歴史酒場「知恵泉」。
今日はとてもスケールの大きな人物を取り上げます。
最近近所にチェーンの大手の居酒屋が出来てもうお客さんも少ないよな。
もうこの店も駄目かもしれないな。
あぁ…。
(増田)店長!もう何言うてんねんな。
こんなおいしいうどん作れんの店長だけやで。
そうですか?こんな関西風の昆布だしのうどんなかなか東京で食べられる所ないねんから。
諦めたらあかんって。
この店ずっとやっといてって。
いや〜実はね昆布だしこれにはこだわりがあるんですよ。
うどん屋か?これからは。
うどん屋にしようか。
これ一本でいった方がええって。
昆布だしやっぱいいでしょ?うん。
ところで店長何で昆布だしって関西かってご存じですか?そういえば何でですかね?そやね。
ほんまや。
関西出身でも知らない?知らんね。
何でやろ?あっいらっしゃいませ。
(宮内)まだやってられますか?もちろんです。
いらっしゃいませ新規のお客さんですね。
プロ野球の球団のオーナーでもいらっしゃった経営者の宮内さん?宮内です。
ようこそいらっしゃいました。
是非ともお掛け下さいませ。
いや〜うれしい。
宮内さんが経営の革命者だというふうに聞いていますのでどうやったらこの荒波を乗り越えて革命を起こしていけるかなというお知恵を頂きたいなと思ってるんですよ。
やはりこういう事業というのはPRといいますかね。
PR。
なるほど。
ここに来られるお客さんだけでなく店の前を通る方にもね新しい事やってるよ面白いメニューやってるよという事が分かってもらえればね。
せやね。
店構えが古いですわ。
増田さん外で呼び込みを。
何でやねんな。
客や客!先生革命といえば江戸時代にも大きな食の革命があったそうですね。
やっぱりさっきの昆布だしですね。
これが大きな味覚の革命でしたね。
司馬太郎さんもそういうふうに言っていると。
その司馬太郎さんが江戸時代一番偉いのはこの人だっていうふうにほれ込んだ人がいるんですね。
江戸時代で一番偉い人?誰ですの?今生きていても活躍できるというほどの人なんですね。
この人がいなかったら今の日本はなかったかもしれない。
そこまで言えるような人がいたわけですね。
え〜誰やろう?さあその人物は誰なのか?その名は高田屋嘉兵衛といいます。
そして今日のテーマはこちら。
「ビジネスチャンスをつかめ!」。
高田屋嘉兵衛の知恵をたっぷりと味わって頂きたいと思います。
関西と昆布だしの関係も分かりますよ。
高田屋嘉兵衛は江戸時代後期海を舞台に大活躍した商人です。
淡路島の貧しい農家の生まれながら一代でなんと1兆円以上の資産を築きました。
嘉兵衛の富の源泉は北前船。
北前船は当時蝦夷地と呼ばれていた北海道と大坂との間を行き来して商品を運ぶ帆船の事。
主に日本海側を航行していました。
北方でとれるニシンそして昆布が大坂に入ってきたのもこの北前船のおかげ。
北前船は途中の停泊地でも商売をします。
品物を買い入れたり別の土地で仕入れたものを売ったり。
あらゆる品を扱う北前船はいわば海の総合商社でした。
多くの商人が参入していた蝦夷地との交易。
嘉兵衛はより大きなビジネスチャンスをつかむため他の人が見向きもしなかった事に注目します。
その内容とは…。
更に幕府から国後や択捉の開発を持ちかけられた嘉兵衛。
それは大きなリスクを伴うプロジェクトでした。
難事業を前に嘉兵衛は一体どんな選択をしたのでしょうか。
次々と新しいビジネスに挑んだ高田屋嘉兵衛。
その果敢な姿勢とバイタリティーは後に幕末の日本の外交史にも大きく影響する事になります。
嘉兵衛の知恵を読み解くのは経済界にその名をとどろかせる…1960年代初め商社マンだった宮内さんはアメリカで当時ニュービジネスだったリース業を学びます。
それまで企業は大規模な設備はもちろんオフィスで使う機器なども自前で購入するのが当たり前でした。
宮内さんたちは日本に「リース」という概念を導入。
企業にとっては初期投資が減る最新の機器をそろえやすいなどのメリットがありました。
その後バブル崩壊などを経ながら宮内さんはリース業を起点に金融不動産自然エネルギーそして球団経営まで新しい事業を次々と開拓していきました。
ビジネスチャンスをどうつかむのか?江戸と平成2人の成功者にその秘訣を学びます。
嘉兵衛のふるさとは淡路島。
宮内さんは神戸ご出身なんですよね。
神戸の気風みたいなのというのはあるんですかね?やはり港町というのはですね伝統がないものだから周囲の事を考えないでどんどんやっていけるとそういう自由な気風があると思うんですね。
まさに嘉兵衛もそうした気風空気っていうのを吸いながら育っていったという人物になるわけですかね。
嘉兵衛はですね北前船で大成功するんですね。
これは今でいうと1兆円ほど財産があったっていうんです。
1兆円ですよ。
1兆円!紙幣じゃなくて?今やったら高田屋紙幣ですか?前田家百万石って言われますけどその3倍以上。
北前船というとどういうものなんでしょう?日本海海運を担った船なんですね。
大坂を出発しますね。
それから?ずっと瀬戸内海を航行して下関海峡を通って日本海に出るわけですね。
それから日本海の沿岸をず〜っと北上して蝦夷地まで行くという事なんですがその間には随分いろんな寄港地があるわけですね。
その寄港地で大坂と上方で仕入れたものをですね菜種油ですとか干物とかお酒ですね。
こういうものをその場で売ってそこでまたものを仕入れてまた次に行ってという形で蝦夷地まで行く。
行きしも帰りしもビジネスしてるわけなんですね。
北前船が違うのは…そこに才覚が必要なんですね。
その分運送業と違って巨額の利益もうまくやれば入ってくるというそういう業種なんですね。
今でいうたら太平洋側の方が港が開けてる感じしますけど当時は日本海側の方が開けとったって事ですか?太平洋岸は波が荒くてなかなか難破も多くて使われなくて基本的には西回り航路というのが流通の大動脈になってるわけです。
高田屋嘉兵衛っていうのはチャレンジスピリットで1兆円もの財力を手にした男なんですけれども宮内さんもリース業全く当時はなじみがなかったわけですよね。
小さな会社が発足してしばらくして社員旅行に行ったわけですね。
そしたら当時の社名は「オリエント・リース」という名前だったんですけども旅館の前に「オリエント・ソース様御一行」と書いてあった。
「リース」いう言葉知らんから「ソース」になってるみたいな。
「リ」が「ソ」に。
ソース会社になってしまう。
それが自然だったんでしょうね。
今どういうものを扱ってらっしゃるんですか?いろんな事をやっておりますが大きなものでは航空機でしょうね。
それからもっとでかいという意味では船舶。
飛行機とか船舶をリースするんですか?そういうのはもう日常茶飯事の事業ですね。
飛行機とか船を一旦会社で購入してそれをリースで貸してるわけですか?そういう事ですね。
だから皆さんお乗りになってる世界の航空機の皆何々「Airlines」と書いたらそこのものだと思われる。
大体世界の半分ぐらいがリース機だというふうに思って頂いたら…。
(増田井上)え〜!それを言うたらローンを組んで返していってるわけじゃなくてまた別会社から飛行機を借りてるんですか?リース会社から例えば5年契約10年契約と借りて使って頂くと。
そうしてる方が言うたら新しい機体を利用できるというメリットとかがあるって事ですか?航空会社にとってやはり財政力というのは限度がありますからね。
それ以上のものを欲しい時にはリース会社から借りてくる。
あるいはひょっとして5年たったらこの機種は要らなくなるかも分からないと。
そういう時にはリース会社から借りる。
リース会社は5年で返ってきたら困るというんじゃこれ事業として成り立ちませんから。
リース会社のノウハウというのはそういうのは返却されても次の航空会社を見つける能力があると。
そういう事ですね。
そういう組み合わせで成り立ってるんですね。
日本の航空会社は昔からそういうシステムなんですか?世界中ですね。
昔から?もうそうですね30年40年そんな形じゃないかと…。
え〜!知らなかったですね。
勉強不足ですわ。
ではその高田屋嘉兵衛という人物はどんな人物なのか。
どのようにして巨額の財を成していったのか見ていきたいと思います。
嘉兵衛のふるさと淡路島で特命店員に調べさせました。
ご覧下さい。
そんな従業員がいたんですね。
そうなんですよ。
主人公ゆかりの地から「知恵泉」の特命店員が取って置きのネタをお届けする…。
特命店員の北郷です。
お店では皆さん楽しくお話されてるんでしょうけど高田屋嘉兵衛私の関心はとにかく…どうしたら…
(北郷)
私がいる所分かりますか?ここここです。
この大きな船嘉兵衛が持っていた辰悦丸を実物大に復元したものです。
全長30m1,500石。
当時としては異例の大きさでした。
しかも嘉兵衛はこんな大きな船をいくつも持っていたというから驚き。
どうしてそこまでのお金持ちになれたのかその秘密を探ります
淡路島の中ほど洲本市五色町。
明和6年嘉兵衛はここで貧しい農民の子として生まれました
嘉兵衛の子孫にあたる田耕作さんに子供の頃の嘉兵衛の様子を聞きました
嘉兵衛さんの小さい頃の何かエピソードって残ってるんですか?木切れをこの川に浮かべてよく遊んだとかいうふうな話が残ってますね。
満潮になる時には海の方から上流の方に流れたりするんです。
潮が満ちてるとか引いてるとかっていうのを子供の時からよく知ってたというふうな事で大人に対しても満潮にはいつなるとかいうような話を子供の時からしてたというふうに聞いてます。
子供の頃から利発だった嘉兵衛。
13歳になると川向こうの漁村に奉公に出ます。
そこで嘉兵衛はよそ者としてひどく疎まれたといいます。
中でも網元の娘ふさとの恋愛は皆の嫉妬をかきたてました。
ふさは村の男たちの憧れでした。
しかも網元といえば船や網を所有する漁師の元締め。
村のマドンナをよそ者の嘉兵衛が。
若者たちは強く反発します。
ある夜嘉兵衛は彼らが自分を袋だたきにしようと狙っているのに気付きます。
身の危険を感じた嘉兵衛はふさと再会を約束して淡路を飛び出します。
向かったのは海を渡った町現在の神戸市。
嘉兵衛はここで水夫となりやがてめきめきと頭角を現していきます
酒どころ灘の地に嘉兵衛の足跡が残っていました。
当時灘では毎年出来たての新酒を江戸に運ぶ海上レースが行われていました。
嘉兵衛もこの競争に参加します。
そこには大きな理由があったといいます
かなり賞金が出たらしいですね。
お金!そして江戸に着いた時にお酒を卸すわけですが…そういう権利もあったらしいですよ。
名をあげたい功を立てたい。
そういう事があったんやと思いますね。
何が力になったんだと思いますか?それはやはり好きな人がおられたんと違いますか?おふささんですか?そうですね。
やはり彼女がいますと頑張らんとあかんとかええとこ見せたいとかねいろいろあるんと違いますか?女性の力って大きいですか?大きいと思いますよ。
やっぱりお金持ちになるためには恋の力が大きいんですね。
お金持ちになる秘訣一つ見つけました。
それは「恋」ですね
優秀な船乗りとして活躍するようになった嘉兵衛は晴れてふさと所帯を構えます。
その後嘉兵衛は自分自身の船を持つため懇意の商人たちから出資を募ります
そして28歳の時ついにあの1,500石の辰悦丸を建造したのです
こうして蝦夷との交易に参入した嘉兵衛。
商売を拡大していきます。
そこにも成功の秘訣がありました
嘉兵衛ゆかりの品々が収められている博物館。
高田屋の法被や暖簾などが展示されています
ここでよく目にするのがこのマーク。
さまざまなところに描かれています
このマークいろんなとこに出てきますけどこれ何ですか?
(斉藤)「山高」という高田屋の会社を示す商標になりますね。
商品にもこの山高マークは必ずつけられて高田屋という会社の信用を表すブランドとなりました。
嘉兵衛は徹底して商品を管理しました。
品質や量をごまかす商人も多かった時代嘉兵衛は昆布やニシンなどに等級を定め更に重量をきっちりと量って出荷しました。
高田屋の商品は安心して取り引きができる。
山高マークはまさに信頼の証しとなったのです。
こうして多くの商人が参入していた北前船の世界で嘉兵衛はぬきんでた存在となりました。
金持ちになる秘訣その二は「信頼」だったんですね
嘉兵衛にはこんなエピソードも残っています。
まだ若かりし頃船の上で一人の新人が古株の船乗りに理不尽にいじめられていました。
それを見た嘉兵衛年上にも臆する事なくいじめをやめさせこう言います
みんな同じ人間じゃないか。
嘉兵衛はこの姿勢を商売のうえでも貫きます。
当時多くの商人がアイヌの人々を不当に安い賃金で働かせたり品物を買いたたいたりしていました。
しかし嘉兵衛はきっちりと契約を交わし正当な額を支払いました。
人は誰もが平等だ。
嘉兵衛のこの考えはアイヌの人々の信頼を得て後に蝦夷地を新しく開発する際大きな力となりました。
金持ちになる秘訣その三。
それは「みな人ぞ」という精神
貧しい農民の子に生まれた嘉兵衛がなぜ大金持ちになれたのか?そこには何より嘉兵衛の人間としての魅力が大きく影響していたのです
逆境の中で支えになる人がいたというのが非常に大きかったというお話なんですけれども宮内さんは逆境の中でこれをバネに頑張れたというようなものはありますか?人とのつながりですよね。
やはり事業というのは一人でできない。
やはりチームというのが一番大事なんですね。
ですから自分を信頼してくれる部下がいる取引先がいる家に帰れば家族がいると。
そういうサポートチームがないといい仕事はできない。
そういう意味ではサポートチームを作るにはその人自身に魅力がないといけないんだと思いますね。
自分を魅力ある人間として磨かなくちゃいけないって事になりますね。
そのとおりですね。
やはり人がついてきてくれる信頼してくれるという事はその人自身がそれを超える人間でないと誰もこの人と一緒にと思いませんから。
現代でもやはりチームリーダーというか企業でいうと経営者というのは人間的な魅力というのを私よく「チャーム」という言葉で言ってるんですけどそういうチャームがないとリーダというのはなりえないんじゃないかと思います。
チャーム?チャームが出てないですよ早くチャームを。
これからチャームを。
(笑い声)その中でね嘉兵衛が一番儲かったというか一番利益を上げたものというのは何なんですか?これはニシンなんですね。
ですけど食べるためではなくて肥料に使うんですね。
肥料が一番儲かったんですか?肥料が一番儲かったんです。
これはグツグツ大量のニシンを煮て脂をとったりですね何かしたあとで最後に残ったかすをこれをまた乾燥させてこれを畑にまくんですね。
どんな畑かというと木綿の畑なんです。
綿花を作るわけです。
綿花というのは商品作物として非常に儲けがあるものなんです。
ただ大量に肥料を投下しないといいものがとれないという事でその原料になったのがニシンなんですね。
肥料に使う魚やったらわざわざ北海道行かんでもその辺に言うたら淡路島の周りにいっぱいおるん違います?ジャコとかいるんですけどこれはねそれほど肥料として上質ではなかったんですね。
ニシンって結構大きい魚ですよね。
なおかつそれが大量にとれるわけですからね。
江差の辺り今行っても当時のニシン御殿とか言ってニシンで儲かった商人たちの家が残ってますけど。
やはりすごい利益を生んだんですね。
そしてもう一つありました。
「みな人ぞ」という言葉ですけども。
宮内さんはどういうふうにお聞きになりますか?「みな人ぞ」とはすばらしい言葉だと思いますね。
まさに現代的なこういう地球が狭くなったグローバルな時代にやはりこの「みな人ぞ」と世界中の人はみんな一緒だというそういう前提でビジネスもやっていかないと駄目だと思いますし。
ビジネスだけじゃないですね政治その他もそうだと思います。
「みな人ぞ」人は平等であって。
これって何か社会貢献にもつながっていくような気が…。
社会に役に立つ何かを作り上げると。
新しいものを作り上げる。
あるいは安いものにするとか今まで想像もできなかったものを作るとか。
物だけでなく物サービス両方ですね。
そういうものを社会に提供していく。
これそのものが社会貢献だというふうに思います。
事業というのは金儲けのためにやってるという事でなく…嘉兵衛自身はまず儲けようと思ってやるんだけどその行動自体は結局関西の人に蝦夷地のものを良質なものを大量にもたらすわけですよね。
それが社会貢献になっていて気付いてみたらあんなお金持ちになってたという事だと思います。
いろんな人が幸せになってるという。
それで結果としてお金が手に入ったらすごくいいですね。
僕のおやじも淡路島出身なんですけどね。
比べちゃいますね。
結果が全然ちゃうな思って。
こんないい宝物ができたじゃないですか。
嘉兵衛はこれからまたビジネスを飛躍的に発展させるわけですがそこにはある一つの知恵がありました。
ご覧下さい。
嘉兵衛にばく大な利益をもたらした北前船。
一方で大きな欠点がありました。
それは11月から2月にかけての冬の4か月間は日本海から強い季節風が吹きつけ航行できなくなる事でした。
更に当時一大消費地に成長していた江戸には大坂で船を乗り換えて運ばなければならない事も大きな手間でした。
そこで嘉兵衛は別のルートに目をつけます。
蝦夷地から津軽海峡三陸沖を通って江戸に運び入れる航路です。
西回りよりも早く蝦夷の産物を届ける事ができます。
それまでこの東回りのルートは寄港できる場所が少なく商売上のメリットが薄いため注目を浴びていませんでした。
また太平洋岸を流れる黒潮が房総沖から伊豆七島にかけて複雑な動きをするため多くの船が難破していました。
嘉兵衛は海の色や風の動きを緻密に読んで危険な流れに巻き込まれない航路を開拓します。
そこではこれまで彼が独自に研究してきた天文学の知識も生きました。
嘉兵衛が読んでいたと言われる天文学の本です。
西洋の新説として地動説が解説されピタゴラスやコペルニクスが紹介されています。
そしてコペルニクスの説として太陽系の惑星の配置が正確に記されていました。
貪欲に知識を吸収していた嘉兵衛。
星の高さや方角から船の位置を正確に把握できるすべを身につけていたのです。
更に天候が悪い時は大島に緊急避難できるよう港の整備も進めます。
こうして東回りのルートの開発に成功した嘉兵衛。
いち早く江戸に商品を運搬する事ができるようになりました。
皆が目をつけないマイナーなものに着目する。
それが嘉兵衛のビジネス成功の鍵でした。
その精神は蝦夷の港の開発でも発揮されました。
当時蝦夷で最も栄えていた港は松前と江差。
どの北前船も寄港していました。
しかしこれらは近江商人が牛耳っておりそれ以外の人々は不利益を被る事が多くありました。
そこで嘉兵衛は別の場所を港として活用しようと考えます。
目をつけたのが箱館。
当時はまだ寂れた漁村でした。
しかし嘉兵衛はここが海流や風の影響の少ない入り江にある事深さが十分にあって大型船を着ける事が可能な事などに着目。
私財を投じて港を開発していきます。
このあと嘉兵衛は箱館に拠点を置き競争相手の少なかった蝦夷地の東部に交易の範囲を広げていきます。
ニシン昆布に加えてタラやサケアワビ数の子など扱う商品も多様になりました。
人気の航路や港を使うだけが成功への道ではない。
「当たり前を疑う」という勇気が彼を当代随一の商人へと押し上げたのでした。
さあここで一品用意いたしました。
常識からいいますと普通ニシンそばが出てきますよね。
流れ的にはね。
うちはそんな常識にはとらわれませんから。
こういったものを作ってみました。
えっ海鮮丼?ただの海鮮丼ではなくて東蝦夷のサケそして箱館のニシン。
その上にはこんもりと淡路島のたまねぎをあしらってみました。
これたまねぎ?そしてお米は三陸のものを使っている。
つまり…
(笑い声)苦笑してるじゃないですか。
味は付いておりますので是非とも召し上がってみて下さい。
宮内さんいかがですか?おいしいですね。
おいしいですか?よかった〜。
この店はやる!これはおいしい!めちゃくちゃおいしい。
この店は居酒屋じゃなかった?さっきからうどん出してみたり丼出してみたり。
うどんと丼とファストフードでいいんです。
居酒屋やめましょう。
居酒屋でやっていきたいんです。
どうしても。
山本先生この従来の航路を変えるという試みどれぐらい画期的なものだったんですか?これは大変な事なんですね身の危険がありますからね。
特に太平洋岸っていうのは海流が非常に厳しいわけですよね。
それをどうやって乗り切るかというのを考えるわけですからこれは大変な事だと思いますね。
もともと当時江戸っていうのはどんどん発展してるわけですよね。
そこに直接商品を持っていくというのは大儲けにつながるわけなんですね。
そういう意味では流通路の大革命だったわけですよね。
宮内さん常識を疑ってかかるこれはどういうふうにご覧になりますか?まさにこれビジネスそのものなんですね。
もし全員が常識を疑わないで昨日やってる事と今日やってる事と同じ事をやったらですね社会の進歩というかまず少なくとも経済の進歩って全然ないわけですよ。
常に私が言ってますのは…昨日はベストだと思ってこれでいいんだと思ってるけども今日会社に来れば世の中は変わってるんですね。
世の中は動いてるわけですからその世の中でまたベストのものを作らないといけない。
ですから毎日同じ事をしてたら駄目だというのもこれは事業だと思ってます。
どうやったら常識を疑えるのか。
コツというのはありますか?自分のやってる事をまずゼロベースで見直してみる。
これでいいのかな他のやり方はないかなと。
それを他の人より何倍かやるというのがやはり新しい事を生む力だと思いますね。
宮内さんの会社はどういう戦略でやってるんですか?自分の城だと思ってる事業をやってると隣ぐらいまでは見えてくるわけですね。
隣?隣の領域。
そうすると隣ぐらいまでは出ていっていいなと。
その方がずっと成功の確率が高いわけです。
ですから私どもはリースというものから隣に行く。
例えば自動車のリース。
自動車の専門家になる。
カーシェアもやりましょう。
それから中古市場にも入りましょうという事でですねリースというのはある意味ではお金を貸してるのと同じだから機械の代わりに直接お金貸してもいいじゃないか不動産やってもいいじゃないかという事で金融が広がっていく。
だから隣に行くとその隣が見えてくるわけですね。
ですから隣戦略です。
無理をしない。
飛地に行かない。
これは分からないとこだから成功確率低いですよね。
隣なら半分以上分かってるわけです。
だからそういう意味で大胆にどんどん行ったという事よりも非常にこわごわと長い時間かけて展開していったら「あなたのとこよく多角化してるな」と言われるんですがそれはほんとに結果そうなったわけですね。
ですからずっとこう行ってずっと巻き返すと元に返ってくるわけ。
いろいろやってきた中でこれは思った以上に当たったなというのって何かあります?いっぱいあります。
しかしそれはその時当たっただけで次の日はお荷物になる時もあるわけです。
これはいいと思ってダーッとやったらですねある日気が付いたらこれは大変だとそういうのもあります。
やっぱり障壁っていうのは付き物なんですよ。
でも嘉兵衛はそこでも諦めずに知恵を使ってそれを乗り越えていったんですね。
2つ目の知恵を味わって頂きましょう。
ビジネスチャンスを次々にものにしていった嘉兵衛。
そこには常にリスクもありました。
しかし嘉兵衛はどんな困難な仕事でも依頼を決して断わらなかったといいます。
ある時嘉兵衛に幕府から壮大な仕事が持ち込まれました。
これも大きなリスクを伴っていました。
当時幕府は蝦夷の近海に姿を現すロシア人に危機感を抱いていました。
蝦夷を管理していたのは松前藩でしたが幕府は蝦夷を直轄地とし自ら統治に乗り出します。
そして国後択捉の島々も開発しようと考えます。
しかし国後択捉間に横たわる海峡はとてつもない難所でした。
波が荒く少しでも風が出ると船が転覆するという地元のアイヌの人々も恐れるほどの場所でした。
幕府は嘉兵衛にこの海峡を越える航路を開拓するよう持ちかけたのです。
誰もが尻込みする仕事。
しかし嘉兵衛は承諾します。
どんな仕事でも断らないが嘉兵衛の信条でした。
嘉兵衛がまず始めたのは毎日山の上から海峡を観察する事。
そして次に海に丸木舟を浮かせました。
その動きをじっと見ていた嘉兵衛。
ついに恐怖の正体を突き止めます。
それは異なった方向から狭い海峡に流れ込む3本の潮流でした。
3本がぶつかり合った場所は複雑で激しい流れを生んでいました。
これまでは島と島の間を最短距離で渡ろうとしたためわざわざこの危険な場所を通っていたのです。
嘉兵衛は国後から一旦北上。
それぞれの潮流が混じり合う前に1本ずつ越えていく航路を開拓します。
冷静な観察が生んだ大きな成果でした。
その後幕府は更なる難題を持ちかけます。
輸送力強化のため大型船を5隻建造するよう命じたのです。
しかし当時その技術はありませんでした。
大型船の建造を禁止していたのはほかならぬ幕府。
鎖国体制を維持するためでした。
そのため技術の継承が行われておらず大型の船を造る事ができなかったのです。
しかし今回も嘉兵衛は断りません。
優秀な技術者を見つけるとなんと自分の娘を嫁がせ身内にします。
そして共に建造技術を開発していったのです。
その結果嘉兵衛は大型船5隻を60日間で建造するという離れ業をやってのけました。
更に嘉兵衛はリスクを回避するための方策を怠りませんでした。
幕府など権力者からの依頼は支払いを踏み倒される危険があります。
しかも今回は超大型プロジェクト。
嘉兵衛は船を建造する経費4,000両人件費1,500両を前金で受け取る事を幕府に了承させています。
難事業を成功に導いた嘉兵衛。
幕府からの圧倒的な信頼を勝ち取り以後蝦夷の交易事業を一手に任される事になります。
難しい仕事でも断らずまず一歩を踏み出す。
果敢な姿勢と冷静な分析が嘉兵衛にかつてない成功を約束したのでした。
宮内さんはこの「断るな!」という知恵ですけども…。
なかなか難しいですね。
ただビジネスというのはですねリスクを冒すという事からしか成功は生まれてこないわけです。
ですから私は経営者のやる事というのはこのリスクを…ほんとのリスクというのは危険ですからね。
危険なものを何とかやれるというとこへ持ってくるのが経営者のする仕事だと思うんですね。
宮内さんいいリスクって何ですか?これはね大変難しいんですけど自分で予測できるリスクですね。
こういうとこは気を付けないと駄目だと…やめた方がいいという事だと思うんです。
ですからグッドになるように予測できるようにどんどんいろんな意味でリスクの量を減らしていくという事ですね。
宮内さんは「断るな!」っていう事に関して社員の皆さんにどういうような言葉を言っていますか?ちょっと乱暴かも分かりませんけれども…「すべてに手を挙げろ」。
つまりチャレンジを忘れるなという事だと…。
そういう事ですね。
組織というは守りに入るんですよね。
これはもうやむをえないと思うんですけども。
守りに入ると小さくなるしかないんですね。
よほど攻め続ける事によってやっと少し拡大すると。
そしてやらせてみたら思惑どおりいかない場合が多いですね。
私はいつも成功率はイチローの打率より低いと言ってるんですけどね。
失敗する方が多いわけです。
失敗するのはご苦労さんという事で早く小さな損でおしまいにする。
成功を何倍にするかという事の方が本当の鍵だと思いますね。
攻める際には隣をちょっとずつ攻めていくと。
今はいろんな事やってますから隣がたくさんありますからね。
何かそのうちね阪神タイガースも買われそうで。
(笑い声)そんな事は全くありえません。
(笑い声)今日の知恵なんですけれども「当たり前を疑え」それから「断るな!」という2つの知恵見てまいりました。
最後に宮内さん流のビジネスチャンスのつかみ方その極意を教えて頂けますでしょうか。
やはり世の中の動きを見るという事とそれから自分自身が相当の専門知識がないと何もできないですから自分を磨くと。
自分を磨き世の中を見るという事になるとですね世の中がどっちの方向へ向いてどういうものを望んでるか見えてくると思うんですね。
それからそれを実現してやろうという熱意とですねこれが一緒になると何かできるんだと思うんですがね。
今の経済社会ってのは非常に動きが激しいですから我々の身の回りにビジネスチャンスはあると思うんですね。
それを大事に自分でどこまでやれるのかというそういうチャレンジをしていけば一人一人のビジネスマンも伸びていくし私は最後は日本経済も伸びていくんだろうと思います。
この店もね更に大きくビジネスチャンスをつかむために私もねもう断らないし常識を疑っていこうかなと思ってるんですよ。
何でもリクエストして下さい断りませんから。
居酒屋やけど酒を出さないとか。
ハハハ!それはできません。
お金をもらわないとか。
それもできません。
はやるよ。
それもできません。
お金もらわんかったらはやりますよね。
それは断る。
(笑い声)また来週もお越し下さい。
ありがとうございました。
2014/09/16(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) ビジネスチャンスつかむには?高田屋嘉兵衛[解][字]
江戸時代、貧しい農家に生まれながら、資産1兆円の豪商になった高田屋嘉兵衛。ビジネスチャンスをつかんで成功するには?金融から球団経営までてがける宮内義彦氏が伝授。
詳細情報
番組内容
江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛。貧しい農家に生まれながら、えぞ地との交易で大成功し、1兆円を超える資産を築いた。司馬遼太郎が「人の偉さの尺度を、たとえば英知と良心と勇気ということにすると、江戸時代を通じて最も偉かった人物。それも2番目が思いつかないくらいに。」と高く評価した嘉兵衛。人生の転機は、なんと恋だった。ゲストは、金融から球団経営までてがける宮内義彦さん。ビジネスチャンスをつかむ方法とは?
出演者
【出演】オリックス株式会社元会長…宮内義彦,東京大学史料編纂所教授…山本博文,増田英彦,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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