ニッポン戦後サブカルチャー史 第10回「ゼロ年代〜現在」 2014.10.03

ニッポンこの不思議な国。
じゃあいつサブカルチャーは生まれたのか。
今に続くサブカルチャーは1956年に始まる。
大胆な宣言で口火を切ったこの番組はニッポンの若者文化大衆文化をサブカルチャーの観点からたどる前代未聞の歴史番組である。
今宵は2000年代から今に至る扉を開けてみよう。
正しいと言われているものから逸脱する。
ナビゲーターはもちろんこの人。
演劇界の奇才…サブカルチャーなのではないか。
共に旅するのはサブカルチャーを愛するジャニーズ…実は鉄オタの…SF大好き!ついに最終講義この番組「いいね!」。
2000年に生まれた子が中学2年生って衝撃的じゃないですか?
(西田)私は小学生でした。
小学生?あっ。
え〜諸君。
いよいよ最終回だよ。
書いてくれるんですね「最終回」って。
いよいよ2000年代です。
で今日の鍵になる言葉は…。
これです。
「虹ヶ原ホログラフ」という漫画です。
2000年代を象徴するキーワードは…浅野いにおの漫画だ。
2003年に連載開始で2006年に単行本になります。
この時間という間がなかなか面白い。
いろんなものがあったという事を今日話しながら2000年代をひとつそこで区切ってみたいと思って。
5!4!3!2!1!
(歓声)華々しいカウントダウンで迎えた2000年代。
日本中がミレニアムのお祭り騒ぎ。
・「世界で一番おひめさま」そしてテクノロジーの進化とともにこれまでにない全く新しいカルチャーが次々と生まれる革命の時代でもあった。
訳の分からない論理は小泉内閣には通用しないという事だよ。
80%という驚異的な支持率を背景に構造改革を目指す大胆な政策を打ち出した。
日本の景気が徐々に回復してゆくさなか同時多発テロが起こる。
その信じ難い光景を前に日本でも不安感が広がった。
その後グローバリズムの荒波にもまれ長引く不況に突入。
特に製造業の落ち込みは著しかった。
若者の失業者が増え非正規雇用の問題も深刻化した。
そんな中で起こったのがスピリチュアルブームだ。
社会への不安感の裏返しなのか精神世界霊的世界への関心が高まった。
パワースポット巡りが人気となり金運恋愛運仕事運のアップを願う人たちが押しかけた。
そんな世の中の閉塞感を尻目にテクノロジーの世界は劇的な情報革命に突き進む。
1999年に開設したネット掲示板「2ちゃんねる」が話題となり既存メディアに対するカウンターとして期待する声すら上がった。
IT業界では起業ブームが起こりネットカルチャーを牽引してゆく。
ネット上のコミュニティーサイトの開設や携帯電話ゲームのサービスも始まった。
2004年「2ちゃんねる」の書き込みから生まれたラブストーリー「電車男」がベストセラーに。
流行語大賞では……などオタク系ワードが並んだ。
オタクが完全に市民権を得ると同時に経済的な市場価値をも期待された。
IT業界をリードしてきたライブドアによる事件がネットカルチャーに水をさすも勢いは止まらない。
スマートフォンの普及でSNSを利用する人は増え続け「つぶやき」は一気に拡散。
「いいね!」をクリックし共感する。
インターネットが作り上げた「つながる社会」はどこまでも広がり続ける。
その新しい形として登場したのが「ニコニコ動画」。
動画をユーザーが公開しそれを見た別のユーザーがコメントでツッコミを入れる。
ユーザー同士が協力して映像に字幕や音楽をつけて投稿し直すといったコミュニティーサイトとして急成長した。
動画にコメントをするっていう行為そのものはいわゆるその前の時代の人からすると「あれが会話か?」っていう事になるとは思うんですけどもやっぱりあそこに参加している人たち当然見てるだけの人たちも含めてあそこではやっぱり会話軸があるという認識があるからこそあそこの動画の中そのものが完全にコミュニティー化してるんですね一つ一つの。
例えば企業とかメディアだったりとかあるいは行政とかそういったものが単純に僕らに対して押しつけてきたものをいいと思ってた時代からむしろ自分たちがいいと思えるものを自分たちでつくる時代になってきてる気はしますね。
このサイトからスターになったのがバーチャル・シンガー初音ミク。
彼女は人間ではない。
「ボーカロイド」と呼ばれるコンピューターの音楽ソフトウェアである。
ここに音階と歌詞を入力するだけで誰でも自作の歌を歌わせる事ができるのだ。
・「きらきらひかる」初音ミクの歌がサイトにアップされるやいなや他のユーザーがその歌のイメージでイラスト・動画を作ってアップ。
誰もがクリエーターとして名乗りを上げる事ができるネット上で初音ミクの世界が育ってゆく。
ついには初音ミクはパソコンから飛び出し一人のシンガーとしてライブ活動も行った。
・「君に出会ってみんな出会って」「”アタシ”であって良かったよ」・「何回言ったって足りないよ」・「声に出して39!」・「あれ、なんだか…」これはバーチャルなのか?リアルなのか?・「今日もありがとう」2000年代メディア革命によって私たちの前に現れた「新たなセカイ」。
そんな中サブカルチャーは何を生み出していたのか。
まあサブカルチャーではないんですがやっぱり同時多発テロは衝撃だったというか何が起きてるのかあまり理解がついていかないっていう。
だから初音ミクも今や僕の中では「あぁ初音ミクね」ってあるけどやっぱり出てきた時は……というのが同時多発テロの辺りから大きくなっていったイメージはあるなあと思うんですが。
2000年に私はアメリカから日本に帰国してきたんですよ。
小中アメリカだったので。
2ちゃんをめちゃくちゃやってたんですよ私。
なので結構見て「電車男」のもともとのスレとか覚えて見てたんですけどでも日本でまさかそれがそんなにはやるとは思わなかったので。
私もその「電車男」ブームがすごい印象に残ってて。
というのも「電車男」が出てから「電車男」とかに詳しい人と思われるようになったんですよ。
なので…。
フフフ。
自分はそういうオタクっていう趣味なんだなあって気付いたきっかけですね。
本当に一般化したのが「電車男」だったんじゃないかなと思います。
「オタク」という概念そのものがね。
2001年の同時多発テロその時僕が感じたのは非常にもろいなって思ったんですよ。
あれだけの構築物がこんな簡単に崩れてしまうのかという。
それまで僕は演劇をやっててどうやって立ったらいいかというような事不安定な場所に立ってる時のあの不安定なままでいいんじゃないかとかっていうふうに考えてたんだけどそれはあんなに簡単にちょっと手で押されたらもし倒れてしまったらその体はいいのかとかという事をあの事件を通じて考えたという事もあるんですね。
それからニコ動の文字があるじゃない?僕はあれ消してたんです。
学生に「俺はあれは消すよ」って言ったら「それ意味ないです」って言われてその事が意味が分かんなかったんだけど。
あれはもうただの動画サイトとして受けてたらでもその学生たちはあれは動画サイトじゃなくてコミュニティーの場所だっていう。
そうなんだよ。
それが分かんなかったね最初ね。
それと今言ったように「つながる」という事というのは確かにもう全然テクノロジーが変わっていく事によって大きくなっていった。
2000年代宮沢が注目したのは一冊の漫画だった。
浅野いにお「虹ヶ原ホログラフ」。
この街の小学生の間で「トンネルの中の怪物が世界を終わらせる」といううわさが広まる。
主人公は学校でいじめに遭っている。
そしていじめによる事故で昏睡状態のまま眠り続ける少女。
彼女は世界の終わりを告げる予言者なのかもしれない。
日常にあるささいな悪意が小学校の同級生たちを残酷にかつ静かに狂気の世界へといざなう。
過去と現在未来が激しく入れ代わりながら心の中にある隠された暗闇があぶり出される。
「卑怯者の君へ怠け者の君へ嘘つきの君へ臆病者の君へ」と帯に書かれたこの物語。
絶望と希望は隣り合わせにあるのか。
2003年に「QuickJpan」で「虹ヶ原ホログラフ」は連載が始まるんですね。
この号ですね。
ダウンタウンが表紙ですけどね。
この2003年にどんなものが他にあったかって事を少し話していけれたらなと思うんですけど。
「アカルイミライ」という黒沢清監督の映画です。
(有田守)おい何やってんだ危ない危ない!危ないよ!駄目だよ。
クラゲの毒侮ってるだろ。
(藤井耕太)ニッポンチャチャチャ!ハハハッ。
刺さないよねえ?来い来い。
来い来い来い。
笹野高史さんが演じる中小企業の工場で働いてる二人の青年の日々。
「アカルイミライ」というのは反語的なねちょっと皮肉のこもった。
ほんとに「明るい未来」なのか。
それはどうも分からない。
ただやっぱり時代を反映してるなあと思うのはこれが「明るい未来」というふうにあえて言う事ででもそれはちっとも明るくはないという。
でねこの「アカルイミライ」と「虹ヶ原ホログラフ」に共通する部分というのどっかあるように感じたわけですね。
実は今回の話は風間君が「虹ヶ原ホログラフ」が非常に面白いって薦めてくれたんです。
それでどういう切り口でいこうかという時にこの作品を見せてくれた事でいろんな事が開けてきたんです。
これとこれはこうやってつながっていくと思ったわけです。
今までサブカルチャーをやってて「ディストピア」だったりとかって街が崩壊している中でたくましく生きてる人たちみたいな描かれ方をしてたんですけどうちらが知ってる2000年のディストピアって意外に街とかじゃなくて精神的なものであって何かこの「虹ヶ原ホログラフ」みたいにとんでもない事とかちょっと目を背けたくなる事って意外に日常の中の平坦なまんま進んでいくっていうのが何となくすごくよく出ていて例えば何か犯罪だったりとかそういう何かを起こす時というのは昔だったら「よしやってやろう」というような意識があったのかもしれないけど日常に疲れて何か気力もなくてそのままスーッて人が批判するようなところに突っ込む感じっていうすごく何かこうありありとあって。
でこの作品の中にある別に本人たちもこの未来を望んじゃいないんだけれども「けどまあこんなもんだよね俺の人生」という感じというのが何かにおいとして周りにあるにおいをうまく捉えてるなあって思いました。
それは僕もそういうのを感じた。
こう誰にも悪意がないうちに死に至らしめてるという事が怖いわけですよね。
この中にもそういう事はあるじゃないですか。
誰かが悪意を持ってるというわけではない。
でもそれがどっかこの表現の方法としても通じてると思うんですよね。
今自分の人生とかが現実だって思えなくなる時があるんですね。
何かこうどこか別の本来進むべき人生があってたまたまこっちにいるけど本当は違うと思う。
生まれ育ち全てこれは本当の私の人生ではないという気がすごいするんです。
なのでここの主人公が夢か現実かみたいなところでちょっと迷うというかそういうふうな話の時にすごく共感しました。
なるほど。
パラレルな…。
(西田)パラレルな。
その表現の方法としてこういうものが共通して出てくる時代っていうのがある。
虹ヶ原にいろんな事が起こる。
それがグロテスクな犯罪になるし何人か死んでいく。
それもかなり残酷な殺され方をしたりする。
「アカルイミライ」にもそういう部分がある。
何か表現の質みたいなものがどっか似ている。
でもそういう人たちのある種の共通した表現というものが何を背景にしてここに出現してしまったのか。
これの中には僕はさっきの2000年代をいろんなものを見てきた中で一つは平成の大きな不況とかね先行きが見えない不安とかというのがあってその不安をどのように表現者たちが描くかというのが過去の描き方では描けない。
今の新しい種類の「貧困」というのがあるはず。
それをどうやって描いたらいいかというのが彼らの表現になってるんじゃないかなと思うわけですね。
個人的になんですけれども今思った部分もあるんですけどこの初音ミクに関して言うとこれ実体がないじゃないですか。
でパワースポットにすがるというのは実体があるものではないものにすがる。
初音ミクも触れなかったり。
今携帯ゲームだったりとかするものに課金をしてお金を使う。
座っていいですか?もちろんです。
でその課金をしてお金を使う。
今までだったらお金を出して何かを買ったら手元に何かが来るはずだったんですよね。
けどその課金のお金をかけたものというのはデータの交換であって手には触れられないもの。
だからだんだん人との摩擦を避ける方向というのが表面化してきてるのかなというのは作品を羅列すると思う。
誰もがつながるはずの社会は全てを幸せにするものではない。
変わっていく私たちの意識。
それを表現するためには新しい器が必要だった。
2000年代それまで日本のサブカルチャーを支えてきた雑誌が相次いで休刊廃刊に追い込まれる。
その一方で新たな挑戦が始まった。
2010年に出現したのがインターネットによる日本初のライブストリーミングスタジオ…トークやDJライブを平日毎日全世界に配信し続けている。
サブカルチャーの定義というのは何なんだろうと考えたら主流であるメインカルチャーに対してのマイノリティーの文化を支えてる雑誌たちそれがサブカルチャー誌だったんだと思うんですけどそれが廃刊に追われる理由というのはやっぱり広告で延命されていたと。
その広告の在り方自体も変わってきたんだと思うんですよ。
そこでやっぱり重要になってくるのがBuzzCommunicationが主流になってきた事だと思うんですよ。
「Buzz」というのは個人が発信した例えばつぶやきのひと言だったりその一つのつぶやきが価値を持ちしかもそれがトレンドセッターである信頼の置けてるポップアイコンの人がつぶやく事によってどんどん拡散されていって広告の輪が広がっていくと。
そういうBuzzCommunicationの中での広告の在り方みたいなものが中心になってきたって事がサブカルチャー誌がなくなった本当の意味だと僕は思ってますよね。
開局以来の視聴者数は4,500万人を超えた。
音楽アート文学からごく私的な意見までジャンルを問わず発信するインターネット放送局に成長した。
昭和の時代から深く親しんだサブカルチャー誌がどんどんどんどん衰退していって廃刊に追い込まれてたという文脈をたどり自分自身がメディアになって日刊のメディアを立ち上げてかつて紙メディアで書いていた人たちが今度は語りでつまりは生身の身体をさらしながら自分たちの世界観を広げていくための動画メディアを立ち上げようと思ったのが大きい理由ですね。
言ってみれば世界で最初にDJ配信を定着させたのがDOMMUNEでそこから世界中で追随が出てきているという現実はありますね。
逆に世界の側から声がかかってその人たちと今コラボレーションしたりもしてるので。
だからそういう意味ではDOMMUNE自体が今インターネットの中でリアルタイムなDJカルチャーの配信をしてる事のオリジナルにはなってるという自負はありますね。
これまでとは違う場所違う方法で今という時代の思いと声が届けられている。
サブカルチャー誌としてはかなり影響力のあった「STUDIOVOICE」は2009年に休刊になっちゃった。
サブカル誌に類するものというのは次々と休刊になっていくという事があったんだけどその中で何か息づいてるものというのがこうした作品の中の底辺をずっと地下の方に潜んでいたんじゃないかなというのが90年代の終わりから2003年から2004年2005年この辺りにず〜っと眠ってたんじゃないか。
それが2006年ぐらいにもう一度出現してきたんではないかなという印象を僕は受けるんですね。
一つ発見したのがサブカルチャーって…ちょっとここに書きますね。
イコール逸脱であると。
ドロップアウト。
逸脱。
ちょっと外れる。
ちょっとずれてしまうというのが僕には考えられたんですね。
これをね例えば「路上のエスノグラフィ」という。
エスノグラフィというのは路上をフィールドワークして記録したものというのがエスノグラフィと言われるものなんだけどこの中にこういう言葉があったと。
だから逸脱という事をしてしまえばアウトサイダーのレッテルを貼られるかもしれない。
ところが僕たちはその事に魅力を感じるわけですよ。
それが都市の傷であろうと思われるんです。
…とこの本の中にあったんです。
バンクシーというイギリスのグラフィティ作家がいるんです。
彼はもう世界的に有名なグラフィティ作家なんだけどこれとか面白いでしょ。
いいですね。
車道の所の線から来てるわけですね。
そう。
描いた人まで描いちゃうというね。
それからこういうね。
おお〜ドキッとしますね。
警官というのは怖いだけじゃないんですよ。
警官の中にもゲイもいますよとそういう事ですね。
それからこれはスーパーマーケットの袋らしいんですよ。
それを旗に見立ててあげているというそういう絵ですね。
神出鬼没世界各地にグラフィティアートを残す本名も生年月日も謎の覆面芸術家バンクシー。
イスラエルとパレスチナの悲劇を象徴するこの壁にバンクシーは平和と自由のメッセージを描いた。
あたかも発言力を持たない者たちの声を代弁するかのようなグラフィティをゲリラ的に描く。
これも一つの逸脱の表現だ。
まあ落書きって迷惑っちゃ迷惑じゃない。
家に落書きされてたらね嫌であるけどでもそれがあるメッセージだったりするのもあると。
逸脱…ドロップアウトというとやっぱり諦めてもう私はいいやというニュアンスが含まれるけど逆にものすごくエネルギーが必要な事をやってる。
能動的であると。
サブカルチャーをしかも追う事で作る事もそうですけどただ全部知るのも掘り下げていくというのもすごくエネルギーが必要な事だから。
何に対する逸脱かなんだ。
つまり…そうか分かった。
上位と呼ばれるものそれから正しいと呼ばれるものそれから権威があるというようなもの。
今作られてる既成の概念だったりという事ですよね。
そういう事から意図的に意識して逸脱する。
この人たちの精神こそがサブカルチャーなのではないかという。
僕はそう考えてます。
精神もそうだし作品そのものをサブカルチャーというふうに呼んでいいんじゃないかなと思いますね。
2004年チェルフィッチュという劇団が「三月の5日間」という作品が…。
もう字が重なっちゃって何が何だか分からなくなってますが彼らは5日間そこにいたという。
六本木のSuperDeluxeというクラブがあるじゃないですか。
クラブで出会った男女がそこから渋谷まで。
そこのラブホで5日間いたとそういうお話です。
外側ではイラク戦争に反対するデモ隊が通ったりしてる。
そういう事と全く関係なく彼らは5日間そこにいたという話を岡田利規が独特な話法で描いた作品です。
これが終わりなんですよ。
「これからはミノベって人と別行動になったアズマ君の方の三月の5日間の1日目の話にこれからなるんですけどライブハウスそこに来るかもしれないという女の子がいたんですね。
その女の子ともしかしたらあれっていうチャンスがあったかもしれないんですけどでも来なかったんですけど女の子は結局。
それでライブも終わってミノベ君も行っちゃったなという事で終電も終わってるし一人で僕はどうするんだこれからってアズマ君思ったって所からそれじゃいこうと思うんですけど」。
これってこんな芝居あるか?という感じじゃないですか。
何せこの岡田君の芝居では俳優が出てきて例えばね「『三月の5日間』という芝居を始めます」とかというような事から始まったりするんです。
全部言っちゃうという。
そこにさっき9.11で非常にもろい身体というのがありましたね。
それを逆手に取って逆にその体を不思議な動きをさせる事によってまた別の身体を見せるというそれに成功してるのが彼の芝居だと思うんですよね。
この言葉がそれを感じさせてくれると。
今までの方法では表現しきれない。
だから逸脱する。
そこにはそれぞれの流儀がある。
宮沢が次に着目したのはヒップホップの世界の変化だ。
これは都築響一さんの「ヒップホップの詩人たち」という本なんですけどここに出てくるのはほとんど地方のラッパーたちなんですよ。
「一発言ってやりてえよ。
政治家が一番のギャングスタじゃねえかくそ!DJちょっと落としてやれよ」。
・「生きてる代金ペイして生活は超ジリ貧」・「源泉徴収税って何の悪ふざけ」・「そこ吸われちゃ家を潤す井戸が涸れるぜ」・「できれば気にしたくない金金金」・「持ってるやつは持ってるなんだかね」・「宗教政治家大企業みんな一緒」・「くそがつくほどまとめ上げる銭勘定」・「まあ何とかなるっしょも通じない年頃」・「1982式帰ってきた無責任男」・「おいおい胸張れ自由業根元から抜け高層鉄筋コンクリート」・「分かっちゃいるけどやめられねえ」最初に出てきたあの坊主頭の彼は田我流という人です。
この田我流さんが一番最初のページに書かれてるんです。
彼はこの「サウダーヂ」のように甲府の近くの街で活動してます。
田我流の他にもさまざまなラッパーがいて都築さんは特に地方のラッパーたちに共感してこの本を書いたんだと思います。
その背景にでも今このラップがこれだけ日本中至る所で歌われているというのはねやっぱりさっき言ったように地方がさびれていく。
シャッター商店街あの「サウダーヂ」にあったじゃないですか。
ああいった現実があるという事もどうも流れている。
だからそれは…気がついたら自分は別の所を歩かざるをえなかったというような事がこれらの作品に共時的に流れてるように思うわけですね。
時代の底に流れる空気いわば時代の無意識をつかみ取り生み出されたものたち。
この黒板は2000年代が生んだ逸脱のグラフィティでもある。
そしてこの2000年代忘れてはならないのが日本のオタクカルチャーの世界進出。
そのパワーは世界を駆け抜けた。
毎年パリで開催される…このイベントは年々勢いを増し今年は来場者が26万を超えたという。
中でも熱気があるのはマンガやアニメ関連のブースだ。
愛するキャラクターに扮したコスプレイヤーたち。
アニメソングをカラオケで熱唱し盛り上がる。

(拍手と歓声)「クール・ジャパン」かっこいい日本。
もともと評価が高い和食文化や伝統工芸品。
伝統芸能などの人気にとどまらずマンガアニメゲームなどのコンテンツやファッションがいつの間にか前面に立つようになった。
2000年代以降それは日本のソフトパワーとなり今やサブカルは成長戦略の要の一つとされている。
ロサンゼルスで開催される…日本のポップカルチャーに特化し毎年入場者数を伸ばしている。
そんな時代世界を熱狂させるコンテンツが生まれていく。
アーティスト…今年ワールドツアーを行い各地でチケットは完売。
延べ3万5,000人を集めた。
きゃりーぱみゅぱみゅがファッションアイコンの原宿発「Kawaii」は万国共通の言葉へ。
海外で注目され日本に逆輸入されるケースもある。
例えばBABYMETALはアイドルとメタルの融合をテーマに結成されたダンスユニットだ。
いかにもアイドルの女の子ゴシック系ミニスカートヘビメタ。
そんな組み合わせが新鮮に受け入れられたのだ。
日本のサブカルチャー情報を海外に向けて発信する情報サイト「TokyoOtakuMode」も立ち上がった。
そのフォロワーは現在世界中で1,500万人を超えた。
アニメマンガ情報はもちろん新しい日本のクリエーターたちの紹介にも力を入れている。
フランスのジャパンエキスポも年に1回のイベントで数十万人集まるイベントなんですけどまだまだニッチなんじゃないかなと僕たちは思っています。
昔日本でもアメリカのサブカルチャーを発見して楽しんでる日本人っていたと思うんですよ。
だからそれと同じような感じで海外でも日本のサブカルチャーを発見して楽しんでるような人たちが増えてると思うんですけどまだまだ数としては少ないので僕たちももっと知ってもらうような形の活動をこれからもしていかなくちゃいけないかなと思ってます。
日本のサブカルチャーというのは海外の人からするとやっぱりかっこいいんですよ。
今日本のサブカルチャーへの視線は熱気に満ちている。
なぜこれほど海外から注目されるようになったのか?市川さんはアメリカにいた時周辺でねどういうふうに日本の文化は受け止められてた?私はすごく印象的だったのが中学までは私が一人で勝手に日本のものが好きで人に薦めてもあまり興味を持ってもらえなかったんですけど一回日本にまあ高校行って大学に一瞬戻った時に日本から来たって突然それがすごいかっこいいものになってたんですよ。
その6年ぐらいの変化で。
「ロスト・イン・トランスレーション」の影響が大きかったんですけどその時は「ビニール傘とか持ってるんでしょ?」とか妙なところを褒められたりとか。
みんなアニメも好きだしもちろん日本食。
ニューヨークの大学だったからかもしれないんですけどやっぱり禅とか武士道とか鈴木大拙とかそういうところから来てたものに憧れも強かったんですけど自分でもびっくりしたんですよ。
突然イケてるものになってて日本から来た事が。
そこで国の政策として輸出するというふうにするとやっぱ官だからこそ伝えられるものというのはあると思うんです。
…とポップカルチャーみたいなものがオタク文化サブカルというものがかみ合うのかどうかというのはあまり感じられないところなんですけどね。
さっき市川さんが言ってたのは誰かが発見したんじゃないかなと思うんですよ。
そのかっこいいという側面をさ。
海外の人たちがカプセルホテルにどうしても泊まりたいっていうそれってでも日本人だから「へ〜」って思うけどでもきっと海外から見たらあれ面白いんだろうなと思うんですよ。
それって海外の人たちに受けるだろうなと思って作ったわけじゃなくて日本の文化だったり日本の風土に合って作っていったものが面白いわけじゃないですか。
さっき宮沢さんが言ったみたいに海外の人たちが見つけて「面白い」と言うものだからこっち側から「これ面白くないですか?」と言うのって意外に難しい事なんじゃないかなと思って。
僕がちょっと間違ってないかなと思ったのは「サブカルチャー」という言葉でみんな語っちゃってるからあれ「オタク文化」と言った方が分かりやすいと思うんだよねもっと。
「サブカルチャー」と言うとちょっと違うものになってしまうし「オタク文化」だとそこに特殊な色合いが出てきてだからこそ光を放っているものだというふうにして彼らにとって魅力になるんじゃないかなと思うんですけどね。
ローマ字で「OTAKU」ここをきっかけにしてさまざまな他にも演劇があり映画があり音楽があり。
こういったものが海外にどうやって伝わってくかというそれはもうやっぱり日本という国はそもそもが人が資源じゃないですか。
大事な資源ですよね。
この人の持ってる我々の表現力とか技術とか知恵とかそういうものが日本の大きな資源なわけでそれをどのようにして海外に持っていけるかというのが大事な事だなという話をして…。
ちょっと真面目すぎて笑っちゃったんですけれども。
そのとおりだと思います。
僕今逸脱してなかったので笑ってしまいましたけども。
クール・ジャパンあるいはジャパン・クール。
世界が発見したのは日本で培われていた独特な感性の形だった。
日本という不思議な国が生み出したファンタジーが今ワールドツアーをしているのだ。
思えば日本の戦後カルチャーは急激に流れ込んだアメリカ文化の衝撃から始まった。
そして古い世代への反抗心反発心の一つの形として太陽族が出現。
60年代高度経済成長。
それは若者たちの闘争の時代でもあった。
急速に豊かさを追い求めたがゆえのゆがみに怒りをぶつけた例えば…全共闘世代は権力との闘いを描いた劇画ナンセンスなギャグマンガに狂喜した。
わい雑で混乱に満ちたカルチャーが新宿から生まれる。
70年代政治の季節は去り闘いにしらけた若者たちの心の解放区となったのがラジオの深夜放送。
そこから聞こえてきたのは音楽文化の革命だった。
モーレツからビューティフルへ。
個人の生活に没頭する人々のさまざまな欲望に応えるように雑誌カルチャーが黄金時代へ。
80年代日本を席巻していたのはテクノポップ。
バブルの到来とともに世の中は何でもありの時代に。
原宿には先鋭クリエーターたちが集まり文化の一大発信地に。
大量消費社会で広告カルチャー文化が花開く。
そして渋谷が若者文化の中心地へと変貌を遂げる。
90年代バブル崩壊阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件。
サブカルチャーは世の中に漂う閉塞感を敏感に感じ取って化学変化を起こしアニメ界では「新世紀エヴァンゲリオン」による革命が勃発。
そしてオタクカルチャーが爆発期を迎える。
その勢いは秋葉原という街を飲み込んでいった。
時代のうねりとともに次々と拠点を替えながら新たなものを生み出してきた戦後ニッポンのサブカルチャーの歴史。
さてそんなサブカルチャーはこれからどこへ向かおうとしているのだろうか?現在においてはやっぱり文化を発信するっていう新しい文化とか新しいサブカルチャーとかというものを発信するっていう場所というのは街区とか街とかそういった固有名のあるところではないんじゃないかっていう。
もしかしたらそれはネット空間だったりするかもしれない。
どこでもいいのかもしれない。
どこにいても何かが発信できるし何かを起こせるかもしれないというのが今の時代を表してるかなというふうに思うわけですね。
そしてこうやってきて一つだけはっきりさせておきたいのは「ポップカルチャー」これはやっぱり「大衆文化」なんですよね。
それから「サブカルチャー」。
これは「下位文化」。
上位に対する下位文化ですね。
それと同時に今日話したキーワードとしては「逸脱」逸脱するものという事になるわけです。
そして「カウンターカルチャー」っていうのはこれは「対抗文化」です。
対抗性カウンターというのは対抗です。
だからカウンターではなくてサブカルチャーっていうのは何かに対抗してるわけではないんですよ。
逸脱するだけなんです。
…と僕は思ってますね。
こういうふうにしっかり整理して考えないと文化をそれぞれ把握するのがごっちゃになっちゃうんじゃないかなと思うんですね。
あらゆるものがオタク文化にしろカウンターカルチャーにしろサブカルチャーにしろ実はポップカルチャーに飲み込まれてしまって全部がポップカルチャーになってしまってるという状況の中なんです。
でもその中からまたヒップホップの詩人たちに出てくるラッパーのように地下に潜んでるというかどこかに潜んでる誰かが何かを始める事によってまた異なる種類の逸脱が生まれると。
それがサブカルチャーじゃないかなと僕は考えてます。
こういう時代になってあらゆる場所に我々は行く事ができるしあらゆる場所のものを見る事ができる。
それからどこで何が起こってるかという事をインターネットを通じて一瞬のうちに知る事ができるじゃないですか。
そうするともっと変わってきますよね。
この中心ってどこなんだろうって。
かつてのようなヨーロッパが中心というわけではないと。
それから周縁っていうのもその外側にあるだけじゃないだろうと。
その変化っていうのを見極めなきゃいけないんじゃないかと思うんですよね。
もしかしたらさそれは…Googleかもしれないでしょ。
中心が。
そしたらそのGoogleの検索に出てきたものだけが全てだと思い込んだら駄目だって事になるじゃないですか。
一番最後の方にある検索結果も見ろと。
最初に出てくる検索結果だけが全てじゃないっていうふうに我々は見なきゃいけないんじゃないかと思うんですよね。
というのが僕の考えですけど皆さんは今日の授業を通してどんなふうに感じられたか?ヒップホップのところで私すごい感極まっちゃって目が潤んじゃったんです。
ええっ!?というのも何でしょうコンプレックスがすごいあったのでそこから生まれるというかそこの世界を描いたものというのを見て何かこうそこに何もないとか精神的に貧しいとか言われがちだけど決してそんな事はないぞというのを思ってすごいうるってきちゃったんですね。
私は発信できないけど発信する人がいてその鬱屈な思いを表現する人がいてそのおかげで救われてる人が私もそうですけどたくさんいるだろうなとすごい思いをはせてしまいました。
うん分かりました。
(市川)一番最後におっしゃってたサーチエンジンで何か検索した時に一番末端のものも最後に出てきたものも見ましょうっていうところで多分このほんと1〜2年2〜3年でネットの探し方がすごく変わったと思うんです自然に。
ネットがあるから新しい文化とか新しい発見が探しやすいと思いきやSNSで「これがいいよ」っていうので終わってしまってるんですよね。
そこで出されたものをみんな消費してしまってるっていう。
いかんせん僕も市川さんの事を知ったのはネットですしね。
じゃあ風間君。
はい。
全ての授業に参加させてもらって…。
無欠席だったね。
無欠席でした。
全て参加させてもらったんですけれどもやっぱり時代が後になってその当時の事を調べた時に下位文化も上位文化もまとめられてしまうんですよね。
けど当時は違ったっていう事をこの授業を通して知る事ができたというのが何よりも面白くて。
やっぱりマイノリティーだったものがだんだん人々の支持を得てメインのカルチャーになっていく。
サブカルチャーだったものがメインのカルチャーに押し上げられて結局僕らはメインのカルチャーになったっていう事実しか知らなかったのでそのマイノリティーの人たちの力というのがサブカルチャーの力なのかなって面白いなっていうのがすごく強く感じた事ですね。
そうだね。
だから何かで終わっちゃうとね例えばYMOという大きな存在があると。
YMOもどこかから来たわけですよ。
どこから来たのかっていう事を系譜的に探っていく事も面白いと思うんです。
というかそういう必要はあると思うんですよ。
インターネットってどこから来たのかもっと言うとビートルズはどこから来たのかとかという事もあるんですけれども。
何でもどこから来たのかっていう事を常に考えていく事は大事だと思いますしね。
この授業をやるにあたってはですねみんなから「独断」だと大いに言われましたけれども独断の何がいけないのかと。
誰かが独断で話さないかぎり残っていかないですからね。
しかしよくこんな番組が10回も続きましたね。
そしてなかなか好評だったという話ですよ。
ああそうですか。
ありがとうございます。
そんなところで「ニッポン戦後サブカルチャー史」これで終わりにしたいと思います。
はい。
じゃあ皆さんさようなら。
帰ります。
そのパターンなんですね最後は。
いや帰るよ。
じゃあね。
(市川)ああじゃあね。
ふふっ。
(西田)ありがとうございました。
宮沢さん今度いつやってくれますかね?分からないね。
(笑い声)またいつか。
ニッポンこの不思議な国。
サブカルチャーとはジャンルではない。
それは精神であり時代と向き合う方法だった。
逸脱する想像力の旅は終わらない。
2014/10/03(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
ニッポン戦後サブカルチャー史 第10回「ゼロ年代〜現在」[字]

ゼロ年代、ニコニコ動画、初音ミクなどネットカルチャーから、時代の閉塞感を描いた漫画や映画、演劇の名作まで。世界が注目するニッポンのサブカルチャーの行方を探る。

詳細情報
番組内容
21世紀のニッポンは、構造改革、規制緩和、グローバリゼーションを掲げて出発するが、やがて不況が訪れる。そんな時代をけん引したのは、ニコニコ動画、初音ミクなどIT系のカルチャーだった。そして漫画、演劇、映画などで、時代の絶望感、閉塞感を描く作品が共時的に登場した。では今、日本語ラップやネット上の新メディアでは何が起こっているのか?世界が注目、日本のサブカルチャーのこれまでを振り返り、行方を探る。
出演者
【出演】劇作家・岸田戯曲賞作家…宮沢章夫,【ゲスト】風間俊介,市川紗椰,西田藍,【語り】小松由佳

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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