しかしながら谷風は「いやそれがどうしても駄目だというならわし相撲を廃業する」とまでこう言い切ったんだそうですね。
横綱のたっての頼みしかたがないと年寄衆も承諾を致しましたがところがこの取組表を見て驚いたのが見物の人たちで。
「これちょいとご覧よ。
何?これ。
この取組何なの?谷風と佐野山の取組?えっ?横綱と貧乏神の佐野山の取組?何だってこんな取組になったんだい?聞いた事も見た事もねえよ。
何でこうしたの?」。
「何だい何だい?何だい?お父っつぁん。
ねえ何か知ってるのかい?」。
「うんいや…いかにしてかような取組と相成ったかそりゃ凡人のお前たちには分かるまい。
だがそれではな今からその話を聞かせてつかわそうぞ。
あ〜一席申し上げますが…」。
「何だよ?おい。
講釈師みてえな野郎が出てきたじゃねえか」。
「うん!いや〜何を隠そうこの取組はただの相撲ではござらん。
名付けて遺恨相撲でござる」。
「遺恨相撲?それどういう事なの?」。
「うん時はいつなんめり。
いや寒風肌を貫く年の暮れの十三日。
横綱谷風梶之助の部屋より化粧まわしならびにふんどし15本が紛失致した」。
(張り扇)「盗みし者は誰ならんとここよかしこと捜した結果これは幕下佐野山權平のしわざである事が判明。
「いやおのれ憎き佐野山よ。
相撲取りが命の次に大切なる化粧まわしを奪い取るとは言語道断。
いや一刀のもとに斬り捨ててくれるとは思うところなれどもいや我武士にはあらず相撲取りなり。
さればいや土俵の上で恨みを晴らさん。
いざ尋常に勝負勝負!」と大音声に呼ばわったり。
(張り扇)「あのお父っつぁんどうでもいいんだけどねさっきからね気持ちよさそうにやってんだけどお父っつぁんそれ本当の話なの?」。
「いや講釈師見てきたようなうそをつき。
なあ。
今のは『谷風佐野山遺恨相撲ぬきやみ』の一席でござる。
ハハハ」。
「笑ってやんの。
おいいい加減にしてくれ。
まぬけな事を言うんじゃねえ!」。
パッとこの言葉大江戸八百八町の評判となりました。
「おいえらい事になったよ。
ねえ。
何だか知らねえけどよ佐野山の野郎がね谷風関に投げ殺されるんだってよ。
まあ気の毒なのは佐野山だい。
だけどね人の不幸は蜜の味とかなんかいうからね面白えから行ってみろ」と大層な評判。
さあこの事を耳にしてえらく心配を致しましたのがこの佐野山權平の大のごひいき神田須田町の若い者頭で源五郎という男。
まあすぐに佐野山をおのが家にと呼びますと「佐野山えれえ事になったよな。
えっいよいよ明日はよ谷風関との取組だい。
だけどよ俺ちょいと人から聞いたんだけどお前谷風からえれえ恨みを買ったんだそうだな」。
「いやわし日頃から谷風関にはお世話になっており申す。
恨みを買うような覚えはこれっぽっちもござんせん」。
「あらそうなの?だけどこうなったらしかたがねえや。
まあまあいいから。
おい佐野山いいからまあ一杯やんな。
景気つけに一杯やんなってんでえ。
遠慮する事はねえ。
さあさあ。
まあこれがなお前とのいわゆる別れの杯だ」。
「おい何だい?そんな縁起でもねえ事言わねえで。
わし今から怖くて怖くて」。
「だってお前いかにな怖えからといってまさか夜逃げもできねえじゃねえか。
なあ。
そこでだ佐野山。
俺がなちょいとお前にいい技を教えてやろうじゃねえか。
いいか?よく聞くんだ。
いいか?分かったな?はっけよいと軍配が返ったら」。
「いやいやいやそんな事はな改めて言われなくても分かってます。
はい。
はっけよいと軍配が返ったらわしゃ谷風関の前褌取ってぐ〜っと一気に押し出して」。
「お前にそんな事ができる訳がねえじゃねえか。
いいかい?あのな軍配が返ったらおうお前何でもいいからねえ構わねえからその場にころっとひっくり返っちゃいな。
ねえ。
これまさかにねひっくり返ったやつを踏みつけるなんて事はできないよ。
分かったかい?」。
「えっそれじゃわし土俵の上でひっくり返る?なるほど。
わしは生来土俵に寝るのが得意技」。
「何を情けねえ事言ってやんでえ」。
カラス「コ〜」で夜が明けた。
興行の行われております神田明神の境内。
いっぱいのお客様方でもはや立錐の余地はございません。
「さあさあ始まりますよ。
ねえ谷風と佐野山の取組だよ。
早く早く早く始まらねえかな」と一同が待ち構えておりますうちに番数取り進みましていよいよ谷風佐野山の取組。
「さあさあ始まりますよ。
だけどねえっあの親孝行者の佐野山がねねええっ殺されちゃうんじゃかわいそうだよ。
でもしょうがねえや。
まあまあせめてはねうんうん声だけかけて応援してやろうじゃねえか。
おう佐野山頑張れよ〜!今からひっくり返っちゃったって構わねえんだぞ〜!佐野山頑張れ!」。
「佐野山頑張れ!佐野山!親孝行者の佐野山!たくあんのこうこ!」。
「何を言ってやんでえ?」。
はっけよいと軍配が返りますと佐野山權平横綱谷風梶之助の胸板目がけど〜んとばかりに突っ込んだと言いたいところなんですが何しろ昨日技を教えられてますからねぶつかると見せかけて佐野山權平ころっとひっくり返ろうとした。
さあ驚いたのが谷風梶之助。
「佐野山!危ない」って抱きかかえちゃったというね実に妙な相撲がございましたもので。
ズルッズルッズルズルズルッと土俵際まで。
谷風梶之助は佐野山權平の耳元へ口を寄せると「佐野山よいからその調子でわしを押せ。
よいからもっとわしを押せ」。
言われて佐野山權平が「ちょっとこれ以上に押してもよろしゅうございますんで?はいそれでは失礼させて頂きます」ってんで押し始めた。
ズルズルズルズルッと瞬く間に土俵際。
いや見て驚いたのが見物人。
「あ〜!見たかい?押した押した。
佐野山が押したうんもう一息だ。
大したもんだ佐野山!さあもう一息だ!押すんだ押すんだ!」。
「佐野山佐野山!えれえ力持ちだ。
もう一息だ。
親孝行者の佐野山!たくあんのこうこの佐野山!」。
「また始まりやがった。
お前さっきからね何だか知らねえけど『たくあんのこうここうこ』と言ってるけどね一体それどういう意味なの?」。
「えっ?お前意味が分からないの?まあ分からないんなら俺が教えてやろうじゃねえか。
いいかい?この佐野山の押しがあんまり強えもんだからねえ相撲もこうこも押しが肝心」。
「くだらねえしゃれを言ってんじゃねえや」。
土俵の上では佐野山權平。
さあもう一息で谷風を押し出せる事はもう百も承知なんですけどお世話になっている谷風関に勝ったんじゃあ相すまないと思ったものか土俵際まで来た時にピタッと固まっちゃった。
まるっきり動かなくなっちまった。
いや驚きましたのが谷風ですな。
「いやこのままでは二人ともこの土俵の上で年を取っちまうに違いない」と考えたものでしょうか。
佐野山のまわしをぐいっとこの引き付けると見せかけてなんと己はひょいと土俵の外に足を出しそのまま佐野山と共にた〜っと土俵の下に真っ逆さま!「あっ!見たか?おい。
佐野山の野郎が谷風関に勝っちまって…なんと勝っちまった。
佐野山大したもんだ。
佐野山偉えもんだ。
佐野山!俺の親戚」。
「何を言ってやんでい」。
さあもう神田明神の境内はえらい歓声で包まれたそうでございますな。
後になって谷風はこの事を「いやわしゃ誰にも負けんつもりじゃったがなあの佐野山にだけは負けました。
だがあれは佐野山の技がわしに勝ったのではないぞ。
佐野山の親孝行のその心根がわしに勝ったのじゃ。
実に大したものじゃ」と会う人々に物語りこれを聞いた方々も谷風梶之助の情けならびに佐野山權平の親孝行にすっかり感服を致しまして誰ひとりとしてこの相撲を非難する者はなかったという事でございます。
これもまた孝行の徳というものでございましょうか。
「孝行に勝るものなし」。
まあこれは「寛政力士伝」よりおなじみ「谷風情け相撲」の一席この辺で失礼を致します。
どうも。
(拍手)さて本日は講談をたっぷり皆様にお楽しみ頂いておりますが去年の秋から今年の春にかけて講談界の大きなニュースといいますと。
はい新真打ちが4人誕生致しました。
今日はそちらの方々のお披露目もさせて頂こうと思っております。
それでは紹介致しましょう大きな拍手でお迎え下さい。
(拍手)
(拍手と柝の音)こちらに並んでいる皆さんが昨年の秋から今年の春にかけて真打ちに昇進した皆さんです。
(拍手)それでは自己紹介にまいりましょう。
まずお一人目。
(張り扇)一龍斎貞水門下貞橘でございます。
(拍手)講談には英雄豪傑をはじめと致しましていわゆるかっこいい方々がたくさん出てまいります。
かっこいい方々をかっこよく読んでできれば私も講談師
(好男子)という響きに負けないように頑張っていきたいとこう思っております。
講談界一の講談師
(好男子)を目指して精進の心にございます。
よろしくお願い申し上げます。
(拍手)イエ〜イ。
もうねえ貞橘さん男前でございますね。
ぴったりですね。
貞橘さんどういうタイプの女の子がお好きですか?陽子先生のような…。
アハハハハッやだ〜!
(拍手)貞橘さんありがとうございます。
ありがとうございます。
それではお二人目。
(張り扇)一凜の一凜による一凜と皆様のための講談自分らしい講談。
皆様に楽しんで頂ける講談を目指して奮闘努力の毎日でございます。
(張り扇)また私こう見えましても一児の息子の母でございます。
講談界一の肝っ玉母さん目指して頑張ってまいります。
宝井一凜よろしくお願い致します。
(拍手)イエ〜イおめでとうございます。
何歳ですか?6歳です。
じゃあ大きくなったら講釈師にしようなんていう…。
もちろん思っております!おお〜心強いです。
一凜さんでした。
では3人目は。
(張り扇)皆さんこんにちは。
桃川鶴女の弟子の桃川鶴丸と申します。
丸という字は筆で書くと元に戻る。
この事から初心忘るべからず。
講談界一の元気で大きな声の分かりやすい明るい講談師を目指したいと思います。
桃川鶴丸どうぞよろしくお願い致します。
(拍手)はい元気いっぱいでございました。
師匠譲りですね。
元気いっぱいいいですね。
講談大会出るって言って師匠何かおっしゃってた?はい。
師匠は「私がNHKに出るまで25年かかったのよ。
あんたがこんなに早く出られるなんて誰のおかげだと思ってるの?」。
「師匠と皆様のおかげでございます」。
「頑張ってくるのよ」と送り出して下さいました。
ありがとうございます。
師匠によろしくお伝え下さいませ。
それでは4人目です。
(張り扇)陽子の弟子で京子と申します。
皆さ〜んごきげんよう。
(拍手)岐阜県の美濃の産でございまして陽子の弟子で京子と大変分かりやすい名前となっております。
どうか覚えて帰って頂きたいと思います。
あっちこっちにフットワーク軽く講談を配達するのが私の役目でございまして講談界一の国際人を目指していきたいと思います。
講談界のレディー・ガガでございます。
よろしくお願い申し上げます。
講談界一のじゃじゃ馬といわれておりますけれども。
本当に皆さんから個性あふれる自己紹介をして頂きました。
それでは新しい新真打ちの皆さんの講釈是非聞かせて頂きたいんですが。
そうですね。
晴れの舞台ですのでみっちりお稽古をしたようでございます。
私もちょっと準備をさせて頂きます。
はい。
それでは新真打ちの皆さん今日の日のためにたくさんお稽古をして頂いて…えっ陽子さんも自ら釈台を持って。
これねマイ釈台でございます。
マイ釈台。
マイ釈台を持ってまいりました。
よろしくお願い致します。
(張り扇)では陽子さんよろしくお願い致します。
さてこれよりお送り致しますのは五目講釈と申します。
講談の一番のいいところ一番の名場面をギュギュギュギュッと凝縮致しましてとんとんとご覧頂こうとこういう事でございます。
題して講談タイムマシーン。
まずはあの三方ヶ原の世界へとタイムスリップ!
(張り扇)頃は元亀3年壬申年10月14日。
甲陽の太守武田大僧正信玄七重の均し整えその勢3万5,000有余人甲府八ツ花形を雷発なし。
この事浜松に注進櫛の歯を引くごとく。
信玄来るとの由に徳川家康公取り乱して。
大音に呼ばわればはっと答えて舎人の引き来るご城馬にひらりとまたがるやとうとうと乗り出したり。
(張り扇)これより三州三方ヶ原におきまして家康と信玄熾烈な合戦が始まるという。
おなじみ三方ヶ原合戦の一席でございました。
(拍手)続いては江戸後期あの遠山の金さんの時代へタイムスリップ!
(張り扇)「この桜吹雪が目に入らねえか!」。
続きまして私一凜が物語りますのはご存じ遠山の金さん。
(張り扇)若い時分訳あって勘当となっております。
そのころは芝居小屋のお囃子部屋に居ついている。
…と人気の芝居で客と客とが入り乱れての大げんか。
たった一人でその場へ出ました金四郎。
ごろつきを前に仁王立ち!
(張り扇)「やいやい!俺は遠山金四郎という名もねえ囃子方だがここへ出たからにゃあこの場を預けてもらいましょう。
痩せ腕だがこのけんか金四郎が買ってみせましょう。
この場を金四郎へ預けるか果たして芝居をおじゃんにするか。
お前さん方何て答える?」。
大変なけんか金四郎たった一人で収めてしまった。
まあこれで男を上げましてその後勘当を解かれて遠山左衛門尉景元。
(張り扇)「よっよよっ入れ墨奉行!」。
庶民に慕われる町奉行となりますという一席。
(張り扇)
(拍手)面白い!続きましては上野東叡山寛永寺左甚五郎の世界へタイムスリップ。
徳川三代家光公は上野東叡山寛永寺の鐘楼堂の四方の高楼に龍取り付けるようにとお命じになりました。
そこで選び出されましたのが甚五郎。
「う〜ん今まで一度も龍を彫った事がない。
どこかにいい手本はないかな」。
江戸中を探しましたがなかなか見つかりません。
弁財天に手を合わせ「この甚五郎に龍のお姿をお見せ下さいませ。
お願いでございます。
南無弁財天様」。
夢の中に一転にわかに雨はザ〜ッ。
雷はゴロゴロゴロゴロ…。
池の中より雲に打ち乗りましたる一匹の龍が…。
(張り扇)みるみるうちに昇天するというものすごいありさま。
「あっこれが龍のお姿か。
これぞ〜!」。
これをご覧になった家光公。
「その方こそ日本一の名人じゃのうハッハッハ」。
お褒めの言葉を賜りました。
「名工伝左甚五郎水飲みの龍」1分の講談でございました。
さすが。
(拍手)続きましては江戸時代あの三遊亭圓朝師匠のお書きになりました「牡丹灯籠」の世界へタイムスリップ。
上野東叡山寛永寺で打ち鳴らす八つの刻限が不忍池に響いて陰に籠もってゴ〜ン。
この時いずれからともなく聞こえてまいります下駄の足音が。
カラ〜ンコロ〜ン。
「新三郎様〜。
あなた私を裏切りました。
お恨みに存じます〜」。
「うわ〜!」。
三遊亭圓朝原作「牡丹灯籠」のうち「お札剥がし」の名場面でございました。
(拍手)皆さんありがとうございました。
いやお見事でした。
この続きが聞きたくなっちゃうでしょ?非常に今後が楽しみです。
是非皆さん4人の皆さんの顔を覚えておいて下さい。
ひょっとするとこの4人の中から将来人間国宝が生まれるか…。
(拍手)一龍斎貞水さんです。
先生のまな弟子もイケメンでいいですね。
(貞水)それはいいんだけれどもねみんな個性的でね僕が真打ちになった時よりもねはるかにお上手。
だけれどもねどんなに勉強してうまくなってもね師匠よりうまくなる事は許さねえからな。
あそこですか?
(貞水)そうだよ。
貞水さんやはりお客様にごひいきお引き立て是非貞水さんからお願いして頂きたいと思います。
今はね演者も聞いて下さる皆様も一緒になってね新しい時代の講談新しい時代の芸これを作っていかなきゃいけない時だと思うんですよ。
ですからどうぞひとつ私のついでにこの若手を大いにお引き立て下さいますようによろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。
(拍手)
(貞水)ありがとうございます。
お願い致します。
(拍手)これからが楽しみな4人の真打ちの皆さんにもう一度大きな拍手激励の拍手をお願い致します。
(拍手)「第44回NHK講談大会」。
続いては神田松鯉さんの登場です。
今日の演目は「源平盛衰記」より「扇の的」です。
源氏栄える時平家衰え平家栄える時源氏が衰える。
従いまして「源平盛衰記」と申しますがもううちの兄弟子松鯉先生が本当にお得意のところでございますので堪能して頂きたいと思います。
それでは神田松鯉さん「源平盛衰記」より「扇の的」の一席です。
どうぞ。
(太鼓の音)
(拍手)
(張り扇)
(拍手)お運びでありがとうございます。
しばらくの間のおつきあいでございますけれども。
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり娑羅双樹の花の色盛者必衰のことわりを表す。
おごれる者は久しからず。
有名な「平家物語」の冒頭でも歌われておりますとおりおごりにおごりました平家が次第に行く先がなくなってまいりますというのは一の谷の合戦はご存じ鵯越の逆落としで敗れました。
続きまして屋島の合戦で敗れまして平家一党が船で海上に逃れまして船がかりをしているといった体たらくだったのでありましたがこの時の平家方の御大将が内大臣平宗盛で悔しくってしかたがない。
なんとかして屋島を占領した義経に一矢報いたいというところから3日3晩かかって考えましたのがこれから申し上げようという有名な「扇の的」という計略だったのでありましたがこれは具体的にどういう計略であるかと申しますと一艘の小舟を仕立てまして船の舳というから先端の所に長い竿を立てます。
竿の一番てっぺんに天地金紅にて日輪を描いた扇を結わえつける。
仮にこの船を出した時に屋島におります源氏方の弓勢の中で弓矢の技をもってこの扇の日輪を射ぬく者がおるかおらぬか試してくれようという。
多分はいないだろう。
射損じた時には源氏の弓勢つたなさよと笑ってくれよう。
万が一この扇の日輪を射ぬいた時には天に二つの日輪がないと同様に国に王様お二方はございませんからすなわち朝敵にしてくれようという。
いずれに致しましても源氏方にとってあんまりこれはありがたい計略ではございません。
この船にもう一つ仕掛けがあったというのは船底に伊賀十郎兵衛尉家員という手だれの武者を忍ばせました。
何故かと申しますとこの船を出した時に屋島において義経自身が出てきて長い間うすぼんやりと見ているようであったならばやおら立ち上がって矢で射殺してくれようというつもりで伊賀十郎兵衛尉家員が船底に潜んでいる訳です。
従ってこの船が義経公が長い間うすぼんやりと見ているような船にしなければならないというところから平家一党これから船上において重臣会議を開きまして義経公の性格を分析したんだそうですな。
その結果判明致しましたというのが義経という方は非常に好色家であるという事が分かったのでございます。
丁寧に言うと御助平にわたらせられる方だってえ事が分かりましたからそれじゃこの船にもう一人きれいな女性を乗せようという話になりまして1,000人の官女の中から選ばせましたのが玉虫御前。
並大抵の美女じゃございません。
この玉虫御前に柳の五つ重ねを着せまして髪がちゅうすべり。
緋扇を持たせますとこれに舞を舞わせながら船がツ〜ッと出ていったのでございましたが一方屋島に降りました物見の侍がこれを見つけました。
「怪しい船が出てまいったものであるわい。
御大将に申し上げよう」というので義経公に言上を致しました時に義経公が「されば余がじきじきに物見を致すであろう」。
御大将の物見でございますから大物見といいますな。
長い間ここでしばらく見ているようであったならば申し上げたように伊賀十郎兵衛尉家員が立ち上がって矢で射殺そうと思ったんですが案に相違して義経がチラッとご覧になってすぐに中にお入りになってしまったんで早くも平家方の計略の一つがここで破れております。
中にお入りになりまして義経公がピタリと着座をする。
周りに居並ぶ面々はと見てあれば畠山重忠和田義盛佐々木高綱なんぞという歴史上有名な勇将名将の方々がきら星のごとくにズラ〜ッと居並んでおります。
開口一番義経公が「あいや一同」。
「へへ〜っ」。
「沖辺はるかに浮かべるあれなる扇船。
何ぞ平家方の計略であろうか」とおっしゃった時に畠山重忠が「恐れながら申し上げまする。
まさにあれなるは誠に卑怯な平家の計略でござりまする。
我ら源氏の弓勢の中に弓矢の技をもってあれなる扇の日輪を射ぬく者がおるかおらぬか試してくれようなんぞという。
射損じた時には源氏の弓勢つたなさよと笑ってくれよう。
万が一あの日輪を射ぬいた時には朝敵にしてくれようという計略が相分かっておりまするから扇の日輪は射ぬかずして扇の要の下一寸ばかりを射きるようにしてはいかがでございましょう」と言上した時に義経公が「さようであるのう。
この義経もさよう心得る。
されば畠山。
御身言いだした者であるからまずは御身一矢試みて候え」。
いや言われた時に畠山が「えらい事を言ってしまったわい」とは思ったけれどもまさかやる訳にはいかないから「下野国那須大領主那須十郎左右衛門殿は音に聞こえた弓取りにござりますれば那須十郎左右衛門殿をお召しになられては」。
「さようであるか。
しからば那須十郎左右衛門を呼べよ」。
「へへっ」。
呼び出されました那須十郎左右衛門六十路も半ばの高齢でございます。
ピタリと着座を致しますと「お召しにござりましょうか。
那須十郎左右衛門にて候」。
「おお十郎ざる爺であるか。
当年何歳と相なられた?」。
「おかげをもちまして64歳となってござりまする」。
「それなる高齢にてこたびの出陣は誠に大儀であるのう。
体の悪しきところはないか」と聞いたのはさっきの連中たちがいたからでございましょう。
「おかげをもちましてなこの十郎左右衛門この年になりまするまでまだ眼は明らか耳は確か。
また歯の丈夫な事はいかなる硬き物をも必ずかみ砕いてご覧に入れ奉りまするぞ。
はばかりながらこの年になりまするまで風邪薬一服服薬致した事これなく至って壮健にござりまする」。
「そうのうてはかなわぬ事じゃの。
しからば那須十郎左右衛門よ沖辺はるかに浮かべるあれなる扇一矢試みて候え」。
「かたじけのうござりまするがあ…あ…あ…ちょっ…」。
「いかが致したのであるか?」。
「ああ〜取るまじきものは年にてにわかな疝気」。
「何を言っているんださっきまで丈夫だと言って自慢をしていたではないか下がれ」。
言おうとした時に那須十郎左右衛門殿は「いかがでござりましょうかな。
やつがれに成り代わり我がせがれ与一宗高。
当年16歳の若武者にござりまするが幼き頃より弓矢の道に志しただいまでは空飛ぶ小鳥さえも射損じる事なき手だれの弓取りに成長致しましてござりますればなにとぞ我がせがれ与一にご沙汰下さりまするように」。
ご機嫌が直って義経公が「さようであるか。
「しからば与一を呼べよ」。
「へへっ」。
呼び出されました与一宗高16歳。
匂うがごとき若武者でございまして義経公の前に参りますと「へへっ」とかわいらしく武者あぐらを。
「与一であるか。
沖辺はるかに浮かべるあれなる扇一矢試みてまいるように」。
「かたじけのうござりまする。
幾多あまた名将がござりまするその中に年若の与一に大勲功仰せつけ下され家の面目身の誉れ。
必ずや与一はあれなる扇見事射きってご覧に入れ奉りまするが万が一しくじりました時には即座に海中のもくざとして消える心底でござりまする」。
「よき覚悟であるの。
しからば与一早う参れ」。
「へへ〜っ」。
承って与一宗高その日のいでたちはと見てあれば卯の花を樹に介したる鎧を着なし。
銀3筋立ての小手すね当て猩々緋には金糸をもって菊一文字三部高に縫い上げたる陣羽織を着用なし弓を引くのであるから兜はかぶらず烏帽子を頂いて馬はやきに余る駿足には銀覆輪とったる木曽山立ちの桐鞍置いて打ちまたがり梅花七輪づかしの伊達鐙をふんばりしれども四人張りの剛弓。
しんたりの形に収めて馬上姿もりりしく今さっくさっくと進んでいきます。
やがてざんぶとばかりに海中に駒乗り入れました与一が海上に突き出ている小さな岩があったからその上に馬上姿で乗り移りましてやがて矢筒から取り出しましたのが鯖の尾の大矢。
弓に加えさせて今射て離そうと思いましたが何と言っても二八荒れ月ですから海上の波々が荒れている船の座が定まりませんから扇が定まっていない。
なかなかこれでは矢を放つ事ができない。
はて何としようと思った時に幼少の頃から父上に言われていた言葉を思い出しました。
「与一も人間困った時には神頼みを致せ」と。
あの言葉を思い出したもんですから胸中において「伊勢国山田に安置奉る天照大神をはじめとして住吉には四社明神加賀国には白山大権現日本64州の八百万の神々に敬って申す事さら下野国那須の湯泉大明神は弓矢に容ある御神と承る。
なにとぞこの与一にあれなる扇を射きらせたまえ」と。
胸中で祈りながら今ぱっちりと眼を開けて見た時に八百万の神々に祈りが通じましたのか油をしいたようにツ〜ッと海面が滑らかになっていたのでございました。
今を置いてほかにはないとがっちりと弓にくわえさせましてキリキリキリッと引き絞ればやがてこの弓は空ゆく満月のごと。
「臨兵闘者皆陣列在前」と九字の真言を胸中にてきりながら今ひょうふっつと射て放った時に鳴鏑のついている矢でございますからリ〜ンリ〜ン。
うなりを生じて進んでいく。
やがて扇要下一寸ばかり。
パッツリ射きったものでございますからその反動において扇がザッザ〜ッ。
はるか中天高くに舞い上がっていったのでございました。
時に文治2年2月18日の春の風が再び吹いてまいります。
太陽の光が海上の波々を金波銀波に染め分ける。
その金波銀波の中に天地金紅にて日輪を描いた扇が折しも吹きくる春の風に誘われてふわりふわりと舞いながら落ち込んでいくその姿の美しい事。
さながら龍田の山の秋の暮れ紅葉を流す泊瀬のごとく。
あんまり美しい光景だったものですから最前申し上げた玉虫御前が思わず感嘆の声を上げるのでございます。
「ときならぬ花やもみじを見つるかな吉野泊瀬のふもとならねど」と敵の快挙ではありましたけれども見事な歌を作って差し出したといわれておりますが実を言うとこの時に船底に潜んでいた例の伊賀十郎兵衛尉家員であります。
あんまり下界が騒々しくなったもんですからひょいと首を上げてみると扇が無くなっているんで。
誰人が射きったのであろうかとぬっくり起き上がりまして伊賀十郎兵衛尉家員小手をかざして見てあれば岸上にまだ若い武者が残っておりますからあの武者が射きったのであるなと思いましたから「あいやそれにおわすは誰人にて候」。
言われた時に与一が「これは下野国の住人那須与一宗高にて候」。
聞いた時に十郎兵衛尉家員が長刀の下はタ〜ンと船底についておいて「扇をば海の藻くずと那須殿弓の上手は与一なりけり。
あこりゃこりゃ」と踊っちゃったんだそうですな。
この人がここで踊ったってえ事が実を言いますと平家滅亡のもとになります。
「踊る平家久しからず」と。
褒められたにもかかわらず若気の至り与一がなんとばかにされたと勘違いをしたもんだからたまりません。
矢筒から取り出しましたのが大の尖り矢で弓にくわえさせてひょうふっつと射て放ったという。
なんとこの矢が伊賀十郎兵衛尉の胸元から後ろのかけほろにまでパッツリ射ぬいたものでございますから「ああ」と一声なんと海中にドッボ〜ンと。
見ておりました平家一党が十郎兵衛尉の敵討ちを致せと船は迫ってまいりましたがいやこの時に屋島におりました源氏方が一党「与一を救え与一を助けよう」というので小舟をどんどんと押し出してまいりましたが第一番の船印はと見てあれば浅黄に白く桐の藤の紋を染め出したる船印は秩父鉢形冑山3か所ほどあるじにして畠山庄司秩父次郎重忠続いて2番手の馬印はと見てあれば秋の風吹いて晴れ渡る空色に丸に三つ引き両の紋所は虎も恐れる壬生なる九十三騎の探題和田左右衛門尉平朝臣義盛続いて近江国これは観音寺山の領主で宇多天皇の後胤源氏のちょうだ佐々木高綱でございまして更に続いて夜明けに近き紅はこれは中村日立介念西そのあと。
向鳩忠と孝との紋所は武蔵国大里をおり志の党の旗頭熊谷次郎直実の嫡子小次郎直家。
中においても那須十郎左右衛門殿が我が子与一がかくほどの大功を立てようとは夢にも白髪の老体。
白髪を綾に畳んで後ろ鉢巻き白桐皮の采配をババリとばかりに振り切って「一同我がせがれはわしが助ける急げよ急げ」「合点承知」。
・「エ〜シッシヤッシッシヤ〜シッシエッシッシエ〜シッシヤッシッシ」黙っているのではございません。
船が遠くに行ったから声が聞こえなくなったってこれが私の芸の細かいところと。
それほど細かい訳じゃないけれども源氏一党が揚々平家の手から那須与一を助け出しまして屋島に連れて帰ったのでございます。
この時ばかりには那須十郎左右衛門殿が我が子与一の手をしっかりと握りまして「与一でかした。
あっぱれであった」。
喜びにつけ悲しみにつけ涙の先立つのが老人の常でございましょう。
こうして我が帖英雄武者鑑に長い間残る事になりましたという有名な「源平盛衰記」長いお話のうち屋島の松ともろともに末代までも芳しき名前を残したおなじみ那須与一「扇の的」という一席この辺で失礼を致します。
(拍手)「第44回NHK講談大会」最後のご登場は一龍斎貞水さんです。
貞水先生16歳で入門されまして人間国宝でらっしゃいますけれどももうず〜っと変わらぬお人柄で。
気さくな方ですね。
新しもの好きでもいらっしゃいますし食べ歩きも大好きでございまして女性もお好きなんだそうでございます。
もう芸人の大先輩として心から尊敬する貞水先生でございます。
本日の演目は「二度目の清書き」。
これはどういう物語でしょう?「赤穂義士伝」の一番いい所でございます。
大石内蔵助が妻と子どもを実家に帰して討ち入り本懐遂げた時に寺坂吉右衛門がやって来るっていうね。
口上が聞きどころになっております。
それでは一龍斎貞水さん「二度目の清書き」ですどうぞ。
(太鼓の音)
(拍手と太鼓の音)
(張り扇)
(拍手)一席おつきあいを願いますがまあいろいろと講談に出てくる主人公には目的を遂げるためにね人に言えないような苦心があったり何かする。
我々がよく申し上げる「赤穂義士伝」という話ですがねこれは何と言っても一番苦労をしたのは頭領の大石内蔵助ですけれどもご主君の敵を討ちますため無論これは吉良上杉の連中の動静を探っているという事が分かっておりますから心にもないような廓通いだ。
連日のように湯水のように金を使う。
浮世大尽などという呼び名をされました。
毎日のように酩酊をして戻ります我が家。
お理玖という奥様が最初のうちは「お帰りあそばせ。
ご苦労に存じます」。
今日このごろは「承りますれば高窓とか申します太夫をお身請けをあそばすとの事それを悋気はつかまつりませぬが妾宅とやら別宅とやらを構えるとの事まことにござりますか?」。
「いやいや妾宅別宅とは思うたが物入りであるでなこの家に連れてまいる。
太夫であるから台所勝手の仕事水仕わざはできぬ。
お前がそれをやってな太夫を姉と思い行儀作法など見習ったがよいであろう」。
これで笑ってる奥さんはいませんからね。
「あなた私但馬豊岡京極家におきまして家老を務めました石束源五兵衛と申します者の娘にござります」。
最後にこれ決まりぜりふは「それでは離縁をして下さいませ」。
「なれば別れてつかわそう」。
(張り扇)売り言葉に買い言葉なんですがそこにもう一人内蔵助の母親だ。
「何という事をその方」。
「お母様私の父は但馬豊岡に存生にござります。
ご面倒を見させて頂きます。
但馬豊岡へおいで下さいまし」。
「参りますとも。
狐女郎のいるうちなどへはいたくはござりません。
嫁ごのお世話になりますから」。
さあここでもって内蔵助が母親と妻これに対しましての離別なる。
(張り扇)「待て。
吉千代大三郎は男の子じゃ。
伜主税は今京大坂を見物に致して不在であるが男の子は男親につくが当たり前だ。
吉千代大三は置いていけ」。
「たとえあなたがそうおっしゃいましてもかわいい我が子をそのような女に面倒を見てはもらいたくござりません。
私がきっと育てます」。
(張り扇)立ち上がりますと持ち来たりました2振の太刀。
「水田の国重これは兄につかわす。
弟には肥前の忠吉をつかわす。
大きうなったれば差せ。
寺坂吉右衛門」。
呼ばれましたのが足軽寺坂吉右衛門。
「但馬豊岡まで駕籠2梃の支度を致せ。
その方が供をせよ。
離別の次第一筆したためねば相成るまい」。
(張り扇)表へ走ります寺坂程なくして「お乗り物の用意整いました。
荷物は舟送りに後ほど致します」。
「そうか」。
辺りの様子を眺めて内蔵助が…。
「吉右衛門但馬豊岡へ参ったれば心中よきなにご賢察を」と。
「心得ましてござります」。
さあこれから乗り物を急がせまして但馬豊岡だ。
(張り扇)京極家の家老で石束源五兵衛当時はご隠居を致しまして伜に源五兵衛を譲って名前が盧山。
毎日一日四方の景色を眺めながらのんびりとしたご隠居暮らしだ。
今日も今日とて縁側でもってこう何か本を読んでいた。
「何?おう。
吉右衛門が参る?。
吉右衛門久しぶりだな」。
「ご隠居様にはお元気なる体を拝しうれしゅう存じます。
旦那様からご書面にござります。
ご老母様奥方様そして吉千代大三郎様ただいまこれへ参りまするお供をして参りました」。
「おおそうか。
しばらくの間お手紙は頂かなかったが拝見を致すか。
『さ候えば妻理玖こと家風に合わず致し離別致し候。
母事も年寄りのせいかとかくわがままのみ申し理玖同道を致したき由よって同道を致させ吉千代大三郎も共にと申すで幼き者は甚だご迷惑とは存じましたるが何とぞよろしくご面倒のほど』。
吉右衛門お手紙のほか何かご伝言はなかったかな?」。
(張り扇)「心中よきなにご賢察をと」。
「お心おきなくと申し上げてくれ」。
(張り扇)「何?お駕籠が見えた?ああさようか。
それではすぐにお出迎えの支度を致。
ハハッ。
孫めが大きゅう相成ったな。
子どもはしばらく見ぬうちにえらく大きゅう相成る。
ハハッ」。
(張り扇)「これはこれは母様にはようこそのおいで」。
「愚かな伜を持ちまして迷惑とは察しましたが嫁女の情けにすがりたくこちらへ参りまして…」。
「何が愚かな伜。
立派なご子息であるといつもお噂のみだ。
ささっ母上様こちらへお上がり下されませ。
理玖もよう参ったのう」。
「18で嫁に参りました。
四十になり家風に合わぬと去られましてござります」。
「フフフ。
合わせ物は離れ物じゃ致し方があるまいがな。
かか様もなここは我が家だとおぼし召して孫2人を両手に花と愛でられ辺りの景色をご覧あそばしのんびりとお過ごしあそばせ。
なれどここにおいでの間は内蔵助殿の噂だけはなさいませぬようにな。
それだけは盧山お願いを申しておきます」。
(張り扇)元禄15年も残すのはもう僅かだ。
表にはというと松を立て竹を垂れ16年未の春を迎える支度だ。
(張り扇)「吉千代大三今日はのう風が強いで表へ出ないでなじいと一緒にかるたを致して遊ぼう」。
(張り扇)「頼みます。
頼もう!」。
「これ誰か来客だ。
玄関近くの部屋に誰かいると言っておるがまたどこか奥の部屋かな…。
お前が兄だ取り次ぎを致せ」。
(張り扇)「誰じゃ?」。
「これはこれは寺坂吉右衛門にござります」。
「寺坂のじいか!お兄上お父上は?」。
「後からいかのぼりを買っておいでになります」。
(張り扇)「じい様寺坂のじいが参りました。
父上と兄上がいかのぼりを買って後刻こちらへ参るそうにござ…」。
(張り扇)「寺坂が来た…。
わしはそれを待っていたのだ」。
(張り扇)「これ理玖。
母じゃにな至急こちらへ参るようにと言うてくれ。
吉千代大三もここへ来るようにな。
すぐにわしは寺坂を迎える支度を致さねばならぬ」。
(張り扇)源五兵衛改めまして盧山一家の者をその場へと集めました。
(張り扇)「寺坂そちが来るのを待ちかねていたぞ」。
「はっ。
お手紙にござります」。
(張り扇)「うん…何?『去んぬる8月の末つ方妻ならびに老母幼年なる者を差しとえご当地に送りその折良雄が心中お察し下されたとの事寺坂より聞いてありがたき事に存じ候。
この吉右衛門手前のそばを離れずに忠義いちずの者ゆえ事の次第は寺坂の口上にて申し述べまするが一応は事の次第をしたためますれば我ら去んぬる12月14日本所松坂町吉良邸に…吉良邸に乱入なし。
伜主税良金怨敵の御首をあげ味方は天運にかない一人の死人もこれなく高輪万松山泉岳寺亡君の墓前敵の御首を手向ける。
伜主税良金一筆まいらせたいと申し候が先を急ぐゆえ子細は寺坂の口上にて申し述べる。
恐惶謹言極月15日草々大石内蔵助良雄』」。
(張り扇)「この年になりながら伜が敵討ちをする事も分からず孫の主税15にて仇を討ったと…偉い働きを致しくれました」。
「あなた今が今まで奥の座敷であなたの事をお噂をした。
面目なく…。
この手紙したためありまするこの一文。
『母ならびに妻理玖にもこの事を申し伝え』。
離別というのは表向きあくまでも私めを妻とおぼし召し下されありがたき事にござります」。
「吉右衛門これなる手紙はあらまし事の次第はその方口上にて申し述べるとしたためあるが」。
(張り扇)「下郎ながらもお供がかないそれ己の目に映りましたるご一党様討ち入りの顛末御物語なつかまつります。
坊ちゃま方もよう聞きあそばせ。
さてもその夜は極月14日夜討ちの勝負はかねての計略打ち立つ時刻丑三つの軒の棟木に降り積もる雪の明かりが味方の松明錣頭巾なこうべに頂き皆一様のいでたちにて地黒の半纏だんだら筋白き木綿の袖印白山足袋に武者わらじ銀の短冊襟につけ表には浅野内匠頭家来何の某行年何歳君恩のため討ち死にとしたためたるをおのおの背中に結び付け投げ鎌投げ槍縄ばしご半弓長刀管槍手槍中にも勇む大高源五殿得手たる掛け矢引き下げて手もなく砕く表門微塵になるを幸いに一時にどっと討ち入れば若手は矢頭右衛門七殿村松吉田が1番に2番は岡島不破小野寺続く3番原杉野間磯貝倉橋早水4番が交じり7人組奥田前原矢田木村物数ならぬこの寺坂以上24名内蔵助様の下知を受け表門より斬り込んで玄関次の間正面まで修羅の戦い火花を散らすまた搦手は若旦那主税様後見小野寺十内殿采配執って下知なせば間兄弟菅谷堀部老人なれどきかぬ金丸勝田大石瀬左衛門劣らじ負けじと死力の勇戦続いて寄り来る潮田貝賀片岡神崎与五郎殿三手の組は三村近松横川茅野赤垣源蔵重賢と弓矢の華と斬り結ぶ。
先駆け好む4番手は入るもあらせぬ間瀬の切っ先中を隔てる中村や操正しき村松の老木の色も若返り十八公が五葉の松23人一統にしのぎを削る太刀風は表裏分かれて47名」…。
(張り扇)「我々は古き播州赤穂の城主浅野内匠頭が浪人ども主君の遺命相続なし斬死遂げんと討ち入ったり少将殿の御首頂戴頂戴なさんと呼ばわり呼ばわり斬り込めば油断大敵なりと上杉の付け人ども剣法自慢の榊原鳥居小林和久清水「浪人どもの錆刀」と広言払って斬って出でここを先途と働くをテモ面白しと堀部大高富森中にも勇む武林鋭き太刀風不破神崎とこの面々に斬り立てられさしもに勇む付け人も枕を並べて討ち死になす。
四十余人の方々はいささか手傷受けたれど命に過ち一人もなく勝負は丑の上刻より寅の頭に至れども卑怯未練な吉良上野いずくへ逃げしか行く方知れず年頃日頃恨みの仇天を翔けり地を巡り七重八重鉄桶の囲みあるといえどもやわかこのままおくべきやそこよかしこと尋ぬるうち天道などか我々一同を憐れみたまわざらんたちまち見いだす袋壁間十次郎が引き出せばいやお見事なり若旦那主税様御敵の御首をあげてござります。
人数をまとめ引き揚げは回向院より一つ目通り永代橋築地を芝に高輪まで血みどろ血まぶれ血装束四十余人の引き揚げを諸侯の見物町人まで褒めざる者は一人もなく中にも心ある武士はこれぞ武士の鑑ぞと涙を流し褒めたるもこれ皆先の御城代大石様采配よろしきを得ましたるがため下郎はこれより芸州広島御舎弟大学様のもとへご注進を急ぎますれば委細はこれにて御免」と…。
(張り扇)忠義の奴寺坂はつばめ返し芸州広島を指して急ぎます。
大石が敵を欺きますそのため離縁と唱え里方へ送りました母や妻子に仇討ち成功足軽吉右衛門をもって知らしめしお耳ふるじ「二度目の清書き」一席の読み切りと致しました。
この辺で読み終わりと致します。
(観客)日本一!
(拍手)ありがとうございました。
今日ご出演の皆さんいま一度ステージにお集まり下さい。
どうぞ。
(拍手)「第44回NHK講談大会」お楽しみ頂けましたでしょうか。
それでは最後に講談会の発展と今日お越しのお客様そしてテレビの前の皆様方のご健勝を祈念致しまして三本締めとまいりましょう。
三本締めでは松鯉さんからお願い致します。
え〜ある時は同じ講談を志す者として互いに手を取り合いまたある時は同業者として切磋琢磨をしてよき好敵手となってますます講談界の発展を祈るためにひとつお手を拝借させて頂きましょう。
お手を拝借。
よ〜う!
(三本締め)よっ!
(三本締め)はっ!
(三本締め)
(拍手)東京・虎ノ門のニッショーホールからお送りしてまいりました「第44回NHK講談大会」これをもちまして終了とさせて頂きます。
皆様誠にありがとうございました。
ありがとうございました。
(拍手)
(拍手)2014/10/04(土) 15:00〜16:40
NHKEテレ1大阪
第44回NHK講談大会[字][デ]

第44回NHK講談大会の模様を紹介▽一龍斎貞水、一龍斎貞山、神田紫、神田松鯉▽一龍斎貞橘、宝井一凜、神田京子、桃川鶴丸▽司会:神田陽子、水谷彰宏

詳細情報
番組内容
第44回NHK講談大会の模様を紹介▽一龍斎貞水「二度目の清書き」、一龍斎貞山「谷風情け相撲」、神田紫「紀伊國屋文衛門宝の入船」、神田松鯉「源平盛衰記より扇の的」▽一龍斎貞橘、宝井一凜、神田京子、桃川鶴丸の新真打ち4人がフレッシュな芸を披露▽司会:神田陽子、水谷彰宏アナウンサー
出演者
【出演】一龍斎貞水,一龍斎貞山,神田紫,神田松鯉,一龍斎貞橘,神田京子,桃川鶴丸,宝井一凜,神田春陽,宝井梅湯,【司会】神田陽子,水谷彰宏

ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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