両親は「全部大事に残しておいてあげて、こんな物まで、とっておいてくれたんだと知ってほしい。
もう一度触らせてあげたい。
」
(黒柳)さて皆様今日のお客様はこの方が19歳の時にお会いしてこちらにおいでいただいて学生さんでした。
その方が本当に俳優として着々とやっていらして明日お誕生日で53歳に…。
はい。
53になります。
一人の方の人生をですね余計なことですけど19歳から53歳まで陰ながら拝見できるっていうのは本当にありがたいことでございます。
こちらこそありがとうございます。
中井貴一さん今日のお客様です。
よろしくお願いします。
まあ本当に初めていらした時はまだ学生さんでいらっしゃって俳優になろうかどうしようか1本はお出になったんだけど考えてるっていう時においでになったという。
それから明日お誕生日で53歳?そうですはい。
すごい。
やっぱり…。
早いですね。
今日はメロンジュースをお出ししているんですけど。
何がよろしいですか?って仰るとメロンジュースと仰るんですけど。
中井貴一様のご家族…っていうかお姉様も含めてですけどメロンジュースの歴史『徹子の部屋』におけるメロンジュースの歴史がございますのでちょっとご覧ください。
すいません。
「『徹子の部屋』は何でも好きなものをねここに出してくださるっていうことを担当の方から伺い…じゃあ一番高いものメロンにしようって言ったら本当にメロンが…」「メロンだ!メロンだ!ってお二人が仰ったからえっ?って言ったらばちょうど…」「なるたけお客様の意に沿うようにしてありますので」「メロンジュースでいいですって言ったんですけど本当にメロンが出てくると…」「どうぞ召し上がっていただければと思いますけれども」「貴一さんは今テニスの選手でいらっしゃるってご紹介したけど大学生でいらっしゃるんでしょ?まだ」「はいそうです」「これから先はどういうふうにと思っていらっしゃるんですか?」「今悩んでる最中なんですけどまず大学は絶対4年で出たいと」「4年で出れなくても絶対出たいと思ってるんですね」「卒業はしたい」「ええ。
けどやっぱりまだ自信がないんですねはっきり言って」「この映画界でずっとこれからっていうのが」「ですから色々共演してくださった俳優さんとね色々と相談していただいたりして」「まだ今準備段階というかこれからはっきりしようと」「バナナジュースに凝ってるの?」「凝ってるんです」「今バナナジュースをお出ししたんですがどういうのがいいんですか?あなたのバナナジュース」「やっぱりねバナナはちょっとね軟らかめの傷んだようなバナナをね使うと割と甘くいい味になるんですけどね」「この前の時ははっきりまだどうしていいか俳優になろうか…1本だけアルバイトでねやめて他の道へ進もうかと思っていらしたけど今だんだん決心は固まってきてる?」「もう今は決めました」「あっお決めになりました?」「どのように?」「もうこの世界で一生やっていこうと」「ああ…」「ちょっと初めにお飲み物なんですけど中井貴一さんのお好きなものなんですけどメロンジュースって。
お可愛らしい」「本当のメロンで作ったんですね。
メロンジュースをお好きなの?」「メロンっていうのは高いものじゃないですか」「ええ」「子供の頃病気をしないと絶対に食べれないものだったですよね」「そうそう」「メロンに対する憧れっていうのがすごく強いんですよ」「なるほど」「それで出していただける…何かお好きなものをって言われたのでああこういう時しか飲めないかもしれないと思ってメロンジュースをね」「今日はまた特製のですね…」「すごいらしいですよこれは」「上物らしいですよ」「そう。
上物の本当のメロンで作ったメロンジュースに…」「いただいてもいいですか?」「どうぞどうぞ」「切り身もついてる」「めちゃくちゃうまい!」「本当?」「これ本当ジューススタンドに行ってあるじゃないですか?するとメロンジュースだけちょっとこうプライスが高いじゃないですか」「そうするとものすごい悩みますもんね」「メロンジュースいきたいけど今日はやめておこうみたいな」「そこまでいいことなかったみたいな」「じゃあご褒美に飲むっていうようなもんですね」「だからもう風邪を引いた時かいいことがあった時にはメロンっていう」「やっぱりメロンを食べてるみたいですもんね」「あー生きててよかった」はい。
いかがですか?ご自分の19歳の時から…。
本当に恥ずかしいです。
意外と…あんな声だったんですね自分。
そうそうそうそうそう。
割と僕たちは自分の声をドラマなんかでも聞く機会がありますけども。
若い時の声って久々に聞きましたけど割とこう…あんな声だったんだなと思って。
そうそうそうそう。
若々しい。
ちょっと恥ずかしい思いはしましたが。
よかったら今日のメロンジュースちょっと召し上がってみていただいて。
本当にこれはおいしいもんですよね。
いやー今風邪の時とかいいことがあった時って言いましたけど風邪の時もなんか自分では買わない…買えなかったですから。
そうですよね。
何となく頂くのを待つっていう。
桐の箱に入ってくるのを待つ。
桐の箱なんかじゃなくても欲しかったっていうか。
うーん!うん!おいしい。
おいしい。
どうしてこんなメロンっておいしいんでしょうね。
何ですかね?これ。
ねっ。
この中に入りたいですもん僕ちょっと。
まあそういうことでございますがあなたの人生も本当に不思議で2歳半過ぎぐらいの時お父様お亡くなりになったの。
はい。
だから随分今のあなたよりもお若いお父様だったのね。
そうですね。
37歳で亡くなったもんですから。
ちょうど今年が父が亡くなって50年なんです。
あっそう。
はい。
ですから…。
うわー。
本当にもったいないことでしたね。
今いらしていただいたらもう本当にいい俳優さんでね。
そうですね。
でもなんかこう…同じ仕事をやってもう僕も三十…それこそ34〜35年…34年ぐらい経つんですけど。
なんか俳優としてはふわっと咲いてふわっと散ったっていう。
美しいまま皆さんの中の残像に残ってるっていうのはある意味子供としては生きててほしかったけど俳優として見るといい人生だったのかなとも思ったりするようになりましたね。
よく同じ仕事をしてると比較をされたりとかお父様を抜いたねとかお父様までまだまだだねって言われるんですけど。
僕の中でも一生たぶん父親を抜けることはないだろうなと思います。
自分が1歩進むと心の中でおやじは必ず2歩進んでるっていう感じはありますね。
でもできることなら本当にお父様のことをはっきりと思い出したいと思ってらっしゃるんですって?そうですね。
本当によく見るんですよ夢を。
あっそうなの?はい。
それで…でもそれはガキの頃から同じ夢で隣におやじがいるんです。
それで面と向かって僕は父に何て呼んだらいいかわからなくて目が覚めるっていう夢なんですよね。
ああそう。
だからおやじとも呼んだこともないし佐田啓二さんって呼ぶのも変だし何て俺は呼んだらいいんだろうこの人のことをって思ってる時にはっと目が覚めるっていうのは今でもありますからね。
なるほどね。
一回だけお父様にお会いしたことがあってねお話ししたかどうかわからないんですけど中国料理屋さん。
当時芸能人がよく行く六本木のとこにいたんですよ。
そしたら私にね「あなたは笑ってない顔は本当に品がいいんだけど笑うとすごく顔が変わっちゃうね」って仰ったんですよ。
本当にうちのおやじは毒舌だったんですよ。
あっそうなの?あの…。
僕もその血は多分に引いているんですけども。
あの…父の毒舌は本当に有名だったんですね。
あっそうだったの?全然私そういう方ではないと思ってたから。
津川さんも仰ってますし亡くなられた小林桂樹さんなんかもよく仰ってますね。
そんなふうに何人か。
はい。
いました。
非常に毒舌で辛辣だしユーモアがあって面白かったって…。
でもねお父様は私に初め褒めてくだすったんですよ。
「あなたは笑ってない顔の時本当に気品があって奇麗だね」って。
たぶん黒柳さんに対しても下心はあったんだと思います。
あなたお母様からお聞きになったそうですけどあなたがお生まれになった時の写真。
ご覧になってお父様は…なんで…。
僕の子が渥美さんに似てるんだって…。
そうそうそう。
ちょっと写真…。
ハハハッ。
相当…あなたこんな顔だったの?はい。
僕4000だったんですよ生まれてきた時。
うわー大きい。
昔は今みたいにおなかの中の写真がわかったりしないので母はお医者さんから双子だって言われていたそうで。
で産んだらでっかいのが1個出てきたっていうふうに母はよく言ってましたけど。
丸々としてたんですね。
本当ね。
それで渥美清さんに似てるってお父様が。
なんで渥美清さんの…。
ちょうど僕が生まれてくる前に『男はつらいよ』になる前の野村芳太郎監督がお撮りになっていた映画に父はご一緒させていただいたらしいんですよ。
僕がそれに出たからかなって…渥美ちゃんに似てるのかなって父は言ったって言ってました。
でも今の顔は…あの顔がこの顔になるとは誰も思わないですよね。
いやいや…。
でも可愛いっちゃ可愛いんですけど。
でも父は僕が生まれて今みたいなルックスの赤ちゃんでしたからみんなお客さんは佐田啓二さんの息子というのをイメージして病院に来るわけじゃないですか。
でそのベビーベッドに寝てる自分を見た時に一回言葉をのむっていうんですかね。
その褒め言葉を探すんだけど「お元気そうな赤ちゃんですね」とか「ふくよかでいらっしゃいますね」とか。
そういう褒め言葉しか見当たらないっていうんですかね。
そんな子だったんですけど父はなんか祖母に「この子は俺の跡取りになる」って唯一祖母には言っていたらしいんです。
僕が大学になってデビューを…ちょうど『徹子の部屋』に最初に出させていただいた頃に祖母が僕に言ってくれましたね。
そういうふうに仰ってたと。
はい。
「2人だけになった時にベビーベッドのあんたを見てね“この子はねおばあちゃん僕の跡取りになる”って」「私はまさかこの子はそういうふうにはならないと思っていたからびっくりしたのよ」っていう話をして。
きっとでもおやじが映画に出たことは喜んでくれてるんじゃないかっていう話をしてくれましたけど。
さてさてごく最近のことなんですけどなんかあなたいわゆる何ていうんですかね。
健康診断とかそういうことを全然なすったことあまりなかったんですって?はい。
なかったです。
それをやっぱり周りの方にも散々言われ…。
僕胃が痛いっていうことがないんですよ人生で。
そうなんですってね。
胃が重いとか…。
実際なかったもんですから。
食欲がないとか。
そういうことが人生で経験がないものですから。
やらなかったんですけど。
思い切って胃カメラと大腸と。
そこはちょっとやらせていただきました。
そうですって。
はい。
それで普通こう何か飲むじゃないですか。
なんか全身麻酔でなすったんですって?今はそういうのがあるんですよ。
ありますよ前からそういうの。
前からあるんですか?ありますよ。
僕はオエーッてなるのがあんまり…嫌なので避けていたのですが友人に連れていっていただいて。
「今はもう寝て起きたら全部終わってんだ」って言われて行ってですね。
僕麻酔の経験もないですから。
「中井さんあなた初めて?」なんて言われて「はい」って。
「あっという間に終わりますから」って。
それで「いや僕でも無理だと思います」「麻酔かかんないタイプだと思います」って言ってて起こされたらもう終わってましたからね全部。
すごいね。
もう何時間も経ってるの?その間。
2時間1時間ぐらいですかね。
1時間ちょっとぐらい経ってそれで大腸も全部終わって血液検査も終わっていて…。
でもやっておくもんですね。
なんかこう…やって大丈夫だったら自信がつくっていうか。
全部大丈夫だったんですって?はい。
全然大丈夫でした。
でもさ1年にいっぺんはやってくださいって普通は仰るんだけどあなたのとこのその先生は…。
「あと7年やらなくていいよ」って「7〜8年は大丈夫だよ」って。
すごい先生ですよね。
言っていただいたんで。
中も奇麗だったから「7〜8年大丈夫ですよ」って言っていただいたんですけどね。
でもそんなにたくさん召し上がっても本当に大丈夫なものなんですね。
胃とか腸とかそういうものはね。
そうですね。
やっぱり50過ぎて少しは気をつけるようにはなりましたけど。
でも…なるべくこういうものはやめようとかああいうものはやめようとかっていうことは考えてはいませんね。
そのまんまね昔と同じように。
ただロケやなんかにいらしてもおなかだけはすかさないでくださいって仰るんですって?僕空腹を我慢するのが駄目なんですよ。
まあ条件としては。
すごい。
条件…うん。
あんまり…大概のことは耐えるけど飯押しとかそういうのだけはやめてもらいたいって…。
飯押しっていうのはどういうの?大体12時から1時の間が昼ご飯じゃないですか。
撮影が佳境に入ってきて自分のテンションがある時はいいんですけど。
ちょっと飯押しでお願いしますっていうと2時ぐらいまで撮影をこう…やって。
続けて…ご飯じゃなくて。
ご飯をちょっと遅らせて2時から昼ご飯を入れるみたいなことがあるんですけど。
そういうことあるんですか。
飯押しっていうの?それ。
あー知らなかった。
みんながご飯ゆっくり食べてるんで押してるのかと思ったらそうじゃないの?違うのね。
逆ですね。
撮影を先にやるので飯を遅らせてますよっていうのが飯押しなんですけど。
あんまりそれは僕の好みではないです。
もう時間にはぴっちり食べたい?割とおなかがすいたまま芝居してると機嫌が悪くなってくるタイプです。
でもよくあなたそれでそういう体形きちっとしてらっしゃいますよね。
運動はしてます。
走ったりとか自転車をこいだりとか軽いウエートトレーニングをやったりとかはやっぱりしますけど。
そういうジムみたいなところいらっしゃって?やっぱりそうやってやってらっしゃらないとこれだけねきちっとならないですもんね。
それだけ召し上がってるんですからね。
なんかハワイにいらした時にゴッドハンド…。
ゴッドハンドっていう人随分世の中にいっぱいいると思うけど一応ゴッドハンドっていう方がいらしたんですって?もう予約の取れないマッサージ師の方がですねいらっしゃるんですけど。
ハワイ?ハワイに。
でも日本の方なんですよ。
マッサージにそこに行って「ちょっと首筋が凝るんですけどお願いします」ってやっていただいて。
で滞在中にもう一回行こうと思って。
行ったら「中井さんって…」やりながらですよ。
「脳ドックに入られたことありますか?」って言われたんですよ。
脳?はい脳のね。
「いやもう全然ないです」。
「はあそうですか…」。
でもまれるんですよ。
フフフ…怖い。
「えっ?ちょっと待って。
その“そうですか”っていうその雰囲気は何ですか?」って言ったら「いや…いやいやいや」って言うんですよ。
「ちょっと先生。
一回手止めてねそれはなんで僕にそういうふうに聞いたんですか?」って言ったら「よくここが張られる方は脳に障害が出てる可能性があるんだ」って言うんですよ。
今まで自分の経験からして。
怖い。
ゴッドハンドが言うんですよ。
ええ。
で「もしよろしかったら帰ったら検査してみてください」って言うんですよ。
その脳のねCTとか撮ってくださいって。
帰ってすぐやりましたよ。
お願いして。
奇麗でしたよ。
あっなんだ。
奇麗だったの?奇麗でした。
フフフ…うん。
脳ははっきり見えますから。
その先生も「すごく奇麗な脳ですね」って言われたのでただの首凝りだったんだと思いますけど。
よかったですねでもね。
はいよかったです。
そういう時心配ですよね。
本当に心配しましたよ。
わかりますそういうのって。
もう帰りの飛行機とかなんとも…早く着かないかなっていうなんかこう…。
こうやっても前に進まないんだけどなんかそういう感じでした。
本当に人間って弱いもので先生が何か仰る時にちょっと間があっただけでも何だろう?とかって思うじゃないですか。
何でもないのにただ先生が唾飲んだだけなのにね。
それでもちょっと心配になるじゃありませんかね。
なんでお医者さんの前だとあんなに人間は従順になるんですかね?そうですよね。
何でも仰るとおりっていう。
「はい」なんて日頃そんな返事したことないのに。
「はい」なんて言っちゃって。
でも話変わって悪いんですけどあなたのうちの犬がなんか高いところにある麦だか何だかを落としてそれをおなかいっぱい食べてししゃもみたいな形になってたって?もう今上が17歳。
あー可愛い。
白いほうの犬は17歳なんですよ。
それでもう人間の歳には換算できない。
やっと歩くのもよちよちでやっとなんで今年の夏乗り越えられるかなとか毎年思いながら…。
あっそう。
はい。
いるんですけどでも17年間生きてくれました。
でもあの時の話はおかしかったですよね。
絶対に跳び上がっても何しても取れるはずもない高いところなんで2匹が話し合って片っぽが肩車になんなきゃ絶対…。
絶対僕はそう思ってるんですけどね。
まあ最近上の子が歳を取ったのでそんなことないですけど。
もう落っこってこない?はい。
っていうことはたぶん肩車してたんだろうなっていう気がしますけど。
それでとにかくその中に入ってる麦でしたっけ?はい。
もち米…玄米を奇麗に…。
本当に朝びっくりしましたもんね。
赤ちゃんができちゃったんじゃないかっていうぐらい。
こんな膨れてるの?おなかが。
はい。
やっぱり本人もぐったりはしてるんですよね。
生米それだけ食ったら。
何となく…起きてこないしなんか動きももそもそしてるし。
そしたらしっかりと玄米が全てなくなってるみたいな。
だからラブラドール飼う方は相当の覚悟が必要だと思いますけど。
お母様お元気でいらっしゃるの?そうですね。
寄る年波ですがおかげさまで元気にしております。
お母様にも見ておもらいになる時あるの?犬。
ないですもう…。
ない?力強いか。
力も強いですしもうそんなさすがに元気はないですね。
そうですか。
今度この映画お出になったあれすごい…『柘榴坂の仇討』ってあれ日本が大変な時の時代ですよね。
そうですね。
ちょうど江戸から明治に移行する時代の話で。
井伊直弼という人が桜田門外の変という1860年に討たれるわけなんですけどもちょうどその時の話。
ちょうどだから侍というものをみんなが捨ててみんな洋装に変わってそれこそちょんまげを…これから洋装に変わっていくであろう変革期に存在をした武士の僕は役だったんですけども。
仇討も本当はいけないんでしょ?ご法度ですよね。
それがちょうど…僕は井伊掃部頭というか井伊直弼を警護してる人間で。
ですから桜田門外でその井伊直弼が討たれたことは自分にとっても罪でもあるっていうものを背負わされるんですけど時代が流れていく中で13年の間敵を捜し続け最後にその敵と出会って…。
すごい。
でもその時にはもう一応仇討禁止令というのは出てるんですけども。
その相手が阿部寛…。
阿部さんです。
あの方も大きいでしょ。
大きいですね。
188ぐらいおありになるので。
188。
だから立ち回りをやってて背中をぱっと合わせるシーンがあるんですけどでけえ!っていう感じがやっぱりしますね。
そりゃそうですよね。
手でも長そうですしね。
刀持ってらしてもね。
ちょっとその映画拝見します。
桜田門外の変で主君井伊直弼を守りきれなかった男
「討ち取ったり!」「何としても首をあげてまいれ!」
(金吾)「どうか切腹をお申しつけくださいませ」
13年もの間彼はただ敵を捜し続けていた
(金吾)「桜田騒動に関わった者を捜しておる!」「えーい!しつこい!」「そなたは彦根の実家に帰れ」
(セツ)「ご本懐をお遂げになるまでおそばに置いていただきます」
(直吉)「いい子にしてたかい?」
大老を暗殺後身を隠し生きる男
運命の2人が出会ったその日時代は仇討を禁じた
「妻子はおられるか?」
(直吉)「男やもめでございます」「若い時分にとんだ親不孝をしちまったもんで生きちゃいられねえようなことになっちまいやして」「実はそれがしも同じ親不孝をした」
(井伊)「その身が尽きる時までは懸命に生きよということよ」うわー!すごいですねなんかね。
この映画自体は…何ていうんですかね。
最近時代劇っていうとどうしてもチャンバラとかそういうものがフィーチャーされたものがあるんですけど割と心を伝える映画なので。
ほう…。
ちょっと役をしっかりつかんでっていうことに心がけてやってきました。
なるほど。
なんかあれでしょ?お小さい時になんか小さい刀を撮影所の方がお父様にくださったかなんかした?はい。
だから…割とガキの頃って男の子ってミニカー派かプラモデルとかそっちかチャンバラとか鉄砲でこう…銀玉鉄砲で遊ぶとかって2つに分かれるんですけど僕はチャンバラ派だったんですよ。
あっそうなの?はい。
それで父が小道具でもらってきてくれたなんか小刀があったんですね。
それが僕の宝物だったんですよ。
だからそれこそ笠智衆さんとかがうちに遊びに来てくれて三井弘次さんっていう俳優さん遊びに来てくれて。
ええ懐かしい。
2人を従えて刀をこう抜いて「赤城の山も今宵かぎり」っていうのをうちでやってたらしいです。
じゃあお好きだったのね。
僕はあれなんですけどよく…。
覚えてらっしゃらない?刀をぱっと出すと笠さんがなんか懐から何か出して刀をすーっと拭いてくれるみたいな…。
そうなの?でもそれでもそういうことがあるんだってね知ることもすごいですよね。
はい。
それもその2人の名優にですね…。
名優にね…。
子供の頃から支えていただいてたと思うと…。
本当だ。
はい。
『柘榴坂の仇討』だそうでございます。
でもお元気そうで本当にねいつもね生き生きしてらして。
徹子さんもお元気で。
ええ元気です。
また…。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
『おしゃべりクッキング』上沼さん今日は何です?2014/09/17(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 中井貴一[解][字]
〜父の死から50年…驚きの写真も公開!?〜中井貴一さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
明日が53歳の誕生日!俳優・中井貴一さんが登場。
◇番組内容
中井さんと『徹子の部屋』との歴史は深い。役者としてやっていくかどうか悩んでいた19歳の大学生の時に初登場したのが33年前。それから現在に至るまで『徹子の部屋』に出演した際、必ず用意するものがあるという。1964年、父で俳優だった佐田啓二さんが37歳の若さで亡くなった。50年が経過した今、まだ2歳だった中井さんには父の記憶は無いが今でも父の夢を見ると語る。ほか、貴重な赤ちゃんの頃の写真を紹介する。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0x0818)
EventID:9827(0x2663)