NHK高校講座 日本史「近世の経済と産業」 2014.10.03

歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
突然ですが東京の名産品といえば浅草のりやつくだ煮があります。
みんなの出身地にはどんな名産品がありますか?私は千葉出身なので野田や銚子のしょうゆが有名です。
私は埼玉出身です。
なので狭山茶というお茶が有名なんです。
私は大阪出身です。
大阪といえば何といっても食いだおれです。
大阪はやっぱり何を食べてもおいしいんです。
食いだおれっておいしいの?ん?何か違くない?まあまあ。
みんなが答えてくれた名産品実は江戸時代にルーツがあったんですね。
食いだおれもですか?は?もちろんですよ。
え〜!そうなんですか?今日は日本各地に名産品が生まれた江戸時代の様子。
これを学んでいきましょう。
おお〜。
早く知りたい。
では今回の重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…全国には食べ物やお酒織物や陶磁器までたくさんの名産品特産品が生まれました。
それらは人口100万の大都市江戸に運ばれ人々の暮らしを支えます。
今回押さえるべき「三つの要」は…大江戸100万人の暮らしを支えた経済と産業はどのように成立していたのでしょうか。
ではここで江戸の100万人がどれだけすごかったのか見てみよう。
これは同時代の世界の都市の人口を比べた表です。
こうやって比べてみたら江戸の100万人がどれだけすごいか分かってもらえました?一番多いですね。
すご〜い。
なぜこの江戸こんな大都市になったんだと思います?いっぱい名産品が集まっていたからかな?…って思うんですけど。
食べ物が豊富だったとか。
ああ〜。
なるほど。
江戸が大都市になった理由を今日も「三つの要」に沿って推理していこう。
その一。
世界有数の巨大都市東京。
その前身は徳川家康が幕府を開いた江戸です。
家康が入った当時江戸は湿地が多かったため大規模な埋め立てを行い新たな都市づくりが行われます。
大工や左官鳶などの職人たちが全国から集まり人口は急激に増えました。
それに拍車をかけたのが参勤交代です。
諸大名はたくさんのお供を連れ江戸に滞在しました。
江戸城の周りに建ち並ぶ大名たちの屋敷。
江戸に滞在する武士たちのために次々と建築されました。
江戸は拡大を続け18世紀初頭には100万人を超える人々が暮らしていたと推定されます。
一大消費都市になったのです。
しかしこれだけ膨大な人口を抱える江戸の需要は関東地方の農村では賄いきれませんでした。
江戸の消費物資の多くは京都や大坂いわゆる上方から供給されたのです。
大坂は西日本をはじめ北陸東北地方からの物資が集まる最大の商業都市でした。
そのため「天下の台所」と呼ばれました。
最大の商品は米です。
各藩の年貢米が大坂の市場を経由して全国に供給されるシステムが整ったためです。
一方京都は文化・工芸の中心都市になりました。
宮廷のきらびやかな生活を彩る道具や美術品を作る一流の技術を持った職人たちが集まっていたためです。
例えば京を代表する高級絹織物が…平安時代に朝廷の衣服を作った伝統を引く職人が生産しました。
三都はそれぞれの特徴を持って繁栄していきました。
それは現在にまで続いているのです。
ちょっとこちらを見て下さい。
これ江戸時代に書かれた三都の特徴を表したものなんです。
まず京都。
こう書いてあります。
京都の…
(込山)着だおれ?要するに文化の中心地である京都の人はおしゃれだという事を表しているんです。
そして大坂はもちろん…ピンポンですね。
江戸時代から言われてたんですね。
大坂は「天下の台所」といわれてました。
おいしいものがたくさん集まってたんですね。
そして最後は江戸の特徴。
何て書いてあるか分かりますか?
(向井地)え〜う〜ん…みんな分からないだろうな。
最後はねこう書いてあります。
(生徒たち)飲みだおれ?飲みだおれでした。
何で飲みだおれなの?飲みだおれというのは…え〜。
ああそっちの「飲み」か。
この事について調べてくれたのが込山君。
は〜い私です。
なぜ飲みだおれなのか江戸の人たちの暮らしを調べてきましたのでこちらをどうぞ。
どどん!こみはるがまず訪れたのは…江戸時代末期の深川の町を実物大で再現しています。
こんにちは。
あの〜江戸の暮らしについて教えて下さい。
はい。
資料館のガイドを務める米澤さん。
江戸時代の達人です。
早速江戸庶民の暮らしぶりを体験しに行きます。
狭い路地に入ると小さな部屋がいくつも並んでいます。
これが長屋という賃貸住宅です。
(込山)お邪魔します。
(米澤)はいどうぞ。
部屋はおよそ4畳半一間。
トイレも風呂もありません。
この広さで4人家族も住んだといいます。
(込山)あっ貝殻だ。
この部屋は貝のむき身を売る棒手振りの独身男性の部屋を再現しています。
棒手振りとは天秤棒で商品を担いだ物売りです。
江戸には農家や漁師の次男や三男坊地方で食い詰めた人々などが豊かな暮らしを求めたくさんやって来ました。
そうした人々が就いたのが棒手振りです。
彼らは僅かな日銭を稼ぎ長屋に住んだのです。
これは江戸の住居分布。
紫が武家地。
黄色が町人地です。
町人地には人口の半分50万もの人々が暮らしていましたがその面積は武家地のおよそでした。
現在の東京のおよそ4倍もあったと考えられています。
(込山)私結構お洋服が多いんですよ。
どこにしまうんですか?荷物はそこに風呂敷でくるんでありますよね。
はい。
必要なもの以外は持たないといいますか…。
(込山)へえ〜。
人口密度が高かった江戸の町。
物を持たない事が庶民の生活の知恵だったようです。
次に飲みだおれの具体的な証拠があると聞き東京都埋蔵文化財センターに向かいました。
江戸時代の埋蔵品に詳しい長佐古さんに話を聞きました。
これは東京で発掘された江戸時代の陶磁器。
この中に証拠があるという事ですが…。
ここに陶器の瓶がたくさんあるでしょ?
(込山)はい。
(長佐古)これが飲みだおれの証拠なんですよ。
これはお酒を入れた徳利です。
酒屋さんがこれに入れてお酒を売りました。
粗末な作りのものが多く「貧乏徳利」と呼ばれていました。
更に江戸末期になると捨てられた焼き物の半数近くを占めるそうです。
なぜそんなにお酒を飲んだのでしょう。
長屋で暮らした地方出身の人たち。
江戸末期に向けて増え続けます。
僅かな日銭を稼ぐ毎日の楽しみといえばお酒だったのです。
また参勤交代で単身赴任の武士たちも酒の消費量を増やす要因でした。
これは江戸の居酒屋を描いた絵図。
武士も庶民も同じ店で一緒にお酒を飲んでいます。
じゃあ本当にお酒が大好きなんですね。
そうだったのかもしれませんね。
時代劇でも江戸の庶民がお酒を飲むシーンって結構多いんですよ。
そういう意味では豊かで平和な時代だったのかなと思うけどね。
そうですよ。
江戸の町並みに行ってお風呂とかもみんなで一緒だから昔の人たちはすごいみんな仲良しなんだなって思いました。
そうねえ。
隣がすぐですもんね。
だから仲良くしてなかったら生きていけないよね。
うん。
館長。
はい。
江戸の人たちが飲んでいたお酒は江戸で造っていたって事ですか?実はですね江戸で飲まれていたお酒のほとんどが下りものといわれる上方のもの。
上方から来るんで下りものと呼ばれた訳なんですね。
ではなぜ下りもののお酒が江戸っ子に人気だったのか次の「要」にその理由が隠されています。
え〜何だろう。
理由?さあここで「三つの要」その二。
江戸時代以前酒は奈良や京都が伝統の産地でした。
朝廷のための酒造りが盛んだったためです。
江戸時代に入り台頭したのが大坂周辺の酒です。
独自の技術によって口当たりのよい酒を造ったのです。
更に技術革新による大量生産も行いました。
人力で行っていた作業を水車を使う事で効率化したのです。
こうして上方の酒は大量に江戸に出荷されました。
しょうゆも上方が優勢でした。
18世紀初頭江戸で使われていた7割以上が薄口しょうゆといわれる上方産のものだったのです。
しかし上方の職人が現在の千葉県でしょうゆを造り始めた事で事態が一変します。
江戸前ずしやそばなどに合う濃い口しょうゆを開発。
これが評判となり上方からシェアを奪還したのです。
織物も上方と肩を並べる地域が江戸の周辺に現れます。
江戸中期から現在の群馬県で生産された桐生織物は京都で生まれた高度な技術を導入して開発されました。
やがて「西の西陣東の桐生」と呼ばれるまでに成長します。
ほかにも陶磁器や食品など全国各地に現在まで続く特産品や名産地が生まれていったのです。
そのとおりなんです。
そして全国の名産品が江戸をはじめ全国津々浦々に行き渡っていく訳なんですね。
さあそれを後押ししたのが次の「要」という訳です。
「三つの要」その三。
大量の物資を安く運ぶために発達したのが海運です。
江戸時代には海の航路が整備されました。
特に江戸と大坂を結ぶ南海路は下りものを江戸に運ぶ重要なルートです。
大坂の港は出船千艘入船千艘といわれ全国の船が行き交いました。
物資の輸送に使われたのは廻船と呼ばれた船です。
南海路には菱垣廻船と呼ばれる定期船が運航しました。
菱垣廻船は菱形の模様が特徴です。
このような廻船は最大でおよそ45tもの物資を運ぶ事ができました。
更に酒樽を積んだ樽廻船も運航されるようになりました。
江戸に大量の酒を供給したのがこの樽廻船です。
海上交通の整備に力を注いだのが江戸の商人…東北地方の年貢米を江戸大坂に運送する事を請け負い東廻り航路西廻り航路を整備しました。
これによって江戸と大坂を中心とした全国的な物資の流通網が完成したのです。
幕府は陸路の整備も行いました。
諸大名に課した参勤交代のため全国へとつながる街道が必要になったためです。
その主要な道が五街道です。
重要な幹線道路でした。
五街道を整備すると各地の城下町をつなぐ脇街道も造られ全国の都市が道で結ばれていきます。
陸と海交通網が整備された事によって全国の物資が江戸に集まってきたのです。
江戸の繁栄は産業と流通の発展があったからという訳ですね館長。
産業と流通の発展というのはそれは戦乱の世が治まりまして太平の世になった事でもたらされたものだと思いますね。
現在の産業と流通のルーツこれがもう既に江戸時代からあった訳ですよ。
今でもそうでしょ?道路がまず完備されてそこで工場が出来て早く都会にものが運ばれてきたりする。
そうすると経済も発展する。
このもとですよね。
それがもう既に江戸時代にあったって事なんですよ。
すご〜い。
すごい!ここで我が校の特別講師佐伯先生にお話をお伺いしましょう。
先生よろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
今日は江戸時代の繁栄ぶりを知る事ができる資料をお持ちしました。
こちらをご覧下さい。
(佐伯)何か欲しいものがあった時にどこにそのお店があるか詳しく書かれた本なんです。
目次に「いろは」の順に項目が並んでますので例えば先ほどのお酒でしたら「さ」の所を引くとお酒が出てきます。
(生徒たち)へえ〜。
(佐伯)先ほど出てきたように「下り」と書いてあるものが主流でどの店も…。
この「下り」これが値打ちなんだな。
右側に住所が書いてある。
「南茅場町」。
店名と住所だけなんですか?いえ。
こちらはいろいろな銘柄と値段が一覧になっています。
これすごいね。
えらく細かく書いてる。
これ「薩州」でしょ。
薩摩ですよ。
薩摩からのお酒なんて八百文ですよ。
(向井地)今だと…。
今のお金ですと…それだけ運送費がかかりますから遠くから運ばれてくるものは結構な値段がする訳ですよ。
なぜこんな本が作られたんでしょうね。
この本の序文には…そういう事が書かれています。
すごい栄えてたんですね。
戦がない平和な時代が来ました。
だからこその繁栄だったんじゃないのかな。
(佐伯)そうですね。
やはり江戸時代というのは戦がなかったという事に関しては世界的に見ても非常に珍しい時代ですのでその中で商人の活動が活発になって都市が発達したと。
そういう事につながる訳ですよね。
これがやはり江戸時代の一つの特徴である訳です。
だんだん侍の時代から少し経済の時代へと変わってきたって事ですね。
そうですね。
まさにそのとおりだと思います。
(一同)どうもありがとうございました。
館長。
私たちAKBも100年後に東京名物として歴史の本に載っていたいです。
確かに載りたい。
秋葉原名産とかいってね。
歴史の教科書に載ってますよ。
写真とかに載ってたらうれしい。
ねえ。
2014/10/03(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「近世の経済と産業」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
江戸時代、人口が著しく増加した江戸・大坂・京都は三都と呼ばれ、世界有数の大都市に発展した。人口の増加や貨幣経済の浸透にともなう需要の増大に対応するため、全国各地で産業が発達し、三都を中心とした流通網が整備された。江戸では、「下りもの」と呼ばれた上方の産品がもてはやされたが、江戸中後期になると関東の産品も品質を高め、発展していった。戦のない平和な時代が長く続いた江戸時代の特徴を解説する。
出演者
【講師】高等学校教諭…佐伯英志,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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