ミュージック・ポートレイト(最終回)「樹木希林×寺田農 第2夜」 2014.10.02

劇団文学座のアトリエ。
(樹木)寺田さんどうも。
2人は18歳の時この劇団の同期生として出会いました。
人の本音を鋭く演じシリアスからコメディーまで幅広くこなす実力派です。
しかし役者としての半生は壮絶極まりないものでした。
そんな彼女を作り上げた青春の音楽とは…。
危険だからつかんだのね。
いぶし銀の演技で知られる名脇役です。
気鋭の演出家たちと渡り合い恋多き男でもあった寺田。
その青春を彩った音楽とは…。
あなたこういう人とつきあってなかった?研究所にこの人に似た人いたじゃない。
(寺田)いましたいました。
つきあってましたね。
マイナスマイナスマイナス。
マイナスBCマイナスC。
(2人)できた!今夜は第2夜。
活躍を始めた彼らを待ち受けていた更なる波乱とは?そういう感じの中で遊んでたんだな。
53年前に出会った劇団の同期生。
役者人生の原点文学座のアトリエで語り合います。
役者一筋半世紀2人の人生を音楽でつづります。
30代希林は「寺内貫太郎一家」で脚光を浴びお茶の間の人気者になります。
彼女を見いだしたのは演出家久世光彦。
2人はそれまでの常識を打ち破るドラマを次々に生み出しました。
さっきご挨拶したお父さんみたいのがお婿さんだったなんていうの随分あんのよ。
あんたみたいんだったらさ…。
ジュリー!何すんだよもう。
いいじゃないの。
やめろ!汚えな本当にもう!これもいつもやってる事ね。
一方プライベートではロック界の風雲児内田裕也と結婚。
しかし幸せな日々は長くは続きません。
内田の家庭内暴力。
そして浮気。
結婚から1年半で別居生活に。
人々を笑いで包むテレビでのキャラクターとは裏腹にプライベートではお騒がせ女と呼ばれる事も。
77年には奇怪な行動が話題を集めました。
東京の地上波10チャンネルがテレビ朝日と呼ばれるようになった時…。
テレビ局の社名変更のお祭りがあったの。
何か売ってくれって言うから「私は売るものはないですよ」って。
まあせいぜい不動産ぐらいじゃない。
でも不動産を公開で売ったらさ高く売ったら何か言われるし安く売ったら損だしそれはできないなと。
「じゃあ何か名前でも売りますか」って言ったら「いいんですか」って言うから「いやいいですよ。
私は別に勝手に付けた名前だからいいんですよ」。
そしたら「あそうですか」って。
それで売ったの。
だからね何て言うの…それでねその時に自分の名前無くなっちゃったから。
芸名が。
「それじゃ私内田だから内田啓子でやりますよ」と言って一応問い合わせてもらったの。
マネージャーから内田さんに。
ずっと別居してるから。
そしたら「やめてくれ」って。
「どうもすいません」という事で。
「役者にとって名前は命」そんな執着はないのです。
演技に自信があるからできる事。
樹木希林となって初仕事は久世演出のドラマ「ムー」。
郷ひろみとのデュエットが話題になります。
更に「林檎殺人事件」を発表。
「ベストテン」で4週連続1位の快挙を成し遂げます。
まさに破竹の勢い。
ドラマ「ムー」で共演した新人岸本加世子とあの人気CMシリーズも始まります。
お見合い写真なものですから特に美しく…。
フジカラープリントでしたら美しい人はより美しくそうでない方は…。
そうでない場合は?それなりに写ります。
それなりに。
その当時ね舞台役者が1。
2番目が…せいぜい映画に出る人が2。
三流がテレビ。
4番目がCM。
CMに出るなんていうのはもう駄目な役者が出るっていわれてたんだけど私はどういう訳かCM…。
効率がいいのよね値段と時間との。
そっちの方だけ計算してCMは好きでしたね。
久世によって人気絶頂となった希林。
しかし売れっ子になればなるほど心に芽生えた空しさが大きくなっていきます。
そして事件が。
ドラマ「ムー一族」の打ち上げで久世と新人女優のスキャンダラスな関係を思わず暴露してしまったのです。
週刊誌の格好のネタとなり波紋が広がります。
育ての親と言える久世はこの件がもとで会社を辞める事になりました。
毎日嫌よ。
ピンポーンピンポーンってかかってきて「はいはいはい」って言うと取材でもうカメラが回ってる訳。
インターホンに。
それは嫌だけどそういうものから逃げてると訳分かんなくなっちゃうからまあ対応してるうちに気持ちが分かってくれると私は全然マスコミでひどい目に遭ったっていう印象がないのね。
私ね晒すという職業に就いて何がよかったかと言ったら…自分の中でね。
駄目な部分も。
そうやって何か事件を起こすたんびに自分の事を俯瞰で見て何だこういう人間なのかと。
ある人がさあなたは芸能界のガンなんだって。
私は全身ガンだって言ったら芸能界のガンだって言うからそれは言えるねって思ったの。
ガンなんてのは正常細胞の中で急にギュ〜ッとなっちゃって困っちゃう存在じゃない。
私は芸能界でそういう存在だなと思ったの。
自分をも面白がって見るみたいなところで芸能界を捉えた時に案外いい所じゃないの。
芸能界のガンのような人間でもそういうものを受け入れてくれるというね生かしてくれる。
割と好きだね芸能界のガンっていうのが。
気に入ってんのよ。
一方寺田は役者としてどう生きていくか。
ひたすら自分探しを続けていました。
26歳で映画「肉弾」の主役に抜擢され映画コンクールで賞を受賞。
しかし後がなかなか続きません。
苦しい日々を打開するきっかけとなったのが39歳で出演した映画「セーラー服と機関銃」。
かわいい組長さんにこんな手荒なまねはしたくねえんだがこうでもしねえとやばくってな。
佐久間の兄貴には向かい合えねえんだ。
佐久間さんに何の用ですか?監督は鬼才相米慎二。
その破天荒な演出は寺田の内なる才能を目覚めさせます。
「自分はまだまだ伸びていける」。
手応えを感じた時かかっていたのがこの歌でした。
・「さよならは別れの言葉じゃなくて」・「再び逢うまでの遠い約束」・「夢のいた場所に未練残しても」・「心寒いだけさ」・「このまま何時間でも」・「抱いていたいけど」とっても面白い監督でね。
普通さ監督って「まずはここここ行ってここでここからこう撮りましてじゃあいきましょう」みたいな事言うじゃない。
この相米さんっていうのは何にもそういう段取りみたいなのがないのよ。
役者が考えなきゃしょうがないからその現場でね。
それをず〜っとどういうものが出てくるのかを待ってると。
それでだんだんだんだんできないからさみんな。
そうするとバツタコカスゴミとかそういう事しかない訳だよ。
小道具さんに頼んでバツと三角の札を…。
それで終わるとこうやってバツ三角。
それで丸がないっていうのがまた面白いんだけど。
どこがどうって事は言わないんだから。
どうして殺したのよ!何で撃ったのよ!演じる事に飽きを感じていた当時の寺田は演技をクリエイトする喜びをこの映画で学んだのです。
ケチな縄張りなんて欲しくありません。
(銃声)…快感。
相米作品って薬師丸さんもそうだしそれから亡くなった夏目さんとか斉藤由貴さんとかいろんな女優さんいるけどみんな「相米死ね〜!」みたいな絶叫して泣くんだけどもそれでも最後に上がってきた作品の中ってさ自分が見た時にそれは監督に言われてやったんじゃないって。
自分が考えてやったものがそこに光り輝いていけばさやっぱりもう一回相米さんとやりたいってみんな思うんだよな。
達成感があるんでしょうね。
だって言われてやった事じゃないんだもん。
私そういう監督とやりたかったわねもう少し。
僕絶対千帆なんか面白かったと思うね。
相米監督との出会いで表現の可能性に目覚めた寺田。
ならばどんな役でも挑んでみようと思うようになりました。
役者人生が面白くなったのです。
40代2人は俳優としての新境地を開きます。
長年の同志だった久世光彦と別れざるをえず希林も役者として正念場を迎えていました。
久世さんとけんかしたあと路線が変わって吉永小百合さんの「夢千代」のところでいつも曲は1曲しか弾けない。
「貝殻節」しか弾けないような三流芸者の役をもらったんだけども…。
ドラマ史に残る名作「夢千代日記」。
主役は余命いくばくもない置屋の女将吉永小百合。
そういう人だったの?はい。
希林は女将を支える芸者役です。
・女将さんお赤飯が出来ました。
コメディー女優の殻を脱ぎ捨て人情で泣かせる実力派へ。
希林は体当たりの演技で新境地を開きます。
その時ドラマで流れていたのが「夢芝居」。
この曲っていうのがず〜っと流れてきて「夢千代」のあの世界っていうのはずっと思い出すのね。
吉永さんが何かっていうとハッてこうやって白血病だからハッてなる。
「あんたいいわね。
いつもセリフなくて何かハッて言ってきれいな人だからハッて言って絵になるけど私なんか三味線『ヤンサノエー』って言って『ヨイヤサノサッサ』っていつもこうやってやって」なんて言いながら今でもつきあってるんですけど。
吉永小百合相手に一歩も引かない演技は高い評価を受けました。
希林はこの作品で実力ある脇役という立場を確かなものにしたのです。
「夢千代日記」はまさに希林にとっての「夢芝居」でした。
そして43歳で連続テレビ小説「はね駒」でヒロインの母親役を熱演します。
大丈夫。
危ねぐねえんだから。
危ねえ危ねぐねえでねえの!訳はあるんだ。
きっとおっきな訳があんだ。
だからその訳を!言いたくない訳ってのもあっぺした。
おめえが子どもの頃の事考えてみせえ。
おめえの事を一番心配してんのはおめえのお父っつぁんおっ母さんだずえ。
黙ってここんとこさしまい込んであれこれあれこれ思ってねえで何でも言いな。
お父っつぁんおっ母さんがどうだに疲れてっ時でも構わねえんだよ。
それが親の務めなんだから。
希林は「朝ドラ」の要といえる役を堂々と演じ芸術選奨文部大臣賞を受賞。
名実ともに実力派女優に成長を遂げたのです。
一方40代を迎え寺田は名脇役として脂が乗った時期を迎えていました。
「大河ドラマ」で見せる重厚な正統派演技。
御免!アニメの声優やオペラなど一見畑違いといえるジャンルでも活躍するようになっていました。
更に相米慎二監督に誘われロマンポルノにも出演。
鬼才の描くエロスの世界で主役を演じ映画祭で主演男優賞を受賞します。
早く脱げ!「どんな役でも俺なりに演じてみせる」。
寺田は不敵な自信を身につけるまでになっていました。
そんな寺田に無理難題を言ってきたのが「ウルトラマン」で知られる演出家実相寺昭雄です。
ベートベンのオペラ「フィデリオ」の歌や生演奏の間にセリフを朗読する新しいコンサートスタイル。
実相寺演出のもと読めるはずもないオーケストラの譜面と格闘していた寺田。
極度の緊張感で聴いたのが「フィデリオ」の序曲「レオノーレ」。
「『娘の婿にどうかな?』。
いとしいいとしいマルツェリーネがあの新入りにほの字らしいとヤキモキすれどやるせなや」。
僕は実相寺さんとは映像もやったけどもクラシックの朗読というのを一緒に一番多くやったんだけどもこれは面白かったね。
決まってるじゃない音楽って。
音楽待ってくれないじゃない。
だからその間に例えば何小節の間にこれをやらなきゃっていうとその間にそこを読まなきゃ。
それでもちろんかめないしさ。
きっかけは誰が出してくれるの?きっかけはねいろんな所にキューのランプをつけてもらう訳。
分かんないように。
ところがだ多くのマエストロというか指揮者はねご自分でキューを出すと言うんだよみんな。
本当に。
それでね「分かりました」って言うとマエストロはこうやって指揮しながらだから「はい君」ってやればいいんだけどもこれがね往々にしてね…。
(2人)忘れるのよ。
これがねむきになってるうちにこうやってるとねこっちも何となくさ「おかしいなもうそろそろじゃないの?」みたいな事になってるといきなり僕の方に向かって「君だ君だ!」って。
そんなね…。
それでどこやってるんだか分からなくなっちゃう。
そしたら横で打楽器の人がね笑うんだそれを見て。
自分は暇だからさ。
分かる分かる。
オペラの世界に挑戦して20年余り。
未知の領域だったオペラは今寺田農の得意分野となりました。
声の可能性を極限にまで押し広げたのだった。
60代希林の新たな闘いが始まります。
希林は老け役という世間のイメージを地でいく年齢を迎えました。
こうして東京タワーの麓の病院そこがオカンのついの住みかになったのです
(苦しむ声)しかし役者として円熟味を増していく裏で左目が失明状態に。
更に乳ガンの宣告を受けます。
ちょうど60前後っていうのは体の変わり目じゃないですか。
そこまでやってきたぞんざいにしてきた結果が出てくる年齢なんですよね。
それで医者に行ってね「私は乳ガンだと思うんですけど」って言ったら「いや違うでしょう。
違うと思いますよ」って。
そしたら待ってたらすぐ「乳ガンでした。
よく分かりましたね」って。
何だもうドラマでよくガン告知なんていうのを…。
随分違うなと思って。
ただね人間の体って面白いなと思うんだけど乳を…片乳取ったでしょ。
それでそのあと何かでお医者さん行ったりなんかして乳がないとね平気で脱げるのね。
ほう〜。
羞恥心がなくなるっていうかね。
そのころかな同窓会で会った時にね2階の店にあなたが上がってこれないでみんなが大騒ぎして抱え上げたじゃない。
本当にでも俺はね…。
これで死ぬなと思ったでしょ。
千帆はね相当悪いと思ったね。
うんそう。
それからまた回復力を見せる訳じゃない。
いやいや回復してないんだけどただ仕事の場をテレビというものはもう無理だと。
セリフを覚えて何かするのは。
だからまあせめてちょい演女優で映画はちょい演が好きだったけどちょっと少し長いものをやらせてもらうようにそういう点では私の場合はそっちへいったという事で楽は楽だった。
テレビを離れ映画の世界に腰を据えた希林。
この10年全身をむしばむガンと闘いながら芝居に取り組む日々です。
己の命の終わりを見つめた時心に響いてきたのがジョン・レノンの「Imagine」。
・「Imagineallthepeople」・「livinglifeinpeaceyu−huh」・「YoumaysayI’madreamer」ジョン・レノンさんにはヨーコさんと東京へ来た時に内田から突然電話がかかってきて電話かかってくる時はけんか腰になるんだけどその時は「ちょっとオークラに来てくれ」。
行く訳ですよ私も。
「はい分かりました」。
でまあムッとしてる訳ね。
スイートに通されて「ジョン・レノン」って紹介されて「はいはい」。
私ジョン・レノンと握手「はいどうも」。
頭に来てるからさ内田に。
だから。
そしたら帰ったあとに「君の奥さんも大変そうね」ってジョン・レノンが言ったんですって。
分かってんだなジョン・レノンは。
ジョンとヨーコとの出会いから40年余り。
ガンと闘う希林はオノ・ヨーコに誘われジョン・レノンスーパー・ライヴに出演します。
「100万人の人が集まれば1人の時よりずっとすごい事ができる。
人の力が集まれば世界だって変えられるんだ。
ジョン・レノン」。
「全ての境界を越えていくんだ」。
「Imagine」のメッセージが生と死の境で闘う希林の心に響きます。
そうですね。
それはもうとっても究極的な問題になるけれどもやっぱり定命というかね定められた命というか。
そうだねある。
・「Imagineallthepeople」・「sharingalltheworld」限りある命を振り絞るように今演じる事と向き合う樹木希林。
70歳で主演した「わが母の記」でアカデミー賞主演女優賞を受賞。
女優として今最も輝きを放っています。
本当にあっけない。
雨がやんだ。
おばあちゃん昔はね飛び込み台が沖にあったんだよ。
いつ訪れるか分からない自らの死。
希林が今の自分を表す曲として選んだのが石川さゆりの「天城越え」。
きっかけは友人の児童文学作家灰谷健次郎さん。
灰谷さん原作のドラマに出演するなど古くから交友を深めてきました。
灰谷健次郎さんと気が合ってねあの方も同じ時期に私が乳ガンした時にここら辺のガンでガン友達になったんですけども亡くなっちゃってそのあと1周忌っていうのが…内輪で10人ばかしで集まった時に石川さゆりさんがいてね灰谷さんが何か人生をまだ途中だろうなっていうそういう人間の儚いものと「天城越え」が一致するんだけど「ねえ『天城越え』っていうのを聞かせてくんない?」って言ったら歌ってくれたのよ。
命の極北を描いた「天城越え」。
その同じ歌を己の限界を越える歌と感じる人に出会います。
大リーガーのイチロー選手。
CMの撮影現場で出会い「天城越え」の全く異なる解釈に希林は驚かされました。
ちょうどね楽屋が隣同士がイチローさんがいたのね。
「イチローです何か御用でしょうか?」「ちょっと触らせてくれる?」「どうぞどうぞ」。
それで私が上から下までずっとグルグル回ってくれてウワ〜ッと触って。
まあしなやかな体でガチッとしてんのかと思ったらしなやかで。
柔らかいんだね。
「天城越え」を球場で流すって言うの。
でその理由が超えたいと。
自分の点数を自分の力量を超えたいというので「天城越え」と。
(場内アナウンス)「イチロー・スズキ」。
イチロー選手はロックテイストの「天城越え」を入場テーマにしていました。
侍が生き死にを懸けて斬り結ぶようにイチローはバッターボックスで命を懸けていたのです。
こちらの方はこうなっちゃってこうなっちゃってね…。
一方60代の寺田がたどりついた境地。
デビューから50年余り寺田は大学の特任教授となり若い世代に表現を教える事になりました。
大学で出会うのは自分が役者を目指した頃と同じ年齢の若者たち。
寺田は語りながら自らの人生と向き合い刺激を受けます。
そんな授業で見せたのが寺田が青春時代の映画「俺たちに明日はない」。
軽快なテーマソングは寺田の青春を彩ったBGMです。
やっぱりね…学生なんか若い人にはね教えたいね。
だって…そういう意味では僕なんかね若い時からそう思ってたね。
だから「今日を今日を」みたいなね。
長期展望とかさこんな事はビジョンはもちろんないしさ。
何か月先がどうなってるかとかそういう事は考えないね。
だからそのかわり今日を何か充実して…。
寺田は68歳で33歳の女性と2度目の結婚。
女性から得るパワーは表現の世界でギリギリまで己を晒す日々の中掛けがえのないものだと言います。
そんな寺田の今を表す曲「Woman」。
表現の原動力であり続けてくれた女性全てにささげる感謝の歌です。
うんそうだね。
そういうのはね…そうだね。
最後に2人に聞きました。
人生の終わりに聴きたい曲は何ですか?これ結構若い時から思ってたんだけどね俺あんまり死ぬって事のねもちろん実感もないしそれにイメージもないんだけどね。
それはなぜかっていうとね俺はね……っていうのが僕にとってのひとつの死生観というかそんな思いするんだけどね。
希林が内田裕也と結婚して41年。
長い別居生活を送るなど型破りな夫婦生活を続けてきました。
いつも世間を騒がせ迷惑をかけてばかりの夫。
しかし希林が最後に選んだのは夫の歌でした。
これを最後に選んだっていうのはやっぱりねあなたはね優しいよね。
優しいっていうか親切だよね。
親切だよ。
私ね結局ね…いいね。
・「Ohmothertellyourchildren」・「NottodowhatIhavedone」・「Spendyourlivesinsinandmisery」・「Inthehouseoftherisingsun」人生を彩った音楽は記憶を鮮やかに呼び覚まします。
人生の大切な10曲あなたはどんな音楽を選びますか?2014/10/02(木) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト[終]「樹木希林×寺田農 第2夜」[字][再]

女優・樹木希林と俳優・寺田農が人生の10曲を持ち寄る。60代、がんの樹木の心に響いたのはジョン・レノンの「イマジン」、人生の最期に聞きたいのは夫・内田裕也の歌…

詳細情報
番組内容
女優:樹木希林と俳優:寺田農が人生の10曲を持ち寄り対談。60代の樹木ががんになったとき、心に響いたのはジョン・レノンの「イマジン」だった。ジョンの歌声と共によみがえる友人・オノヨーコの言葉とは?寺田が盟友である映画監督・相米慎二に感じた畏怖の念。薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」を聞くと彼の作品作りへの執念がよみがえるという。そして樹木が人生の最期に聞きたいと考えたのはやはり夫・内田の歌だった
出演者
【出演】樹木希林,寺田農

ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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