給与制度が日本に定着しだしたのはまだ街頭テレビに熱中し日本で初めてのアルミ硬貨1円玉が発行された1955年頃。
この頃の給料は現金が入った茶封筒を手渡し。
お金が入った分厚い茶封筒をお父さんが持って帰る給料日は家族にとって一大イベントだったのです。
帰ったぞ。
と丁寧に受け取るものの…。
1955年というとまだ…。
いちばん大きいお札が千円。
あとは五百円百円五拾円十円とお札だらけ。
しかも両替がしづらいため給料袋には100円札が多く給料が2万円近くなると袋はパンパン。
そこでお父さんたちは…。
よし立った母さんビール!はいあなた。
よく見とけお前…。
すごい。
給料袋が立つというのがお父さんたちのステータス。
そうですよね。
牛肉や豚肉に比べ値段はおよそ4分の1と安いためさまざまなレシピが流行。
しかし給料日の夕食だけは当時最高の贅沢といわれたオカズが。
それは…。
うわ〜!そう庶民の最高に贅沢な食事といえば…。
デパートでもお歳暮などの高級贈答品として扱うほど貴重なものだったんです。
そしてすき焼きの楽しみといえばこの高級食材…。
うまそう。
卵…。
この頃の卵は病気のときにしか食べられない贅沢な食材。
給料日でも4人家族で卵1個を分け合うのが当たり前の時代でした。
そこで当時は…。
おおいいねいいねうん。
たっぷりたっぷり…。
みんな食べられるように。
牛肉砂糖卵の三大高級食材を使ったすき焼きは年に一度か二度しか食べられない庶民の最高の贅沢でした。
おいしい。
ありがとう。
うん。
ちなみにお店ですき焼きを食べるととんでもない金額に。
家族4人分の料金を現在の価値にしてみるとなんと46000円と庶民には手が出ない金額。
そこでお肉が食べたいとき少し値が張るプチ贅沢品が流行。
それは…。
庶民のプチ贅沢品は…。
瓶製品が全盛のなか缶に入った食べ物は珍しく専用のピンにクリクリ巻きつけて缶を開けるシステムは最先端におしゃれな食べ物に感じられたそうです。
もともとは船乗りのための保存食として作られたといいます。
1955年頃の贅沢品はなにも食べ物だけではありません。
新幹線がまだない時代…。
しかし夏場にもなると東京駅は大混雑。
こぞって近場のレジャースポットへ出かけました。
どこの海岸もいちめんゴマを撒いたような賑わいです。
そうファミリーからカップルまでこぞって集まったのは…。
海辺は赤緑と華やかな色彩に彩られ…。
この頃の女性は背中を大きくカットした水着と陣笠風の帽子を被るのがトレンド。
1955年頃それは何でしょうか?伊集院光さんお答えください。
浜辺で?何なに?すいか割りすいか割り大ブームもう。
すいか割りブーム。
何なに?正解は…。
この頃日本は3,000以上のダンスホールがあったほどの社交ダンスブーム。
浜辺で若者が社交ダンスを踊る姿は当たり前の風景でした。
そしてもうひとつ日本でいちばん流行っていたレジャースポットが千葉県にありました。
広大な敷地には遊園地をはじめさまざまな施設があり海水を引き込んだジャンボ最盛期には…。
実に50種類もあった珍しいお風呂がわずか120円で入れるという値段の安さ。
更に50畳もある大広間には舞台が設けられており芝居はもちろん手品や落語コンサートまで…。
あまりの楽しさに…。
コンサートをしたそうです。
1955年頃というと家計のやりくりはお母さんの仕事。
家賃に電気代水道代など銀行振り込みではなく現金で支払うためお金を細かく分けて管理していました。
当時は今ほど銀行もない時代。
そこで奥様たちがやっていたのは…。
しかしお父さんたちが夜な夜なへそくりを見つけてはお金を使ってしまうため奥様たちはへそくりの隠し場所に苦労したそうです。
当時の奥様たちはヘソクリをこんな場所に隠していました。
ここなら絶対見つからない。
貯まってきたわねぇ。
日本は建設ラッシュ。
1963年頃ただいま。
お父さんの帰りを出迎える家族は激減。
ただいま。
我が家の給料日は少しそっけないものになっていました。
その原因は…。
高度経済成長期の三大好景気のひとつ…。
会社も給料を1万円札で支給。
給料袋の薄さとともにお父さんへのありがたみもペラペラに。
誰かしら?こんな時間に。
お前ここにいろ。
なっ。
こんばんは。
悪い今日はちょっと。
あの…。
自宅か会社の住所さえ教えれば…。
仕事帰りに1杯飲んで帰るお父さんが数多くいました。
そのためツケの集金で派手なお姉さんが給料日に現れることもしばしば。
あなたどういうこと?俺にもさつきあいってもんがあるんだからさ。
きっちり説明してもらいましょうか。
ごめん!頼む!もう!なんだお前ら起きてたのか?やった〜!デパート行くの?日曜日デパート行こう。
早くいいから寝なさい。
もう寝なさい。
1963年頃庶民のきれいな制服を着た店員さん。
見たこともない新製品がずらり。
デパートは都会の象徴。
そんなデパートへ出かけるときは…。
高価なポマードも惜しげもなく使います。
お母さんは厚化粧に着物を着る人が数多くいました。
そして子供たちにとってデパートはまるで遊園地。
連日行われていました。
日本橋三越本店の屋上では…。
なんとディズニーランドがありました。
期間限定ではありますがお城やメリー・ゴー・ラウンドがあり子供たちに大人気!更に松屋銀座本店の屋上では…。
なんと汐干狩りまでできてしまうまさに夢のような場所でした。
そしてデパートで食事をするのも庶民にとって最高の贅沢。
お待たせいたしました。
来た来た。
子供を虜にした…。
これね。
たまげたから俺最初。
庶民にとって…。
来た来た。
うまそう!おいしそう。
一番人気はハンバーグ。
町の食堂では見られない目玉焼きがのったハンバーグはデパートでしか味わえない贅沢。
そして子供たちにはデパートが発祥のお子様ランチ。
誰もが国旗に胸を躍らせました。
当時の子供たちは国旗を大切に保管し学校で自慢していたそうです。
そしてなんといっても子供たちが楽しみにしていたのが…。
デパートには見たこともない横文字のデザートがずらり。
なかでも人気が…。
甘そう!甘いの大好き。
給料日にしか注文できない贅沢品。
斬新な緑色のジュースに誰もが目を丸くしました。
おいしい。
よかったよかった。
ほらいっぱい食べな。
よかった。
1963年頃といえば当時の表記はパインアップル。
現在の価値で1個およそ1,500円とフルーツ缶詰の中でいちばん高価だったため…。
それともう1つ…。
現在の価値だと1個およそ2,500円。
この時代いちごは高価でしたが今のものより甘くなかったので練乳をかけて食べるのがプチ贅沢でした。
すると白黒テレビ冷蔵庫洗濯機の三種の神器は…。
なかでも世のお父さんたちが喉から手が出るほど欲しかったのはマイカー。
一番人気は1958年に発売された…。
前開きのドアに本革シート。
まだまだ高嶺の花でした。
そこで車が買えないお父さんたちは…。
免許がなくても1時間300円で運転できるドライブクラブが大人気に。
事故が多かったこちらのそれは…。
この頃のお母さんたちはファッションに目覚める人が続出。
おかえり。
おかえり。
お母さんすごい。
うわクルクルだ。
すっご〜い。
似合うでしょ?1963年頃世のお母さんたちのプチ贅沢といえばパーマ。
髪にボリュームを出すくるくるパーマが大流行。
景気がよかったせいか少し高めのパーマでもお母さんたちに大流行。
しかし当時のお父さんは…。
おい。
似合うでしょ?似合うってお前…。
う〜んいいのよ。
初めて目にするクルクルした髪型が変に見えたそうです。
ちなみにこの頃前田美波里さんがしていた横から見るとアルファベットのCの形に見えるキスカールという髪型も流行りました。
GNPがアメリカに次いで第二位となり好景気は絶頂を迎えていました。
この年発売された…。
景気がよかった反面サラリーマンはモーレツ社員と呼ばれ月100時間以上の残業は当たり前。
とにかくこの時代お父さんたちはよく働いていました。
発車オーライ
そんな景気のよかった頃…。
寿司買ってきた…。
給料日にもかかわらず…。
その原因とは…。
そう1968年に府中市で起きた3億円事件。
ボーナスを積んだ現金輸送車が襲撃され3億円を強奪。
世間をあっと驚かせた。
せっかくの給料日だっていうのになぁ。
お父さんの帰りを待たずとも通帳と印鑑さえあれば…。
秋になって突如トイレットペーパーが店先から消えた
1973年になるとオイルショックに。
日本の景気は一気に下落し世間では節約ムードが高まるばかり。
大きく変化。
外食する家族は減り…。
その家電とはなんでしょうか?泉麻人さんお答えください。
え…家電?あこういうやつだよ。
こういうやつ…。
名前が…。
なんですか?こういうやつ。
正解は…。
経済的なうえお店のように大量にお肉が焼けることから…。
しかし当時のホットプレートは油はけが悪く…。
やられた。
飛び散る油の熱さに我慢しながら食べていました。
あっつい!気をつけたほうがいいぞこれ。
景気が悪くなってしまった…。
おいしいね。
ねっ。
そしてこの頃の…。
当時の靴はふだんでも履けそうなシンプルなデザイン。
あるボウリング場では月に20足も盗まれたそうです!そこでふだん履けないよう…。
1973年頃この頃小遣い制がすっかり定着。
世のお父さんたちは夢を求めて競馬場へ。
誰もがお金のありがたみを知った給料日。
食べるのも遊ぶのも贅沢するときは家族みんなで。
さあ給料日の変遷を見てまいりました…。
結構盛り上がってましたけどもね。
懐かしいのいっぱい出てましたね。
給料日ならではの料理とかですき焼きって盛り上がってましたけど。
盛り上がってましたね。
あのVTR見てると自分の中でのあるあるネタをおそるおそる言うのは…。
わかりますわかります。
そうすき焼きのタレの…買ってきてサバをその味付けですき焼きして食ってて。
デパートを今週の日曜日行こうって予定立てない。
いましたね。
そうなんです移動動物園が。
この番組ねチーム分けがたまに変わるのね。
ちなみに目の前に…。
意外な物もあります。
私やっぱりバナナとかおいなりさんとか。
すみません。
これがね結構世代の差が出るのよ。
ちょっとその世代の差みたいなのが。
お母さんが作る朝ごはんにはその時代に合った工夫と愛情が詰まっていた。
あ〜。
超うまそうこれ。
昭和20年代誰もがお腹を空かせていた空腹の時代から少しずつ日本の食糧事情が好転しはじめた時代。
この頃品種改良のすえ…。
ようやく3食食べられるようになった…。
お母さんの朝は今よりずっと大忙し。
当時はまだ…。
そんな中でも意外と力仕事だったのがそう…。
当時のお米はぬかなどが多く付着していたためお米とお米をこすり合わせしっかり研ぐのが基本。
ちなみに当時のお母さんたちその研ぎ汁も捨てることなく…。
ぬかの栄養を含んでいるので畑の肥料にも。
更に化粧水としても使っていました。
そして米炊きは誰もが知っていたあのフレーズ。
かまどに付きっきりで火加減を調整し…。
少し蒸らしたあと切るようにしゃもじでかき混ぜればふっくら…。
ご飯が炊けたらすぐお味噌汁の支度。
すると聞こえてくるのが…。
あら大変。
は〜い。
お金と…。
お母さんからお金とお鍋を受け取って向かった先は…。
すみません。
はいよ。
そうお豆腐屋さん。
この頃のお豆腐屋さんは朝食を作るお母さんたちのため…。
近頃はラッパの吹き方も堂に入ってきたようだ
景気が上向いてきたこの頃…。
だが夜遅くまで熱い窯と取り組んでいるパン屋のテッちゃんの腕はさすがに1年先輩だけのことはある
ありがとう。
まいど。
当時は…。
更にこんなお手伝いも。
カツオ節削り。
しかしついつい…。
なんてことも。
煮立ったら火を止め削り節が沈むまで待ってからサッと布やざるで漉すのがおいしいダシをとるポイント。
ちなみにお味噌汁のダシといえば煮干しも定番でした。
こちらは苦みが出ないよう…。
ダシ一つとるのにもかなりの手間をかけていました。
そして肝心の味噌も自家製。
味がなめらかになるように…。
おいしい。
当時のおかずの定番は自家製の…。
そして保存のきく…。
炊き立てご飯にアツアツの味噌汁。
手の込んだ料理はなくともすべてが手作り。
(一同)いただきます。
電気冷蔵庫がなかったこの時代保存のため漬物もお味噌汁もかなり…。
そのためとにかくご飯がすすむすすむ!当時全国の小学6年生を対象に学力・体力が優れたうえ身長や体重が平均以上といった条件を満たした子どもたちから健康優良児を決めるという制度がありました。
そのため背が高く体重も重いほうが健康的と考えられとにかくたらふく食べて大きくなるそれが健康への第一歩と考えられていた時代でした。
しかしその考えを一変させるものが街に登場。
これまでとにかく量を食べることが健康につながると考えられてきたのですが…。
そして一人のアメリカ人が戦後栄養不足だった日本人をあの定番の食べ物で救う!?えっ。
そうなの。
町にスーパーマーケットができ朝食にも変化が。
これまでとにかく量を食べることが健康につながると考えられてきたのですが栄養を意識した食生活が重要視されるように。
当時明け方の町には多くの子どもたちの姿が見られました。
とあるものを売って家計や学費を稼ぐために働いたんです。
いったい何を売っていたと思いますか?前田美波里さんお答えください。
何を売る?朝早く。
朝早くなくちゃいけないのよね。
わかりませんごめんなさい。
全然わかんない。
続いてあばれる君お答えください。
あっすみませんえ〜種何かの種。
何かしらの種。
それでは正解。
そう後援会費ねそっちの坊やどうです?当時は家計を助けるために納豆を売る多くの子どもたちが。
他にも終戦直後の食糧難で栄養不足だった日本人に対し当時のGHQの栄養部長ハウ大佐がこれにより納豆が日本人を救う栄養食として定着。
いつしか朝食の顔に。
納豆納豆納豆…。
すみません。
はいよ。
当時のサービスでカラシや青のりをのせてくれました。
買ってきたばかりの納豆に刻んだネギと醤油を入れお父さんが力いっぱいかき混ぜて家族みんなで分け合って食べるのが定番。
当時の納豆はまだまだなかには大根おろしを入れてかさ増ししていたというご家庭も。
それだけに…。
器に残ったネバネバをご飯に絡めて一気にかき込む。
わずかなネバネバをめぐってなんてことも。
離れろ。
昭和30年代新たな時代の幕開けとともに食卓に登場したのが時は家事に追われるお母さんたちを助けるさまざまなアイテムが登場。
その1つがかまどの前でつきっきりで火加減を調整していたのがボタン1つで自動的にご飯が炊き上がる。
まさに画期的だよね。
そうだよね。
更にお母さんたちを喜ばせたのがこの頃家庭に普及し始めたお肉や魚の保存ができるようになったことで朝食に干物や一夜干しなどの焼き魚が満を持して登場するようになりました。
塩気をきかせて保存する必要がなくなったため更に作り置きができるようになったので夕食で残った煮物なども温め直して朝食のおかずに。
すると…。
もうこれまでのしょっぱいおかずでご飯をいっぱい食べる食生活からご飯を少なめにおかずをいっぱい食べる食生活へと朝食の役割はここにきて一変。
炊飯器や冷蔵庫の出現が日本の朝食に革命を起こしたのでした。
当時の食べきれずに冷めてしまったご飯は家族にいつでも温かいご飯を食べさせたい。
便利な道具が出てもお母さんの台所仕事は相変わらず大忙し。
そんな時代朝食の定番として加わったのがそう当時の海苔は焼き海苔ではなく焼いていないほしただけの乾海苔が定番。
豆炭で海苔を炙りパリッパリにしてからひと切れずつ切り分けて食卓へ。
焼きたての海苔に醤油をサッとつけご飯に巻いて食べる。
これが…。
海苔の養殖技術に優れ最大の産地と呼ばれていた場所はどこだったでしょうか。
山瀬まみさんお答えください。
浅草!?独り言にしちゃでかいです。
それでは正解。
昭和30年代海苔の最大の産地と呼ばれていたのはなんとなかでも質も量も最上。
東京湾で採れた海苔は海苔の値段が高騰。
その後新たな養殖場として選ばれたのが現在も日本最大の海苔の産地であるすると朝食に登場。
それが…。
子供たちも大好き味付け海苔の元祖はあの山本海苔。
そもそも味付け海苔は明治天皇が京都へ御行幸の際のお土産として考案されたもの。
パンッと叩いて袋を開ける小分けの袋入りが登場したのは昭和50年代。
これによっていつでもパリパリの状態の味付け海苔が食べられるようになったのですが…。
ときには袋と一緒に破いてしまうことも。
でもこれはこれでおいしかった。
怒られましたよね。
更にこの時代朝食の定番の仲間入りを果たしたのが卵。
それまで養鶏場ではこの頃から狭い場所でもたくさんの鶏を飼育できるその結果卵が大量に出回り価格もぐっと下がったことで瞬く間に食卓の主役の座へと上り詰めました。
その人気はすさまじく子供が大好きなものを並べたという流行語まで生まれるほど。
しかし朝食の定番は…。
ほっかほかご飯の上に生卵を落とし醤油をたら〜り。
ご飯全体になじませるようにかき混ぜ一気にかき込めば至福の時が。
そう更に…。
卵かけごはんを味付け海苔で巻いてそのまま…。
これも定番中の定番。
生卵の可能性は卵かけごはんだけではとどまらずこんなものにも。
そうインスタントラーメン。
ラーメンに生卵を入れて食べるという新しいスタイルも定番に。
更に…。
そして更には…。
シー!オロナミンC!
(2人)パパずるいよ!僕は卵を入れてオロナミンセーキ。
僕はミルク入りだよ!先輩やってますね!オロナミンCでウイスキーやるか?僕はジンでやります!楽しいホームパーティーね。
ええ。
(一同)乾杯!オロナミンCのおいしい飲み方をご紹介しました。
お宅でもいかがですか?なんて飲み方も流行りました。
そして昭和30年代。
バターをたっぷり塗ったポップアップトースターが爆発的に普及したことで朝食はパンという家庭が全国各地に急増。
すると。
米じゃなきゃ力が出ないといった家庭でも…。
はいはい。
フライパンに卵を落として…。
水をさして蒸し焼きに。
そう欧米では古くから親しまれてきた日本の食卓に登場。
付け合わせはウィンナー。
これが朝食の定番となりましたがそれは?おい。
目玉焼きには当然醤油。
と思いきや。
お前よくそんな食べ方できるな。
だってソースのほうがうまいじゃん。
はぁ?何言ってるの。
お塩だけのほうがおいしいじゃない。
普通に醤油だろ。
なんで醤油が普通なのよ?この大論争が巻き起こったのもこの時代から。
伊集院ちゃんどっち?まみちゃんは?すげえ凝ってる。
美希ちゃんは?わぁおしゃれ。
すてきなやつ入って…。
ハンバーグの上とかにのったりとかしてむしろいい感じにはなってる。
添え物になっちゃったのかしら?そのパビリオンに…。
日本初のファミリーレストラン…。
日本人は洋食文化と調和していくことに。
しかしそこでお母さんたちが朝食に取り入れたのが…。
新発売ケロッグコーンフロスト。
お砂糖にくるんだおいしい…。
おいしいね。
このままでもおいしいや。
ケロッグコーンフロスト。
栄養バランスに優れた理想的な朝食として登場。
他にも…。
それだけにとどまらず朝食を取り巻く炊飯器と保温ジャーが一体となった電気炊飯器が三菱電機から発売。
その名もボタン1つでご飯が炊き上がり保温機能がついているので更に〜今日も幸せ朝からほの字。
「かつお風味のほんだし」味の素から発売されたほんだし。
煮干しやかつお節からダシをとる手間がなくなりお味噌汁があっという間に作れるように。
うんおいしい。
更に塩で漬け込んで保存した湯通し塩蔵わかめが登場。
これまた水洗いすればすぐに使えるという手間いらずの商品ということで大ヒット!この頃だとか。
わかめといえば理研から発売された乾燥わかめ長期保存ができ水に浸しておくだけで簡単に食べられることから爆発的な人気に。
しかし…。
戻す量を間違えるとお母さんを手助けするキッチン家電が続々と登場したこの時代。
と思いきや…。
はい。
これすげえわかる。
うちこんな感じだったから。
お母さんは相変わらず大忙し。
家族のなかでもお父さんは子供たちは洋食と多様化。
そして和食派と洋食派仁義なき戦い。
そう和食派の食卓に欠かせなかったのが…。
全国の家庭に衝撃を与えたほたてとかつおの旨みが凝縮したのりの佃煮。
これがご飯の上でとろりとなじみ…。
まさに和食派の切り札。
一方…。
自分でやってよ。
洋食派起死回生の策は食パンの上にケチャップをたっぷり!更にその上に!そうスライスチーズ!これをオーブンで焼けば…。
こんがりトーストととろっとろのチーズ。
アツアツのうちにパクリ!はいこれ?そうそうこれこれ。
ご飯のおともの代名詞といえば錦松梅。
厳選されたかつお節やしいたけ松の実などが混ざった高級ふりかけ。
言うまでもなく白いご飯との相性は抜群。
しかし洋食派も!バターロールをオーブンで焼き切れ目を入れそこにウインナー。
ケチャップをたっぷりかけ…。
豪快にかぶりつく!しかし!和食派の朝食にも新たな刺客が!それは博多生まれの1975年山陽新幹線が博多まで開通したことで出張のお土産として全国に広まった。
ホカホカご飯との相性は…。
母さん。
ただひたすら食べることが健康の第一歩だった時代から栄養のバランスを考えながら食べる朝食へ。
和食洋食。
家族の健康のため今日もお母さんたちは頭を悩ませながら朝食を考えているのです。
これはまたうまいこと考えたね。
朝食で変遷を見るっていうのおもしろいね。
そうですね。
俺結局いきついた結論が…。
ああわかります。
わかる?いいですね〜。
美波里さんは思い出の朝食というのは?思い出の朝食はねえっ?普通の…。
煮た魚を?煮た魚を次の日焼く。
実は私キッチングッズちょっと好きで集めてまして今日ちょっとお勧めのものを…最新のものを持ってきましたので。
まず1つめなんですが…。
こちらです。
これわかりますか?何を言ってんだ。
お〜。
あ〜なるほど。
違う?芯ね。
だけど…。
ほらここがね違うんですよね。
あっよくお気づきに。
何がどう違うんですか?ここが平ら。
そしてこちらがちょっと鋭いナイフのような感じ。
実はこれですねスパイラルカッターくるくるといいまして。
ちょっとじゃあやってみますね。
こちらがジャガイモにこのように。
あっそれを入れて?刺したものなんですが。
ここに人差し指入れまして見ててください。
ん?皮が切れてる。
おっ。
あっ。
おっ?冷凍?え?おぉ?えっ全部切れてる。
皮じゃなく全部切れてる…。
皮だけじゃないの?スライスしてくってこと?そうなんです。
これ実はこういうふうにスライスができて形としてはこのように。
お〜!なんかそれ揚げたの見たことある。
うんうんあるある。
あるある。
まあいつもどおり切ってもいいですけど…。
いいですね見た目がいいですからね。
あばれる君も紹介してくれるんだって?こちらです。
(笑い声)これ?はい!いや見たことないですよこれ。
これ何?キッチン用品なの?それはもう危ないです。
実はですねこちら…。
あっ。
え〜!あ〜!あ〜。
いいですよね?まだ熱い鍋をテーブルに直接置く前にこれをひいてこちらに置くんですね。
増えればもうこんなんじゃない。
ほらきれいですよ〜。
でもアイデアだね。
これすごいいい。
収納時にはだってあの大きさでいいんですもんね?場所を取らなくていいですよね。
では続いての昭和平成ヒット商品を見てみましょうか。
はいその時茶の間は動いた。
日本で初めてパンを焼いた人物。
それは…。
お台場の砲台を作った…。
しかし…。
そのパンはあまりにも硬かった。
それは釘が打てるほど。
え〜そんなの…。
ちなみにこのパンは江川太郎左衛門の出身地伊豆韮山で今も売られています。
そんな硬いパンからおよそ170年。
その種類の多さは今や世界一。
製造技術も世界一と言われるまでに。
食糧危機を切り抜けるため日本でパンが普及し始めたのは戦後500万tに及ぶそしてよし。
驚くべきはその仕組み。
なんとスイッチを入れるとみるみる膨らんでいく。
水分がなくなると電流が止まるというよくできたシステム。
当時どの家にもあったというこの電気パン焼き器ですが写真のごとく仕組みが簡単だったので…。
そのため…。
電極がむき出しだったため常にそうこの時代『東京キッド』がヒットしたパン文化は更に広がることに。
それがしかし当時は小麦粉の質が悪かったためパサパサで味もないものでした。
こうして庶民の間にもコッペパンが普及。
東京鶯谷にある創業63年の老舗パン屋さん。
コッペパンの専門店みはるや。
580円のお返し…。
はいどうも。
お店は今も当時の面影を残す昔ながらの対面式。
そんなみはるやで愛されているのは…。
当時人気だったおかずコロッケをコッペパンに挟み甘い特製ソースをたらすそうコロッケパン。
1927年に考案されました。
そして1950年炭水化物で炭水化物を挟むという大胆な発想から誕生したのがお腹にガッツリたまるこうして味気ないコッペパンにおかずを挟むという日本独自の手法が定着。
うわうまそう。
そして『鉄腕アトム』の連載が始まった1952年。
ターンオーバー型トースターの登場。
それまではガス七輪の上に置いたパン焼き器の表面にパンを立てかけ直接あぶるというものでした。
この手軽に焼けるトースターがきっかけで…。
ですが…。
焦がすことも多く常に目が離せないものでした。
そんな悩みを解消する救世主がこちら。
お〜。
お〜!「もはや戦後ではない」が流行語となった楽しいなこれ。
もう1枚!もう1枚焼いて。
焼くよ。
この飛び出すのが楽しみで当時トーストに塗っていたものといえばそうその上にたっぷりの砂糖をまぶし食べるのが何よりの贅沢でした。
そんななか…。
ご飯のおともとして定着していたある和風なものを塗るのが人気だったといいます。
渡辺徹さんお答えください。
トーストに塗られた和風なものというのはあんこ!あうまそう。
あんこはどう?正解は…。
まったくどちら様も朝はお忙しい。
アチチチチ…。
ここからが新しいスタイル。
取り出したるこの江戸むらさきをバターをたっぷり染み込ませたトーストにさっとひと塗り。
これがまたいけるよお立ち会い。
言うなればのりトーストだ。
1枚が2枚2枚がしまいで…。
時間となりました。
何はなくや時間がなくとも…江戸むらさき。
まさにパンがご飯に匹敵する主食として食卓に躍り出た瞬間でした。
うまい。
そしてこの頃のただいま。
ねえおやつは?今作ってるから待ってなさい。
はい手洗っといで。
は〜い。
そう…。
パン屋さんで安く譲ってもらえるパンのみみを油で揚げ…。
砂糖をかけるだけでできるおやつの定番。
当時はタダでくれるお店も多くご近所で争奪戦が繰り広げられていたんだとか。
そんな食パンで人気を博すお店がこちら。
創業50年以上の老舗吉沢製パン。
当時水と塩だけでこねられることが多い西洋の食パンを日本のパン職人が研究に研究を重ね温度やこね方を工夫することでふんわりしっとりもっちりとした日本人好みのパンに進化させてきました。
こちらのお店では…。
やわらかい食パンにピーナツバターやあんこにイチゴジャムなど好きなものを塗って2枚を合わせるつけパンが創業当時から大人気だとか。
1972年にはこんな発明品が登場。
実はこれトーストの自動販売機。
お金を入れボタンを押すとおよそ1分…。
200℃の鉄板でプレスされアツアツのこんがり焼けたトーストが。
外でも焼きたてが食べられるように考え出されたなんとも珍しい自動販売機。
包むという技術であ〜食いたい。
日本の菓子パンの歴史を作ったといわれているのが木村屋總本店の酒種あんぱん。
その誕生はこの年創業した木村屋の木村安兵衛がこうして和菓子では当たり前の餡を包むという発想から日本独自の菓子パンあんぱんが生まれました。
真ん中のくぼみに添えたのは実はこれ桜の塩漬けやイーストの代わりにそのこだわりの味を求めお客さんが連日集まります。
明治37年新宿中村屋が発売したのがヒントとなったのは当時高級デザートだったあんぱんの餡の代わりにクリームを包めば栄養価も高く喜んでもらえるはずと考案。
クリームパンの形といえばグローブ型。
この形には諸説ありますが…。
食べたとき損した気持にならないようにひと工夫。
確かにクリームがぎっしり詰まっています。
詰まっているといえば同じく明治時代すでに誕生していたのが…。
パンを貝殻のような形に焼きその空洞にチョコレートを流し込む斬新な発想で大ヒットしたひと品。
明治時代に作られた菓子パンは多くの人に愛されています。
東京の下町でパン屋さんを営んでいた中田豊治さんは悩んでいました。
悩みに悩んだすえあるアイデアが。
そうパンを油で揚げること。
焼く必要がないので当時の洋食ブームで人気のあったその中身は…。
こちらも当時大人気だったカレー。
こうして誕生したのがカレーパン。
当時誰も考えつかなかったまったく新しい洋食パン。
こうしてカレーパンの誕生により無事立て直すことができたそのお店は現在豊治さんの孫にあたる5代目の中田豊隆さんに受け継がれ外はサクサク中はトロットロのカレーパンは多い日には1日1,000個も売り上げるという絶大な人気を誇っています。
揚げる技術はその後全国に広まりソーセージをパンでグルグルとくるみ油で揚げるアゲソーセージはふっくら揚がったパンに包まれた魚肉ソーセージが子供たちに人気のひと品。
更に揚げたパンに甘い砂糖をたっぷりとまぶしたこちらの中井パンでは懐かしい味を求めて連日お客さんが列をなします。
行列といえばビートルズが来日した買い求める客で青山にそのお目当てがこれ。
ただいま。
何何?何買ってきたの?フランスパンよ。
青山に出来たDONQのフランスパンは食の域を超え持ち歩くファッションとしても注目の的に。
しかし…。
浮かれて買ってきたものの当時の日本人はフランスパンのかたさに慣れておらず。
ほ〜ら出来たわよ。
何を間違えたかうんおいしい。
いける。
おいしいね。
うん!ふわふわ。
パン屋さんの根本を揺るがす大きな転換期が。
今では当たり前のトングを使ったあ〜。
これねたまげたから俺最初。
ツィッギーが来日した…。
それがこれ。
セルフ式のパンの販売。
日本で始めたのは広島で創業のアンデルセン。
店が狭くショーケースが置けなかったことがきっかけで始めたセルフ式。
トングとトレーを使ったそのシステムは瞬く間に全国に広がっていきました。
こうして自分の好きなパンを好きなだけ選べるようになったことでより目を引くようおいしそうで色合いも華やかなビジュアルも重視したパンが次々と生まれていきました。
豊かな発想力で進化を遂げた日本のパンは技術も種類も世界一だと言われています。
この先どこまで進化していくのでしょうか。
これもまたおもしろいコーナーでしたね。
皆さんあの好きだったパンっていうのはどんなのがありました?コッペパンじゃない名前は何て言うんだろう。
食…う〜ん…。
甘食!やったでしょ?知ってる?甘食。
いや聞いたことないです。
そう。
クローバーみたいな。
混ざっちゃうじゃないですか。
違うちゃんとそれが…。
ちゃんとそれが今さっきみたいに入れたんでしょうね。
深く入れてあったね。
俺の家のほうはあれだったよ。
うぐいす豆だった。
上がんない上がんない。
ほんとっすか?いやこれなぜそういうことが言えるかっていうと映画館が一軒ある。
小さいときからここの映画館通うんですけど。
映画の途中に。
そのコロッケパンをご用意いたしました。
お〜!渡辺徹さん超オススメのよかったらどうぞ。
出た出たキャベツ入りパターンだ。
ありがとうございます。
わあいいですねコロッケパン。
しゃれた感じじゃない?たぶんいろいろ改良もしてるだろうからちょっとしゃれてますね。
これしゃれてるんです。
このコロッケねこのパン屋さんの隣が肉屋さんなんですよ。
そこでコロッケ揚げてもらったのを買ってきて挟むという。
ああおいしい!おいしい。
うまい。
番組も終盤なんでもう許してほしいんですけど…。
(笑い声)
(笑い声)司会者に対するカンペで初めてです。
うわぁうめえな。
これこれこれ残るでしょ?こういうふうに。
これ取っといてあとから舐めると二度おいしいんです。
(笑い声)昭和平成ヒット商品すべて見せますパート3…。
はい?私からちょっとお話が。
お知らせがあります。
すみません申し訳ございません。
舞台をやらせていただきます。
紀伊國屋ホールで。
はいぜひ皆様いらしていただきたいと思います。
ありがとうございました。
さて今回はここまででございますけども第3弾まで来たということはこのあともできそうですね。
何やろうかな俺。
例えばカツ丼の変遷を見るとかね。
マヨネーズはどうですか。
マヨネーズね!ですからぜひお会いできると思います。
その日までお楽しみに。
それではまたお目にかかりましょう。
さようなら。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
楽しかったです。
2014/09/14(日) 19:54〜21:48
テレビ大阪1
日曜ビッグバラエティ「昭和平成ヒット商品全部見せます!PART3」[字]
「あの頃は、こんな暮らしでよく頑張っていた…」懐かしの仰天映像と共にヒット商品の“歴史”と“変遷”を一挙紹介!
日本の素晴らしさが見えてきます。
詳細情報
番組内容
第三弾の今回は「給料日」「朝食」「パン」にフィーチャーし、生活に欠かせない身近なモノの、知っているようで実は知らない“歴史”と“変遷”埋もれた歴史をお見せします。
昭和の家庭生活を再現した映像と共に、懐かしいあの時代へタイムスリップ!
出演者
【MC】渡辺徹、山瀬まみ
【ゲスト】
前田美波里、伊集院光、泉麻人、福田彩乃、あばれる君、佐藤美希
ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/sun/
ジャンル :
バラエティ – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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