(テーマ音楽)明治5年に建てられた姿がそのまま残る富岡製糸場。
ここが世界の絹産業を変えたのです。
富岡製糸場は日本最初の官営製糸場。
東京ドームより広い敷地面積を持ち当時世界最大規模を誇りました。
木造の骨組みに壁はレンガ明治を代表する木骨レンガ造り。
フランス人の設計を基に日本の職人技で造られた和洋折衷の建築です。
繰糸場に入ると機械がずらり。
これは昭和に入ってから導入された自動繰糸機。
内部の機械は移り変わっても建物は140年以上変わりません。
当初建設や運営を担ったのは明治政府が雇ったフランス人…生糸の専門家ブリュナは母国フランスから器械を導入し製糸の技術者も招きました。
そして全国から集まった工女と呼ばれる若い女性が厳しい指導の下技術を学んだのです。
現在その工女たちの技を復元した器械で見る事ができます。
糸の細さは髪の毛の3/3。
それを繭から取り出し糸繰りの器械にタイミングよく投げ入れる熟練の技。
技術が上がれば給料も上がる能力主義でした。
その後工女たちはふるさとに帰り各地の製糸場で技術を教えました。
日本で生まれる上質で安い生糸は世界を席巻します。
ブリュナが若い頃技術を学んだリヨンにも輸出されました。
当時リヨンは世界有数の絹織物産業の街でした。
この街に残る生糸の商標ラベル。
こちらは富岡製糸場のものです。
富岡製糸場の増産を支えたのは3つの絹産業遺産群の技術革新でした。
繭の生産量を飛躍的に伸ばした場所の一つが荒船風穴。
外の気温は30度近くですが岩の温度はなんと1度7分。
この岩場に小屋を建てたのです。
小屋では種紙に産み付けた蚕の卵を保管していました。
蚕は春暖かくなると一斉にふ化します。
しかし涼しい風穴に置く事でふ化の時期をコントロールしたのです。
こうして年5回以上繭を作る事が可能になりました。
世界の80%近くを日本の絹が賄ったような事でありますのでこの荒船の冷風は自然エネルギーを利用してそれに貢献できたと大変誇らしい部分だと思っております。
自然の力も取り込み生糸の増産に懸ける熱い思い。
シルク産業を支えたさまざまな人々の存在が富岡製糸場を世界へと羽ばたかせたのです。
2014/10/01(水) 22:45〜22:50
NHK総合1・神戸
シリーズ世界遺産100「富岡製糸場と絹産業遺産群〜日本〜」[字]
富岡製糸場は明治5年操業の、日本初の官営製糸場。巨大な工場にはフランス製の最新機器が並び、全国から若い工女が集まり、日本の生糸輸出を支え世界の絹に影響を与えた。
詳細情報
番組内容
富岡製糸場は、明治5年操業。日本初の官営製糸場で、当時世界最大級。政府が雇ったフランス人が設計し、工場にはフランスの最新機器が導入された。全国から集まった若い工女たちは、ここで生糸作りの技術を学んだ。上質な生糸は世界中に輸出され、世界の絹産業を支え、大きな影響を与えた。製糸場周辺の施設も生糸の増産に貢献した。荒船風穴は、涼しい環境を利用して蚕のふ化をコントロール、年に5回の蚕の生産を可能にした。
出演者
【語り】松平定知
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
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