(スタッフ)おはようございます。
(黒柳)おはようございます。
ことしで…
(黒柳)皆さまこんにちは。
黒柳徹子でございます。
彼女には様々な顔がある
そして…
(野際)ホントにくたびれちゃったっていう姿をあんまり見たことないですね。
(澤)努力家なんですよねめっちゃ。
ホントに日々努力を重ねているのでやっぱりそういうトップでも活躍できてるんだなってすごく思うので。
(満島)音楽みたいに生きてる方じゃないですか。
あのリズム。
リズミカル。
楽器みたいな人だから私もそうなりたいなとは思います。
ホントに。
当番組のMCリリー・フランキーは
(リリー)じゃあちょっと黒柳さんは…。
いいですけど大変ですよそれはね。
彼女を理想の女性だと公言し幾度となく…
テレビ女優司会者のパイオニアとして常に第一線で活躍し続けてきた
そこに隠された…
今夜その全てを語る
テレビの本番で結婚申し込んでいただいた方にお会いするの初めてで。
(山岸)そうなんですか?そうなんですよ僕。
びっくりしたそのとき。
僕徹子さんが前から理想の女性のタイプで。
はい。
『徹子の部屋』に呼んでいただいたときにディレクターの方が打ち合わせに来ていただいてそこで「徹子さんにリクエストありますか?」って。
僕にとっては徹子さんはセックスシンボルだから…。
徹子さん結構胸の谷間が出てるワンピースで来ていただいて。
あっそうでしたかあのとき。
あら。
じゃあどうして私のこと奥さんにしてどうだと思いなの?毎日楽しそうじゃないですか徹子さんと。
楽しいだろうと思いますよ。
あのねそう思いますよ。
だってねつまんないことってあんまり好きじゃないし。
それからしゃべってろって言えばしゃべるけどしゃべってない方がいいなって思ったらそういつもしゃべってるわけじゃないんですよ私。
それでねお料理作るのもまあそこそこできるしぜいたくしないですしね。
何か買ってくれだなんて言わないし。
お誕生日にダイヤモンドくれなきゃやだなんか絶対言わないし。
そういうこと全然言わないから。
あのね扱いやすいと思いますよ。
ホントのこと言って。
そうですか。
うん。
でも楽しいからいいだろうぐらいじゃちょっとね。
いやいやそれよりもやっぱ色っぽさの方が勝ってますけど。
あっそうですか。
今まで恋愛や結婚について多くを語らずにいた黒柳徹子
しかし2年前あるコマーシャルの中で発したせりふが話題に
(黒柳)「私結婚してもいいかなって思ったことは2〜3回あるわよ」「でもまあタイミングの問題でね」「これからだって分かんないわよ」
徹子のこの言葉
実は全て…
事実…
そのうちの1人とは真剣に結婚を考えたという
1回目はね歯医者さん。
いいじゃないですか。
それでね父は来なかったんですよ。
母とずっと行っててねずっと帰ってこないから父はこれはうまくいってんのかなと思ってたらしいの。
そしたら私と母がどっと疲れたようにうちへ帰って母がね「駄目よ徹子さんよりしゃべるんですもの」って言ってそれで終わりになったの。
1回目は。
徹子さんよりもしゃべる人間がいるんですね。
しかも歯医者さんですよ。
その人が口開けてる間しゃべってたら気の毒でしょ患者さんがね。
ちょっとそういうふうには思いました。
じゃあ2回目は?2回目がねちょっとね相手はね忘れちゃったんですよ。
だからあんまり印象がなくて。
それはやっぱりやめようってことになったんだと思います。
3回目が脳外科のお医者さまでねとってもいい方だったんです。
でね私いいと思って母に言ったもんですから母も話を進めてですねもうほとんど…。
何ていうんですか?ああいう…やりとりするのあるでしょ?結納みたいな。
結納みたいな。
その辺まで行ったあたりで一緒の番組してる作曲の方にね私結婚しようかと思うんですけどっつったらねふ〜んそう。
いいけどただ僕は1回離婚したことがあるから言っとくけど結婚のときってねいっぱい嫌なとこがあったらたいがい結婚しないじゃない。
でもね…。
その方がおっしゃったの。
考えてみたらね他は全部いいんだけどその人の歩くときの…。
えっ!?歩き方ですか?一緒に歩いてたりなんかしたときに。
それでねうん…。
やめた方がいいかなと思ってね。
母は大変だったらしいんですけどとにかくうまくそれはなかったことにとしていただいたんですよ。
でも先方にもねそこまで話が進んでてどういう理由ですかって言われても「歩き方がちょっとね」とは…。
そんなことそう言えない。
まあちょっと色々…。
それに私も仕事が忙しくなるとこでございます。
それでね結局お見合いはやめたんですよ。
どうしてかっていうとねテレビに出る人になったときに「俺こいつとお見合いしたんだ」なんて言われたら嫌じゃない。
で「俺断ったんだよ」なんて言われたらね。
だからそれからお見合いはやめました。
でもあれなんですね。
まあ色々お見合いされたりプロポーズされることがあってもさほど周りの同級生と比べて結婚に対する意欲とか興味っていうのは薄い方だったんですかね?うん。
あのね今は結構みんなお友達は子供が生まれたとか結婚したとかいろんなことって…。
そういうのはもう全然ね人と比べようと思う気が初めっからないので。
それはね人が結婚したから私もしたいとかそういうのは全然なかったです。
山岸さんとかは今私は仕事頑張りたいから恋愛とか結婚とかはまだ考えないとか言ってるんですけど。
でもそういうふうに考えなくていいってことですよね。
決めてかかることないんじゃないんですかねぇ。
そうですか?だって恋愛なんていうのはもうホントに何ていうのかしら。
いきなりですもんね。
横町歩いててこっちでもってあら!っていった感じのときにもうそれでよきゃいいみたいなとこってあるじゃないですか。
ですからそういうふうにさ私はこれから恋愛いちずでいくんだわとかもう恋愛はいかないで仕事にいくんだわとかってそういうふうに決める必要は全然ないんじゃないんですか?私決めたことないですよ。
あっそうなんですか?なるようにしかなんないと思ってるからいつも。
あのねみんなが思ってらっしゃるより自立してる人間ではありますけど。
多少はね。
でもそういうふうに決めて考えたことない。
じゃあ自然体でいていい出会いがあれば縁があるし。
もちろん。
だって人間っていうのは誰かに愛されたり愛したことがないとねやっぱりねうまくいきませんよ人生。
やっぱり何かそういう経験があった方が何をするのも人を理解するのでも何でも絶対いいんじゃないですか?
東京乃木坂に生まれた黒柳徹子
子供に…
そんな思いから1953年19歳のときNHK専属劇団の養成所に入る
ちょうどこの年…
今と違い全てが生放送だった
徹子はテレビ女優第一号としてデビュー
1年間見習い兼エキストラとして様々な現場へ
ところが演出家から浴びせられたのはこんな言葉だった
生まれ変わった「ビオレuアロマタイム」はアロマの余韻が…
バスタイムの後まで…
(鈴木)続いてく…。
(ビオレママたち)新しいのね!
「アロマタイム」「ビオレu」から
「アロマタイム」からなんと「泡ハンドソープ」誕生!
料理の後
(鈴木)しあわせ…。
掃除の後
しあわせ…。
(ビオレママたち)アロマでハンド!?よし!
「アロマタイム泡ハンドソープ」「ビオレu」から
(辺見)あちゅいね〜。
(木下)来たよ夏。
夏のニオイね。
(2人)ニオいますわね。
(井ノ原)そこは「メリット」でしょ?メリット先生?どこ?
「メリット」の泡は落としにくい夏のニオイ・ベタつきまですっきり落とす
頭がスッと軽〜く…
リセ〜ット!・「いい地肌いい髪『メリット』」うんいい匂い。
うんキレイだ。
ゴクッゴクッ。
(のみ込む音)ゴクッゴクッ。
ゴクッゴクッ。
(香川)「ヘルシア」のにがさ。
それは日本で一番濃厚な茶カテキン。
他にはまねできないこの濃厚な茶カテキンが脂肪を燃やす特別な力になる。
おっ。
おーっ。
一番濃い。
燃やす力が濃い。
それが「ヘルシア」カラダは変えられる。
テレビデビューをした徹子に演出家から浴びせられた言葉
特徴的な声と自由奔放な演技が邪魔だと何度も役を降ろされた
そんな彼女に間もなく大きな転機が訪れる
それはラジオドラマ…
徹子は見事…
当時の貴重な音源が残されている
・「ヤン坊ニン坊トン坊」・「ヤン坊ニン坊トン坊」・「しっかり者のヤン坊」・「あばれんぼうのニン坊」「うんそうだそうだ。
ムルガーの猿たちを洞穴の入り口へ集めとくといいね」
それまで自分の個性に悩まされ続けてきた徹子
だが彼女を抜てきしたドラマの劇作家飯沢匡との出会いによってその女優人生は大きく変わっていくことになる
へぇ〜!もう今で言えばホントにもえるアニメ声ですけどその当時はね個性的だっていうことで。
あのね個性引っ込めてって言われるので分からないから一番私が見て個性のなさそうな人のとこへ台本持ってってせりふがあると読んでもらって。
その人が「ああお母さま分かったわ」とかって言うの聞くと「ああお母さま分かったわ」ってねそのとおりやるとみんなが怒んないから。
それでその人のとおりにやったりしてたんですよ。
そうしたらね次の年から「個性派時代」って世の中が変わったの。
おお。
そしたらすごいNHKが「出して」って言うの。
「出して出して」って。
でも引っ込めろって言われたものも何だか分かんないのに「出して出して」って言われて分かんないでしょ。
だからね何を出せばいいのかなって思っていたんですよ。
そのときにちょうどさっき「ヤン坊ニン坊」ってありましたけどNHKがねそれまで子供の声は絶対子供しかやらなかったんです。
ところがそれをお書きになった劇作家の飯沢匡先生っていう方がスタジオで子供がね宿題なんかやってるの見るの嫌なんで大人の女の人で子供の男の子の声出せる人絶対いるに違いないからオーディションやりましょうってNHK始まって以来のオーディションやったんです。
顔が見えるといけないからってついたてなんかしちゃってね。
で私すぐトン坊って決まった。
さっきの声で…。
トン坊って決まったんですよね。
そのときねすごい勢いで飯沢先生に私ね個性が邪魔だってみんなから言われてますから個性引っ込めますのでよろしくお願いします。
っつったらね「駄目ですよ引っ込めちゃ」って。
「君のその個性が欲しいんだから」っておっしゃってくださったんです。
それでねやってこられましたね今まで。
飯沢先生にお会いしてなかったらもう駄目になってたでしょ。
きっと。
あんなに毎日降ろされててね。
それでねおかげさまでそのままずっと今までやってこられたんです。
でもその自分の個性というかありのままの感じを受け入れてもらうようになってやりやすくはどんどんなっていくんですか?そりゃもう何でもいいんですから。
私がやったとおりみんな「いいいい」って言ってくれて。
下手でも何でもとにかくやりたいようにやっていいって言われていい役もどんどん付いて。
今思うとすごいですよ。
昭和33年に私ね二十何歳ですかね。
初めて『紅白歌合戦』がテレビになって何回目?あのとき…。
司会したんですよ。
史上最年少って。
すごかったですよ。
だってね『紅白歌合戦』はですよ新宿のコマ劇場でやったんです。
やるとこなくて。
(リリー・山岸)へぇ〜。
(黒柳)ああいうふうに円い所の端と端でやるのは大変難しいんですけど。
今みたいに…。
何ていうの?今もうアンプとか色々向こうからのこういうので聞こえるようになってるけど何にも聞こえないのね。
そういう所で何かやれって言ってるわけ。
それだけならいいんですけど歌手の方たちがね『紅白歌合戦』をね重要に思ってなかったの。
当時。
そんなのね。
そんなもんですから皆さんがね大晦日にね掛け持ちするの。
日劇とかいろんなとこで。
みんな間に合わないから歌う方がしまいにいなくなっちゃうの。
コマ劇場に。
怖いでしょ?だって誰もいないんだから。
いやホントですね。
そうよ。
そのうちにねウーって警察のサイレンが鳴るとそれが先導して歌手が到着するんです。
コマ劇場に。
そうするとね「女来ました!」ってすごい声が聞こえるの。
誰が来ましたじゃないんですよ。
「女来ました」って言うんですよね。
でも誰かが来たから歌う人が。
その人が来てからまたお着物がどうだお洋服がどうだってなかなか上がってきてくださらなくてね。
それでね今度向こうも「男来ました」って。
組み合わせになってても全然組み合わせどおりにならないの。
とにかく女が来たら女が歌う。
男が来たら男が歌う。
ねっ。
それで渡辺はま子さんとかいろんな方いらしたんですけどそれでその方がいなくなるとまた「何か言って何か言って」って言われてまた出てって。
…とか何とか言って。
そのうち「女来ました」ってのが…。
そういうので『紅白歌合戦』やったんですよ。
だからホントに最悪のね今まで後にも先にもない『紅白』だったんですよ。
それは鍛えられますね。
25歳でそれは。
それはもう鍛えられましたよ。
あのテレビドラマはもう徹子さんやられないんですか?ああテレビドラマはね今『徹子の部屋』が始まって39年目なんですよ。
その前にニュースショー3年やってたんで。
だいたいそのぐらいのときにまだドラマ出てたんです。
芸者さんやってね。
ちょっとほろ酔い加減の芸者さんやってね。
とっても上手だったんです。
自分で言うのも何だけど。
「ちょっと酔っぱらってさそれでさ」とか何かって言ってたらね小道具さんが来てね「ねえホントは飲んでんでしょ?」って言うの。
私お酒飲まないんですよ。
私お酒飲まないしあなたとっくりにさっきお水入れてくれたじゃないって。
あのお水を私たちはお酒としてるんだから。
飲んでないっつってんのにその人向こう行ってね「ホントは飲んでんだよ」なんて言ってんの。
それを聞いてたときにねああそうだこれで『徹子の部屋』で私が悪女をやってもねいろんなのやってうまくいったらテレビをご覧の皆さんはそういう悪い女が人に物を聞いてるっていうふうに思うかもしれないって。
テレビってそういうふうにみんなが思い込むようなところがあるかもしれないと思ってね。
それで今から40年くらい前に全部やめてテレビに出るのは自分自身だけ出ましょうと思って。
それで一切ドラマやらないって決めたの。
じゃあもう舞台は結構毎年やられてますけどテレビは『徹子の部屋』やるときに見る方に誤解されることを懸念してってことですよね。
そうですね。
そういうことがありますよね。
そんな徹子
実は3年前にテレビドラマに出演している
「う〜ん…」「私は結婚の約束をした人がいるからね」
連続テレビ小説『おひさま』の最終回
満島ひかりが演じた天真らんまんな女性育子
その数十年後の姿を演じたのだ
「あっ!あっ…」「ああ!あっああ!」「あの育子さんに真知子さん」「ええ」「ですよね?」「あっうれしい!私お会いしたかった!」
名だたる女優陣にも引けを取らぬ圧倒的な存在感
「房子ちゃんの旦那さまはね札幌に転勤になるのよ」「札幌?じゃ私今度行くから」「一緒に遊ぼう」「ホントですか!?」「あんたさ私のことすごい人怖い人強い人って思ってるでしょ?」「でもホントに一番強いのはこの人よ」「まあひどいわ」「それに比べたら私なんてホントにつつましやかに生きてきた方よ」「え〜?」「何で笑うのよ」ご無沙汰しております黒柳さん。
満島です。
徹子の出演は満島本人たっての希望だった
井上真央ちゃんが主役をやった井上真央ちゃんの将来が若尾文子さんっていうことはもう決まってたんです。
たぶん若尾さんがでもいるってことは私たちの将来がいつか出てくるんじゃないかって話を撮影の初めの方にしてて。
いたずらが大好きで好奇心旺盛でみんなとおんなじものに染まりたくなくてもっといろんな可能性見たいし遊ぶように生きてたいみたいな。
そういう設定が最初からみんな「あっいいね!育子は黒柳さんだね絶対」とか言ってたんです。
『徹子の部屋』に満島さんがいらしたときにね「これからだいぶ先の方なんですけど大人になった私がちょっと出るというの黒柳さんやってほしいんですけど」って満島ひかりさんおっしゃったんですよ。
「でも私ねドラマ出ないことにしてるのよ」って言ったら「それは分かってるんです」「だけどこんなに黒柳さんとしか思えないってみんなが言ってるもののご本人なんだからお願いします」っておっしゃったんで見てたらホントにね私の人生のような人生だったんですよ。
じゃあそれだけ出ますって言ってね。
いやでも満島さんもね女優さんとしても素晴らしいですけど…。
黒柳さんを引っ張ってこれるっていうねぇ。
久しぶりに出ました。
でもほとんど自分のまんまでよかった。
何かに扮する必要がなかったんで。
25歳のとき徹子は…
その後週に8本ものドラマに出演するほどの人気女優に
当時のドラマは生放送
膨大なせりふの練習にリハーサル本番と寝る暇もない毎日だった
そしてついに…
過労とストレスで倒れてしまう
ところが出演していたドラマは何事もなかったかのように設定を変え代役を立て放送されていく
悔しさが込み上げた
そんなとき医師からもらったある言葉が今も徹子の心に刻まれているという
(要)届かない…指では届かない…。
毛穴の中のアブラには届かないー!
誕生!新「サクセス」
直シャンノズルで頭皮で泡立ち新・洗浄成分が毛穴の中のアブラを浮かせて落とす!
アー!毛穴の中から突き抜ける爽快感!新「サクセス薬用シャンプー」「育毛トニック」も「サクセス」
(女性1)子どもってなんでも触りたがるよね。
(女性たち)あるある〜!
(女性1)いろんな所に手突っ込んじゃうし。
(女性たち)あるある〜!
(女性2)すぐホコリだらけよね。
(阿部)あるある〜!ある〜!そのホコリ実は菌やカビのたまり場なんです。
(女性たち)えっ!だから「クイックルハンディ」!
ホコリと一緒に菌やカビまで360度からめとって離さない!
おそうじって親心なんです。
(女性たち)はっ!・「クイックルワイパー」
「ハンディ」
27歳
過労とストレスで倒れた徹子が出会った…
ずっとお元気でいらっしゃるイメージがありますけどまだ20代のときに過労で倒れるなんて。
仕事を始めて5年目でしたね。
やっぱりね7〜8本のドラマやってラジオもやって。
それでもうそのころは「個性出してください」って…。
だからもうどんどん出るでしょ。
全部生じゃないですか。
それでね覚えなくちゃいけないしいろんなことで睡眠時間が2時間とか3時間になって毎日。
そうすると人間ってやっぱりね病気になるのね。
過労。
そうですよね。
でね「病院入りなさい」ってお医者さまに言われて。
「死んじゃうよ」なんて言われたんです。
それでもう全部降りてね。
みんなもね降りないでくれってたくさん言われたんですよ。
プロデューサーなんかに。
でも私は降りますって言ってねそれで病院入ったんですよ。
で1カ月ぐらいで出てもいいって先生おっしゃってテレビ見ていいっておっしゃったからテレビ見てたんですよ。
そうしたら生放送だから今まで私が必死でやってた司会のものをね全然知らない女の人が出てきてね「今日から私がやります」なんて言ってもうそれでおしまいなのよ。
あら「黒柳さんは1カ月たったらお帰りになります」とか何かねおっしゃってくださればいいのにと思ったけどNHKそういうの言わないので。
それで結局それは駄目になったの。
それでねやっぱりちょっとこのまんまじゃ駄目だなと思って。
それでね退院するときに…。
1カ月で治ったんで退院するときにお医者さまにね「質問があるんですけど」っつったら「何だい?」っておっしゃったんで。
「私ね死ぬまで病気したくないんですけどどうやるんです?」って伺ったら「僕も長いこと医者してるけどそういう質問初めてだ」って。
「だけどね1つだけあるよ」っておっしゃったんですよ。
その方名医でしたから。
「好きなことだけやって生きていきなさい」っておっしゃったんです。
それは大変だなって思ってね。
仕事を選ぶときに嫌だなって思いながらやるとね1つ嫌だなってのがここに残ってね。
だからね「その嫌だながなかったら僕は病気にならないと思う」って。
当時ストレスという言葉はありませんでしたから。
だから先生はとっても早くもう50年以上前ですからストレスっていうことをお考えになってたんでしょうね。
だから自分が進んでやるうれしいなって思ってやる仕事やってれば病気にならないと思うっておっしゃったんで「はいやってみます」って言って。
それで私はそのころからフリーになろうと思ってましたからマネジャーと相談して。
私は自分の好きなことだけやって生きていくからって言ってね。
すごいですけど。
でもまだ新人ですからね。
そんな何でも断って生意気って言われちゃいけないからそこは上手にしてですね現在まできたんです。
27っていうとちょうど今私の年齢なんですよ私がじゃあ今好きなことだけってなるとやっぱりそれってすごく勇気がいることだなって思いますよね。
そうだと思いますよね。
そりゃ大変ですよ。
そうですよね。
いずれにしても大変なんですからねこの仕事はね。
でもそのときホントにそう思いました。
でもやっぱりいいお友達を持つってことも大事なんですよそういうとき。
相談してくれる人とかね。
その言葉を胸に刻み女優人生をまい進していった徹子
だが40歳を目前にし大きな壁に直面する
(竹下)夜の「ロリエ」は超吸収!多い夜は?
(女性1)モレたくない。
(女性2)うんうん。
(女性3)ゴワゴワがいや〜。
(女性たち)ね〜。
みんなの願いを叶えま〜す!
(ひつじ)新しい超吸収!
「ロリエ超吸収ガード」新発売!
瞬間吸収量がなんと2倍に!
真ん中だけでたっぷり吸収!
見て!後ろは白いまま
しかもゴワゴワしないの。
多い夜こそ…。
「ロリエ超吸収ガード」新発売!・「焼き肉ニット」
(中村)くさい。
・「汗かきワンピ」わぁ!・「よごれデニム」・「洗うと傷むから」
洗たくしないでまた着るの?
まぁね。
それじゃニオイも汗もたまってく!
げっ!
新しくなった「エマール」で洗おう
センイの奥からニオイも汗もスッキリ!
色あせ・型くずれを防ぐ
スッキリなのに色・形ばっちり!着るたび洗えちゃ〜う!
NEW「エマール」
タイツにも!
40歳を目前にし徹子は思い悩んだ
そして…
キャリアを投げ捨てる覚悟で…
その1年間はホントにお仕事しないで好きに。
まあ演劇の勉強もちょっとしたんですけどね。
そういうことが必要だって自分で思ったんで。
でもそれはねそのころお休み取る人なんかいなかったんで。
お休み取ったら生意気ってみんなに言われるかもしれない。
いいやそれでもと思って。
そしたらみんな結構おっしゃらないで「いってらっしゃい」なんてね。
森光子さんなんか「お小遣い足りなくなったら送るから」とかおっしゃってくだすってね。
みんな芸能界の人優しいなと思って。
それでニューヨーク行って学生のような生活して。
それでまあ…よかったです。
仕事がなくなるかもみたいな不安っていうのは…。
ええありました。
それはね「あなた帰ってきて仕事がなかったらどうするの」とは言われました。
でもね15年やってきて帰ってきて仕事がなかったらそれはホントに私が何にもない人間だってことじゃないですか。
だったら違う仕事になってもいいと思ったの。
元気なんだから他のことしてもね何してもいいから。
とにかく全部やめて一人だけそういうのやってみてもいいんじゃないのと思って。
その後ニューヨークいらっしゃる方ずいぶん多いですけど当時ニューヨーク行く人誰もいなかったんですよね。
こっち方の西の方がねロサンゼルスとかそういう方が多かったんですけどニューヨークいなかったんだけどまあニューヨーク行ってみて。
ブロードウェーですかねやっぱり。
それですごくいろんなことがやっぱり一人で生きていくとか女が生きていくのは大変だとかいろんなこと覚えましたけど。
とにかくやっぱり行ってよかったなって思ってます。
いやでもさっきのマンハッタンの振り袖ガールの写真は相当カッコ良かったですね。
ええあれはね当時…今もやってるんですけどイースターパレードってお帽子かぶって「イースターパレード」ってあるじゃないですか。
やるんですけどもうみんなが飽きてきてたのね。
なもんで私振り袖着てったらみんな私のこと写してくれて。
5番街のとこなんですかね。
でどこ行くんでも振り袖着て行きましたらもうみんなからね扱いが全然違うの。
そりゃあねあれを着てたんでチャップリンにも会えたしね振り袖着てたんでねいいこといっぱいありました。
徹子の仕事に対する姿勢を垣間見る機会があった
毎年彼女は…
ことしで25回を数える
よろしいですか?よろしくお願いします。
会場に着くと早速ミーティング
コンサートの進行を確認していく
やっぱり『未完成』とか。
(男性)ああシューベルトの。
そういうシューベルトの『未完成』とかそういうの。
それから『白鳥の湖』とか。
(男性)ああ。
出演者スタッフが進行台本を基に話を進める中
徹子が手に持っているのは…
(スタッフ)ちょっと見せてもらっていいですか?
(黒柳)どうぞご覧ください。
手書きの文字が並んでいた
実はこれ…
進行を頭の中に描き自分の役割を完全に把握するためだという
(黒柳)だから自分で全部次は何次は何って…。
みんなこのごろこういうの出してもらってるけど一回もそういうのやったことないです。
カンペっていうんですかね。
カンペ時代の人間じゃないので。
それと歌詞出してくれる人が必ず正しく出してくれるとも限んないじゃない。
だからうたぐり深いっていうせいもあって。
落っことしたりするじゃない。
だから自分で持ってるのが確かだから。
司会進行を務める仕事ではテレビイベントに関わらず自分で台本を作る
NHK時代から50年以上親交がある野際陽子は
ホント感心するのはねものすごくよく覚えてらっしゃる。
あのときこういう話をした。
この前来てもらったときに…。
もちろん資料も見てらっしゃるかもしれませんけれどもでもそうじゃない。
生きた記憶としてねとってもよく覚えてらっしゃるんですよ。
私なんかすぐ忘れちゃうんですけどね。
さらに徹子のトレードマーク…
この髪形にもプロとしてのこだわりが隠されていた
あの頭はね初め下げておかっぱにして後ろの毛を全部上げてたんですよ。
ここちょっとまとめてね。
それで着物を着てるときが多かったんでそしたら須賀勇介さんっていうね当時アメリカで一番有名なヘアドレッサーの方が一番仲良しだったの。
彼がね「いいんじゃないその頭」って。
「こっちの横も上げちゃえば?」ってことでここもこういうふうに上げて今のタマネギの原形ができてそうするとお洋服でも着物でもどっちでもいけたんでそれであの頭にしたんですね。
それでどうしてかっていうとね司会者は…私の感じなんですけどね。
こういうとこがねちょっとでも出てないと後ろから映るときが多いんです。
すごく。
『徹子の部屋』なんか圧倒的に後ろから映るんですよね。
で向こうの方がお話ししてるときにああへぇ〜ってこういうふうに言うときにここに毛がばっさりあってへぇ〜って言ってもあんまり分からないじゃないですか。
でも全部髪の毛が上に上がってるとへぇ〜ってこういうふうに言ったときに後ろからでもここの所で私がへぇ〜ってこういうふうに言ってるのが分かるっていうね。
肉体の一部になっちゃって…。
肉体の一部って言うと変ですけど。
こう見えてるのがいいって私は思ったんですよ。
だから司会者をやるときにはね私らしい反応をしたりとかいろんなことがよく分かってうなずいたりえ〜!っていろんな反応が一目で分かるじゃないですか。
だからやっぱ髪の毛は司会者やってるときはね上げといた方がいいなっていうのが私の考えで。
でも第1回目から39年。
あれは1回目のゲストが…。
森繁さん。
初めて会ったときがもう60年ぐらい前ですごい若いときだったんですけど。
ドラマでこういう暗い所から2人で出ていくときにちょっと引っ込んで待ってるときがあるじゃないですか。
そしたら…。
でね私もねちょっと奥手だったもんですからその「一回」が何だろうなって思ったわけ。
でそのときもう出てっちゃったから…。
会うたんびにね「一回どう?」っておっしゃったんですよ。
でねある日ね「一回」っていうのはねあれはキスのことかなってちょっとある日考えたの。
そしたら森繁さんがねもうそれを見透かすようにまた2人でどっかでこうやって引っ込んでる所から出る前にね「一回」っていっても…。
だから大変と思って。
でねそれで「一回どう?」ってね。
でも森繁さんってねホントに面白い方だったんです。
あの方女の方いろんなことお話あるけどめちゃくちゃではなかったと思います。
やっぱりね趣味もちゃんとしてらしたね。
でもどんな趣味の女の人が好きかは分かんなかったんですけど。
ただね一番最後に亡くなるちょっと前に東京會舘の前でね一緒に仕事して終わって帰ろうと思ったら森繁さんがね車の後ろにねこうやって座ってらしたんですよ。
だからね「あら」って言って私がね。
「もう帰るの?」って。
車のここんとこにこうやって「もう帰るの?」っつったらザンッってねものすごい力が強いの。
もうね八十何歳で90近くなのに。
ぐっと私のことをね引っ張って車の中へ引きずり込んでね…。
だからねいつも私「今度ね」って言ったんですよ。
「今度ね」そしたらね「君今度ね今度ねっつってねしわくちゃになったら嫌よ」って言うから「私だって嫌ですよ」っつったのよ。
それがお別れだったんですけどね。
だから最後まで初めて会ってから約ホントに50年か60年近くホントに会うたんびに「一回どう?」っておっしゃってくだすってね。
優しい方。
いやでも「一回どう?」ってなかなかいい言葉ですね。
そうなんですよ。
他の言葉だと案外嫌じゃないですか。
いや僕もちょっとホントに森繁さんみたいに小粋なというかああいう男性になってホントに黒柳さんに「一回どう?」って言えるようなねそういう洒脱な大人になりたいもんですよね。
でもそれはねあなたが「一回どう?」っておっしゃったらおかしいと思う。
やっぱりちょっと。
そうですかね。
うん。
そうじゃない?いやいや…。
そうですか…。
この後…
『徹子の部屋』で共演して以来大の仲良しという澤穂希が徹子の意外な素顔を告白
まあ私も食べるときは食べるんですけど結構おなかいっぱいって思っても徹子さんはまだ「食べる?」みたいな感じで聞いてくれますし。
チャプチェは結構食べてるイメージもありますしあとイタリアンに行ったときに自分で選べるんですかね運んできてくれてこれとこれとこれが食べたいってやつでも結構いろんな種類を選んだりとか。
たまに電話したりとか普通にメールしたり…。
自分が海外で大会に行ってるときとかに試合見てたこととか試合見た感想だったりもそうですしいついつご飯行きましょうとかっていうのもありますし。
最後に3つぐらいわんわんって入ってたりとか。
でそれ何で入ってるのかなと思って結構疑問で聞いたら赤とか何だろう…。
メール好きでいらっしゃる?メール頂いたらすぐ瞬間的にお返事しますよ。
へえ〜!澤さんとはずいぶんしてる。
明け方やってるときあるじゃない。
どっか外国でやってて。
そうですね。
そういうときなんかず〜っとこうやって見て見終わると「観てました」って。
「すごい走ったね」とか色々。
そうするとまたねパッてすごい勢いでねどこにいてもお返事が早い。
あっでもそのときは起きてらっしゃるからね終わったばっかりだから。
「ありがとうございます」なんてね。
黒柳さん僕ともメールしてくださいよ。
あっいいですよメル友。
はい。
じゃあ取りあえず清水のミチコさんにメール聞いていいですか?いいですいいです。
清水ミチコさん。
うん。
みっちゃんに聞いて僕がアドレス聞いて黒柳さんに送っていいですか?もちろんいいです。
その代わり僕は誰ですって書いてくださいね。
分かりました。
このごろね分かんなくてね。
このごろねアドレスだけだと分からない人がいるからね。
誰だか分かんない人になれなれしい手紙なんか書いちゃうといけないから。
お返事はすぐ出しますよ。
あっありがとうございます。
あっどうもこんにちは。
失礼します。
この間はお疲れさまで。
(男性)ホントお疲れさまでした。
この日は…
ホントに素晴らしい内容でありがとうございました。
30年前からユニセフの支援活動をサポートする親善大使を務めている
(男性)すごい笑顔が。
(黒柳)ねえ。
へえ〜カワイイ。
今も年に1度仕事の合間を縫って世界各地の恵まれない子供たちの元を訪ねている
実はこの活動を始める少し前徹子は自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』を出版
大ベストセラーとなった
トットとは彼女の幼いころのあだ名だったのだがその後訪れたアフリカの国で徹子は不思議な縁を感じることになる
ホントにねタンザニアって最初に行ったんですけどタンザニア行ったら村長さんがね「…トット」って子供たちとか集めてるときにね「トット…」っておっしゃったの。
で私国務大臣と一緒に歩いてたんでトットって今おっしゃったんですけど『窓ぎわのトットちゃん』じゃないでしょうね?って言ったら違うのスワヒリ語で…。
アフリカで一番使われてる言葉なんですけどスワヒリ語で子供のことトットっていうのよって。
偶然ですね。
そのとき私ホントに神様ありがとうございますって感じでねあ〜そうか私は子供のために働くように生まれてきたんだなと思って。
ちっちゃいときの私の呼び名がトットだったんでねおんなじで。
それでインドへ行ったとき初めのころなんですけどインドって破傷風っていう病気で死んじゃう子がとっても多いんですね。
1本注射を打てば何でもないことなの。
でもそんなのみんな打てないからねみんな死んだりするんですけどそういう貧しい子供たちが行く病院へ行ったんですよ。
そしたら全部破傷風の子ばっかりで一番端にいた子がね大きい目で私のこと見てたんでね先生も一生懸命やってくださってるからねあなたも頑張るのよって。
頑張ってねって言ったんです。
そしたらその子が私のこと見ながらね喉の奥で「うう…」って何か言ったんです。
でね気が付いたら筋肉や何かが硬直しちゃうってことはそういう喉とか舌とかそういうとこも全部硬直しちゃうんだって分かったんですね。
そしたらでも何か言ってくれたから看護師さんに今この子何て言ったんです?って言ったら今死にかけてるその子がね私に「あなたのお幸せを祈ってます」ってこの子言ってますって言ったんですよ。
そのときにね分かってはいたけど子供ってこんなに純粋なんだってホントに思ってね私たちは自分が死ぬほど苦しいときに誰かの幸せを祈ってますなんて言えるだろうかって思った。
その前に行ったタンザニアの村長さんがね黒柳さんこれだけは忘れないでくださいって。
子供はかわいそうです。
大人はね死ぬとき痛いとか苦しいとか言うんですけど子供は何にも言わないんです。
子供はみんな周りの大人を信頼してそれで黙って死んでいくんですって。
これは覚えておいてくださいって言われたんで私子供のこと分かってると思ってたんですけどやっぱりそんなふうにねあなたの幸せを祈ってますなんて死に際にでもそんなことを言ってくれる子供がいるんだったらまあユニセフのために子供のために働くことにしようって始まってすぐのときでしたからそれからずっといつも子供たちと接するときはねそんなふうに思って。
でもそう考えるときにね私日本の子供たちがこんなにいっぱい物があふれて勉強もできるのに何か夢とか希望があるかっていうと別にないみたいな話が時々出たりするでしょ。
そうするとねやっぱりね残念だなと思いますよね。
これから新たにやってみたいなと思うことってあるんですか?できるかどうか分からないですけど一応100までは生きたとしてですね政治家の人にインタビューする人になろうかなと思って。
100歳の人がインタビューするんですから政治家の人もちゃんとしたお答えしなきゃいけない。
ねえそう思ったんで。
いやそれ楽しみですね。
徹子さんに突っ込まれてる政治家のぐうの音も出ない感じとかね。
見てみたいですけどね。
そのときどうなってますかね。
あと一番大事なのは物に関心を失わないことですよね。
「わあ面白そう」とか。
どうでもいいんじゃないって思っちゃったらもうおしまいじゃないかなって思ってね。
(黒柳)何かすごい嫌な風が吹いてる。
嵐のような。
気を付けよう。
皆さんご苦労さまでしたねホントに。
じゃあね。
(黒柳)みんな一緒だ一緒にやるんだよと先生はおっしゃってたんですね。
だから一緒にどんなことやるのでも全部…。
それから何でも…。
小学校低学年で習ったことでも…。
リリーさん実はですねお手紙を預かっているんですが主題歌を歌ってくださっている竹内まりやさんから。
ということで中を読んでいただいてもよろしいですか?あっ分かりました。
「この半年間欠かさずに見続けた『ワンダフルライフ』はリリーさんと山岸さんのゲストに対する素直な好奇心とリスペクトに溢れたすてきな番組でした」「その番組にテーマソングという形で関われたことを心から幸せに感じています」「人の数だけ生き方があるというテーマから生まれた『静かな伝説』はあらゆる人々の人生を讃える歌であると同時に私たち自身へのエールでもあります」「この歌がささやかな希望の灯火となっていくことをこれからも願っています」「リリーさん山岸さん本当にお疲れさまでした」「ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げてますかしこ」「竹内まりや」本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
ねえもう今日でこの番組も最後ですけどもホントに最初に竹内まりやさんにこの曲を作っていただいて僕らも心細い中曲を聴いた途端にこの番組のMCをするげたを履かせてもらったというかすごく勇気を頂いたというか。
ホントにすごく感謝してるんですけどね。
ええホントに見てくださった皆さんもどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/09/14(日) 21:00〜21:54
関西テレビ1
[終]ワンダフルライフ[字]【ゲスト:黒柳徹子】
とまらない黒柳徹子がしゃべりまくり!婚約破棄そしてNYへ…女優への思い。タマネギ頭誕生の秘密も。ドタバタ紅白司会爆笑裏話。リリー本気で求婚!?答えは?
詳細情報
番組内容
今夜のゲストは、日本のテレビ放送創生期から、常にトップランナーとして第一線で活躍を続けている黒柳徹子。番組では、彼女の人生をいくつかのキーワードからひもといていく。
番組冒頭では、MCのリリー・フランキーが、黒柳のことを以前から「女性」として魅力を感じていて、理想の女性であることを本人に直接告白。以前に彼が『徹子の部屋』に出演した際に、プロポーズしたことも明らかにされる。番組本番中にプロポーズ
番組内容2
をされたのはリリーが2人目だと言う黒柳。彼女にプロポーズしたもう1人の意外な人物とは?
「婚約破棄」というキーワードからは、黒柳が20代前半で3回お見合いをした過去を語る。そのうち1人とは結婚寸前までいったと言う彼女が語る、過去の恋愛遍歴、恋愛観、結婚観などは必聴の価値あり。
そして「超個性派女優」というキーワードでは、NHKの前身である東京放送劇団養成所に19歳で合格し、テレビ女優第一号
番組内容3
としてキャリアをスタートさせた彼女の半生を振り返る。デビュー当初、その個性的な声から演出家に「君の個性が邪魔だ」など、痛烈な言葉を浴びせられた辛い経験を語る黒柳。悩む彼女に転機が訪れたのは、ある演出家との出会いだった・・・。
さらに、「好きなことだけやる」「徹子のヘア」「トットちゃんの愛」というキーワードから彼女の生き方や人生哲学について、MCのリリー、山岸舞彩が深く掘り下げていく!
出演者
【MC】
リリー・フランキー
山岸舞彩
【ゲスト】
黒柳徹子
スタッフ
【編成企画】
清水麻利子(フジテレビ編成部)
【プロデューサー】
柴田裕正(イースト・エンタテインメント)
【総合演出】
大橋圭史(イースト・エンタテインメント)
【テーマ曲】
竹内まりや「静かな伝説(レジェンド)」(ワーナーミュージック・ジャパン)
【制作】
フジテレビ
【制作著作】
イースト・エンタテインメント
ジャンル :
バラエティ – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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