江戸幕府初代将軍徳川家康。
家康は生涯で11男5女16人の子供に恵まれました。
しかし時は戦国の世。
家康と子供たちには幾多の苦難が襲いかかります。
家康の長男・信康。
初めての子供に家康は大喜び。
信康のする事は何でも褒める親バカぶりを発揮!しかしその甘さが家康人生最大の悲劇を引き起こします。
家康の子供たちの中でもとびきり武勇に優れていたのが次男・秀康です。
しかし生涯で「徳川」「羽柴」「結城」と3つの家を渡り歩く事に。
流転の人生に秘められた秀康の苦悩とは?そして家康の跡を継ぎ2代将軍となったのが三男・秀忠です。
しかしこの秀忠幼い頃から失敗の連続。
家康の期待を裏切り続けます。
秀忠をなんとか立派な天下人に!家康決死の子育てが始まります。
天下太平の世を切り開いた徳川家康。
子供たちをめぐる愛と葛藤の物語です。
その境内の奥に家康の長男信康のお墓があります。
天下人・家康の長男がなぜこのような葬られ方をされているのでしょうか?そこには子供を愛してやまない家康痛恨の失敗がありました。
この時家康は18歳。
しかしその人生はお世辞にも順風満帆と言えるものではありませんでした。
そんな苦難の時代に生まれた長男。
家康は幼名を「竹千代」と名付けます。
「竹千代」は代々跡取りに付けられ家康自身も名乗った由緒ある名前でした。
心の声この子が大きくなり自分の跡を継ぐ頃には立派な大名になりたいものだ。
竹千代は家康にとって希望の光となる…やに見えました。
しかし…。
そんな家康に転機が訪れます。
「桶狭間の戦い」です。
今川義元率いる3万にも及ぶ大軍を織田信長が打ち破ったのです。
今川家は大混乱に陥りました。
家康はその隙をついて思い切った手に出ます。
家康はまず今川家の城を攻撃。
家臣を捕らえます。
そして竹千代との人質交換を要求。
家臣の身を案じた今川家はしぶしぶ交換に応じました。
こうして家康は我が子を自らの手に奪い返したのです。
苦労して取り戻した竹千代を家康は溺愛します。
まず竹千代が5歳になると…かわいい我が子のために用意した最高の結婚。
更に元亀元年。
家康が岡崎城から浜松城へ拠点を移すと…やがて…しかし元服しても家康の溺愛ぶりは変わりません。
ある時…しかし城はなかなか落ちません。
すると信康は手柄が欲しかったのか思わぬ事を言いだします。
父上しんがりを私にお任せ下さい!当然…すると家康は…。
そなたがおれば10万の敵が来ようとも恐れる事はない!…と大喜び。
なんという親バカぶりでしょう。
こうした家康の甘い姿勢は信康をわがままに成長させていきます。
ある時踊りを見物していた信康。
突然「踊りがへただ!」と言ってなんとその踊り手を射殺してしまいました。
またある時鷹狩りに出かけた帰り道僧侶に出会います。
獲物が何も取れずむしゃくしゃしていたのかなんと僧侶を縄で縛って馬で引きずり殺してしまいました。
あのような若君では徳川家の行く末が思いやられるわ…。
そんな中家康にとって憂慮すべき事態が…。
信康のこうした乱暴な性格を嫌ったのか妻・徳姫との夫婦仲が悪化していったのです。
(家康)徳姫が怒って織田家に帰ってしまう事にでもなれば信長殿との同盟も危うくなる…。
このころ家康は深刻な危機に直面していました。
隣接する武田家が勢力を拡大。
徳川家が生き残るにはどうしても織田家との同盟に頼る必要があったのです。
慌てた家康は自ら岡崎城を訪ね2人の仲を取り持とうとしたほどでした。
しかし信康と徳姫との仲は改善しません。
それどころか…そこには恐るべき事が書かれていました。
信康の母が事もあろうに武田家に通じ謀反をたくらんでいるというのです。
かわいい娘を嫁にやったのに嫡男としてふさわしくないばかりか敵に内通する始末。
信長は家康に申し渡しました。
家康は窮地に立たされます。
心の声信康が武田に通じているなどただのうわさであろう。
しかしそう答えたとて信長殿は信じてはくれまい。
今信長の助けがなければ徳川家は生き延びる事ができない。
苦悩の末家康が下した決断は…。
「生害」つまり信康に自害させる事でした。
21歳の若さでした。
しかし首はそこに埋葬される事なく…境内の奥にあるのが信康の首塚です。
嫡男として溺愛していた我が子の命を奪わなければならなかった家康。
そこには父の情を捨て戦国大名として国を守らなければならないという苦渋の決断があったのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
国を守るためとはいえ長男・信康を死に追いやらなければならなかった家康の胸中は察するに余りあるものですが…一方で信康を甘やかして育てた事については家康自身後悔の念があったようです。
こちらは…いつの時代も子育ては大変ですよね。
信康の死後徳川家の跡継ぎ候補となったのがこちら。
しかしこの秀康家康の子供たちの中でも最も孤独な運命を歩んだ息子でした。
長い間家康の居城でした。
しかし秀康が生まれたのはここ浜松城ではありません。
城から10kmほど離れた郊外にある中村家住宅。
家康の家臣の屋敷です。
「ギギ」という魚に顔つきが似ていた事から名付けられたと言われています。
更に双子だったとも。
於義丸は3歳になるまで父の顔を知らずに育ちます。
そんな於義丸を不憫に思ったのが長男の信康でした。
二人をなんとか対面させようとした…・
(於義丸)父君父君。
於義丸が来ている事を知り慌てて席を立とうとする家康。
しかし信康はこう訴えます。
この信康めの弟が早3歳と相成り申した。
こたび父上のお目にかけんとこの場に控えさせております。
弟を思う信康の言葉を聞いた家康は於義丸を自分のそばに引き寄せました。
於義丸はようやく父に抱いてもらう事ができたのです。
その3年後思わぬ事件が起こります。
ダァッ!於義丸は浜松城で父と共に暮らす幸せな時間を過ごしました。
ところが…突然於義丸は家康に呼び出されます。
於義丸そなたを秀吉のもとに養子に出す事とした。
ようやく父・家康のもとで暮らせるようになったというのに…。
父上行ってまいります。
於義丸は家康のため養子に行く運命を受け入れます。
降りしきる雨の中…この時11歳。
秀吉の養子となった於義丸は元服し「羽柴秀康」と名乗ります。
しかし養子とは名ばかりで実際は人質。
自分が侮られれば父・家康のメンツを潰す事になる。
秀康は家臣たちにこう言い放ちます。
わしは家康の子であり秀吉様の養子じゃ。
無礼な振る舞いがあれば即座に討ち果たす!幼いながらも堂々たる態度の秀康に周囲はびっくり!それを聞いた秀吉は家臣たちにこう命じました。
秀康めなかなかの器よ。
あやつめは我が家を支える武将となろう。
皆の者今後は秀康をわしの実の子同然に大切にせよ。
それからというもの秀吉は秀康をかわいがります。
更に…天下に我が子・秀康の存在をアピールするためでした。
秀康は秀吉のもとで自らの居場所を見つけました。
しかし秀康を再び運命のいたずらが襲います。
すると秀吉は秀康を呼びこう告げました。
秀康そなたを養子に出す事にした。
実の子がいるならば養子は不要。
秀康が行く事になったのは関東の結城家。
古くから続く家柄でしたが都から遠く離れた当時としては辺境の地でした。
2度も養子に出されその度に自分の居場所を失う秀康。
私は結局孤独となるさだめなのか…。
その秀康を意外な人物が励まします。
実の父・家康でした。
結城家に向かう秀康に家康はこう言葉をかけました。
「お前は一人ではない。
大名として家臣たちと力を合わせて務めを果たせ」。
秀康を養子に出してしまった家康。
それは家康なりの詫びと父としての励ましだったのでしょうか。
秀康はこの父の言葉を胸に結城家にやって来ました。
家督を継いだ秀康は再び自分の居場所を作るため働き始めます。
秀康が結城家の当主となって9年後の慶長5年。
徳川石田黒田に小早川。
日本中の大名が集まるまさに戦国オールスターの大決戦です。
実はこの時秀康は関ヶ原から遠く離れた関東で戦っていました。
相手は東北地方の大大名上杉家。
関ヶ原で家康が戦っている間背後をつかれぬよう牽制していたのです。
家康はこの働きを高く評価します。
こたびの戦にわしが勝てたのは秀康の働きによるところが大きい。
その戦功を賞し秀康には越前一国を与える。
関ヶ原に参加したどの大名よりも多い恩賞でした。
流転の人生を歩んだ結城秀康。
行くさきざきで最善の力を尽くし最後の最後に自分の居場所を切り開いたのです。
関ヶ原の戦いの際見事上杉家を押さえた次男・秀康。
その武勇をしのばせるものがあります。
こちらにあるのは秀康が愛用した槍「御手杵」の複製です。
「御手杵」は黒田官兵衛の家臣母里太兵衛の「日本号」と共に天下三名槍の一つと言われています。
目をみはるのはその大きさ。
結城家のこの巨大な槍を見た敵軍はみんな恐れおののいたのだとか。
家康の11人の息子たちの中でも秀康の武勇はナンバー1だったのかもしれません。
長男・信康次男・秀康と家康は息子たちに家督を継がせる事はできませんでした。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
いよいよ三男・秀忠の登場です。
徳川家の嫡男という重責を背負う事もなく気楽な一生を送るはずでした。
しかしこの年嫡男の信康が切腹。
更にその後次男の秀康も秀吉の養子に。
でも幼い秀忠はそんな周囲の期待などどこ吹く風。
おおらかな少年だったと言われます。
ある時部屋で読書をしていると…。
突然部屋に暴れ牛が乱入。
いきなりの珍客に周囲はびっくり!必死になだめたり逃げ惑ったりの大騒ぎ。
しかし当の秀忠はなんと静かに読書を続けていたのだとか。
よほどの大物なのか鈍いのか。
後に付けられたあだ名は「泥人形」。
泥で作られた人形のように動きのないぬぼ〜っとした性格だったようです。
心の声こやつをなんとしても立派な跡継ぎに育て上げねばならん!家康は秀忠のため一念発起します。
まず家康が家臣から年始の挨拶を受ける際秀忠を自分の隣に座らせるようにしました。
幼い頃から後継者として印象づけようとしたのです。
ところが生来のおっとりした性格が災いしてか秀忠は家康の期待を裏切り続けます。
天下人だった豊臣秀吉のいる京都に挨拶に出向いた時の事。
道中秀吉から「長旅は大変だろうからゆっくり来るがよい」と知らせが届きます。
これを真に受けた秀忠。
京に向かう旅は道草し放題のの〜んびりしたものとなりました。
それを知った家康は激怒。
「ゆっくり来い」と言われて本当にそうするとはなんたる愚か者!これでは秀吉に見限られるわ!ところが早く行けと怒られた秀忠はなぜか出発した城に戻ってきてしまいました。
そんな頼りない秀忠に家康は跡取りとしての箔がつくよう最高の舞台を用意します。
関ヶ原の戦いです。
西で兵を挙げた石田三成に対し…中山道を進軍するよう命じます。
秀忠の働きで勝利を決する。
家康はここまでお膳立てして手柄を立てさせ「秀忠こそ徳川の跡継ぎ」と天下に示そうとしたのです。
ここに思わぬ落とし穴が待っていました。
関ヶ原に向かう途中秀忠はちょっと寄り道とばかりに…ところが…ようやく城攻めを諦め関ヶ原へ進もうとすると更なる不幸が秀忠を襲いました。
ようやく関ヶ原に近づいた秀忠のもとに…
(伝令)申し上げます!関ヶ原にてお味方大勝利!
(秀忠)なんと!これだけの兵を預かりながら間に合わなかったのか…。
秀忠不甲斐なし!その後…関ヶ原の戦いによって秀忠は家康の信頼を失ってしまいます。
やがて家康は江戸幕府の初代将軍に就任。
そして2年後すぐに秀忠に将軍職を譲ります。
しかしそれは秀忠が家康の信頼を取り戻したからではありません。
今の秀忠に天下を治める器量はない。
幕府の基盤を固めるため家康は自ら采配を振るい続けるしかありませんでした。
秀忠が名ばかりの将軍となって10年。
ようやく天下人として家康に認められる最後のチャンスが訪れます。
「大坂夏の陣」です。
(砲声)
(いななき)
(砲声)幕府の猛攻で落城寸前となった大坂城。
その時家康のもとにある人物がやって来ました。
秀忠の娘で豊臣秀頼に嫁いだ千姫です。
お願いでございます。
なにとぞ秀頼様のお命だけはお助け下さい!秀頼を生かしては天下に騒乱の種を残す。
とはいえこれは孫娘たっての願い。
秀忠は悩みます。
父として娘の願いを聞き入れ秀頼を助けるのかあるいは将軍として秀頼を討つのか。
秀忠が下した決断は…。
千姫の申した事は捨ておけ。
秀忠は将軍として実の娘の願いを退けたのです。
(砲声)間もなく大坂城への総攻撃が始まりました。
炎に包まれる大坂城で…秀忠の決断を聞いた家康は大きくうなずきこう述べたと記録は伝えています。
「これからは何事も秀忠殿が決められよ。
駿府にいちいち伺いを立てるは無用。
江戸で決まった事を知らせてくれればそれでよい」。
秀忠はついに天下人として家康に認められたのです。
大坂の陣終結後家康は引退。
「泥人形」と呼ばれた秀忠はおおらかさと厳しさを併せ持つ優れた将軍へと成長したのです。
三男・秀忠に安心して天下を任せられる。
そう確信したのか家康は大坂夏の陣の翌年75歳でこの世を去ります。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
六男・忠輝です。
しかし大坂の陣のあと忠輝が謀反を起こすのではないかといううわさが流れます。
それは当時日本にいた外国人の耳に入るほど公然とささやかれていました。
戦国の世が治まって日も浅く家康にとってこのうわさは無視できないものでした。
家康は忠輝を勘当。
いまわの際にも呼ばないという厳しい処分を下しました。
流罪となった忠輝が晩年を過ごした地です。
忠輝が眠る貞松院。
ここに忠輝が生涯大切にしたという品が伝わっています。
それは「乃可勢」という名の笛。
織田信長豊臣秀吉徳川家康と時の天下人に受け継がれてきた由緒ある品です。
家康が自分の形見としてひそかに忠輝に贈ったものだと伝えられています。
やはり私が思うには…乱世を鎮めるため時には我が子さえも犠牲にせざるをえなかった徳川家康。
しかしその裏には涙をこらえる父の姿があったのかもしれません。
2014/10/01(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「オヤジって大変だ〜天下人・家康と子どもたち〜」[解][字]
16人もの子どもに恵まれた徳川家康。しかし、いつの世も子育ては大変!言うことを聞かないわがまま息子や、失敗だらけの跡継ぎ候補。天下人・家康、決死の子育て奮闘記!
詳細情報
番組内容
江戸幕府を開いた徳川家康は生涯で11男5女、16人もの子どもに恵まれました。しかし、天下人といえども子育てはままならないもの。初めての子ども・信康をかわいがりすぎたために起きた家康人生最大の悲劇! 徳川家を守るため流転の人生を強いた次男・秀康の孤独とは? そして、失敗だらけの頼りない三男・秀忠を立派な跡継ぎにするための家康・決死の子育て奮闘記の結末は? 天下人・家康と子どもたちの愛と葛藤の物語!
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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