(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは歌舞伎の名門のおうちにお生まれになったんですけれどもその後なんかあっちこっちぶつかったりねなんじゃかじゃんじゃかやってたんですけどももう今や国際的にも評価の高い女優の寺島しのぶさんです。
(拍手)どうも〜。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
もうねえ…。
(2人)ふふふっ!ほんとお久しぶりです。
ねえ。
もうみるみるの活躍で。
いえいえ…。
でもこういう仕事のときにはお母さん業は?まあちょっとお預けですよね。
お預け?うん。
誰かに預けて…。
うちの両親だったりシッターさんだったりまあ主人だったり。
へえ〜。
いい人見つけたね〜。
あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
父は人間国宝の歌舞伎俳優七代目尾上菊五郎さん。
母は女優富司純子さんという芸能一家に生まれました。
あなたなんてもう怖くないわよ。
その演技力は国内のみならず海外でも高く評価され映画「キャタピラー」では今やその活躍は映画ドラマ舞台とジャンルを問わず輝きを放っています。
と思うんですよ。
あははっ!そんな寺島さんの女優魂にサワコが迫ります。
今フランス人と結婚なさってまあ国際結婚ってことになるけれども今日本にはずっと住んでる?はい。
主人はもう…10年ですね。
ああ〜。
いろいろこう…根本的な行き違いとかいうことあるんですか?あっもう〜秒単位であります。
秒単位であるの?あははっ!もうほんとに。
でもご主人との関係は…まあ小さいケンカはあるにしてももう離婚しちゃう!っていう…。
もうそんなのしょっちゅうですよ。
えっしょっちゅう?しょっちゅうですよ。
フランス人だから理論好きでしょ。
あっそう?そうなんですよ。
だからもうなんかあったらとにかくなんか言ってって言われちゃって。
会話はフランス語?英語ですね。
だからそれもまたフラストレーションがたまるんですよ。
ほんとにもう感情的になったときは日本語です。
向こうもフランス語で。
あっフランス語と日本語の戦いになるの?そうですよ。
でも分かり合っちゃうんですね。
ああ〜そう。
じゃあまずは今でも記憶に残っている一曲それは?あの〜学生時代バンドをやってたのでREBECCAは大好きだったんですよね。
いろんな歌を歌いましたけどやっぱ「フレンズ」が。
REBECCAのコピーっていうかそういう曲を?
(寺島)そうですね。
私女性だけのボーカルで全員男性みたいな。
ほんとほぼREBECCA…。
そういうかたちのバンドをやってたんですか?うん。
で学校の学園祭とか結構歌ってました。
これをやってたんですね。
いいですね〜。
いいですね。
若いね〜。
絶唱してました。
歌手になりたかったんですって?初めは。
初めっていつごろですか?高校生のときですね。
それで本格的にデビューしようと思ったりしたことも?はい。
音楽学校に通ってました何か月間かぐらい。
でデビューにはならなかったんですか?練習してる間に劇団に入って「文学座」に入ったんですよね。
そうやってる間にお芝居のが楽しくなっちゃって。
でも基本ちっちゃい頃からお芝居やりたい気持ちは…。
う〜ん…。
思い返せばあったわけですか?そうですね…。
小さいときから父の舞台を「歌舞伎座」で見てましたしまあそれしか考えられなかったんですよね。
あれってあの〜ほんとに梨園のおうちに生まれた女の子っていうものはねつらいって…。
要するに見に行くものも歌舞伎なんだけどだけど自分は歌舞伎役者になることはできないっていうことを自覚するのはいくつぐらいなんですか?弟がいろいろ真剣にお稽古事を始めて私ももちろん一緒にお稽古…日本舞踊だったり鳴り物だったりいろいろやるんですけど結局弟が舞台出ちゃって私は見る側にしかまわれないっていうことでもう嫌になっちゃって全部辞めましたね。
あははっ。
お稽古事全部辞めて。
無駄だっていうことに気づいちゃうわけ?そうですね。
自分はああいうことをできないんだってなって…。
もうそっから部活に集中して。
中学はバレーボールと高校はハンドボールをやっていてもうスポーツに熱中するしかなかったみたいな。
でもやっぱりどこかに自分は表現者になりたいって思っていてでも親に相談すんのもなんか嫌だし。
そういうことは相談しなかったんですか?しなかったですね。
「どうしたの?しのぶ」って。
そういうそぶりを全然見せてなかったからあの…母は「女優なんてやりたくないんだと思ってた」って言ってましたから。
でもそういう意味ではお母様は女優さんだったんだからだからお母さんの道たどればいいんだっていう考えはなかったんですか?うん。
もちろんあったんですけど。
で母も私がそういうことを好きだなっていうことは分かってたから母のテレビとかにちょっと出させてもらったりとかはしてたんですよ。
でもそういうのって…母が頭下げてんのが嫌だなと思って。
ああ〜無理やり頼み込んで…。
すごく無理やり感があったんですよね自分の中で。
なんか…呼ばれてやってるわけではないんだなっていうのがすごく思っていて呼ばれるようになれたらいいな。
で舞台に立てば自分の中でも自信が付くのかなと思って。
でちょうどそのときに父が太地喜和子さんと共演してましてで喜和子さんがおうちに遊びにいらしてたんですよね。
でそのときに「なんかすごいポツンとしてるけど大丈夫?」って言われて。
「女優とかやんないの?」って言われて「うちの劇団でやったら?」って言ってくださったんですよ。
へえ〜。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
野菜や魚の保存にこだわる「冷蔵庫」持ち運びが負担にならない驚きの軽さの「掃除機」足元から優しく暖める「エアコン」これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」あの…うちの中ではつまり歌舞伎の中に入れない娘としてのコンプレックスがあるかもしれないけども文学座で「お前菊五郎さんのお嬢さんなんだって?」なんていう逆コンプレックスっていうのかななんかこう…。
それは感じてましたけど意外とみんなちゃんと接してくれたっていうかそういうことを抜きにして接してくれたのでそれはありがたかったですね。
結構伸び伸びやらせてもらってました。
うん。
じゃあそこなら自分は…なんかこう生きる場所を見つけたっていう…。
そうですね〜。
やっぱり人の前に出て何かを表現することが私は好きなんだっていうのが確実になったっていう。
でもそうやって本役者っていうの?劇団員になる前に文学座を辞められるんですか?それはどうして?劇団よりももっと違う世界が見てみたくなった。
おっ!なんで?ちょうど卒業公演のときに清水邦夫さんが見てくださってそれで私を見て蜷川さんに電話して「この人を使え」って言ったっていう。
それで蜷川さんの舞台に出ることになった。
(寺島)そうなんです。
だからそれが劇団に滞在してる間に実現してもっとまた間口が広がったときに外に出たいって思っちゃったんですよ。
もちろんその基礎的なことを文学座で勉強しながらもお母さんが映画時代の全盛期の主演女優さんでっていうことになると娘としては何を演じるのもやりにくいとかそういうことはなかったんですか?いやまあ…母と私は全然こうやり方が違うっていうか役に対するアプローチとかその持ってる素材も違いますし母にはかなわないっていうふうにもともとあるんで…。
だから京都とかいまだに行くと「もうお母さんはべっぴんさんやった〜」っつっていっつも言われますよ。
ムッとしないですか?いやもう…それはもうしょうがないですよね。
でも別にそれ今言わなくてもいいのになと…。
ほんとよね。
そうなんですけどね。
でもそれが逆にバネになるっていうか…。
(寺島)う〜ん…。
だったら私はっていうなんかこう別武器を持つっていうんですか?そういう気持ちはあったんですか?そうですね。
やっぱりきれいな人ってきれいな役しかできないと思うんですよ。
どんなに汚い汚れ役をやってもきれいになっちゃうなと思って。
はあ〜。
だから私はそこは強みだってそれはもう蜷川さんが言ってくれたんですよね。
へえ〜。
うん。
「お前は顔じゃない技だ」って。
そんな…そんなにはっきり言わなくたって。
でもなんかほんとに蜷川さんにはもう感謝してるんですけど。
どういうふうにしろとかどういうことを…。
とにかくうまくなれって。
うまくなれ?芝居がうまくなれそうしたら勝てるからって。
結構ターニングポイントでいろんなことを言ってくださる方に出会うんですよ。
ほかにもあるんですか?希林さんにも言われましたね。
樹木希林さん?大御所に囲まれてるなぁ。
はい。
百姓が似合う女優はそうめったにいないからそっちでいった方がいいって。
ああ〜。
でもこういう言い方もなんだけども確かにこうやって稲刈りながらなんですか?っていうのがあんまりきれいな女優さんだと「やってないっしょ?田植え」って思うもんね。
それはそれで映画だって言っちゃえばねそうなんですけど。
私は希林さんにそれ言われたときに「あなたはねお母さんと違うんだからね」っつって。
へえ〜。
うん。
もうほんとに汚い役とか土に根づいた役をやってくといいって言われた…。
へえ〜。
(妻)やっぱり負担ですよ。
お手洗い掃除っていうのは。
(夫)ほかと違うもんね。
ちょっと考えちゃうもんね。
私なんか膝痛めたから余計しんどいし。
(店員)取り付け終わりました。
あっありがとうございます。
(センサーの音)ピッ。
おおっ。
すげぇ。
どれどれどれ…。
この「アラウーノ」は使うたびに自動でお掃除してくれますからトイレのお掃除の負担が軽くなりますね。
全部落ちるね。
よく落ちるほらっ。
今ここに泡ありますよね。
泡のクッションを使って飛び跳ね外に飛び出るのを防ぐ。
お父さん安心してできるわね?そうだね。
…それだけ?ちょっと立ってみてお父さん。
ここ持てるとね立つの楽なんだ。
あっホントだ。
(ナレーター)誰もが使いやすいトイレ空間へ。
パナソニック「アラウーノ」なんか長くなりそうね座り込んだら。
ホントだよ。
気持ちいいから。
本も読めるし。
(ナレーター)パナソニックの超高精細4Kはテレビという概念を超えていく。
映像で彩られた街は人々との新しい関係を築いていく。
そう自由自在に。
心を揺さぶる臨場感を。
常識という非常識を変えてしまえ。
それがWonders!寺島しのぶさんにとって大きな転機になった作品この世の外へ連れてって。
この映画で寺島さんは背中に入れ墨をまとい激しいぬれ場にも挑戦。
これは寺島さんにとってどうしても演じたかった役でした。
原作…車谷長吉さんのあの原作を先に読んで…。
うん。
それが21とか22のときですね。
なんてすてきな表紙なんだろうと思って読んだらもう入り込んじゃって。
ああもうこの綾ちゃんは絶対私って思って…。
私って思うの?私だって思っちゃったんですよ。
で本に挟まってる読書カードに「車谷長吉様へ」って書いてもうどれだけこの本に入れ込んだかっていうことを熱く語り送っちゃったんですよねポストに。
でそこに要するにもしこれを映画化するんだったら綾ちゃんは私って…。
私ですみたいなことを書いたと思うんです。
結構ダイレクトに書いたと思います。
あれは出版社に届きますからね。
そうなんですよ。
でそれもよくよく考えたらそうなんだなって思うんですけどその出版社の方が直接車谷さんに渡してくださって。
監督はいろんな人に会ってたみたいなんですね。
でなかなかこの人っていう人がいないときに車谷さんがその葉書を持っててくださって…。
持ってたんですか?実はこの人でって言って「えっちょっと待って寺島しのぶってあのうちの寺島しのぶがこの役をやりたがってんの?」って監督も半信半疑で。
でその28歳のときに来たんですその話が。
21歳で書いた読書カードが実現したのが28歳のときなの?
(寺島)そうそうそうなんです。
何そのサンタクロースにプレゼント頼んだ以上にすごいってことですよね。
もうほんとにそうですよ。
もうねええ〜っ!って感じだった。
それはどういう気持ちでした?とにかくこの役をやれるっていうことがうれしくてうれしくて。
でもまあもちろんすごくハードな役だったので家族にも迷惑がかかるなとは思ったしまあぬれ場のシーンとかもあったので…。
背中にゃあ入れ墨入れてるし。
ええ。
大ゲンカしましたけどね母とやるやらないで。
えっやっぱり反対だった…。
もう大反対です。
とてもアーティスティックな映画だったのでだからまあ母と父はあまりよくは思ってないんじゃないですかね。
今でもですか?分かんない聞いたことないんで。
でも日本アカデミー賞主演女優賞受賞なさったんでしょ?そうですね。
「映画って最高よ」っていう言葉がだんだんああ〜こういうことかっていうのが…。
何がよかったですか?この1カットに懸ける一体感。
みんながそのスタートまでに懸けるその心意気みたいなものがみんなこう細かく細かくやって組み立ててでレッツゴーっていう感じがすごく皆さん職人な感じがして。
そこからはじゃあ割に映画に対しての意欲が…。
(寺島)そうですね。
やっぱり母の映画論っていうのはずっと聞いていたし。
なんですか?お母様の映画論って。
例えば。
最後の映画が終わったあとの黒いスクリーンに自分の名前がいちばん最初に載るっていうのは快感よって。
へえ〜!言ったことがあったんです。
子供だったんですよそのとき。
でもそれをずっと覚えてて。
でそれはいつか自分もそうなってみたいって思って。
まあ「赤目」のときは2番目だったんですけどでも終わったあとのその…黒い所に自分の字が出てくるってあっこういうことなのかってゾゾゾゾっとしました。
でそのあとまあベルリンの「キャタピラー」まではだいぶあるか。
ありますか?
(寺島)そうですね「赤目」がそのときすごく評価されていっぱい賞を頂いたんですけどでこんだけ賞を頂いたんだからさぞやもっといいいろんなものが来るんじゃないかってやっぱり思うわけなんですけど来る役来る役が結構ぬれ場の多い役だったりとかおんなじような役が来るようになっちゃってどこに進めばいいんだろうって自分で思ったんです。
おもしろくなくなっちゃってた時期なんですか?そうですね〜。
なかなかあの…お仕事をしないでおこうと思ったときに「キャタピラー」の台本を頂いてでこれはどうしてもやっぱりやっとかなきゃいけないって思ったんですよね。
それは本を読んだときにビビッと来るものがあるんですか?ありました。
今までたくさんいろんなものを読んできたのとは違う…。
もう光ってたんです。
何が光ってたんですか?なんか文字が。
ええ〜!なんか文字とセリフがぴょんぴょんこうなんていうんだろう…跳んでた。
いやもうこれは私だっていうようななんか私がやんなきゃって思っちゃったんですよね。
へえ〜。
でも迷ったんですよね。
これをやれるかやらないかまた結構ハードな内容だったので。
でもそれも主人に相談して「どうかな?」って言ったら「鏡を見た方がいいよ」って言って。
「顔が全然違う。
輝いてるからもうそんなの相談しなくても分かるでしょ」って言われて。
まあでも女優さんとして国際的にも認められあの〜なんか取ったぞ!っていうあの顔は忘れられないあの喜び方は…。
そうですねあれは主人がこの「キャタピラー」っていう映画を初めて見たときに絶対に世界で認められなければいけないって彼が思い込んでしまって。
で監督はカンヌを目的にしてたんですけれどもこの映画はもう絶対ベルリンの方がいいって…。
ご主人様が?そうなんですよ。
監督に直訴して。
そしたら監督もすごい柔軟で「じゃあベルリンにするか」って言って変えちゃったんですよ。
あっそれはターゲットを決めてこういくんですか?
(寺島)そうなんです。
あの〜それぞれの映画祭に色があるから。
素晴らしいプロデューサーじゃないですか。
そうなんですよね。
じゃあやっぱり受賞なさったときのあのガッツポーズは…。
やってよかった!っていうもうほんとにこの台本を頂けて監督ありがとうっていう感じだったんです。
やっぱり今こうやって自由にいろんな仕事をやらせていただいてると女でよかったなって今でこそ思う。
今は思う?まあ弟さんは弟さんの悩みがあると思うけどきっとほかのことやりたくてもやっぱり自分はもうおのずと歌舞伎の世界なのねみたいな逆に決められてる方の苦しみっていうかね。
私はそっちの方が苦しいんじゃないかなって思いますね今。
今は?でも昔は違ったんですね。
昔は決められてる方がいいに決まってるって思ってたんですけど。
でもそういう弟さんから見てお姉ちゃん心配だなって思ってたんでしょ?きっと。
そうだと思いますよ。
ほんとに私結構やりたいことやってたので。
へべれけになって路地で寝てたりしたのとか迎えに来てくれてたり。
路地が好きなんですか?なんか狭い所が…。
なんで店で寝ないの?お店はやっぱりなんかこう弱い部分を見られるって思っちゃって。
へえ〜。
そういうとこは負けず嫌いだから見せたくなくて消えたいなどっかでこう…どっかででも寝たいなじゃあ路地がいいかなっていう感じで。
(一同)あははっ!だって路地の奥に入り込んで寝てたっていう。
(寺島)そうなんですよ。
そこをなぜか見つけたんですよ。
すごくないですか?弟って。
(スタッフ)あははっ!全然言ってないんですよここにいるとかっていうことも。
酔っ払って弟に迎えに来いって言うの?いやなんかたぶん弟に電話すればうちに帰れるんじゃないかって思ってた…。
あははっ!どういう弟の利用のしかたをしてんの。
いい弟だね〜。
(寺島)いい弟ですよほんとそれで「姉がすみません」っていつも…。
謝ってもらって?そう…そうなんです。
めちゃくちゃだったんですよほんとに。
なんか今度共演なさる藤山直美さんからなんか言われたって。
藤山直美さんはほんとにあの〜舞台でご一緒してこの人にはなんでもしゃべれるって…。
それはいつですか?「浅草パラダイス」っていう…。
あれに出たんだ。
そうなんですよ。
もう楽屋とかしょっちゅうお邪魔していろいろしゃべったりしたんですけど。
会った途端に仲よくなったんですか?なんかいろいろしゃべりたいって私は思っちゃったんですよ。
「私このままでいいんでしょうか?」とかいろいろ相談をしてて。
人生相談を?たぶん迷ってたんでしょうね私がそのときに。
でそのときに直美さんが人間はねほんとに死ぬまでにいつピークを迎えるかって分からないんだよって。
だから若いときにピークになる人もいれば死ぬ直前にすごく花が咲く人がいる。
でもいつか絶対花は咲くからって言ってくださったんですよ。
それをすごい覚えててそうかその言葉を信じて頑張ろうって。
ああ〜でもまたご一緒したいなと思ったら…。
今回のドラマの話。
そうなんです。
直美さんってもう舞台の人なんでアドリブが大変なんですよ。
あははっ!で私は絶対笑っちゃいけない役なんで。
いつもシャンとした…。
「もう何よそれ!」みたいなことをやらなきゃいけないからめげずにどんどん投げてくるわけですよそのアドリブを。
笑わせようと思って。
笑わせようとして?ずっとここず〜っと立ててましたね。
あっ爪を立てて?笑わないようにするために?ええ〜ではもう一曲選んでいただいている音楽を教えていただきたいのですが。
あの〜TheDoorsの「ハートに火をつけて」。
タイトルがいいなと思って。
仕事の前とかやるぞ!っていうときになぜかあの曲が頭をぐるぐる巡るんです。
あっそうなんですか。
んん〜。
今でもバンド時代思い出してこう歌うっていうことは?台所で歌ったりとかお風呂場で歌ったりとかはしてますけどね。
ふふふっ!身近な所で。
お母ちゃんも大変ね。
はい。
もう子育てでボロボロしてますけど。
ボロボロしてますか?ボロボロしてますもう。
ちょっと青い目が入ってるけどお子さんが将来歌舞伎役者になるっていう可能性もあるんですか?弟のね子供はもう絶対的に。
ああそうなんだ。
ええ。
やらねばならないでしょうけどうちの子はどうなんでしょうね?でも好きなんですよ。
えっ?大好きなんです歌舞伎が。
まだ…。
こないだ2歳になったんですけど。
もう分かる?うん。
「弁天小僧菊之助!」ってやるんですよ。
ええ〜!保育園で切腹とかしたりするんです。
あははっ!2014/10/04(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【寺島しのぶ▽母と違う女優に…】
ゲスト・寺島しのぶ/女優▽「そこが、強みだ—」演出家・蜷川幸雄に言われた、転機となった言葉とは?阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します。
詳細情報
お知らせ
●本日のゲスト・寺島しのぶさんが出演する
秋のドラマ特別企画「最強のオンナ」は、
あす10月5日(日)よる9時〜放送!
「藤山直美&寺島しのぶ二大女優が夢の初競演!最悪の出会いが最高の始まりだった…!」
お楽しみに!!
番組内容
ゲストは女優の寺島しのぶ。歌舞伎の名門に生まながらも高校時代にバンドを組み、本格的に歌手を目指していたが、大学在学中に文学座の研修生に。芝居の楽しさを知り、舞台女優としてデビュー。蜷川幸雄から女優として指針となる言葉をもらったと話す。国際映画祭最優秀女優賞・受賞映画への出演のきっかけも語る。父は人間国宝・七代目尾上菊五郎、母は女優・富司純子、弟は菊之助という芸能一家に育った寺島の多彩な魅力に迫る。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
寺島しのぶ(女優)
1972年生まれ。高校卒業後、文学座養成所へ。研究生の時に蜷川幸雄演出の舞台「血の婚礼」に出演。23歳で退団。映画「赤目四十八瀧心中未遂」「ヴァイブレーター」の演技が認められ数々の賞を受賞。2010年映画「キャタピラー」で、ベルリン国際映画祭の最優秀女優賞に輝く。2012年フランス人アートディレクターのローラン・グナシア氏との間に長男を出産する
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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